2022年08月09日
報道における思考停止のマジックワード「コメントは差し控える」
昨今はマスゴミと揶揄されることもあるマスコミ。ワイドショーの類いは見ないから、それほどヒドいと感じてはいないものの、それでも報道に?と思うことが増えた
その背景には人材レベルの低下があるかも知れない。マスコミや報道機関もひとつの産業であって「おごる平家は久しからず」じゃないけれど、どんな産業もやがて衰退時期を迎える。かつては花形産業で今はそうでなくなった企業の人から「最近の新入社員は知らない名前の大学ばかり」という嘆きをたまに聞く。出身大学ですべてを判断できないとしても、これは確率の問題であって、マクロで見ればひとつの目安になる。
いい人材が入らない→企業・産業のクオリティが下がる〜衰退する→さらにいい人材が入らないの悪循環から抜け出すのは至難の技。私が学生の頃、マスコミは超難関の就職先で相当に優秀でないと入れなかった。今はどうなんだろう。まあ優秀な人材が集まっていない最たるところは政治産業だが(^^ゞ
さて今に始まったわけではないが、最近やたら増えて気になっている報道の表現がある。それは不祥事などが起きたとき、取材に対して当事者が「コメントは差し控える」「回答は差し控える」と答えること。政治家や官僚も都合が悪くなってきたら実によく使う。安部・菅両首相のころから特にひどくなったかな。
もちろんそう答えるのは自由だ。しかしそれをそのまま発言通りに「コメント・回答は差し控える」と報道するのはおかしいと思っている。そういう場合は「コメント・回答を拒否した」と報じるべきではないのか。
別にもっとキツく書け、イジワルに報道しろといっているのではない(そうやってプレッシャーを掛けるのはありだが)。危惧するのは事実や真相に一歩も近づけていないのに、「コメント・回答は差し控える」と報道するだけで何かひと段落ついた感じになっていること。
似たようなことを12年前にも書いている。
法務大臣のコメント
https://wassho.livedoor.blog/archives/52597147.html
一部を引用すると
何かで、誰か、あるいはどこかの会社が訴えられたとする。
マスコミが取材に押しかける。
そこで出るお約束のコメントは
「まだ訴状が届いていないのでコメントできない」
訴状が届いた頃に、もういちど取材に出かけてコメントを取ったニュースを、
未だかつて私は見たことがない。
訴状が届いていなければコメントできないのは当然だろう。理解できないのはマスコミが、このお約束コメントを取っただけで「じゃあ仕方がないか、ひと仕事済んだ」と次の動きを止めること。まさに思考停止のマジックワードである。そしてマスコミは訴状がいつ届くかくらいは分かっているから、自ら思考を停止するために取材に出かけているようなものだ。
当事者の発言通りに「コメント・回答は差し控える」と報道することは、これに通じるものがある。訴状ならやがて届き裁判も始まるから、また掘り下げる機会が訪れる。しかし「差し控える」でハイそうですかと引き下がれば、次の糸口を見つけるのは難しい。やがて「差し控える」で終了するのが習い性になる。
それは単なる当てずっぽうで言っているわけではない。「コメント・回答は差し控える」には上級バージョンがあって、その場合は実際にそうなっている。「法務大臣のコメント」でも少し書いたが、それは
「個別の事案についてはお答えを差し控えます」
「捜査中につきお答えを差し控えます」
「裁判に影響を与えるのでお答えを差し控えます」
など。
この上級バージョンを発すれば質問者の追求は確実に止まるし、不思議なことに世間も何となく納得してしまう。しかし個別の事案・捜査・裁判などに「差し控え」を正当化する根拠は何もないのだ。単なる目眩ましに過ぎない。どうして「個別の事案なら答えられないとする理由は何か?」を尋ねないのか不思議で、だから思考停止のマジックワードと考えるしかない。
マスコミが「コメント・回答は差し控える」でやり過ごしてしまうと、世の中にそういうものかとの空気が生まれる。そうなると、ただでさえ説明責任という義務意識が希薄なこの国では言い訳すらしなくて済んでしまう。そして悪事がはびこる。もちろん悪事ならコメントできないからーーーという社会の悪循環が、マスコミの表現ひとつから始まると心配するのは大げさかな。
現場での苦労はいろいろあるのだろうけれど、マスコミが衰退産業にならないように奮起してほしいものである。願わくばさらに上級バージョンである
「個人情報なので回答できない」
「守秘義務があるので回答できない」
「外交に関わることなので回答できない」
なども打ち破るべくプロフェッショナリティーに磨きを。
その背景には人材レベルの低下があるかも知れない。マスコミや報道機関もひとつの産業であって「おごる平家は久しからず」じゃないけれど、どんな産業もやがて衰退時期を迎える。かつては花形産業で今はそうでなくなった企業の人から「最近の新入社員は知らない名前の大学ばかり」という嘆きをたまに聞く。出身大学ですべてを判断できないとしても、これは確率の問題であって、マクロで見ればひとつの目安になる。
いい人材が入らない→企業・産業のクオリティが下がる〜衰退する→さらにいい人材が入らないの悪循環から抜け出すのは至難の技。私が学生の頃、マスコミは超難関の就職先で相当に優秀でないと入れなかった。今はどうなんだろう。まあ優秀な人材が集まっていない最たるところは政治産業だが(^^ゞ
さて今に始まったわけではないが、最近やたら増えて気になっている報道の表現がある。それは不祥事などが起きたとき、取材に対して当事者が「コメントは差し控える」「回答は差し控える」と答えること。政治家や官僚も都合が悪くなってきたら実によく使う。安部・菅両首相のころから特にひどくなったかな。
もちろんそう答えるのは自由だ。しかしそれをそのまま発言通りに「コメント・回答は差し控える」と報道するのはおかしいと思っている。そういう場合は「コメント・回答を拒否した」と報じるべきではないのか。
別にもっとキツく書け、イジワルに報道しろといっているのではない(そうやってプレッシャーを掛けるのはありだが)。危惧するのは事実や真相に一歩も近づけていないのに、「コメント・回答は差し控える」と報道するだけで何かひと段落ついた感じになっていること。
似たようなことを12年前にも書いている。
法務大臣のコメント
https://wassho.livedoor.blog/archives/52597147.html
一部を引用すると
何かで、誰か、あるいはどこかの会社が訴えられたとする。
マスコミが取材に押しかける。
そこで出るお約束のコメントは
「まだ訴状が届いていないのでコメントできない」
訴状が届いた頃に、もういちど取材に出かけてコメントを取ったニュースを、
未だかつて私は見たことがない。
訴状が届いていなければコメントできないのは当然だろう。理解できないのはマスコミが、このお約束コメントを取っただけで「じゃあ仕方がないか、ひと仕事済んだ」と次の動きを止めること。まさに思考停止のマジックワードである。そしてマスコミは訴状がいつ届くかくらいは分かっているから、自ら思考を停止するために取材に出かけているようなものだ。
当事者の発言通りに「コメント・回答は差し控える」と報道することは、これに通じるものがある。訴状ならやがて届き裁判も始まるから、また掘り下げる機会が訪れる。しかし「差し控える」でハイそうですかと引き下がれば、次の糸口を見つけるのは難しい。やがて「差し控える」で終了するのが習い性になる。
それは単なる当てずっぽうで言っているわけではない。「コメント・回答は差し控える」には上級バージョンがあって、その場合は実際にそうなっている。「法務大臣のコメント」でも少し書いたが、それは
「個別の事案についてはお答えを差し控えます」
「捜査中につきお答えを差し控えます」
「裁判に影響を与えるのでお答えを差し控えます」
など。
この上級バージョンを発すれば質問者の追求は確実に止まるし、不思議なことに世間も何となく納得してしまう。しかし個別の事案・捜査・裁判などに「差し控え」を正当化する根拠は何もないのだ。単なる目眩ましに過ぎない。どうして「個別の事案なら答えられないとする理由は何か?」を尋ねないのか不思議で、だから思考停止のマジックワードと考えるしかない。
マスコミが「コメント・回答は差し控える」でやり過ごしてしまうと、世の中にそういうものかとの空気が生まれる。そうなると、ただでさえ説明責任という義務意識が希薄なこの国では言い訳すらしなくて済んでしまう。そして悪事がはびこる。もちろん悪事ならコメントできないからーーーという社会の悪循環が、マスコミの表現ひとつから始まると心配するのは大げさかな。
現場での苦労はいろいろあるのだろうけれど、マスコミが衰退産業にならないように奮起してほしいものである。願わくばさらに上級バージョンである
「個人情報なので回答できない」
「守秘義務があるので回答できない」
「外交に関わることなので回答できない」
なども打ち破るべくプロフェッショナリティーに磨きを。
wassho at 22:47│Comments(0)│
│社会、政治、経済