2022年08月13日
終戦の日に憲法9条の話
ここしばらくは8月15日前後に、お盆に関連しているような・していないような話を書くことが多かった。今年は趣向を変えて終戦の日にちなんで憲法9条をテーマに。
いきなり話がそれるが日本では8月15日が終戦記念日。しかし、それが世界で少数派なのはあまり知られていない。終戦についての歴史の流れを追うと
1945年(昭和20年)
8月10日 御前会議で降伏を決定し、閣議でそれを承認
連合国側にその旨を通知
8月14日 天皇による詔書作成(これで国内の正式手続きを終えた)
8月15日 玉音放送によって国民と軍に降伏を表明
8月30日 連合国総司令官マッカーサーが日本に到着
9月2日 日本と連合国との間で降伏文書が交わされる
1951年(昭和26年)
9月8日 サンフランシスコ講和条約締結
各国が終戦をいつとしているか Wikipedia によると
8月15日 日本、イギリス、韓国、北朝鮮
9月2日 アメリカ、カナダ、フランス、ロシア
9月3日 中国、台湾
となっている。
日本が声明を出しただけの8月15日より、降伏文書に調印した9月2日とするのは合理性があると思うが、中国や台湾が9月3日なのは、その日から3日間をお祝いで休日にしたのに由来するらしい。日本より先に降伏したイタリアやドイツが第2次世界大戦の終了をいつと捉えているかは資料が見つからなかった。実は第2次世界大戦は戦闘に参加していない国も含めて80カ国ほどが、連合国・枢軸国いずれかの陣営に名前を連ねている。おそらく世界史的に終戦のグルーバルスタンダードは9月2日だろう。
なお9月2日の降伏文書は休戦協定なので、名実ともに終戦となったのは6年後のサンフランシスコ講和条約が締結されたときとなる。
さて終戦〜戦争つながりということで憲法9条。
改憲するかしないかで常に議論の中心となる条文である。
まずは書き出しておくと、
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動
たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
ちなみに憲法は前文と11章で構成され、その11章に103の条文が書かれている。2章は9条のためだけの章立てで、それだけ9条には重きを置いているのだろう。「日本国民は、正義と」〜「これを放棄する」までを第1項、「(2)前項の目的を」からを第2項という。
2つの項があるなら第1項にも(1)と数字を振った方がわかりやすいと思うが、法律は複数の項がある場合、なぜか第2項から数字を振ることになっている。どうして読みにくくするのか理由は知らない。ただし項の下に号を設ける場合は最初から数字を振る。
さて憲法で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定められているのに自衛隊が存在するのは矛盾する。どう測るのか知らないが、その戦力は世界ランキング6位とされている。参考までに1位〜10位はアメリカ・ロシア・中国・インド・フランス・日本・韓国・イギリス・トルコ・ドイツの順。
つまりどう考えても自衛隊は保持しないはずの戦力である。
ではいかなる根拠で自衛隊は存在するのか?
これについては自衛隊発足以来から議論されているテーマであり、もちろんそのすべてを知っているわけではない。私が理解しているところは
9条によって戦争を放棄し、軍隊は持てないのだが、
そもそも憲法以前の話として、人類の歴史において、国家には他国に攻められたら
守る・反撃する当然の権利が認められている。それがいわゆる自衛権。
自衛隊は自衛権のためのものであって、
だから憲法とは関係ないから矛盾もしないというかムニュムニューーー
といったところ。
屁理屈というか詭弁的解釈ではある。しかし殺人は罰せられるけれど正当防衛は認められ、また法律に基づいて死刑もおこなわれる。法律とはそういうものであって、いろいろと矛盾したことを取り繕っていくのが人間の英知というもの。憲法より上位の不文律のような「そもそも論」を持ち出すのはチョー強引とは思うものの、現実社会を考えれば、上記の解釈はなかなか見事なアルテ(技巧)じゃないかと考えている。
さて自衛隊が合憲かどうかとセットで持ち出されるのが、
憲法9条で国を守れる・守れないの議論である。
ほとんど神学論争のようなもので、双方の言い分にそれぞれ一理はある。ただし基本的に議論そのものがズレている。なぜなら憲法9条は「戦争ダメ絶対」との規定であって、国を守れるかどうかは守備範囲でないと思うから。
ーーー続く
「終戦の日に憲法9条の話」というタイトルなのに、本日はまだその日ではないが、お読みになったように8月10日からが「終戦の始まり」なのでヨシとしましょう。
いきなり話がそれるが日本では8月15日が終戦記念日。しかし、それが世界で少数派なのはあまり知られていない。終戦についての歴史の流れを追うと
1945年(昭和20年)
8月10日 御前会議で降伏を決定し、閣議でそれを承認
連合国側にその旨を通知
8月14日 天皇による詔書作成(これで国内の正式手続きを終えた)
8月15日 玉音放送によって国民と軍に降伏を表明
8月30日 連合国総司令官マッカーサーが日本に到着
9月2日 日本と連合国との間で降伏文書が交わされる
1951年(昭和26年)
9月8日 サンフランシスコ講和条約締結
各国が終戦をいつとしているか Wikipedia によると
8月15日 日本、イギリス、韓国、北朝鮮
9月2日 アメリカ、カナダ、フランス、ロシア
9月3日 中国、台湾
となっている。
日本が声明を出しただけの8月15日より、降伏文書に調印した9月2日とするのは合理性があると思うが、中国や台湾が9月3日なのは、その日から3日間をお祝いで休日にしたのに由来するらしい。日本より先に降伏したイタリアやドイツが第2次世界大戦の終了をいつと捉えているかは資料が見つからなかった。実は第2次世界大戦は戦闘に参加していない国も含めて80カ国ほどが、連合国・枢軸国いずれかの陣営に名前を連ねている。おそらく世界史的に終戦のグルーバルスタンダードは9月2日だろう。
なお9月2日の降伏文書は休戦協定なので、名実ともに終戦となったのは6年後のサンフランシスコ講和条約が締結されたときとなる。
さて終戦〜戦争つながりということで憲法9条。
改憲するかしないかで常に議論の中心となる条文である。
まずは書き出しておくと、
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動
たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
ちなみに憲法は前文と11章で構成され、その11章に103の条文が書かれている。2章は9条のためだけの章立てで、それだけ9条には重きを置いているのだろう。「日本国民は、正義と」〜「これを放棄する」までを第1項、「(2)前項の目的を」からを第2項という。
2つの項があるなら第1項にも(1)と数字を振った方がわかりやすいと思うが、法律は複数の項がある場合、なぜか第2項から数字を振ることになっている。どうして読みにくくするのか理由は知らない。ただし項の下に号を設ける場合は最初から数字を振る。
さて憲法で「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定められているのに自衛隊が存在するのは矛盾する。どう測るのか知らないが、その戦力は世界ランキング6位とされている。参考までに1位〜10位はアメリカ・ロシア・中国・インド・フランス・日本・韓国・イギリス・トルコ・ドイツの順。
つまりどう考えても自衛隊は保持しないはずの戦力である。
ではいかなる根拠で自衛隊は存在するのか?
これについては自衛隊発足以来から議論されているテーマであり、もちろんそのすべてを知っているわけではない。私が理解しているところは
9条によって戦争を放棄し、軍隊は持てないのだが、
そもそも憲法以前の話として、人類の歴史において、国家には他国に攻められたら
守る・反撃する当然の権利が認められている。それがいわゆる自衛権。
自衛隊は自衛権のためのものであって、
だから憲法とは関係ないから矛盾もしないというかムニュムニューーー
といったところ。
屁理屈というか詭弁的解釈ではある。しかし殺人は罰せられるけれど正当防衛は認められ、また法律に基づいて死刑もおこなわれる。法律とはそういうものであって、いろいろと矛盾したことを取り繕っていくのが人間の英知というもの。憲法より上位の不文律のような「そもそも論」を持ち出すのはチョー強引とは思うものの、現実社会を考えれば、上記の解釈はなかなか見事なアルテ(技巧)じゃないかと考えている。
さて自衛隊が合憲かどうかとセットで持ち出されるのが、
憲法9条で国を守れる・守れないの議論である。
ほとんど神学論争のようなもので、双方の言い分にそれぞれ一理はある。ただし基本的に議論そのものがズレている。なぜなら憲法9条は「戦争ダメ絶対」との規定であって、国を守れるかどうかは守備範囲でないと思うから。
ーーー続く
「終戦の日に憲法9条の話」というタイトルなのに、本日はまだその日ではないが、お読みになったように8月10日からが「終戦の始まり」なのでヨシとしましょう。
wassho at 19:40│Comments(0)│
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