2022年08月15日

終戦の日に憲法9条の話 その2

特攻隊


私は憲法9条を(自衛権の解釈込みで)肯定的に捉えている。特に戦争と武力による威嚇又は行使について【国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する】というくだりが素晴らしい。要は戦争反対なわけであるが、いわゆる人道的な平和主義とは少し視点が違う。

それは戦争なんてものは、負ければ当然であるが、よほどの弱小国相手なら別として、勝ったとしても多大な犠牲が伴う。つまり損得勘定が合わないと考えるから。まじめに平和運動に取り組んでいる人からはナンジャコイツと思われるかも知れないが、そう考える人が多くなるほど戦争は起きないと確信している。


損得勘定の話をもうひとつすると、自衛のためであっても防衛費は巨額である。2022年度で5.4兆円。これは国家予算全体の約5%を占める。最近よく耳にするNATO加盟国の予算目標と同じGDP比2%の水準まで引き揚げるとすれば、11.3兆円とさらに跳ね上がる。日本の防衛費は現在世界9位の規模であるが、11.3兆円だと3位(これは前回に書いた戦力のランキングとは別)。

一方で外務省の予算は6900億円。無償資金協力などが多くを占め、一般的な政策経費としては2400億円ほどしかない。「戦争は外交の延長」などといわれるように両者は表裏一体である。そこで思うのは、日本の安全を守るには軍備増強だけでなく外交にもっと力を入れるべきではないか、その方がコスパがいいのではないか、両者の予算的バランスはどれくらいが適切かということ。

2010年に「防衛問題 1000億円の外交努力」のタイトルでブログを書いた。イージス艦や戦闘機を増やすばかりが能じゃなくて、もっと外交に金を掛けたら?という内容。

その時に

   外交努力=基本的に交渉に、どうやって1000億円かけるの?
   何に金を使うの?という質問はご遠慮ください(^^ゞ

とも書いたが、自分で質問に答えよう。

戦争なんてものは大義名分がどうあろうと、どんな手段を選ぼうが勝てば官軍である。それを自衛に置き換えれば攻められなかったら勝ち。信長を始め優秀な戦国武将ほど調略(敵を寝返りさせる)が上手くて戦わずして勝った。そこで防衛費をベラボーに増やすのではなく、

   習近平とプーチンに、
   毎年1兆円ずつワイロをつかませたらどうや?
   それだけ貰って転ばないヤツはいてヘンやろ。
   2兆円で国が守れるなら安いもんや。
   何ならワイが運び屋やったろか?
   あっ、手数料として3%は貰うで!

ナゾに関西弁になってしまったが(^^ゞ もちろん本気で書いてはいない。しかし視野を広く手段を柔軟に、そして冷静に損得勘定を考えればいろいろな選択肢がある(かもしれない)ということ。


話を憲法9条に戻す。

自衛権解釈のことはいったん横に置くとして、憲法9条は「戦争ダメ絶対」を宣言した条文である。憲法には様々な役割があるが、これは立憲主義(主義という用語がおかしい気もするが)といって国家権力を制限する規定。

この憲法9条の戦争・戦力の放棄には連合国側の意向が強く働いていたと思う。終戦時点で日本軍には400万人ほどの兵力が残っていた。既にボロボロの状態だったとはいえ、この数字は脅威だったはず。何たって追い詰められれば「特攻」までしてくる狂信的な軍隊なのだから。やがて日本が敗戦から立ち直ったときに、また戦争を仕掛けないようこれを徹底的に潰して、将来の芽も摘んでしまおうと考えたはず。

またコロコロと話は変わるが、自爆テロといえばイスラム過激派のイメージがある。しかしそのルーツは1972年に日本赤軍がテルアビブの空港で起こした乱射事件だと最近知った。実行犯3名のうち1人が手榴弾で自爆。それがアラブ社会で英雄的行為と賞賛され、後にいろんなテロ組織に広まったらしい。特攻とテロを同列に扱えないとしても、日本人ってそういうところがあるのかな。

敵を倒せではなく、国のために死んでこいと兵士を送り出した国である。広島・長崎で約14万人の犠牲を出して(当日のみの死者数)日本は敗北を受け入れた。もしあの時代に原爆が完成しておらず、いわゆる本土決戦になっていたら、いったいどれくらいの玉砕を強いられたのかと、毎年この時期になると思ってしまう。ちなみに沖縄では沖縄出身軍人と民間人の併せて約12万人が死亡し、これは島民の約25%に相当する(さらに他府県出身の軍人が約6万5000人)。原爆によって早期に戦争が終結して、結果的に犠牲者が減った説もあるから余計に複雑な気持ちである。


さて憲法9条によって、日本の国家権力は戦争・戦力の放棄の縛りを掛けられた。言い換えれば終戦時にはそうするだけの合理性や根拠があった。最初に書いたように戦争なんて勝っても負けても損得勘定に合わないと考えているので、戦争や武力を【国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する】ことには大賛成。いってみれば私は憲法9条賛成派というより、憲法9条のコンセプト絶賛派である。それが守られるなら、改憲して自衛権や自衛隊のことを盛り込むかどうかは別にどうでもいい。


と、ずっと考えていたのだけれどーーー

もう一度書くが、憲法以前のこととして認められる自衛権は守る権利だから、憲法9条で禁じられているのは攻める権利である。当時は終戦から立ち直った日本が、また戦争を仕掛ける国になる可能性はなしとはいえなかった。

しかし現在はどうか?

2010年に中国にGDPで追い抜かれ世界第2位から3位に陥落。それから12年が経って中国に4倍以上の差をつけられている。最近は日本の「安い人件費」を求めて中国企業が進出してくるありさま。また4位のドイツとの差は1990年には2倍以上の開きがあっのに、既に17%ほどに詰め寄られている。国民1人当たりのGDPにいたっては2000年には2位だったものが、現在は28位と♪まっさかさまに堕ちてdesire(>_<)

そして少子高齢化でジジ・ババばかりとなり、
兵士となる若者は数も少ない上に草食系男子(/o\)

この日本に戦争を仕掛ける力はもうないんじゃないか?
ということは憲法9条は役割を終えて必要ないかも。
アメリカ、ロシア、中国のすべてと一戦を交えた国だったが、
それも今は昔。

いかなる理由でも戦争には反対で、
だから憲法9条を支持していたのに。
そんなことに気づいてしまって、
護憲・改憲を通り越して憲法9条不要論に思い至るとはーーー

ビミョーに寂しさも感じてしまう終戦記念日の夏。



おしまい


付録:それにしてもこんな広いエリアに日本軍が勢力を広げていたとは
   今さらながら驚く。いろんな意味で
勢力範囲

   仮に今日から超軍国主義の国になって、
   挙国一致・滅私奉公でガムシャラにがんばったとして、
   これをまた実行するのに何年くらい掛かる?
   というか可能性ある? いや無理ヤロ

   ついでに、大東亜共栄圏って名前は知っていても具体的には
   イメージしていないことが多いが、これとほぼ同じ範囲ね。

wassho at 20:14│Comments(0) 社会、政治、経済 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔