2023年02月08日

受験シーズンに思うこと

数日前にある駅の前を通りかかったらとても混雑していた。
大学が近くにある駅なので入学試験の日だったのだろう。
ちょうど今頃は私立大学の受験シーズン。


学生時代もすっかり昔の話になってしまったので、 昨今の受験事情についてはまったく疎い。共通1次→センター試験→共通テストと変遷した試験は私立でも利用されているようだし、AO入試もどのようなものかよく知らないうちに総合型選抜に名前が変わった。

2021年のデータによると、その総合型選抜(当時はAO入試)の入学者が全体に占める割合は国公私トータルで10.4%、また推薦入試の入学者数は同じく38.4%となっている。合計すれば48.8%で約半分。私立に限れば56.5%にも達する。つまり普通の入試(今は一般選抜と呼ばれている)を受ける受験生は半分しかいないわけだから、ずいぶんと様変わりしているのは間違いない。

まっ、もう受験することはないのでどうでもいいけど(^^ゞ

ただし共通1次は1979年、AO入試は1990年から始まって、それぞれ30年〜40年以上の歴史がある。どんな目的やいきさつでこの制度が始まったのかは承知していないものの、それらが学生や大学、ひいては日本社会にどのような変化や影響をもたらしたのかには興味がある。それを検証したような研究ってあるのかな?

受験


さて駅前にいた受験生を目にしたら、
以前に思い浮かんだ疑問を思い出した。

芸術大学と呼ばれる大学がある。多くは美術学部と音楽学部が併設されている。どちらかに特化したものが美大や音大。これらの大学ではいわゆる座学の授業もあるだろうが、絵を描いたり彫刻を作ったり、楽器を演奏したり歌ったりと創作や実習が中心。学科によっては作曲もする。

一方で普通の大学には文学部がある。歴史や哲学の学科が文学部に含まれる大学もあるが、ここで意味しているのは文学部文学科としての文学部。そして文学も同じ芸術なのに、美術や音楽と違って、なぜか文学部の授業で学生は小説や詩や戯曲を書いたりしない。

   どうして?
   この違いはなぜ生まれた?

この話にオチや結論はない。
単に疑問として持っているだけ。


ただ思うのは講義を受けるだけの授業よりも、実習のある授業の方が楽しいし、それによってその学問がより身につくはずだということ。ちなみに私は法学部だったけれど、法学部の授業とは

   法律があって、
   それによってさばかれた裁判の判決があって、
   その判決(判例と呼ばれる)を論評した学説

を学ぶのがメイン。まったくクリエイティブな要素がない。そして、その裁判も二十歳前後の者にとって身近に感じられるテーマのものはほとんどないから、実に勉強として退屈なわけで(/o\)

これがもし「憲法をいちから作り直す」とか「最近に起きた社会的な出来事に対応する法律を考える」とか、あるいは「裁判官、検事、弁護士、ついでに裁判を報じるマスコミにも分かれて模擬裁判をする」なんて授業も多少あれば、もっと勉強に身が入って弁護士にでもなったかも知れないのに(^^ゞ

入試制度をいじるより、大学での教育の在り方を考えた方がいいように思えたり。

wassho at 23:01│Comments(0) ノンジャンル 

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