2023年03月22日
芦花公園(蘆花恒春園)で彼岸桜
昨年、散歩がてらにたまたま立ち寄って、時期的に満開のはずがない桜にビックリしたら、それはソメイヨシノではなくヒガンザクラだった芦花公園。それで今年は彼岸桜を眺めにどこかへ出かけようと思ったものの、どうにも名所らしき所を見つけられず。じゃあもう一度行くかと3月16日に訪れた。
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
この公園は名前がちょっとややこしい。昔は芦花公園(ろか こうえん)と呼んでいたはずなのに(そう記憶するのに)、今は蘆花恒春園(ろか こうしゅんえん)となっている。
蘆は芦の旧字で植物のアシやヨシなどを指す言葉。蘆花とは明治から大正にかけての小説家である徳冨蘆花のこと。名前に花がついているが男性。文豪に数えられる1人ではあっても、知名度はあまりないかも。1868年(明治元年)生まれで森鴎外や夏目漱石と同世代である。彼の兄は戦前に最も影響力のあったオピニオンリーダーとも評される徳富蘇峰。
左が蘆花で、右が蘇峰。
その徳冨蘆花の自宅があったのが世田谷区にあるこの場所で、彼は自宅を恒春園と名付けていた。彼の死後から10年が経った1937年(昭和12年)に恒春園は当時の東京市に寄付され、翌年に公園として公開。さらに順次周辺の土地を買い増して整備されたのがこの公園。
そして名前については
この公園(全体)の正式名称は蘆花恒春園
ただし徳冨蘆花自宅の恒春園の敷地以外を含める場合は芦花公園と呼ばれている
のような説明が一般的。また正式名称が変更されたとの情報は見つからなかった。
だとしたら芦花公園は通称か?
駒沢公園、上野公園の正式名称は、駒沢オリンピック公園と上野恩賜公園である。フルネームを使う人はほとんどいなくて、短縮した通称の駒沢公園、上野公園で呼ばれる。でも芦花公園を蘆花恒春園の短縮と考えるのは無理があるんだよなあ。
また最寄り駅は京王線の芦花公園駅。この駅は上高井戸駅だった名前を、1937年に芦花公園駅へ改称している。1937年は恒春園が寄付された年。つまりまだ公園の敷地が恒春園しかなかった時期である。だから芦花公園>蘆花恒春園との理屈は成り立たない。寄付されたときから芦花公園と呼ばれていたはず。
まっ、こんな推理をしても何の役にも立たない(^^ゞ
とりあえず蘆花恒春園=芦花公園である。
なおほとんどの人が芦花公園と呼んでいると思うが、地図には蘆花恒春園としか表記されていないから、それを頼りにやってくる人は注意が必要。これも昔(紙の道路地図の時代)は芦花公園だったように記憶しているのだがーーーもう切りがないからやめておこう。
これは徳冨蘆花の自宅だった狭義の蘆花恒春園の入口。広義の芦花公園は24時間自由に出入りできるが、こちらは9:00〜16:30の開園。
文字が途中で切れているが、徳冨蘆花旧宅と刻まれている。
案内図のうちピンクで囲ったのが狭義の蘆花恒春園。
Googleマップで計測してみたら約1.1ヘクタールあった。坪数に換算すれば3300坪だからさすが文豪。もっとも徳冨蘆花がここを購入した1907年(明治40年)当時、このあたりは農村があるだけの超田舎だったはず。彼は文壇を離れ、半農生活を求めてここに転居したという。それ以前は赤坂→原宿→逗子→青山と転居している。あっ、いまではブランド住所ばかりじゃないか。さすが文豪(^^ゞ
なお現在の広義の芦花公園は6.8ヘクタールだから、当初よりおよそ6倍に拡張されている。
園内の雰囲気。
当時の建物が残っている。土地と建物だけでなく遺品一切を残すのを条件に寄付したと聞く。面白いのは母屋とは別に奥さんの「愛子夫人居宅」があること。夫婦仲が悪くて別居していたのかと思ったら、これは未亡人となった愛子夫人が恒春園を寄付した後に、当面の住まいとして東京市が建てた家のようだ。
規模は小さいものの竹林もある。
母屋から連なる秋水書院と名付けられた建物。
その名前の由来が立て札に書かれている。幸徳秋水事件って習ったよね。
秋水書院の前にあった木は白い花を咲かせていた。
ツバキとサザンカの見分けが難しいように、ハクモクレン(白木蓮)とコブシもよく似ている。おまけにモクレンという木もある。どれもモクレン科だから親戚のようなもの。
ただしモクレンとハクモクレンの見分けは簡単である。
モクレン(木蓮)の花は紫系。シモクレン(紫木蓮)と呼ぶこともある。
ハクモクレン(白木蓮)の花はその名の通り白。
もちろん花が咲いていないと見分けられないが。
それでハクモクレンとコブシはどちらも白い花が咲くのがやっかい。咲く時期も同じ。
見分け方として
ハクモクレンはモクレンと同じように花が上向きに、すぼんだ形で咲く。
コブシは花の咲く向きは一定ではなく、また放射状に花びらが開く。
とよく言われる。しかしツバキは花が丸ごと落ちる、サザンカは花びらがバラバラになって落ちるとの見分け方があるが、まだ花がひとつも落ちていなければ見分けられないように(何度も経験している)、ハクモクレンも最後は花の形を維持できなくて花びらが大きく開く。そうなるとその見分け方も通用しない。
それでも3つだけ咲いていた若い花は上向きですぼんでいたから、
これはハクモクレンだろう。
狭義の蘆花恒春園から広義の芦花公園に出る。
なぜか公園の中に墓地がある。
公園案内図を見ると共同墓地と書かれていた。公園にする前からあった墓地なのだろうか。近くまでは行かなかったが、墓石などはそんなに古くなさそうだ。
共同墓地から少し離れたところにあるのが徳冨蘆花と愛子夫人のお墓。当時はここも恒春園敷地内だったのか、それとも自宅のすぐそばに墓地を買ったのかは不明。いずれにせよ愛子夫人は墓ごと寄付して、死後にはその墓に入ったことになる。
徳冨蘆花は小説を読んだこともないしほとんど馴染みがないのだけれど、徳富蘇峰は私の母校の創設者である新島襄の盟友のようなものだから少し親近感がある。その弟だからツナガリで軽く黙祷。ちなみに蘆花も蘇峰も同志社の前身である同志社英学校中退である。私は卒業したゾ徳富兄弟(^^ゞ
なお実の兄弟なのに蘆花は徳「冨」、蘇峰は徳「富」と「とみ」の漢字にワ冠・ウ冠の違いがある。もっとも本名は蘆花が徳富健次郎、蘇峰が徳富猪一郎だから、これらはどちらもペンネームみたいなもの。
徳冨夫妻のお墓から離れてドッグランの近くにあった白い花。
ほら秋水書院の前にあったハクモクレンと見分けがつかないでしょ。
でもどうやらこちらはコブシのようだ。
コブシのそばにあったウメ。
これだけウメがたくさん咲いているのを見るのは、今年はこれが最後だろう。
そしてツバキやマツを眺めつつ、
やって来ました花の丘。
丘といっても周りより1mほど高いだけ(^^ゞ
そして満開の姿が見えているのが彼岸桜!
ーーー続く
wassho at 22:16│Comments(0)│
│お花畑探訪