2023年05月02日
新緑を求めて等々力渓谷
「春はあけぼの」と書いたのは清少納言。その一節のある枕草子の書き出しを現代語訳すると「春の推しは夜明け。山の稜線が少しずつほのかに白く明るくなって、紫がかった雲が細くたなびく様子がエモい!」というような内容。
電気のない平安時代に人々は早く寝て夜明けとともに起きていたのかも知れないし、彼女が暮らしていた京都なら山が近いから、そんな光景を目にしていたのだろう。でも枕草子ファン、あるいは古典ファンまたは研究者で、枕草子に書かれた春のあけぼのを体験した人はいないといっていい程度のパーセンテージだと思うゾ。授業で意味も分からず暗記させられたけど。
枕草子の冒頭は春夏秋冬ごとにどの時間帯が素晴らしいかを述べたもの。だから趣旨は違うけれど一般的には「春は桜」かな。しかし「春は桜、秋は紅葉」の季節感を日本人に植え付けたのは古今和歌集との説をどこかで耳にした。侮りがたし古典文学。カロカツクイイケレマルの呪文だけは今でも覚えている(^^ゞ
花を見るのは好きなので、春になったらウメやサクラを眺めに出かける。それでも私にとって一番の推しは「春は新緑」。どういうわけかあの明るい若葉色というか黄緑色がやたら好き。それを目にするとエネルギーが身体に充填される気がする。サクラが終わった頃から5月いっぱいあたりが見頃。春からわずかに初夏の風物詩。
それで新緑を見に行こうとなぜか思いついたのが等々力渓谷。普段の意識にまったく存在しない場所なのに、どうしてそれが出てきたのか自分でも不思議。自然豊かで緑が多いと無意識のうちにタグ付けしていたのだろうか。
等々力渓谷は世田谷区の東南に位置する長さ約1kmほどの渓谷。23区内で唯一の渓谷でもある。渓谷と聞けば山と山に挟まれた谷に流れる川をイメージするはず。もちろん世田谷区に山なんてない。ここは平地(正確には台地)が川によってV字型に浸食され、つまり削られ掘られてできたもの。住宅地の中にそこだけほぼ手つかずの自然が残っており、めずらしい場所として東京ではちょこっと有名。
踏切を電車が通過しているのが見える。
少し右に進むと等々力駅で極めて駅近のロケーション。
踏切から100mほどの歩道に埋め込まれた案内板。
そこを曲がってすぐの所にある橋はゴルフ橋と呼ばれ、ここが等々力渓谷への入口。
橋の名前は昭和の初め頃、このあたりがゴルフ場だったのに由来している。
橋の上から下流方向。
東京の世田谷にある駅から100mちょっとで、この光景なのがビックリするね。
ゴルフ場橋にあった案内看板。
等々力渓谷は1933年(昭和8年)に風致地区に指定され、1936年(昭和11年)に遊歩道が造られ、その後も徐々に整備されて1974年(昭和49年)に世田谷区立の公園となった。
いざ渓谷へ。
真夏だと渓谷内は5度ほどヒンヤリしているらしい。
この日はまだほとんど温度差を感じなかった。
上流へは行けないみたい。
ゴルフ場橋を下から。
なぜかド派手にカラーリング。
ジャングル探検気分で下流に進んでいく。
水はきれい。
処理された下水も流れているが、渓谷内に30箇所以上の湧水があるとのこと。等々力渓谷の湧水は東京都による「東京の名湧水57選」に選ばれている。もっとも名湧水は名水とは違って飲める水ではないようだ。
木漏れ日がすごく幻想的に水面に落ちていたのに、
写真に撮るとほとんど再現されていなかった(/o\)
なお今回の撮影はすべてiPhone。
さらに進む。
もう一度書くけれど、ここはダッシュすれば5分以内に電車に乗れる場所。
この橋から先は右岸に遊歩道。
右岸を進んで、
次に現れる橋は環八の道路。渓谷は地表より低い場所にあるので、つまり道路としては水平なので、環八をクルマで走ってもこの橋を意識することはない。
等々力渓谷を流れているのは谷沢川(やざわ がわ)。
水源は同じく世田ヶ谷の桜ヶ丘で多摩川に接続するまで3.7kmの短い川。でも一級河川。一級河川というと大きな川をイメージすると思うが、行政上の区分はちょっと違う。
川には本流、支流といくつもの流れがある。それらをまとめて「水系」と呼ぶ。水系のうち重要なものは「一級水系」に指定され全国に109水系ある。それで「一級水系」に関連する河川のうち、国が管理している区間が「一級河川」と呼ばれる。谷沢川は一級水系である多摩川に属して国が管理している一級河川。3.7kmでも一級河川だから、川の規模はあまり関係ないようだ。ちなみに日本には3万ほどの川がある。そのうち一級河川が1万4000ほどもあって、実は半数近くが一級河川。
一級水系以外は二級水系と単独水系に分かれ、二級水系のうち都道府県が管理する区間が二級河川。数的には二級水系が2711水系で二級河川が約7000程度。また河川としては他に準用河川と普通河川があり、また一級河川の中でも国ではなく都道府県が管理する指定区間もある。
視点を変えれば河川の区分は管理者の区分といえる。
一級河川大臣管理区間:管理者は国土交通大臣
一級河川指定区間:管理者は都道府県知事
二級河川:管理者は都道府県知事
準用河川:管理者は市町村長
普通河川:管理者は地方公共団体
図はhttps://www.qsr.mlit.go.jp/oita/naruhodokasen/kasen_kanri_chishiki/index.htmlから引用
さて、
水際近くに降りられるところがあって、
カモが何か食べていた。
渓谷内は木に太陽を遮られて少し薄暗い。
新緑を見に来たのに(/o\)
でも上を見上げれば、ところどころ日に照らされて「春は新緑」を楽しめる。
右岸に遊歩道が続いているが左岸に渡る橋があった。
橋の上から歩いてきた方向を振り返る。
左岸に横穴墓群なるものがあったので行ってみる。
古墳時代後期(7世紀)のものとされている。
こちらのようだ。
渓谷の斜面を登っていく。
最初にあるのは3号横穴(おうけつ)。
入口小っさ!
まったく中をのぞき込めない。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
1号と2号は標識だけで遺跡らしきものは何もない。「横穴跡」があるのではなく、かつてここに横穴があったとの意味のようだ。埋めてしまったのか?
横穴の先はもう環八に面した出入り口だから、この場所は地表近く。川の増水を考慮して、渓谷の底ではなく高い位置に墓を造ったのは理にかなっている。単に古墳時代には渓谷自体がもっと浅かったのかも知れないが。
ーーー続く
電気のない平安時代に人々は早く寝て夜明けとともに起きていたのかも知れないし、彼女が暮らしていた京都なら山が近いから、そんな光景を目にしていたのだろう。でも枕草子ファン、あるいは古典ファンまたは研究者で、枕草子に書かれた春のあけぼのを体験した人はいないといっていい程度のパーセンテージだと思うゾ。授業で意味も分からず暗記させられたけど。
枕草子の冒頭は春夏秋冬ごとにどの時間帯が素晴らしいかを述べたもの。だから趣旨は違うけれど一般的には「春は桜」かな。しかし「春は桜、秋は紅葉」の季節感を日本人に植え付けたのは古今和歌集との説をどこかで耳にした。侮りがたし古典文学。カロカツクイイケレマルの呪文だけは今でも覚えている(^^ゞ
花を見るのは好きなので、春になったらウメやサクラを眺めに出かける。それでも私にとって一番の推しは「春は新緑」。どういうわけかあの明るい若葉色というか黄緑色がやたら好き。それを目にするとエネルギーが身体に充填される気がする。サクラが終わった頃から5月いっぱいあたりが見頃。春からわずかに初夏の風物詩。
それで新緑を見に行こうとなぜか思いついたのが等々力渓谷。普段の意識にまったく存在しない場所なのに、どうしてそれが出てきたのか自分でも不思議。自然豊かで緑が多いと無意識のうちにタグ付けしていたのだろうか。
等々力渓谷は世田谷区の東南に位置する長さ約1kmほどの渓谷。23区内で唯一の渓谷でもある。渓谷と聞けば山と山に挟まれた谷に流れる川をイメージするはず。もちろん世田谷区に山なんてない。ここは平地(正確には台地)が川によってV字型に浸食され、つまり削られ掘られてできたもの。住宅地の中にそこだけほぼ手つかずの自然が残っており、めずらしい場所として東京ではちょこっと有名。
踏切を電車が通過しているのが見える。
少し右に進むと等々力駅で極めて駅近のロケーション。
踏切から100mほどの歩道に埋め込まれた案内板。
そこを曲がってすぐの所にある橋はゴルフ橋と呼ばれ、ここが等々力渓谷への入口。
橋の名前は昭和の初め頃、このあたりがゴルフ場だったのに由来している。
橋の上から下流方向。
東京の世田谷にある駅から100mちょっとで、この光景なのがビックリするね。
ゴルフ場橋にあった案内看板。
等々力渓谷は1933年(昭和8年)に風致地区に指定され、1936年(昭和11年)に遊歩道が造られ、その後も徐々に整備されて1974年(昭和49年)に世田谷区立の公園となった。
いざ渓谷へ。
真夏だと渓谷内は5度ほどヒンヤリしているらしい。
この日はまだほとんど温度差を感じなかった。
上流へは行けないみたい。
ゴルフ場橋を下から。
なぜかド派手にカラーリング。
ジャングル探検気分で下流に進んでいく。
水はきれい。
処理された下水も流れているが、渓谷内に30箇所以上の湧水があるとのこと。等々力渓谷の湧水は東京都による「東京の名湧水57選」に選ばれている。もっとも名湧水は名水とは違って飲める水ではないようだ。
木漏れ日がすごく幻想的に水面に落ちていたのに、
写真に撮るとほとんど再現されていなかった(/o\)
なお今回の撮影はすべてiPhone。
さらに進む。
もう一度書くけれど、ここはダッシュすれば5分以内に電車に乗れる場所。
この橋から先は右岸に遊歩道。
右岸を進んで、
次に現れる橋は環八の道路。渓谷は地表より低い場所にあるので、つまり道路としては水平なので、環八をクルマで走ってもこの橋を意識することはない。
等々力渓谷を流れているのは谷沢川(やざわ がわ)。
水源は同じく世田ヶ谷の桜ヶ丘で多摩川に接続するまで3.7kmの短い川。でも一級河川。一級河川というと大きな川をイメージすると思うが、行政上の区分はちょっと違う。
川には本流、支流といくつもの流れがある。それらをまとめて「水系」と呼ぶ。水系のうち重要なものは「一級水系」に指定され全国に109水系ある。それで「一級水系」に関連する河川のうち、国が管理している区間が「一級河川」と呼ばれる。谷沢川は一級水系である多摩川に属して国が管理している一級河川。3.7kmでも一級河川だから、川の規模はあまり関係ないようだ。ちなみに日本には3万ほどの川がある。そのうち一級河川が1万4000ほどもあって、実は半数近くが一級河川。
一級水系以外は二級水系と単独水系に分かれ、二級水系のうち都道府県が管理する区間が二級河川。数的には二級水系が2711水系で二級河川が約7000程度。また河川としては他に準用河川と普通河川があり、また一級河川の中でも国ではなく都道府県が管理する指定区間もある。
視点を変えれば河川の区分は管理者の区分といえる。
一級河川大臣管理区間:管理者は国土交通大臣
一級河川指定区間:管理者は都道府県知事
二級河川:管理者は都道府県知事
準用河川:管理者は市町村長
普通河川:管理者は地方公共団体
図はhttps://www.qsr.mlit.go.jp/oita/naruhodokasen/kasen_kanri_chishiki/index.htmlから引用
さて、
水際近くに降りられるところがあって、
カモが何か食べていた。
渓谷内は木に太陽を遮られて少し薄暗い。
新緑を見に来たのに(/o\)
でも上を見上げれば、ところどころ日に照らされて「春は新緑」を楽しめる。
右岸に遊歩道が続いているが左岸に渡る橋があった。
橋の上から歩いてきた方向を振り返る。
左岸に横穴墓群なるものがあったので行ってみる。
古墳時代後期(7世紀)のものとされている。
こちらのようだ。
渓谷の斜面を登っていく。
最初にあるのは3号横穴(おうけつ)。
入口小っさ!
まったく中をのぞき込めない。
東京のガッカリ名所に認定(^^ゞ
1号と2号は標識だけで遺跡らしきものは何もない。「横穴跡」があるのではなく、かつてここに横穴があったとの意味のようだ。埋めてしまったのか?
横穴の先はもう環八に面した出入り口だから、この場所は地表近く。川の増水を考慮して、渓谷の底ではなく高い位置に墓を造ったのは理にかなっている。単に古墳時代には渓谷自体がもっと浅かったのかも知れないが。
ーーー続く