2023年06月19日
白山神社はアジサイより人のほうが多かった(^^ゞ その2
社殿の横に通路があったので進んでみる。
広場になっていた。
ここは神社の境内ではなく文京区立の白山公園。どうやら1891年(明治24年)に白山神社の境内を含めて公園に指定され、戦後に政教分離の原則に基づいて、境内と公園が切り離されたようだ。それに伴い公園面積が8250平米から1590平米になったとされるので、当初は神社全体が公園だったのか? 明治=国家神道の時代に神社は国の所属なので可能だったのだろうが、神社まるごと公園ってめずらしいのでは。
だとすれば白山神社は当時、あまり神社としては重視されていなかったのだろうか? しかし地名にまでなっている神社だし、准勅祭社(明治になって東京で12社が選ばれた天皇が勅使を遣わす重要な神社)でもあるから、それはないか。いろいろナゾだけれど、調べるのに時間が掛かりそうだからやめておく(^^ゞ
政教分離で切り離されたとはいえ、上の写真で分かるように神社と公園はシームレスで境界はないに等しい。こちらのほうが境内よりアジサイが多く、また状態も少しよかった。
この色のアジサイが好き。
これも微妙でいいね。
ガクアジサイの満開なのと散ったの。
前回にアジサイの花びらに見えるのは「萼(がく)」と書いた。こちらのガクは「額」。本当の花部分を萼が額縁のように取り囲んでいるから額アジサイ。言葉が同じガクだからややこしい。ガクアジサイを品種改良して丸い形にしたのがホンアジサイといわれる。
アジサイは時間とともに色を変えるが、ガクアジサイはそれがダイナミック。この萼が赤くなっているガクアジサイが、最初は真っ白だったりもする。
境内より多いとはいえアジサイが密集感に欠けるのは残念なところ。
できるだけ数多くに見えるところ所を狙って。
青空も一緒に写しましょう。
白山公園の端まで来ると、
通路を挟んで小高くなっている場所が。
ここに登ってアジサイを眺めるのが白山神社の流儀みたいだ。
全景はこんな感じ。
入口に浅間神社の鳥居があるから、これは富士塚だとわかる。
富士塚とは
江戸時代に富士山信仰が流行る。富士山に登ればご利益があるとされた。
富士山に登るのは大変なので、小さな丘を利用したり、あるいは築山を造って、
それを富士山に見立て、
そこに登れば富士山に登るのと同じご利益がある
と都合のいい解釈で生まれた(^^ゞ いわば富士山のレプリカ。南無阿弥陀仏と唱えさえすれば成仏できるとか、楽な方法を生み出し提案するのは、信者を増やすために宗教が展開する定番のマーケティング戦略。
浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)の鳥居があるのは、同神社が富士山信仰をベースとした神社だからで富士塚にはお約束の設備。富士塚は江戸時代に200〜300基ほど造られ、現在でも100基ほどが残っているとされる。
ここで前回のブログも読んだ人は「ここは白山神社なのに?」と思っただろう。そう白山神社とは白山信仰がベース。富士山信仰とはライバル関係なのにナゼにである。
神社には本殿の他に、小さな社(やしろ)や祠(ほこら)が設けられている場合が多い。それを境内社(けいだいしゃ)と呼ぶ。本殿に祀られているメインの神様に対してサブの神様のような位置づけ。なぜそのように複数の神様を祀るのかは知らないものの、ご利益というのは神様ごとに違うから、一箇所に多くの神様がいたほうが便利とのニーズ対応、あるいはそれによって参拝者を増やす施策なのかも知れない。
ネットで得た情報によると(公式ホームページはない)白山神社では、
八幡神社、関東松尾神社、浅間神社、福受稲荷神社、伏見稲荷社、
合祀社(三峯・玉津島・天満天神・山王・住吉)
が境内社として設置されている。実に幅広いラインナップ。
それにしてもどうして白山信仰の白山神社が富士塚を設け、浅間神社を境内社にしたのだろう。また航空写真を見ると、境内に対して富士塚が相当の面積を占めているのがわかる。なにゆえそこまでしてライバルをーーーのナゾは深まるばかり?
ついでに前回の投稿でテントが張られていたのは境内ではなく駐車場(神社の所有地なのかも知れないが)。また駐車場と向かい合っているいるあたりは立ち入れないところも多く、いわゆる自由に行き来できる「広い空間としての境内」は社殿や社務所の前だけ。白山神社は有名な神社としてはかなり狭くて意外だった。イベントで駐車場が開放されていなかったら、ずいぶんと小規模に感じただろう。
さて白山神社の中で唯一アジサイが密集したくさん咲いているのが富士塚。ここを見なければ白山神社でアジサイを見たことにならない。しかしご覧の通り中に入るのに長蛇の列で順番待ちになっていた(/o\)
下からの様子で、富士塚に上がったときの光景を想像し、そして列に並ぶ時間を予想した結果、下から眺めるだけでいいかなの結論に。
せっかく来たのだから、
とりあえず最低これくらいのボリューム感がないとね。
なぜかユリが数株だけ咲いていた。
キレイに咲いていたアジサイあれこれ。
アジサイの状態は境内 < 公園 < 富士塚。ということは白山神社より浅間神社のほうが、ご利益があるのかなんて言ったらバチが当たるかも(^^ゞ
白山神社のアジサイは思っていたほどの規模ではなくて、少し期待外れだった感は否めない。それでも富士塚を見たのは初めてだし、そこで少々めずらしいアジサイ風景を眺められたので訪れた甲斐はあったとしよう。
来たときと同じく参道を通って白山通りへ戻る。
おしまい
広場になっていた。
ここは神社の境内ではなく文京区立の白山公園。どうやら1891年(明治24年)に白山神社の境内を含めて公園に指定され、戦後に政教分離の原則に基づいて、境内と公園が切り離されたようだ。それに伴い公園面積が8250平米から1590平米になったとされるので、当初は神社全体が公園だったのか? 明治=国家神道の時代に神社は国の所属なので可能だったのだろうが、神社まるごと公園ってめずらしいのでは。
だとすれば白山神社は当時、あまり神社としては重視されていなかったのだろうか? しかし地名にまでなっている神社だし、准勅祭社(明治になって東京で12社が選ばれた天皇が勅使を遣わす重要な神社)でもあるから、それはないか。いろいろナゾだけれど、調べるのに時間が掛かりそうだからやめておく(^^ゞ
政教分離で切り離されたとはいえ、上の写真で分かるように神社と公園はシームレスで境界はないに等しい。こちらのほうが境内よりアジサイが多く、また状態も少しよかった。
この色のアジサイが好き。
これも微妙でいいね。
ガクアジサイの満開なのと散ったの。
前回にアジサイの花びらに見えるのは「萼(がく)」と書いた。こちらのガクは「額」。本当の花部分を萼が額縁のように取り囲んでいるから額アジサイ。言葉が同じガクだからややこしい。ガクアジサイを品種改良して丸い形にしたのがホンアジサイといわれる。
アジサイは時間とともに色を変えるが、ガクアジサイはそれがダイナミック。この萼が赤くなっているガクアジサイが、最初は真っ白だったりもする。
境内より多いとはいえアジサイが密集感に欠けるのは残念なところ。
できるだけ数多くに見えるところ所を狙って。
青空も一緒に写しましょう。
白山公園の端まで来ると、
通路を挟んで小高くなっている場所が。
ここに登ってアジサイを眺めるのが白山神社の流儀みたいだ。
全景はこんな感じ。
入口に浅間神社の鳥居があるから、これは富士塚だとわかる。
富士塚とは
江戸時代に富士山信仰が流行る。富士山に登ればご利益があるとされた。
富士山に登るのは大変なので、小さな丘を利用したり、あるいは築山を造って、
それを富士山に見立て、
そこに登れば富士山に登るのと同じご利益がある
と都合のいい解釈で生まれた(^^ゞ いわば富士山のレプリカ。南無阿弥陀仏と唱えさえすれば成仏できるとか、楽な方法を生み出し提案するのは、信者を増やすために宗教が展開する定番のマーケティング戦略。
浅間神社(あさまじんじゃ、せんげんじんじゃ)の鳥居があるのは、同神社が富士山信仰をベースとした神社だからで富士塚にはお約束の設備。富士塚は江戸時代に200〜300基ほど造られ、現在でも100基ほどが残っているとされる。
ここで前回のブログも読んだ人は「ここは白山神社なのに?」と思っただろう。そう白山神社とは白山信仰がベース。富士山信仰とはライバル関係なのにナゼにである。
神社には本殿の他に、小さな社(やしろ)や祠(ほこら)が設けられている場合が多い。それを境内社(けいだいしゃ)と呼ぶ。本殿に祀られているメインの神様に対してサブの神様のような位置づけ。なぜそのように複数の神様を祀るのかは知らないものの、ご利益というのは神様ごとに違うから、一箇所に多くの神様がいたほうが便利とのニーズ対応、あるいはそれによって参拝者を増やす施策なのかも知れない。
ネットで得た情報によると(公式ホームページはない)白山神社では、
八幡神社、関東松尾神社、浅間神社、福受稲荷神社、伏見稲荷社、
合祀社(三峯・玉津島・天満天神・山王・住吉)
が境内社として設置されている。実に幅広いラインナップ。
それにしてもどうして白山信仰の白山神社が富士塚を設け、浅間神社を境内社にしたのだろう。また航空写真を見ると、境内に対して富士塚が相当の面積を占めているのがわかる。なにゆえそこまでしてライバルをーーーのナゾは深まるばかり?
ついでに前回の投稿でテントが張られていたのは境内ではなく駐車場(神社の所有地なのかも知れないが)。また駐車場と向かい合っているいるあたりは立ち入れないところも多く、いわゆる自由に行き来できる「広い空間としての境内」は社殿や社務所の前だけ。白山神社は有名な神社としてはかなり狭くて意外だった。イベントで駐車場が開放されていなかったら、ずいぶんと小規模に感じただろう。
さて白山神社の中で唯一アジサイが密集したくさん咲いているのが富士塚。ここを見なければ白山神社でアジサイを見たことにならない。しかしご覧の通り中に入るのに長蛇の列で順番待ちになっていた(/o\)
下からの様子で、富士塚に上がったときの光景を想像し、そして列に並ぶ時間を予想した結果、下から眺めるだけでいいかなの結論に。
せっかく来たのだから、
とりあえず最低これくらいのボリューム感がないとね。
なぜかユリが数株だけ咲いていた。
キレイに咲いていたアジサイあれこれ。
アジサイの状態は境内 < 公園 < 富士塚。ということは白山神社より浅間神社のほうが、ご利益があるのかなんて言ったらバチが当たるかも(^^ゞ
白山神社のアジサイは思っていたほどの規模ではなくて、少し期待外れだった感は否めない。それでも富士塚を見たのは初めてだし、そこで少々めずらしいアジサイ風景を眺められたので訪れた甲斐はあったとしよう。
来たときと同じく参道を通って白山通りへ戻る。
おしまい
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