2023年06月25日
佐伯祐三 自画像としての風景
そういえば2月21に訪れたエゴン・シーレ展をブログにしたのは、3ヶ月と4日後の5月25日だったm(_ _)m この佐伯祐三展を見てきたのも、今から2ヶ月と25日前の3月31日。だからブログを書くペースにわずかとはいえ改善がみられる(^^ゞ
開催していたのは東京ステーションギャラリー。
和訳すれば東京駅美術館なので東京駅の中にある。
(iPhoneで少し上向きに撮ると、なぜか建物がのけぞってしまう)
これは南側。
駅を背にして左に丸ビル、右に新丸ビルがあるのが西側。
その先には皇居。
こちらが北側。まだ3月なので人々がコートを着ている風景。東京ステーションギャラリーは北口(丸いドーム屋根の下)を入ったところにある。
駅に入るとそのドームに施された装飾が美しい。
何度も来ているのにその度に写真を撮ってしまう。
北口コンコースの片隅に東京ステーションギャラリーの入口。
展示室は2階と3階にある。
さて佐伯祐三(さえきゆうぞう)。
1898年(明治31年)に大阪の中津(大阪駅・梅田駅の北側エリア)で生まれ、1928年(昭和3年)にパリで亡くなった画家。享年30歳。エゴン・シーレも28歳没だったから、偶然にも夭折した画家の展示会を続けて見たことになる。ちなみにエゴン・シーレは1890年(明治23年)生まれで佐伯祐三とはほぼ同世代。
どこか甘いムードも漂うなかなかのイケメン。実家は裕福なお寺で、旧制北野中学(現在の北野高校)を出ているから頭もよかったはず(北野高校の偏差値は2023年度で大阪で1位、全国で10位)。ちょっとうらやましいゾ
が、しか〜し神は二物を与えずなのか歯がない(>_<)
彼は北野中学時代に野球部(なんと主将!)で、ヘッドスライディングをした際に前歯を折ったらしい。そこには金歯(当時の入れ歯は金か銀しかなかったと思う)が入れられていたものの、卒業後しばらくして抜けてしまい、結局そのままだったようだ。身なりには無頓着で、ズボラな性格からあだ名が「ずぼ」だったというが、欠けた前歯もその表れなのだろう。画像はhttps://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2014-04-02から引用
抱きかかえているのは娘の彌智子(やちこ)。佐伯祐三は東京美術学校(現在の東京芸大)在学中に学生結婚している。なんと東京で住んでいたのは下宿ではなく、アトリエつきの家を新築! そのあたりはさすがお坊ちゃま。やっぱりうらやましい(^^ゞ
彼の短い生涯を年表にすると
1917年(大正6年)北野中学を卒業
1918年(大正7年)東京美術学校入学
1920年(大正9年)結婚 当時22歳
1922年(大正11年)長女誕生
1923年(大正12年)東京美術学校卒業 9月1日に関東大震災
1924年(大正13年)パリに移住
1925年(大正14年)サロン・ドートンヌ(コンクール)に初入選
1926年(大正15年)日本に帰国
1927年(昭和2年)再度フランスに渡る
1928年(昭和3年)パリ郊外の精神病院で死去
初めて展覧会に出展したのは美術学校を卒業した1923年。その5年後に亡くなっているから、画家としては実に短いキャリアだった。1928年の2月くらいから体調を崩し、やがて精神にも異変をきたして6月に自殺未遂を図る。フランスの法律に基づいて精神病院に収容され、8月にそこで肺結核によって生涯を閉じた。
おそらく世間一般の知名度はほとんどないだろう。美術界でも大規模な回顧展が開催されるのは18年ぶり、さらに前々回は45年前らしいからそれほどメジャーな画家とは言えない。でも私には強い印象が残っていた画家だった。
初めて佐伯祐三の絵を見たのがいつのことだったかはよく覚えていない。でもずいぶんと昔で30年前以上40年前未満といったところ。何かの雑誌で見たと記憶している。その時に何かに取り上げられ少し話題になった時期があったように思う。
具体的には覚えていないが、それはこんな雰囲気の作品だった。
その時に思ったのは
いかにも昔の日本人画家が、
パリってこんな街だ、どうだカッコイイだろうとイキって描いて、
そして昔の日本人が(おそらく今も)、
行ったこともないクセに、
これこそパリだヨーロッパだと喜びそうな
絵だなと。
絵にやたら文字が多いのもそう思わせた要因かも知れない。
平たくいえば西洋コンプレックス丸出しの絵に感じた。西洋コンプレックスという言葉を最近はあまり聞かないものの、ほとんどの日本人が英語を話せないのに、企業名や商品名に英語・カタカナ語が多く使われているし。なんならクルマの車種名はすべて外国語である。会話でもコンプライアンスにサステナブルにダイバーシティーにアジェンダとやたら出てくる。コロナではクラスターが発生して、ロックダウンにならないようソーシャルディスタンスが求められたよね。もうすっかりDNAに西洋コンプレックスが刷り込まれたので、西洋コンプレックスとの表現をしなくなったのかな。
もちろんカタカナ言葉が多く使われるのは、コンプレックスが原因なだけでないのは百も承知。それに印象派の画家たちが浮世絵に傾倒したように、異国情緒にある種の憧れを持つのは万国共通。話は変わるが江戸時代に水墨画が人気だったのは、中国風の異国情緒が好まれた=今でいうなら洋画を飾るみたいな感覚だったのではと思っている。
それはさておき、初めて佐伯祐三を見たときは、先ほど書いた「イキってる」感が強かったのは事実。ある意味、少し見下したような気持ちをいだいた。
ーーーただし私もごく平凡な日本人。同時に
「カッコええな〜」
「こんなポスターを部屋に飾りたい」
とも思ったのである(^^ゞ
それからすっかり忘れていたが、その両極の感情をいだいたから、展覧会情報で佐伯祐三の名前を見つけてすぐに思い出したしだい。他にどんな作品があるのだろうかと興味を持って、会期終了の2日前に滑り込みで展覧会を見てきた。
ーーー続く
追伸
西洋コンプレックスの代表例として東京駅の写真を撮ったわけじゃないよ
開催していたのは東京ステーションギャラリー。
和訳すれば東京駅美術館なので東京駅の中にある。
(iPhoneで少し上向きに撮ると、なぜか建物がのけぞってしまう)
これは南側。
駅を背にして左に丸ビル、右に新丸ビルがあるのが西側。
その先には皇居。
こちらが北側。まだ3月なので人々がコートを着ている風景。東京ステーションギャラリーは北口(丸いドーム屋根の下)を入ったところにある。
駅に入るとそのドームに施された装飾が美しい。
何度も来ているのにその度に写真を撮ってしまう。
北口コンコースの片隅に東京ステーションギャラリーの入口。
展示室は2階と3階にある。
さて佐伯祐三(さえきゆうぞう)。
1898年(明治31年)に大阪の中津(大阪駅・梅田駅の北側エリア)で生まれ、1928年(昭和3年)にパリで亡くなった画家。享年30歳。エゴン・シーレも28歳没だったから、偶然にも夭折した画家の展示会を続けて見たことになる。ちなみにエゴン・シーレは1890年(明治23年)生まれで佐伯祐三とはほぼ同世代。
どこか甘いムードも漂うなかなかのイケメン。実家は裕福なお寺で、旧制北野中学(現在の北野高校)を出ているから頭もよかったはず(北野高校の偏差値は2023年度で大阪で1位、全国で10位)。ちょっとうらやましいゾ
が、しか〜し神は二物を与えずなのか歯がない(>_<)
彼は北野中学時代に野球部(なんと主将!)で、ヘッドスライディングをした際に前歯を折ったらしい。そこには金歯(当時の入れ歯は金か銀しかなかったと思う)が入れられていたものの、卒業後しばらくして抜けてしまい、結局そのままだったようだ。身なりには無頓着で、ズボラな性格からあだ名が「ずぼ」だったというが、欠けた前歯もその表れなのだろう。画像はhttps://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2014-04-02から引用
抱きかかえているのは娘の彌智子(やちこ)。佐伯祐三は東京美術学校(現在の東京芸大)在学中に学生結婚している。なんと東京で住んでいたのは下宿ではなく、アトリエつきの家を新築! そのあたりはさすがお坊ちゃま。やっぱりうらやましい(^^ゞ
彼の短い生涯を年表にすると
1917年(大正6年)北野中学を卒業
1918年(大正7年)東京美術学校入学
1920年(大正9年)結婚 当時22歳
1922年(大正11年)長女誕生
1923年(大正12年)東京美術学校卒業 9月1日に関東大震災
1924年(大正13年)パリに移住
1925年(大正14年)サロン・ドートンヌ(コンクール)に初入選
1926年(大正15年)日本に帰国
1927年(昭和2年)再度フランスに渡る
1928年(昭和3年)パリ郊外の精神病院で死去
初めて展覧会に出展したのは美術学校を卒業した1923年。その5年後に亡くなっているから、画家としては実に短いキャリアだった。1928年の2月くらいから体調を崩し、やがて精神にも異変をきたして6月に自殺未遂を図る。フランスの法律に基づいて精神病院に収容され、8月にそこで肺結核によって生涯を閉じた。
おそらく世間一般の知名度はほとんどないだろう。美術界でも大規模な回顧展が開催されるのは18年ぶり、さらに前々回は45年前らしいからそれほどメジャーな画家とは言えない。でも私には強い印象が残っていた画家だった。
初めて佐伯祐三の絵を見たのがいつのことだったかはよく覚えていない。でもずいぶんと昔で30年前以上40年前未満といったところ。何かの雑誌で見たと記憶している。その時に何かに取り上げられ少し話題になった時期があったように思う。
具体的には覚えていないが、それはこんな雰囲気の作品だった。
その時に思ったのは
いかにも昔の日本人画家が、
パリってこんな街だ、どうだカッコイイだろうとイキって描いて、
そして昔の日本人が(おそらく今も)、
行ったこともないクセに、
これこそパリだヨーロッパだと喜びそうな
絵だなと。
絵にやたら文字が多いのもそう思わせた要因かも知れない。
平たくいえば西洋コンプレックス丸出しの絵に感じた。西洋コンプレックスという言葉を最近はあまり聞かないものの、ほとんどの日本人が英語を話せないのに、企業名や商品名に英語・カタカナ語が多く使われているし。なんならクルマの車種名はすべて外国語である。会話でもコンプライアンスにサステナブルにダイバーシティーにアジェンダとやたら出てくる。コロナではクラスターが発生して、ロックダウンにならないようソーシャルディスタンスが求められたよね。もうすっかりDNAに西洋コンプレックスが刷り込まれたので、西洋コンプレックスとの表現をしなくなったのかな。
もちろんカタカナ言葉が多く使われるのは、コンプレックスが原因なだけでないのは百も承知。それに印象派の画家たちが浮世絵に傾倒したように、異国情緒にある種の憧れを持つのは万国共通。話は変わるが江戸時代に水墨画が人気だったのは、中国風の異国情緒が好まれた=今でいうなら洋画を飾るみたいな感覚だったのではと思っている。
それはさておき、初めて佐伯祐三を見たときは、先ほど書いた「イキってる」感が強かったのは事実。ある意味、少し見下したような気持ちをいだいた。
ーーーただし私もごく平凡な日本人。同時に
「カッコええな〜」
「こんなポスターを部屋に飾りたい」
とも思ったのである(^^ゞ
それからすっかり忘れていたが、その両極の感情をいだいたから、展覧会情報で佐伯祐三の名前を見つけてすぐに思い出したしだい。他にどんな作品があるのだろうかと興味を持って、会期終了の2日前に滑り込みで展覧会を見てきた。
ーーー続く
追伸
西洋コンプレックスの代表例として東京駅の写真を撮ったわけじゃないよ
wassho at 22:31│Comments(0)│
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