2023年06月27日
佐伯祐三 自画像としての風景 その3
モーリス・ド・ヴラマンクからの叱責を受けて、佐伯祐三の再出発が始まる。それまでの画風を全否定されたのだから、新たな画風を模索する日々である。ただし前回に紹介した真っ黒な裸婦像のようなものは、この展覧会には出展されていない。彼の作品をいろいろ調べてもあのように描かれた絵は他に見当たらなかった。あの裸婦像はちょっとヤバかったけれど、例外的な作品のようだ。
それでどんな絵を描いていたかというとほとんどが風景画。
オワーズ河周辺風景 1924年
オーヴェールの教会 1924年
煙突のある風景 1924年頃
それまでの画風と較べると明らかに色が濃い。ヴラマンクは「光で変化する表面的な色彩ではなく(つまり印象派の否定)、物質の持つ固有の色を表現しろ」と教えたらしい。ちょっとナニ言っているかわからないし(^^ゞ 、だいたい物体の色とはすべからく反射色である。
その色の原理はさておくとして、私はこれらの絵が「物質の持つ固有の色を表現」できているかどうかはよく分からない。しかし1924年の秋(叱責は6月)に再びヴラマンクを尋ねて絵を見せた際に、彼は「物質感はイマイチだが大変に優れた色彩感覚」と褒めたという。
ちなみに「オーヴェールの教会」はゴッホも描いていて、そのオマージュともいうべき作品。構図はまったく一緒である。佐伯祐三はゴッホの墓参りなどもしていてファンだったみたい。ヴラマンクがいなければ、本当はもっとゴッホに似せて描きたかったりして(^^ゞ
こちらがゴッホのオーヴェールの教会。
やがて佐伯祐三はユトリロの影響を受け、パリの街並みを中心に描くようになる。あれ?ヴラマンク先生に物真似はダメといわれたはずなのに。もっとも似ているのはパリの街並みを題材にした点だけで、色彩もタッチもまったく別物。色彩は先ほど書いた濃くて暗い=物質の持つ固有の色?である。
パリ風景 1925年頃
街角(モロ=ジャフェリ広場) 1925年頃
参考までに「ユトリロ 作品」で画像検索をしたページはここをクリック
やがて街並みからだんだんと建物の壁をクローズアップして描き出す。
同時に建物の看板や文字も作品の重要な要素となってくる
運送屋(カミオン) 1925年
壁 1925年
※壁に書かれている DEMENAGEMENTS は引越屋の意味。運送屋の隣にあったのかな。
なぜか同じ題材で2枚描いているものが多い。微妙にタッチが違うから、新しい描き方を思いついて、以前の作品と比較するために同じ場所を選んだのだろうか?
緑色の部分に書かれている LES JEUX DE NOEL(レ・ジュ・ド・ノエル)は直訳すればクリスマスゲーム。「クリスマスを楽しもう」の意味で、おもちゃ屋のコピーと解説しているものがあったが、建物の上にはHOTELと書かれているから、どうにも?な感じ。
レ・ジュ・ド・ノエル 1925年(2作品とも同じ)
こちらも同じく2枚描かれている。
ドアの所に靴を吊すのは日本にはないディスプレイで面白いね。
コルドヌリ(靴屋) 1925年
コルドヌリ(靴屋) 1925年頃
1925年に佐伯祐三はサロン・ドートンヌ(世界で最も権威のある公募展ともいわれ、現在も続いている)に入選する。その作品も同じくコルドヌリのタイトル。その作品は買い手がつき現在は所在が分からないようだが、ここで紹介したコルドヌリと似たようなものと考えられている。
なお画家によっては「売れ筋」の似たような絵を何枚も描く人もいる。しかし佐伯の場合はそうではないだろう。
他にも店名シリーズ(勝手に命名)は続く。
洗濯屋(オ・プティ・ソミュール) 1925年
酒場(オ・カーヴ・ブルー) 1925年
街並みを描き、そして看板や文字をそこに溶け込ませた集大成のような作品が「アントレ ド リュー ド シャトー Entree de Rue du Chateau」。意味は「シャトー通り入り口」で制作は同じく1925年。
まだ独自の画風を確立したとはいえないものの、渡仏前と較べればまったく違う画家になっている。立ち直り早いね佐伯君(^^ゞ
ただ疑問もある。ここで紹介した「運送屋(カミオン)」以降の作品は建物や壁と、そこにある文字で成り立っている。日本人的にはフランス語なんてほとんど読めないから、文字は建物デザインの一部あるいはパリの雰囲気をを感じさせる装飾でしかない。
ではフランス人にとっては? もし作品に「運送屋」「引越屋」「靴屋」「洗濯屋」などと日本語でデカデカと描かれていたと想像すれば? 初回の投稿で佐伯の絵には「どうだ、これがパリだ」とイキっている感があると書いたのはそういうこと。
また佐伯の絵にはある種のカッコよさがあると思う。しかしもし描かれている文字が日本語ならずいぶんと印象も違ってくる気がする。じゃあなぜ日本語だったらカッコ悪い? それってやっぱり西洋コンプレックス? となかなか素直に鑑賞できないのが困ったところ。
ーーー続く
それでどんな絵を描いていたかというとほとんどが風景画。
オワーズ河周辺風景 1924年
オーヴェールの教会 1924年
煙突のある風景 1924年頃
それまでの画風と較べると明らかに色が濃い。ヴラマンクは「光で変化する表面的な色彩ではなく(つまり印象派の否定)、物質の持つ固有の色を表現しろ」と教えたらしい。ちょっとナニ言っているかわからないし(^^ゞ 、だいたい物体の色とはすべからく反射色である。
その色の原理はさておくとして、私はこれらの絵が「物質の持つ固有の色を表現」できているかどうかはよく分からない。しかし1924年の秋(叱責は6月)に再びヴラマンクを尋ねて絵を見せた際に、彼は「物質感はイマイチだが大変に優れた色彩感覚」と褒めたという。
ちなみに「オーヴェールの教会」はゴッホも描いていて、そのオマージュともいうべき作品。構図はまったく一緒である。佐伯祐三はゴッホの墓参りなどもしていてファンだったみたい。ヴラマンクがいなければ、本当はもっとゴッホに似せて描きたかったりして(^^ゞ
こちらがゴッホのオーヴェールの教会。
やがて佐伯祐三はユトリロの影響を受け、パリの街並みを中心に描くようになる。あれ?ヴラマンク先生に物真似はダメといわれたはずなのに。もっとも似ているのはパリの街並みを題材にした点だけで、色彩もタッチもまったく別物。色彩は先ほど書いた濃くて暗い=物質の持つ固有の色?である。
パリ風景 1925年頃
街角(モロ=ジャフェリ広場) 1925年頃
参考までに「ユトリロ 作品」で画像検索をしたページはここをクリック
やがて街並みからだんだんと建物の壁をクローズアップして描き出す。
同時に建物の看板や文字も作品の重要な要素となってくる
運送屋(カミオン) 1925年
壁 1925年
※壁に書かれている DEMENAGEMENTS は引越屋の意味。運送屋の隣にあったのかな。
なぜか同じ題材で2枚描いているものが多い。微妙にタッチが違うから、新しい描き方を思いついて、以前の作品と比較するために同じ場所を選んだのだろうか?
緑色の部分に書かれている LES JEUX DE NOEL(レ・ジュ・ド・ノエル)は直訳すればクリスマスゲーム。「クリスマスを楽しもう」の意味で、おもちゃ屋のコピーと解説しているものがあったが、建物の上にはHOTELと書かれているから、どうにも?な感じ。
レ・ジュ・ド・ノエル 1925年(2作品とも同じ)
こちらも同じく2枚描かれている。
ドアの所に靴を吊すのは日本にはないディスプレイで面白いね。
コルドヌリ(靴屋) 1925年
コルドヌリ(靴屋) 1925年頃
1925年に佐伯祐三はサロン・ドートンヌ(世界で最も権威のある公募展ともいわれ、現在も続いている)に入選する。その作品も同じくコルドヌリのタイトル。その作品は買い手がつき現在は所在が分からないようだが、ここで紹介したコルドヌリと似たようなものと考えられている。
なお画家によっては「売れ筋」の似たような絵を何枚も描く人もいる。しかし佐伯の場合はそうではないだろう。
他にも店名シリーズ(勝手に命名)は続く。
洗濯屋(オ・プティ・ソミュール) 1925年
酒場(オ・カーヴ・ブルー) 1925年
街並みを描き、そして看板や文字をそこに溶け込ませた集大成のような作品が「アントレ ド リュー ド シャトー Entree de Rue du Chateau」。意味は「シャトー通り入り口」で制作は同じく1925年。
まだ独自の画風を確立したとはいえないものの、渡仏前と較べればまったく違う画家になっている。立ち直り早いね佐伯君(^^ゞ
ただ疑問もある。ここで紹介した「運送屋(カミオン)」以降の作品は建物や壁と、そこにある文字で成り立っている。日本人的にはフランス語なんてほとんど読めないから、文字は建物デザインの一部あるいはパリの雰囲気をを感じさせる装飾でしかない。
ではフランス人にとっては? もし作品に「運送屋」「引越屋」「靴屋」「洗濯屋」などと日本語でデカデカと描かれていたと想像すれば? 初回の投稿で佐伯の絵には「どうだ、これがパリだ」とイキっている感があると書いたのはそういうこと。
また佐伯の絵にはある種のカッコよさがあると思う。しかしもし描かれている文字が日本語ならずいぶんと印象も違ってくる気がする。じゃあなぜ日本語だったらカッコ悪い? それってやっぱり西洋コンプレックス? となかなか素直に鑑賞できないのが困ったところ。
ーーー続く
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│美術展