2023年07月04日

佐伯祐三 自画像としての風景 その6

1927年(昭和2年)の夏に佐伯祐三は再びパリに向かう。今回は下関から船に乗り朝鮮の釜山、そして中国のハルピンまで行きそこからシベリア鉄道を利用。日本が満州国を成立させたのは1932年で、当時のハルピンはまだロシアの影響が残っていた時代。

大阪の実家を出発したのが8月2日。その後は8月11日にハルピン発でモスクワ着は8月18日。パリに入ったのが8月21日。途中の朝鮮では京城(現在のソウル)などで観光をしていたようだから直接の日数比較はできないが、前回の神戸からインド洋〜スエズ運河経由の船旅が1ヶ月と1週間を要していたのと較べるとずいぶんと早い。

残念ながら日本に帰国するときに経由したイタリアと同様に、朝鮮、中国、ロシアで描かれた作品は展示されていなかった。モスクワからパリまでだって何カ国も経由する。スケッチくらい残っていないのかな。それともやはり佐伯祐三はパリひと筋?

参考までに飛行機で欧米に行けるようになったのはもちろん戦後で、JALのホノルル〜サンフランシスコ線開設が1954年(昭和29年)、ハンブルグ〜パリ線開設が1960年(昭和35年)。アジア各地へは1928年(昭和3年)に日本航空輸送という国策会社が設立され、台湾、朝鮮、満州、中国などに路線があった。もちろん国内便も運行していたわけだけれど、何となく戦前の旅客機や民間人の飛行機での移動はあまりイメージできない。映画などで見たことあったっけ?



さて念願かなってパリに戻った佐伯祐三。
まず描いていたのはこんな絵。

オプセルヴァトワール附近  1927年
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リュクサンブール公園  1927年
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どちらも木々が独特のデフォルメで描かれている。特にリュクサンブール公園ではゆらゆらと揺れているかのよう。この展覧会では前回のパリ時代を「壁のパリ」今回を「線のパリ」とテーマづけている。また美術界では日本に戻っている期間に電信柱、船のマストやロープなどを描いたのがパリに戻っての「線」につながっているとされる。

そう言われればそんな気がしなくはないものの、電信柱などを描いたのがそんなに影響するだろうか。分析したいあまりちょっと勘ぐり過ぎな気もする。


「壁のパリ」でパリの街並みはたくさん見せられたので、リュクサンブール公園のような作品をもっと見たかったのに、容赦なく展示は街並みの絵が並ぶ(^^ゞ

街角の広告  1927年
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広告(アン・ジュノ)  1927年
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タイトルからも分かるように佐伯祐三の興味は街並みの建物や壁、あるいは店名を記した文字から、看板やポスターなどの広告に移っている。そのせいなのか前回と較べて建物や壁の描き方が雑というか、あっさりした印象を受ける。


そしてポスターそのものが絵の主役になってくる。

ガス灯と広告  1927年
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こちらは前回のパリ滞在時に描いた似たような場所での作品。

広告のある門  1925年
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見較べると前回は「ポスターが貼られている壁」なのに対して、今回はポスターが主役扱いに昇格。「線のパリ」よりは「文字のパリ」とネーミングしたほうが内容に即していたかも知れない。

文字をフィーチャーするのは日本人的には(憧れの)パリを強く感じさせるアピールポイントになるし、またそんな手法は他の画家にあまり見られないので差別化=独自の画風の確立につながる。マーケティング的には正義。いいところに目を付けたね祐三チャン。


佐伯祐三も手応えを感じたのか、
「文字のパリ」はだんだんとエスカレートする(^^ゞ

ラ・クロッシュ  1927年
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新聞屋  1927年
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広告貼り  1927年
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ラ・クロッシュ(La Cloche)とは鐘あるいは釣り鐘型の帽子。それではこのタイトルの意味が分からないが、壁にLA CLOCHEと落書きしてあるから、それをタイトルにしただけみたいだ。

それぞれの「文字」は日本で描いた「看板のある道」と同じように、ところどころを読めないように崩されている。「壁のパリ」のときの文字は店名程度だった。それと較べて圧倒的に文字数が増えているので、画面がうるさくならないための工夫と思われる。ただし文字が踊りすぎのようにも感じるが。

ところで

  パリではこんなにたくさんのポスターが壁にベタベタ貼ってあるのか?
  それらにイラストなどはなくほとんどが文字だけなのか?

については疑問がある。

当時のパリの写真を丹念に探せば見当がつくだろうが、面倒なのでそこまではやっていない。それでもおそらくこれは佐伯祐三の誇張だと思う。その理由のひとつはポスターの紙面構成がワンパターンなこと。もうひとつはポスターに使われているフォント(文字の形)に差がないから。ヨーロッパのポスターや看板はフォントに凝るとの認識を持っている。


彼は前回のパリ滞在時に同じ建物を何度も描いていた。
それは今回も同様。

レストラン(オテル・デュ・マルシェ) 1927年
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テラスの広告  1927年
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上はカフェの風景を描き、下は広告を中心にした画面構成。私も写真を撮るときズームレンズの広角側で撮って、それから望遠側でズームアップする場合が多い。全体は押さえた上で、おいしいところを探す感覚。しかしそれを絵で、つまり手作業でやるのは大変だなあと、私と佐伯祐三の似ているような違っているようなところを発見してしまった(^^ゞ



ーーーいつまで続く?

wassho at 21:02│Comments(0) 美術展 

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