2023年08月15日

ウクライナ侵攻で少し変化した戦争観

前回に引き続き終戦の日にちなんだテーマで。

昨年は同じ時期に憲法9条の話を中心に書いた。
要点を抜き出すと、

  自衛権は憲法以前のいわば国家の自然権的に存在するとして、
  憲法9条はそれによって日本を守るのものではなく、
 「戦争ダメ絶対」を宣言して他国を攻める権利を制限する規定である。

  それはやがて敗戦から立ち直ったときに、また戦争を仕掛けないよう
  これを徹底的に潰し将来の芽も摘んでしまおうとするもの。
  終戦時点で400万人ほどの残存兵力を有し、
  追い詰められれば「特攻」までする狂信的な国家・軍隊だから、
  その考え方には合理性があった。

  そう考え、憲法9条を支持してきたものの、
  失われた何十年とやらで国力はどんどん低下し、
  少子高齢化でジジ・ババばかりとなり、
  兵士となる若者は数も少ない上に草食系男子。

  もはやこの国に戦争を仕掛ける力はないんじゃないか?
  ならば憲法9条は役割を終えて必要ないかも

ーーーと気づいてビミョーに寂しさも感じるとの内容だった。

興味があれば、次のリンクから読んでみてちょうだい。

   終戦の日に憲法9条の話 
   終戦の日に憲法9条の話 その2 

振り返れば、憲法9条について「長年の考えが揺らいだ」のがブログを書くきっかけになったわけで、今年も似たように揺らいだお話。



さて現在、戦争と言えばウクライナ侵攻である。ロシアが特別軍事作戦と称してウクライナ各地への攻撃を開始したのは、2022年の2月24日だから約1年6ヶ月前。2014年にウクライナ情勢の不安定化に乗じてクリミア半島を併合した際には、「国籍不明を装った軍隊を秘密裏に送り込む」なんて映画でも思いつかない離れ業をやってのけたプーチン。今回も短期間で片がつくだろうと思っていたものの、意外にもウクライナが強いというかロシアが弱いというか、あるいは西側諸国が結束したからというかで戦争は継続中。逆に今は年内にこの戦争が終結すると予想している人はいないんじゃないかな。

話を日本に戻すと、戦争と言えば本日に終戦記念日を迎えた太平洋戦争である。それがどれだけ悲惨なものであったかは、空襲により大都市が焼け野原となったこんな写真とともに日本人の記憶となっている。

「広島」
hiroshima1

hiroshima2

「長崎」
nagasaki

「東京」
tokyo1

tokyo2

tokyo3

米軍による空襲は石川県を除く46都道府県に及び、死者は民間人だけで41万人を超えるとされる。原爆を投下された広島は14万人、長崎では7万4000人。

少し計算をすると

   広島 + 長崎 = 21.4万人
   41万人 − 21.4万人 = 19.6万人

広島と長崎で原爆により多くの人が亡くなったのは誰でも知っている。しかしそれ以外の地域でも焼夷弾を始めとする爆弾、軍事用語を使うなら通常兵器でほぼ同じ人数が犠牲になっているのも忘れちゃいけない。

それにしても空襲の写真を見ると、その時代に生まれていないのに途方に暮れそうになるくらい、本当に破壊し尽くされたと分かる。そしてこの光景が、日本人が戦争をイメージする際の根底のひとつにあると思う。


しかしそんな焼け野原を見慣れた目でウクライナが攻撃された報道を見ると、不謹慎な表現なのを承知で書かせてもらえば、これだけ国際的に大騒ぎになっているのに、軍事大国ロシアが本気で攻め込んでいるのに「思ったより街は傷んでいないな」との印象を、実は開戦後しばらくしてから持っていた。

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ただしウクライナで核兵器は使用されていないし、また

   燃えやすい木造中心だった当時の日本家屋に対して、
   ウクライナの建物はコンクリートや石造り。

   日本を降伏させるのが目的だったアメリカと、
   ウクライナを自国領に組み入れようとしているロシア。
   (あまりボロボロにしたら後で困る)

などの違いもあると思う。もちろん写真にあるビルやマンションはもう使えないだろうし、今までに民間人1万人以上が亡くなっており、これが「たいした被害じゃない」と言うつもりはまったく微塵もない。あくまでほとんど更地状態となった空襲後の日本との比較である。



ーーー続く

wassho at 11:07│Comments(0) 社会、政治、経済 

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