2023年10月04日

東郷神社を初訪問 その3 バルチック艦隊と連合艦隊

Z旗の描かれたノボリがある階段の近くから、
レリーフのあった門の方向。
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9月終盤のこの日も最高気温は30度を超えていたものの、
空にはしっかり秋のうろこ雲。上空はもう涼しいみたい。
そしてビルの窓に映る雲がなかなかイイ感じ。


大きな神社だと神様を祀ってある本殿と、お参りをするための拝殿が分かれている場合が多い。東郷神社は外から見る限りひとつの建物のようだ。その場合は何と呼べばいいの?
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とりあえず社殿と呼ぶか。そこにも前回で紹介したZ旗が掲げられている。しかもけっこう大きななサイズで。もし何も由緒を知らなくてこの神社を訪れて、そしてそれが船舶関係者だったら「どうしてタグボートが必要なのだ?」と思うのかな(^^ゞ


この神社に祀られているのは何度も書いてきた東郷平八郎。授業で日露戦争は習うので、彼の名前は乃木希典(まれすけ)とセットで中学生の頃から知っている。でも特に興味を持っていたわけじゃない。単なる教科書に載っていた人扱い。

しかしいつだったか覚えていないものの、海外の戦争アクション系映画を観てたときのこと。アメリカ海軍(たぶん)で新入り将校が研修を受けているようなシーンがあった。そこでは敵味方の軍艦の動きが図で示されていて「そしてこれがかの有名な東郷ターンだ」と教官が説明していた。

東郷ターンについてはその時まで知らなかった。しかし、そういえば教科書には書かれていなかったけれど、先生が日本はすごい作戦で日本海海戦に勝利したとか熱心に話してくれたのを思い出した。

その映画の時代設定は現在で、また日本はまったく登場しないストーリー。だから明治時代の日露戦争でとった戦法が、今でも教材となっているのにちょっとビックリした。日本人が思っている以上に、東郷平八郎とバルチック艦隊との戦いは世界の海軍では語り継がれているみたい。外国軍隊の教科書に名前が載っている日本軍人は彼くらいかも知れない。



ところで今の若者には日本がアメリカと戦争したのを知らない者もいると、報道ではなくマスコミの小ネタ扱いで掲載されることがたまにある。もちろん現在でも義務教育の授業で教えているはず。授業をサボったり、習ったのを忘れていたり、単にアホで理解できなかったりする連中はいつの時代でも一定数いるとしても、それが若者の学力平均値だとは思っていない。

でも日清・日露の戦争まで遡ると、その名前を覚えている程度で、どんな戦争だったかを理解していない人のほうが多いだろう。以前に1人だけ、なんと日露戦争で日本がモスクワに攻め込んだと勘違いしている人に出会った経験もある(/o\) もっとも太平洋戦争が起きた背景だってキチンと説明できる人は少ないが。


そこで東郷平八郎ついでに、
超オオザッパに歴史のおさらいを。

【日清戦争 1894年(明治27年)〜1895年)】

明治維新から四半世紀がたって、国力を増してきた日本が朝鮮半島に縄張りを広げようとしたら「そこのシマは代々ウチの組のものやけん」と頭にきた清(しん:現在の中国)とドンパチになる。

主な戦場は朝鮮半島と、その隣の遼東半島など。
首都である北京までは攻めていないよ。

結果は日本のほぼ完勝。朝鮮半島から清を追い出し、また清から遼東半島、台湾などを譲り受け、さらに巨額の賠償金も獲得した。

ついこの間までちょんまげを結っていた日本なのに、衰えつつあるとはいえ大国の清に勝ったのをきっかけに日本の国際的地位が向上する。見方を変えれば警戒されるようになる。


【日露戦争 1904年(明治37年)〜1905年】

日清戦争で獲得した遼東半島であるが、その翌年、自らも清に縄張りを広げようと計画していたフランス、ドイツ、ロシアに「日本の他国への進出はその地域の平和を脅かす」と難癖を付けられて清に返還となる。いわゆる三国干渉。

遼東半島は満州に属する。満州の名前は知っていても、場所はどこだったっけ?人のために地図を載せておく。いわゆる中国の東北部。面積は約120万平方キロで、日本は約38万平方キロだから3倍以上の広さ。
1満州

そこを目指してロシアがチャッカリと南下。満州の隣は朝鮮半島だから見過ごすわけにはいかず勃発したのが日露戦争。だからこの時は日露両国ともアウェイでの戦い。清にしてみれば自国領土で勝手に他国が戦争している状況。しかも原因は自国領土の奪い合い。両方ともクタバレと思っていたに違いない。

朝鮮半島でもドンパチはあったものの、メインは満州南部の奉天や遼東半島。激戦地となったのが遼東半島の最西端にある旅順。映画やドラマのタイトルにもなってよく名前を聞く203高地は、旅順から2kmほど離れた海抜203メートルの丘陵地。高地と呼ぶには大げさに思えるが。海抜203メートルが名前の由来で、そのあたりに高地がたくさんあって、その203番目じゃないよ。


極東でロシア海軍の本拠地はウラジオストック。しかし日本との開戦が予想より早かったので規模が不十分。また日本海軍との戦いで弱体化し、日本海と黄海の制海権は日本が握っていた。そこでロシア本国(本国という表現はおかしいが、まあ首都からは遠く離れているので)から勢力拡大のために派遣されてきたのがバルチック艦隊。
2旅順

だから彼らはまずウラジオストックに入るのが第1の目的。元からいる艦船と体制を立て直して日本海軍を牽制すれば、旅順で戦っているロシア陸軍の側面支援にもなるとの戦略。


ところでバルチック艦隊の名前は知っていても、その意味まで把握している人は少ない。バルチックとはバルト海のこと。英語で書くとBaltic Sea。日本語でバルチック海なんて言わないからバルト艦隊でよさそうなものだが、なぜかバルチック艦隊と呼ぶ。

そのバルト海があるのがこちら。
こんな遠いところからご苦労様である。
3バルト海

正確にいうとバルト海に展開しているがバルチック艦隊で、極東にいたロシア艦隊は太平洋艦隊である。しかし日露戦争の応援のためにバルチック艦隊から艦船を引き抜いて第2太平洋艦隊を編成し派遣すると決まる。またその第2太平洋艦隊が日本に向かう途中に旅順が陥落したので、さらにバルチック艦隊から引き抜いて編成したのが第3太平洋艦隊。この2つの艦隊の所属はもはやバルチック艦隊ではないが、日本ではこれをバルチック艦隊と呼ぶ習わし。

だからロシア人に「日露戦争でバルチック艦隊をイワシたった」とマウント取っても「バルチック艦隊は日本になんか行っていないも〜ん」と反論されるかも知れない(^^ゞ


4連合艦隊

実は艦隊の呼び方でもっと不思議なものがある。それは日本の連合艦隊。日露戦争での東郷平八郎の肩書きは連合艦隊司令長官。太平洋戦争を戦った山本五十六も連合艦隊司令長官である。後に総理大臣になった鈴木貫太郎や米内光政も連合艦隊司令長官を務めた。それで連合艦隊って何の連合?

言葉の定義としては、まず艦隊とは

  軍艦2隻以上、もしくは航空隊2個以上によって編成された部隊
  (航空隊とは空母を意味すると思われるが深く調べず)

驚いたことにたった2隻で艦隊は成立する。でもこれは辞書的な定義で、実際は大小様々な戦闘艦をセットにしたのが艦隊。日本海海戦で東郷平八郎が率いた艦隊の1つである第1艦隊には約30隻が所属していた。

そして連合艦隊とは2つ以上の艦隊で編成した艦隊と定義される。
それはいいとしてーーー


日露戦争開戦当時、日本には3つの艦隊があった。そして連合艦隊に所属したのはその3つすべて。太平洋戦争開戦当時は10の艦隊で連合艦隊が編成されている。ではその時、日本に全部でいくつの艦隊があったのか=連合艦隊に所属していない艦隊数は?が気になるところ。でもそれについて明確に記載されている資料が見つからなかった。

しかしどうやら連合艦隊に所属していないのは、老朽化して予備役的だったり、小規模な艦船で港湾や沿岸警備中心の艦隊がほとんどだったようだ。つまり外国との戦争には参加しない艦隊。

ということは、連合と名前はついていても連合艦隊とは、日本海軍そのものと実質的に同じ意味である。また海軍自身が連合艦隊の英訳としてGeneral Fleetを使用しており、これは「すべての」「艦隊」の意味だから、その解釈でおそらく間違いないだろう。なのにどうしてわざわざ連合艦隊と呼ぶのか不思議。

ところでヤクザの山口組は、山口組の下に多くの組が集まった組織。でも山口組と言えばその全体を指す。連合艦隊も似ていたりして(^^ゞ

それはさておき、毎年8月15日が近づくと太平洋戦争関連の番組が放送される。その中で連合艦隊や連合艦隊司令長官なんて言葉がシレっと使われている。でも、その意味を理解している人は1%もいないと思うゾ。



東郷神社からどんどん内容が離れていくけれどm(_ _)m
あと2回くらい続く予定。

wassho at 20:50│Comments(0) イベント、旅行 | ノンジャンル

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