2023年10月06日

東郷神社を初訪問 その4 東郷ターン

前回のブログ内容が東郷神社から離れてしまったのは、日露戦争や日本とはまったく関係のないアメリカの戦争アクション系映画を観て、現在でも米海軍の研修で東郷平八郎が日本海海戦で用いた「東郷ターン」が取り上げられていると知った話を書いたから。

それでしつこくその続き(^^ゞ


昔の大規模な艦隊同士の海戦では、それぞれが縦1列の陣形の場合(単縦陣という)に、主に3つの交戦パターンがあった。
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   同航戦:同じ方向に進みながら大砲を撃つ 平航戦とも言う
   反航戦:反対方向にすれ違いながら大砲を撃つ
   T字戦:敵の進路を塞ぐような位置を取って大砲を撃つ

同航戦は敵艦との速度が同じなら普通に狙って撃てばいいので命中率は高い。もちろん敵から命中される率も高くなる。反航戦は離れながら撃つ=大砲が届くときの敵艦の位置を推測して撃たなければいけないので命中率は下がる。そしてT字戦については次のように説明される。

ここれは日本海海戦で旗艦(司令官の乗る船)だった戦艦三笠のプラモデル。本物の全長は132メートル。画像はhttp://www.hasegawa-model.co.jp/product/z21/から引用
2三笠

前と後ろの甲板に主砲、船のサイドに副砲が並んでいる。資料によれば副砲は片側に大小併せて15門が装備されている。そして主砲は左右に回転する。どれくらいの角度まで回転するのかよく知らないのだが、とりあえず90度回転つまり真横までは向けられるとする。

するとT字戦で横側になった艦隊(上の図では赤)は、船の反対側の副砲を除いて全砲門を使えるのに対し、縦側の艦隊(図では青)は前部の主砲しか使えないから不利となる。この説明にはいろいろと分からないところや疑問に思うところもあるものの、それを書き出すと長くなるので、とりあえず横側になれば有利としておこう。

ただT字戦は高度な操船、艦隊の統率が要求されるのは素人でも分かる。それはドンピシャのタイミングでT字を作らなければならないから。タイミングが早すぎるとすり抜けられるし、タイミングが遅いと逆に自分が縦に突っ込む位置取りになってしまう。

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さてバルチック艦隊の太平洋艦隊(前回ブログ参照)は、
次のような航路で遠路はるばる日本海までやって来た。

4バルチック艦隊航路

  1904年(明治37年)10月15日 第2艦隊がバルト海を出航。
  本隊はアフリカ大陸を回ってマダガスカルを目指す(青いライン)。
  地図では分かりにくいがオレンジのラインの支隊は地中海からスエズ運河を抜けて
  マダガスカルへ。途中で黒海からの船とも合流する。
  本隊が遠回りしたのは船が大きくてスエズ運河を通れなかったから。

  マダガスカル到着は支隊が12月30日、本隊が翌年1905年1月9日

  1905年2月15日 第3艦隊がバルト海を出航(赤いライン)。

  3月16日 第2艦隊がマダガスカルを出航

  4月14日 第2艦隊がベトナムに到着
  5月9日  第3艦隊がベトナムに到着して第2艦隊と合流する

  5月14日 両艦隊でベトナムを出航

そして5月27日から28日に掛けて対馬沖で日本海海戦となる。

日本海海戦はバルチック艦隊が7ヶ月も航海を続け、日本海に入ったときはヘロヘロだったから連合艦隊は勝てたと書かれているものもある。しかし第2艦隊はマダガスカルで3ヶ月、ベトナムで1ヶ月も停泊している。後発の第3艦隊にしてもベトナムで5日間ほどの休息期間があった。もちろん5日でリフレッシュできたかとの疑問は残るが。

それよりも航海途中に燃料や食糧は補給できても砲弾は手に入らないだろうから、ほとんど訓練をしていなかったんじゃないかな。バルト海を出航して日本海海戦を戦うまでに第2艦隊は7ヶ月、第3艦隊は3ヶ月がたっている。ゴルフでも何ヶ月もクラブを握らずいきなりコースに出たらそりゃ厳しい。


さてウラジオストックには行かせまいと、対馬沖で待ち構えていた東郷平八郎率いる連合艦隊は、事前に陣形について次の作戦を決定していた。

  バルチック艦隊が単縦陣で来たならT字戦法 当時は丁(てい)字
  そうでなければZ字戦法          当時は乙(おつ)字

Z字戦法についてよく理解していない。ただしZとはジグザクを意味しているようで、要はそれぞれバラバラで臨機応変に対処という戦法だろうか。


T字戦法はおそらくはある程度離れたところで旋回して、
バルチック艦隊の前に出るつもりだったと思われる。
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ところがバルチック艦隊を発見したときは、すでにかなり接近した状態になっていた。この時代はレーダーや飛行機はまだない。偵察の船を何隻か前方に展開して、その目撃情報を元に進路を予想していたが(モールス信号による無線連絡は実用化されていた)、どうやら不正確な情報だったらしい。
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このまま進めば反航戦になる。反航戦は命中率が低いからバルチック艦隊に逃げられる可能性が高い。彼らの目的は前回に書いたように、まずウラジオストックへの入港で、この時点で連合艦隊を叩くことじゃない。逆に連合艦隊にとってここで取り逃がせば、それは引き分けではなく負けに等しい。

それで東郷平八郎は艦隊を急旋回させて、強引にT字戦法にもっていった。この旋回が「東郷ターン」。東郷ターンはTOGO Turnとして海外で広まったネーミングで、当時は敵前大回頭と呼んでいた。

これは日本海海戦の航跡をすべて示したロシア側の記録。
素人には判別できないので、
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こちらが開戦直後の概略図。画像はhttps://www.jiji.com/jc/v4?id=20101224battle_of_tsushima0009より引用
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そのまま左旋回するとバルチック艦隊の右側に出てしまうため、距離を取るため一旦右旋回してからUターンするように左旋回してT字ポジションを作ろうとしている。相当にトリッキーな動き。東郷ターンとは一般に2度目の左旋回を指す。しかしまるでフェイントのような最初の右旋回も含めてそう呼ぶべきな気がする。ただしあくまで素人見解。

そして東郷はバルチック艦隊との距離8000mで左旋回の指示を出した。8000mは大砲の射程距離内である。旋回中は大砲を撃てないらしく(理由は知らない)航行速度も落ちるから格好の標的になる。実際かなりの砲撃を受けたようだ。

しかし相手の意表を突く作戦を、鍛え上げた艦隊の操艦練度をもって実行し、そして何より成功させた。だからこそ東郷ターンが世界の海戦史上の奇跡と評価され、その名が海外でも語り継がれたのだと思われる。


ただしバルチック艦隊だってむざむざT字戦法に引っ掛かるほどバカじゃないから、それを回避するために右方向に進路を転換している。だからT字戦法はなかった、その形になったとしても数分のことじゃないか、ほとんどは同航戦だろとの批評は多くある。東郷ターンも単なるバクチと見なされたり。

またこの日本海海戦の9ヶ月ほど前、日露戦争の開始からは6ヶ月後の1904年(明治37年)8月に、連合艦隊とロシアの太平洋艦隊(旅順艦隊)が相まみえた黄海海戦があった。そこでもT字戦法を仕掛けたのだが見事にかわされて失敗する。しかも2回も(/o\) この時の司令長官も東郷平八郎。

その黄海海戦での「失敗に終わったT字戦法」は海軍が作成した戦史に記載されている。なのに日本海海戦で「大成功したT字戦法」は載っていないらしい。ネットで得られた情報だから真偽は確認していないが、そんなところも日本海海戦でT字戦法は使われていないと疑われている理由になっているようだ。

前々回に東郷平八郎とZ旗のエピソードは多分に盛られていると書いた。おそらく東郷ターンもそうだろう。話を盛るのはプロパガンダではありがちだけれど、日露戦争は講和条約で賠償金も取れずに国民の不満が爆発した。いわゆる戦争で勝って外交で負けた展開。それで国民の気をそらすため血湧き肉躍る武勇伝とヒーローが必要だったのかも知れない。なんたってZ旗とT字である。アルファベットなんて明治の人にはとてもインパクトがあったと思う。


参考までに日本海海戦に参加したのは

  連合艦隊

    戦艦(大型の戦闘艦):4隻
    巡洋艦(中型の戦闘艦):24隻
    駆逐艦(小型の戦闘艦)21隻
    小計49隻 
    その他59隻 合計108隻

  バルチック艦隊

    戦艦(大型の戦闘艦):8隻
    巡洋艦(中型の戦闘艦):12隻
    駆逐艦(小型の戦闘艦)9隻
    小計29隻 
    その他9隻 合計38隻

何だ、日本が数で圧倒しているじゃないか、東郷ターンなどなくても普通に戦って勝てたのではと思われるだろう。私もそう思ったが当時は戦艦の数で勝敗が決まると言われていたらしく、数の上では劣勢な戦いとされた。

そして、その結果は

  連合艦隊

    その他59隻に分類した小型艦艇3隻が撃沈
    戦死117名、戦傷583名

  バルチック艦隊

    全38隻中16隻が撃沈、捕獲を避けるための自沈5隻(沈没合計21隻)
    連合艦隊に拿捕されたのが6隻
    中立国に逃げ込んだのが6隻(清やアメリカ領フィリピンなど)
    本国へ帰還したのが2隻
    ウラジオストックまで到達できたのは巡洋艦1隻と駆逐艦2隻の3隻のみ
    戦死4830名、捕虜6106名

東郷ターンよるものかどうかは別として、まさに歴史的大勝利。ただし日露戦争トータルでの戦没者数は日本が8万8429名、ロシアが8万1210名とほぼ同じ。合掌



実は東郷神社にいたのはたった20分ほどなのだけれど、
ブログはまだ続く(^^ゞ
次回は東郷平八郎の話題に戻る予定。

wassho at 23:48│Comments(0) イベント、旅行 | ノンジャンル

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