2023年10月11日
東郷神社を初訪問 その6 イケメン
「その4」に書いたように、東郷平八郎が指揮した日本海海戦は圧倒的な勝利に終わった。連合艦隊出撃108隻で沈められたのは主力でない小型艦艇わずか3隻。一方のバルチック艦隊は38隻のうち自沈を含めて21隻が沈んでいる。沈没率を計算すると3%対55%。戦闘は2日間にわたって繰り広げられたが、実際には開戦後30分であらかたの決着がつき、それ以降は「落ち武者狩り」のような状況だったとされる。
また陸戦でも相当な損害を出したもののロシア軍が立てこもっていた旅順を陥落させ、続く奉天の会戦でもロシア軍は撤退。なお時系列的には旅順→奉天→日本海の順。最終的にアメリカの仲介を受けて1905年(明治38年)9月5日に講和が成り立つ。授業で習った記憶のあるポーツマス条約。これで約1年と7ヶ月続いた日露戦争が終結。
日本は戦争での国力消耗がほぼ限界で、またロシアは革命が起きて国内が混乱するなど、双方にとってちょうどいい潮時のタイミングだったのかも知れない。講和=手打ちになっただけで、太平洋戦争での日本のようにロシアが降伏したわけではないのだが、全世界的にこの戦争は日本の勝利と認識された。
そして日露戦争で日本が勝ったニュースは各国に衝撃を与える。
それは
小国日本が大国ロシアに勝った(面積の話じゃなく国力の差)
黄色人種が白人に勝った
から。
その受け止め方は各国の状況に応じて様々。
イギリス:ロシアと対立していたので「ロシアざまあ」な反応。
日英同盟を結んでいたイギリスは、バルチック艦隊の補給を
妨害するなど陰に日向に日本を支援していて、
その協力がなければ日本海海戦の勝利もなかったとされる。
ただし日本が勝つとは思っておらず、最後は自らが仲介に乗り出して
漁夫の利で中国の利権を拡大しようと考えていたので、ちょっと
ガッカリしたとも。
フランス:ロシアとつながりが深かったので悲観ムード。
アメリカ:日本の海軍力に警戒感を強める。
そして欧米列強の支配を受けていたアジアの国々では大絶賛! また後年に数多くの政治指導者が「日露戦争での日本の勝利が励ましになった」との言葉を残している。一例を挙げるとネルー(インド初代首相)、孫文(中国革命の父)、バー・モウ(ビルマの独立指導者)、ファン・ボイ・チャウ(ベトナムの独立指導者)など。ただしやがて日本が東南アジアを支配するようになってガッカリさせてしまうのだが。
最も熱狂的に日露戦争勝利を喜んだのはトルコ(この頃はオスマン帝国)。それは当時トルコがロシアの属領になっていたから。上は皇帝から下は庶民まで日本を応援したといわれる。そして子供の名前にトーゴーと付ける人まで多くいたとか。でも東郷は苗字だから、名付けるならヘイハチローなんだけどな(^^ゞ
話はそれるが東郷=TOGOは分解するとto go。toは発音がtwoに似ている。それでイギリス留学時代に寄宿舎で one go, two go, three goとからかわれていたとの記録を読んだ。面白そうなエピソードなのに、何と訳していいのか分からない(/o\)
なおto goはハンバーガーなどのお持ち帰りでも使う。テイクアウトはまったくの和製英語。それにしてもいかにも英語っぽい和製英語を誰が考えたのだろう。
ついでにプーチンはPutinでput inに分解できる。put inは中に入れる、挿入するとの意味があり、英語圏ではput in Putinと罵っているとかいないとか。日本語訳は書かないけれどジャニー喜多川さんがやってらっしゃった行為です(^^ゞ
さて
その日露戦争後も東郷平八郎の名声・人気は衰えることなく、米国タイム誌の表紙に日本人として初めて選ばれる。日露戦争終戦から25年後の1926年(昭和元年)の発行。
ちなみにタイム誌で過去に日本人が表紙を飾ったのは41回。ただし昭和天皇の6回など重複を除外し、さらに不特定多数の人物として取り上げられた例を除くと「カバーパーソン」となった日本人は31名。タイム誌は週刊誌で創刊は1923年3月3日。単純計算では今までに5249号を発行しているから日本人の存在感は超希薄。41回で計算しても登場率わずかに0.8%である。だからニュース雑誌タイムの表紙になると日本ではそれがニュースになる。なお31名には含まれていないがポケモンの号もあった。
また今年の5月にタイム誌の表紙を飾ったと話題になった岸田総理であるが、彼が掲載されたのは本国のタイム誌ではなくアジア版。過去3回掲載された安倍元総理も同じ。アジア版の表紙になった日本人は25名。
アジア版の創刊がいつなのかなぜかネットで調べてもヒットしなかった。ChatGPTに尋ねても同様だったが、英語で質問すると1993年と回答。ChatGPTしかソースがないのは不安だけれど、とりあえず1993年として、日付は中間を採って7月1日で計算すると現在までに1579号。アジア版でもダメダメな日本人(>_<)
ところで写真で見る東郷平八郎は次のようなものが多いかな。
左の写真は元帥と書かれているから65歳以上で撮られたもの。それ以前の写真に但し書きを入れた可能性もあるが。詳しい人なら勲章などで判断できるはず。それはともかく実にカッコイイし威厳がある。右側は同時期の撮影と思われるが、撮り方の影響なのか姿勢にやや年齢を感じる。カメラマンの腕前は大事だね。そして足元のマットはなくていいと思うゾ。
こちらはもっと若い頃。といっても制服の袖にラインが5本あるから大将の階級になってからのもの。そういう軍事オタク的知識はないものの、上の写真もラインが5本で、日本の元帥は階級としては大将だからとの判断。だとすると東郷平八郎が大将になったのは1904年で57歳だから、それ以降の撮影。明治時代の人にしては歳を取っても老け込んでいない印象。
めちゃイケメンなのに驚く。
そしてこの写真に着色したものを見つけた。
少し前の映画スターで、
これ以上にカッコよかった人はいた?レベル。画像はhttps://twitter.com/DigitalMixComp/status/1232291326714007552から引用
白黒でも顔は同じなのに、
カラーになるとリアルになってインパクトを増すものだと改めて感心したしだい。
お待たせしました!(誰も待っていないか)
よ〜〜〜やく東郷神社に話が戻るm(_ _)m
社殿エリアを離れて入口に戻る。東郷記念館コッチの案内があった。
これは資料館じゃなくレストランや結婚式場の施設なのでスルー。
鳥居まで向かう途中に庭園エリアがあるので、そちらに。
写真を拡大すると狛犬がやたらカクカクしているのが分かる。
これは狛犬ではなく獅子らしい。
獅子(しし)とはライオンがベースの架空の生物。実は狛犬(コマイヌ)も犬ベースの架空の生物。そして狛犬のルーツは獅子なのでまあ似たようなもの。
庭園には大きな池がある。
写真に写っている7名の内、浴衣を着ている女性を含めて4名は白人。他にもチラホラ見かけた。東郷神社は外国人に人気があるみたい。
池の後ろにあるのが東郷記念館。
周りを高いビルに囲まれてはいても、
明治通り・竹下通りの喧噪を忘れ去れる都会のオアシス的な場所。
喧噪から静寂へのワープ感覚という点では、すぐ近くの明治神宮にもちろん適わない。しかし明治神宮は広すぎて時間が掛かるから、原宿にいて手っ取り早く静寂に浸りたいなら東郷神社がオススメ。
<おまけ>
別に東郷平八郎ファンでも何でもないのだが、
彼ゆかりの場所には今まで他に2箇所訪れている。
まず2011年、バイクツーリングで立ち寄った三笠公園。
ここには日本海海戦で東郷が乗艦した戦艦三笠が保存されている。
記念艦として保存されたのは大正14年(1925年)。その後いろいろあって戦後はダンスホールや水族館などの施設になり、大砲や船の上部構造などは取り除かれている。
それが復元されたのは1961年(昭和36年)。外観はハリボテ感を隠せないところが見られるものの、船の内部も見学できるのでソコソコは楽しめる。
当時のブログページには ↓ から。
三笠公園について書いているのはページ後半。
「ブラブラと横浜・横須賀〜三崎」
次は2021年に、しだれ桜を見に出かけた調布市にある東郷寺。
東郷平八郎の別荘地跡に建てられたお寺で、彼とは直接の関係はない。
ここのしだれ桜はとても素晴らしい。
この景色が東京とは思えないでしょ。
当時のブログページには ↓ から。
「東郷寺でしだれ桜」
「東郷寺でしだれ桜 その2」
「東郷寺でしだれ桜 その3」
おしまい
また陸戦でも相当な損害を出したもののロシア軍が立てこもっていた旅順を陥落させ、続く奉天の会戦でもロシア軍は撤退。なお時系列的には旅順→奉天→日本海の順。最終的にアメリカの仲介を受けて1905年(明治38年)9月5日に講和が成り立つ。授業で習った記憶のあるポーツマス条約。これで約1年と7ヶ月続いた日露戦争が終結。
日本は戦争での国力消耗がほぼ限界で、またロシアは革命が起きて国内が混乱するなど、双方にとってちょうどいい潮時のタイミングだったのかも知れない。講和=手打ちになっただけで、太平洋戦争での日本のようにロシアが降伏したわけではないのだが、全世界的にこの戦争は日本の勝利と認識された。
そして日露戦争で日本が勝ったニュースは各国に衝撃を与える。
それは
小国日本が大国ロシアに勝った(面積の話じゃなく国力の差)
黄色人種が白人に勝った
から。
その受け止め方は各国の状況に応じて様々。
イギリス:ロシアと対立していたので「ロシアざまあ」な反応。
日英同盟を結んでいたイギリスは、バルチック艦隊の補給を
妨害するなど陰に日向に日本を支援していて、
その協力がなければ日本海海戦の勝利もなかったとされる。
ただし日本が勝つとは思っておらず、最後は自らが仲介に乗り出して
漁夫の利で中国の利権を拡大しようと考えていたので、ちょっと
ガッカリしたとも。
フランス:ロシアとつながりが深かったので悲観ムード。
アメリカ:日本の海軍力に警戒感を強める。
そして欧米列強の支配を受けていたアジアの国々では大絶賛! また後年に数多くの政治指導者が「日露戦争での日本の勝利が励ましになった」との言葉を残している。一例を挙げるとネルー(インド初代首相)、孫文(中国革命の父)、バー・モウ(ビルマの独立指導者)、ファン・ボイ・チャウ(ベトナムの独立指導者)など。ただしやがて日本が東南アジアを支配するようになってガッカリさせてしまうのだが。
最も熱狂的に日露戦争勝利を喜んだのはトルコ(この頃はオスマン帝国)。それは当時トルコがロシアの属領になっていたから。上は皇帝から下は庶民まで日本を応援したといわれる。そして子供の名前にトーゴーと付ける人まで多くいたとか。でも東郷は苗字だから、名付けるならヘイハチローなんだけどな(^^ゞ
話はそれるが東郷=TOGOは分解するとto go。toは発音がtwoに似ている。それでイギリス留学時代に寄宿舎で one go, two go, three goとからかわれていたとの記録を読んだ。面白そうなエピソードなのに、何と訳していいのか分からない(/o\)
なおto goはハンバーガーなどのお持ち帰りでも使う。テイクアウトはまったくの和製英語。それにしてもいかにも英語っぽい和製英語を誰が考えたのだろう。
ついでにプーチンはPutinでput inに分解できる。put inは中に入れる、挿入するとの意味があり、英語圏ではput in Putinと罵っているとかいないとか。日本語訳は書かないけれどジャニー喜多川さんがやってらっしゃった行為です(^^ゞ
さて
その日露戦争後も東郷平八郎の名声・人気は衰えることなく、米国タイム誌の表紙に日本人として初めて選ばれる。日露戦争終戦から25年後の1926年(昭和元年)の発行。
ちなみにタイム誌で過去に日本人が表紙を飾ったのは41回。ただし昭和天皇の6回など重複を除外し、さらに不特定多数の人物として取り上げられた例を除くと「カバーパーソン」となった日本人は31名。タイム誌は週刊誌で創刊は1923年3月3日。単純計算では今までに5249号を発行しているから日本人の存在感は超希薄。41回で計算しても登場率わずかに0.8%である。だからニュース雑誌タイムの表紙になると日本ではそれがニュースになる。なお31名には含まれていないがポケモンの号もあった。
また今年の5月にタイム誌の表紙を飾ったと話題になった岸田総理であるが、彼が掲載されたのは本国のタイム誌ではなくアジア版。過去3回掲載された安倍元総理も同じ。アジア版の表紙になった日本人は25名。
アジア版の創刊がいつなのかなぜかネットで調べてもヒットしなかった。ChatGPTに尋ねても同様だったが、英語で質問すると1993年と回答。ChatGPTしかソースがないのは不安だけれど、とりあえず1993年として、日付は中間を採って7月1日で計算すると現在までに1579号。アジア版でもダメダメな日本人(>_<)
ところで写真で見る東郷平八郎は次のようなものが多いかな。
左の写真は元帥と書かれているから65歳以上で撮られたもの。それ以前の写真に但し書きを入れた可能性もあるが。詳しい人なら勲章などで判断できるはず。それはともかく実にカッコイイし威厳がある。右側は同時期の撮影と思われるが、撮り方の影響なのか姿勢にやや年齢を感じる。カメラマンの腕前は大事だね。そして足元のマットはなくていいと思うゾ。
こちらはもっと若い頃。といっても制服の袖にラインが5本あるから大将の階級になってからのもの。そういう軍事オタク的知識はないものの、上の写真もラインが5本で、日本の元帥は階級としては大将だからとの判断。だとすると東郷平八郎が大将になったのは1904年で57歳だから、それ以降の撮影。明治時代の人にしては歳を取っても老け込んでいない印象。
めちゃイケメンなのに驚く。
そしてこの写真に着色したものを見つけた。
少し前の映画スターで、
これ以上にカッコよかった人はいた?レベル。画像はhttps://twitter.com/DigitalMixComp/status/1232291326714007552から引用
白黒でも顔は同じなのに、
カラーになるとリアルになってインパクトを増すものだと改めて感心したしだい。
お待たせしました!(誰も待っていないか)
よ〜〜〜やく東郷神社に話が戻るm(_ _)m
社殿エリアを離れて入口に戻る。東郷記念館コッチの案内があった。
これは資料館じゃなくレストランや結婚式場の施設なのでスルー。
鳥居まで向かう途中に庭園エリアがあるので、そちらに。
写真を拡大すると狛犬がやたらカクカクしているのが分かる。
これは狛犬ではなく獅子らしい。
獅子(しし)とはライオンがベースの架空の生物。実は狛犬(コマイヌ)も犬ベースの架空の生物。そして狛犬のルーツは獅子なのでまあ似たようなもの。
庭園には大きな池がある。
写真に写っている7名の内、浴衣を着ている女性を含めて4名は白人。他にもチラホラ見かけた。東郷神社は外国人に人気があるみたい。
池の後ろにあるのが東郷記念館。
周りを高いビルに囲まれてはいても、
明治通り・竹下通りの喧噪を忘れ去れる都会のオアシス的な場所。
喧噪から静寂へのワープ感覚という点では、すぐ近くの明治神宮にもちろん適わない。しかし明治神宮は広すぎて時間が掛かるから、原宿にいて手っ取り早く静寂に浸りたいなら東郷神社がオススメ。
<おまけ>
別に東郷平八郎ファンでも何でもないのだが、
彼ゆかりの場所には今まで他に2箇所訪れている。
まず2011年、バイクツーリングで立ち寄った三笠公園。
ここには日本海海戦で東郷が乗艦した戦艦三笠が保存されている。
記念艦として保存されたのは大正14年(1925年)。その後いろいろあって戦後はダンスホールや水族館などの施設になり、大砲や船の上部構造などは取り除かれている。
それが復元されたのは1961年(昭和36年)。外観はハリボテ感を隠せないところが見られるものの、船の内部も見学できるのでソコソコは楽しめる。
当時のブログページには ↓ から。
三笠公園について書いているのはページ後半。
「ブラブラと横浜・横須賀〜三崎」
次は2021年に、しだれ桜を見に出かけた調布市にある東郷寺。
東郷平八郎の別荘地跡に建てられたお寺で、彼とは直接の関係はない。
ここのしだれ桜はとても素晴らしい。
この景色が東京とは思えないでしょ。
当時のブログページには ↓ から。
「東郷寺でしだれ桜」
「東郷寺でしだれ桜 その2」
「東郷寺でしだれ桜 その3」
おしまい