2023年10月23日
ついでに秋バラが少しだけ咲いていた代々木公園 その2
前回に載せた全体写真はあまりに殺風景だったので、秘密の第2バラ園?であるフラワーランドで少しは賑やかだった場所も紹介しておく。見応えがないのに変わりはないが。
周りのバラ以外の花。まずは紫系統。
品種表示はされていたかどうか忘れた。いずれにしても見ていない。
とても小さな花でピント合わせに手こずった。
いかにもハーブな植物。肉眼では微妙に色が違っていてキレイだった。
パンパスグラス。
手っ取り早く表現するなら西洋ススキ。ただしススキはイネ科ススキ属なのに対して、パンパスグラスは同じイネ科でもシロガネヨシ属なので、かなり遠い親戚みたいなもの。和名はシロガネヨシ。南米原産でパンパス pampas は大草原や平原の意味。グラス grass は草。紙おむつのパンパースは pamper =甘やかす、満足させるからの造語だから関係ないよ。
フラワーランドから離れて芝生広場(名称は中央広場)の中を歩く。
代々木公園が素晴らしいのはこの芝生の圧倒的な広さ。自宅近くの駒沢公園も代々木公園の54ヘクタール(都内6位)に対して、41ヘクタール(都内8位)とはいえ相当に広いけれど、芝生広場がないのが残念。
ところで公園の総面積は簡単に調べられるのに、広場の面積についての情報がない。誰か調べてネットに載せて欲しいもの。
芝生広場では人々が思いのままに過ごしている。中にはラクロスでのキャッチボールなんて普段はあまり見ないものや、まったく初めて見るスポーツをしている人もいる。ところでラクロスは1990年前後(だったと思う)にブームがあって、当時はラクロスのラケットを抱えた女子大生が街中にたくさんいた。最近は滅多に見ないね。考えてみたらラクロスの試合を観たこともないし、どんなルールなのかもよく知らない。
中には、この人達は何者?と思う集団も芝生広場にはいる。
生ギター1本の演奏を前に、中年のオッサン・オバハン100名くらいがノリノリで頭の上で手を叩いたりしていた。念のため写真にはモザイク。
こちらは何かの訓練なのだろうか。人が作ったアーチの下をほふく前進でくぐるのを繰り返している。それにしてもどうしてリュックを付けたままで? 服装の色も似通っていて、リュックに付けた黄色の蛍光反射テープがお揃い。
芝生広場の一角にある噴水池。
補修中なのか池の周りがオレンジのネットで囲まれていてヘンな雰囲気。
噴水があれば必ず高速シャッタースピードでの撮影がお約束。池の中にある噴水まで距離があってズームレンズの望遠側一杯で撮ったので、あまり静止したようにはならなかった。
池にいたカモ。
もう1本の噴水を黄色い花越しに。
これは噴水池の先、芝生広場を出たところにある噴水ベンチ通り。
噴水といっても水がチョロチョロ出ているだけ。これでマックスかどうかは分からないが、あまり吹き出したら周りのベンチに水しぶきがかかるから、噴水というよりはちょっとした水のアクセント。
噴水ベンチ通りは前回に紹介したメインのバラエリアに続いている。
再び周回路に戻り、出口となる西門を目指す。
何やら石碑が見えたので、
周回路からそれて近づいてみると「日本航空發始之地」の文字。
ここはJAL創業の地ではなく、陸軍の練兵場だった時代に日本で初めて(有人で動力付きの)飛行機が飛び立った場所。發始は今の漢字に直せば発始で「はっし」と読むようだが辞書には載っていない単語。意味的には 発祥と同じと考えられるが、実は「航空発祥の地」と名乗る場所は別にある(埼玉県所沢市)。
いわば本家と元祖争いのようなもの。しかし
代々木:初飛行1910年(明治43年):記念碑設置:1974年(昭和49年)
所沢:初飛行1911年(明治44年):記念碑設置:2000年(平成12年)
と代々木のほうが初飛行は早いし、記念碑の設置は26年も前である。所沢に先に「発祥の地」記念碑を設置されたらまだ分かるとして、なぜ発始という造語なのかがナゾ。記念碑はなくても所沢が先に「発祥の地」とPRしたのかな。
石碑に彫られている鳥の顔をアップで(^^ゞ
解説プレート。ライト兄弟が人類初の飛行に成功したのが1903年なので、そのわずか7年後に日本でも飛行機が飛んだことになる。
解説にあるアンリ・フォルマン式複葉機。
こちらがグラーデ式単葉機。
初飛行に成功したお二人。
右が徳川好敏(よしとし)で、左が日野熊蔵。
なぜか徳川好敏は飛行服姿で、日野熊蔵はスーツにネクタイ。徳川好敏はその名が示すように徳川家の血筋。しかも御三家に次ぐ格式である御三卿・清水徳川家の当主。本当は解説プレートにある12月19日の4日前に日野熊蔵が日本初の飛行に成功したとの説もある。しかしソンタクがあったのかどうか19日の飛行会で先に飛んだ徳川好敏が「日本初飛行」とされている。最終的に陸軍中将まで昇進。初飛行当時は23歳。
日野熊蔵は熊本出身。日野式自動拳銃を開発したり、失敗に終わったもののヘリコプター、ジャット戦闘機、ロケットの開発に携わるなど発明家やエンジニアとしての顔を持つ。最終階級は陸軍歩兵中佐。初飛行当時は32歳。
操縦席に収まった写真。並びは銅像と同じ。
なお所沢で「初飛行」したのもこのコンビ。
初期の飛行機ってこんなのだったんだね。
彼らにトップガンの映画を見せてあげたい(^^ゞ
記念碑を離れて西門に向かう。
これは周回路の外側の細い通路で道が二手に分かれていた。
その場所にあったなかなかのマツ。
マツが常緑樹だとよく分かる写真。
そして二手に分かれた左側を進むと現れる光景。
白いテントを最初は園芸用の資材置き場か何かかと思ったが、
どうやらこのあたりはホームレスのテント村のようだ。
通路から見える範囲で30近く。奥に入ればもっとあるかも知れない。
これだけの規模のものを見たのは初めてなのでけっこうビックリした。2020年の東京オリンピックが近づいた頃、公園のホームレスを占め出しなどのニュースがあったのは覚えている。しかし結局2021年の開催時に外国人観戦客はコロナで来なかったわけで、そういう措置も執られなかったのかな。あるいは再び集まってきたか。
なお人の気配はまったくなかった。時間は土曜日の午後1時過ぎ。このあたりは人通りも少なく、たまにランニングの人が走ってくる程度。
ところで以前、隅田川でホームレスが今風のアウトドア用品を使っているのを見たけれど、代々木公園は今でもトラディショナルなブルーシートなのだと、どうでもいい発見。
西門から代々木公園を退出。
キンモクセイはクンクンできずバラも見頃前だったものの、広い芝生空間を楽しめたし、いろいろ珍しい光景も眺められて面白かった。
場所とタイトルを変えてーーー続く
周りのバラ以外の花。まずは紫系統。
品種表示はされていたかどうか忘れた。いずれにしても見ていない。
とても小さな花でピント合わせに手こずった。
いかにもハーブな植物。肉眼では微妙に色が違っていてキレイだった。
パンパスグラス。
手っ取り早く表現するなら西洋ススキ。ただしススキはイネ科ススキ属なのに対して、パンパスグラスは同じイネ科でもシロガネヨシ属なので、かなり遠い親戚みたいなもの。和名はシロガネヨシ。南米原産でパンパス pampas は大草原や平原の意味。グラス grass は草。紙おむつのパンパースは pamper =甘やかす、満足させるからの造語だから関係ないよ。
フラワーランドから離れて芝生広場(名称は中央広場)の中を歩く。
代々木公園が素晴らしいのはこの芝生の圧倒的な広さ。自宅近くの駒沢公園も代々木公園の54ヘクタール(都内6位)に対して、41ヘクタール(都内8位)とはいえ相当に広いけれど、芝生広場がないのが残念。
ところで公園の総面積は簡単に調べられるのに、広場の面積についての情報がない。誰か調べてネットに載せて欲しいもの。
芝生広場では人々が思いのままに過ごしている。中にはラクロスでのキャッチボールなんて普段はあまり見ないものや、まったく初めて見るスポーツをしている人もいる。ところでラクロスは1990年前後(だったと思う)にブームがあって、当時はラクロスのラケットを抱えた女子大生が街中にたくさんいた。最近は滅多に見ないね。考えてみたらラクロスの試合を観たこともないし、どんなルールなのかもよく知らない。
中には、この人達は何者?と思う集団も芝生広場にはいる。
生ギター1本の演奏を前に、中年のオッサン・オバハン100名くらいがノリノリで頭の上で手を叩いたりしていた。念のため写真にはモザイク。
こちらは何かの訓練なのだろうか。人が作ったアーチの下をほふく前進でくぐるのを繰り返している。それにしてもどうしてリュックを付けたままで? 服装の色も似通っていて、リュックに付けた黄色の蛍光反射テープがお揃い。
芝生広場の一角にある噴水池。
補修中なのか池の周りがオレンジのネットで囲まれていてヘンな雰囲気。
噴水があれば必ず高速シャッタースピードでの撮影がお約束。池の中にある噴水まで距離があってズームレンズの望遠側一杯で撮ったので、あまり静止したようにはならなかった。
池にいたカモ。
もう1本の噴水を黄色い花越しに。
これは噴水池の先、芝生広場を出たところにある噴水ベンチ通り。
噴水といっても水がチョロチョロ出ているだけ。これでマックスかどうかは分からないが、あまり吹き出したら周りのベンチに水しぶきがかかるから、噴水というよりはちょっとした水のアクセント。
噴水ベンチ通りは前回に紹介したメインのバラエリアに続いている。
再び周回路に戻り、出口となる西門を目指す。
何やら石碑が見えたので、
周回路からそれて近づいてみると「日本航空發始之地」の文字。
ここはJAL創業の地ではなく、陸軍の練兵場だった時代に日本で初めて(有人で動力付きの)飛行機が飛び立った場所。發始は今の漢字に直せば発始で「はっし」と読むようだが辞書には載っていない単語。意味的には 発祥と同じと考えられるが、実は「航空発祥の地」と名乗る場所は別にある(埼玉県所沢市)。
いわば本家と元祖争いのようなもの。しかし
代々木:初飛行1910年(明治43年):記念碑設置:1974年(昭和49年)
所沢:初飛行1911年(明治44年):記念碑設置:2000年(平成12年)
と代々木のほうが初飛行は早いし、記念碑の設置は26年も前である。所沢に先に「発祥の地」記念碑を設置されたらまだ分かるとして、なぜ発始という造語なのかがナゾ。記念碑はなくても所沢が先に「発祥の地」とPRしたのかな。
石碑に彫られている鳥の顔をアップで(^^ゞ
解説プレート。ライト兄弟が人類初の飛行に成功したのが1903年なので、そのわずか7年後に日本でも飛行機が飛んだことになる。
解説にあるアンリ・フォルマン式複葉機。
こちらがグラーデ式単葉機。
初飛行に成功したお二人。
右が徳川好敏(よしとし)で、左が日野熊蔵。
なぜか徳川好敏は飛行服姿で、日野熊蔵はスーツにネクタイ。徳川好敏はその名が示すように徳川家の血筋。しかも御三家に次ぐ格式である御三卿・清水徳川家の当主。本当は解説プレートにある12月19日の4日前に日野熊蔵が日本初の飛行に成功したとの説もある。しかしソンタクがあったのかどうか19日の飛行会で先に飛んだ徳川好敏が「日本初飛行」とされている。最終的に陸軍中将まで昇進。初飛行当時は23歳。
日野熊蔵は熊本出身。日野式自動拳銃を開発したり、失敗に終わったもののヘリコプター、ジャット戦闘機、ロケットの開発に携わるなど発明家やエンジニアとしての顔を持つ。最終階級は陸軍歩兵中佐。初飛行当時は32歳。
操縦席に収まった写真。並びは銅像と同じ。
なお所沢で「初飛行」したのもこのコンビ。
初期の飛行機ってこんなのだったんだね。
彼らにトップガンの映画を見せてあげたい(^^ゞ
記念碑を離れて西門に向かう。
これは周回路の外側の細い通路で道が二手に分かれていた。
その場所にあったなかなかのマツ。
マツが常緑樹だとよく分かる写真。
そして二手に分かれた左側を進むと現れる光景。
白いテントを最初は園芸用の資材置き場か何かかと思ったが、
どうやらこのあたりはホームレスのテント村のようだ。
通路から見える範囲で30近く。奥に入ればもっとあるかも知れない。
これだけの規模のものを見たのは初めてなのでけっこうビックリした。2020年の東京オリンピックが近づいた頃、公園のホームレスを占め出しなどのニュースがあったのは覚えている。しかし結局2021年の開催時に外国人観戦客はコロナで来なかったわけで、そういう措置も執られなかったのかな。あるいは再び集まってきたか。
なお人の気配はまったくなかった。時間は土曜日の午後1時過ぎ。このあたりは人通りも少なく、たまにランニングの人が走ってくる程度。
ところで以前、隅田川でホームレスが今風のアウトドア用品を使っているのを見たけれど、代々木公園は今でもトラディショナルなブルーシートなのだと、どうでもいい発見。
西門から代々木公園を退出。
キンモクセイはクンクンできずバラも見頃前だったものの、広い芝生空間を楽しめたし、いろいろ珍しい光景も眺められて面白かった。
場所とタイトルを変えてーーー続く
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