2023年11月04日

代々木公園の歴史とジャニー喜多川

先日、キンモクセイ目当てに訪れたら空振りで秋バラも見頃前だった代々木公園。そこがかつて陸軍の練兵場→米軍接収→オリンピックの選手村を経て公園になったとはそれなりに知っていた。それでもブログを書く前にいろいろ調べていたら、何かと興味深かったので回を改めて書いてみたのが今回のお話。



さて明治神宮と代々木公園は全国的な知名度があっても、訪れたことがなければ、その2つが隣接していると知らない人は多いかも知れない。航空写真で見ればまるでひとつの土地を分割したように思えるが、それぞれ別の成り立ちで現在に至っている。

明治神宮は江戸時代の最初は肥後藩、次いで彦根藩の大名屋敷だった土地。それが1874年(明治7年)に皇室御料地となり、明治天皇が亡くなって1920年(大正9年)に明治神宮が創建された。
1航空写真

代々木公園あたりも江戸時代には大名や旗本の屋敷があったエリア。しかし明治維新以降は茶畑・桑畑となる。江戸は大雑把に町民50万人+武士50万人で100万人都市だった。それが参勤交代で江戸に来ていた大名・武士達がいなくなったから。最大勢力の徳川家臣団も徳川慶喜に従って静岡に移った。明治維新の年に江戸は約4割も人口が減少したともいわれる。

もっとも明治9年には103万人となり100万人台を回復している。この時(1876年)の日本の総人口は3556万人。東京が占める割合は103万人÷3556万人で2.9%。現在の東京人口は1410万人で総人口は1億2434万人だから11.3%。いわゆる東京一極集中。これに千葉・埼玉・神奈川を加えると、現在は総人口の約3割が首都圏で暮らしている。参考までに東京都は47都道府県で3番目に面積が小さく、また首都圏1都3県が全国に占める面積割合は3.6%に過ぎない。


さて明治40年頃(明治は45年まで)になると東京の人口は250万人を超え、江戸の頃よりはるかに人が多くなる。にもかかわらず当時の東京の中心は皇居より東側だったからか、代々木は茶畑・桑畑のままだったようで、1909年(明治42年)に陸軍がその一帯を買い上げて代々木練兵場とした。ちなみに練兵場、今でいうなら軍事演習場は代々木以外に日比谷、青山、駒沢、駒場と都内に5箇所あった。戦前は東京のど真ん中で訓練してたんだ。

そして時代は下って1945年(昭和20年)に日本は太平洋戦争に敗戦。代々木練兵場は連合国に接収され、アメリカ初代大統領の名前を取ってワシントンハイツと呼ばれた進駐軍向けの住居が建てられる。総戸数827戸。

これは西側から撮ったもの。ワシントンハイツの左奥に明治神宮。
WH1


まさにフェンスの向こうのアメリカ。
東京のど真ん中にこんな光景があったなんて。
(クルマのナンバープレートを見ればここが日本だと分かる)。画像はhttps://shibuya90th.magazineworld.jp/history/459/とhttps://transit.ne.jp/2012/08/000547.htmlから引用
WH2

WH3


1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約が発効して日本の占領は終了するものの、同時に発効した日米安保条約によって米軍が引き続き駐留。ワシントンハイツもそのまま使われる。使用期間は無期限だった。

しかし1961年(昭和36年)、3年後の1964年に開催される東京オリンピックの選手村・競技場用地として日本に返還が決まる。返還完了は1964年(昭和39年)8月12日。10月10日からのオリンピック開催59日前。

代々木練兵場=ワシントンハイツの敷地がどこまで広がっていたのか、調べても正確なところはよく分からなかったが、少なくとも現在の

   代々木公園
   国立オリンピック記念青少年総合センター(通称はオリンピックセンター)
   国立代々木競技場
   NHK

は、その範囲に含まれる。

返還が完了した8月12日とは最終的な手続きの話で、引き渡し作業自体はもっと前から始まっていたと思う。それでも代々木競技場の着工はオリンピック前年の1963年2月。1964年7月以降は24時間体制の突貫工事を続け、完成したのはオリンピックの39日前。

NHKはオリンピックの放送センターを設置するため、そして将来の本部予定地として国にワシントンハイツの一部を払い下げるように求めて認められた。現在もここにあるNHK施設全般をNHK放送センターと呼ぶのはその名残なのだろうか。NHKがこちらに完全移転したのは1973年(昭和48年)で、それまでの本部は日比谷にあった。その頃はまだ子供だったしNHKに日比谷のイメージはまったくないなあ。


そして現在の代々木公園と国立オリンピック記念青少年総合センターのエリアはオリンピックの選手村となる。つまり1964年東京オリンピックの選手村は米軍住宅のリフォーム物件。SDGsが叫ばれた2021年の東京オリンピックよりエコだったりして(^^ゞ

ワシントンハイツの返還に伴い、米軍住宅を調布に移転する費用は日本の全額負担であった。金額は90億円。2020年基準の消費者物価指数は1964年が22.5、2023年が102.7である。そして102.7÷22.5=4.6だから、当時の90億円は今の400億円くらいかな。

なお1964年オリンピックの開催経費は265億円。移転費用もオリンピック経費と考えて90億円÷(90億円+265億円)を計算すると、移転費用は全体の25%を占める。

参考までに2021年東京オリンピックの開催経費は1兆4238億円。1964年の265億円を今の価値として4.6倍の1200億円と換算すると、2021年オリンピックは1964年と較べてなんと12倍も費用がかかっている(/o\)


ちょっと話がそれたが、その米軍移転費用の90億円は国と東京都が折半して負担した。それで元陸軍練兵場=国有地の大半を東京都が取得して代々木公園が造られたようだ。元ワシントンハイツの選手村を撤去して、公園が開園したのはオリンピックから3年後の1967年(昭和42年)。私と同世代なら森永チョコボールとリカちゃん人形が発売された年といえばイメージできるかも。

それしても都市環境意識なんてまだ希薄だった時代なのに、これだけの広い面積をよく丸ごと公園にできたものだと感心する。私が東京都知事だったら代々木ヒルズに再開発していた気がするな(^^ゞ




ーーー続く
ジャニーさんの話は次回に

wassho at 21:55│Comments(0) ノンジャンル 

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