2023年12月06日
有栖川宮記念公園でレッドオータム
今シーズンの紅葉巡りはここまで
渋谷ファイヤー通り
代々木公園
上野公園
漢字を正確に書くと紅葉ではなく黄葉のイエローオータムが中心。
色づきは黄色→赤の順だけれど、そろそろレッドオータムも見たくなってきた。
とりあえずは近場でと選んだのが広尾にある有栖川宮記念公園。そこまでなら散歩圏内。でもどうせならついでに青山の外苑前でイチョウも見てくるかと。レッドオータムが見たかったはずなのに、言うこととやることが違うのが私のいいところ(^^ゞ
というわけで12月2日に広尾までは電車で行き、
そこから青山までレッド&イエローを眺めながら散歩してきた。
地下鉄日比谷線の広尾駅から地上に出ると外苑西通り。北は靖国通りから始まって国立競技場〜青山〜西麻布〜広尾〜白金とセレブなエリアを縦断して南は目黒通りに達する都道。
交差点から横道に入り、
200mも歩けば公園に到着。
公園の向かいにあるのがナショナル麻布スーパーマーケット。
ここは1962年からある老舗の高級スーパー。ただしこの南麻布店以外に広尾、田園調布の3店舗しかないので一般的な知名度は高くない。また客の6割が外国人なのが特徴。ホームページなども日本語より英語が先に書かれている。
なお先に「広尾にある有栖川宮記念公園」と書いたが、外苑西通りを挟んで公園側の住所は南麻布になる。よって有栖川宮記念公園は港区立の公園。最寄り駅が広尾駅なので何となく広尾のイメージを持ってしまう。ちなみに広尾は渋谷区の地名。
入ってすぐに広がっている光景。
期待が高まる。
中央奥のやや左にちらっと頭をのぞかせているのは六本木ヒルズ。そしてさらに左に金色に光っているのは末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)の尖塔。こんな建物の上にそびえ立っている。
池の周りを回りがなら。
水面でも楽しめるレッドオータム。
亀の甲羅模様のような置き石。
こんなのは初めて見た。
最初の地点から池を1/3周ほどしたところ。
いかにも滑りそうな場所を渡らなければならない。
亀みたいな石はこっちに置いて欲しいゾ。
ややオレンジがかったレッドオータム。
公園の中でこれが一番きれいだった。
レッドを中心にイエローとオレンジのオータムが競演している。
園内ブラブラ。
幻想的なミックスオータムに見とれる。
まるで配色をデザインしたかのよう。
意外と紅葉していないカエデも美しい。
ところで景色は美しくても、
こんなモロ逆光になるのはよくあること。
でも太陽が隠れる位置を探して、
後でレタッチ(画像の修正)をすれば何とななるもの。
公園は傾斜地になっていて少し上にある広場まで上がってきた。
レッドオータムが見えたのでさらに上がる。
まあままの木漏れ日オータム。
一番上の広場はイエローオータム中心。
レッドとイエローの両方を楽しめて満足。
有栖川宮熾仁親王(ありすがわ・のみや・たるひと・しんのう)騎馬像」
この公園は
江戸時代は忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷から南部藩=盛岡藩の下屋敷になる。
江戸の大名屋敷は上屋敷、中屋敷、下屋敷に分かれる。
上屋敷は大名とその家族が住み、江戸城に近い場所。
中屋敷は隠居した大名、あるいは成人した跡継ぎのためのもの。
下屋敷はやや郊外に造られ(だから規模も大きい)、
別荘や庭園だったり倉庫だったりと役割は藩によって様々。
1896年(明治29年)に有栖川宮家の御用地となる。
有栖川宮家とは伏見宮家・桂宮家・閑院宮家と共に、
江戸時代まであった世襲親王家。
世襲親王家は天皇家に跡継ぎがいない場合に、次の天皇を立てるための宮家。
尾張、紀伊、水戸の徳川御三家のようなシステム。
熾仁(たるひと)親王は有栖川宮家9代目で、
子供がいなかったので弟の威仁(たけひと)親王が10代目となる。
この土地を手に入れたのは弟の威仁(たけひと)親王で、
彼はここに息子の新居を造る予定だった。
しかし息子は1908年(明治41年)に20歳で死去。
ここには威仁(たけひと)親王の母親(兄とは腹違い)が住んでいたようだ。
明治になって世襲親王家制度がなくなったので、
1913年(大正2年)に弟の威仁(たけひと)親王の死去により
有栖川宮家はそこで断絶。
ただし特例で大正天皇の三男が高松宮となって、
有栖川宮の祭祀(たぶん宗教的行事の意味)および財産を引き継ぐ。
従ってこの土地も高松宮御用地となる。
なお高松宮は有栖川宮の旧称。
高松宮は1934年(昭和9年)にこの御用地を東京市に寄付。
同年に有栖川宮記念公園として開園する。
有栖川「宮」記念公園なのだから大体のいきさつは想像が付いていたものの、銅像になっている人物がどんな人なのか興味を持って調べてみた。
御用地だった期間を較べると有栖川宮が17年間、高松宮は21年間なので高松宮の名前が付いていてもおかしくなかった。なんならもっと長く所有してた盛岡藩。もっとも都内屈指のセレブなエリアに盛岡の響きは似合わないかも知れない。しかし実は1966年(昭和41年)に南麻布になるまでは、このあたりは麻布盛岡町だった。今でも公園のすぐ近くの交番は盛岡町交番の名前。
それよりも有栖川宮家でこの土地に所縁があったのは兄の熾仁(たるひと)親王ではなく、弟の威仁(たけひと)親王なのに、どうして銅像は兄の熾仁(たるひと)親王なのだろう。
どうやらこんないきさつ。
兄の熾仁(たるひと)親王は陸軍初代の参謀総長(陸軍の最高位)を務め、その銅像が陸軍参謀本部に設置されていた。国会近くのその場所には戦後に憲政記念館できる。銅像はそのまま。しかし銅像の上に1964年東京オリンピックに併せて首都高を建設することとなり、それで有栖川宮記念公園となっていたこちらに移設したようだ。追いやられてやってきたとはお気の毒(/o\)
さて
広場をさらに先に進むと都立中央図書館がある。
その前のイチョウは巨大。
近くで見るとかなりの迫力である。
この有栖川公園(有栖川宮記念公園とフルネームではあまり呼ばれない)は何度も来ているけれど、紅葉の季節は初めて。レッドオータムとイエローオータムの両方が充実してお勧めである。両者のバランスもいい。
最後にもう一枚レッドオータムを。
渋谷ファイヤー通り
代々木公園
上野公園
漢字を正確に書くと紅葉ではなく黄葉のイエローオータムが中心。
色づきは黄色→赤の順だけれど、そろそろレッドオータムも見たくなってきた。
とりあえずは近場でと選んだのが広尾にある有栖川宮記念公園。そこまでなら散歩圏内。でもどうせならついでに青山の外苑前でイチョウも見てくるかと。レッドオータムが見たかったはずなのに、言うこととやることが違うのが私のいいところ(^^ゞ
というわけで12月2日に広尾までは電車で行き、
そこから青山までレッド&イエローを眺めながら散歩してきた。
地下鉄日比谷線の広尾駅から地上に出ると外苑西通り。北は靖国通りから始まって国立競技場〜青山〜西麻布〜広尾〜白金とセレブなエリアを縦断して南は目黒通りに達する都道。
交差点から横道に入り、
200mも歩けば公園に到着。
公園の向かいにあるのがナショナル麻布スーパーマーケット。
ここは1962年からある老舗の高級スーパー。ただしこの南麻布店以外に広尾、田園調布の3店舗しかないので一般的な知名度は高くない。また客の6割が外国人なのが特徴。ホームページなども日本語より英語が先に書かれている。
なお先に「広尾にある有栖川宮記念公園」と書いたが、外苑西通りを挟んで公園側の住所は南麻布になる。よって有栖川宮記念公園は港区立の公園。最寄り駅が広尾駅なので何となく広尾のイメージを持ってしまう。ちなみに広尾は渋谷区の地名。
入ってすぐに広がっている光景。
期待が高まる。
中央奥のやや左にちらっと頭をのぞかせているのは六本木ヒルズ。そしてさらに左に金色に光っているのは末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)の尖塔。こんな建物の上にそびえ立っている。
池の周りを回りがなら。
水面でも楽しめるレッドオータム。
亀の甲羅模様のような置き石。
こんなのは初めて見た。
最初の地点から池を1/3周ほどしたところ。
いかにも滑りそうな場所を渡らなければならない。
亀みたいな石はこっちに置いて欲しいゾ。
ややオレンジがかったレッドオータム。
公園の中でこれが一番きれいだった。
レッドを中心にイエローとオレンジのオータムが競演している。
園内ブラブラ。
幻想的なミックスオータムに見とれる。
まるで配色をデザインしたかのよう。
意外と紅葉していないカエデも美しい。
ところで景色は美しくても、
こんなモロ逆光になるのはよくあること。
でも太陽が隠れる位置を探して、
後でレタッチ(画像の修正)をすれば何とななるもの。
公園は傾斜地になっていて少し上にある広場まで上がってきた。
レッドオータムが見えたのでさらに上がる。
まあままの木漏れ日オータム。
一番上の広場はイエローオータム中心。
レッドとイエローの両方を楽しめて満足。
有栖川宮熾仁親王(ありすがわ・のみや・たるひと・しんのう)騎馬像」
この公園は
江戸時代は忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷から南部藩=盛岡藩の下屋敷になる。
江戸の大名屋敷は上屋敷、中屋敷、下屋敷に分かれる。
上屋敷は大名とその家族が住み、江戸城に近い場所。
中屋敷は隠居した大名、あるいは成人した跡継ぎのためのもの。
下屋敷はやや郊外に造られ(だから規模も大きい)、
別荘や庭園だったり倉庫だったりと役割は藩によって様々。
1896年(明治29年)に有栖川宮家の御用地となる。
有栖川宮家とは伏見宮家・桂宮家・閑院宮家と共に、
江戸時代まであった世襲親王家。
世襲親王家は天皇家に跡継ぎがいない場合に、次の天皇を立てるための宮家。
尾張、紀伊、水戸の徳川御三家のようなシステム。
熾仁(たるひと)親王は有栖川宮家9代目で、
子供がいなかったので弟の威仁(たけひと)親王が10代目となる。
この土地を手に入れたのは弟の威仁(たけひと)親王で、
彼はここに息子の新居を造る予定だった。
しかし息子は1908年(明治41年)に20歳で死去。
ここには威仁(たけひと)親王の母親(兄とは腹違い)が住んでいたようだ。
明治になって世襲親王家制度がなくなったので、
1913年(大正2年)に弟の威仁(たけひと)親王の死去により
有栖川宮家はそこで断絶。
ただし特例で大正天皇の三男が高松宮となって、
有栖川宮の祭祀(たぶん宗教的行事の意味)および財産を引き継ぐ。
従ってこの土地も高松宮御用地となる。
なお高松宮は有栖川宮の旧称。
高松宮は1934年(昭和9年)にこの御用地を東京市に寄付。
同年に有栖川宮記念公園として開園する。
有栖川「宮」記念公園なのだから大体のいきさつは想像が付いていたものの、銅像になっている人物がどんな人なのか興味を持って調べてみた。
御用地だった期間を較べると有栖川宮が17年間、高松宮は21年間なので高松宮の名前が付いていてもおかしくなかった。なんならもっと長く所有してた盛岡藩。もっとも都内屈指のセレブなエリアに盛岡の響きは似合わないかも知れない。しかし実は1966年(昭和41年)に南麻布になるまでは、このあたりは麻布盛岡町だった。今でも公園のすぐ近くの交番は盛岡町交番の名前。
それよりも有栖川宮家でこの土地に所縁があったのは兄の熾仁(たるひと)親王ではなく、弟の威仁(たけひと)親王なのに、どうして銅像は兄の熾仁(たるひと)親王なのだろう。
どうやらこんないきさつ。
兄の熾仁(たるひと)親王は陸軍初代の参謀総長(陸軍の最高位)を務め、その銅像が陸軍参謀本部に設置されていた。国会近くのその場所には戦後に憲政記念館できる。銅像はそのまま。しかし銅像の上に1964年東京オリンピックに併せて首都高を建設することとなり、それで有栖川宮記念公園となっていたこちらに移設したようだ。追いやられてやってきたとはお気の毒(/o\)
さて
広場をさらに先に進むと都立中央図書館がある。
その前のイチョウは巨大。
近くで見るとかなりの迫力である。
この有栖川公園(有栖川宮記念公園とフルネームではあまり呼ばれない)は何度も来ているけれど、紅葉の季節は初めて。レッドオータムとイエローオータムの両方が充実してお勧めである。両者のバランスもいい。
最後にもう一枚レッドオータムを。
wassho at 21:08│Comments(0)│
│お花畑探訪