2023年12月22日
フレディ・マーキュリーがアナ雪!
まずはAIが作成した、
クイーンのフレディ・マーキュリーが、
アナと雪の女王の Let It Go を熱唱している動画を見て聴いて。
こちらのリンクはサビの部分だけを抜き出して編集したもの。
↓
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1737407145602347008/pu/vid/avc1/720x960/CSx4XHi3zRCrtmjk.mp4?tag=12
リンク先が消えている、動かないなどの場合、
そしてフルバージョンで視聴したければこちらのYouTube。
これも著作権的にいつまであるかわからないけれど。
AIでもうここまでできるんだと、ちょっと鳥肌が立ったね。フレディの熱心なファンが聴けば、本物とはいろいろ違うところもあるはず。しかし私には彼があの世から化けてでたかと思うほどにソックリ。ちなみにフレディが亡くなったのは1991年で、アナ雪が制作されたのは2013年なので、これは正真正銘のAIが作り出した偽物である(表現が難しい)。

対話型のAIであるChatGPTが公開されたのは昨年の11月。AIを使ったサービスはそれまでにもいろいろあったし、また家電などにも組み込まれている。しかしそれらはAIをほとんど意識しない、あるいは誰かがAIで作成したものを見たり利用するだけ。ChatGPTは自分でAIとやりとりする。それによってAIに直接触れたインパクトは衝撃的。さらにAIを操作する知識や技術は何も必要ない。これこそが本物のブレイクスルーだと感動すらした。
もちろん現状ではまだまだポンコツなところも多い。しかしこれが10年後にどれだけのレベルに達しているかを想像すると、楽しみでもあり空恐ろしくもある。「想像する」とは書いたものの、そう簡単には想像がつかないくらいの可能性を秘めている。
一方で電卓によって桁数の多い暗算がほとんどできなくなり、またワープロを使い始めてからは難しい漢字は読めても書けなくなった。それと同じようにAIに頼れば考える能力が退化してしまいそうな危惧もある。スマホには電卓が内蔵されており、電卓を常に持ち歩いているに等しい。難しい漢字を書けなくなっても手書きをする機会はほとんどないから、たまに恥をかくことはあっても(^^ゞ 実質的には困っていない。それと同じで考えられなくなってもAIが考えてくれれば困らないのか。いやそれは困る困らないの問題なのか。もうそれが問われるまでAIが進化しているのに驚く。
またChatGPTなどの生成AIと呼ばれるものは、大規模言語モデルというプログラムをベースとしている。私が理解している範囲で解説すれば、これは大量の文書を解析し、ある単語の次に来る単語を予測する仕組み。それでどうして文章が書けるのか知らないものの、ある単語と組み合わせる確率の高い単語を選んで、質問に対する回答を「生成」している。
ここで当然の疑問。
これって考えていることになるのか。
人工知能は本当に知能なのか。
そしてさらなる疑問。
人間だってゼロから考えているのではなく、
過去の蓄積から組み合わせているだけではないのか。
だから、考えるとは、そして知能とは何だといった課題もChatGPTによって突きつけられた気もしている。そんなソクラテスやプラトンがテーマにしそうな問題が身近に起きるとは思ってもみなかった。
ところで以前にAIで描いたローマ皇帝を話題にしたとき、
「AIによって蘇った信長と光秀の対談が実現!テーマはもちろん本能寺の変。
司会はブルータスに同じような目に遭わされたカエサル!」なんてのを
見てみたいなあ
と書いた。ChatGPTを使い、このアナ雪フレディを見ていると、意外とその対談を見られる日は近いのかも知れない。長生きしましょう(^^ゞ
クイーンのフレディ・マーキュリーが、
アナと雪の女王の Let It Go を熱唱している動画を見て聴いて。
こちらのリンクはサビの部分だけを抜き出して編集したもの。
↓
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1737407145602347008/pu/vid/avc1/720x960/CSx4XHi3zRCrtmjk.mp4?tag=12
リンク先が消えている、動かないなどの場合、
そしてフルバージョンで視聴したければこちらのYouTube。
これも著作権的にいつまであるかわからないけれど。
AIでもうここまでできるんだと、ちょっと鳥肌が立ったね。フレディの熱心なファンが聴けば、本物とはいろいろ違うところもあるはず。しかし私には彼があの世から化けてでたかと思うほどにソックリ。ちなみにフレディが亡くなったのは1991年で、アナ雪が制作されたのは2013年なので、これは正真正銘のAIが作り出した偽物である(表現が難しい)。

対話型のAIであるChatGPTが公開されたのは昨年の11月。AIを使ったサービスはそれまでにもいろいろあったし、また家電などにも組み込まれている。しかしそれらはAIをほとんど意識しない、あるいは誰かがAIで作成したものを見たり利用するだけ。ChatGPTは自分でAIとやりとりする。それによってAIに直接触れたインパクトは衝撃的。さらにAIを操作する知識や技術は何も必要ない。これこそが本物のブレイクスルーだと感動すらした。
もちろん現状ではまだまだポンコツなところも多い。しかしこれが10年後にどれだけのレベルに達しているかを想像すると、楽しみでもあり空恐ろしくもある。「想像する」とは書いたものの、そう簡単には想像がつかないくらいの可能性を秘めている。
一方で電卓によって桁数の多い暗算がほとんどできなくなり、またワープロを使い始めてからは難しい漢字は読めても書けなくなった。それと同じようにAIに頼れば考える能力が退化してしまいそうな危惧もある。スマホには電卓が内蔵されており、電卓を常に持ち歩いているに等しい。難しい漢字を書けなくなっても手書きをする機会はほとんどないから、たまに恥をかくことはあっても(^^ゞ 実質的には困っていない。それと同じで考えられなくなってもAIが考えてくれれば困らないのか。いやそれは困る困らないの問題なのか。もうそれが問われるまでAIが進化しているのに驚く。
またChatGPTなどの生成AIと呼ばれるものは、大規模言語モデルというプログラムをベースとしている。私が理解している範囲で解説すれば、これは大量の文書を解析し、ある単語の次に来る単語を予測する仕組み。それでどうして文章が書けるのか知らないものの、ある単語と組み合わせる確率の高い単語を選んで、質問に対する回答を「生成」している。
ここで当然の疑問。
これって考えていることになるのか。
人工知能は本当に知能なのか。
そしてさらなる疑問。
人間だってゼロから考えているのではなく、
過去の蓄積から組み合わせているだけではないのか。
だから、考えるとは、そして知能とは何だといった課題もChatGPTによって突きつけられた気もしている。そんなソクラテスやプラトンがテーマにしそうな問題が身近に起きるとは思ってもみなかった。
ところで以前にAIで描いたローマ皇帝を話題にしたとき、
「AIによって蘇った信長と光秀の対談が実現!テーマはもちろん本能寺の変。
司会はブルータスに同じような目に遭わされたカエサル!」なんてのを
見てみたいなあ
と書いた。ChatGPTを使い、このアナ雪フレディを見ていると、意外とその対談を見られる日は近いのかも知れない。長生きしましょう(^^ゞ
wassho at 21:56│Comments(0)│
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