2024年01月27日

キュビスム展 美の革命 その2

印象派がその名前で呼ばれるようになったのは、ある評論家がモネの「印象・日の出」という作品を、そのタイトルをもじって「印象しか描いていない」と酷評したのがきっかけ。印象しか描いていないとは、構図がおおざっぱだとか、絵が描き込まれていないとか、内面的な深いテーマがないとか、そういう意味だと思う。

それまでの絵画がクラシック音楽だとすれば、そこにいきなりロックを持ち込んだのが印象派。いつの世も新しいことは守旧派からは拒絶されるもの。もっとも世間は印象派の絵と印象派とのレッテルも好意的に受け止めて、そのネーミングが広まっていったのだから面白い。

これがそのモネの「印象・日の出」(この展覧会とは無関係)
制作は1872年で展覧会で酷評されたのが1874年(明治7年)。
モネ印象・日の出



さてキュビスム Cubisme とはフランス語で、英語にすれば Cubism。これは CUBE(キューブ:立方体)と ISM(イズム:主義)が組み合わさった言葉。ほとんど使われないものの和訳として立体主義や立体派が当てられる。ただし正確に訳すなら立体ではなく立方体。ずっと昔は「キュビズム」と英語読みが一般的だったような気がするが、いつのまにかキュビスムとフランス語読みするようになった。パリで始まった絵画様式だからオリジナルが尊重されたのか。

そして実はキュビスムのネーミングも印象派と似たような成り立ちを持っている。
きっかけとなったのはこの作品。

ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年
017

遠くから見ればセザンヌの絵が掛かっているのかと思うほど。それもそのはずブラックはセザンヌLOVEな人で、セザンヌが1870〜80年代に掛けてしばらく住んでいたレスタックに、1906年〜1910年頃に合計で何ヶ月か滞在している。レスタックは南仏マルセイユ近郊で、またセザンヌの生まれ故郷の近く。いわゆるアニメファンの聖地巡礼みたいなもの。

参考までにセザンヌの描いた「レスタックの赤屋根の家」も載せておく(この展覧会とは無関係)。同じ地域の風景なので色合いが似ているとしても、これだけ色数の少ない景色なんてあり得ないから、やはりブラックはセザンヌに相当寄せている。全体的に平板なところや、筆を一定方向に動かす描き方にも影響がありあり。
L'Estaque_aux_toits_rouges,_par_Paul_Cezanne


前回のブログでセザンヌが用いたの多角度の視点について書いた。加えて彼は「自然を円筒、球、円錐によって扱い、すべてを遠近法の中に入れなさい」との言葉も残している。もっともセザンヌ作品を見て円筒、球、円錐が目立っているわけではないし、残念ながら勉強不足でその意味をよく理解していない。しかし文字を追えば丸いものばかりで三角形や四角形は含まれていないのは明確。

しか〜し、
ブラックの「レスタックの高架橋」は見事なまでに三角形と四角形が山盛り。遠近法も完全無視。お前、セザンヌ先生の話を聞いていたのかと突っ込みたくなるレベル(^^ゞ まあ建物は四角いから仕方ないのだけれど。

そして案の定、この絵が発表されたときに「ブラックは形態を軽んじており、景色も人物も家も、全てが幾何学的形状やキューブ(立方体)に還元している」と批判を受ける。そしてこれがキュビスムのネーミングへとつながっていく。モネが「印象しか描いていない」と評されてから34年後の1908年(明治41年)に歴史は繰り返したわけだ。


ただしキュビスムの特徴を因数分解すれば

  多角度の視点を平面(キャンバス)に落とし込む
  対象を解体・単純化して幾何形態に置き換える

となる。そしてキュビスム=立方体主義が言い表しているのは後者だけ。どちらかといえば私は多角度の視点のほうがより革新的で重要な要素だと思うので、このキュビスムとしたネーミングには少し不満を持っている。


ところでキュビスムは印象派が終わる頃から始まるわけだけれど、年表で見ると1850年から1950年くらいまでの約100年間は、他にも象徴主義、写実主義、フォーヴィスム、ナビ派など次々と新し絵画のムーブメントが生まれている。この頃に生まれていたら楽しかっただろなと思ったり。図はhttps://tabiparislax.com/western-art/から引用加筆
年表



なかなか展覧会作品に話が進まないが(^^ゞ
ーーー続く

wassho at 09:56│Comments(0) 美術展 

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