2024年02月28日
ウメよりも和太鼓がよかった赤塚梅まつり
タイトルは違うが前回からの続き。
高島平駅から赤塚公園を歩き、
新大宮バイパスを渡って到着した赤塚溜池公園。
赤塚梅まつり開催中とあって園内はかなりの賑わい。
入り口のすぐそばにあった溜池。公園の名前の由来となっているから、相当に大きな池を想像していたのに、それほどでもなかった(^^ゞ
板橋区のホームページによるとウメの木は約150本。
この日で6〜7分咲きといったところ。
写真では少し寂しくもあるが、人間の目は見たいものを見る=咲いているところを無意識に集中して眺めるから、花数に不足感はなかった。
ただし品種が少ないし剪定の仕方もワンパターン。しだれのウメもなかった。あちこちの名所を訪ね歩いてきた目には、たくさん咲いてはいても「いいウメを見たなあ」との満足感は得られずやや残念。
それでも現地では天気もよかったし、梅まつりの雰囲気もあって楽しく過ごせた。しかし自宅に戻って写真を整理してビックリ。普段より大幅に撮影枚数が少ない。まあ「写真は正直」である。
ここのウメは花のサイズが小さい。
花色が重なるように撮りましょう。
アップも少しだけ。
羽根木公園に続いてメジロの撮影に成功。
これは枝が緑色で伸びるタイプで私の好み。
肉眼ではそれが影響して花も少し緑がかった白に見える。
屋台をブラブラ。
昨今の物価高ではステーキで1000円しないなんて安く思えてしまう。
それにしてもビフテキなんて言葉は久しぶりに聞いた。
公園の奥で人だかりができていたので覗いてみると。
とても前まで出られそうになかったのでカメラを頭の上に持ち上げて撮影。
最前列右から4人目は板橋区長。
私が来てすぐに撮影タイム終了。
お祭りのイベントとして武者行列があるとは事前に知っていた。一般的に記念撮影は最後に行うから、この時点ではそれが終わったのだと認識。
園内マップ。
前回に書いたように赤塚溜池公園(図の右上ウグイス色部分)は赤塚公園の一角にある。このエリアでウメがあるのはここと、隣接する赤塚公園の城址地区にある梅林。
城址地区に向けて丘を登る。そこそこ急勾配だったのと、前日はたまに雪も混じる雨が降り続いていたので、土と落ち葉の階段がぬかるんで滑りやすかった。
上がってみると城址(じょうし)地区=城跡とはいえ遺構的なものはなく広場があるだけ。もっともここにあった赤塚城は戦国時代の少し前に築城され、秀吉の頃には廃止されている。だから一般にイメージする天守閣があるような城ではなく、館(やかた)がいくつかある砦(とりで)のような姿だったはず。
多くの人が何かを待っている。
どう見ても武者っぽい雰囲気。
まだ何かイベントがあるのかな?
ところで床几(しょうぎ:折りたたみ式の椅子)の後ろに並んでいるのは盾(たて)。飛んでくる弓矢から身を守るために合戦で使われた。ここのは描かれている図柄(家紋)が丸いので、まるで弓の的のように見えるが、
こうやって使うやつね。
盾にはいろいろ種類があって大別すると、この会場にあった地面に置いて使う「置盾 おきだて」と、手で持って使う「持盾 もちだて」に分かれる。
ただし持盾は古代ローマ兵や騎士など西洋のイメージが強い。
日本刀は両手で持つからあまり使われなかったのだろうか。
しかし武士=刀とは江戸時代になってからのイメージで、それ以前の戦(いくさ)において、指揮官である武将は別として戦闘の主力となる歩兵の武器は槍(やり)である。
これは関ヶ原合戦図屏風の一部。
槍で戦っている兵士は盾を持っていない。
こちらは古代ローマ兵の再現イベント。
槍が武器の兵士は盾も持っている。
このあたりは文化の違いや体格の差、あるいは兵士の安全や生命に対する価値観の反映なのかなどと想像を膨らませると何かと興味深い。
話を置盾に戻すと、それを地面に並べるのは戦闘開始の準備である。そこから生まれたのが相手に反対する・逆らうを意味する「盾突く」の言葉。この場合の「突く」は槍などで突くのではなく「地面に突き立てる」の意味。
また置盾は板につっかい棒を組み合わせた簡単な構造。移動の際には手で持って運搬する。持盾はもちろん手で操る道具。それで両者を手盾(てだて)とも呼んだ。盾がないと防御ができず戦えないから、そこから策がない状態を「手立てがない」と表現するようになったとの説もある。
他にも図星、手の内、はず(当然そうなること)、裏をかく、身から出たサビ、駆け引き、出張、折り紙付き、切羽詰まる、反りが合わない、抜き打ちーーーなど武器や戦から生まれた言葉は多い。興味があればお調べを。
広場には和太鼓も置かれていた。
そしてこの立て看板で、先ほど見た記念撮影でイベントが終わったのではなく、和太鼓演奏や武者行列などはこれから始まると知る。
開示予定時刻までまだ10分少々あったので、
広場に続いている城址地区の梅林エリアに入る。
見たところ同じ品種の白梅ばかりのようだ。
またウメの背丈が下の溜池公園と較べてずいぶんと低い。
さてもっと奥まで見に行くかと思ったとき、銃声のような大きな音が聞こえて身体がビクッと反応する。私は「ワッ!」と大声で驚かされるととてもビックリするタイプ(^^ゞ
もちろん音の正体は銃声ではなく和太鼓の最初の一拍。
梅林から広場に戻って和太鼓見物。
この大きさの太鼓だけで15台ほどあった。
最も近い太鼓までの距離は5メートルもない。
音とは空気の振動だと実感できるド迫力の大音響がこちらに向かってくる。
演奏は2チームの合奏。
左側のチームはメンバーが若い。
また曲ごとにメンバーが入れ替わり、
子供が太鼓を打つときもある。
逆に右側のチームはメンバーが固定だから体力的には大変だったかも知れない。
演奏は30分ほど続いた。
真横からバチさばきを観察。
腕の動きが速いので、シャッタースピード1/1000秒に設定して高速撮影。
一人だけタイミングがずれているのを発見(>_<)
大太鼓。
小太鼓。
ドラムのタムタムのように並んでいるが、それとは違って口径はどれも同じように見える。
後ろ姿。こういうファッションを見るとどうしても「夜露死苦」「愛羅武勇」「仏恥義理」などヤンキー漢字を思い浮かべてしまう(^^ゞ 法被に書かれた文字をヒントに検索すると、このチームの名前は鼓粋若衆 板橋 轟太鼓とわかった。
こちらのチーム名は不明。バチをクルクル回したり轟太鼓とは叩き方が違うから、そのジュニアチームではないと思う。
前から見ていると太鼓があって気付きにくいものの、和太鼓はかなり大股開きの体勢で叩いている。それにしても彼らの和柄のシャツはちょっといいね。私が着たら「その筋」の人に見える危険性があるからビミョーかもーーー
ウメはあまり見応えがなかったけれど、
和太鼓のリズムを全身に浴びて身体が活性化したような気がする。
ーーー続く
高島平駅から赤塚公園を歩き、
新大宮バイパスを渡って到着した赤塚溜池公園。
赤塚梅まつり開催中とあって園内はかなりの賑わい。
入り口のすぐそばにあった溜池。公園の名前の由来となっているから、相当に大きな池を想像していたのに、それほどでもなかった(^^ゞ
板橋区のホームページによるとウメの木は約150本。
この日で6〜7分咲きといったところ。
写真では少し寂しくもあるが、人間の目は見たいものを見る=咲いているところを無意識に集中して眺めるから、花数に不足感はなかった。
ただし品種が少ないし剪定の仕方もワンパターン。しだれのウメもなかった。あちこちの名所を訪ね歩いてきた目には、たくさん咲いてはいても「いいウメを見たなあ」との満足感は得られずやや残念。
それでも現地では天気もよかったし、梅まつりの雰囲気もあって楽しく過ごせた。しかし自宅に戻って写真を整理してビックリ。普段より大幅に撮影枚数が少ない。まあ「写真は正直」である。
ここのウメは花のサイズが小さい。
花色が重なるように撮りましょう。
アップも少しだけ。
羽根木公園に続いてメジロの撮影に成功。
これは枝が緑色で伸びるタイプで私の好み。
肉眼ではそれが影響して花も少し緑がかった白に見える。
屋台をブラブラ。
昨今の物価高ではステーキで1000円しないなんて安く思えてしまう。
それにしてもビフテキなんて言葉は久しぶりに聞いた。
公園の奥で人だかりができていたので覗いてみると。
とても前まで出られそうになかったのでカメラを頭の上に持ち上げて撮影。
最前列右から4人目は板橋区長。
私が来てすぐに撮影タイム終了。
お祭りのイベントとして武者行列があるとは事前に知っていた。一般的に記念撮影は最後に行うから、この時点ではそれが終わったのだと認識。
園内マップ。
前回に書いたように赤塚溜池公園(図の右上ウグイス色部分)は赤塚公園の一角にある。このエリアでウメがあるのはここと、隣接する赤塚公園の城址地区にある梅林。
城址地区に向けて丘を登る。そこそこ急勾配だったのと、前日はたまに雪も混じる雨が降り続いていたので、土と落ち葉の階段がぬかるんで滑りやすかった。
上がってみると城址(じょうし)地区=城跡とはいえ遺構的なものはなく広場があるだけ。もっともここにあった赤塚城は戦国時代の少し前に築城され、秀吉の頃には廃止されている。だから一般にイメージする天守閣があるような城ではなく、館(やかた)がいくつかある砦(とりで)のような姿だったはず。
多くの人が何かを待っている。
どう見ても武者っぽい雰囲気。
まだ何かイベントがあるのかな?
ところで床几(しょうぎ:折りたたみ式の椅子)の後ろに並んでいるのは盾(たて)。飛んでくる弓矢から身を守るために合戦で使われた。ここのは描かれている図柄(家紋)が丸いので、まるで弓の的のように見えるが、
こうやって使うやつね。
盾にはいろいろ種類があって大別すると、この会場にあった地面に置いて使う「置盾 おきだて」と、手で持って使う「持盾 もちだて」に分かれる。
ただし持盾は古代ローマ兵や騎士など西洋のイメージが強い。
日本刀は両手で持つからあまり使われなかったのだろうか。
しかし武士=刀とは江戸時代になってからのイメージで、それ以前の戦(いくさ)において、指揮官である武将は別として戦闘の主力となる歩兵の武器は槍(やり)である。
これは関ヶ原合戦図屏風の一部。
槍で戦っている兵士は盾を持っていない。
こちらは古代ローマ兵の再現イベント。
槍が武器の兵士は盾も持っている。
このあたりは文化の違いや体格の差、あるいは兵士の安全や生命に対する価値観の反映なのかなどと想像を膨らませると何かと興味深い。
話を置盾に戻すと、それを地面に並べるのは戦闘開始の準備である。そこから生まれたのが相手に反対する・逆らうを意味する「盾突く」の言葉。この場合の「突く」は槍などで突くのではなく「地面に突き立てる」の意味。
また置盾は板につっかい棒を組み合わせた簡単な構造。移動の際には手で持って運搬する。持盾はもちろん手で操る道具。それで両者を手盾(てだて)とも呼んだ。盾がないと防御ができず戦えないから、そこから策がない状態を「手立てがない」と表現するようになったとの説もある。
他にも図星、手の内、はず(当然そうなること)、裏をかく、身から出たサビ、駆け引き、出張、折り紙付き、切羽詰まる、反りが合わない、抜き打ちーーーなど武器や戦から生まれた言葉は多い。興味があればお調べを。
広場には和太鼓も置かれていた。
そしてこの立て看板で、先ほど見た記念撮影でイベントが終わったのではなく、和太鼓演奏や武者行列などはこれから始まると知る。
開示予定時刻までまだ10分少々あったので、
広場に続いている城址地区の梅林エリアに入る。
見たところ同じ品種の白梅ばかりのようだ。
またウメの背丈が下の溜池公園と較べてずいぶんと低い。
さてもっと奥まで見に行くかと思ったとき、銃声のような大きな音が聞こえて身体がビクッと反応する。私は「ワッ!」と大声で驚かされるととてもビックリするタイプ(^^ゞ
もちろん音の正体は銃声ではなく和太鼓の最初の一拍。
梅林から広場に戻って和太鼓見物。
この大きさの太鼓だけで15台ほどあった。
最も近い太鼓までの距離は5メートルもない。
音とは空気の振動だと実感できるド迫力の大音響がこちらに向かってくる。
演奏は2チームの合奏。
左側のチームはメンバーが若い。
また曲ごとにメンバーが入れ替わり、
子供が太鼓を打つときもある。
逆に右側のチームはメンバーが固定だから体力的には大変だったかも知れない。
演奏は30分ほど続いた。
真横からバチさばきを観察。
腕の動きが速いので、シャッタースピード1/1000秒に設定して高速撮影。
一人だけタイミングがずれているのを発見(>_<)
大太鼓。
小太鼓。
ドラムのタムタムのように並んでいるが、それとは違って口径はどれも同じように見える。
後ろ姿。こういうファッションを見るとどうしても「夜露死苦」「愛羅武勇」「仏恥義理」などヤンキー漢字を思い浮かべてしまう(^^ゞ 法被に書かれた文字をヒントに検索すると、このチームの名前は鼓粋若衆 板橋 轟太鼓とわかった。
こちらのチーム名は不明。バチをクルクル回したり轟太鼓とは叩き方が違うから、そのジュニアチームではないと思う。
前から見ていると太鼓があって気付きにくいものの、和太鼓はかなり大股開きの体勢で叩いている。それにしても彼らの和柄のシャツはちょっといいね。私が着たら「その筋」の人に見える危険性があるからビミョーかもーーー
ウメはあまり見応えがなかったけれど、
和太鼓のリズムを全身に浴びて身体が活性化したような気がする。
ーーー続く
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│お花畑探訪