2024年03月06日
東京大仏
2月24日に板橋区の赤塚溜池公園&赤塚公園・城址地区で開催された赤塚梅まつりで、ウメと和太鼓と武者行列を見てきた続き。奈良と鎌倉の大仏は知っていても、東京に大仏があるとは初耳。公園の場所を確認するために地図を見ていてたまたま見つけた。梅まつりの会場からはすぐ近くなのでついでに立ち寄り。
赤塚溜池公園を出て南に進む。
道路に東京大仏通りと名前が付いている。
通り(どおり)なんだから dori ではなく長音記号をつけて dōri あるいはdohri にすべきだし、St.(ストリートの省略形)をつけるのは表現が重複していると思うゾ。(o の上につけた長音記号がご覧のパソコンやスマホで表示されていなければゴメン)
5分ほど歩くと「不動の滝」なるものが道沿いにあった。
名前と説明看板は立派だが、
水細っ!
落差もたったこれだけ。
(最初の写真を拡大すればスケール感がよくわかる)
これで賽銭を集めようなんて、どれだけ厚かましい魂胆?
ところでここは寺や神社の境内でもないのに、この賽銭箱は誰が管理して、そのお金を使っているのか。宗教施設じゃないから、その収益には税金が掛かるのかーーーまっ、どうでもいいか(^^ゞ
看板に書かれている水垢離(みずごり)とは、神仏に祈願する前に冷水を浴びて身を清める儀式。ここでの水垢離がいわゆる滝行か、あるいは溜まった水を汲んで使ったのかはわからないとしても、江戸時代にはそれなりの水量があったと思われる。都市の近代化が進めば地下水は分断されるし舗装で地下にしみこむ水量も減る。こんなチョロチョロでも残ってるだけアリガタヤではある。
ちなみにこの不動の滝は2003年に東京都環境局が選定した「東京の名湧水57選」に入っている。これでも名湧水なのだから、それだけ湧水が少ない裏返しかも知れない。また環境局のホームページには「東京の名湧水57選は飲用に適することを保証するものではありません。」と赤文字で目立つように注意書きがなされている。飲めもしない湧水のどこが「名」なのかと釈然としない気持ち。
不動の滝から50mほど歩くと道路の右側奥にウメに隠れた大仏が見えてきた。
大仏への道案内はないものの、
この赤塚植物園の標識を右折してすぐに東京大仏に到着。
入門終了は午後3時45分と早め。
そして何かと注意書きの多い寺である。タバコは電子タバコもダメと説明が細かい。ところで禁煙のアイコンの下に描かれているのは電子タバコではなくて、シーシャ(水タバコ)じゃないかな。シーシャと電子タバコは別物。
さらに注目は注意書きの一番左にある「チェアリング」。そのチェアリングとは
折りたたみ式のアウトドアチェアに、
おもに公園や川辺など、自宅からそれほど遠くないアウトドアで
座ってリラックスする
の意味。2016年の雑誌の企画から生まれた言葉。
もちろん和製英語であり、最近はチェア活と呼ばれたりもする。
そのチェア活を寺でするヤツがそんなにいるとは思えないが。シーシャもチェアリングも一般的な認知度はそれほど高くない単語。それをデカデカと入り口に注意書きとして張り出すとは、この寺の住職あるいは関係者はよほど気難しい人物なのかも知れない。
この注意書きからも「一切お断りします!」のビックリマークに、
その強い意志が伺えるような。
山門と金網越しの仁王像。
仁王像って、やたら乳首が強調されているのが多い。
ここのはそうでもなかった。
さらに階段を上る。ここは赤塚梅まつりで武者行列を見た赤塚城が廃城になるまで、その三の丸などがあった土地。それで少し高い位置に寺がある。
乗蓮寺(じょうれんじ)の創建は室町時代前半とされ関東ではかなりの古刹に属する。現在の地から南東に約6kmほどに建てられて、江戸時代初期にそのすぐそばに移転。そして1973年(昭和52年)に首都高建設と国道17号拡幅によってこちらに再移転。それからは51年だから寺の雰囲気としてはまだ新しい。
階段を上ると正面に本堂があって、
回れ右をすると大仏様。
1977年(昭和52年)の開眼で大きさは基壇(土台)2m、蓮台2.3m、座高8.2mの合計12.5m。仏の種類は阿弥陀如来(あみだ にょらい)。寺のホームページに「完成時には奈良と鎌倉の大仏に次いで日本で3番目の大きさ」とある。しかし座像に限っても1977年以前に日本寺大仏、別府寺大仏、白馬大仏、聚楽園大仏、布袋の大仏など15m越えの大仏はいくつもあるので、それはいささか誇大表現が過ぎる。
あまり本当のことを書いてバチが当たると困るので、
それは忘れて正面から眺めましょう。
まあ充分に大きいよ。
ちなみに大仏とは釈迦の身長が丈六=1丈6尺=約4.8mあったので、それ以上の大きさで作られた仏像を指す。座像ならその半分の2.4mが基準。4.8mちょうどの等身大なら丈六仏(じょうろくぶつ)と呼ぶ。もちろん身長が4.8mなんてあり得ないが、弥勒菩薩が56億7千万年後の未来に降臨する、極楽浄土は十万億仏国土の彼方など仏教は数字を大きく盛りがちな宗教。
もっと近づいて。
1977年に完成したから47年間も雨ざらしなのに、つい最近できたかのような印象を受ける。クリーニングやメンテナンスのレベルは高い。
なお写真でわかるように大仏に乳首はない。というか先ほど書いた仁王像以外の仏像は乳首をつけない。理由は知らないが他の仏像に乳首がないのより、仁王像だけに乳首をつけたりそれを強調するのが不思議。なぜか乳首にこだわるワタシ(^^ゞ
天保の大飢饉(1833〜1839年)は江戸時代四大飢饉のひとつ。
大塩平八郎の乱の原因ともなった。
この供養塔は江戸時代に寺のあった宿場町内で亡くなった人を弔うために建立したとされ、423人の戒名が刻まれている(上の写真を拡大すればうっすらと見える)。それが今でも残っているのはよいこととして、185年以上も前の天保の大飢饉を「忘れまい」と、つい最近の出来事のような、そしてそれを知っているのが前提のような表現をするのは文章センスとして微妙で心に響かないね。
他にも大仏の周りにいろいろ。
役小角(えん の おづぬ)は別名が役行者(えん の ぎょうじゃ)で、そちらの方がおそらく一般的。修験道の開祖で、日本各地に言い伝えが残るのでよく耳にする人物。7世紀に実在したとされるものの、2匹の鬼を子分にしていたとか、伊豆大島に流罪にされたのに毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、その人物像は奇想天外な話ばかり。しかしーーーだからこそ名前が残るのが人の世の常。
大仏の隣にあった池。
弁天堂は金ピカ。
金箔かどうかまではわからず。
再びの大仏様はお背中から。
真横からも眺めると姿勢良し。
仏像の手の形は印相(いんそう または いんぞう)と呼び、その種類(結び方という)で仏のメッセージを表している。東京大仏の印相は阿弥陀如来特有の阿弥陀定印。これは「瞑想中あるいは最高の悟りの状態」を示している。
鎌倉の大仏も同じ形。
奈良の大仏は右手が「畏れるな」、左手は「願いを聞き入れる」の意味。
もちろん手の組み方で仏のメッセージがわかるとは人間が考えたファンタジー。
でもそれを言い出すとーーー以下、自粛。
蓮の花は平たくデフォルメされた形。
あまりカブリツキよりも、
これくらいの距離感で眺めるのがよかったし有り難みも感じる。
東京大仏は知名度は低くて交通の便も悪いけれど、もし近くに来る機会があれば、美しくて迫力もあるから訪れてガッカリすることはないよ。
赤塚溜池公園を出て南に進む。
道路に東京大仏通りと名前が付いている。
通り(どおり)なんだから dori ではなく長音記号をつけて dōri あるいはdohri にすべきだし、St.(ストリートの省略形)をつけるのは表現が重複していると思うゾ。(o の上につけた長音記号がご覧のパソコンやスマホで表示されていなければゴメン)
5分ほど歩くと「不動の滝」なるものが道沿いにあった。
名前と説明看板は立派だが、
水細っ!
落差もたったこれだけ。
(最初の写真を拡大すればスケール感がよくわかる)
これで賽銭を集めようなんて、どれだけ厚かましい魂胆?
ところでここは寺や神社の境内でもないのに、この賽銭箱は誰が管理して、そのお金を使っているのか。宗教施設じゃないから、その収益には税金が掛かるのかーーーまっ、どうでもいいか(^^ゞ
看板に書かれている水垢離(みずごり)とは、神仏に祈願する前に冷水を浴びて身を清める儀式。ここでの水垢離がいわゆる滝行か、あるいは溜まった水を汲んで使ったのかはわからないとしても、江戸時代にはそれなりの水量があったと思われる。都市の近代化が進めば地下水は分断されるし舗装で地下にしみこむ水量も減る。こんなチョロチョロでも残ってるだけアリガタヤではある。
ちなみにこの不動の滝は2003年に東京都環境局が選定した「東京の名湧水57選」に入っている。これでも名湧水なのだから、それだけ湧水が少ない裏返しかも知れない。また環境局のホームページには「東京の名湧水57選は飲用に適することを保証するものではありません。」と赤文字で目立つように注意書きがなされている。飲めもしない湧水のどこが「名」なのかと釈然としない気持ち。
不動の滝から50mほど歩くと道路の右側奥にウメに隠れた大仏が見えてきた。
大仏への道案内はないものの、
この赤塚植物園の標識を右折してすぐに東京大仏に到着。
入門終了は午後3時45分と早め。
そして何かと注意書きの多い寺である。タバコは電子タバコもダメと説明が細かい。ところで禁煙のアイコンの下に描かれているのは電子タバコではなくて、シーシャ(水タバコ)じゃないかな。シーシャと電子タバコは別物。
さらに注目は注意書きの一番左にある「チェアリング」。そのチェアリングとは
折りたたみ式のアウトドアチェアに、
おもに公園や川辺など、自宅からそれほど遠くないアウトドアで
座ってリラックスする
の意味。2016年の雑誌の企画から生まれた言葉。
もちろん和製英語であり、最近はチェア活と呼ばれたりもする。
そのチェア活を寺でするヤツがそんなにいるとは思えないが。シーシャもチェアリングも一般的な認知度はそれほど高くない単語。それをデカデカと入り口に注意書きとして張り出すとは、この寺の住職あるいは関係者はよほど気難しい人物なのかも知れない。
この注意書きからも「一切お断りします!」のビックリマークに、
その強い意志が伺えるような。
山門と金網越しの仁王像。
仁王像って、やたら乳首が強調されているのが多い。
ここのはそうでもなかった。
さらに階段を上る。ここは赤塚梅まつりで武者行列を見た赤塚城が廃城になるまで、その三の丸などがあった土地。それで少し高い位置に寺がある。
乗蓮寺(じょうれんじ)の創建は室町時代前半とされ関東ではかなりの古刹に属する。現在の地から南東に約6kmほどに建てられて、江戸時代初期にそのすぐそばに移転。そして1973年(昭和52年)に首都高建設と国道17号拡幅によってこちらに再移転。それからは51年だから寺の雰囲気としてはまだ新しい。
階段を上ると正面に本堂があって、
回れ右をすると大仏様。
1977年(昭和52年)の開眼で大きさは基壇(土台)2m、蓮台2.3m、座高8.2mの合計12.5m。仏の種類は阿弥陀如来(あみだ にょらい)。寺のホームページに「完成時には奈良と鎌倉の大仏に次いで日本で3番目の大きさ」とある。しかし座像に限っても1977年以前に日本寺大仏、別府寺大仏、白馬大仏、聚楽園大仏、布袋の大仏など15m越えの大仏はいくつもあるので、それはいささか誇大表現が過ぎる。
あまり本当のことを書いてバチが当たると困るので、
それは忘れて正面から眺めましょう。
まあ充分に大きいよ。
ちなみに大仏とは釈迦の身長が丈六=1丈6尺=約4.8mあったので、それ以上の大きさで作られた仏像を指す。座像ならその半分の2.4mが基準。4.8mちょうどの等身大なら丈六仏(じょうろくぶつ)と呼ぶ。もちろん身長が4.8mなんてあり得ないが、弥勒菩薩が56億7千万年後の未来に降臨する、極楽浄土は十万億仏国土の彼方など仏教は数字を大きく盛りがちな宗教。
もっと近づいて。
1977年に完成したから47年間も雨ざらしなのに、つい最近できたかのような印象を受ける。クリーニングやメンテナンスのレベルは高い。
なお写真でわかるように大仏に乳首はない。というか先ほど書いた仁王像以外の仏像は乳首をつけない。理由は知らないが他の仏像に乳首がないのより、仁王像だけに乳首をつけたりそれを強調するのが不思議。なぜか乳首にこだわるワタシ(^^ゞ
天保の大飢饉(1833〜1839年)は江戸時代四大飢饉のひとつ。
大塩平八郎の乱の原因ともなった。
この供養塔は江戸時代に寺のあった宿場町内で亡くなった人を弔うために建立したとされ、423人の戒名が刻まれている(上の写真を拡大すればうっすらと見える)。それが今でも残っているのはよいこととして、185年以上も前の天保の大飢饉を「忘れまい」と、つい最近の出来事のような、そしてそれを知っているのが前提のような表現をするのは文章センスとして微妙で心に響かないね。
他にも大仏の周りにいろいろ。
役小角(えん の おづぬ)は別名が役行者(えん の ぎょうじゃ)で、そちらの方がおそらく一般的。修験道の開祖で、日本各地に言い伝えが残るのでよく耳にする人物。7世紀に実在したとされるものの、2匹の鬼を子分にしていたとか、伊豆大島に流罪にされたのに毎晩歩いて海を渡り富士山頂まで登っていたとか、その人物像は奇想天外な話ばかり。しかしーーーだからこそ名前が残るのが人の世の常。
大仏の隣にあった池。
弁天堂は金ピカ。
金箔かどうかまではわからず。
再びの大仏様はお背中から。
真横からも眺めると姿勢良し。
仏像の手の形は印相(いんそう または いんぞう)と呼び、その種類(結び方という)で仏のメッセージを表している。東京大仏の印相は阿弥陀如来特有の阿弥陀定印。これは「瞑想中あるいは最高の悟りの状態」を示している。
鎌倉の大仏も同じ形。
奈良の大仏は右手が「畏れるな」、左手は「願いを聞き入れる」の意味。
もちろん手の組み方で仏のメッセージがわかるとは人間が考えたファンタジー。
でもそれを言い出すとーーー以下、自粛。
蓮の花は平たくデフォルメされた形。
あまりカブリツキよりも、
これくらいの距離感で眺めるのがよかったし有り難みも感じる。
東京大仏は知名度は低くて交通の便も悪いけれど、もし近くに来る機会があれば、美しくて迫力もあるから訪れてガッカリすることはないよ。
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