2024年06月06日
ブラフ99ガーデン&外国人墓地
(5月10日の横浜バラツアーその2)
アメリカ山公園の駅とは反対側の出入り口。
こちら側が正門でエントランスと名付けられている。
180度向きを変えた光景。
右側に樹木が茂っているのは外国人墓地。
フェンスの隙間からお墓が見える。
しばらく進むと左手側に横浜地方気象台。
写真右側にある建物は日差しを浴びて真新しそうに見えるけれど1927年(昭和2年)の竣工。アールデコの建築様式で横浜市の有形文化財に指定されている。内部がけっこうレトロでいい感じらしい。一般公開されているからそのうち見に行きましょう。
気象台を過ぎると山手本通りに出る。写真右側から中央に延びているのはアメリカ山公園から歩いてきた道路。公園にもあったベニバナトチノキはこちらの方がきれいに咲いていた。
ところで上の写真を撮ったのは、写真を見てわかるように道路から少し高くなった場所で、そこが小さな公園のようになっている。
山手本通りはその昔にクルマでよく通った場所。
こんな公園があったっけ?と思って調べると、これは
2014年4月に
横浜税関の山手プール跡地に造られた
ブラフ99ガーデンという公園で
敷地は約1000平米
港の見える丘公園の「飛び地」扱いで横浜市営公園
山手の洋館の前庭をイメージして設計された
とわかった。
それはそうだとして何だその「横浜税関の山手プール」って?
これが調べてもなかなかわからない。プールとは泳ぐプールなのか。またプール pool には貯める蓄えるの意味もある。なら保税倉庫か。でも保税倉庫の英訳でプールを使った単語はない。
するとあるサイトに税関宿舎プール跡地との記述があった。プール付きの公務員官舎だったとしたら、どんだけ贅沢? またあるサイトには税関職員に向けた訓練用施設と書いてある。しかし横浜市公園緑地事業課のホームページに、ブラフ99ガーデンは旧横浜税関山手宿舎跡地とあるから訓練施設ではなかったと思われる。それに税関職員の訓練にどうしてプールが必要なのだ。密輸犯が船から飛び降りて泳いで逃げるのを捕まえるため? どうにもナゾ
ちなみに公園名のブラフ Bluff とはハッタリや脅しではもちろんなく、同じスペルでも絶壁や切り立った崖との意味。明治時代に居留地に住んでいた外国人が、小高い地形の山手地区をブラフと呼んでいたとのこと。そしてここが山手町99番地なのでブラフ99。
それはさておき、ここにもバラがきれいに植えられている。
アメリカ山公園にはなかった色も。
さてここから山手本通りを、
山手イタリア山庭園まで下っていく。
右側に広がるのは外国人墓地で、
ここがメインゲートの山手門。
入れるのは門の先の写真で見えているところまで。
土日祝日なら500円ほどの寄付金を払えば墓地内の一部を散策できる。
中には入らなくても山手本通りを歩けば、
チラチラとその雰囲気を眺められる。
最初はペリーが2度目に来航した1854年に、マストから転落死した水兵を埋葬したのが始まり。当時このあたりは寺の境内だった。それからも外国人死者がその近くに埋葬されたので、日本人の墓を移転して1861年に外国人専用の墓地となる。横浜が開港して居留地が出来たのは1859年なので墓地の開園は驚くほど早い。
そんなにすぐ死ぬ健康状態の人が、はるばる日本に多くやって来たのかと最初は疑問だった。しかし攘夷派の武士によって殺害された外国人も多く、幕府としてはその賠償の意味もあって墓地の整備に力を貸す必要があったのだろう。徐々に拡大して現在の規模になったのは1880年(明治13年)。
広さは約1.85ヘクタール。Wikipediaによれば「19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている」とある。もう少し詳しい資料によると2009年の段階で埋葬されているのは約4870人。そのうち縁故者に連絡が付かず無縁仏状態になっているのは8割以上にのぼる。まあ江戸や明治時代の昔に遠い外国の日本で死んだ人たちの墓だから仕方ないか。
ただし現在でも墓地の購入は可能。
購入するのに国籍宗教は問われないものの、埋蔵されるには
生前外国籍である
死亡した時の戸籍が神奈川県内
の条件が付く。また中国籍の場合は、中国人専用の外国人墓地があるのでここでは受け入れていない。生前外国籍で神奈川県内に戸籍が持つの意味がよくわからないが、ここに私の墓を建てる予定はないので詳しく調べていない(^^ゞ
ーーー続く
アメリカ山公園の駅とは反対側の出入り口。
こちら側が正門でエントランスと名付けられている。
180度向きを変えた光景。
右側に樹木が茂っているのは外国人墓地。
フェンスの隙間からお墓が見える。
しばらく進むと左手側に横浜地方気象台。
写真右側にある建物は日差しを浴びて真新しそうに見えるけれど1927年(昭和2年)の竣工。アールデコの建築様式で横浜市の有形文化財に指定されている。内部がけっこうレトロでいい感じらしい。一般公開されているからそのうち見に行きましょう。
気象台を過ぎると山手本通りに出る。写真右側から中央に延びているのはアメリカ山公園から歩いてきた道路。公園にもあったベニバナトチノキはこちらの方がきれいに咲いていた。
ところで上の写真を撮ったのは、写真を見てわかるように道路から少し高くなった場所で、そこが小さな公園のようになっている。
山手本通りはその昔にクルマでよく通った場所。
こんな公園があったっけ?と思って調べると、これは
2014年4月に
横浜税関の山手プール跡地に造られた
ブラフ99ガーデンという公園で
敷地は約1000平米
港の見える丘公園の「飛び地」扱いで横浜市営公園
山手の洋館の前庭をイメージして設計された
とわかった。
それはそうだとして何だその「横浜税関の山手プール」って?
これが調べてもなかなかわからない。プールとは泳ぐプールなのか。またプール pool には貯める蓄えるの意味もある。なら保税倉庫か。でも保税倉庫の英訳でプールを使った単語はない。
するとあるサイトに税関宿舎プール跡地との記述があった。プール付きの公務員官舎だったとしたら、どんだけ贅沢? またあるサイトには税関職員に向けた訓練用施設と書いてある。しかし横浜市公園緑地事業課のホームページに、ブラフ99ガーデンは旧横浜税関山手宿舎跡地とあるから訓練施設ではなかったと思われる。それに税関職員の訓練にどうしてプールが必要なのだ。密輸犯が船から飛び降りて泳いで逃げるのを捕まえるため? どうにもナゾ
ちなみに公園名のブラフ Bluff とはハッタリや脅しではもちろんなく、同じスペルでも絶壁や切り立った崖との意味。明治時代に居留地に住んでいた外国人が、小高い地形の山手地区をブラフと呼んでいたとのこと。そしてここが山手町99番地なのでブラフ99。
それはさておき、ここにもバラがきれいに植えられている。
アメリカ山公園にはなかった色も。
さてここから山手本通りを、
山手イタリア山庭園まで下っていく。
右側に広がるのは外国人墓地で、
ここがメインゲートの山手門。
入れるのは門の先の写真で見えているところまで。
土日祝日なら500円ほどの寄付金を払えば墓地内の一部を散策できる。
中には入らなくても山手本通りを歩けば、
チラチラとその雰囲気を眺められる。
最初はペリーが2度目に来航した1854年に、マストから転落死した水兵を埋葬したのが始まり。当時このあたりは寺の境内だった。それからも外国人死者がその近くに埋葬されたので、日本人の墓を移転して1861年に外国人専用の墓地となる。横浜が開港して居留地が出来たのは1859年なので墓地の開園は驚くほど早い。
そんなにすぐ死ぬ健康状態の人が、はるばる日本に多くやって来たのかと最初は疑問だった。しかし攘夷派の武士によって殺害された外国人も多く、幕府としてはその賠償の意味もあって墓地の整備に力を貸す必要があったのだろう。徐々に拡大して現在の規模になったのは1880年(明治13年)。
広さは約1.85ヘクタール。Wikipediaによれば「19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている」とある。もう少し詳しい資料によると2009年の段階で埋葬されているのは約4870人。そのうち縁故者に連絡が付かず無縁仏状態になっているのは8割以上にのぼる。まあ江戸や明治時代の昔に遠い外国の日本で死んだ人たちの墓だから仕方ないか。
ただし現在でも墓地の購入は可能。
購入するのに国籍宗教は問われないものの、埋蔵されるには
生前外国籍である
死亡した時の戸籍が神奈川県内
の条件が付く。また中国籍の場合は、中国人専用の外国人墓地があるのでここでは受け入れていない。生前外国籍で神奈川県内に戸籍が持つの意味がよくわからないが、ここに私の墓を建てる予定はないので詳しく調べていない(^^ゞ
ーーー続く
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