2024年06月07日

山手西洋館ブラブラ

(5月10日の横浜バラツアーその3)


さていよいよ西洋館巡り。
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地図


山手本通りを下って最初に現れるのがこの建物。
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実はここは西洋館ではなく1967年(昭和42年)に建てられたカフェ&フレンチレストランの山手十番館。お店のホームページを見たら5月は9日間、6月は7日間も「Lunch,Cafe 貸切」となっている。ウェディング用に貸し出しているのかな?


ところで西洋館といえば神戸北野の異人館も有名。
ただしこちら山手の西洋館とは建てられた年代が違う。

西洋館は洋館や洋風建築ともいうが、その定義は

   江戸時代末期の開国から第二次世界大戦までの時代に
   日本で建設された、西洋の建築様式を用いた建物で
   主として住宅を指す

さらに神戸では

   幕末期から明治期に建築された西洋館を異人館
   大正期から戦前昭和期に建築された西洋館を洋館

と区別している。

それで現在、
横浜で山手西洋館として公開されているのは7つあり、その竣工年は

 外交官の家     1910年 明治43年
 エリスマン邸    1926年 大正15年昭和元年
 山手111番館    1926年 大正15年昭和元年
 ブラフ18番館    関東大震災(1923年大正12年)より後 
 山手234番館    1927年 昭和2年
 ベーリック・ホール 1930年 昭和5年
 イギリス館     1937年 昭和12年

と比較的新しく、最も古い外交官の家でも明治43年と明治末期(明治は45年まで)。しかもこの家は施主が日本人の外交官で、渋谷の南平台に建てられたものを1997年(平成9年)に移築して山手の西洋館としている。ちょっとサギ(^^ゞ

ちなみに横浜山手に明治時代の西洋館が残っていないのは、関東大震災で壊滅的な被害を受けたから。なお横浜空襲で山手地区は標的から外されている。



さてカフェ&フレンチレストランの山手十番館の先にあるのが山手資料館。居留地だった頃から関東大震災までの横浜や山手に関する資料を展示している。前庭のバラがきれいだと聞いて昨年に訪れるつもりだったところ。ここは和洋折衷建築なので山手西洋館には数えられていない。しかし解説にあるように本牧からの移築だが、建てられたのは1909年(明治42年)と外交官の家より古い。
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バラ園の規模ではないものの、
自宅の庭にこれだけのバラが咲いていたら引きこもりになるなあ(^^ゞ
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解説があったので、とりあえず撮ってみた。
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山手本通りを少し下って元町公園前のバス停。
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その前にあるクラシックな建物は横浜山手聖公会。ノルマン様式という建築らしい。こういうのもあって異国情緒を味わえるのがこの通りの魅力。
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そしてバス停のそばにあったナゾの構造物。
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自働電話と書かれている。
なんじゃそれ?
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中を覗くとーーー
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これは1890年(明治23年)の横浜〜東京間の電話交換業務開始100年を記念して、NTTが1990年(平成2年)に設置した公衆電話。横浜の各地に様々なデザインの公衆電話ボックスがあるみたい。ここのは灯台がモチーフに思えるが、そうではなく当時はこれが最も一般的な公衆電話ボックスの形。 

そして自働電話とは

  1900年(明治33年)に公衆電話を設置し始めたとき、アメリカ製の電話機を導入
  それがなぜかオートマチック・テレホンとの名前で
  それを直訳して公衆電話を自働電話と名付けた。

  ただしまったくオートマチックではなく
  交換手を呼び出してつないでもらう電話初期の方式

  大正14年に電話網にダイヤル式の自動交換方式採用。
  それと自働電話とが紛らわしいので公衆電話と名前を変更

との歴史。

それにしてもどうしてオートマチックを自動ではなく自働の漢字にしたのだろう。それとレプリカとして置いてある昔の「自働電話」が、あまりに雑に省略された作りで、これならレトロデザインの電話ボックスだけでいいレベル。



本日の西洋館1軒目は山手234番館。
名前に数字がある場合は山手町◯◯◯番地の意味。
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関東大震災で横浜に住む外国人は7650人から2156人に激減。ここは彼らを呼び戻す復興事業のひとつとして建てられた外国人向け共用住宅=アパートメント。ただし公営ではなく民間事業として。同じ3LDKの間取りが左右対称に1階と2階にふたつずつ合計4世帯分。専有面積は1戸当たり約100平米。当時の日本人の共同住宅はその1/3ほどの広さ。

1980年(昭和55年)頃まで使用され、1989年(平成元年)に横浜市が取得。
1999年(平成11年)から一般公開。
取得してから10年間は何をしていたのだろう。


館内は「まあこんな感じね」レベルでそれほど面白くなかった。
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でも外観デザインは素敵だったので、
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全部見てやろうと、
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建物の反対側に来ると、
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そこそこ広い裏庭があるのを発見!
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バラも咲いていたし、
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アヤメも久しぶりに見られた。
ここに来たら裏庭もお見逃しなく。
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グルッと1周。
ファサードの造りは何となくアメリカっぽい。
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山手234番館の隣にあるのは「えの木てい」というスイーツのお店。3段重ねのティースタンドで提供されるアフタヌーンティーも楽しめる。
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ところで最初に紹介したカフェ&フレンチレストランの山手十番館は、1967年(昭和42年)に建てられたパチもんの西洋館風建築だが、この「えの木てい」は山手234番館と同じ1927年(昭和2年)に同じ建築家によって設計された本物の西洋館。上に示した地図には載っていないが、横浜市観光協会のホームページでは山手西洋館として紹介されている。

建物は昭和の後半に日本人夫妻の手に渡り、その妻がリビングでカフェを始めたのが「えの木てい」の始まり。オープンは1979年(昭和54年)。



ーーー続く


<補足>
山手十番館の十番は番地ではなく、その経営母体が出店する10番目の店だったから。
それを西洋館風のネーミングに仕立てたと思われる。

wassho at 20:45│Comments(0) イベント、旅行 | お花畑探訪

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