2024年06月09日
山手西洋館ブラブラ その2
(5月10日の横浜バラツアーその4)
本日の西洋館2軒目はエリスマン邸。
これは元町公園の一角にある。
実は最初に訪れた山手234番館は道路を挟んで元町公園の向かい、この次のべーリリックホールは公園の隣だけれど、どれも元町公園に所属する施設ということになっている。
山手本通りからエントランスに向かう通路。
竣工は1926年(昭和元年)で、スイス人絹糸貿易商フリッツ・エリスマンの自宅として、ここより400mほど離れた場所に建築。1982年(昭和57年)にマンションへ建て替えられる際に、横浜市が建物を解体・保存し、1990年(平成2年)に元町公園に移築・復元の経緯を持つ。
前回に書いた山手234番館も横浜市が1989年(平成元年)に買い取り、改修工事をして1999年(平成11年)に公開と10年かかっている。けっこう仕事遅いね。
ルーバーなどがペパーミントグリーンに塗られていて爽やか。
でも自分の家ならちょっと恥ずかしいかも(^^ゞ
内部の様子。
ウッディー感があってリッチな雰囲気でも、どちらかといえばシンプルなデザイン。
この手の洋館ではお約束のサンルーム。
2階に上がる。
おそらく壁を取り払って広くした部屋に模型やジオラマが展示されていた。
なぜか窓の位置がちょっと低い。
エリスマン邸で最も印象的だったのはこの2階の広い廊下。
日本の家ならかなりの豪邸でもこの幅はない。
もちろん廊下をどれだけ広く取れるかは家の広さによる。それでこのエリスマン邸の面積だがどこを調べても出てこない。あるのは建築面積約81坪との情報だけ。
ただしそれは建築当時の数字で付属の和風建築部分を含んでいて、それは移築・復元されていない。それに建築面積とは建物を真上から見たときの面積。住宅の場合、普通は2階より1階のほうが広いから1階の床面積となる。
そこで和風建築部分を適当に15坪だったと仮定して、それを差し引くと66坪。これまた適当に2階は1階より10%狭くて60坪だとすると、合計の延べ床面積は126坪=417平米。これは超豪邸のレベル。それくらいでないとこの廊下は作れないとわかってショボーン(^^ゞ
廊下にあった小屋根裏部屋のプレート。
とても興味を引かれたのに残念ながら鍵がかかっていた。
エリスマン邸を出て、
その向かいにあるのは雙葉(ふたば)学園。
名門の女子中学・高校で小学校や幼稚園もある。幼稚園は共学でも小学校は女子のみ。いわゆるミッション系。ミッション mission とは使命や任務→伝道・布教なので仏教系の学校も含まれるはずなのに、とりあえず日本語ではキリスト教系専用用語。
なお雙葉とは双葉の古い書き方で、植物が芽を出した後に最初に出来る葉。
転じて人の幼少期も意味する。
雙葉は東京の四谷と田園調布、また静岡と福岡にも姉妹校がある。なぜかそれぞれ別々の学校法人が運営。四谷が雙葉でこちらが横浜雙葉だから四谷が本店なのかな。女子校御三家に入っているのも四谷だし。沿革を見ると1872年(明治5年)に来日したフランス人修道女の活動が起源。それで
東京四谷
1875年(明治8年):築地語学校設立
1909年(明治42年):雙葉高等女学校設立
横浜
1872年(明治5年):サンモール・インターナショナルスクール設立
1900年(明治33年):横浜紅蘭女学校設立
1951年(昭和26年):雙葉に校名変更→1958年(昭和33年)横浜雙葉に校名変更
と、どちらが先かは微妙なところ。田園調布は昭和になってから四谷の分校としてスタート。静岡は意外と早く1903年(明治36年)に仏英女学校として設立されている。福岡ができたのは1933年(昭和8年)。ちなみに雅子皇后は田園調布雙葉の小中高からハーバード、美智子上皇后は雙葉小学校から聖心の中高大をご卒業。
さて本日3軒目のべーリック・ホール。
この小径をを抜けると、
ドカーンと目に飛び込んでくる、いかにもスペイン風の建物。
よってカリフォルニアっぽく感じるのがクロスオーバーした現代のややこしさ。
現存する山手西洋館の中では最も大きく敷地面積2052平米(621坪)、建築面積283平米、延べ床面積654平米。
由来の説明書き。
ホールとの名前だが個人の邸宅である。カトリック・マリア会に寄贈されたときにベーリック・ホールと名付けられたみたい。それにしても施主の名前はバートラム・ロバート・ベリック(Berrick)なのに、それがなぜべーリックと長くなったのか不思議。(パネルにも名前はベリックと書かれている)
さすがに654平米もあると個人の家とは思えないくらい広々としている。
30人くらいは呼べそう。
ダイニングからキッチンに抜けると、
レトロな流し台があった。
地下にも降りられる。
古そうなものがいろいろ。
こういうデコレーションが古い建物ならではのよさ。
この階段のカーペット押さえは東京都庭園美術館=旧朝香宮邸で見て以来。べーリックホールが1930年(昭和5年)、宮邸は1933年(昭和8年)と同じ時期の建物だから、当時の大邸宅での仕様だろう。
2階の廊下はそれほど広くはなかった。
寝室にサンルーム付きの贅沢さ!
バスルームにも暖房完備。
床のタイルがオシャレ。
おそらく当時の日本家屋には絶対になかったウォークインクローゼット。
書斎。
子供部屋。
バスタブのサイズは同じだった。
1階の大広間に戻って先ほどとは反対方向から。
隣にあるのはサンルームぽいけれど、ここは北側だからかパームルームと書かれていた。でも三方向に窓があるので明るい。パーム palm とは植物の椰子(ヤシ)。冬には暖房をガンガンに効かせて温室にしていたのだろうか。
レトロなライオンの蛇口も温室なら雰囲気に似合いそう。
この日に見た西洋館の中では一番よかったべーリック・ホール。
どこかひとつだけ行くならここがお勧め。
なおどこも無料で入れる。
ただし靴を脱いでスリッパに履き替えなければならないのが面倒。
西洋館なのに(/o\)
ーーー続く
本日の西洋館2軒目はエリスマン邸。
これは元町公園の一角にある。
実は最初に訪れた山手234番館は道路を挟んで元町公園の向かい、この次のべーリリックホールは公園の隣だけれど、どれも元町公園に所属する施設ということになっている。
山手本通りからエントランスに向かう通路。
竣工は1926年(昭和元年)で、スイス人絹糸貿易商フリッツ・エリスマンの自宅として、ここより400mほど離れた場所に建築。1982年(昭和57年)にマンションへ建て替えられる際に、横浜市が建物を解体・保存し、1990年(平成2年)に元町公園に移築・復元の経緯を持つ。
前回に書いた山手234番館も横浜市が1989年(平成元年)に買い取り、改修工事をして1999年(平成11年)に公開と10年かかっている。けっこう仕事遅いね。
ルーバーなどがペパーミントグリーンに塗られていて爽やか。
でも自分の家ならちょっと恥ずかしいかも(^^ゞ
内部の様子。
ウッディー感があってリッチな雰囲気でも、どちらかといえばシンプルなデザイン。
この手の洋館ではお約束のサンルーム。
2階に上がる。
おそらく壁を取り払って広くした部屋に模型やジオラマが展示されていた。
なぜか窓の位置がちょっと低い。
エリスマン邸で最も印象的だったのはこの2階の広い廊下。
日本の家ならかなりの豪邸でもこの幅はない。
もちろん廊下をどれだけ広く取れるかは家の広さによる。それでこのエリスマン邸の面積だがどこを調べても出てこない。あるのは建築面積約81坪との情報だけ。
ただしそれは建築当時の数字で付属の和風建築部分を含んでいて、それは移築・復元されていない。それに建築面積とは建物を真上から見たときの面積。住宅の場合、普通は2階より1階のほうが広いから1階の床面積となる。
そこで和風建築部分を適当に15坪だったと仮定して、それを差し引くと66坪。これまた適当に2階は1階より10%狭くて60坪だとすると、合計の延べ床面積は126坪=417平米。これは超豪邸のレベル。それくらいでないとこの廊下は作れないとわかってショボーン(^^ゞ
廊下にあった小屋根裏部屋のプレート。
とても興味を引かれたのに残念ながら鍵がかかっていた。
エリスマン邸を出て、
その向かいにあるのは雙葉(ふたば)学園。
名門の女子中学・高校で小学校や幼稚園もある。幼稚園は共学でも小学校は女子のみ。いわゆるミッション系。ミッション mission とは使命や任務→伝道・布教なので仏教系の学校も含まれるはずなのに、とりあえず日本語ではキリスト教系専用用語。
なお雙葉とは双葉の古い書き方で、植物が芽を出した後に最初に出来る葉。
転じて人の幼少期も意味する。
雙葉は東京の四谷と田園調布、また静岡と福岡にも姉妹校がある。なぜかそれぞれ別々の学校法人が運営。四谷が雙葉でこちらが横浜雙葉だから四谷が本店なのかな。女子校御三家に入っているのも四谷だし。沿革を見ると1872年(明治5年)に来日したフランス人修道女の活動が起源。それで
東京四谷
1875年(明治8年):築地語学校設立
1909年(明治42年):雙葉高等女学校設立
横浜
1872年(明治5年):サンモール・インターナショナルスクール設立
1900年(明治33年):横浜紅蘭女学校設立
1951年(昭和26年):雙葉に校名変更→1958年(昭和33年)横浜雙葉に校名変更
と、どちらが先かは微妙なところ。田園調布は昭和になってから四谷の分校としてスタート。静岡は意外と早く1903年(明治36年)に仏英女学校として設立されている。福岡ができたのは1933年(昭和8年)。ちなみに雅子皇后は田園調布雙葉の小中高からハーバード、美智子上皇后は雙葉小学校から聖心の中高大をご卒業。
さて本日3軒目のべーリック・ホール。
この小径をを抜けると、
ドカーンと目に飛び込んでくる、いかにもスペイン風の建物。
よってカリフォルニアっぽく感じるのがクロスオーバーした現代のややこしさ。
現存する山手西洋館の中では最も大きく敷地面積2052平米(621坪)、建築面積283平米、延べ床面積654平米。
由来の説明書き。
ホールとの名前だが個人の邸宅である。カトリック・マリア会に寄贈されたときにベーリック・ホールと名付けられたみたい。それにしても施主の名前はバートラム・ロバート・ベリック(Berrick)なのに、それがなぜべーリックと長くなったのか不思議。(パネルにも名前はベリックと書かれている)
さすがに654平米もあると個人の家とは思えないくらい広々としている。
30人くらいは呼べそう。
ダイニングからキッチンに抜けると、
レトロな流し台があった。
地下にも降りられる。
古そうなものがいろいろ。
こういうデコレーションが古い建物ならではのよさ。
この階段のカーペット押さえは東京都庭園美術館=旧朝香宮邸で見て以来。べーリックホールが1930年(昭和5年)、宮邸は1933年(昭和8年)と同じ時期の建物だから、当時の大邸宅での仕様だろう。
2階の廊下はそれほど広くはなかった。
寝室にサンルーム付きの贅沢さ!
バスルームにも暖房完備。
床のタイルがオシャレ。
おそらく当時の日本家屋には絶対になかったウォークインクローゼット。
書斎。
子供部屋。
バスタブのサイズは同じだった。
1階の大広間に戻って先ほどとは反対方向から。
隣にあるのはサンルームぽいけれど、ここは北側だからかパームルームと書かれていた。でも三方向に窓があるので明るい。パーム palm とは植物の椰子(ヤシ)。冬には暖房をガンガンに効かせて温室にしていたのだろうか。
レトロなライオンの蛇口も温室なら雰囲気に似合いそう。
この日に見た西洋館の中では一番よかったべーリック・ホール。
どこかひとつだけ行くならここがお勧め。
なおどこも無料で入れる。
ただし靴を脱いでスリッパに履き替えなければならないのが面倒。
西洋館なのに(/o\)
ーーー続く
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