2024年07月04日

祇園精舎の不覚 (鳥羽伏見の戦い編)

いわゆる常識となっている事柄でも、内容を勘違いしているのはままあること。このブログでも過去に「忍者とダ・ヴィンチ・コード」「皇居見物 そして、ああ勘違い」などで紹介してきた。


恥を忍んで(^^ゞ おさらいすると、
まずは幕末の「鳥羽伏見の戦い」。

0鳥羽伏見の戦い浮世絵

歴史の授業では必ず習う薩長を中心とした新政府軍と旧幕府軍が戦った内戦。その後の戊辰戦争の始まりでもある。実際には旧幕府軍が大阪から京都へ攻め上る戦いなのだが、なぜかそれを江戸から海路で三重県の鳥羽に入って一戦交え、その後に鈴鹿山脈を越えて京都の伏見でまた戦ったと勘違いしていた。しかし鳥羽伏見の鳥羽とは京都の地名(/o\)

勘違いした理由は伏見といえば京都でも、
鳥羽といえば伊勢にある鳥羽しか思い浮かばなかったから。


世間一般では伊勢志摩との表現が有名なものの、
鳥羽市は伊勢市と志摩市に挟まれた位置にある。
1三重県鳥羽


市全体が伊勢志摩国立公園に指定され、また海女さんが海に潜って真珠の入ったアコヤ貝を採ってくるショーをやっているミキモトの真珠島もあるところ。小学校の修学旅行でも訪れた。少なくとも関西では鳥羽は伊勢志摩とセットになった有名な観光地。それに対して京都の鳥羽なんて聞いたこともなかった。
2海女さん


地図は現在の京都市区分図。
中心となるのは中京区と下京区。
3京都市区分

鳥羽伏見の戦いの当時、鳥羽は上鳥羽と下鳥羽があって、上鳥羽は地図で南区の「区」の文字があるあたり。名神の京都南インターの少し北側。下鳥羽はその下で現在は伏見区に入っている。


こちらは両軍の移動経路。画像はhttps://love-japanese-history.com/ikusa%EF%BD%B0tobahushiminotatakai/から引用
4戦闘経路

大阪から上ってきた旧幕府軍は淀の先で二手に分かれ、南下してきた新政府軍と交戦する。地図で示されている両軍が相まみえた左側の地点が鳥羽、右側が伏見であり、その地名をとって鳥羽伏見の戦い。

でもこの両地点は3kmも離れていない。実質的には同じエリアでの戦闘。記録では鳥羽からドンパチの音が聞こえたので伏見でも戦闘が始まったとある。

だったら鳥羽みたいなマイナーな地名は使わず「伏見の戦い」でいいじゃん!
ーーーと悔し紛れに常々思っている(^^ゞ

鳥羽伏見の戦いは旧幕府軍が敗退し江戸城開城につながった経緯が重要なのであって、歴史の授業で戦闘場所までは習わない。多くの人が鳥羽伏見の戦いの名前くらいは知っていると思うが、どれくらいの人が鳥羽を京都の地名だと正しく認識しているのだろう。もし過半数を超えていたら落ち込むな(/o\)



ーーー続く
祇園精舎の話はまだちょっと先

wassho at 19:06│Comments(0) ノンジャンル 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔