2024年07月08日

祇園精舎の不覚 その3

鳥羽伏見の戦い、伊賀と甲賀に続いて恥を忍んで告白する「ああ勘違い」パート3は皇居の二重橋。これは2015年に発覚。


皇居を訪れた経験がなくても、誰もが写真や映像でならば一度は見たことのある皇居のアイコンともいえるこの橋。これを二重橋だとずっと思っていたのに、そうじゃなかったとの話。
7石橋


上の橋の奥にあるこちらが二重橋。
8本当の二重橋

どうしてこれが二重橋の名前なのかは「皇居見物 そして、ああ勘違い」に書いたからそちらを読んで欲しい。https://wassho.livedoor.blog/archives/53113149.html

ただし多くの人が最初の橋を二重橋と思っているようで、ネットで検索すれば同じような事例がたくさん出てくる。何となくトラウマになっている鳥羽伏見の戦い、伊賀と甲賀とは違って、これに気付いたときは「エーっ!違うの、何で〜?」とズッこけた感じだったかな。戦時中なら非国民扱いされたかも知れないが(^^ゞ



さて前置き3つが終わって、
いよいよ本題のパート4。

    祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
    沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
    奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
    猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。

ご存じ平家物語の書き出し部分。「春は、あけぼの」の枕草子、「いづれの御時にか」の源氏物語と3点セットで冒頭だけは何となく記憶にある人も多いと思う。(ふりがな付きはここをクリック

問題はこの「祇園精舎」。
その後に「鐘の声」と続くので、これはてっきり京都の祇園あたりにある寺だとばかり思っていた。さにあらず、この祇園精舎とは釈迦が説法を行ったインドの寺院だった(/o\)

場所はここ!
10祇園精舎地図


今でも遺跡として残っている。
11精舎現在

サクスクリット語(インドの古典語:梵語ぼんご)で Jetavane 'nāthapiṇḍadasya ārāma と書きジェータヴァナ・アナータピンダダスヤ・アーラーマと長い名前。その漢訳が称祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)、それを略して祇園精舎。略した祇園精舎のサンスクリット語は Jetavana-vihara でジェータヴァナ・ヴィハーラ。

それにしてもまさか祇園精舎がインドにあったとは。平家物語→平家が権勢を誇ったところは→京都→祇園にある寺だとばかり思っていた。今の祇園は歓楽街でも平安時代は静かなところだったのだろうと思い、「祇園精舎の鐘の声」の一節に触れるたび、その平安時代の祇園に鳴り響くゴ〜ンという鐘の音をイメージしてきたのに。

その最初はもちろん平家物語を初めて読んだ高校の古文での授業。そして祇園精舎がインドにあると知ったのは半月ほど前。そうなると勘違いしていたのはアラウンド半世紀もの期間になる。何たる不覚(>_<)

古文の先生は祇園精舎がインドの寺としっかり教えてくれたかなあ。もし教えてくれていたとしても「カロカツクイイケレマル」に気をとられて聞き逃していたのかも。



ところで祇園精舎はインドにあるけれど、
実は京都の祇園はこの祇園精舎がその名前のルーツ。

祇園の近くにあるのが八坂神社。ここは明治になるまで「祇園神社」や「祇園社」と呼ばれていた。八坂神社の歴史はややこしいものの、超簡潔にはインドにある祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を祀ることから始まったから。神社なのに仏教の守護神を祀るとは?だが、中世の頃の神道と仏教はクロスオーバー(神仏習合)している存在だった。後に牛頭天王は素戔嗚尊(=須佐之男命=スサノウ ノ ミコト=天照大神の弟)とされている。

祇園神社は大きな神社なので周辺の鴨川一帯に広大な社領を持っていた。そこが祇園と呼ばれ神社の名前が八坂神社に変わった後も地名として残る。今は舞妓さんや花街のイメージが強くても元は祇園神社の門前町。

参考までに現在の祇園はこのあたり。
12京都祇園



ところで祇園精舎の鐘の声〜で始まるのが平家物語。しかし実際のインドの祇園精舎に鐘は存在しない。鐘は中国が起源で日本に伝わった。インドの寺に鐘を打つ文化などないのだ。

平家物語は作者も書かれた時期も不明であるが、1309年(鎌倉時代末期)までには成立していたとされる。その頃の作者が古代インドの状況を知るはずもなく、精舎=寺だから鐘を打つと考えたのだろう。鐘がなければ当然ながら、それに続く「諸行無常の響き」もあり得ない。たぶんあの世で「やってもうた!」と反省しているはず(^^ゞ

それでも日本において祇園精舎といえば「祇園精舎の鐘の声」である。それで何と日本国祇園精舎の鐘の会なる団体が(ネットで調べたが正体はわからず)が1981年にインドの祇園精舎に鐘を寄贈している。ないのなら作ってしまえホトトギス?

それがこの鐘。
釈迦はナンジャこれ?とビックリしているはず。 画像はhttps://kaz4649.com/2017/05/02/bihar-up-220/から引用
13祇園精舎の鐘



さてさて、
ならばである。

祇園精舎とは京都の祇園にある寺だと思っていた。
果たしてそれは不覚の至りなのか?

インドの祇園精舎に鐘はない。
それなのに「諸行無常の響き」とまで書いている。

それを考えると、
これは祇園「しょうじゃ」ではなく祇園「じんじゃ」の書き間違いに違いない!
オリジナルの平家物語は琵琶法師による語りで伝えられた。
それを文字に書き起こす際に聞き間違えた可能性も高い。
14琵琶法師

つまり祇園精舎とは八坂神社。
八坂神社は平安時代以前からあるし、
神仏習合の時代なら神社に鐘があってもおかしくない。
そこでゴ〜ンと鳴った鐘を平家物語の作者は聞いたのだ。

だから祇園精舎を「京都の祇園あたりにある寺」と思っていた私のイメージは、寺と神社の違いを除けば間違っていなかったのである!!!


古典にも負けず嫌いで挑む元気がないとね(^^ゞ


おしまい

wassho at 23:16│Comments(0) ノンジャンル | 映画、ドラマ、文学

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