2024年07月31日
トウケイとトキオ その2
江戸から東京に名前を変えると公表された「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」。
この「東京」には読みが記されていなかった。
それで人によってトウキョウとトウケイに発音が分かれる事態となる。
こんな風にテレビで「へいせい」と声が聞こえてきたわけじゃないからね。
まだラジオだってない時代。
物心ついたときからトウキョウと呼ばれていたし、そもそも東京は「東の京都」「首都である京都が東に移った」との意味合い。だからトウキョウを信じて疑ったこともないが、国語的にはトウケイが正しく、そして東京と名付けた明治新政府もトウケイの読みを意図していたとの説もある。
漢字は音を聞くと意味がわかる訓読みと、わからない音読みに分かれる。訓読みは漢字の意味に合う日本語を当てはめたもので、音読みは昔の中国の発音が元になっている。
例えば男の訓読みはオトコで、音読みはダン。
また長男などナンの音読みもある。
これは「音読みは昔の中国の発音が元になって」と書いた、その昔に幅があるため。
それで音読みの発音は
呉音:仏教と共に6世紀頃に伝わった。中国南方の方言がベース。
発音が柔らかい。拗音と促音が多い。男ならナン。
拗音(ようおん)→ゃゅょ(ちいさい文字)
促音(そくおん)→っ(音がはねる)
漢音:7〜8世紀の遣唐使が持ち帰った。唐の都である長安の発音。
発音が固い。濁音が多い。 男ならダン。
に分かれる。他には割合としては少ないものの、この呉音と漢音が日本語として定着して以降の平安末期に入ってきた宋音や唐音などもある。
東京を東と京に分けて、呉音と漢音で記すと
東
呉音 つう
漢音 とう
京
呉音 きょう
漢音 けい
熟語の場合、音読みは呉音か漢音かで揃えるのが原則。
例えば
老若男女 ろうにゃく・なんにょ
男女平等 たんじょ・びょうどう
でもトウキョウは呉音と漢音のチャンポンになっている。
東の呉音「つう」は一般的ではないので、東京は漢音で揃えてトウケイと読むのが国語セオリー的には正しい。また明治新政府幹部つまり当時のエリートは、漢文の素養も高いので当然ながらトウケイと考えていたはずーーーというのが先ほど書いた説の根拠。
エリートじゃないクラスでも、今よりは漢文あるいは漢文に近い日本語文章に接していたので、直感的にトウキョウの読みには違和感を覚えたかも知れない。それでもトウキョウと発音したのは、それだけ1000年も都が続いた「京都 キョウ」の存在が大きかったともいわれる。
一方でトウケイと発音したのは先祖代々から東京に住む「江戸っ子」が多かったらしい。彼らは地元の徳川びいきで、京都の朝廷と組んで幕府を倒した明治新政府を快く思っていない。それで京都を連想させるトウキョウの読みが気に入らなかったようだ。
やがてこの問題は1903年(明治36年)に国定教科書の制度が定められて解決を見る。その教科書で東京にトーキョーとのフリガナが付いた。これにより徐々にトウキョウの読みが定着していく。どうしてトウケイにしなかったのかの資料は見当たらなかった。
思うに京都に近い西日本ではトウキョウだったろうし、東京に全国から人が集まるようになってトウキョウがデファクトスタンダードになったのではないか。また明治も36年になると、当時の平均寿命は44歳程度だから、「てやんでえ、トウケイに決まってんだろうが、べらぼうめ!」と考える江戸時代生まれの徳川びいきが少なくなったのも影響したと考えられる。
ーーー続く
この「東京」には読みが記されていなかった。
それで人によってトウキョウとトウケイに発音が分かれる事態となる。
こんな風にテレビで「へいせい」と声が聞こえてきたわけじゃないからね。
まだラジオだってない時代。
物心ついたときからトウキョウと呼ばれていたし、そもそも東京は「東の京都」「首都である京都が東に移った」との意味合い。だからトウキョウを信じて疑ったこともないが、国語的にはトウケイが正しく、そして東京と名付けた明治新政府もトウケイの読みを意図していたとの説もある。
漢字は音を聞くと意味がわかる訓読みと、わからない音読みに分かれる。訓読みは漢字の意味に合う日本語を当てはめたもので、音読みは昔の中国の発音が元になっている。
例えば男の訓読みはオトコで、音読みはダン。
また長男などナンの音読みもある。
これは「音読みは昔の中国の発音が元になって」と書いた、その昔に幅があるため。
それで音読みの発音は
呉音:仏教と共に6世紀頃に伝わった。中国南方の方言がベース。
発音が柔らかい。拗音と促音が多い。男ならナン。
拗音(ようおん)→ゃゅょ(ちいさい文字)
促音(そくおん)→っ(音がはねる)
漢音:7〜8世紀の遣唐使が持ち帰った。唐の都である長安の発音。
発音が固い。濁音が多い。 男ならダン。
に分かれる。他には割合としては少ないものの、この呉音と漢音が日本語として定着して以降の平安末期に入ってきた宋音や唐音などもある。
東京を東と京に分けて、呉音と漢音で記すと
東
呉音 つう
漢音 とう
京
呉音 きょう
漢音 けい
熟語の場合、音読みは呉音か漢音かで揃えるのが原則。
例えば
老若男女 ろうにゃく・なんにょ
男女平等 たんじょ・びょうどう
でもトウキョウは呉音と漢音のチャンポンになっている。
東の呉音「つう」は一般的ではないので、東京は漢音で揃えてトウケイと読むのが国語セオリー的には正しい。また明治新政府幹部つまり当時のエリートは、漢文の素養も高いので当然ながらトウケイと考えていたはずーーーというのが先ほど書いた説の根拠。
エリートじゃないクラスでも、今よりは漢文あるいは漢文に近い日本語文章に接していたので、直感的にトウキョウの読みには違和感を覚えたかも知れない。それでもトウキョウと発音したのは、それだけ1000年も都が続いた「京都 キョウ」の存在が大きかったともいわれる。
一方でトウケイと発音したのは先祖代々から東京に住む「江戸っ子」が多かったらしい。彼らは地元の徳川びいきで、京都の朝廷と組んで幕府を倒した明治新政府を快く思っていない。それで京都を連想させるトウキョウの読みが気に入らなかったようだ。
やがてこの問題は1903年(明治36年)に国定教科書の制度が定められて解決を見る。その教科書で東京にトーキョーとのフリガナが付いた。これにより徐々にトウキョウの読みが定着していく。どうしてトウケイにしなかったのかの資料は見当たらなかった。
思うに京都に近い西日本ではトウキョウだったろうし、東京に全国から人が集まるようになってトウキョウがデファクトスタンダードになったのではないか。また明治も36年になると、当時の平均寿命は44歳程度だから、「てやんでえ、トウケイに決まってんだろうが、べらぼうめ!」と考える江戸時代生まれの徳川びいきが少なくなったのも影響したと考えられる。
ーーー続く
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