2024年09月12日
「殺害しました」の違和感
4年ほど前に「ゲームに課金するという言葉遣い」について、違和感が拭えない話を書いた。詳しくはリンクしたページを読んで欲しいが、
課金は課される、支払い義務を負う意味なのに
自らの意思で支払うのを「課金する」とは
税金を支払った納税を「税金を課税した」といっているようなもの
などの内容。
もっとも言葉なんてのは時代共に移り変わる。極端な話をすれば平安時代と現代ではまったく違う日本語である。だから古文の授業でその「解読方法」を習わないと読めない。それは充分に承知していても、自分が覚えた言葉が後になって意味が変わると、頭ではわかっても身体がついてこない場合もある。鎌倉時代の始まりが今は「いい国作ろう」の1192年ではないとされていると知って困惑するのと同じ。
一方で流行り言葉的なものは、そのときどきに生まれる=「覚えた言葉が後になって意味が変わる」のではないから案外と抵抗はない。何でもかんでもに「カワイイ」を連発するようになったのは35年くらい前かな。最近で似たようなポジションにあるのは「ヤバい」と「エモい」だろうか。私も口癖になっている(^^ゞ
覚えた言葉が後になって意味が変わる=自分の感覚とは違う使い方が広まったとしても無理に使う必要はないし、だからといって特に困りはしない。ただし言葉は自分で話す・書くよりも、聞く・読む分量の方が圧倒的に多い。それで否応(いやおう)なく目にしたり耳にして頭の中でモヤっとするのが困りもの。
幸い「課金する」に関して私の周りの日常会話ではあまり出てこない。
しかしその平穏が打ち破られた?のが今夏のパリオリンピック。
新聞の見出しになっとるやないか!
スポーツ紙や夕刊紙ならともかく全国紙の見出しにまで使われるのは「自らの意思で課金する」が、もはや正しい日本語として認められたことになるのだろうか。私はまだ抵抗があるけどな。
「ゲームに課金する」の表現を知らない人のために書いておくと、
このトルコのユスフ・ディケチ選手が「無課金おじさん」と呼ばれたのは、
・利き目でない目を遮蔽するブラインダー
・防音のためのイヤーマフ(エアピストルなのに必要なのかと思うが、無課金
おじさんも普通の耳栓はしているので会場のざわめき対策なのかも知れない)
・姿勢を安定させるための硬質素材のジャケットや射撃専用シューズ
などを使用せず、まるで普段着のようなTシャツ姿で競技に参加したから。
「ゲームに課金する」はオンラインゲームで、いろいろアイテムを買い揃えるところから生まれた。それになぞらえて反対の素の状態=無課金との表現。彼の射撃スタイルは世界中で話題になった。もちろん無課金おじさんなんてニックネームが生まれたのは日本だけ。海外ではそのさりげなさからか「トルコのヒットマン」と呼ばれていたみたいだ(^^ゞ
さてここからが本題。
モヤっとする言葉遣いは他にもいくつかあるものの、ここ最近で一番気になっているのはニュースなどでよくある「◯◯がテロリストの誰それを殺害しました」などの言い回し。
この表現がどうして引っ掛かるのか?
最初は殺害が「殺害される」と受け身に使うべき単語だからと考えた。しかし「人質を殺害した犯人」だと違和感はないから受動態・能動態説は却下。
自分でもよくわからないが、おそらく私の感覚で殺害を「悪の行為」と捉えているのが原因かもと思っている。だから「犯人によって殺害された」だと素直に読める。(例に挙げた見出しが「悪の行為」でないかどうかはスルーして読んでちょうだい)
以前は「射殺した」「攻撃により死亡した」と言っていたと思う。正当な攻撃の場合に「殺害しました」と言い始めたのは、ハッキリとした記憶はないものの、ここ5年ほどで早くても10年くらい前からだと思う。少なくとも20年前にそのような表現はなかったはず。
「殺害しました」がよく使われるようになった理由も不明。昔は小規模な戦闘の場合は銃撃・射殺がその方法だったのに、無人機から小さなミサイルなどを撃つようになった。それを見出しの長さでは説明し切れないし、かといって「殺しました」でもおかしいから、簡潔な言葉として殺害が使われるようになったのかなとも想像している。英語ではどうなっているかにも興味があるけれどまだ調べていない。
とりあえず「殺害しました」と聞くと、
未だにモヤッとすると同時にちょっとビクッとする。
課金は課される、支払い義務を負う意味なのに
自らの意思で支払うのを「課金する」とは
税金を支払った納税を「税金を課税した」といっているようなもの
などの内容。
もっとも言葉なんてのは時代共に移り変わる。極端な話をすれば平安時代と現代ではまったく違う日本語である。だから古文の授業でその「解読方法」を習わないと読めない。それは充分に承知していても、自分が覚えた言葉が後になって意味が変わると、頭ではわかっても身体がついてこない場合もある。鎌倉時代の始まりが今は「いい国作ろう」の1192年ではないとされていると知って困惑するのと同じ。
一方で流行り言葉的なものは、そのときどきに生まれる=「覚えた言葉が後になって意味が変わる」のではないから案外と抵抗はない。何でもかんでもに「カワイイ」を連発するようになったのは35年くらい前かな。最近で似たようなポジションにあるのは「ヤバい」と「エモい」だろうか。私も口癖になっている(^^ゞ
覚えた言葉が後になって意味が変わる=自分の感覚とは違う使い方が広まったとしても無理に使う必要はないし、だからといって特に困りはしない。ただし言葉は自分で話す・書くよりも、聞く・読む分量の方が圧倒的に多い。それで否応(いやおう)なく目にしたり耳にして頭の中でモヤっとするのが困りもの。
幸い「課金する」に関して私の周りの日常会話ではあまり出てこない。
しかしその平穏が打ち破られた?のが今夏のパリオリンピック。
新聞の見出しになっとるやないか!
スポーツ紙や夕刊紙ならともかく全国紙の見出しにまで使われるのは「自らの意思で課金する」が、もはや正しい日本語として認められたことになるのだろうか。私はまだ抵抗があるけどな。
「ゲームに課金する」の表現を知らない人のために書いておくと、
このトルコのユスフ・ディケチ選手が「無課金おじさん」と呼ばれたのは、
・利き目でない目を遮蔽するブラインダー
・防音のためのイヤーマフ(エアピストルなのに必要なのかと思うが、無課金
おじさんも普通の耳栓はしているので会場のざわめき対策なのかも知れない)
・姿勢を安定させるための硬質素材のジャケットや射撃専用シューズ
などを使用せず、まるで普段着のようなTシャツ姿で競技に参加したから。
「ゲームに課金する」はオンラインゲームで、いろいろアイテムを買い揃えるところから生まれた。それになぞらえて反対の素の状態=無課金との表現。彼の射撃スタイルは世界中で話題になった。もちろん無課金おじさんなんてニックネームが生まれたのは日本だけ。海外ではそのさりげなさからか「トルコのヒットマン」と呼ばれていたみたいだ(^^ゞ
さてここからが本題。
モヤっとする言葉遣いは他にもいくつかあるものの、ここ最近で一番気になっているのはニュースなどでよくある「◯◯がテロリストの誰それを殺害しました」などの言い回し。
この表現がどうして引っ掛かるのか?
最初は殺害が「殺害される」と受け身に使うべき単語だからと考えた。しかし「人質を殺害した犯人」だと違和感はないから受動態・能動態説は却下。
自分でもよくわからないが、おそらく私の感覚で殺害を「悪の行為」と捉えているのが原因かもと思っている。だから「犯人によって殺害された」だと素直に読める。(例に挙げた見出しが「悪の行為」でないかどうかはスルーして読んでちょうだい)
以前は「射殺した」「攻撃により死亡した」と言っていたと思う。正当な攻撃の場合に「殺害しました」と言い始めたのは、ハッキリとした記憶はないものの、ここ5年ほどで早くても10年くらい前からだと思う。少なくとも20年前にそのような表現はなかったはず。
「殺害しました」がよく使われるようになった理由も不明。昔は小規模な戦闘の場合は銃撃・射殺がその方法だったのに、無人機から小さなミサイルなどを撃つようになった。それを見出しの長さでは説明し切れないし、かといって「殺しました」でもおかしいから、簡潔な言葉として殺害が使われるようになったのかなとも想像している。英語ではどうなっているかにも興味があるけれどまだ調べていない。
とりあえず「殺害しました」と聞くと、
未だにモヤッとすると同時にちょっとビクッとする。
wassho at 23:12│Comments(0)│
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