2024年09月16日
18年ぶりに新聞を読んだ
2006年に引っ越してマンションがオートロックになり、玄関ドアまで新聞が配達されなくなるのを理由に定期購読をやめた。その後、特に気になるニュースがあって駅の売店で買ったり、あるいはどこかの待合室で備え付けのを読んだりした経験はあるものの、自宅でじっくり新聞を読む習慣はなくなった。
それがどうして今になってかというと、定期購読無料お試しキャンペーンの一環として郵便受けに投函されていたから。
読んでみて最初の感想は記事内容ではなく、新聞のインクがまったく手につかないのに驚いた。2006年時点でも昔と較べれば多少は改良されていて、手につくインクの量は少なくなっていたが、今はまったく手移りなし。試しに指で紙面を強めに擦ってみても同じだった。そういえばこの10年は新聞に触れてもいなかったかも。いつ頃からこのレベルに改良されたのだろう。
ところで時代設定の古い海外の映画を見ると、貴族や大富豪の家には執事がいて、新聞にアイロンを当ててからご主人様に渡すシーンがある。アイロンしてインクが手につくのを防ぐのも執事の仕事。実はずいぶんと昔に試したことがある。もちろん執事を雇う余裕はないので自分でアイロン掛け(^^ゞ
結果は新聞が暖かくなっただけで手にはインクがついた(/o\) 多少はマシになった程度の効果。おそらくアイロンの裏技が有効なのは活版印刷だった戦前の新聞じゃないかな。
さて生活したり仕事をする上で必要な情報はネットが普及した現在、(紙の)新聞を定期購読しなくてもそこそこ充分に得ることが可能。でも新聞の価値はそこにあるのではない。ネット普及以前でも社会・生活情報ならテレビニュースで事足りていた。
新聞の最も価値ある長所は、あの縦54.5cm・横40.6cm・見開きなら81.2cmにもなる大きな紙面。それによる一覧性で、自分に関係ないあるいは興味のない記事がチラッと目に飛び込んでくるところにある。
例えば今回の9月3日付の日経新聞にあったこんな記事。
一番「オーっ」と思ったのがこれ(^^ゞ
もちろんネットでニュースはそれなりにチェックしている。でもこのような記事は重要度が高くないので、ニュースサイトでは相当にスクロールしないと現れない=面倒=結果的には見つけられない。
例として挙げたミャンマーやニデックの記事は、私の生活や仕事に何の関係もない。情報を「その人の判断や行動に影響を与えるもの」と狭義に定義するなら、これらは情報ですらない。今回はたまたまブログにしたが、普段ならチラッと見てあるいは少しだけ読んで、おそらくその15秒後には忘れている内容。でもそれが「知性のエサ」として大切な役割を果たすというのが私の考え。(今回は日経新聞なので事例が少し適切ではないが)
1日に5つ知性のエサを得るとして、定期購読をやめた18年間で計算すると 5×365×18=3万2850。この計算結果はともかく、新聞を読まなくなったことによる知性への影響は自覚としてある。そして知性や教養の類いは食べ物と同じで頭に貯めておけないとも思っている。
少し変わった例えになるので説明すると、
人間の身体は食べたものによってできている。食物は消化され栄養として細胞に取り込まれる。その細胞は分裂を繰り返して新しい細胞が生まれ、それと同数の古くなって活動を停止した細胞がウンチなどになって排出される。人間に200種類60兆個ある細胞は、身体の部位によって異なるが早いものだと1日から3日、脳や内臓は1年くらい、全体として5〜7年ですべての細胞が入れ替わっている。仮に7年として身体の中に今より7年前にあった細胞=身体の一部はもう存在していない。細胞分裂はコピー作業で同じ内容の細胞に生まれ変わるので気がつかないだけ。まあ食べなきゃ死ぬんだから当たり前なんだけれど。
知性や教養は蓄積すると思われがち。しかし食べ物と同じで「知性細胞」はエサを与えないと分裂しないし、古くなったものはドンドン排出されるのではないかと。もちろんこれに科学的な裏付けは何もない。ただ現役時代はカミソリのようにシャープで頭脳明晰だったのに、引退して数年でただのオッサンになっている人を何人か見てきているので、この珍説を思いついたしだい。
過去18年間で3万2850回も知性のエサを摂らなかった。もちろん知性のエサは新聞だけではないし、記事や情報だけとも限らない。それで何とか「wasshoさん、最近なまってきたなあ」と陰口を叩かれずに済んでいるのかも知れない(本人が知らないだけだったりして)。そんな私が言うのも変だが、新聞は手軽で消化吸収のよい知性のエサだから、できれば定期購読して毎日読むべきなのである。
しかし新聞業界はビックリするほどの右肩下がり。
日本新聞協会のデータによると一般紙(スポーツ紙を含まない)の発行部数は、
2000年:4740万1669部
2023年:2667万4129部 26674129 ÷ 47401669 = 56%
と半分近くまで減少している。(発行部数の定義は常識なのかどこにも説明がない。おそらく1日当たりの部数のはず)
複数部を購入する事業所もあるし、逆に4人家族でも購入するのは1部。また新聞社が過剰に販売店に売りつける「押し紙」もあるので発行部数=読者数とはならないにしても、読者数の減少率も同程度だろう。ちなみに全国の新聞販売所数も
2001年:2万1864店
2023年:1万3373店
と61%まで減少している。
ついでにその他のデータを記すと
2000年スポーツ紙:630万7162部
2023年スポーツ紙:191万6357部 1916357 ÷ 6307162 = 30%
2000年新聞広告収入:1兆2474億円
2023年新聞広告収入:3512億円 3512 ÷12474 = 28%
2000年日本の総広告費:6兆1102億円
うち新聞広告の占める割合 12474 ÷61102 = 20%
2023年日本の総広告費:7兆3167億円
うち新聞広告の占める割合 3512 ÷73167 = 4.8%
思わず(>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) と書きたくなる内容。
現在、新聞を定期購読している家庭は6割弱だと推計されている。2008年には9割弱だった(ただしこの数字は高すぎる気もする)。また発行部数の減少ペースから計算して15年後に紙の新聞は消滅するとの予測もある。もしそうなれば知性のエサどころの話ではなく、ジャーナリズムが崩壊する事態になる。
既に産経は2002年に東京本社版の夕刊を廃止。朝毎読も夕刊を発行していない地域がいくつもあり、中京圏では全国紙の夕刊がまったく発行されていない。また毎日と産経は富山県での新聞発行を今年の9月末で終了する。
ーーー続く
<9月19日追記>
一部の年数表記に誤記がありました。
現在は修正済み。
それがどうして今になってかというと、定期購読無料お試しキャンペーンの一環として郵便受けに投函されていたから。
読んでみて最初の感想は記事内容ではなく、新聞のインクがまったく手につかないのに驚いた。2006年時点でも昔と較べれば多少は改良されていて、手につくインクの量は少なくなっていたが、今はまったく手移りなし。試しに指で紙面を強めに擦ってみても同じだった。そういえばこの10年は新聞に触れてもいなかったかも。いつ頃からこのレベルに改良されたのだろう。
ところで時代設定の古い海外の映画を見ると、貴族や大富豪の家には執事がいて、新聞にアイロンを当ててからご主人様に渡すシーンがある。アイロンしてインクが手につくのを防ぐのも執事の仕事。実はずいぶんと昔に試したことがある。もちろん執事を雇う余裕はないので自分でアイロン掛け(^^ゞ
結果は新聞が暖かくなっただけで手にはインクがついた(/o\) 多少はマシになった程度の効果。おそらくアイロンの裏技が有効なのは活版印刷だった戦前の新聞じゃないかな。
さて生活したり仕事をする上で必要な情報はネットが普及した現在、(紙の)新聞を定期購読しなくてもそこそこ充分に得ることが可能。でも新聞の価値はそこにあるのではない。ネット普及以前でも社会・生活情報ならテレビニュースで事足りていた。
新聞の最も価値ある長所は、あの縦54.5cm・横40.6cm・見開きなら81.2cmにもなる大きな紙面。それによる一覧性で、自分に関係ないあるいは興味のない記事がチラッと目に飛び込んでくるところにある。
例えば今回の9月3日付の日経新聞にあったこんな記事。
一番「オーっ」と思ったのがこれ(^^ゞ
もちろんネットでニュースはそれなりにチェックしている。でもこのような記事は重要度が高くないので、ニュースサイトでは相当にスクロールしないと現れない=面倒=結果的には見つけられない。
例として挙げたミャンマーやニデックの記事は、私の生活や仕事に何の関係もない。情報を「その人の判断や行動に影響を与えるもの」と狭義に定義するなら、これらは情報ですらない。今回はたまたまブログにしたが、普段ならチラッと見てあるいは少しだけ読んで、おそらくその15秒後には忘れている内容。でもそれが「知性のエサ」として大切な役割を果たすというのが私の考え。(今回は日経新聞なので事例が少し適切ではないが)
1日に5つ知性のエサを得るとして、定期購読をやめた18年間で計算すると 5×365×18=3万2850。この計算結果はともかく、新聞を読まなくなったことによる知性への影響は自覚としてある。そして知性や教養の類いは食べ物と同じで頭に貯めておけないとも思っている。
少し変わった例えになるので説明すると、
人間の身体は食べたものによってできている。食物は消化され栄養として細胞に取り込まれる。その細胞は分裂を繰り返して新しい細胞が生まれ、それと同数の古くなって活動を停止した細胞がウンチなどになって排出される。人間に200種類60兆個ある細胞は、身体の部位によって異なるが早いものだと1日から3日、脳や内臓は1年くらい、全体として5〜7年ですべての細胞が入れ替わっている。仮に7年として身体の中に今より7年前にあった細胞=身体の一部はもう存在していない。細胞分裂はコピー作業で同じ内容の細胞に生まれ変わるので気がつかないだけ。まあ食べなきゃ死ぬんだから当たり前なんだけれど。
知性や教養は蓄積すると思われがち。しかし食べ物と同じで「知性細胞」はエサを与えないと分裂しないし、古くなったものはドンドン排出されるのではないかと。もちろんこれに科学的な裏付けは何もない。ただ現役時代はカミソリのようにシャープで頭脳明晰だったのに、引退して数年でただのオッサンになっている人を何人か見てきているので、この珍説を思いついたしだい。
過去18年間で3万2850回も知性のエサを摂らなかった。もちろん知性のエサは新聞だけではないし、記事や情報だけとも限らない。それで何とか「wasshoさん、最近なまってきたなあ」と陰口を叩かれずに済んでいるのかも知れない(本人が知らないだけだったりして)。そんな私が言うのも変だが、新聞は手軽で消化吸収のよい知性のエサだから、できれば定期購読して毎日読むべきなのである。
しかし新聞業界はビックリするほどの右肩下がり。
日本新聞協会のデータによると一般紙(スポーツ紙を含まない)の発行部数は、
2000年:4740万1669部
2023年:2667万4129部 26674129 ÷ 47401669 = 56%
と半分近くまで減少している。(発行部数の定義は常識なのかどこにも説明がない。おそらく1日当たりの部数のはず)
複数部を購入する事業所もあるし、逆に4人家族でも購入するのは1部。また新聞社が過剰に販売店に売りつける「押し紙」もあるので発行部数=読者数とはならないにしても、読者数の減少率も同程度だろう。ちなみに全国の新聞販売所数も
2001年:2万1864店
2023年:1万3373店
と61%まで減少している。
ついでにその他のデータを記すと
2000年スポーツ紙:630万7162部
2023年スポーツ紙:191万6357部 1916357 ÷ 6307162 = 30%
2000年新聞広告収入:1兆2474億円
2023年新聞広告収入:3512億円 3512 ÷12474 = 28%
2000年日本の総広告費:6兆1102億円
うち新聞広告の占める割合 12474 ÷61102 = 20%
2023年日本の総広告費:7兆3167億円
うち新聞広告の占める割合 3512 ÷73167 = 4.8%
思わず(>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) (>_<) と書きたくなる内容。
現在、新聞を定期購読している家庭は6割弱だと推計されている。2008年には9割弱だった(ただしこの数字は高すぎる気もする)。また発行部数の減少ペースから計算して15年後に紙の新聞は消滅するとの予測もある。もしそうなれば知性のエサどころの話ではなく、ジャーナリズムが崩壊する事態になる。
既に産経は2002年に東京本社版の夕刊を廃止。朝毎読も夕刊を発行していない地域がいくつもあり、中京圏では全国紙の夕刊がまったく発行されていない。また毎日と産経は富山県での新聞発行を今年の9月末で終了する。
ーーー続く
<9月19日追記>
一部の年数表記に誤記がありました。
現在は修正済み。
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