2024年11月20日
高橋龍太郎コレクション展
高橋龍太郎とは1946年(昭和21年)生まれで御年78歳の精神科医。勤務医を経て1990年に東京蒲田でタカハシクリニックを開業し現在も院長を務める。待合室に飾る絵の購入から始まった「高橋コレクション」は1997年頃から本格化し、なんと3500点を超えてさらに拡大中。その規模と質共に日本の現代アートにおいて他の追随を許さないコレクションといわれる。
もちろん待合室の絵から突然アートに目覚めたわけではなく、学生時代(学生運動の活動家でもあった)から映画や評論も含めて文化的なものとの関わりは深かったようだ。田原総一朗の番組制作を手伝った縁で(彼はジャーナリストになる前、1964〜1977年までテレビ東京の社員だったのは案外と知られていない)、後に奥さんとなる女性を紹介され、結婚式の仲人は田原総一朗なんだって。仲人としてどんな挨拶をしたか聞いてみたいね。
こんなオッチャン。
それにしても3500点もの作品を普段はどこにしまっているのだろう。後で紹介するけれど、とてつもなく巨大な作品も多数あるのに。画像はhttps://www.mot-art-museum.jp/events/2024/09/20240919112559/から引用
高橋コレクション展は過去に26回開催されているらしい。そんな凄いコレクターがいるとは何となくは知っていた。でも現代アートだしーーー(^^ゞ と、あまり興味を持っていなかったのであるが、そういえばしばらく美術館に足を運んでいないから、たまには変わった作品でも見るかと訪れたのが今回の展覧会。
ところで自分のブログで確認してみたら、今年は一度も展覧会を見ていなかった。その理由は面白そうなものがなかったから。そしておそらくそれはコロナの影響。もう過去の記憶になりつつあるが、コロナが猛威を振るっていたのは2020年1月から2023年5月頃まで。展覧会(企画展)は各地の美術館から作品を借りてくるので、企画を立てて開催まで準備に2〜3年はかかるという。その交渉、特に海外の美術館とどうやりとりしているかは知らないものの、出張はおろか出勤さえ制限されたコロナは大きな足かせになったはず。それが影響して今年の展覧会は不作なのだろうと想像している。少し調べたら来年もあまりパッとしないようだ(/o\)
訪れたのは11月1日。場所は江東区の清澄白河(きよすみしらかわ)にある東京都現代美術館。略称はMOTでMuseum Of contemporary art Tokyoの大文字部分。これじゃ東京の美術館の意味だからMCTのほうがいいと思うゾ。ちなみに名前が似ていてややこしい東京国立近代美術館は皇居の北の丸公園にある。そちらの略称はMOMATでthe national Museum Of Modern Art, Tokyoの大文字部分。
その近代と現代。歴史区分としては
原始時代→古代→中世→近世→近代→現代
に分かれる。日本の場合は、
原始時代:旧石器時代、縄文時代、弥生時代
古代:大和時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代
中世:鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代
近世:江戸時代
近代:明治、大正、昭和の第二次世界大戦終了まで(1945年)
現代:第二次世界大戦終了以降(近代と現代の境目については諸説ある)
もっとも日常生活で近代と現代はあまり区別されていない。たとえば最新のビルを近代的なと表現したりもする。歴史区分に従えばそれではレトロになってしまう(^^ゞ
美術分野ではそれがもっと顕著で、先に書いた美術館の名称でわかるように
近代美術:モダンアート
現代美術:コンテンポラリーアート
である。
だから1874年(明治7年)に最初の展覧会が開かれた印象派はモダンアートに属する。しかし印象派をモダンアートと認識している人は少ないはず。(少なくとも日本では)モダンアートの言葉の響きは、近代ではなく現代美術・現代アートのニュアンスでイメージされているように思う。
またよく「まるでモダンアートのような◯◯」との表現がある。ネットでそのフレーズを検索したら次のような画像を見つけた。画像はhttps://www.fevecasa.com/fevematome/detail.php?id=1013、https://yomuno.jp/posts/78161、https://x.gd/oIw6k(短縮URL使用)、https://engineweb.jp/article/detail/3349520から引用
これらが意味しているモダンアートは近代美術=明治、大正、昭和の第二次世界大戦終了までではなく、もっと最近の現代美術=コンテンポラリーアートなのは明白。でもついモダンアートと言っちゃうんだよね。私も今までのブログで現代美術をモダンアートと記している文章が多数ある。
コンテンポラリーアートだと長いし、現代美術だと表現が硬いから、
とりあえずこれからは現代アートと呼ぶことにしよう。
さてその現代アート。
「難しい、理解できない」「意図や意味がわからない」「これが芸術?」「何でもありなの?」「誰でも、子供でも作れそう」「オモチャやガラクタみたいな作品もある」と感じる人は多いと思う。その理由は現代アートが、それ以前のアートの延長線上にはなく、最近よく使われるの表現で言えば「その斜め上をいく存在」でまったく別物の創作物だから。
超大雑把に解説するなら、古代文明の時代から近代までのアートは、
広い意味で美の追究
視覚に訴える、視覚で感じたり楽しむもの
だった。それが現代アートになると
美にはとらわれない
社会へのメッセージや問題提起がテーマのものが多い
視覚を超えて思考や洞察を要求される
作品によっては参加型で体感や体験とセットになっている
絵画や彫刻だけでなく、映像や音響、空間、パフォーマンスなど、
あらゆるものが素材になる
などの特徴があり、逆に言えば戦後に制作された上記の内容を持つ従来の美術概念にとらわれていないのが現代アート(単に時期だけで決まるわけじゃない)。
とはいっても現代アートの解説はなかなか難しい。別に美術史に詳しいわけではないし、今まで何となく認識していたことを文章にして私自身は頭を整理できたとしても、読む人には伝わらないだろうなあと思いながら書いた(^^ゞ まあとにかく現代アートにはメッセージや問題提起が込められている。これがキモである。
そこで問題が起こる。
現代アートでは作者のメッセージや問題提起を、鑑賞者は頭を使って読み解かなければならない。素敵な絵をボーッと眺めるのが好きで、そのために美術館に出かけるのだけれど、まあ頭を使う別ジャンルの楽しみ方があってもそれはそれでいい。問題はそのメッセージや問題提起の内容や質である。
例えばペットボトルを集めて作った何かわけのわからない作品があったとする。ナンジャコレ?と思いながらタイトルや解説を読むと、どうやら環境問題を訴えているらしい。その観点で眺めればそういう作品に見えなくもない。
しかしこう思ってしまう。
環境問題の重大さなんてアンタに指摘されなくてもわかっている
現代アートのクリエーターは表現を磨いてきたプロではあっても、思考を鍛えてきたプロじゃない。だからメッセージや問題提起の底が浅いというか知的レベルが低いというか。哲学者や(一流の)評論家などとコラボして作品を作ればいいのにといつも思う。それに「表現を磨いてきたプロ」とは書いたものの、そちらもアマチュアあるいは図画工作のレベルの域を出ていない人も多い。
つまり現代アートはキモであるメッセージや問題提起がつまらないから、つまらないものが多いから魅力を感じないのである。さら表現のクオリティまで低ければなおさらである。
似たようなことはラップにもいえる。ヒップホップの音楽ジャンルのひとつであるが、ラップに音楽性はほとんどなく歌詞のメッセージが主体。でもその内容が、総理大臣の名前とか知らないだろうなあ、因数分解なんて絶対に解けないよねレベルの連中が書いているから薄っぺらすぎてーーー以下自粛(^^ゞ
ーーー続く
wassho at 23:30│Comments(0)│
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