2024年11月27日
高橋龍太郎コレクション展 その5
高さ5m60cmの「サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)」が展示されていた部屋にあったさらに大きな作品。
鴻池朋子 「皮緞帳」 2015〜16年 6m×24m
緞帳は「どんちょう」で舞台の前に垂れ下がるやつ。タイトルにあるようにこの緞帳は牛革製で、解説には「水彩、クレヨン」とある。水彩は水彩絵の具だと思うが、皮の表面なら絵の具がはじかれてしまうから、皮の裏側に色を塗っているのかな。
大きさには圧倒された。でも特に何か感じるものはなし。「Crash セイラ・マス」と「サーフ・エンジェル」で美術において大きさは正義みたいなところはあると書いた。でも大きければすべてよしではもちろんない。
それよりもなによりも
部屋に入ったときから気になっていたのがコレ。
青木美歌 「Her songs are floating」 2007年
いや〜懐かしい、ダイハツのコンパーノじゃないか。従兄弟で10歳ほど年上のKニイチャンが大学生の頃に乗っていたクルマ。シャコタンにマフラーの芯を抜いた爆音で(^^ゞ 当時暴走族という言葉はなく、バイクはカミナリ族と呼ばれていたが、クルマを改造する人はまだ少なく集団名はなかったように思う。
そのかわりいわゆるカーマニアは「カーキチ」と呼ばれていた。キチは今じゃ使えない言葉になって基地外なんて書くキチね。Kニイチャンが暴走していたかどうかは私がまだ子供だったのでよく知らないが、爆走していたのは間違いない。父親のクルマとまったく違う低く大きな排気音にスゲーと思ったものである。
コンパーノはダイハツが初めて発売した四輪自動車。それまではマツダと同じくオート三輪のメーカーだった(リンクした写真はダイハツのミゼット)。
1963年(昭和38年)4月に最初に発売されたのは長い荷室を持つライトバン(商用車)で、6月に同じボディのワゴン(乗用車)が発売される。排気量は800cc。下の写真はワゴン。画像はhttps://x.gd/PbKhzから引用(短縮URL使用)
11月には2ドアセダンが発売され「コンパーノ・ベルリーナ」の名前がつけられる。4ドアセダンの追加は1965年の5月。ベルリーナはイタリア語でセダンの意味。コンパーノもイタリア語で「仲間」。イタリア語的発音では「compagno・コンパーニョ」。ワゴンと違ってBピラー(サイドウインドの中間)上部にウインカーがあるのが珍しいしちょっとカワイイ。白いクルマの画像はhttps://meisha.co.jp/?p=21094から引用
ヨーロッパ的で何となく昔のフィアットを思わせる顔立ちなのは、当時のイタリア・カロッツェリアの名門であるビニヤーレのデザインだから。
昭和30〜40年代の国産車としてはこのコンパーノと、ビニヤーレから独立したミケロッティによるデザインの日野コンテッサ、それとスズキのフロンテ800が他を寄せ付けないデザインの完成度。(コンテッサの後部が長いのはリアエンジンだから。それで逆にフロントにはラジエターのためのグリルがない)
そして1965年4月にオープンモデルの「コンパーノ・スパイダー」発売。画像はhttps://www.webcartop.jp/2017/07/135336/から引用
日本のモータリーゼーションが本格化したのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後。コンパーノが発売された頃の大衆車はトヨタのパブリカやマツダの初代ファミリアなど600〜800ccクラスで(当時の軽四は360cc)、その上がトヨタのコロナ、日産ブルーバードの1500ccクラスだった。しかし1966年にその間を埋めるトヨタカローラ、日産サニーが1000〜1200ccで発売されると、この600〜800ccクラスは需要が冷え込んでしまう。コンパーノは排気量を1000ccまで拡大したりするものの1970年に販売終了。
コンパーノのモデルチェンジは行われず、代わりにトヨタと共同開発したコンソルテが1970年に後継車種として発売された。コンソルテもイタリア語で意味は伴侶や仲間などの絆を表す。1967年に業務提携で傘下入りしたトヨタへの忖度丸出しのネーミング。
そしてこれがコンパーノとは似ても似つかないブサイクなデザインで(/o\) 画像はhttps://lrnc.cc/_ct/16948834から引用
さて、何の話だったっけ(^^ゞ
作品はボロボロになったクルマにガラス細工を一体化させたもの。
コンパーノを選んだことに意味があるのかどうかは不明。しかしそんなに売れたクルマではないので、この作品が制作された2007年に「たまたま」スクラップのコンパーノを近所で見つけたとは考えにくい。
ガラスで表現されているのは、
粘菌やバクテリアやカビなどをモチーフとした原始的な生命形態らしい。
屋根と窓にあるのとでは少し印象が違う。
室内の写真を撮り忘れたので作者のホームページから借用。屋根を突き破って根が生えているみたいだ。https://www.mikaaoki.jp/works/hersongs.html
ひょっとしたらこのガラスの生命体は、廃車となったこのクルマから養分を吸い取っているのかも知れない。そして作品タイトルはHer songs are floating。直訳すれば「彼女の歌が浮遊している」。このクルマにはねられて亡くなった女性の霊魂がガラスに形を変えて取り憑き、そして夜な夜などこからとなく寂しげな歌がーーーキャー(>_<)
「皮緞帳」とコラボで。
屋根にあるガラスは楽しげで生命力が感じられる。
だから先ほどのモーソーは間違っているな。
展示室全体を。
ありふれた表現ながら一言でいうならシュールな空間。
その次にあったのは
宮永愛子 「景色のはじまり」 2011年
画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
ナンジャコレ?と思って通り過ぎようとしたら解説の文章が目にとまった。金木犀(キンモクセイ)の葉を6万枚!とあった。
おそらくキンモクセイの葉を何かの薬品に浸けて葉肉を取り葉脈だけにする。さらに脱色して、それを接着剤で貼り合わせる手作業でこの作品はできあがっている。何人で作業したのだろう、どれくらいの時間が掛かったのか。いわゆる「気が遠くなる」ほどの手間暇なのは間違いない。
それを想像すると神々しく見えてきた。
美術においては手間暇も正義!
葉脈しか残っていないので向こうが透けて見える。
補足しておくと、キンモクセイは秋になったらオレンジ色の花を咲かせていい香りがするやつね。この緑の葉が上の写真のようになったわけだ。
ーーー続く
鴻池朋子 「皮緞帳」 2015〜16年 6m×24m
緞帳は「どんちょう」で舞台の前に垂れ下がるやつ。タイトルにあるようにこの緞帳は牛革製で、解説には「水彩、クレヨン」とある。水彩は水彩絵の具だと思うが、皮の表面なら絵の具がはじかれてしまうから、皮の裏側に色を塗っているのかな。
大きさには圧倒された。でも特に何か感じるものはなし。「Crash セイラ・マス」と「サーフ・エンジェル」で美術において大きさは正義みたいなところはあると書いた。でも大きければすべてよしではもちろんない。
それよりもなによりも
部屋に入ったときから気になっていたのがコレ。
青木美歌 「Her songs are floating」 2007年
いや〜懐かしい、ダイハツのコンパーノじゃないか。従兄弟で10歳ほど年上のKニイチャンが大学生の頃に乗っていたクルマ。シャコタンにマフラーの芯を抜いた爆音で(^^ゞ 当時暴走族という言葉はなく、バイクはカミナリ族と呼ばれていたが、クルマを改造する人はまだ少なく集団名はなかったように思う。
そのかわりいわゆるカーマニアは「カーキチ」と呼ばれていた。キチは今じゃ使えない言葉になって基地外なんて書くキチね。Kニイチャンが暴走していたかどうかは私がまだ子供だったのでよく知らないが、爆走していたのは間違いない。父親のクルマとまったく違う低く大きな排気音にスゲーと思ったものである。
コンパーノはダイハツが初めて発売した四輪自動車。それまではマツダと同じくオート三輪のメーカーだった(リンクした写真はダイハツのミゼット)。
1963年(昭和38年)4月に最初に発売されたのは長い荷室を持つライトバン(商用車)で、6月に同じボディのワゴン(乗用車)が発売される。排気量は800cc。下の写真はワゴン。画像はhttps://x.gd/PbKhzから引用(短縮URL使用)
11月には2ドアセダンが発売され「コンパーノ・ベルリーナ」の名前がつけられる。4ドアセダンの追加は1965年の5月。ベルリーナはイタリア語でセダンの意味。コンパーノもイタリア語で「仲間」。イタリア語的発音では「compagno・コンパーニョ」。ワゴンと違ってBピラー(サイドウインドの中間)上部にウインカーがあるのが珍しいしちょっとカワイイ。白いクルマの画像はhttps://meisha.co.jp/?p=21094から引用
ヨーロッパ的で何となく昔のフィアットを思わせる顔立ちなのは、当時のイタリア・カロッツェリアの名門であるビニヤーレのデザインだから。
昭和30〜40年代の国産車としてはこのコンパーノと、ビニヤーレから独立したミケロッティによるデザインの日野コンテッサ、それとスズキのフロンテ800が他を寄せ付けないデザインの完成度。(コンテッサの後部が長いのはリアエンジンだから。それで逆にフロントにはラジエターのためのグリルがない)
そして1965年4月にオープンモデルの「コンパーノ・スパイダー」発売。画像はhttps://www.webcartop.jp/2017/07/135336/から引用
日本のモータリーゼーションが本格化したのは、1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後。コンパーノが発売された頃の大衆車はトヨタのパブリカやマツダの初代ファミリアなど600〜800ccクラスで(当時の軽四は360cc)、その上がトヨタのコロナ、日産ブルーバードの1500ccクラスだった。しかし1966年にその間を埋めるトヨタカローラ、日産サニーが1000〜1200ccで発売されると、この600〜800ccクラスは需要が冷え込んでしまう。コンパーノは排気量を1000ccまで拡大したりするものの1970年に販売終了。
コンパーノのモデルチェンジは行われず、代わりにトヨタと共同開発したコンソルテが1970年に後継車種として発売された。コンソルテもイタリア語で意味は伴侶や仲間などの絆を表す。1967年に業務提携で傘下入りしたトヨタへの忖度丸出しのネーミング。
そしてこれがコンパーノとは似ても似つかないブサイクなデザインで(/o\) 画像はhttps://lrnc.cc/_ct/16948834から引用
さて、何の話だったっけ(^^ゞ
作品はボロボロになったクルマにガラス細工を一体化させたもの。
コンパーノを選んだことに意味があるのかどうかは不明。しかしそんなに売れたクルマではないので、この作品が制作された2007年に「たまたま」スクラップのコンパーノを近所で見つけたとは考えにくい。
ガラスで表現されているのは、
粘菌やバクテリアやカビなどをモチーフとした原始的な生命形態らしい。
屋根と窓にあるのとでは少し印象が違う。
室内の写真を撮り忘れたので作者のホームページから借用。屋根を突き破って根が生えているみたいだ。https://www.mikaaoki.jp/works/hersongs.html
ひょっとしたらこのガラスの生命体は、廃車となったこのクルマから養分を吸い取っているのかも知れない。そして作品タイトルはHer songs are floating。直訳すれば「彼女の歌が浮遊している」。このクルマにはねられて亡くなった女性の霊魂がガラスに形を変えて取り憑き、そして夜な夜などこからとなく寂しげな歌がーーーキャー(>_<)
「皮緞帳」とコラボで。
屋根にあるガラスは楽しげで生命力が感じられる。
だから先ほどのモーソーは間違っているな。
展示室全体を。
ありふれた表現ながら一言でいうならシュールな空間。
その次にあったのは
宮永愛子 「景色のはじまり」 2011年
画像はhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29345から引用
ナンジャコレ?と思って通り過ぎようとしたら解説の文章が目にとまった。金木犀(キンモクセイ)の葉を6万枚!とあった。
おそらくキンモクセイの葉を何かの薬品に浸けて葉肉を取り葉脈だけにする。さらに脱色して、それを接着剤で貼り合わせる手作業でこの作品はできあがっている。何人で作業したのだろう、どれくらいの時間が掛かったのか。いわゆる「気が遠くなる」ほどの手間暇なのは間違いない。
それを想像すると神々しく見えてきた。
美術においては手間暇も正義!
葉脈しか残っていないので向こうが透けて見える。
補足しておくと、キンモクセイは秋になったらオレンジ色の花を咲かせていい香りがするやつね。この緑の葉が上の写真のようになったわけだ。
ーーー続く
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