2025年03月13日
浜離宮でマツと庭園
再びタイトルを微妙に変更して、
2月27日に訪れた浜離宮の続き。
菜の花畑から続いたウメ並木が終わると、
アメリカデイゴというゴツゴツした木があった。
でも以前に新宿御苑で見たアメリカデイゴは、「なんじゃこれ!」と声が出るほど不思議な形だったので↓それと較べれば普通の木に見える。
夏にはこんな真っ赤な花が咲くらしい→クリック
一度は見てみたいがこの木1本のために浜離宮に来るのもなあ〜
水上バスの発着場。
カウンターが閉まっていて、今日は運行していないのかと思ったら、
浜離宮は下船のみになっていた。
2020年に訪れたときはここかも乗船できたのに。いつから? そしてなぜなのだろう。少し調べてみたが情報は得られず。
参考までに東京の水上バスは、浅草と隅田川の下流にある浜離宮や日の出桟橋、それと臨海埋め立て地エリアを結んでいる。
ところで浜離宮は有料の庭園なので、(今は下船のみだが)浜離宮から水上バスに乗るには入園料を払って発着場まで行く必要がある。浜離宮で下船する場合は最初から運賃に入園料が含まれているというアコギな商売(^^ゞ もっともここで乗り降りするのは浜離宮が目当ての人だけど。
浜離宮の海沿いまでやって来た。
この位置から見えるのは勝どきのタワーマンション群。昭和の時代の勝どきは倉庫だらけで、港湾地区特有のちょっとやばそうな雰囲気があったのも今は昔。
タワマンよりマツを眺めましょう。
この一段高くなった場所は灯台跡。
ただし、こんな基礎部分が残っているだけのガッカリ史跡。
それよりも浜離宮=徳川将軍家別邸=江戸時代の意識があるせいか灯台とイメージが結びつかない。そこで調べてみるとここにあったのは明治時代の灯台。
明治5年に三重県に設置された安乗埼灯台(あのりさきとうだい)が、
新しく建て替えられるのに伴い、
昭和24年に記念灯台として浜離宮に移設した
とのこと。
これが当時の写真。
その後、昭和30年に横浜港の第三管区海上保安本部に移設され、さらに昭和48年にお台場近くにある船の科学館に三度目の移設。
でも船の科学館(ジャンルとしては博物館)はずいぶんと前から建物の老朽化で展示を中止していて、現在は南極観測船「宗谷」を見学できるだけ。建て替えの話も聞こえてこない。安乗埼灯台もまた引っ越し先を見つける必要があるかもね。
灯台跡の上から海方向。大きなアーチは築地大橋。その奥に勝どき橋があって、オレンジ色の重機の向こうに小さくアーチが見えている。
対岸に見えているのは勝どきの埋め立て地ではなく、
浜離宮の外側にある堤防(防潮堤)。
浜離宮と堤防の間隔は100m前後、堤防から埋め立て地までは200mちょっと。堤防の外側は埋め立て地があって、幅が狭く運河のように見えるが東京湾。また浜離宮の隣で更地になっているのは築地市場があった場所。
先ほどの安乗埼灯台の白黒写真、つまり昭和24年から30年の頃は防潮堤はなかったようにも見える。防潮堤の建設がいつかを調べたがわからず。なお築地市場跡の再開発と合わせて、この防潮堤を築地と竹芝を結ぶ遊歩道にする計画もあるようだ。再開発は今年着工してすべてが完成するのは2038年。まだ生きていますように(^^ゞ
この少し内側に切り込まれているのは「将軍お上がり場」。
将軍が舟でやって来たときに接岸した場所。
現在の皇居の堀はどの水路とも接続していない。貯められている水は雨水で浄化装置を使って水質を保っている。ただし豪雨で堀の水があふれた話は聞いた記憶がないので、下水管とはつながっているはず。江戸城の頃は玉川上水や神田上水から水を引き、下の地図でわかるようにお城の周りに水路が張り巡らされていた。画像はhttps://mag.japaaan.com/archives/235907/2から引用編集
地図を見ると水路を使えば浜離宮の大手門のところに到着するのに、そこではなくどうしてわざわざ東京湾側まで回り込んで出入りしたのか。ナゾ
ところで説明看板に書かれている
「幕末〜最後の将軍徳川慶喜が〜帰還して上陸」との文章は二重に間違っている。
幕末動乱の時代、14代徳川家茂(いえもち)が将軍としては229年振りとなる上洛を行うなど、幕府と朝廷の接触や交渉が盛んとなる(それ以前の上洛は何と3代家光まで遡る)。幕府の主要メンバーであった慶喜(よしのぶ)も当時は京都や大阪にいることが多かった。そして長州征伐のため大阪城に滞在していた家茂が1866年8月に病死。1867年1月10日に慶喜が二条城において将軍宣下を受け将軍に就任。(日付はすべて新暦)
しかし10ヶ月後の1867年11月10日に慶喜は大政奉還をしてしまう。実はその時点で慶喜はまだ将軍のまま。将軍職が廃止となったのは討幕派が仕掛けた政治工作で、王政復古の大号令が発せられた1868年1月3日。それをきっかけに戊辰戦争の始まりである鳥羽伏見の戦いが1月27日に勃発。
3日間の戦闘で旧幕府軍が劣勢となり敗走。慶喜が陣取っていた大阪城で体勢を立て直すはずだったのに、なんと総大将である彼は将兵を置き去りにして、2月1日にコッソリと船で大阪を発ち江戸に逃げ帰ったのは有名な話。
ーーーなので、鳥羽伏見の戦いから戻ってきた慶喜は、そのとき既に将軍ではない。そもそも慶喜は将軍になって以降はずっと京都や大阪にいて、将軍として江戸で暮らしたことすらない。
さらに王政復古の大号令=明治政府の成立。慶応から明治に改元したのは10月になってからであるが、歴史としては王政復古の時点で明治時代が始まっており、慶喜が江戸に帰ってきたときを幕末とするのも誤り。
なお慶喜がここへ戻ってきたのは、浜御殿でのんびり骨休めをするためではなく、初回に書いたように、当時ここは将軍家の別邸から幕府の海軍所(基地)に変わっていたからだろう。記録では2月5日の未明に上陸し、昼前には江戸城に戻ったとされる。おそらく仮眠程度しかできなかったはず。
まあ最後の将軍慶喜ではないとしても、彼が歩いたであろう場所に自分もいるのは何となく歴史のロマンを感じる体験。
さて浜離宮の海沿いを南に歩いて行く。
この黒い水鳥はオオバン。カモに似ているけれど仲間ではない。そういえばカモのクチバシは平べったいのに、これは尖っている。
堤防の開口部。
ここから水上バスが入ってくる。もし堤防が遊歩道になればどうするのかな。
そしてこれは海から水を浜離宮の池に引き込む仕掛け。
つまり浜離宮の池は海水で、池の名前も「潮入の池」。
大きな池である。浜離宮の面積は25ヘクタール。建築面積4.7ヘクタールの東京ドーム5.3個分。池の面積は公表されていないが4ヘクタールくらいはある思う。
西を向けば東京タワーが見え、
海のほうを見ればベイブリッジも見える。
少し小高くなったところで眺める、
潮入の池の風景はマツに囲まれていた実に美しい。ただ冬なので芝生が枯れ色なのが残念。浜離宮には1月と2月にしか訪れたことがなく、次は芝生がグリーンなシーズンにもと思っている。
ただひとつ気に入らない点が。
それは池の周りの石積み。
ちょっと人工的すぎるというか近代的な造形に見える。
ここは海水を引いていて潮の干満差がある。それで土が流れ出さないようにとの措置だと思うけれど、江戸時代もこんなだったのかなあ? 見たところ施工されたのはそんなに昔ではなさそう。もう一工夫欲しいところ。
ーーー続く
2月27日に訪れた浜離宮の続き。
菜の花畑から続いたウメ並木が終わると、
アメリカデイゴというゴツゴツした木があった。
でも以前に新宿御苑で見たアメリカデイゴは、「なんじゃこれ!」と声が出るほど不思議な形だったので↓それと較べれば普通の木に見える。
夏にはこんな真っ赤な花が咲くらしい→クリック
一度は見てみたいがこの木1本のために浜離宮に来るのもなあ〜
水上バスの発着場。
カウンターが閉まっていて、今日は運行していないのかと思ったら、
浜離宮は下船のみになっていた。
2020年に訪れたときはここかも乗船できたのに。いつから? そしてなぜなのだろう。少し調べてみたが情報は得られず。
参考までに東京の水上バスは、浅草と隅田川の下流にある浜離宮や日の出桟橋、それと臨海埋め立て地エリアを結んでいる。
ところで浜離宮は有料の庭園なので、(今は下船のみだが)浜離宮から水上バスに乗るには入園料を払って発着場まで行く必要がある。浜離宮で下船する場合は最初から運賃に入園料が含まれているというアコギな商売(^^ゞ もっともここで乗り降りするのは浜離宮が目当ての人だけど。
浜離宮の海沿いまでやって来た。
この位置から見えるのは勝どきのタワーマンション群。昭和の時代の勝どきは倉庫だらけで、港湾地区特有のちょっとやばそうな雰囲気があったのも今は昔。
タワマンよりマツを眺めましょう。
この一段高くなった場所は灯台跡。
ただし、こんな基礎部分が残っているだけのガッカリ史跡。
それよりも浜離宮=徳川将軍家別邸=江戸時代の意識があるせいか灯台とイメージが結びつかない。そこで調べてみるとここにあったのは明治時代の灯台。
明治5年に三重県に設置された安乗埼灯台(あのりさきとうだい)が、
新しく建て替えられるのに伴い、
昭和24年に記念灯台として浜離宮に移設した
とのこと。
これが当時の写真。
その後、昭和30年に横浜港の第三管区海上保安本部に移設され、さらに昭和48年にお台場近くにある船の科学館に三度目の移設。
でも船の科学館(ジャンルとしては博物館)はずいぶんと前から建物の老朽化で展示を中止していて、現在は南極観測船「宗谷」を見学できるだけ。建て替えの話も聞こえてこない。安乗埼灯台もまた引っ越し先を見つける必要があるかもね。
灯台跡の上から海方向。大きなアーチは築地大橋。その奥に勝どき橋があって、オレンジ色の重機の向こうに小さくアーチが見えている。
対岸に見えているのは勝どきの埋め立て地ではなく、
浜離宮の外側にある堤防(防潮堤)。
浜離宮と堤防の間隔は100m前後、堤防から埋め立て地までは200mちょっと。堤防の外側は埋め立て地があって、幅が狭く運河のように見えるが東京湾。また浜離宮の隣で更地になっているのは築地市場があった場所。
先ほどの安乗埼灯台の白黒写真、つまり昭和24年から30年の頃は防潮堤はなかったようにも見える。防潮堤の建設がいつかを調べたがわからず。なお築地市場跡の再開発と合わせて、この防潮堤を築地と竹芝を結ぶ遊歩道にする計画もあるようだ。再開発は今年着工してすべてが完成するのは2038年。まだ生きていますように(^^ゞ
この少し内側に切り込まれているのは「将軍お上がり場」。
将軍が舟でやって来たときに接岸した場所。
現在の皇居の堀はどの水路とも接続していない。貯められている水は雨水で浄化装置を使って水質を保っている。ただし豪雨で堀の水があふれた話は聞いた記憶がないので、下水管とはつながっているはず。江戸城の頃は玉川上水や神田上水から水を引き、下の地図でわかるようにお城の周りに水路が張り巡らされていた。画像はhttps://mag.japaaan.com/archives/235907/2から引用編集
地図を見ると水路を使えば浜離宮の大手門のところに到着するのに、そこではなくどうしてわざわざ東京湾側まで回り込んで出入りしたのか。ナゾ
ところで説明看板に書かれている
「幕末〜最後の将軍徳川慶喜が〜帰還して上陸」との文章は二重に間違っている。
幕末動乱の時代、14代徳川家茂(いえもち)が将軍としては229年振りとなる上洛を行うなど、幕府と朝廷の接触や交渉が盛んとなる(それ以前の上洛は何と3代家光まで遡る)。幕府の主要メンバーであった慶喜(よしのぶ)も当時は京都や大阪にいることが多かった。そして長州征伐のため大阪城に滞在していた家茂が1866年8月に病死。1867年1月10日に慶喜が二条城において将軍宣下を受け将軍に就任。(日付はすべて新暦)
しかし10ヶ月後の1867年11月10日に慶喜は大政奉還をしてしまう。実はその時点で慶喜はまだ将軍のまま。将軍職が廃止となったのは討幕派が仕掛けた政治工作で、王政復古の大号令が発せられた1868年1月3日。それをきっかけに戊辰戦争の始まりである鳥羽伏見の戦いが1月27日に勃発。
3日間の戦闘で旧幕府軍が劣勢となり敗走。慶喜が陣取っていた大阪城で体勢を立て直すはずだったのに、なんと総大将である彼は将兵を置き去りにして、2月1日にコッソリと船で大阪を発ち江戸に逃げ帰ったのは有名な話。
ーーーなので、鳥羽伏見の戦いから戻ってきた慶喜は、そのとき既に将軍ではない。そもそも慶喜は将軍になって以降はずっと京都や大阪にいて、将軍として江戸で暮らしたことすらない。
さらに王政復古の大号令=明治政府の成立。慶応から明治に改元したのは10月になってからであるが、歴史としては王政復古の時点で明治時代が始まっており、慶喜が江戸に帰ってきたときを幕末とするのも誤り。
なお慶喜がここへ戻ってきたのは、浜御殿でのんびり骨休めをするためではなく、初回に書いたように、当時ここは将軍家の別邸から幕府の海軍所(基地)に変わっていたからだろう。記録では2月5日の未明に上陸し、昼前には江戸城に戻ったとされる。おそらく仮眠程度しかできなかったはず。
まあ最後の将軍慶喜ではないとしても、彼が歩いたであろう場所に自分もいるのは何となく歴史のロマンを感じる体験。
さて浜離宮の海沿いを南に歩いて行く。
この黒い水鳥はオオバン。カモに似ているけれど仲間ではない。そういえばカモのクチバシは平べったいのに、これは尖っている。
堤防の開口部。
ここから水上バスが入ってくる。もし堤防が遊歩道になればどうするのかな。
そしてこれは海から水を浜離宮の池に引き込む仕掛け。
つまり浜離宮の池は海水で、池の名前も「潮入の池」。
大きな池である。浜離宮の面積は25ヘクタール。建築面積4.7ヘクタールの東京ドーム5.3個分。池の面積は公表されていないが4ヘクタールくらいはある思う。
西を向けば東京タワーが見え、
海のほうを見ればベイブリッジも見える。
少し小高くなったところで眺める、
潮入の池の風景はマツに囲まれていた実に美しい。ただ冬なので芝生が枯れ色なのが残念。浜離宮には1月と2月にしか訪れたことがなく、次は芝生がグリーンなシーズンにもと思っている。
ただひとつ気に入らない点が。
それは池の周りの石積み。
ちょっと人工的すぎるというか近代的な造形に見える。
ここは海水を引いていて潮の干満差がある。それで土が流れ出さないようにとの措置だと思うけれど、江戸時代もこんなだったのかなあ? 見たところ施工されたのはそんなに昔ではなさそう。もう一工夫欲しいところ。
ーーー続く
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│お花畑探訪