2025年04月15日
尾久の原公園でしだれ桜(都立大学と学芸大学)
公園へ向かう道路を、
数分ほど歩いて見えてきたこの建物は、
都立大だった。
こんなところにあったとはつゆとも知らず。
都立大学はそこそこの伝統がある大学。私が受験生の頃にも問題集で都立大学の例題をよく見た。しかしここにある都立大学、実は2020年からの歴史しかないというややこしい成り立ち。
都立大学の前身は1929年(昭和4年)に設置された7年制の府立高等学校(まだ東京府だった時代)。場所は永田町で1932年(昭和7年)に目黒区八雲に移転。戦後の1949年(昭和24年)の学制改革により、高等科(7年制の後半3年)が東京都立大学、尋常科(7年制の前半4年)は東京都立大学附属高校に改組される。ここが都立大学のスタート。1991年(平成3年)に八王子へ移転。
やがて1990年代後半より行政改革機運が高まると(2001年に独立行政法人制度ができたりした)、東京都立大学も他の都立3大学と統合する運びとなる。
ところが2003年の都知事選で「今までにないまったく新しい大学を作る」と公約を掲げた石原慎太郎が二期目の当選。それまでの統合に関する議論を無視した学部構成や履修形態などを打ち出す。そういえば石原慎太郎とトランプは似たところがあったなあ。
そこから東京都(の石原都知事の意向を受けた一派)と大学側が激突!
公募では過半数越えで最多だった新大学の「東京都立大学」との名称も、東京都が独断で公募案にはなかった「首都大学東京」にすると発表。石原都知事は小説家でもあったせいか「東京環状線」と決まりかけていた地下鉄新路線を「大江戸線」に変更するなど、言葉遣いの一種ともいえるネーミングには関心が高かった。ただし関心が高いのとセンスがいいかはまた別問題で、彼は「新銀行東京」なんてのも設立した(後に破綻し現在は「きらぼし銀行」)。
そしてその他もっと本質的な問題でスったモンだして有力教授多数の退職や新大学への就任拒否、他大学へ移籍の事態を招く。それにより文科省が新大学の認可を予定より数ヶ月見送り。さらに教授たちがいなくなった経済学部は新大学として設立申請できないハメに(その後に復活)。
まあそれでも何とか2005年4月1日に首都大学東京が開学。キャンパスは都立大学の居抜きでも、これは都立の4大学の統合ではなく新規の大学扱いとなって、都立大学は1949年からの歴史に幕を閉じたことになる。(諸説あり)
でも首都大学東京なんて名前は聞いたことがない人の方が多いんじゃない?
それは東京に住んでいても同じで、どこのFラン大学かと思ってしまう。
結果として開学10年以上経っても知名度はまったく上がらず。そうなると学生は就職などでも不利になるし、大学としても優秀な生徒が集まらなくなる(開学当初は不人気から偏差値もかなり低下)。学生アンケートでも改善して欲しいポイントのダントツ1位に「大学名・知名度」が長年続いたそうだ。
ちなみに首都大学東京の略称はクビ大だったらしい。首都の首はクビだけれど、それよりも新大学設立に当たって、石原都知事に反対した教授たちの首をたくさん切ったのが由来と噂されている(/o\)
それでどんな知名度アップ策を採ったかというと、何と2018年に以前の「東京都立大学」に名称を戻すと発表。ナンジャソレ! 主導したのは小池都知事。時期としては都知事1期2年目の出来事(現在は3期目)。そういえばこの頃の小池都知事は勢いがあったように記憶している。トランプがバイデンの政策をドンドン反故にしているように、小池さんにも石原都政を否定したい気持ちがあったのかも知れない。
なお聞くところによるとこの時も完全に東京都主導で、大学の現場や学生の声を取り入れたり、あるいは充分に説明したりした様子はない。現在の大学の権威や存在力はその程度なのだろう。
そして2020年4月1日をもって名称を「東京都立大学」に変更。
それから5年が経って現在は知名度や偏差値は上がったのかな?
よく見るとなぜか英文表記は変更されていない。
というか首都大学東京の英文がどうして Metropolitan University Tokyo でないのだ?
ここで問題は
首都大学東京は新設大学なので旧都立大学とはつながっていない
新しい都立大学は首都大学東京の単なる名称変更だからつながっている
すると三段論法で旧都立大学と新しい都立大学はつながっていないとなる。同じ名前で同じキャンパスなのにヘンなの。最初に「2020年からの歴史しかない」とはそういう意味。首都大学東京時代を含めても2005年から20年の歴史。
まっ、私の母校じゃないしどうでもいいけど(^^ゞ
なおこの都立大学荒川キャンパスは、以前の都立4大学のひとつである東京都立保健科学大学があった場所。その流れで都立大学では健康福祉学部が入っている。
こんな話ばかり書いていると、
いつまでたっても尾久の原公園の話にたどり着かない(/o\)
でもそれはいつものことだし、ついでにもうひとつ。
渋谷と横浜を結ぶ東急東横線には、
学芸大学と都立大学と大学名のついた駅が2つある。
駅名が大学の名前なら、その大学の最寄り駅だと考えるのが普通。でも学芸大学も都立大学もとっくの昔に東横線沿線から移転して現地に存在しない。それなのに駅名にだけ残っている不思議。
学芸大学は明治時代より続く4つの師範学校を統合して、戦後1949年(昭和24年)の学制改革により発足した国立の大学。統合したといっても当初は4つの師範学校がそれぞれ持っていた5箇所の校舎を使っていた。そのうちのひとつが元は東京第一師範学校の校舎だった世田谷区下馬にある世田谷キャンパス。
そして学芸大学駅は
1927年(昭和2年)に碑文谷(ひもんや)駅として開業。
↓
1936年(昭和11年)に、東京第一師範学校の前身で現在の北青山三丁目に
あった東京府青山師範学校が、世田谷区下馬に新校舎を建てて移転してくると
駅名を青山師範駅に改称。
↓
1943年(昭和18年)に青山師範学校が東京第一師範学校に名称変更すると
駅名も第一師範駅に改称。
↓
学芸大学の発足は1949年(昭和24年)であるが、在校生が卒業するまで、
東京学芸大学東京第一師範学校として師範学校は存続。
在校生がすべて卒業した1951年に廃止。
↓
1952年(昭和27年)に駅名を学芸大学駅に改称。
と、まあ見事に学校の変遷に併せて名前を変えてきている。
しかし1964年(昭和39年)に学芸大学は都内各地にあったキャンパスを、元は東京第二師範学校だった小金井市に統合。学芸大学駅は大学とは無関係な駅になってしまった。
隣の都立大学駅も似たような経緯。
1927年(昭和2年)に柿ノ木坂駅として開業。
↓
1931年(昭和6年)に府立高等前駅に改称。
ただし都立大学の前身の府立高等学校が目黒区八雲に移転してきたのは1932年
であり、なぜ前年にまだ存在していない学校名に駅名を変えたのかはナゾ。
移転が決まったのは1930年でまだ校舎建築中だったはず。
なおこの移転は沿線発展のために東急が誘致して実現。
それにしても府立高等前と「学校」を省いて変な駅名。
↓
翌1932年(昭和7年)に府立高等駅に改称。
駅から校舎まで歩いて10分以上は掛かるので「前」を外したみたい(^^ゞ
↓
1943年(昭和18年)に東京市と東京府を廃止して東京都が設置される。
実はこれ、戦時体制強化の一環だったのは意外と知られていない。
↓
これに伴い府立高等学校は都立高等学校に名称変更。
駅名もそれに併せて都立高校駅に改称。
今度は高等で切らずに高校にしたのね。
↓
1949年(昭和24年)の学制改革により東京都立大学が発足。
都立高等学校は1950年3月に廃止。
↓
府立高等学校のときは学校が来る1年前に駅名を変えたのに、今度はなぜか
大学になった3年後の1952年(昭和27年)に駅名を都立大学駅に改称。
都立大学は目黒区八雲近くの、駒沢公園に隣接している世田谷区深沢にもキャンパスを広げていた。それでも手狭となり1991年(平成3年)に八王子市南大沢に移転。
というわけで2025年から数えると
学芸大学駅:61年前から大学とは無関係
都立大学駅:34年前から大学とは無関係
な状態が続いている。
都立大学に至っては、途中で大学名が消滅した時期が15年間あった。
それってドウヨ?と思うけれど、東急電鉄は1999年に駅名に関する住民アンケートを行っている。駅名変更の賛否を問うた結果は
学芸大学駅:賛成549名 反対934名 合計1483名 賛成率37%
都立大学駅:賛成630名 反対436名 合計1066名 賛成率59%
3分の2以上の賛成があれば変更する方針と公表していたらしいが、この結果で取りやめに。どういうサンプリング(アンケート対象者の抽出)で実施したのか、その他質問内容を含めてモロモロ不明なので結果を論評できないものの、世の中は何かにつけ現状変更のハードルが高いとうかがわせる数字。
駅名なんて普段は意識しないから単なる記号のような存在。でもそそっかしい受験生が間違えたりしないのかな。沿線住民として碑文谷や柿の木坂は、地名としてのイメージもよくて駅名にふさわしいと思うけど。
駅と学校の位置関係はこんな感じ。
学芸大学の旧世田谷下馬キャンパスは、大学があったときから併設されていた附属高校がそのまま使用している。敷地面積は5.3ヘクタールで高校としては相当に広い。なお大学が移転した小金井キャンパスは30ヘクタール。参考までに広さの単位である?東京ドームは4.7ヘクタール。
また学芸大学は世田谷区深沢にも付属の小学校と中学校を持っている。
ただしこちらの最寄り駅は都立大学駅というカオス(^^ゞ
都立大学があった旧目黒八雲キャンパスは7ヘクタール。現在は都立大学附属高等学校を前身として中高一貫校となった都立桜修館中等教育学校が2.85ヘクタールを有し、残りに「めぐろ区民キャンパス」という区営の文化施設が造られた。中高一貫校とは7年制だった府立高等学校時代に戻ったともいえるね。
旧世田谷深沢キャンパスは4ヘクタール。ここは民間に売却されて13棟772戸の大規模マンション群となっている。
たまたま都立大学の前を通りかかったせいで、
話が明後日の方向に走ってしまった。
興味の向くままに筆を走らせるのがこのブログとはいえ、
そろそろしだれ桜の話に入らないと(^^ゞ
ーーー続く
数分ほど歩いて見えてきたこの建物は、
都立大だった。
こんなところにあったとはつゆとも知らず。
都立大学はそこそこの伝統がある大学。私が受験生の頃にも問題集で都立大学の例題をよく見た。しかしここにある都立大学、実は2020年からの歴史しかないというややこしい成り立ち。
都立大学の前身は1929年(昭和4年)に設置された7年制の府立高等学校(まだ東京府だった時代)。場所は永田町で1932年(昭和7年)に目黒区八雲に移転。戦後の1949年(昭和24年)の学制改革により、高等科(7年制の後半3年)が東京都立大学、尋常科(7年制の前半4年)は東京都立大学附属高校に改組される。ここが都立大学のスタート。1991年(平成3年)に八王子へ移転。
やがて1990年代後半より行政改革機運が高まると(2001年に独立行政法人制度ができたりした)、東京都立大学も他の都立3大学と統合する運びとなる。
ところが2003年の都知事選で「今までにないまったく新しい大学を作る」と公約を掲げた石原慎太郎が二期目の当選。それまでの統合に関する議論を無視した学部構成や履修形態などを打ち出す。そういえば石原慎太郎とトランプは似たところがあったなあ。
そこから東京都(の石原都知事の意向を受けた一派)と大学側が激突!
公募では過半数越えで最多だった新大学の「東京都立大学」との名称も、東京都が独断で公募案にはなかった「首都大学東京」にすると発表。石原都知事は小説家でもあったせいか「東京環状線」と決まりかけていた地下鉄新路線を「大江戸線」に変更するなど、言葉遣いの一種ともいえるネーミングには関心が高かった。ただし関心が高いのとセンスがいいかはまた別問題で、彼は「新銀行東京」なんてのも設立した(後に破綻し現在は「きらぼし銀行」)。
そしてその他もっと本質的な問題でスったモンだして有力教授多数の退職や新大学への就任拒否、他大学へ移籍の事態を招く。それにより文科省が新大学の認可を予定より数ヶ月見送り。さらに教授たちがいなくなった経済学部は新大学として設立申請できないハメに(その後に復活)。
まあそれでも何とか2005年4月1日に首都大学東京が開学。キャンパスは都立大学の居抜きでも、これは都立の4大学の統合ではなく新規の大学扱いとなって、都立大学は1949年からの歴史に幕を閉じたことになる。(諸説あり)
でも首都大学東京なんて名前は聞いたことがない人の方が多いんじゃない?
それは東京に住んでいても同じで、どこのFラン大学かと思ってしまう。
結果として開学10年以上経っても知名度はまったく上がらず。そうなると学生は就職などでも不利になるし、大学としても優秀な生徒が集まらなくなる(開学当初は不人気から偏差値もかなり低下)。学生アンケートでも改善して欲しいポイントのダントツ1位に「大学名・知名度」が長年続いたそうだ。
ちなみに首都大学東京の略称はクビ大だったらしい。首都の首はクビだけれど、それよりも新大学設立に当たって、石原都知事に反対した教授たちの首をたくさん切ったのが由来と噂されている(/o\)
それでどんな知名度アップ策を採ったかというと、何と2018年に以前の「東京都立大学」に名称を戻すと発表。ナンジャソレ! 主導したのは小池都知事。時期としては都知事1期2年目の出来事(現在は3期目)。そういえばこの頃の小池都知事は勢いがあったように記憶している。トランプがバイデンの政策をドンドン反故にしているように、小池さんにも石原都政を否定したい気持ちがあったのかも知れない。
なお聞くところによるとこの時も完全に東京都主導で、大学の現場や学生の声を取り入れたり、あるいは充分に説明したりした様子はない。現在の大学の権威や存在力はその程度なのだろう。
そして2020年4月1日をもって名称を「東京都立大学」に変更。
それから5年が経って現在は知名度や偏差値は上がったのかな?
よく見るとなぜか英文表記は変更されていない。
というか首都大学東京の英文がどうして Metropolitan University Tokyo でないのだ?
ここで問題は
首都大学東京は新設大学なので旧都立大学とはつながっていない
新しい都立大学は首都大学東京の単なる名称変更だからつながっている
すると三段論法で旧都立大学と新しい都立大学はつながっていないとなる。同じ名前で同じキャンパスなのにヘンなの。最初に「2020年からの歴史しかない」とはそういう意味。首都大学東京時代を含めても2005年から20年の歴史。
まっ、私の母校じゃないしどうでもいいけど(^^ゞ
なおこの都立大学荒川キャンパスは、以前の都立4大学のひとつである東京都立保健科学大学があった場所。その流れで都立大学では健康福祉学部が入っている。
こんな話ばかり書いていると、
いつまでたっても尾久の原公園の話にたどり着かない(/o\)
でもそれはいつものことだし、ついでにもうひとつ。
渋谷と横浜を結ぶ東急東横線には、
学芸大学と都立大学と大学名のついた駅が2つある。
駅名が大学の名前なら、その大学の最寄り駅だと考えるのが普通。でも学芸大学も都立大学もとっくの昔に東横線沿線から移転して現地に存在しない。それなのに駅名にだけ残っている不思議。
学芸大学は明治時代より続く4つの師範学校を統合して、戦後1949年(昭和24年)の学制改革により発足した国立の大学。統合したといっても当初は4つの師範学校がそれぞれ持っていた5箇所の校舎を使っていた。そのうちのひとつが元は東京第一師範学校の校舎だった世田谷区下馬にある世田谷キャンパス。
そして学芸大学駅は
1927年(昭和2年)に碑文谷(ひもんや)駅として開業。
↓
1936年(昭和11年)に、東京第一師範学校の前身で現在の北青山三丁目に
あった東京府青山師範学校が、世田谷区下馬に新校舎を建てて移転してくると
駅名を青山師範駅に改称。
↓
1943年(昭和18年)に青山師範学校が東京第一師範学校に名称変更すると
駅名も第一師範駅に改称。
↓
学芸大学の発足は1949年(昭和24年)であるが、在校生が卒業するまで、
東京学芸大学東京第一師範学校として師範学校は存続。
在校生がすべて卒業した1951年に廃止。
↓
1952年(昭和27年)に駅名を学芸大学駅に改称。
と、まあ見事に学校の変遷に併せて名前を変えてきている。
しかし1964年(昭和39年)に学芸大学は都内各地にあったキャンパスを、元は東京第二師範学校だった小金井市に統合。学芸大学駅は大学とは無関係な駅になってしまった。
隣の都立大学駅も似たような経緯。
1927年(昭和2年)に柿ノ木坂駅として開業。
↓
1931年(昭和6年)に府立高等前駅に改称。
ただし都立大学の前身の府立高等学校が目黒区八雲に移転してきたのは1932年
であり、なぜ前年にまだ存在していない学校名に駅名を変えたのかはナゾ。
移転が決まったのは1930年でまだ校舎建築中だったはず。
なおこの移転は沿線発展のために東急が誘致して実現。
それにしても府立高等前と「学校」を省いて変な駅名。
↓
翌1932年(昭和7年)に府立高等駅に改称。
駅から校舎まで歩いて10分以上は掛かるので「前」を外したみたい(^^ゞ
↓
1943年(昭和18年)に東京市と東京府を廃止して東京都が設置される。
実はこれ、戦時体制強化の一環だったのは意外と知られていない。
↓
これに伴い府立高等学校は都立高等学校に名称変更。
駅名もそれに併せて都立高校駅に改称。
今度は高等で切らずに高校にしたのね。
↓
1949年(昭和24年)の学制改革により東京都立大学が発足。
都立高等学校は1950年3月に廃止。
↓
府立高等学校のときは学校が来る1年前に駅名を変えたのに、今度はなぜか
大学になった3年後の1952年(昭和27年)に駅名を都立大学駅に改称。
都立大学は目黒区八雲近くの、駒沢公園に隣接している世田谷区深沢にもキャンパスを広げていた。それでも手狭となり1991年(平成3年)に八王子市南大沢に移転。
というわけで2025年から数えると
学芸大学駅:61年前から大学とは無関係
都立大学駅:34年前から大学とは無関係
な状態が続いている。
都立大学に至っては、途中で大学名が消滅した時期が15年間あった。
それってドウヨ?と思うけれど、東急電鉄は1999年に駅名に関する住民アンケートを行っている。駅名変更の賛否を問うた結果は
学芸大学駅:賛成549名 反対934名 合計1483名 賛成率37%
都立大学駅:賛成630名 反対436名 合計1066名 賛成率59%
3分の2以上の賛成があれば変更する方針と公表していたらしいが、この結果で取りやめに。どういうサンプリング(アンケート対象者の抽出)で実施したのか、その他質問内容を含めてモロモロ不明なので結果を論評できないものの、世の中は何かにつけ現状変更のハードルが高いとうかがわせる数字。
駅名なんて普段は意識しないから単なる記号のような存在。でもそそっかしい受験生が間違えたりしないのかな。沿線住民として碑文谷や柿の木坂は、地名としてのイメージもよくて駅名にふさわしいと思うけど。
駅と学校の位置関係はこんな感じ。
学芸大学の旧世田谷下馬キャンパスは、大学があったときから併設されていた附属高校がそのまま使用している。敷地面積は5.3ヘクタールで高校としては相当に広い。なお大学が移転した小金井キャンパスは30ヘクタール。参考までに広さの単位である?東京ドームは4.7ヘクタール。
また学芸大学は世田谷区深沢にも付属の小学校と中学校を持っている。
ただしこちらの最寄り駅は都立大学駅というカオス(^^ゞ
都立大学があった旧目黒八雲キャンパスは7ヘクタール。現在は都立大学附属高等学校を前身として中高一貫校となった都立桜修館中等教育学校が2.85ヘクタールを有し、残りに「めぐろ区民キャンパス」という区営の文化施設が造られた。中高一貫校とは7年制だった府立高等学校時代に戻ったともいえるね。
旧世田谷深沢キャンパスは4ヘクタール。ここは民間に売却されて13棟772戸の大規模マンション群となっている。
たまたま都立大学の前を通りかかったせいで、
話が明後日の方向に走ってしまった。
興味の向くままに筆を走らせるのがこのブログとはいえ、
そろそろしだれ桜の話に入らないと(^^ゞ
ーーー続く