2025年04月26日
足立区都市農業公園でまずはサクラから
2022年シーズン以来3年ぶりに植えたチューリップ。
12球のうち11球が発芽し7株までが咲いた話を4月10日に書いた。
チューリップが咲き始めると無駄に早起きして観察するのが日課。
これは4月9日に5株が開花して撮った写真。
この品種も早く咲かないかな、
これは球根のパッケージ写真よりきれいに咲いてうれしいなーーー
なんて思っていたら、
突然、もっとたくさんのチューリップが見たい見たい発作に襲われる!
そこで
今まで訪れていない
そこそこの規模がある
そんなに遠くない
を満たす条件で探し当てたのが足立区都市農業公園。
その名前の通り足立区の荒川沿いにある。
あっ、4日前にしだれ桜を見てきた尾久の原公園の近くじゃないか。
この時点で天気は快晴。しかし予報を見ると翌日から週末にかけて下り坂。次の週は晴れマークが多かったものの何かとスケジュールが詰まっていた。というわけでそのままお出かけ。これは発作だから止められず仕方がないのだ(^^ゞ
4月5日に初めて降り立った西日暮里。
まさかこんなに早くまた来ることになるとは。
なお前回は渋谷から山手線で、今回は地下鉄の日比谷線と千代田線を乗り継いでやって来た。別に違う電車に乗ると趣向を凝らした結果ではなく、最寄り駅について乗り換え案内アプリで示された、そのときに一番早く着く経路を選んだだけ。
西日暮里からは尾久の原公園でも利用した日暮里・舎人ライナー。
前回より5つ先の西新井大師西で下車。
それにしても駅名に西が2つもあるなんて珍しいのでは。
西日暮里を含めて1日で西を3つゲット(しても別にうれしくもないが)。
駅を降りたところ。
特に何もなし。
ここから公園まではバス。そのバスはなんと1時間に1本!
そして駅に到着したのはバスが発車する時刻(>_<)
23区内でもバスが1時間に1本なんてあるんだ。
それで散歩がてらに歩いて向かうとする。
30分ちょっとの距離でたいしたことなし。
環七通りは環状線だから東京をグルッと取り巻いている。それはわかっていても普段の生活圏以外で、馴染みのない地名と一緒にこんな標識を見ると何となく妙な気分。
舎人ライナーの高架を見上げる。
柱は中央部だけで電車が走っている部分は直接の支えがないんだ。
環七通りの2本手前を右折して西方向に。
写真の右は江北6丁目団地で、左は上沼田東公園野球場。
さらに進んでこんな町並みが続く。
いわゆる城跡を「城址(じょうし)」とも呼ぶものの「校址」は初めて見た。
鹿浜尋常小学校の跡地。鹿浜(しかはま)はこのあたりの地名。
まあ普通の広場公園。
以前は区営のプールだったらしい。
ところで尋常とは少し古い日本語で、現代では主に「尋常でない」との文脈でしか使われない。一方で昔の小学校が尋常小学校と呼ばれていたとの知識があって、そのふたつの「尋常」が何となく結びつかない気がしていた。「尋常」に小さいや最初といった意味は辞書にない。それで調べてみると、
1886年(明治19年)に小学校令が公布され
7歳から10歳まで4年制の尋常小学校と、
11歳から14歳までの同じく4年制の高等小学校
が設置される。ふたつを合わせると現在の小学1年から中学2年の年齢、つまり2段階の小学校がある制度。尋常小学校のみが義務教育だった。
2段階の小学校を別の表現に置き換えるなら、
尋常小学校:小学校初等科
高等小学校:小学校高等科
そして「尋常でない」とは「普通でない」だから尋常=普通。おそらく高等科との対比を初等科ではなく普通科と捉え、普通=尋常で尋常小学校となったと思われる。
いや〜疑問に思い始めて50年ほど経つけれど(^^ゞ
ようやく調べてスッキリしたわ。
さらに進む。
このあたりは団地が多い。
高速道路の高架の向こうが都市農業公園。
高速道路沿いは八重桜を中心としたサクラ並木。
高速道路をくぐって公園到着。
都市農業公園の下に足立区江北(こうほく)公園とある。
2つ名前があるのか?
Wikipediaによると都市農業公園は正式には江北公園の1ブロックとの解説。ただしGoogleマップを見ると緑で囲った部分が都市農業公園で、江北公園の名前は赤い矢印の部分にあった。北側の矢印3つは都市農業公園と敷地がつながっているようだけれど、南側のは少し離れた場所にある。ヘンな公園。
それとプレートに足立区江北公園となっていても、それは足立区立の江北公園という意味で公園の名前は江北公園。他の区立公園も◯◯公園の名称。しかし都市農業公園は足立区のホームページを見ると、足立区都市農業公園がフルネームのようで足立区を強調している。それだけ自慢の公園なのかな。
ごちゃごちゃ言ってないで中に入りましょう。
案内図ほぼ中央にある、芝生広場を取り囲んでいる薄オレンジの印はサクラを意味している。「あんないMAP」の文字の下の薄オレンジは先ほどの高速道路高架下のサクラ並木。
最初に書いたようにここはチューリップで検索して見つけた公園。現地に来るまでサクラがある、それもかなり見応えのある内容だとはまったく知らなかった。ブログのタイトルが「まずはサクラから」となっているのはそういう事情。でもそれはうれしい誤算だった。
江北五色桜の説明看板。
とりあえずこれを読んで欲しい。
いくつか補足すると荒川堤とは荒川の堤(つつみ)すなわち堤防すべてではなく、荒川沿いでも景勝地とされた江北の堤を指す。その江北とは江=川=荒川で、荒川の北に位置するこのあたりの昔の地名。1889年(明治22年)に江北村として成立。ただし、
現在の隅田川:以前は荒川と呼ばれていた。
正式に隅田川になったのは1965年(昭和40年)。
現在の荒川:隅田川の治水対策として掘られた人工河川。
1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)の17年間をかけて完成。
当初の名前は荒川放水路で、1965年(昭和40年)に荒川の名前となる。
したがって昔の荒川堤とはどちらかといえば現在の隅田川を指す。
1885年(明治18年)に旧荒川・現隅田川の堤防改修の際に、住民の要望で78種3000本のサクラが植樹され、それが成長した1903年(明治36年)頃から東京で一番のサクラの名所となり、景勝地として荒川堤の名前で呼ばれるようになった。
それもつかのま荒川堤は荒川放水路建設工事の影響などで荒廃(/o\)
工事開始が1913年なのでわずか10年ほどが最盛期。昭和になった頃はまだ花見ができたらしいが、その後の戦争で桜の木は伐採して薪にされ荒川堤は消滅する。
ところでお花見のニュースが流れる時期、たまに「米国ワシントンのポトマック河畔でも桜が満開です」なんて紹介される。ポトマック河畔には現在8000本を超えるサクラがあり、日本と同じように桜祭りが開催され100万人以上の人が訪れるという。日本の桜名所と較べると上野公園400万人、新宿御苑200万人、井の頭公園100万人なのでトップ3入りを狙える規模。どうやらアメリカ人も桜が大好きみたい。画像はhttps://x.gd/ssfIp(短縮URL使用)から引用
実はこの桜、1912年(大正元年)に日米友好の証しとして、荒川堤の桜で59品種3020本の苗木を作って贈ったのがその始まり。中国がパンダ外交を繰り広げているように、日本もサクラ外交に力を入れていいと思うゾ。
話はそれだけで終わらない。
戦後、消滅した荒川堤を現在の荒川で復興すべく作業が続けられてきた。その決め手になったのは、何と今度は逆にワシントンより1981年(昭和56年)に届けられた35品種3000本の苗木。説明看板に書かれている「里帰り桜」とはそれを意味している。わざわざワシントンから取り寄せなくても、日本中に桜はいくらでもあったヤロと思わなくはないとはいえ、それでもいい話じゃない。やっぱりサクラ外交を推し進めるべき。
そしてさらに素晴らしいのは看板に書かれているように、たくさんの品種が植えられていること。真っ白なソメイヨシノには物足りなさを覚える私にはうってつけのサクラ名所。先ほど「それもかなり見応えのある内容」と書いたのはここがそんな五色桜だったから。
ーーー続く
12球のうち11球が発芽し7株までが咲いた話を4月10日に書いた。
チューリップが咲き始めると無駄に早起きして観察するのが日課。
これは4月9日に5株が開花して撮った写真。
この品種も早く咲かないかな、
これは球根のパッケージ写真よりきれいに咲いてうれしいなーーー
なんて思っていたら、
突然、もっとたくさんのチューリップが見たい見たい発作に襲われる!
そこで
今まで訪れていない
そこそこの規模がある
そんなに遠くない
を満たす条件で探し当てたのが足立区都市農業公園。
その名前の通り足立区の荒川沿いにある。
あっ、4日前にしだれ桜を見てきた尾久の原公園の近くじゃないか。
この時点で天気は快晴。しかし予報を見ると翌日から週末にかけて下り坂。次の週は晴れマークが多かったものの何かとスケジュールが詰まっていた。というわけでそのままお出かけ。これは発作だから止められず仕方がないのだ(^^ゞ
4月5日に初めて降り立った西日暮里。
まさかこんなに早くまた来ることになるとは。
なお前回は渋谷から山手線で、今回は地下鉄の日比谷線と千代田線を乗り継いでやって来た。別に違う電車に乗ると趣向を凝らした結果ではなく、最寄り駅について乗り換え案内アプリで示された、そのときに一番早く着く経路を選んだだけ。
西日暮里からは尾久の原公園でも利用した日暮里・舎人ライナー。
前回より5つ先の西新井大師西で下車。
それにしても駅名に西が2つもあるなんて珍しいのでは。
西日暮里を含めて1日で西を3つゲット(しても別にうれしくもないが)。
駅を降りたところ。
特に何もなし。
ここから公園まではバス。そのバスはなんと1時間に1本!
そして駅に到着したのはバスが発車する時刻(>_<)
23区内でもバスが1時間に1本なんてあるんだ。
それで散歩がてらに歩いて向かうとする。
30分ちょっとの距離でたいしたことなし。
環七通りは環状線だから東京をグルッと取り巻いている。それはわかっていても普段の生活圏以外で、馴染みのない地名と一緒にこんな標識を見ると何となく妙な気分。
舎人ライナーの高架を見上げる。
柱は中央部だけで電車が走っている部分は直接の支えがないんだ。
環七通りの2本手前を右折して西方向に。
写真の右は江北6丁目団地で、左は上沼田東公園野球場。
さらに進んでこんな町並みが続く。
いわゆる城跡を「城址(じょうし)」とも呼ぶものの「校址」は初めて見た。
鹿浜尋常小学校の跡地。鹿浜(しかはま)はこのあたりの地名。
まあ普通の広場公園。
以前は区営のプールだったらしい。
ところで尋常とは少し古い日本語で、現代では主に「尋常でない」との文脈でしか使われない。一方で昔の小学校が尋常小学校と呼ばれていたとの知識があって、そのふたつの「尋常」が何となく結びつかない気がしていた。「尋常」に小さいや最初といった意味は辞書にない。それで調べてみると、
1886年(明治19年)に小学校令が公布され
7歳から10歳まで4年制の尋常小学校と、
11歳から14歳までの同じく4年制の高等小学校
が設置される。ふたつを合わせると現在の小学1年から中学2年の年齢、つまり2段階の小学校がある制度。尋常小学校のみが義務教育だった。
2段階の小学校を別の表現に置き換えるなら、
尋常小学校:小学校初等科
高等小学校:小学校高等科
そして「尋常でない」とは「普通でない」だから尋常=普通。おそらく高等科との対比を初等科ではなく普通科と捉え、普通=尋常で尋常小学校となったと思われる。
いや〜疑問に思い始めて50年ほど経つけれど(^^ゞ
ようやく調べてスッキリしたわ。
さらに進む。
このあたりは団地が多い。
高速道路の高架の向こうが都市農業公園。
高速道路沿いは八重桜を中心としたサクラ並木。
高速道路をくぐって公園到着。
都市農業公園の下に足立区江北(こうほく)公園とある。
2つ名前があるのか?
Wikipediaによると都市農業公園は正式には江北公園の1ブロックとの解説。ただしGoogleマップを見ると緑で囲った部分が都市農業公園で、江北公園の名前は赤い矢印の部分にあった。北側の矢印3つは都市農業公園と敷地がつながっているようだけれど、南側のは少し離れた場所にある。ヘンな公園。
それとプレートに足立区江北公園となっていても、それは足立区立の江北公園という意味で公園の名前は江北公園。他の区立公園も◯◯公園の名称。しかし都市農業公園は足立区のホームページを見ると、足立区都市農業公園がフルネームのようで足立区を強調している。それだけ自慢の公園なのかな。
ごちゃごちゃ言ってないで中に入りましょう。
案内図ほぼ中央にある、芝生広場を取り囲んでいる薄オレンジの印はサクラを意味している。「あんないMAP」の文字の下の薄オレンジは先ほどの高速道路高架下のサクラ並木。
最初に書いたようにここはチューリップで検索して見つけた公園。現地に来るまでサクラがある、それもかなり見応えのある内容だとはまったく知らなかった。ブログのタイトルが「まずはサクラから」となっているのはそういう事情。でもそれはうれしい誤算だった。
江北五色桜の説明看板。
とりあえずこれを読んで欲しい。
いくつか補足すると荒川堤とは荒川の堤(つつみ)すなわち堤防すべてではなく、荒川沿いでも景勝地とされた江北の堤を指す。その江北とは江=川=荒川で、荒川の北に位置するこのあたりの昔の地名。1889年(明治22年)に江北村として成立。ただし、
現在の隅田川:以前は荒川と呼ばれていた。
正式に隅田川になったのは1965年(昭和40年)。
現在の荒川:隅田川の治水対策として掘られた人工河川。
1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)の17年間をかけて完成。
当初の名前は荒川放水路で、1965年(昭和40年)に荒川の名前となる。
したがって昔の荒川堤とはどちらかといえば現在の隅田川を指す。
1885年(明治18年)に旧荒川・現隅田川の堤防改修の際に、住民の要望で78種3000本のサクラが植樹され、それが成長した1903年(明治36年)頃から東京で一番のサクラの名所となり、景勝地として荒川堤の名前で呼ばれるようになった。
それもつかのま荒川堤は荒川放水路建設工事の影響などで荒廃(/o\)
工事開始が1913年なのでわずか10年ほどが最盛期。昭和になった頃はまだ花見ができたらしいが、その後の戦争で桜の木は伐採して薪にされ荒川堤は消滅する。
ところでお花見のニュースが流れる時期、たまに「米国ワシントンのポトマック河畔でも桜が満開です」なんて紹介される。ポトマック河畔には現在8000本を超えるサクラがあり、日本と同じように桜祭りが開催され100万人以上の人が訪れるという。日本の桜名所と較べると上野公園400万人、新宿御苑200万人、井の頭公園100万人なのでトップ3入りを狙える規模。どうやらアメリカ人も桜が大好きみたい。画像はhttps://x.gd/ssfIp(短縮URL使用)から引用
実はこの桜、1912年(大正元年)に日米友好の証しとして、荒川堤の桜で59品種3020本の苗木を作って贈ったのがその始まり。中国がパンダ外交を繰り広げているように、日本もサクラ外交に力を入れていいと思うゾ。
話はそれだけで終わらない。
戦後、消滅した荒川堤を現在の荒川で復興すべく作業が続けられてきた。その決め手になったのは、何と今度は逆にワシントンより1981年(昭和56年)に届けられた35品種3000本の苗木。説明看板に書かれている「里帰り桜」とはそれを意味している。わざわざワシントンから取り寄せなくても、日本中に桜はいくらでもあったヤロと思わなくはないとはいえ、それでもいい話じゃない。やっぱりサクラ外交を推し進めるべき。
そしてさらに素晴らしいのは看板に書かれているように、たくさんの品種が植えられていること。真っ白なソメイヨシノには物足りなさを覚える私にはうってつけのサクラ名所。先ほど「それもかなり見応えのある内容」と書いたのはここがそんな五色桜だったから。
ーーー続く
wassho at 22:01│Comments(0)│
│お花畑探訪