2025年04月29日
荒川の散歩
4月9日に「たくさんのチューリップが見たい見たい発作」を発症し、どこか適当なところはないかと探して訪れた足立区都市農業公園。そこは偶然にも4日前の4月5日にしだれ桜を見てきた荒川区の尾久の原公園の近くだった。直線距離にして約4.5km。西日暮里で日暮里・舎人ライナーに乗り換えるのも同じ。
尾久の原公園のしだれ桜は7分咲きと公式ホームページにあったものの、実際は全体としてまだ5分咲き程度だった。当日の最高気温は17度。その後は20度前後の日が続き、この日は24度の予想だった。
だったら都市農業公園から荒川沿いを散歩して、さらに開花が進んだであろう尾久の原公園まで行ってみようかと。それが本日の第2、第3の企画。前回、尾久の原公園の後は南千住まで隅田川を散歩したが、それより少し距離は短め。
この堤防沿いの並木で都市農業公園のサクラとはお別れ。チューリップで検索して見つけた公園だったけれど、実はたくさんの品種があるサクラ植物園のような場所。
珍しい色のウコンサクラを目に焼き付けておく。
都市農業公園の初回に書いた「荒川堤」を記念した石碑。
石碑が建てられたのは大正14年(1925年)で、
説明には江北二丁目荒川土手にあったのを移転したとある。
江北二丁目はここより2キロほど下流の荒川沿い。
でもちょっとヘン。
初回に書いたように荒川堤=荒川沿いのサクラの景勝地とは、今の隅田川が荒川と呼ばれていた時代の呼び名。現在の荒川は隅田川(旧荒川)の治水対策バイパスとして掘られた人工河川で、当初の名前は荒川放水路。その荒川放水路は着工が1913年(大正2年)で完成が1930年(昭和5年)。
つまり碑が建てられた1925年に現在の荒川はまだない。もちろん開通していないだけで水路は掘られていたかも知れないが、そんなところに碑を建てるかな。そして当時は荒川といえば隅田川を指していた。隅田川沿いにあったのを、かなり後に江北二丁目に移し、さらにここへ持ってきたのか。
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(^^ゞ
荒川の上流方向。
下流方向。
黄色い柵が見えているところまでが都市農業公園。
ではいよいよ荒川散歩の始まり。
最初の橋は鹿浜橋。
見晴らしのいい堤防の上を歩くつもりだったのに橋の向こうに渡れず(>_<)
仕方ないので少し戻って、
河川敷に降りる。
鹿浜橋を通過。
河川敷自体は風景の変化に乏しい。
それでも鉄塔を眺めたり、
ヤナギがキレイだなと思ったり。
ヤナギを見るといつもユーミンが卒業写真で ♪ 話しかけるように ゆれるヤナギの下を〜と唄うとき、ヤナギの「ギ」だけ音が高くなるのを思い出す。出だしで同じメロディの「悲しいことがあると 開く皮の表紙」の皮は高くならないのに。楽譜はどうなっているのかな。
それと歌詞を確認すると「 開く皮の表紙」。しかし動物の皮を製品にしたのは革だから「革の表紙」のはずなのにーーー。校正漏れ?
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(二回目)
河川敷からサクラを眺めながら歩けるのもこの時期だけの楽しみ。
いろいろなサクラが植えられていてさすが五色桜の足立区。
土手は新緑なのに川側の植物は枯れている。
やがてこれも緑になるはず。それが自然の営み。
通りかかったときは別の川が合流する場所の水門だと思っていたが、
後で地図を見たら合流している川はなく、
熊の木ポンプ場樋管(ひかん)という施設。
河川には堤防がある。その河川に支流が合流する場所では堤防が分断される。そこに開閉式の扉を設置して、それを閉めたときに支流への逆流を防ぐ堤防の役割を果たすのが水門。
その支流が小さければ堤防を分断しないで、堤防の中を貫いてコンクリート製の水路を通す。その場合に丸い形状なら樋管(ひかん)、箱型なら樋門(ひもん)と呼ぶ。(樋管や樋門にも逆流を防ぐフタはある)
だから地図に合流する川は見当たらなくても、地下に埋設したり川に蓋をした暗渠(あんきょ)でここに流れ込んでいる。
ではポンプ場とは?
実は足立区は23区でも低い土地で区全域が海抜2m前後。一部に海抜0m地帯もある。荒川も陸地より高い場所を流れるいわゆる天井川。つまり荒川に集まってきた暗渠は荒川より水位が低く、ポンプで汲み上げて荒川に放流する仕組み。
荒川=荒川放水路を建設したとき、もっと深く掘ればよかったのにと思うものの、それはそれで大変だったのだろうな。
ところで熊の木ポンプ場樋管があるのは足立区江北3-51-1。
それなのにどうして熊の木なんて名前がついているのか。
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(三回目)
さて歩き続けるとなんと見事なヴィンテージバイク(^^ゞ
しかし警告ステッカーが貼られたのは2日前じゃないか。
ここまでの姿になるにはもっとずっと前から放置されていたと思うゾ
改めて眺めれば高速道路の高架も面白いし何となく未来的。
完成して何十年も経っているけど。
この高速道路は首都高・中央環状線。路線番号はC2。
東京にはC1首都高・都心環状線、C2首都高・中央環状線、C3東京外環自動車道、C4首都圏中央連絡自動車道(通称は圏央道)と4つの環状高速道路がある。画像はhttps://news.infoseek.co.jp/article/kurumanews_820551/から引用
次に見えてきたのは江北橋。
さらに歩いて3番目の尾久橋。
下にあるのが尾久橋で、上は日暮里・舎人ライナー。
ちょうど日暮里・舎人ライナーが通りかかった。
車両が短いのでオモチャみたいに見える。
尾久橋で荒川を渡る。
ここで荒川とサヨナラ。
ローマ字表記はARA KAWAと荒と川の間にスペースが空けられている。「荒川」でひとつの名前なのにどうして?
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(四回目)
ちなみに、ここまで都市農業公園を出発して最初の鹿浜橋までは4分、そこから江北橋まで30分、さらに尾久橋まで12分のペース。
尾久橋を渡る。
上流方向は逆光で霞む。
下流方向はスッキリ。
肉眼では同じように見えるのだから、カメラでも同じに写るようにして欲しい。
右岸の河川敷にあった土盛り。
何に使うのだろうか。
とりあえず崩して遊びたい(^^ゞ
ここが荒川を渡りきった場所。
でも道路1本を挟んで、
尾久橋はまだ続き、
今度は隅田川を横断。
荒川の右岸水際から隅田川の左岸水際まで250mほどしかない。
この歩道橋を降りたら、
今度は隅田川沿いに歩いて尾久の原公園へ。
尾久の原公園のしだれ桜は7分咲きと公式ホームページにあったものの、実際は全体としてまだ5分咲き程度だった。当日の最高気温は17度。その後は20度前後の日が続き、この日は24度の予想だった。
だったら都市農業公園から荒川沿いを散歩して、さらに開花が進んだであろう尾久の原公園まで行ってみようかと。それが本日の第2、第3の企画。前回、尾久の原公園の後は南千住まで隅田川を散歩したが、それより少し距離は短め。
この堤防沿いの並木で都市農業公園のサクラとはお別れ。チューリップで検索して見つけた公園だったけれど、実はたくさんの品種があるサクラ植物園のような場所。
珍しい色のウコンサクラを目に焼き付けておく。
都市農業公園の初回に書いた「荒川堤」を記念した石碑。
石碑が建てられたのは大正14年(1925年)で、
説明には江北二丁目荒川土手にあったのを移転したとある。
江北二丁目はここより2キロほど下流の荒川沿い。
でもちょっとヘン。
初回に書いたように荒川堤=荒川沿いのサクラの景勝地とは、今の隅田川が荒川と呼ばれていた時代の呼び名。現在の荒川は隅田川(旧荒川)の治水対策バイパスとして掘られた人工河川で、当初の名前は荒川放水路。その荒川放水路は着工が1913年(大正2年)で完成が1930年(昭和5年)。
つまり碑が建てられた1925年に現在の荒川はまだない。もちろん開通していないだけで水路は掘られていたかも知れないが、そんなところに碑を建てるかな。そして当時は荒川といえば隅田川を指していた。隅田川沿いにあったのを、かなり後に江北二丁目に移し、さらにここへ持ってきたのか。
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(^^ゞ
荒川の上流方向。
下流方向。
黄色い柵が見えているところまでが都市農業公園。
ではいよいよ荒川散歩の始まり。
最初の橋は鹿浜橋。
見晴らしのいい堤防の上を歩くつもりだったのに橋の向こうに渡れず(>_<)
仕方ないので少し戻って、
河川敷に降りる。
鹿浜橋を通過。
河川敷自体は風景の変化に乏しい。
それでも鉄塔を眺めたり、
ヤナギがキレイだなと思ったり。
ヤナギを見るといつもユーミンが卒業写真で ♪ 話しかけるように ゆれるヤナギの下を〜と唄うとき、ヤナギの「ギ」だけ音が高くなるのを思い出す。出だしで同じメロディの「悲しいことがあると 開く皮の表紙」の皮は高くならないのに。楽譜はどうなっているのかな。
それと歌詞を確認すると「 開く皮の表紙」。しかし動物の皮を製品にしたのは革だから「革の表紙」のはずなのにーーー。校正漏れ?
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(二回目)
河川敷からサクラを眺めながら歩けるのもこの時期だけの楽しみ。
いろいろなサクラが植えられていてさすが五色桜の足立区。
土手は新緑なのに川側の植物は枯れている。
やがてこれも緑になるはず。それが自然の営み。
通りかかったときは別の川が合流する場所の水門だと思っていたが、
後で地図を見たら合流している川はなく、
熊の木ポンプ場樋管(ひかん)という施設。
河川には堤防がある。その河川に支流が合流する場所では堤防が分断される。そこに開閉式の扉を設置して、それを閉めたときに支流への逆流を防ぐ堤防の役割を果たすのが水門。
その支流が小さければ堤防を分断しないで、堤防の中を貫いてコンクリート製の水路を通す。その場合に丸い形状なら樋管(ひかん)、箱型なら樋門(ひもん)と呼ぶ。(樋管や樋門にも逆流を防ぐフタはある)
だから地図に合流する川は見当たらなくても、地下に埋設したり川に蓋をした暗渠(あんきょ)でここに流れ込んでいる。
ではポンプ場とは?
実は足立区は23区でも低い土地で区全域が海抜2m前後。一部に海抜0m地帯もある。荒川も陸地より高い場所を流れるいわゆる天井川。つまり荒川に集まってきた暗渠は荒川より水位が低く、ポンプで汲み上げて荒川に放流する仕組み。
荒川=荒川放水路を建設したとき、もっと深く掘ればよかったのにと思うものの、それはそれで大変だったのだろうな。
ところで熊の木ポンプ場樋管があるのは足立区江北3-51-1。
それなのにどうして熊の木なんて名前がついているのか。
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(三回目)
さて歩き続けるとなんと見事なヴィンテージバイク(^^ゞ
しかし警告ステッカーが貼られたのは2日前じゃないか。
ここまでの姿になるにはもっとずっと前から放置されていたと思うゾ
改めて眺めれば高速道路の高架も面白いし何となく未来的。
完成して何十年も経っているけど。
この高速道路は首都高・中央環状線。路線番号はC2。
東京にはC1首都高・都心環状線、C2首都高・中央環状線、C3東京外環自動車道、C4首都圏中央連絡自動車道(通称は圏央道)と4つの環状高速道路がある。画像はhttps://news.infoseek.co.jp/article/kurumanews_820551/から引用
次に見えてきたのは江北橋。
さらに歩いて3番目の尾久橋。
下にあるのが尾久橋で、上は日暮里・舎人ライナー。
ちょうど日暮里・舎人ライナーが通りかかった。
車両が短いのでオモチャみたいに見える。
尾久橋で荒川を渡る。
ここで荒川とサヨナラ。
ローマ字表記はARA KAWAと荒と川の間にスペースが空けられている。「荒川」でひとつの名前なのにどうして?
調べ出すと沼にはまってしまうので、
これくらいにしておきましょう(四回目)
ちなみに、ここまで都市農業公園を出発して最初の鹿浜橋までは4分、そこから江北橋まで30分、さらに尾久橋まで12分のペース。
尾久橋を渡る。
上流方向は逆光で霞む。
下流方向はスッキリ。
肉眼では同じように見えるのだから、カメラでも同じに写るようにして欲しい。
右岸の河川敷にあった土盛り。
何に使うのだろうか。
とりあえず崩して遊びたい(^^ゞ
ここが荒川を渡りきった場所。
でも道路1本を挟んで、
尾久橋はまだ続き、
今度は隅田川を横断。
荒川の右岸水際から隅田川の左岸水際まで250mほどしかない。
この歩道橋を降りたら、
今度は隅田川沿いに歩いて尾久の原公園へ。