2025年06月17日

浮世絵の謎

近頃のNHKは大河ドラマと関連した番組をよく作る。ある種の番宣番組であり局を上げて大河ドラマを盛り上げようとしているのだろう。今年の大河ドラマは喜多川歌麿や東洲斎写楽のプロデューサーであった蔦屋重三郎を主人公にした「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」。それで浮世絵や浮世絵師をテーマにした関連番組が多い。大河ドラマを見る習慣はないのだが関連番組はいくつか見た。


その浮世絵について昔から疑問に思っていることがある。


今でこそ浮世絵は美術館で鑑賞する「美術」として扱われているものの、江戸時代には大衆の「娯楽」のひとつだった。現在の価格で1枚が数百円〜1000円程度だったらしい。

浮世絵は基本的に版画=印刷物であるが、何枚くらい刷られたのかの正確な記録はないようである。歌川豊国の作品数は1万点以上とされ、部数は平均で500〜1000枚、最も売れた作品で7000枚といわれている。また歌川広重「東海道五十三次(全55枚)」には1万枚を超えるものもあったと伝わる。ちなみに江戸の人口は江戸時代中期から後期で町人50万人+武士50万人の100万人。

なお江戸以外の各地で浮世絵がどれくらい普及していたのかもよくわからない。
ただし今回はそれには触れない。


さて葛飾北斎は弟子が200名いたらしく、それは例外的に多いから話に残っているとしても、現在の我々がよく知るポピュラーな浮世絵師以外にも多数の浮世絵師がいて、実に数多くの浮世絵が販売されていたのだと思う。

そして疑問とは

  江戸時代の人は浮世絵をどのように眺めていたのか?

である。

浮世絵が現代のポスターのような存在であるとすれば、自宅で壁に貼ると考えたくなる。しかし江戸時代の庶民の家で浮世絵が壁に貼られている光景がどうにも想像できない。またその光景を描いた浮世絵やその他の図柄も見た記憶がない。

ポスターを壁に貼るのは絵を額縁に入れて掛ける西洋の風習の簡略版。日本風になら掛け軸になるが浮世絵を掛け軸にはしない気がする。それにおそらく江戸時代の庶民の家に掛け軸はない(掛け軸を掛ける床の間もない)。また壁に浮世絵を貼るには画鋲が必要。しかし画鋲は明治になって製図に使う道具として輸入されたもので江戸時代にはまだなかった。

浮世絵の大きさは、最も多く刷られたとされる大判で約39cm×27cm。現代の用紙サイズだとA3:42cm×29.7cmとB4:36.4cm×25.7cmの中間くらい。手に持って眺めていたなら、そうでないときはどうしていたのか。文箱に入れるには大きすぎる。それにそんな道具は庶民の家にはないはず。クリアファイルはもちろんとして本棚や引き出しも江戸時代にはない。見ないときはクルクルと丸めていたのか。輪ゴムもなかったけれど。

今までに何度か調べたものの、そんなことを気にしている研究者はいないようで特に情報は得られず。以前に浮世絵の展覧会で学芸員に尋ねたら「いや〜、それはーーー」と困った顔をされた。


もっとも浮世絵は1度見たら、また見ることはあまりない新聞や週刊誌のような存在だったのかも知れない。パリの印象派の画家たちが浮世絵の影響を受けたのは、日本より輸出された陶磁器の包み紙として使われていた浮世絵を見たのが最初といわれる。プチプチの代わりにクシャクシャにした浮世絵が使われていたのだろう。それは明治になっての話とはいえもはや古新聞扱いである。江戸時代に紙はまだ貴重品だったから、しばらく眺めた後の浮世絵は裏面をメモ帳代わりにしたり、あるいは当時から存在した古紙回収業者に売ったとも考えられる。

いずれにせよ現在の漫画のルーツともいえる浮世絵を、江戸時代の庶民がどのように眺めて楽しんでいたのか、しっかりとした研究や考察を読んでみたいと願っている。



さて2025年ならこんな楽しみ方もある(^^ゞ

喜多川歌麿の「寛政三美人」。
歌麿


最近やたら見かける「AIでジブリ風」にしてみた。
ジブリ風


それをさらにルノワール風。
ルノワール風



悪ノリしてフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を、
真珠の耳飾りの少女


喜多川歌麿に描かせてみる。
フェルメール歌麿風1


もっと浮世絵風の顔にとリクエストしたら、
フェルメール歌麿風2

目線の向きや唇の形は少し浮世絵っぽくなったけれど顔の陰影が消えてしまった。目の大きさが変わらないのは、浮世絵のあの細目にAIは抵抗があるのだろうか。

今はまだお遊び適度でも10年後のAI進化が楽しみ。

wassho at 20:31│Comments(0) ノンジャンル | 美術展

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