2025年07月04日
烏帽子のあれこれ その3
画像はhttps://shouzokuten.izutsu.co.jp/catalog/5/105/とhttps://musashino-gakki.com/product/?p=100088から引用
既に書いたように冠(かんむり)は正装用で、烏帽子(えぼし)はそれ以外のときに被る帽子。冠は聖徳太子の頃に始まったとされるが、烏帽子のルーツは冠の下に着用した圭冠(はしばこうぶり)という薄い袋状のものだったようで、はっきりと形がわかる資料はないみたい。
聖徳太子が被っていた頭巾(ときん)と呼ばれるソフトな冠は、平安後期に最初の写真のような漆で固めたハードタイプに変わる。それはその頃の日本に起きた「ファッションの大革命」の影響を受けている。

平安貴族の服装といえばこんなイメージが思い浮かぶはず。画像はhttps://costume.iz2.or.jp/costume/265.htmlから引用編集
しかしこれ、実は平安時代後期のスタイル。全体として直線的で威厳のある印象なものの、平安中期以前はもっと柔らかなデザインだったらしい。それでこの後期以降のデザインを強装束(こわしょうぞく)、それまでを柔装束(なえしょうぞく)と後の時代に区別するようになった。
歴史のお勉強的に書いておくと
飛鳥・奈良時代:中国大陸の隋や唐の影響を受けた「唐様(からよう)」のデザイン
↓
ナクヨウグイス平安京 794年から平安時代
それから100年ほど経つと唐の国力が衰え出す
ハクシニモドソウ遣唐使 894年に遣唐使廃止 唐の滅亡は907年
↓
約400年続いた平安時代の中期に唐の影響から脱却した日本独自の貴族文化が発達する。
いわゆる国風文化。平たくいえば日本風・和風の文化。
↓
衣装もシンプル・実用的な唐様から柔らかく曲線的で優美なものに変化。
それが柔装束(なえしょうぞく:萎装束とも書く)。
↓
平家が台頭してきた平安後期、中国大陸の宋より厚手の織物がもたらされるようになり、
また武家に対して威厳を示す必要もあって、強装束(こわしょうぞく)に変化して
いったとみられている。
まとめると唐様(からよう)→柔装束(なえしょうぞく)→強装束(こわしょうぞく)の変遷。平安時代は400年と縄文・弥生時代を除けば日本の時代区分の中で最も長い。ちなみに江戸時代は265年だから平安時代はその1.5倍もある。ひとくちに平安時代といっても様々なのだ。
時代は鎌倉まで下って源頼朝の肖像画。ほとんど直線で構成されていてまるで幾何学的デザイン。絵だから誇張しているのではなく、糊をきかせてガチガチに固めて着付けている。
戦国時代頃から始まり江戸時代には一般的となった裃(かみしも)も、強装束の流れを継承している。画像はhttps://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3298/から引用
柔装束から強装束のような大きな変化はその後は起きなかったので、明治になり洋装に変わるまで貴族の衣装はベースとして強装束が続く。現在の皇族がたまに儀式で着用する平安朝の衣装も強装束。こちらは1993年(平成5年)の「結婚の儀」の写真。
それでは柔装束(なえしょうぞく)は具体的にどんなデザインだったのか?
しかしこれがはっきりとは判明していない。
もちろん平安時代の衣装は現存しないので、当時の絵画やその他の資料で推測するわけであるが、平安時代中頃までは肖像画を描くのは憚られる風潮があった。それは明治時代にカメラと写真を見た日本人が「魂を抜かれる」と畏れたのと同じような理由。なんたって言霊(ことだま)を信じるくらいの民族だから、ビジュアルなんてもってのほかだったのだろう。
平安時代中期の絶対的権力者である藤原道長(966〜1028年)のこの肖像画も、紫式部絵日記という鎌倉時代初期に描かれたもの。その頃は強装束の時代なので、丸いラインで描かれてはいても強装束を着せられている。
それを逆手にとり、柔装束の事例としていくつかの資料で取り上げられていたのが聖徳太子絵伝すなわち聖徳太子の伝記を絵で表した作品。現在残っているのは1069年、つまり平安中期の制作。だからそこに描かれている衣装は柔装束とのロジック。
これがその柔装束姿の聖徳太子。
でも藤原道長の衣装との違いがよくわからない(/o\)
いずれにせよ平安貴族文化がピカピカに輝いていた時代の服装がはっきりわかっていないとは意外。
ついでに書くとよく映画やドラマの題材となる源氏物語。執筆されたのは平安中期である。物語は「いづれの御時にか=いつのことか忘れてしまったが」で始まるフィクション。でも内容から設定としては平安中期なのは間違いない。となれば柔装束の時代なはず。
でも映画やドラマで着せられているのは強装束だよね?画像はhttps://www.imdb.com/title/tt1705064/とhttps://www.cinematoday.jp/news/N0141179から引用
柔装束のデザインはわかっていないうえ、強装束=平安時代との認識回路が日本人の中にできあがっているので演出的にはこうせざるを得ないし、別にそれが問題だとも思っていない。でも無駄な知識が増えると、どうでもいいところに引っ掛かりが生まれてしまう。
あっ、今回も烏帽子まで話が進まなかったm(_ _)m
ーーー続く
wassho at 21:38│Comments(0)│
│ノンジャンル








