2025年07月15日

烏帽子のあれこれ その6

ついつい話がそれてしまうこのブログ。
今回のテーマはいつも以上にそんな予感がしていると初回に書いた。
やっぱり案の定ーーー


昔の人が頭に付けていたのには、
冠(かんむり)と烏帽子(えぼし)があるところから始まり、

 →西洋料理のコック帽はどうしてあんなに背が高いのか
 →現在の皇室での使われ方
 →日本人男子の髪型の変遷
 →髻(モトドリ)
 →力士の髪型
 →力士の階級と給料
 →強装束(こわしょうぞく)と柔装束(なえしょうぞく)
 →源氏物語の衣装
 →烏帽子の変化
 →庶民と烏帽子
 →モトドリは見せない、SEXのときでも烏帽子は脱がない
 →(古代と)中世は「被帽の時代」、近世は「無帽の時代」
 →でも大正時代から高度成長期前まで帽子が復活

と、我ながらアッパレ?

もっともそれは好奇心のなせる技で、それがある限り脳の活性も保たれるだろうし、またブログも書き続けられるのだと思っている。そして今のところそんな好奇心はAIには備わっておらず人間だけが持つ能力。本当は単に気まぐれで気移りしているなだけなのだけれど、それを前向きに捉えるのが私のいいところ(^^ゞ



さてそろそろ本題に戻りましょう。

それは昔の肖像画で見る武将や武士たちの、
頭に乗っている帽子の位置が、どう見てもおかしいとの疑問。

初回に紹介した肖像画を再掲しておく。
もう説明は省略するが被っているのは烏帽子。
被っているというより半分だけ頭に載っけている感じ。
85烏帽子被り方


こうなった理由は髪型にあると推測した。

これは昔の日本人男子の髪型変遷。
画像はコトバンクhttps://kotobank.jp/の「髪型」より引用
28髪型


江戸時代がチョンマゲだったのは誰でも知っているが、それより以前も古墳時代の「みずら」を除けば男性は頭の上で髪を束ねていた。この束ねた髪がモトドリ(髻)。

モトドリを高くまとめた戦国時代の髪型と、頭の一部を剃ってそこにモトドリを置いた江戸時代の髪型。画像はhttps://news.mynavi.jp/article/20200517-1037500/とhttps://magazine.confetti-web.com/news/54699/から引用
86かたわな&チョンマゲ


4名の肖像画の上段は戦国時代の浅井長政と北条氏康、下段は江戸時代の田沼意次と松平定信。田沼と松平はもちろんチョンマゲ。浅井と北条の具体的な髪型はわからないものの、頭にモトドリがあったのは間違いない。

そのモトドリがある頭に烏帽子を被るとどうなるのか。江戸時代以前の設定のドラマとかで烏帽子を被って横顔が映っているシーンを探してみたけれど、けっこうフツーで違和感なし。
87烏帽子ドラマ


始めて烏帽子を被る元服の儀式を再現したと思われる画像も見つけたが、これも同じく肖像画のように半分だけ載せた感じではない。画像はhttps://ameblo.jp/croon-yuuki/entry-12487737675.htmlとhttps://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=987161827170811904から引用編集
88烏帽子再現

考えてみればそれは当たり前で、元服儀式に参加している青年は頭にモトドリはないし、ドラマだって烏帽子は脱がないのだからモトドリまでは仕込んでいないはず。


そしてこんな画像を見つけた。
これは4名の肖像画で右下に配置した松平定信の別の肖像画。
89松平定信2

おそらくこのようにモトドリを覆うために、烏帽子を頭の後ろまで伸ばしてしたと思われる。それで正面からあまり角度の付いていない構図で肖像画を描けば、烏帽子が頭に半分だけ載っているように見える。100%納得はしていないのだが、もうそろそろこのテーマにも飽きてきたので(^^ゞ そういうことにしておきましょう。


ところでこの松平定信の肖像画、斜め前を向いている顔に対して、後頭部は顔よりもっと真横を向いているように見えなくもない。顔に合わせて同じ角度で描くとモトドリがあまり見えなくなるので、後頭部だけさらに横向きにしたのだろうか。

これって複数の多視点を絵画に導入した印象派のセザンヌと同じ技法。
江戸時代の絵師もなかなかやるね。



さて烏帽子が頭から半分はみ出して、
チョコンと載っているような肖像画の謎もとりあえずは解けた。




ーーーなのにまだ続く

wassho at 20:22│Comments(0) ノンジャンル 

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