2025年07月19日
烏帽子のあれこれ 番外編
烏帽子(えぼし)をネタにあれこれと話が脱線した前回まで6回のブログ。もう烏帽子とはほとんど関係のない話になるので今回は番外編とした。
さて左は聖徳太子の時代の頭巾(ときん)と呼ばれるソフトな冠(かんむり)、右は平安後期から強装束(こわしょうぞく)のデザイン様式になり布を漆で固めたハードな冠である。右画像はhttps://shouzokuten.izutsu.co.jp/catalog/5/105/から引用
ソフトな冠では袋状、ハードな冠では筒のように上に伸びているのは巾子(こじ)と呼ばれるパーツで、それは髪の毛を束ねた髻(モトドリ)を入れるためのもの。ハードな冠では巾子をモトドリに固定する簪(かんざし)も見える。
モトドリと巾子(こじ)とかんざしの関係図。
つまりモトドリがあるので巾子が作られた。
冠の普段着版である烏帽子が膨らんだ形をしているのも同じ理由。
写真はドラマでの朝倉義景(戦国時代)と徳川吉宗(江戸時代)。画像はhttps://news.mynavi.jp/article/20200517-1037500/とhttps://magazine.confetti-web.com/news/54699/から引用
モトドリがある=髪の毛をどこかで束ねた髪型を総称して髷(マゲ)と呼ぶ。朝倉義景の髪型は茶筅髷(ちゃせんまげ)。髪の毛を巻いている部分が茶筅(抹茶を点てるときにかき混ぜる道具)に似ているのでその名前。室町末期から安土桃山時代に流行ったとされる。
吉宗の髪型はチョンマゲ(丁髷)。厳密にはこれはチョンマゲではないのだが、広義にはチョンマゲといって差し支えないだろう。
このチョンマゲ、ドラマや映画で見慣れていて普段は何も感じないとはいえ、よく見れば見るほど不思議でおかしな髪型である。今もし茶筅髷にした人が現れても(例えばアーチストなどであれば)それほど違和感はないように思う。しかしチョンマゲだと吹き出してしまうに違いない。それはやはり頭頂部のセンターを剃っているから。いってみれば究極のツーブロック(^^ゞ
剃っている部分を月代(さかやき)と呼ぶ。月代にし始めたのは平安時代に武士が登場してから。目的は兜を被ったときに頭が蒸れるのを防ぐため(他にも諸説あり)。当初は戦(いくさ)の時だけ月代にしていて、やがて戦国の世になると戦多発で常に月代状態へ。そしてなぜか天下太平の江戸時代になっても、この戦闘用ヘアスタイルであった月代は生き残り、さらに武士ではない庶民にまで広がり明治になるまで続く。
月代を剃ると書いたが、当初は木製のピンセットのような毛抜きで抜いていたらしい。戦国時代に来日した宣教師の記録には「武士は頭を血だらけにしている」と記している。何と痛そうな(>_<)
また一説によると髪の毛を抜くのではなく剃って月代を作ったのは織田信長が最初とされる。宣教師の記録と合わせれば信長が最初かどうかはともかく、戦国時代(応仁の乱1467年〜信長上洛1568年)の中頃に剃り始めたと考えられる。しかしそれがどうにも解せない。
なぜなら毛を剃るのに使うカミソリは仏教と共に伝来した。時期は「手を合わせてご参拝」の538年。それ以降、僧侶は頭を剃ってきた。武士の登場が900年頃だとすれば月代を作り始めたのはカミソリ伝来から400年後である。
仏教と共に伝わったのは中国のカミソリ。信長が手にしたのは宣教師などがもたらした西洋式のカミソリといわれる。でもカミソリで中国と西洋にそんなに違いはない。中国からカミソリが伝来した当時は僧侶専用の「秘められた法具」だったかも知れない。ただし400年も経てばありふれた刃物のひとつで、誰もがカミソリで毛が剃れるのは知っていたはず。なのに900年から1500年の600年間もの期間、どうして武士は僧侶に「カミソリ貸して」と頼まずに、文字通り血の滲む痛い思いをして毛を抜いてきたのだろうか。謎すぎる。
ついでに言うと月代が兜を被ったときの暑さ対策だとして、髪の毛を剃った程度でそんなに涼しくなるかな? 仮に髪の毛があれば暑いとしても、別に剃らずに短くカットすればいいだけのこと。どうして剃る必要があった、あるいは痛い思いまでして抜いたのか。ちなみにハサミの伝来もかみそりとほぼ同時期。
まあそんなつまらないテーマを研究する歴史学者はいないだろうから、なぜ月代を無毛にした、どうしてを剃らずに毛を抜いたのかの疑問は解決しそうにない。
もうひとつついでに僧侶は坊主とも言う。そして僧侶は髪を剃ってツルツルにする。でも坊主頭はきわめて短くカットするだけで剃らない髪型である。なのにどうして坊主の名前が付いている?
あっ、番外編のキーワードはモトドリだったのに、
また話がそれてしまったm(_ _)m
ーーー続く
さて左は聖徳太子の時代の頭巾(ときん)と呼ばれるソフトな冠(かんむり)、右は平安後期から強装束(こわしょうぞく)のデザイン様式になり布を漆で固めたハードな冠である。右画像はhttps://shouzokuten.izutsu.co.jp/catalog/5/105/から引用
ソフトな冠では袋状、ハードな冠では筒のように上に伸びているのは巾子(こじ)と呼ばれるパーツで、それは髪の毛を束ねた髻(モトドリ)を入れるためのもの。ハードな冠では巾子をモトドリに固定する簪(かんざし)も見える。
モトドリと巾子(こじ)とかんざしの関係図。
つまりモトドリがあるので巾子が作られた。
冠の普段着版である烏帽子が膨らんだ形をしているのも同じ理由。
写真はドラマでの朝倉義景(戦国時代)と徳川吉宗(江戸時代)。画像はhttps://news.mynavi.jp/article/20200517-1037500/とhttps://magazine.confetti-web.com/news/54699/から引用
モトドリがある=髪の毛をどこかで束ねた髪型を総称して髷(マゲ)と呼ぶ。朝倉義景の髪型は茶筅髷(ちゃせんまげ)。髪の毛を巻いている部分が茶筅(抹茶を点てるときにかき混ぜる道具)に似ているのでその名前。室町末期から安土桃山時代に流行ったとされる。
吉宗の髪型はチョンマゲ(丁髷)。厳密にはこれはチョンマゲではないのだが、広義にはチョンマゲといって差し支えないだろう。
このチョンマゲ、ドラマや映画で見慣れていて普段は何も感じないとはいえ、よく見れば見るほど不思議でおかしな髪型である。今もし茶筅髷にした人が現れても(例えばアーチストなどであれば)それほど違和感はないように思う。しかしチョンマゲだと吹き出してしまうに違いない。それはやはり頭頂部のセンターを剃っているから。いってみれば究極のツーブロック(^^ゞ
剃っている部分を月代(さかやき)と呼ぶ。月代にし始めたのは平安時代に武士が登場してから。目的は兜を被ったときに頭が蒸れるのを防ぐため(他にも諸説あり)。当初は戦(いくさ)の時だけ月代にしていて、やがて戦国の世になると戦多発で常に月代状態へ。そしてなぜか天下太平の江戸時代になっても、この戦闘用ヘアスタイルであった月代は生き残り、さらに武士ではない庶民にまで広がり明治になるまで続く。
月代を剃ると書いたが、当初は木製のピンセットのような毛抜きで抜いていたらしい。戦国時代に来日した宣教師の記録には「武士は頭を血だらけにしている」と記している。何と痛そうな(>_<)
また一説によると髪の毛を抜くのではなく剃って月代を作ったのは織田信長が最初とされる。宣教師の記録と合わせれば信長が最初かどうかはともかく、戦国時代(応仁の乱1467年〜信長上洛1568年)の中頃に剃り始めたと考えられる。しかしそれがどうにも解せない。
なぜなら毛を剃るのに使うカミソリは仏教と共に伝来した。時期は「手を合わせてご参拝」の538年。それ以降、僧侶は頭を剃ってきた。武士の登場が900年頃だとすれば月代を作り始めたのはカミソリ伝来から400年後である。
仏教と共に伝わったのは中国のカミソリ。信長が手にしたのは宣教師などがもたらした西洋式のカミソリといわれる。でもカミソリで中国と西洋にそんなに違いはない。中国からカミソリが伝来した当時は僧侶専用の「秘められた法具」だったかも知れない。ただし400年も経てばありふれた刃物のひとつで、誰もがカミソリで毛が剃れるのは知っていたはず。なのに900年から1500年の600年間もの期間、どうして武士は僧侶に「カミソリ貸して」と頼まずに、文字通り血の滲む痛い思いをして毛を抜いてきたのだろうか。謎すぎる。
ついでに言うと月代が兜を被ったときの暑さ対策だとして、髪の毛を剃った程度でそんなに涼しくなるかな? 仮に髪の毛があれば暑いとしても、別に剃らずに短くカットすればいいだけのこと。どうして剃る必要があった、あるいは痛い思いまでして抜いたのか。ちなみにハサミの伝来もかみそりとほぼ同時期。
まあそんなつまらないテーマを研究する歴史学者はいないだろうから、なぜ月代を無毛にした、どうしてを剃らずに毛を抜いたのかの疑問は解決しそうにない。
もうひとつついでに僧侶は坊主とも言う。そして僧侶は髪を剃ってツルツルにする。でも坊主頭はきわめて短くカットするだけで剃らない髪型である。なのにどうして坊主の名前が付いている?
あっ、番外編のキーワードはモトドリだったのに、
また話がそれてしまったm(_ _)m
ーーー続く
wassho at 17:36│Comments(0)│
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