2025年07月23日

烏帽子のあれこれ 番外編その2

参考までに明治以前の日本の歴史区分を書いておくと

 旧石器時代→縄文時代→弥生時代
 古墳時代→空白の4世紀→飛鳥時代
 奈良時代→平安時代
 鎌倉時代→室町時代→戦国時代
 安土桃山時代→江戸時代

そして前回でも紹介した髪型は、左は戦国時代の茶筅髷(ちゃせんまげ)で右が江戸時代のチョンマゲ(丁髷)。画像はhttps://news.mynavi.jp/article/20200517-1037500/とhttps://magazine.confetti-web.com/news/54699/から引用
109茶筅髷チョンマゲ


それ以前の男性の髪型は明確にはわかっていない。
その理由は

 平安時代の中頃まで肖像画を描くのを憚る風潮があった。
 平安時代の貴族や武士は公的な場では冠(かんむり)、私的な場では烏帽子(えぼし)
 を被っていた。また庶民も烏帽子を被っていた。
 さらに冠や烏帽子を脱いで髪の毛を束ねたモトドリを他人に見せるのは恥とする考えが、
 庶民レベルで鎌倉後期、公家や武士では室町中期まで続いた。

つまり戦国時代以前は髪型を描いたビジュアルな記録や資料に乏しい。


「烏帽子のあれこれ その4」で鎌倉末期に描かれた松崎天神縁起絵巻を紹介した。こちらは886年に起きた放火事件である「応天門の変」を、平安末期に描いた伴大納言絵巻の模写の一部。

貴族の乗る牛車と警護の武士だろうか。
全員が烏帽子を着用。
110伴大納言絵巻1


こちらは庶民でやはり烏帽子を被っている。
111伴大納言絵巻2


しかしこの絵巻には清和天皇(850〜881年)が登場し、なんと彼は無帽!
112清和天皇

冠や烏帽子について調べると、多くの資料で「宮中では冠を着用するのがルール。天皇は基本的に宮中にいるので冠を取ることはなく、烏帽子を被れるのは退位して上皇になってから」と書かれている。

なのにどうしてこの絵巻では天皇を無帽で描いたのだろうか。しかも場所は清涼殿(天皇が政務を行う場所)で、太政大臣より対面で事件について報告を受けている、言ってみれば公務中。描かれているのは夜半に急な来訪の場面とはいえ、寝るときもSEXするときもモトドリを見せなかった平安人、ましてや天皇が無帽は考えづらいと思うのだが。あるいは「チンチン見せてもモトドリ見せるな」との考えは平安前期のこの頃にはまだなかったのか。
113清和天皇2

平安中期以降に人前でモトドリを見せなかったのはいろいろとエピソードが残っている。ただし平安時代は約400年もあったから前期では風習が異なっていても不思議ではない。何かと興味深いものの、これ以上の深入りは手間がかかるのでやめておくm(_ _)m


なお清和天皇の髪型は、この図によれば冠下髻(かんむり したの もとどり)と思われる。というかここにあるイラストは伴大納言絵巻にソックリ。おそらく伴大納言絵巻を真似て描いたのではないか。それだけ当時の髪型の資料は少ないのだと思われる。画像はコトバンクhttps://kotobank.jp/の「髪型」より引用
113髪型のコピー



(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

戦国時代の茶筅髷と平安時代のば冠下髻は、髪の毛を束ねたモトドリを頭上高くに巻いている点でほぼ同じ。そして江戸時代のチョンマゲは頭頂部を剃った月代(さかやき)の上にモトドリを折り曲げて載せた形。つまりどれも髪の毛を束ねてそこそこの大きさのモトドリ作るのは共通している。

平安時代より前で髪型が描かれたものは見つけられなかった。しかしこの画像左側の聖徳太子は8世紀前半(奈良時代:710〜794年)に描かれたとされる日本で最古の肖像画(右側はその模写の旧1万円札)で、被っている頭巾(ときん)と呼ばれるソフトな冠には以前に紹介したモトドリを納める巾子(こじ)のパーツがある。だから少なくとも奈良時代にはモトドリのある髪型をしていたと考えられる。おそらく彼が生きていた飛鳥時代(592〜710年)も、特に変化する要素はないので同じような髪型だったと推測する。
114聖徳太子飛鳥時代


ポーラ文化研究所のホームページによると「推古天皇11年(603)、隋にならって朝廷に仕える官人はすべて冠を被ることになりました(聖徳太子が制定した冠位十二階を指している)。これにより髪型が変化し、冠の下に収まるように髻を結うようになりました」とあり、この髪型を冠下一髻(かんむり したの ひともと)と紹介している。時代が下って清和天皇の髪型はこれの豪華版とも推測できる。画像はhttps://x.gd/6rWbdから引用編集(短縮URL使用)
115古代


これは藤原京期(694〜710年:飛鳥時代末期)の築造と推定されている高松塚古墳に描かれていた壁画とその復元図。これがソフトな冠か烏帽子かはよくわからないが、いかにも頭の上にモトドリがありそうな形をしている。
116-1高松塚古墳

116-2高松塚古墳復元模写


冠下一髻の説明にある「冠の下に収まるように髻を結うようになりました」より以前はサイドで髪を束ねた「みずら」と呼ばれるスタイル。少し前に流行った「卑弥呼さま〜っ」を思い出すが、邪馬台国について記した魏志倭人伝によると、これは男性の髪型で卑弥呼がこうしていたわけじゃない。画像はhttps://x.gd/6rWbdから引用編集(短縮URL使用)
116みずら



こうした昔の髪型の変遷を知って「あっ、そうだったんだ」と大事なことのような、どうでもいいことのような気づきがあったのが今回の番外編のテーマ。




ーーー続く

wassho at 20:53│Comments(0) ノンジャンル 

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