2025年10月06日

ニッポンとニホンそしてジッポンにニフォン

明治新政府が江戸を東京と改名した際に、その読みを記さなかったゆえに、トウキョウ、トウケイそしてトキオと3つの読み方が混在した話を1年ほど前に3部作で書いた。

https://wassho.livedoor.blog/archives/53484135.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53484136.html
https://wassho.livedoor.blog/archives/53484137.html
1トキオ


どうして読みを記さなかったのだろうと思ったけれど、考えてみれば首都である東京だけではなく、国名の日本だってニホンとニッポンの2つの読み方がある。そして歴史的にはさらにいくつもあったとのお話が今回。

0日本地図


日本がいつから国名として日本を使い始めたのか正確なところはよくわかっていない。さらに言えば当時の「国の概念」も現在とは相当に違うはずで、そこまで話を含めると大変にややこしい歴史問題。

我々の直接の先祖であるホモサピエンスが、現在の南アフリカあたりで誕生したのが20万年前(ちなみに猿人と呼ばれる最初の人類が誕生したのは700万年前)。彼らは14万年間をアフリカ大陸で過ごし6万年前にヨーロッパ方面に向かう。さらに進んでユーラシア大陸を通り、あるいは東南アジアの海沿いを渡って日本列島にやってきたのが4万年前。現在は2000年代なので紀元前3万8000年。もちろんこれらの地理や年代は諸説ありで、新しい発掘があれば学説も変わる。


その紀元前3万8000年以降は日本において3つの時代区分がある。

 紀元前3万8000年〜紀元前1万4000年までの2万4000年間:旧石器時代
 紀元前1万4000年〜紀元前900年代までの1万3000年年間:縄文時代(新石器時代)
 紀元前900年代〜紀元後250年あたりまでの1200年間:弥生時代

社会的な違いを見ると

  旧石器時代:石を打ち砕いた打製石器を使用
        非定住の狩猟採集社会 

  縄文時代(新石器時代):石を研磨加工した磨製石器、土器や弓矢の使用
              後期には野生植物の移植など初期の農耕&定住化が始まる

  弥生時代:金属の使用
       稲作が盛んになる

       ※原始時代は旧石器時代+新石器時代の総称

野生動物にとって生きるとは=食べる、あるいは食べ物を探したり狩りをするである。旧石器時代は人類もそんな生活だったと思う。だから社会の最大単位は家族や血縁関係のある一族。野生動物の「群れ」みたいなもの。
2原始人


時代が下って初期の農耕&定住化が始まるとと、徐々にその「群れ」の集合体である部族のようなものが形成される。そして農耕が本格すると食料が増え人口も増大する。またその食料は狩猟してきた動物と違い備蓄できるから貧富の差が生まれたり、支配する側される側の社会構造も生む。あまり言われないけれど農耕をするしないは動物と人間を分ける大きな違いだと思う。

こうやって野生動物に近い「群れ」から部族社会になると部族同士の抗争が始まる。受傷人骨と呼ばれる武器によって傷つき死亡したと思われる人骨の発掘は、弥生時代になって急激に増える。野生動物と同じような暮らしから、やや人間らしい社会になった途端に争いを始めたのが人類。人類がホモサピエンスの段階にある限り、未来永劫に戦争はなくならないような気がしている。

弥生時代に部族間の抗争を繰り返し、やがて一定地域を支配する勢力が登場する。有名な邪馬台国もそのひとつ。弥生時代と邪馬台国が結びついていない人は意外と多いが。いずれにせよ野生動物に近かった旧石器時代から、1万3000年ほど続いた縄文時代を経て、弥生持代の1200年間に今につながる人間社会の基礎が作り出された。ただし日本民族は文字を持たなかったので自らが記した当時の記録はない。




ーーー続く

wassho at 22:08│Comments(0) ノンジャンル 

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