2026年02月19日
塩谷亮 刻を描くリアリズム その3
風景画と静物画。
「午後の陽」 2000年
描かれている黄色い花はセイタカアワダチソウ(背高泡立草)に見える。幼い頃は家の周りにいくつもあった空き地でたくさん生えていた。その黄色い花よりも印象に残っているのは、まず茎を折ると茎の中身が白いスポンジ状だったこと。スポンジがつまっている茎なんてセイタカアワダチソウしか知らない。もっともある程度の年齢になればむやみに草の茎を折ったりしないから他にもたくさんあるのかも知れない。
それとコイツは冬になると綿毛に包まれた種を付ける。それがセーターに大量にくっつく。家に帰ると「あそこの空き地で遊んではいけなと言ったでしょ」とすぐにバレて叱られたものだ。
もっとも当時は子供たちも親たちも、これをキリンソウの名前で呼んでいた。黄色い花が咲いて背丈が高い草だからキリンとあだ名のように。それがセイタカアワダチソウだと知った頃には家の周りの空き地も少なくなり、また空き地で遊ぶ年齢も過ぎていた。へえ〜、あれはセイタカアワダチソウだったんだ、長い名前だなあと思ったのを覚えている。
そしてこの作品を見てセイタカアワダチソウが懐かしくなり、
ちょっと調べてみたら大発見!
それはセイタカアワダチソウの名前の由来。
まず昔から日本で自生しているキリンソウ(麒麟草)という植物がある。
分類的にはベンケイソウ科キリンソウ属に属する。
さらにキリンソウとは系統が異なるキク科アキノキリンソウ属なのに、キリンソウに花の形がよく似ていて秋に咲くのでアキノキリンソウ(秋の麒麟草)と呼ばれる植物もある。
このアキノキリンソウの別名がアワダチソウ(泡立草)。
セイタカアワダチソウは北米原産のアワダチソウで日本のものより大きい(花の形も違うが)。それで区別するためにセイタカアワダチソウ(背高泡立草)の名前がついた。つまり言い換えればセイタカ・アキノキリンソウでもあるわけで、子供の頃にキリンソウと呼んでいたのもあながち間違ってはいなかったのだ。
ちなみにアワダチの名前は先ほどの綿毛に包まれた種が、まるで泡立っているよう見えるとの説が有力。ついでにセイタカアワダチソウの新芽は天ぷらやおひたしとして食べられ、ツボミはハーブティーや入浴剤になるらしい。あの空き地に生えていた雑草がね〜とビックリ。
展覧会とは話がそれてしまった。
これはそんなブログなのでご容赦をm(_ _)m
「晩春近江」 2016年
「一の滝」 2017年
「奥会津霧景」 2025年
「一の滝」と「奥会津霧景」は長辺2m以上、「晩春近江」も1.5mの大きさで見応えがあった。
人物画とは距離感が違うからハッとするようなリアルさはないものの、もちろん普通の風景画と較べれば驚くほど細密。「奥会津霧景」は特に遠景だし、さらに靄(もや)まで掛かっているのに、船頭がいかにも写実絵画的に描かれていたのにニンマリ。
それでこの作品を眺めていてなぜか東山魁夷を思い出した。
もちろん絵が似ているわけではない。
彼の風景画には東山ブルーと呼ばれる独特の色彩で描いた作品が多くある。ブルーとはいえ日本は緑の信号を青信号というように緑がかった色調も含まれる。これは東山魁夷の「夕涼」。
細部までを本物ソックリに正確に描くのが写実絵画。そこは譲れないとしても、色彩はもっと遊んでもいのになあと思ったのが東山魁夷が頭に浮かんだ理由。東山ブルーは彼には自然の景色がそう感じられた=印象派的な色彩の再構成。そんな感性でもいいし、まったくあり得ない色で木々を緻密に描いても面白い。後者ならスーパーレアリスムかつシュルレアリスム。
もちろん単なる思いつきに過ぎない。写実絵画の画家の皆さん、色を変えて描いたらまったく売れなかったとの苦情はご遠慮ください(^^ゞ
「碧音」 2015年
「地の脈動」 2022年
「蒼」 2004年
「独活図」 2004年 ※独活は「うど」
以前にも書いたように人物の写実絵画はそのリアリティを超えた「特別な何か」を感じるのに、風景画ではそれが減り静物画になるとまったく感じなくなる。何が違うのか自分でもはっきりしないが冷めた目でテクニックだけを鑑賞している気分。
でも次の作品だけは別格だった。
花があって斜め上から光が差している定番の構図。しかしその光線が本当にそこにあるかのように思えた。これは会場のライト?と上を見て確認したくらい。
「花韻」 2025年
前回に書いた
本物以上に本物そっくりなのに、
本物じゃないと知っていることから来る混乱で
頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える
がまさにこれ。
写実絵画の静物画でその感覚を味わえたのは初めて。
が、しか〜し
画像だとまったくそれが感じらず、
ありきたりな光の描き分けにしか見えない(/o\)
残念である。
またどこかの展覧会でこの絵が出展されたら見てきてちょうだい。
その代わりに画家のテクニックのすごさがわかる画像を見つけたので紹介。まるで神が筆を握っているとしか思えないね。画像はhttps://ryoshio.exblog.jp/32047414/から引用
再び人物画で似たような構図の2枚。
「晩夏」 2000年
「朝の情景」 2001年
実はこの2枚には気になる共通点があって、どちらも右手の指先が土いじりをして爪の隙間が黒くなってしまったように汚く見えた。特に「晩夏」のほう。しかし絵の内容やタイトルからその必然性はない。
でもそう見えたのだから仕方がないし、
それが気になって気になって。
撮ってしまいました接写で。
隣にいた人にこいつは指フェチ?と思われたかも(^^ゞ
もちろん爪の隙間が黒く汚れていたりはしていない。指のところが少し影になっているのでそう見えてしまったのかな。あるいはリアルな写実絵画ゆえに目が敏感になっていた気もする。
ところでこの作品が描かれたのはどちらも約25年前。当時の少女の爪はこんなに切りそろえられていたのか、若いほうの女性は今ならネイルしているよねと、これまたどうでもいい思いが頭に浮かぶ。
またよく似た構図の2枚。
「相韻」 2018年
「Daria」 2022年
先ほどの2枚は白い布で、こちらは赤い布。その色の違いのせいかずいぶんと妖しく見える。そして人物の存在感、画面から受ける「圧」が強かった。ただ「Daria」の顔はちょっと怖い。ついでに正直に書くと「朝の情景」の女性は顔に表情がなく、飛び降り自殺の現場のようにも思え少し気味悪かった。タイトルは爽やかなのに。
さて、こういう俯瞰した2次元的な絵でよくやる遊びがこれ。「Daria」はこちらのほうが私にはしっくりくる。また目の錯覚で左上から右下に向けて赤い布幅を絞っていったように見えるが面白い。こんなことをして画家に見つかったらシバかれる?
「Lineage」 2024年
タイトルはLINE世代ではなく Lineage とは血統、系統、家柄などの意味(英語)。カタカナではリネージと表記するが、ネイティブの発音はリニエッジに近い。この男性はドイツ人と中国人のハーフだそうでそれにちなんだタイトル。後ろの壁がボロボロなのは何かを表しているのだろうか。
この絵は凄く印象に残ったというか目についた。それはまたまた絵そのものとは関係なくてモデルがはいているスカート。男性がスカートをはいているのはたまに見かけても、今までサマになっている姿を見たことがない。スタイリング云々より「僕はこんなファッションも着こなせます」オーラが出過ぎていて痛い人が多い。しかしこのモデルのスカート姿はとてもナチュラル。風呂上がりに腰に巻いたバスタオルくらいに違和感がない。
これだったら私でもありかな、やっぱり指さして笑われる?ーーーと空想しながら絵を眺めていた。たぶんそれは画家の意図した狙いとはまったく違うのだろうけれど、絵の楽しみ方は自由でいいはずだよね。
ーーー続く
「午後の陽」 2000年
描かれている黄色い花はセイタカアワダチソウ(背高泡立草)に見える。幼い頃は家の周りにいくつもあった空き地でたくさん生えていた。その黄色い花よりも印象に残っているのは、まず茎を折ると茎の中身が白いスポンジ状だったこと。スポンジがつまっている茎なんてセイタカアワダチソウしか知らない。もっともある程度の年齢になればむやみに草の茎を折ったりしないから他にもたくさんあるのかも知れない。
それとコイツは冬になると綿毛に包まれた種を付ける。それがセーターに大量にくっつく。家に帰ると「あそこの空き地で遊んではいけなと言ったでしょ」とすぐにバレて叱られたものだ。
もっとも当時は子供たちも親たちも、これをキリンソウの名前で呼んでいた。黄色い花が咲いて背丈が高い草だからキリンとあだ名のように。それがセイタカアワダチソウだと知った頃には家の周りの空き地も少なくなり、また空き地で遊ぶ年齢も過ぎていた。へえ〜、あれはセイタカアワダチソウだったんだ、長い名前だなあと思ったのを覚えている。
そしてこの作品を見てセイタカアワダチソウが懐かしくなり、
ちょっと調べてみたら大発見!
それはセイタカアワダチソウの名前の由来。
まず昔から日本で自生しているキリンソウ(麒麟草)という植物がある。
分類的にはベンケイソウ科キリンソウ属に属する。
さらにキリンソウとは系統が異なるキク科アキノキリンソウ属なのに、キリンソウに花の形がよく似ていて秋に咲くのでアキノキリンソウ(秋の麒麟草)と呼ばれる植物もある。
このアキノキリンソウの別名がアワダチソウ(泡立草)。
セイタカアワダチソウは北米原産のアワダチソウで日本のものより大きい(花の形も違うが)。それで区別するためにセイタカアワダチソウ(背高泡立草)の名前がついた。つまり言い換えればセイタカ・アキノキリンソウでもあるわけで、子供の頃にキリンソウと呼んでいたのもあながち間違ってはいなかったのだ。
ちなみにアワダチの名前は先ほどの綿毛に包まれた種が、まるで泡立っているよう見えるとの説が有力。ついでにセイタカアワダチソウの新芽は天ぷらやおひたしとして食べられ、ツボミはハーブティーや入浴剤になるらしい。あの空き地に生えていた雑草がね〜とビックリ。
展覧会とは話がそれてしまった。
これはそんなブログなのでご容赦をm(_ _)m
「晩春近江」 2016年
「一の滝」 2017年
「奥会津霧景」 2025年
「一の滝」と「奥会津霧景」は長辺2m以上、「晩春近江」も1.5mの大きさで見応えがあった。
人物画とは距離感が違うからハッとするようなリアルさはないものの、もちろん普通の風景画と較べれば驚くほど細密。「奥会津霧景」は特に遠景だし、さらに靄(もや)まで掛かっているのに、船頭がいかにも写実絵画的に描かれていたのにニンマリ。
それでこの作品を眺めていてなぜか東山魁夷を思い出した。
もちろん絵が似ているわけではない。
彼の風景画には東山ブルーと呼ばれる独特の色彩で描いた作品が多くある。ブルーとはいえ日本は緑の信号を青信号というように緑がかった色調も含まれる。これは東山魁夷の「夕涼」。
細部までを本物ソックリに正確に描くのが写実絵画。そこは譲れないとしても、色彩はもっと遊んでもいのになあと思ったのが東山魁夷が頭に浮かんだ理由。東山ブルーは彼には自然の景色がそう感じられた=印象派的な色彩の再構成。そんな感性でもいいし、まったくあり得ない色で木々を緻密に描いても面白い。後者ならスーパーレアリスムかつシュルレアリスム。
もちろん単なる思いつきに過ぎない。写実絵画の画家の皆さん、色を変えて描いたらまったく売れなかったとの苦情はご遠慮ください(^^ゞ
「碧音」 2015年
「地の脈動」 2022年
「蒼」 2004年
「独活図」 2004年 ※独活は「うど」
以前にも書いたように人物の写実絵画はそのリアリティを超えた「特別な何か」を感じるのに、風景画ではそれが減り静物画になるとまったく感じなくなる。何が違うのか自分でもはっきりしないが冷めた目でテクニックだけを鑑賞している気分。
でも次の作品だけは別格だった。
花があって斜め上から光が差している定番の構図。しかしその光線が本当にそこにあるかのように思えた。これは会場のライト?と上を見て確認したくらい。
「花韻」 2025年
前回に書いた
本物以上に本物そっくりなのに、
本物じゃないと知っていることから来る混乱で
頭がクラッとして、そこに不思議な快感を覚える
がまさにこれ。
写実絵画の静物画でその感覚を味わえたのは初めて。
が、しか〜し
画像だとまったくそれが感じらず、
ありきたりな光の描き分けにしか見えない(/o\)
残念である。
またどこかの展覧会でこの絵が出展されたら見てきてちょうだい。
その代わりに画家のテクニックのすごさがわかる画像を見つけたので紹介。まるで神が筆を握っているとしか思えないね。画像はhttps://ryoshio.exblog.jp/32047414/から引用
再び人物画で似たような構図の2枚。
「晩夏」 2000年
「朝の情景」 2001年
実はこの2枚には気になる共通点があって、どちらも右手の指先が土いじりをして爪の隙間が黒くなってしまったように汚く見えた。特に「晩夏」のほう。しかし絵の内容やタイトルからその必然性はない。
でもそう見えたのだから仕方がないし、
それが気になって気になって。
撮ってしまいました接写で。
隣にいた人にこいつは指フェチ?と思われたかも(^^ゞ
もちろん爪の隙間が黒く汚れていたりはしていない。指のところが少し影になっているのでそう見えてしまったのかな。あるいはリアルな写実絵画ゆえに目が敏感になっていた気もする。
ところでこの作品が描かれたのはどちらも約25年前。当時の少女の爪はこんなに切りそろえられていたのか、若いほうの女性は今ならネイルしているよねと、これまたどうでもいい思いが頭に浮かぶ。
またよく似た構図の2枚。
「相韻」 2018年
「Daria」 2022年
先ほどの2枚は白い布で、こちらは赤い布。その色の違いのせいかずいぶんと妖しく見える。そして人物の存在感、画面から受ける「圧」が強かった。ただ「Daria」の顔はちょっと怖い。ついでに正直に書くと「朝の情景」の女性は顔に表情がなく、飛び降り自殺の現場のようにも思え少し気味悪かった。タイトルは爽やかなのに。
さて、こういう俯瞰した2次元的な絵でよくやる遊びがこれ。「Daria」はこちらのほうが私にはしっくりくる。また目の錯覚で左上から右下に向けて赤い布幅を絞っていったように見えるが面白い。こんなことをして画家に見つかったらシバかれる?
「Lineage」 2024年
タイトルはLINE世代ではなく Lineage とは血統、系統、家柄などの意味(英語)。カタカナではリネージと表記するが、ネイティブの発音はリニエッジに近い。この男性はドイツ人と中国人のハーフだそうでそれにちなんだタイトル。後ろの壁がボロボロなのは何かを表しているのだろうか。
この絵は凄く印象に残ったというか目についた。それはまたまた絵そのものとは関係なくてモデルがはいているスカート。男性がスカートをはいているのはたまに見かけても、今までサマになっている姿を見たことがない。スタイリング云々より「僕はこんなファッションも着こなせます」オーラが出過ぎていて痛い人が多い。しかしこのモデルのスカート姿はとてもナチュラル。風呂上がりに腰に巻いたバスタオルくらいに違和感がない。
これだったら私でもありかな、やっぱり指さして笑われる?ーーーと空想しながら絵を眺めていた。たぶんそれは画家の意図した狙いとはまったく違うのだろうけれど、絵の楽しみ方は自由でいいはずだよね。
ーーー続く
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