2026年02月28日
小石川後楽園で観梅 その2
さて6年ぶりの小石川後楽園。西門を入ってすぐ、東京ドームがまるで雪山のように思える印象はそのときと変わらず。
2020年はしだれ桜を見に来た。
これは小石川後楽園のしだれ桜のアイコンである馬場桜。
6年前の咲いている姿は→こちら
上の馬場桜はけっこうスカスカで樹勢が衰えている。
別のしだれ桜と較べれば一目瞭然。
6年前の咲いている姿は→こちら
あまり大きな声では言えないが?しだれ桜を見るなら同じ都立庭園でも六義園が断然お勧め。その姿形、大きさ共に小石川後楽園を圧倒している。ただし六義園のは色が薄いのが難点。六義園のしだれ桜は→こちら
雪吊り、藁ボッチと庭園の冬演出はもう見納め。
池の風景を撮ろうとしたら東京ドームがジャマ(/o\)
ではカメラを下に向けましょう。
しかし水面に白い屋根が映り込むので、
それならいっそ東京ドームをメインに(^^ゞ
池の横に回り込む。
この池に名前はなく単に大泉水と呼ばれる。泉水とは庭園用語で池または池のある庭を指す。別に池の底から水が湧き出しているわけじゃない。
少し高台になり、
見通しも悪くなる。これは回遊式(歩いて見て回る)庭園の風景をドラマチックに切り替えるための演出。
その通路を下って現れたのが2つ目の池。
そこにあるのが唐門(からもん)。
逆光に透ける葉を楽しみながら池と唐門。
この2つ目の池があるエリアは内庭と呼ばれる。この先にはかつて水戸徳川家の藩邸があり、今の言い方なら藩邸の裏庭にあたる。そして江戸時代には最初の大きな池のあるエリアが後楽園。唐門は裏庭と後楽園を仕切る門。
江戸時代に藩邸を訪れた客は内庭を通り、唐門をくぐって後楽園に入る。つまり私が歩いてきたのとは逆の道順。それで先ほどの見通しの悪いところを通った後に、大泉水が現れてワォー!となる仕掛け。
この唐門は空襲で焼け落ち2020年11月に復元された。それにしてもずいぶんと長く放置されたものだ。前回にしだれ桜を見に来たのは2020年3月なので、工事風景を見たような気もするが明確な記憶はなし。写真も撮っていなかった。
なぜ唐門の名前かはっきりとしないが、後楽園の造成当時(江戸時代初期)の水戸藩は明の儒学者であり日本に亡命中の朱舜水(しゅ・しゅんすい)を顧問にしており、その関係ではと推測している。後楽園と命名したのも朱舜水。
内庭を離れて梅林に向かう。
途中にある藤棚。
小石川後楽園の藤棚は低い。中に人が立てるか立てないかくらいの高さ。でも数はそこそこある。今回はウメを見るついでに、春にフジを見に来るべきか=藤棚に近づいてクンクンできるかを確認するつもりだった。なのに遠くから写真を撮っただけでそれをコロッと忘れてしまう(/o\)
これは田んぼ。稻田あるいは田端の名称がついている。
二代藩主の水戸光圀が息子の嫁が公家出身なので、農民の苦労を教えるために作ったとされる。光圀をたたえている言い伝えだが、こんなわずかな面積で「苦労」をわかった気になってもらっては困るな。
庭園の案内マップにはこの田んぼの前も梅林と書かれている。
しかし数本のウメがあるだけで梅林とは誇大表記。
その先にあるのがこれ。
不老水とは飲んだら不老不死になる水かと思えば、涸れない井戸の名前だった。
しかも上に柵があって井戸に水があるかわからない。それと例え涸れなくても藩邸の広さを考えれば、このサイズの井戸だけでは足らないね。
梅林が見えてきた!
梅林の隣にある藤棚は極端に背が低い。
満開のウメが光をたっぷりと浴びて美しい。
ということは梅林の中に入れば逆光。
しばらくここから眺めるとした。
ここまで歩いてきたルート。
ーーー続く
2020年はしだれ桜を見に来た。
これは小石川後楽園のしだれ桜のアイコンである馬場桜。
6年前の咲いている姿は→こちら
上の馬場桜はけっこうスカスカで樹勢が衰えている。
別のしだれ桜と較べれば一目瞭然。
6年前の咲いている姿は→こちら
あまり大きな声では言えないが?しだれ桜を見るなら同じ都立庭園でも六義園が断然お勧め。その姿形、大きさ共に小石川後楽園を圧倒している。ただし六義園のは色が薄いのが難点。六義園のしだれ桜は→こちら
雪吊り、藁ボッチと庭園の冬演出はもう見納め。
池の風景を撮ろうとしたら東京ドームがジャマ(/o\)
ではカメラを下に向けましょう。
しかし水面に白い屋根が映り込むので、
それならいっそ東京ドームをメインに(^^ゞ
池の横に回り込む。
この池に名前はなく単に大泉水と呼ばれる。泉水とは庭園用語で池または池のある庭を指す。別に池の底から水が湧き出しているわけじゃない。
少し高台になり、
見通しも悪くなる。これは回遊式(歩いて見て回る)庭園の風景をドラマチックに切り替えるための演出。
その通路を下って現れたのが2つ目の池。
そこにあるのが唐門(からもん)。
逆光に透ける葉を楽しみながら池と唐門。
この2つ目の池があるエリアは内庭と呼ばれる。この先にはかつて水戸徳川家の藩邸があり、今の言い方なら藩邸の裏庭にあたる。そして江戸時代には最初の大きな池のあるエリアが後楽園。唐門は裏庭と後楽園を仕切る門。
江戸時代に藩邸を訪れた客は内庭を通り、唐門をくぐって後楽園に入る。つまり私が歩いてきたのとは逆の道順。それで先ほどの見通しの悪いところを通った後に、大泉水が現れてワォー!となる仕掛け。
この唐門は空襲で焼け落ち2020年11月に復元された。それにしてもずいぶんと長く放置されたものだ。前回にしだれ桜を見に来たのは2020年3月なので、工事風景を見たような気もするが明確な記憶はなし。写真も撮っていなかった。
なぜ唐門の名前かはっきりとしないが、後楽園の造成当時(江戸時代初期)の水戸藩は明の儒学者であり日本に亡命中の朱舜水(しゅ・しゅんすい)を顧問にしており、その関係ではと推測している。後楽園と命名したのも朱舜水。
内庭を離れて梅林に向かう。
途中にある藤棚。
小石川後楽園の藤棚は低い。中に人が立てるか立てないかくらいの高さ。でも数はそこそこある。今回はウメを見るついでに、春にフジを見に来るべきか=藤棚に近づいてクンクンできるかを確認するつもりだった。なのに遠くから写真を撮っただけでそれをコロッと忘れてしまう(/o\)
これは田んぼ。稻田あるいは田端の名称がついている。
二代藩主の水戸光圀が息子の嫁が公家出身なので、農民の苦労を教えるために作ったとされる。光圀をたたえている言い伝えだが、こんなわずかな面積で「苦労」をわかった気になってもらっては困るな。
庭園の案内マップにはこの田んぼの前も梅林と書かれている。
しかし数本のウメがあるだけで梅林とは誇大表記。
その先にあるのがこれ。
不老水とは飲んだら不老不死になる水かと思えば、涸れない井戸の名前だった。
しかも上に柵があって井戸に水があるかわからない。それと例え涸れなくても藩邸の広さを考えれば、このサイズの井戸だけでは足らないね。
梅林が見えてきた!
梅林の隣にある藤棚は極端に背が低い。
満開のウメが光をたっぷりと浴びて美しい。
ということは梅林の中に入れば逆光。
しばらくここから眺めるとした。
ここまで歩いてきたルート。
ーーー続く
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