マーケティング、ビジネス

2023年12月28日

コスパ・タイパ・エネパ・スペパ  パ言葉

コストパフォーマンスは経営や経済の分野では基礎的な概念なので、古くから使われてきた用語。日本語では費用対効果あるいは対費用効果や費用便益比ともいう。

それがコストパフォーマンスとカタカナ言葉になって、生活の中で使い出されたのもいつか思い出せないほどに昔。さらにコスパと短縮されてからも25年くらいは経つだろうか。やたらコスパコスパと誰もが言い始めたのは10年ほど前かな。コスパと短縮語ができるまでビジネスではよくCPと略したが、その単語はもうほとんど聞かなくなった。

コスパコラージュ

そして昨年2022年に急激に広まったのがタイパ。コストパフォーマンスになぞらえてタイムパフォーマンス。ただし短縮化したというより最初からタイパとして使われ始めた。こちらは2015年に考え出された造語。事例としてよく引き合いに出されるのは

  TikTokなどのショート動画を好む
  動画やテレビは倍速視聴する
  映画も重要じゃないシーンはスキップ

いわゆる「ネットコンテンツ」は増加の一方であり、またサブスクの普及で金額を気にせず視聴できる映画やドラマのタイトルも爆発的に増えた。それに対して1日の時間は24時間で変わらないから、どこかで効率化を図ろうとすればそういう行動になる。

またタイパを重視するのはZ世代に顕著とされる。というよりもともとは彼らの行動から作り出された言葉。Z世代とは1990年代後半から2012年頃の生まれ=現在の10代と20代=平たくいえば今の若者。そしてこの世代は動画を好む。動画でしか表現あるいは説明できないものはもちろんあるとして、そうでないものでも文章を読むのではなく動画を見る傾向が強い(ように思う)。

小説を読む→漫画を読む→動画を見るーーー昭和から続くこのトレンドは脳の能力の低下を招いているのではないかと危惧しなくもないが、それに触れ始めるとと大幅に話が逸れてしまうので(/_')/ソレハコッチニオイトイテ

文章と較べて動画のデメリットは視聴に時間が掛かること。読むより早くは喋れないし、あまり早口だと聞き取れない。つまり動画は数多くの情報収集をするには不向きなメディア。一方でZ世代は行き当たりばったりで失敗するのを恐れる=情報収集に熱心ともいわれる。そしてネットには膨大な情報があふれているから、タイパを重視するのもこれまた必然。

他には

  ネタバレ消費:映画や小説の内容を知ってから観る・読む→ハズレを引いて
  時間を無駄にしたくない。
  音楽はイントロをカットして聴く、サビの部分しか聴かない

などが取り上げられる。ただしZ世代のうちのどれだけ多くが、そういう行動を取るのかは知らない。やや極端な事例のようにも思う。また

  リモートワークやオンライン会議を好む
  スキマ時間の活用(バイトやスポーツジムなど)

などもタイパ事例とされるものの、これらはZ世代に限った現象ではない。



コスパ、タイパは合理的な行動ではあるとしても、それが行き過ぎると世知辛くもあるよなあ〜と思っていたら先日、エネパなる新たな造語を知った。

これはエネルギーパフォーマンスの略。労力をかけずにとの意味で使われる。ただし労力はだいたい時間と比例するので、この単語が広まっていくかは不透明。タイパで検索すると多くの情報にヒットしても、今のところエネパの検索ではエネルギーパークの情報がずらっと並ぶ。

参考までにエネルギーパークとは

   経済産業省は、地球環境と調和したエネルギーの在り方に関する国民の
   理解の増進を図るため、太陽光等の再生可能エネルギー設備や体験施設等を
   整備した「次世代エネルギーパーク」の取組を推進しています。

とある。
エネルギーパーク

こちらのエネパも初めて知ったが、まあ箱物行政&やってる感出す行政の典型。なんと本年9月時点で全国に66カ所もあった。詳しく知りたい人は ↓ のリンクからどうぞ。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/saiene/park/enepa2023.pdf

先ほど「労力はだいたい時間と比例するので」と、エネパの言葉としての存在意義を否定的に書いた。しかし「考える」ことも大いに労力を消費する。そしてChatGPT関連で書いたように、これから自分で考える代わりのツールとしてAIを使ったサービスがドンドン増えてくる。エネパと表現されるどうかは別として、ひょっとしたらその概念はコスパやタイパより重要になる時代が来るかも知れない。



さらにはスペパなる言葉もある。これはスペースパフォーマンス。多機能な家具や家電、自宅でも使えるアウトドア用品、収納用品や方法、さらには断捨離も含めて様々なモノやコトが紹介されている。

話題を集めたのは、ニトリが売り出した壁際で使うハーフサイズのクリスマスツリー。まさにこれこそコロンブスの卵。実はこれ、飾り付けも半分になるからスペパだけではなくコスパも高い。
ハーフツリー

スペパが重視されるのは日本の家が狭いから。元々狭いけれど近頃また狭くなっている。日本の住宅がウサギ小屋と揶揄されたのは、1979年(昭和54年)に出された当時のEC(ヨーロッパ共同体)の報告書がきっかけ。日本でも自虐的に流行語となった。

バブル時代に多少は広くなったものの、その後の失われたウン十年とやらでまた逆戻り。マンションだと新築の平均面積は10年前より10%も狭くなっている。加えてコロナで広まったリモートワーク。自宅に仕事スペースを確保しなければいけないので、ますますスペパが求められるようになったともいわれる。


なおタイパ、エネパ、スペパは完全な和製英語。cost performanceの単語は英語にあるが極めて専門的な響き。日本語だと費用便益比と言うようなもので日常会話では使われない。good / bad value for moneyあたりが一般的な表現。



さてである。
コスパという言葉はどうしてこんなに広まったのか。私は「安い(モノを買う)」には恥ずかしい、みっともないとの抵抗感があるので、それを「コスパがいい」と置き換えたとの仮説を持っている。

コスパをコストとパフォーマンス、すなわち費用と結果に分解すると9つ組み合わせができ、そのうち「コスパがいい」が成立するのは5つである。

kosupa

△梁緝塾磴魯罐縫ロ。,鷲官潺轡腑奪廖G笋蕕譴討い訃ι覆離ォリティは高くなくても「100円だったらいいか」と自らの期待値を下げて満足を得ている。は理想だが、世の中そんなに甘くなく滅多に見つからない。もしあればその企業がマーケットを独占しているはず。また企業側の視点に立てば商品内容の競争力は他企業と同じなので、安くする必要もない。

い廊と基本的に同じ。
イ藁磴┐仍笋砲箸辰討Macかな。使い慣れているせいもあってWindowsより使いこなせる=結果がよいとなる。

ただしこれは結果を満足度と置き換えればフェラーリやロールスロイスも当てはまってしまう。それらをコスパがいいとは言わないから、結局コスパがいいが当てはまるのは,鉢△砲覆蝓▲灰好僉甍造い涼屬換えとのロジックが成り立つ。


タイパ、エネパ、スペパはコスパが先にあったから成立した言葉。コスパが安いと同意語であるようにタイパは時短、スペパは省スペースと既にある単語の言い換えに過ぎない。説明が長くなるので省略したがマネパ(マネーパフォーマンス)なんてのもある。

名付けるならこれらは「パ言葉」とでもいうべき流行語文法である。2匹目3匹目のドジョウを狙って、これからもいろんな造語が生み出されるはず。それに振り回される必要はないとしても、上手に生活するヒントとしては役立てていきたいもの。


あっ、ホムパはホームパーティーだからねと、
ハン「パ」なオチで終わってごめん(^^ゞ

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2023年11月28日

少し色づいていた代々木公園

11月23日は渋谷に出たついでに、ファイヤー通りのイエローオータムを散策してきた。それだけで帰るつもりだったものの、ファイアー通りの終点は代々木公園なので、そのまま帰るのももったいないかと代々木公園も少しブラブラ。


原宿門から入ってすぐのところ。
写真中央奥の白いアーチのあるあたりがオリーブ広場。
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実はここで東京・パーク・ガーデン・アワードという
ガーデニングのコンテストが行われていたのだが、
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ちょっと来るのが遅かったみたい。
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東京・パーク・ガーデン・アワード(名前が長い!)は宿根草(しゅっこんそう=多年草)をテーマにしたコンテスト。普通の草花は花が終わると枯れるもの。宿根草とは枯れずにまた来年も花を咲かせる草花。だから花だけではなく宿根草による季節ごとの移ろいが審査基準。植え付け開始が昨年の12月からで、コンテスト期間も4月から11月と長い。

言ってみればこれはトータルなガーデニング造園を競う玄人っぽいコンテスト。でも私のようなド素人ベランダ・ガーデニング男子にとっては花がたくさんないと寂しいわけでーーー
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コンテストは11月17日に最終審査が終了している。どれが優勝だったのか現地で表示がなかったのは残念なところ。ところでこれらは撤去せずにそのままにしておくのかな? だとしたら春に賑やかになった頃にまた見に来たい。


中央の花壇には花がたくさん咲いていてヨカッタ。
これはコンテストとは無関係なもの。
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その奥には先日、ジャニー喜多川と代々木公園を関連付けたブログで紹介した、1964年東京オリンピックの選手村宿舎が1棟だけ保存されている。
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iPhoneで写真を取る私の姿。
カラオケマイクで小指は立てないよ(^^ゞ
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色づきを探しながら代々木公園を歩く。
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「しあわせの像」
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これは電通が建てたらしい。
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電通といえば2015年に女性社員の過労死自殺で、労働基準法に基づく強制調査を受け、また検察からも略式起訴され有罪となった。さらにオリンピックでは「中抜き」が取り沙汰され、昨今では電通がらみのプロジェクトは「電通案件」と怪しげな目で見られることも増えた。ここしばらくで最もイメージが低下した企業のひとつかも知れない。

昔は「天下の電通」だったのにと思って、
大学生の就職人気ランキングをマイナビで調べてみると(数字は文化系での順位)

      1980年調査 7位
        ↓
      2010年調査 30位
        ↓
      2020年調査 48位

とドンドン順位を下げ、2021年調査では78位に踏みとどまったものの、マイナビでは100位までしか公表されていないので

      2022年調査からはランキング圏外(>_<)

に転落していた。ちなみに200位まで公表しているキャリタス就活の調査によると2023年の電通のランキングは107位。まさに「驕る平家は久しからず 盛者必衰の理をあらはす」を地で行く展開。

なお1990年と2000年のデータが抜けているのはマイナビのホームページでは2009年からのデータしか公表していないから(1980年のデータは別の資料で見つけた)。

ただこんな資料もあったから、電通の人気は2000年を境に右肩下がりだったみたいだ。元データは同じくマイナビ。グラフはhttps://hrnote.jp/contents/saiyo-ninkikigyouranking-20191226/から引用
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おそらくこれは電通に限らず広告業界全体の傾向だろう。就職人気ランキングと入社する人材のレベルは必ずしも一致しないが、それなりには相関する。そういえば広告が面白かったり、時代を切り開いていたのは1990年代終わり頃までだったなと思ったり。


さて電通の話 (/_')/ソレハコッチニオイトイテ
「しあわせの像」の近くにあったのが「ケツァルコアトゥル」という石の彫刻。
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「古代メキシコ神話の文化神ケツァルコアトゥルの化身「羽毛のある蛇」を表しています」と書かれていてる。ヘビにも羽毛があるようにも見えないけれど。

また「この彫刻は1990年11月、日本国とメキシコ合衆国の友好親善のシンボルとして、メキシコ合衆国から東京都に贈られたものです」とも書かれていて、そういえば何年か前に世界らん展でメキシコが合衆国だと知ったのを久しぶりに思い出した。
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園内の周回路を進んでみたが、色づいている木々は多くない。
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でも柿がなっているのを見つけた。
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さらに進む。
レッドオータムは色があまりよくない。
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これは真っ黄色になったら見応えがありそう。
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晩秋の雰囲気が出てるかな?
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代々木公園に前回来たのは10月22日。「秋のバラフェスタ」開催は翌週の10月28日からでバラを見るには早すぎた。そして今回は遅すぎるわけで(^^ゞ でも花数は前回より多かった。これは第2バラ園であるフラワーランドの様子。
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とりあえずアップも撮っておきましょう。
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芝生広場にて写真を撮っている私の姿。
10月22日にはまだグリーンを感じられた芝生はもうすっかり枯れた色。
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今回は池に噴水が高く上がっていなかった。
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ちょっときれいなレッドオータムを発見。
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原宿門近くの第1バラ園(バラの園)にまで戻ってきた。バラは寂しいばかりだとはいえ、秋色の木々をバックに眺められたから、それなりによき体験かと。
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さて今年の紅葉はどこに見に行こうか。

wassho at 22:09|PermalinkComments(0)

2023年09月28日

トレッドストーンとサンクコスト その3

コンコルドほど超がつく大コケでなくとも、サンクコストにとらわれてズルズルと赤字を垂れ流し、さらに追加投資までしている事業は多くの企業にあるだろう。

サンクコストにとらわれないとはいわゆる「損切り」をすること。ただしこれは金額が大きくなるほど難しくなってくる。「少しでも取り返さなければ」との意識が働くし、「中止すれば損失が確定してしまう」のが恐怖になる。そしてそれによる責任問題が発生するから先送りされがち。また戦争では敗戦を認めれば「これまでに戦死した将兵に申し訳が立たない」と金額に換算できない理屈が持ち上がってくる。

また変形パターンとしては

   社会の変化で既存事業が衰退
   そこで新規事業を始めて成功

して、だったら既存事業をたためばいいのに「会社の祖業をやめるわけにはいかない」「創業者に顔向けできない」と、せっかくの新規事業の黒字を既存事業の赤字が食い潰す例も割とある。


そう書くと、世の中はアホな経営者や政治家が多いなあと思われるかも知れないが、個人の生活においてもサンクコストの沼にはまりやすいもの。本来の行動経済学からは拡大解釈になるものもあるが、例えば次のような事例。

 本やCDを買う、あるいは映画を見に行く。
 すぐにハズレと分かる。
 しかしせっかくお金を払ったのだからと最後まで読む・聴く・観る。

 長い行列に並んで順番を待つ。
 並んでいる内に冷静になって「実はそれほど欲しくなかった」と気付くものの、
 ここまで我慢したのだからと並び続ける。

 使っていないモノ、着ていない服がたくさんあるのに、
 もったいないからと捨てられず、
 部屋が狭くなりクローゼットも一杯。

 今までの負けを取り返すまではとギャンブルをやめられない。
 ここまで攻略した課金したからと続けるゲーム。
 長期の司法試験浪人も似たようなもの。

 もう冷めているし将来性がないのは確実なのに、
 長く付き合っている人と別れられない。
 あるいは転職できない。

どういう心理が働いているのか、失っているものは何かについてはそれぞれで考えて欲しい。意外と例外はダイエットで、すぐに諦めて「趣味はダイエット、特技はリバウンド」な人が私の周りにもたくさんいる(^^ゞ


またサンクコストの心理を逆手に取った、
マーケティングの術中にとらわれる場合もある。

デアゴスティーニ

典型的なのはデアゴスティーニ(社名がディアじゃないの知ってた?)などの定期購読で付録模型が徐々に完成する例のヤツ。最新の「週刊 陸上自衛隊 90式戦車」は創刊号が290円で2号目以降が1999円。それが110号まで続く。ただしそのうち3990円の号が3回と4990円の号が1回ある。計算すると完成させるには22万6200円が必要。完成させるのは購読者の1割程度らしい。残りの人で途中でイヤになってもすぐに諦めず「ここまで組み立てたのだから」としばらく続けたのなら、それはサンクコストの心理に陥っている。途中から楽しみではなく単に意地になって完成させた人も同じ。


またクレジットカードや会員カードには、それを使って得られるポイントによって会員ランクが変動するものがある。もちろん上級ランクほど得られるメリットは大きい。それで航空会社カードではランクを上げたい、あるいは維持しようと、行きたくもない旅行をする人をマイル修行僧と呼ぶみたい(^^ゞ

修行僧

厳密には損失が出ていないのでこれはサンクコスト効果ではないが、今まで溜めてきたものを守りたい点では通ずるものがある。サンクコストをネットで調べると事例として何でもかんでも当てはめているものも多いので、その点は注意が必要。一般的にカタカナ用語は解釈が拡大しやすい。


サンクコストのワナに陥らないためには、冷静に合理的に「今後の損得」「のみ」を考え判断するしかない。というか「どうしたって回収できないもの」がサンクコストなのだから、本来はそれに影響されること自体がおかしい。

でも「もったいないお化け」が出て「もうちょっとがんばってみようか」と悪魔が囁くのが人間なんだよなあ。とりあえずどう対応するかは別にして、これはサンクコストかそうでないのかを判別する習慣を付けておくといいかも。そのために第3者の意見を求めるのも効果的。


おしまい

wassho at 19:24|PermalinkComments(0)

2023年09月26日

トレッドストーンとサンクコスト その2

アメリカのドラマだし、また興業収入約1800億円と大ヒットした映画ボーンシリーズを下敷きにして強気だったのか、トレッドストーンは相当に大規模な制作である。

舞台設定だけを見ても

   アメリカ(アラスカ、ケンタッキー、バージニア)、ロンドン、パリ
   冷戦下の東ドイツ、ロシア、ハンガリー、ルーマニア
   インド、ギリシア、ガーナ、北朝鮮、韓国、中国

と多岐にわたる。もちろん実際のロケ地はそれぞれの国ではなく似たような雰囲気の場所も選ばれているだろうが、それでも世界各地で撮影されたはず。また4つのストーリーが同時進行するから登場する俳優の人数も多い。

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それだけの制作費を掛けても元が取れて利益が出ると判断したから、このドラマは制作された。また前回でも書いたように最低でも3シーズンは続ける予定だったはず。シーズン1はエピローグ編みたいなもので、提示した謎は一切解けないまま終わったのだから。

でも結果はシーズン1であえなく打ち切り(/o\) テレビの視聴率、ストリーミングサービス配信数やDVDの販売が予想より低かったのだろう。できれば予想と実際の差を知りたいところだが、このドライな判断にはある意味で感銘を受けた。もっとも超大物俳優は出演していないから決断できた可能性はある。もちろんジャニタレは出演していないから事務所にソンタクする必要もなし(^^ゞ



そして頭に浮かんだのがサンクコストという言葉。元は行動経済学の用語で、10年ほど前からビジネスやマーケティングの分野でもチラホラ使われるようになった。ごく簡単に説明すると、

 狭義のサンクコストとは、
   事業に投下したが回収できないコストを意味する。
   このコストには資金はもちろん労力や時間なども含まれる。
   事業ではない様々な場面に当てはめられる場合もある。

 広義のサンクコストとは、
  「今は赤字だがやがて状況が好転する(根拠なき願望)」「やめてしまえば
   今までの苦労が水の泡になる」「少しでも取り返さなければ」「中止すれば
   損失が確定してしまう」ーーー

   などの心理が働いて、ズルズルとその事業を継続し損失が拡大すること。
   これをサンクコスト効果と呼び、逆にいえばそれを引き起こすのが
   サンクコスト。赤字がすべてサンクコストではない(ただしこれは私の解釈)。

ちなみにサンクコストのサンクとはサンキューのThankではなくて、沈むを意味する動詞Sinkの過去分詞であるSunk。名詞としてのSinkはキッチンのシンクね。日本語では埋没費用と訳される。でもドブに捨てた金と表現したほうがイメージが湧くかも。


サンクコストでよく引き合いに出されるのがコンコルドの事例。これだけ特別扱いでコンコルド効果やコンコルドの誤謬と呼ばれたりもする。もう20年前に運行中止されたから知らない人もいるだろうが、コンコルドとは1970年代にイギリスとフランスで開発された超音速旅客機。マッハ2.2の速度が出せて、普通の旅客機では7時間かかるロンドン〜ニューヨーク間を3時間半で結んだ。

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1960年代から開発が始められて、その段階での仮受注は100機ほど(開発段階から受注を取り始めるのが航空業界の商習慣)。1969年に試作機完成。1970年代に入って世界各国の主要空港でお披露目飛行をしてさらなる売り込みを図ったものの、逆に

 オイルショックによる燃料費高騰:超音速で飛ぶので燃費は普通の旅客機の3.5倍
 超音速で飛ぶと衝撃波が発生するので飛行ルートが海上のみと規制された
 騒音問題:離着陸時の騒音は落雷レベルといわれた
 航続距離が短く太平洋を横断できない
 機体が狭く100人しか乗れない
 また座席はエコノミークラス並み、でも運賃はファーストクラスの2割増しになる

ーーーその他諸々あって、ほとんどの航空会社が続々と発注をキャンセル(/o\) 採算ラインに乗るのが250機とされてていたのに、確定受注は開発国の航空会社であるブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスで7機ずつ合計14機のみ。それでも4000億円を投じた開発費がサンクコストとなってプロジェクトは継続され、そして1976年に商業運行が始まったその年に製造中止と決まる。つまり何が何でも完成させて飛ばしたかったということ。そして2003年に運行を終えるまでに数兆円の赤字を垂れ流したとされる。

その赤字が製造メーカーの損失なのか、運行で航空会社も赤字を出したのかの内訳は分からなかった。コンコルドは英仏の国策事業みたいなものだから、税金で穴埋めされたのかも知れない。

コンコルドが売れなかった理由を客観的に眺めれば「誰か止めるヤツいなかったのか!」である。しかしそれがサンクコストの恐ろしいところ。この時は「国家の威信」なんて厄介なものも絡んでいた。あっ、再来年に大阪で万博をやるらしいね。建設費は当初予算の1250億円から2300億円の大幅アップだって?(^^ゞ



ーーー続く

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2023年09月07日

サンダルとスリッパのよもやま話 その4

今回のよもやま話を書いたきっかけは無印良品の「ルームサンダル・鼻緒」という商品。まるでビーチサンダルの形をしているのに、それを部屋で履くのが面白いと思って衝動買い。

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商品はなにがしかのカテゴリーに属していて、そのカテゴリーには「この商品はかくあるべし」との暗黙のルールや固定概念がある。それを少しハズしたりズラしたり、別の要素を付け加えたりするとマーケティング的に活きてくる場合が多い。

「ルームサンダル・鼻緒」の場合は、

   室内で履くのはスリッパで足の前部が覆われているがルールだったのに、
   外履きのサンダルに見られる鼻緒のあるデザインを用いた

ーーーのがそれに当たる。つまりまんまと無印良品のマーケティングにのせられてしまったわけ(^^ゞ もちろんただハズせばいいわけではなく、スリッパで足の前部が覆われていると夏は暑い、かといって裸足だと足の脂でフローリングがベタつくといった問題解決にもなるから買う価値があった。



カテゴリーのルールをハズしてヒットした例はミュールもそうかも知れない。多くのバリエーションがあるが私のイメージするミュールは  画像はhttps://eimyistoire.com/shop/g/g1121460347-0000-0092から引用

  足の前部は覆われている
  カカトを固定するストラップなどはなく、形状としては突っ掛け式のサンダル
  ヒールはそこそこ高い

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サンダルなのに少しフォーマル感のあるところがヒットの要因では思っている。ただしミュールについて女性と話したことはないので、これはあくまで想像。とりあえず駅の階段でミュール女子がいるとカカトを打ち付ける音がうるさいのが困る(^^ゞ


また似たようなデザインのまがい物も含めれば、
今や一家に一足はあるといわれるクロックスも同じ。

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クロックスは外履きのサンダルなのに、足の前部をすっぽりと覆って室内履きのスリッパ、あるいはそれを通り越して靴に近いデザインをしている。まずはそれが目新しかったのが第1の要因。またサンダルでは足が露出しすぎてカジュアルすぎるシチュエーション、また怪我が心配な場合にもクロックスなら大丈夫とイメージできたのもプラス要因。



さてさて
履き物業界で最大のカテゴリーハズしといえば、それでヤンキーサンダルの右に出るものはないはず(^^ゞ もう知らない人のほうが多いだろうが、それは1970年代の終わり頃に突然ヤンキーの世界を席巻した一大ムーブメントだった。

どんなものかといえば

   男性のヤンキーが
   女性用のサンダル(突っ掛けタイプ)を履く

と、ただそれだけ。当然ながらサイズは小さく足がはみ出すものの、それは彼女のサンダルを一時的に借りてきたりしたものではなく、常に履いている自分専用のサンダルである。

嘉門達夫のレコードジャケットで、
左側のニイちゃんが履いているのがヤンキーサンダル。

嘉門達夫

ネットでは当時のヤンキーの写真はあまり見当たらない。
とりあえずリンクを2つ紹介しておく。
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gemini-yahata/20171019/20171019144411.jpg
https://qph.cf2.quoracdn.net/main-qimg-292d06378e6fea0e3a04c3379411918e-lq

なぜヤンキーサンダルがブームになったのかは知らない。まあでもファッションの流行なんてそんなものである。今一番イケてる服装やヘアスタイルだって30年後には「ナンジャこれ?」になる。社会のいろいろなことが説明不能なくらい複雑に絡み合って、その時はかっこよく思えるのである。

あえてヤンキーサンダルを分析すると、男物より女性物のサンダルの方が派手なのが好まれたとの推測はできる。戦国時代の傾奇者(かぶきもの)と呼ばれた反体制的な武将達は目立つために女性物の着物を羽織ったりした。それと似たようなマインドかも。



ヤンキーサンダルは1980年代の終わり頃には姿を消したように思う。しかし同時期に誕生して現在も発売されている商品がある。それが健康サンダル。

19健康サンダル

いうまでもなくサンダルのカテゴリーに今まではなかった健康の要素を付け加えた商品。マーケティングの定石がヒットに結びついた事例でもある。これを履いているとオッサンと後ろ指を指された時代もあったものの、それなりにデザインにも工夫を加えてしぶとく生き残っている。また地方都市に行くとマイルドヤンキーがキティちゃんの健康サンダルを愛用しているとか。ヤンキーサンダルも形を変えながら生き残っているのか?


ところで健康サンダルはインソール(靴底の足に接する側)に突起を付けて足裏を刺激する仕組み。それで健康になるかはともかく、そこそこ気持ちがいい。でもどうしてそういう構造を持った履き物は健康サンダルだけで、スニーカーや革靴にないのかが不思議。いかにも企画モノじゃないマトモな商品があれば試しに買ってみるけどな。

履き物業界の皆様、そこのところよろしく。



おしまい


<追伸>

私は「ルームサンダル・鼻緒」タイプの商品を無印良品で初めて知ったが、今治タオルで作られたものもあるし、そもそも室内履きの上草履というものは昔からあったようだ。来年の夏は伝統的な上草履にチャレンジしてみようか。
20上草履


wassho at 21:19|PermalinkComments(0)

2023年08月12日

ラムネ菓子を食べた その2

この商品を知るきっかけとなったテレビ番組「これがわが社の黒歴史」で
紹介されていた内容を紹介するとーーー


長年に渡り増えも減りもせずに安定した販売を続けていた森永のラムネ菓子。
しかし2014年頃から突然に売り上げが伸び始める。
これがオリジナルの商品パッケージ。

2-ラムネ瓶

調べてみると「ブドウ糖のおかげで二日酔いに効く」との口コミが広がり、
SNSでもバズっていると判明。

そこで2015年にウコン配合の「ラムネのチカラ」を発売。
パッケージもネーミングも「ウコンの力」のまんまパクリやないか(^^ゞ

3ウコン

しかし主力販売先となるコンビニ(本部)に営業をかけるも反応は今ひとつ。お菓子の棚にウコンは置きにくいし、栄養ドリンクの棚にラムネを置くのもーーーというような理由だったらしい。したがって店頭にほとんど並ぶことなく、つまり人知れず派手にコケていたわけ。


懲りずに2016年、なぜか今度は女性をターゲットにした新商品を開発。商品名は「スパークリングラムネ」でパッケージもそれっぽい。

4スパークリング

こちらが売れなかった理由は番組ではっきりとは述べられなかったが、正反対の食感を持ち女性に人気のグミにはかなわなかったとのことだろうか。あるいは(ウコン版もそうだが)駄菓子のラムネとあまりにイメージがかけ離れていて、消費者がピンとこなかったのかも知れない。

またスパークリングのネーミングにもかかわらず「たいしてシュワシュワしていない」との評価が帰ってきたと番組で担当者が述べていた。おそらくスパークリングはネーミング演出だけで発泡感は従来のラムネと変わらなかったのでは? 消費者をなめたらしっぺ返しをくらうもの。そしてこれで大コケ2連発(/o\)


やがて責任者の異動が決まり(左遷?)最後の商品開発会議。ろくなアイデアは出なかったものの会議は延々と続く。その時に誰かがラムネをかじり、そして

  やっぱりラムネはおいしいなあ〜
  子供の頃はこれをいっぱい食べるのが夢だったなあ〜

とつぶやいて、それで閃いたのが大粒化というような番組ストーリーだった。大粒ラムネの発売は2018年で、当初の年間販売計画数量を発売後1カ月足らずで売り切るスマッシュヒットとなる。

6大粒ラムネ

ラムネをいっぱい食べたいなんてニーズがそんなにあったと思えないから、成功の秘訣は袋入りにしたことにより、瓶入りより店頭で目立ったからじゃないかなあ。いろいろとアピールポイントを書き込めるし。それに瓶入りのパッケージは大人が買うにはちょっと恥ずかしいかも。

また大粒といってもそれほど大きいわけではない。パッケージには当社体積比約1.5倍とある。オリジナルのラムネは食べていないけれど、これくらいの大きさのほうが大人には食べやすい気がする。

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なお森永のホームページではこれより大きい「超大粒(体積比3.9倍)」というラインナップも載っている。しかしそちらは何件かお店を見て回ったがどこにも置いていなかった。調子コイてはいけません(^^ゞ


元は二日酔いに効くとの口コミから始まった大人向けのラムネ・マーケティングだが、薬じゃないからそんな効能を謳うのは薬事法で禁じられている。それはハウスの「ウコンの力」も同じで、パッケージはもちろんホームページのどこにも二日酔いの「ふ」の字もない。同社のメッセージは開き直って「飲んどきゃ、いいことあるかもよ」である。それでも熱中症対策に塩分とブドウ糖が含まれたラムネがあれば買いたい気がする。もちろんその程度のアイデアは検討済みだろうけど。


さて次は炭酸飲料のラムネを飲みたいな。
ビー玉で栓をされたヤツ。
通販で取り寄せられるが20本セットのような売られ方が多い。
多くて3本で充分だから、そのうちネットで近くで売っているお店を探しましょう。
見つかるかな?

7ラムネ水

写真はhttps://otokonokakurega.com/learn/secret-base/11333/から引用


おしまい

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2023年08月11日

ラムネ菓子を食べた

7月25日に書いたのは、ひょっとしたら小学生以来かも知れない白無地のソックスを履いたことについて。今回も超を10個くらい並べたくなる久々なお話。


「これがわが社の黒歴史」という企業の失敗談を紹介するテレビ番組がある。先日、森永製菓でラムネ菓子の新商品開発に次々と失敗したケースを放送していた。ラストチャンスで原点に返って開発して成功を収めたのが写真の商品。商品名は「大粒ラムネ」。

1-IMG_3074

森永がラムネを作っているなんてまったく知らなかった。何となくラムネは駄菓子的で、名も知らない零細企業が作っているイメージ。それよりも番組を見ながらラムネがどんな味だったかがまったく思い出せない。もっというなら炭酸飲料のラムネ水は意識にあっても、ラムネ菓子はそんなお菓子があることすら、番組を見るまでまったく忘れていた。

もちろん食べていた記憶はある。でもおそらく幼稚園か小学1〜2年生の頃までだったような気がする。番組の途中で「ラムネのシュワシュワ感」との表現があって、少し思い出したものの、口の中に味がよみがえってこない。

それで買ってきたのが写真の商品。
まんまと番組のワナに引っ掛かったかな(^^ゞ
なお2つのサイズが違って見えるのは撮り方のせい。

舌の上にのせると少し酸味があって、噛むとシュワッと発泡感がある。甘さはあまり感じない。当時に食べていたのが森永のラムネかどうか分からないが間違いなく懐かしい味。爽快感もあっておいしいのに、どうして食べなくなったのだろう? 食べ応えはないから、育ち盛りになってもっと甘みのあるお菓子に移行していったのかな。

とりあえず軽くリフレッシュしたいときにラムネはお勧め。
原材料の90%がブドウ糖らしいから疲れたときにいいかも。


<ところでラムネとは?その1>

ビー玉の入った瓶の炭酸飲料のラムネ水に似せて作ったのがラムネ菓子と思っていたが、それも諸説あるうちのひとつで、はっきりした由来は不明とされる。

歴史的にはイギリス発祥のラムネ水が日本で最初に製造されたのが1872年(明治5年)で、ラムネ菓子の製造が始まったのは戦後の1948年(昭和23年)から。ラムネ菓子は和菓子の落雁(らくがん)の製法を参考にしたともいわれる。


<ところでラムネとは?その2>

ラムネの語源は何と英語のレモネードが訛ったもの!
いくら何でも訛りすぎやろ(^^ゞ

ーーーと思ったものの、ネットの英語辞書で発音を確かめるとレモネードの発音記号は leməneɪd であっても「ラムネー(ド)」と聞こえる。昔の人のヒアリング能力は高かったというか、なまじローマ字読みの発音癖がついていないから正確に聞き取れたのかも知れない。

 クリックするとレモネードの発音 
 クリックするとレモンの発音   



ーーー続く

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2023年04月12日

大阪にカジノを作るなら

報道によると「大阪府市が進めるカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の区域整備計画が14日にも政府に認定される見通し」とのこと。9日の大阪府知事・大阪市長のダブル選で大阪維新の会が圧勝→維新はIR誘致推進派→民意が得られたと判断の模様。ずいぶんと素早い決定だから、選挙情勢を見通しての既定路線だったと思われる。

カジノ法案は2016年に成立している。それは「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」とカジノの解禁を正面から取り上げず、目眩ましのような法律名と内容にしているところからして胡散臭い。

とはいえカジノ解禁について特に意見があるわけではない。様々な問題は必ず起こるだろうが、世の中はまあ「なるようにしかならない」と、これについては他人事スタンス。


それはさておき
カジノというとこのようなイメージを思い浮かべるはず。
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https://www.bank-daiwa.co.jp/column/articles/2019/2019_198.htmlから引用
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https://mainichi.jp/articles/20190306/pls/00m/020/102000cから引用

しかしせっかく日本にカジノを作るのなら、
是非ともこういうゾーンを設けて海外カジノと差別化を図るべき。
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こんなセクシーコスチュームのディーラーもいいね。忍者やサムライあるいは鬼滅の刃とかも外国人観光客をカモにする、もとい(^^ゞ 惹きつけるのに貢献するんじゃないかな。
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花札も絵柄が日本的で素敵なので取り上げて欲しいが、サイコロ博打のいいところはルールが簡単なこと。2つのサイコロの合計が偶数なら丁、奇数なら半と説明もひと言で済む。つまり誰でもすぐに楽しめる。

マンガ、アニメ、カワイイ、オタクなどのサブカルチャー単語は既に海外でそのまま通用している。これからはチョウとハンも覚えてもらいましょう(^^ゞ

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2022年12月01日

なにゆえブラックフライデー

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あちこちでブラックフライデーのセール真っ盛り。

アメリカでは1970年代中頃に広まったらしいが、日本ではイオンが2016年、Amazonが2019年から始めたのでまだ新しい風習。ところで昔から年末にバーゲンがあったのに、どうして11月下旬などと中途半端な時期なのか。

調べてみると、

 アメリカでは感謝祭(サンクス・ギビング・デイ)が11月第4木曜日に祝われる。
 重要な祝日であり日本の元旦に近いとも言われる。クリスマスより大切との説も
 あったが確認はしていない。それでもそんな説が出るくらいの位置づけなんだろう。
 お祝いに七面鳥を食べるのは有名。
    ↓
 感謝祭はもちろん祝日(休日)で、翌日の金曜日も休日にするところが多い。
 だから続く土日も併せて4連休になる。
    ↓
 その金曜日から、売れ残った感謝祭向け商品やプレゼントのセールが始まった。

というあたりが由来みたい。もちろん今は売れ残りだけを売っているのではない。小売業界は不思議なところで、値下げの際には何か口実を付けたがる。現在、アメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされ、また年末商戦のスタートダッシュとしても重要なんだとか。


つまり感謝祭の風習から発展した販売戦術を日本にも導入したわけだ。
それはいいとして。なにゆえ「ブラック」なのだ。

black-monday

ブラックに曜日の付く言葉と言えば、1987年(昭和62年)10月19日にニューヨーク株式市場で起きた史上最大の株価大暴落=ブラックマンデーが有名。ブラック&曜日のネーミングはその時に初めて聞いた。

そんな縁起の悪い言葉の組み合わせなのに、
そもそもブラックは買い物意欲を刺激するような色でもないのにーーー

今はもう慣れてしまったものの、初めてブラックフライデーの言葉を聞いた時は、ブラックマンデーを連想して???な気持ちだった。


それでなぜこの感謝祭バーゲンセールがブラックフライデーなのかというと、
諸説あるようだが、

  買い物客で街に人があふれる。
    ↓
  何かとイザコザや交通事故などが増える。
    ↓
  警察官の仕事が増えるーーー自分も買い物したいのに(涙)
  1950〜60年頃、フィラデルフィア警察が忙しくてイヤになるとの意味で、
  この日をブラックフライデーと呼び出す。
    ↓
  小売業界は縁起が悪いと反発し「ビッグフライデー」を提唱するも、
  ブラックフライデーが定着してしまう(>_<)

  あまりの混雑に消費者もウンザリしており、
  ブラックな気持ちだったとの説もある。
    ↓
  フィラデルフィアの新聞社が「お店が儲かって黒字になる金曜日」との
  新説を発表する。

それならと小売業界も納得しメデタシメデタシーーーとなったようだ。やはりアメリカでも最初はブラックに抵抗感があったんだ。私の言語感覚が異常じゃなくて安心した(^^ゞ



参考までに私がAmazonのブラックフライデーで必ず買うのが、エクセルやワードなどの詰め合わせであるマイクロソフトのオフィス(Microsoft 365:1年契約のサブスク )。毎年3月にマイクロソフトが実施する2500円のキャッシュバック・キャンペーンとほとんど価格はかわらないものの、キャッシュバックは申込用紙を郵送したりで手間が掛かるから。

素直にキャンペーン価格で値下げすれば、マイクロソフトで買う=マイクロソフトはAmazonに販売手数料を支払う必要がない=より儲かるのに。値下げではなくキャッシュバックなのは、先ほど書いた小売業の「値下げの際には何か口実を付けたがる」と同じメンタリティかも知れない。

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2022年11月30日

常温牛乳で冬でもシリアル

Wikipediaによるとシリアルとは

   トウモロコシ、オーツ麦、小麦、大麦、米などの穀物を、押しつぶして
   薄い破片(フレーク)にする、パフ状にする(膨化させる)、
   混ぜ合わせてシート状にしてから砕くなどの加熱調理で食べやすく加工し、
   長期保存に適した形状にした簡便食である。

とある。

すっかり一般化したとはいえ、シリアルと聞けばシリアルナンバー(シリアルは連続の意味)や、今は使われなくなったけどパソコンのシリアルポート(1ビットずつデータを転送する方式のケーブル差込口、対義語はパラレルポート)などを思い浮かべてしまい、何となく食べ物の名前として違和感を感じる。適当な日本語が作られなかったのは残念。穀物加工食品じゃピンとこないし。(なお英語では食べ物はcerealで、連続はserialとスペルが違う)

シリアル

日本ではケロッグやシスコーンのコーンフレークが最初に出回ったように記憶している。発売開始は1963年(昭和38年)。当時は子供のおやつとして普及した。だから砂糖がまぶしてあり甘みのある食べ物だったし、おまけのオモチャも付いていたように思う。またスーパーではお菓子売り場で売られていた。

そんな認識だったから、1980年代前半に初めて海外に出かけた時、ホテルの朝食(バイキング形式)でシリアルが揃えてあるコーナーを見て「外人は朝からコーンフレークを食べるのか」と驚いたのは懐かしい思い出。

メーカーがシリアルをおやつ食品から朝食食品にと、マーケティングの方向を転換したのは1990年前後。玄米なども材料に加えて健康面もアピールし始めた。また参入メーカーも増えた。

ただしメーカーの思惑通りには消費者は反応せず。それでも徐々に食に関する環境や意識が変わり、ようやく2010年前後から市場が急拡大し始める。材料の種類が増え、ドライフルーツなども加えられるようになり、また薄いフレークから粒々のグラノーラが主流になる。シリアルという言葉が一般化したのもこの頃からだと思う。

   <シリアル食品 出荷額推移>
      2005年 230億円
      2010年 248億円
      2015年 537億円
      2021年 623億円

そういうわけで、
その変遷を眺めると、シリアルは意外と興味深い食品なのである。

フルグラ、オートミール

さて、
シリアルはけっこう好きでよく食べている。いろいろ試したが今のところはカルビーのフルグラ(フルーツ・グラノーラ)と、日本食品製造のオートミール(オーツ麦のシリアル)を3対1位でブレンドすることが多い。たまにメープルシロップを加えて甘くして食べたりもする。

それでもちろん牛乳をかけて食べるわけだが、当然ながら冬には冷たすぎる。だからシルアルは春・夏・秋の食べ物だった。しかし先日、封を切ってまだほとんど残っているシリアルがあるのを思いだした。秋も終わりになると食べる頻度が減るのでありがち。今までにもそんな経験があって、春まで放置しても別に湿気たりはしないし、賞味期限的にも問題ないものの少し考えてみた。

  牛乳が冷たいのなら、温めたらどうだ。
    ↓
  それって、おいしいか?
    ↓
  そうだ! 冬でも水は飲むじゃないか。
  熱い牛乳じゃなくて、冷蔵庫で冷えた牛乳を常温に戻せばいいんだ!


ボールに牛乳を入れ電子レンジで50秒加熱。指で触ると冷たさは感じない。測ってみると26.5度だった。ちなみに水道水は21度。水道の温度なんて生まれて初めて知った。

シリアルを入れて食べてみた。冷たくもなし暖かくもなし。
これなら冬でも大丈夫。
冬でもシリアルを食べたい人は是非お試しを。

気が進まないけれど何事も経験だから、
熱々の牛乳でもそのうち試してみるつもり(^^ゞ

wassho at 22:44|PermalinkComments(0)

2021年10月21日

鮭とサーモン

ゴッホ展の話は1回お休み。


タマネギの食べるところ(丸い部分)が植物学的に葉であることにビックリしたら、その葉は球根だというドンデン返しがあったと少し前に書いた。今回も似たような話。 つい最近に高校生向けの番組で知った。

   それは鮭(サケ)とサーモンは、日本語と英語の違いではなく
   サカナとして別物ということ。
fish_sakana_sake

もちろん鮭は英語でサーモンであり語学的に両者は同じサカナ。しかし日本の食品業界においては鮭とサーモンの意味・定義を使い分けているということらしい。

1番のポイントは

   鮭=天然物=加熱しないと食べられない
   サーモン=養殖物=生で食べられる、というか生で食べるために養殖

という区別。

天然の鮭で生食が不可なのはアニサキスという寄生虫を避けるため。サバやアジの刺身を食べてアニサキスによる食中毒になった話はたまに聞くから、生食不可とされる鮭には寄生している確率がよほど高いのだろう。

そのアニサキスは天然の場合、エサとしているオキアミに寄生しているという食物連鎖で鮭の体内に入る。だからアニサキスを含まないエサを与えた養殖のサーモンは生で食べられるという理屈。

話はそれるが、アニサキスにアタると激痛が走りのたうち回るらしい。しかしアニサキスに寄生されているサカナが痛がったり弱ったりするという話は聞かない。なんとなく共存しているイメージ。クジラなんてオキアミを超大量に飲み込むのに。どうして人間だけ?



鮭とサーモンの違いに話を戻すと、天然と養殖だけでなく、実はサカナとしても微妙に違う。鮭は川で産卵するものの基本的には海で生息している海水魚。対して(日本食品業界でいう)サーモンは川に生息する淡水魚いわゆる川魚。一般的に言うなら鱒(マス)の仲間。鱒なら英語でトラウトになる。

なんだけど鮭と鱒は生物学の分類上で、はっきりとした区別がないから話がややこしい。例を挙げると焼き魚にして食べることの多い白鮭と、川で釣れるニジマスを較べると

   サケ目:サケ科:タイヘイヨウサケ属のシロザケという種
   サケ目:サケ科:タイヘイヨウサケ属のニジマスという種

といった具合。品種改良したサーモントラウトという種類まであるらしい。つまりサーモンは鮭じゃなくて鱒なんだけれど、鮭と鱒は似たようなものだから、英語的に表記するのにトラウトじゃなくてサーモンでも間違いじゃないということみたい。ついてこれる? まあ鮭はシャケとも読んで元から名前がややこしいサカナ。



この(日本食品業界でいう)サーモンは1986年(昭和61年)に、その養殖が盛んだったノルウェーから輸入されたのが日本で広まったきっかけ。マーケティング戦略としてマグロが独占している高価格帯の生魚マーケットを狙い、切り身マーケットの鮭との差別化を図るために「サーモン」という呼び名を用いたとされる。とはいえマグロより価格は安いから、当時ブームを迎えつつあった回転寿司をターゲットとして販路を広げていったという。

たぶんその頃だったと思うが「日本と違って外国の水産業は進んでいる。ノルウェーの輸出業者なんて商談の際に色見本(いわゆるカラーチップ)を見せて、エサの配合で客の希望する色にサーモンを仕上げてくる」とか聞いて驚いた記憶がある。

それから約35年。マルハニチロが今年3月に発表した調査結果によると、回転寿司でよく食べるネタのランキングでサーモンは10年連続で1位を獲得している。刺身としても定着し人気も高い。お見事なマーケティングだったといえる。

sashimi_salmon

だけれども私、焼き鮭や鮭フライは大好きなのに、生のサーモンはあまり好きじゃない。何となくヌルーとした感じが苦手。お刺身盛り合わせにはたいていサーモンが入っているのを、いつもケシカランと思っている(^^ゞ

wassho at 23:10|PermalinkComments(0)

2021年03月06日

ブルーシートに代わる専用の目隠し道具まで登場

以前に「ブルーシートの違和感と危惧」をテーマにブログを書いた。事故現場での遺体搬出や警察の容疑者移送などで、その必要がないと思われる場合であっても、何が何でもその姿を見せまいとブルーシートで周りを取り囲む最近の風潮についてである。

詳しいことはリンク先のページを見てもらうとして、もちろん今でも馬鹿げた行為だと思っている。しかし世間的にはまったくそうでないようで、昨日はニュースでこんな映像が流れてきた。


ブルーシートに代わる専用の目隠し道具!
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おそらくこれは枠の部分がバネ仕掛けになっていて、使わない時は手早く折りたためるのだろう。以前にクルマのサンシェードで似たような構造のものを使っていた。
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ネットで調べるとクイックシールドという似たような商品が見つかった。
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ニュースの映像で使われているものとは別だから、色々なものが発売されているのだろうか。私はこのニュースで初めて見たけれど、けっこう普及しているのかな?

必要以上に目隠しをすることについてバカらしいと思っているのに変わりないが、世間に蔓延している目隠しのニーズをくみ取り、さらにブルーシートの

   手を高く上げているのが大変
   多くの人手が掛かる

という短所を改善した商品開発には、マーケティング的に「やるな」と思ったり(^^ゞ
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2022年8月追記
何が何でもブルーシート
https://wassho.livedoor.blog/archives/53431114.html

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2021年01月30日

30年前、ワープロには輝かしい未来があるはずだった

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1989年に雑誌のDIMEが「パソコンの台頭で、ワープロはいずれなくなるのか?」とワープロメーカーに公開質問状を出し、6社から回答を得ていた。DIMEは30年後の2019年にその記事を再掲載。1989年が平成元年、2019年の4月で平成が終了なので、平成を振り返る企画だったようである。

昨日、その抜粋がTwitterで流れてきた。

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まあ、ものの見事に恥ずかしい回答が並んでいる。

当時の状況を思い返してみると、Windows3.0が発売されたのは1990年なので、まだMS-DOSの時代。何をするにもコマンドと呼ばれる呪文のような文字列を打ち込まねばならなかった。だからパソコンはどちらかといえば社内でも理科系の人が使う道具だったし、ビジネスでの用途も限られていた。Macはもちろん当時からマウスを使って操作できたものの、1時間に1回はシステムエラーを起こして、それまでの仕事をパーにしてくれた(^^ゞ

それで文章はというと手書きで書いた原稿をワープロ・オペレーターに頼んでワープロ打ち、すなわち清書してもらうのが一般的だった。ただし、それはある程度重要な書類だけに限られていて、今じゃ信じられないが、社外に出す企画書や報告書で手書きのものも多かった。また社会人でキーボードを使える人はまだまだ少なく、ワープロ・オペレーターはけっこう高給だったと思う。

ワープロは1980年前後から発売されて、全盛期は1985年から1995年あたりの10年間程度と短い。1999年にはパソコンの売り上げを下回り、2003年には各社とも生産を終了している。


ここまで書いてパソコンのワープロソフトではなく、昔はワープロ専用機があったことを知らない人もいるだろうと気がついた。そこを説明するのは省略するけれど、ビジネス用のワープロ専用機って、こんな感じだったと写真だけを紹介しておく。
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こういうのが懐かしかったらジジババ確定ね(^^ゞ


さて、上のコメントは全盛期の真っ只中の1989年だし、回答したのはワープロメーカーの広報部だとの事情は割り引いて考える必要はある。でも当時は世間の認識もこの程度だったように思う。

それでどうなったか。ワープロが2003年に生産中止になったことは書いた。次は当然各社ともパソコンに力を入れたわけだが、それから約20年たった現在は

   NECと富士通:パソコン事業は中国のレノボ傘下
   シャープ:パソコン事業撤退。
        また会社自体が台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入る
   東芝:パソコン事業はシャープ傘下に、つまりは鴻海精密工業の傘下
   キヤノン::パソコン事業撤退

まともに残っているのはパナソニックだけなのが現状。


何を言いたいかといえば、当たり前の事ながら、状況を読み違えて間違った判断をすれば、先を読めなければ企業は滅びるということ。そして心配なのがエンジンからモーターに、ガソリンから電気に主力が移ろうとしている自動車産業。10年前にはエンジンがなくなるなんて考えられなかった。いわばワープロにとっての1989年。しかし、その時から先を読んで努力を続けて来た企業だけがモーターの時代にも生き残る。

シャープやキヤノンのパソコンなんて、どんな製品だったか、もうほとんど記憶の彼方にしか残っていない。そんな風に忘れられる自動車メーカーも出てくるかもしれない。あの会社とあの会社は危ないなと指折り数えてみたりして(^^ゞ


もちろん他の業界にも当てはまるケースは色々とあるだろう。何事も永遠には続かず、驕(おご)る平家も久しからずは世の常だから。そう書くと何か日本の産業が先細りするような淋しい印象になってしまうが、逆に驕っているヤツらにつけいるチャンスもあるのだと前向きに捉えましょう。

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2020年02月24日

世界らん展2020 その3

ランに山ほど品種がある事は前回にも書いた。それは植物学的な話で、(日本で)園芸の大分類としては、まず東洋蘭と洋蘭に分けられる。東洋蘭は日本と中国に属するというような意味合い。原産地というよりは日中で昔から栽培されてきたというニュアンス。日本の場合なら明治維新より前を指す。

そして洋蘭は西洋産じゃなくて東洋蘭以外という分類だからややこしい。なおかつ洋蘭の原産地は東南アジアなど東洋も多いのに、それらは東洋蘭ではないという理不尽さ。これは明治になって西洋から入ってきたランを西洋蘭の意味で洋蘭と呼び、その反対語として東洋蘭という言葉もできた。でも洋蘭のオリジナルはヨーロッパじゃなかったと後で知ったといういきさつで整合性がとれなくなったようだ。なお洋蘭は熱帯・亜熱帯の植物である。


前回までに紹介したのはすべて洋蘭(のはず)。
そして次は東洋蘭(のつもり)。
詳しく調べたわけでなく展示場所の雰囲気で判断しているので違っていたらゴメン。


これらは長生蘭。
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ラン科セッコク属のラン。その東洋蘭がセッコクあるいは長生蘭で、洋蘭がデンドロビウムと呼ばれる。学術的な分類と園芸的な分類も重なり合うので、もはやランの品種ラインナップは絶望的に難解。もちろん同じセッコク属でも東洋蘭と洋蘭ではかなり違う。

そして見ての通り、洋蘭は花中心だが東洋蘭は葉や茎も含めて楽しむのが特徴。こんなのを育てていればグッと渋いガーデニングになる。


これは寒蘭。こちらは花がメインの東洋蘭。
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たくさんの東洋蘭を見たはずなのに、写真はあまり撮っていなかった。やっぱり地味なものにはカメラが向かないようで。もっと渋い大人にならないと(^^ゞ

というわけで再び洋蘭(たぶん)。
変わったもの中心で、前回の投稿に入れ忘れたもの。

スパイダーオーキッドとも呼ばれるブラッシア。
オレンジのものは珍しいみたい。
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マスデバリア。ナンジャコレ?大賞を進呈しよう(^^ゞ
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以下は名前がわからず。
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これは葉なのか花なのか? ナゾの生命体に遭遇した気分。
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名前がわからなくても美しいランは美しい。
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展示風景で。

これは東洋蘭の日本春蘭。
まとまっているとそれなりに見えるけれど、ひとつひとつは地味でしょ。
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こちらは単体でも紹介した長生蘭。
ところで東洋蘭は鉢にも凝るみたい。
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これは「えびね」という東洋蘭。
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洋蘭の華やかな世界がこっち。
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改めて眺めると胡蝶蘭はラン以外も含めて唯一無二の姿をした存在だとわかる。その高級さを支えているのはネーミングと前々回に書いた。ただし、それは誰でも一目でわかる差別性があってこその話。まさにマーケティングの見本みたいな花である。
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東洋蘭と洋蘭でシャッターを押す回数が違ってしまうのが
わかってもらえたかな?


ーーー続く

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2020年02月21日

世界らん展2020 ー花と緑の祭典ー

東京ドームで開催されていた世界らん展2020へ行ってきた。

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ずっと行きたいと思っていた世界らん展。しかしこのイベントは事前告知があまり活発ではなく、いつも紹介記事、つまり会場を訪問した後のレポートを見て、会期は1週間程度なので、あっ!また行きそびれたと残念な思いをしてきた。

幸いにも今年は事前に情報に接することができた。もっとも、そんなにランが好きなのかといわれれば、まったくそんなことはなく、ただ東京ドームが花いっぱいに埋まるイベントを見たかったというのが正直なところ。


というわけで別にランに詳しくもなくて、その名前で私がまず思い浮かべるのは、平均的な日本人とおそらく同じく胡蝶蘭である。何となく夜の高級店の雰囲気(^^ゞ そういう場所にはほとんど行かないし、それ以外の場所で胡蝶蘭を見たことのほうが圧倒的に多いにもかかわらず、なぜそう想像するのか自分でも不思議。

そして胡蝶蘭と聞いてイメージするのは高級すなわち高価だということ。開店祝いなどのお花に胡蝶蘭がズラッと並んでいると、ここはちょっと格が高いなと思ってしまう。

実際の価格はというと、そこそこ見栄えのする胡蝶蘭だと5万円ほどする。
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銀座でデカい顔をしたければ30万円は必要かな。
ラン2


胡蝶蘭は高価だから有り難がられている側面がある。ではどうして胡蝶蘭は高価なのか。栽培にたいへん手間がかかるなどのコスト面はあるだろうが、それよりも「胡蝶蘭」という妖しげな雰囲気も漂わせたネーミングが付加価値を押し上げていると思っている。だから夜のお店で好まれるのかな。ときどき書いているけれどマーケティングにおいてネーミングは極めて重要。

ちなみに胡蝶蘭は英語だとモス・オーキッド。そんな名前じゃ高い値段は取れない。

そしていったん高級な花というブランドを確立すれば、縁起物や祝い物カテゴリーとして合理性を超えた価格を奮発してもらえるし、その好循環ループで胡蝶蘭を送っておけば間違いないという定番商品のポジションを確保できる。おそらく胡蝶蘭を自分で購入して飾っている人は少なくて、ほとんどが贈答需要だと思う。

それにしても選挙事務所や楽屋風景などで、白い胡蝶蘭ばかりがズラーッと並んでいるのを見ると、いかにもこの国の画一性を垣間見た気分になる。だから私のお祝い事には胡蝶蘭以外も送って下さい(^^ゞ


さて地下鉄の後楽園駅を出て東京ドームへ。
左側は遊園地やスパなどのあるラクーアと呼ばれる商業施設。
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入り口までドーム沿いを歩いて行く。
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チケット売り場は閑散としていた。実は事前にEチケットを買おうとして、ホームページの反応があまりに遅いので諦めたのだが、それで正解だった。入場料は2300円とけっこうなお値段。
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22番ゲートは東京ドームの正面出入り口。入場時に持ち物検査がある。でもバッグをチラッと見せる程度の形式的なもの。ボディは調べないからマシンガンでもダイナマイトでも自由に持ち込める。手間とコストをかけている意味なし。
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来るなウイルス(^^ゞ
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中に入ってけっこう長い距離を歩かされる。
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途中でグラウンド部分が見えて期待が高まる。
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座席にいるのは休憩している人かな。
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写真ではロッカーの中に入っていくように見えるが、そこから階段を降りる。
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本日は心配無用。
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入り口の飾り付け。
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ここをくぐって、いよいよランの咲き乱れる世界へ!
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ーーー続く

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2019年02月27日

三元豚はブランド豚じゃなかった話

先日、ネットで見かけた情報。
スーパーなどの豚肉売り場に行かない人にはピンとこないかも。
でも「三元豚使用」と書いてあるトンカツ屋もあるかな。

ブタ

三元豚の表記をいつ頃からよく見るようになったのかは記憶が曖昧。20年前はそうでもなかったように思う。10年前には今と同じくらいアピールされていたかもしれない。私は色々なことに「ナンデ?」と思うタチなのに、これに関しては何の疑問もいだかず。というか特に関心がなかったといったほうが正確だけれど、三元豚とは豚の品種つまりブランドで、ちょっといい豚肉だと思っていた。そういう人は多いはず。

実は三元豚とは3つの品種を掛け合わせて生産された豚を意味する。具体的にはメスのランドレース種とオスの大ヨークシャー種を交配させて生まれたメスに、オスのデュロック種を掛け合わせて生まれた豚が一般的らしい。純血種を掛け合わせると雑種になるわけだが、雑種強勢というそれぞれの品種のいいとこ取りをする牧畜技術のようだ。

ところで三元豚について調べると、交配について止雄豚や中雄豚などの言葉が出てくる。だいたいの意味は想像がつくものの、正確にはどうなんだろうとネットで調べても解説しているページを見つけられなかった。ちょっと意外。ちなみに欧米では4品種を掛け合わせた四元豚が多いとの情報はたくさんあったのに、その理由も見つけられず。そのような投稿自体がないのか、検索エンジンがかゆいところに手の届くレベルに達していないのか。

話を戻して

さて三元豚の意味がわかったところで、ポイントは流通している国産豚肉のほとんどが三元豚だということ。つまりブランドでもナンデもなく、お米を食べている日本人くらいの意味しかない。

     ブヒッ! なんとなくシテヤラレタ感じ


三元豚と表記するのはもちろん偽装じゃない。悪意があるとか優良誤認を意図しているだとかまでの非難は当たらないとは思うが、消費者の無知や錯誤を利用したマーケティングだと言えなくもない。だから実に微妙なライン。見習いたいくらい(^^ゞ

他にも信じ切ってカツガレていることが身の回りにあるかもね。ただ、あまり疑い深い生活を送るのも疲れるけれど。

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2018年10月19日

カレー用の福神漬け

カレーライス
先日、久し振りに自宅でカレーでも食べようかと。

とはいってもカレーはレトルトだし、ご飯もパック入りである。
とはいってもカレーにはあれこれ具材を加えるスペシャルメニューである。
極秘レシピの公開はいずれそのうち。

それで福神漬けも買おうかと。
考えてみたら福神漬けを買うのはこれが人生最初である。

人はカレーを食べるとき福神漬けがないとないと我慢できない派と、そうではない派に二分される。私はそうではない派である。あるいはカレーの付け合わせは福神漬けがいいか、らっきょがいいかでも好みは分かれる。私はらっきょが苦手なので選ぶのなら福神漬け。

こういった二分論はわかりやすいので説得力がある。しかし言語明快意味不明な言葉と同じで、何となくわかった気にさせるだけのもの。安直な分け方には批判もある。それで私の好きなジョークを。

   人は、
   人は二分できると考える人と、
   そうではないと考える人に二分される \(^o^)/



話がそれたm(_ _)m
スーパーの漬け物売り場に行ってみると福神漬けはすぐに見つかった。赤い色をしているからわかりやすい。それを手に取ろうとしたとき、隣りに同じメーカーの「カレー用福神漬け」と書かれたものがあるのに気がついた。こちらは黄色っぽい色をしている。パッケージの原材料表示は読まなかったが、使われている野菜は同じもののようだった。

福神漬けには、普通の福神漬けとカレー用の福神漬けがあるのか。
しかしカレーの時以外に、普通の漬け物のように福神漬けを食べる人っているのかな?

今回はそんな素朴な疑問のお話。もっともカレー店の福神漬けは黄色っぽいのが多いから、そういう商品を出したのだろうけれど、ネーミングがブサイクねという皮肉。


ついでに、
仮に夫婦子供の家族構成でも、そんなに頻繁にカレーを食べる家庭は少ないと思うから、漬け物業界は福神漬けのパック容量をもっと少なくした方がいいと思うゾ。

wassho at 21:35|PermalinkComments(0)

2018年03月05日

8時間の作業が1秒で

トラック

少し刺激になったニュース。

詳しくは下記のリンクから読んでもらうとして要約すると

  三浦市農協では1日に約40品目600トンの野菜を
  北海道から大阪まで約50の市場に出荷しているが

  どのトラックをどこの出荷所で、どの野菜を、どれだけ積んで、
  どこの市場に向かわせるかを決める配車仕分け作業に

  今まで手作業で8時間を要していたが、
  新しく開発したコンピューター・システムにやらせたら
  わずか1秒で完了した。

というもの。
     http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12062

8時間 vs 1秒である。ちなみに8時間は2万8800秒。
1秒÷2万8800秒の計算をするまでもなく、とてつもない効率化。


感想その1

8時間が1秒になったことについて、実はそれほどビックリしていない。ある市場に向かうトラックにニンジンが載りきらない〜ニンジンだけ別のトラックを用意するか〜それじゃもったいないから隣の市場に向かうトラックに載せて後で運ぶか〜いっそキャベツはA車、ニンジンはB車とわけて野菜別に2つの市場を順番に回らせるかーーーというようなことをアーでもないコーでもないと計画するのが配車仕分け作業だと思う。似たようなことは学生時代にバイトでやったことがある。コンピューターはそんな組み合わせ計算は得意。


感想その2

逆にいえば1秒で済む作業に今まで8時間もかけていたことになる。このシステムはAI(人工知能)も使われているが、それはより少ないトラックで運ぶことに関して。人間と同じ配車仕分けをするだけなら20年前でも同じようなシステムは組めたような気がする。

作業を50%自動化するシステムを構築するコストを1とすると、90%の自動化で10、95%の自動化なら100かかると聞いたことがある。開発費の相場が違うので、今回のシステムを20年前に導入しようとしたらかなり高価だったかもしれないが、もっと以前に50%の自動化=4時間の短縮を図ろうといういう気はなかったのかな。

別に三浦市農協の経営を批判しているわけじゃなくて、世の中には放置されている非効率な仕事が山ほどあって、それを改善できれば素晴らしい世の中になると常々思っている。


感想その3

しかし視点を変えれば、今まで人間がやっていた仕事がコンピューターに置き換わったことになる。悲観的に書くなら「奪われた」。

配車仕分けはスキルを要する知的な仕事である。そういった分野までーーー。そういえば米国の金融会社であるゴールドマンサックスでは、トレードをAIに置き換えたので2000名いたトレーダーが2名に削減されたというニュースも去年にあった。これから先10年くらいで、働くとか仕事というものが大きく変化する予感。コンピューターやロボットにできない創造性のある仕事をとよくいわれるけれど、私はあまり自信ないなあ(^^ゞ


もっともこんな見方もある。

宅配便で荷物を出すと集配所に集められ、ベルトコンベアに載せられ、伝票に書かれたバーコードを機械で読み込んで仕分けし、目的地別の各トラックの所まで運ばれてくる。ここまでは人手を介さない。そこからドライバーがトラックに積み込み受取人の所まで運んで渡す。これが現在の姿。

先日見たテレビでは近い未来にこうなるらしい。

トラックに荷物を積み込むのもロボットアームが行う。トラックは自動運転で無人。受取人の家の前で停車。トラックの中は宅配ボックスのようになっており、メールか何かで連絡された受取人が出てきて、その宅配ボックスのようなものを開いて荷物を受け取る。つまり最初から最後まで人手を介さない。

さて人の仕事を奪うことにならないかという質問に開発者はこう答えた。「宅配業界では人手が足りなくて、このシステムを導入するのだから、人の仕事を奪うことにはならない」。ロジック的に突っ込みどころはあるとしても、そういう発想も成り立つことは確か。



とりあえずコンピューターやロボットに負けないように、
ヨイショの営業技に磨きをかけなければ(^^ゞ

wassho at 23:56|PermalinkComments(0)

2017年12月14日

書籍代でよろしいですか?

本屋
本屋で本や雑誌を買って、領収書をもらう時にはたいてい「書籍代でよろしいですか?」と尋ねられる。「はい」と答えると店員が領収書の品名欄に書籍代と書き込む。

書籍という字は画数が多い。書で10画、籍で20画と二文字で合計で30画もある。つまり領収書に書き込むのに時間が掛かる。

いつも思うのだが、ほとんどの場合は書籍代なのだから「書籍代」というスタンプを用意しておけばいいのに。店員だって手間が省けて楽なはず。

また多くの書店は領収書を頼むと、レシートと同じようにレジから領収書を発券する。だったら品代のところに書籍代と印刷されている/何も書かれていないの2種類を選べるようにするなんて簡単なはずだが。本屋業界やレジメーカーはそんなことは考えないのかな?

wassho at 21:23|PermalinkComments(0)

2017年09月05日

カレンダーの視覚効果

8月19日に、東京は8月になって19日間連続の雨だということを書いた。その日は直径2センチくらいのヒョウまで降った。

その後も雨の降る日は21日まで続く。ただし8月の雨降り連続最長記録は1977年に記録した22日間ということで、惜しくも記録更新はならず。また雨が降った全日数は27日間で、これは1886年(明治19年)に並ぶタイ記録らしい。ここでも新記録まで後一歩及ばず。情けないぞ今年の8月(^^ゞ

もちろん雨が降ったといっても27日間ずっとザーザー降っていたわけではない。記録の基準は知らないが、短時間にパラッときたものも含まれる。いずれにせよ東京が夏らしかったのは8月10日あたりまでで、お盆休みを含めてそれ以降は「曇りたまに雨」の盛り上がりに欠ける天気だった。気温も低めで夏を楽しむ前に夏がどこかへいってしまった感じ。そういえば高円寺に阿波おどりを見に行った時もほとんど汗はかかなかった。


ところで22日間とか27日間という数字。それをカレンダーのデザインを使って視覚的にわかりやすく表現したものがあったので紹介したい。引用は読売新聞のこの記事から。

雨カレンダー

これを見ると本当によく雨が降ったんだなと思えてくる。一般に文字情報より視覚に訴えたほうがインパクトは強い。だからプレゼンなどではよく理解してもらうために、あるいは印象操作のために(^^ゞここぞという場面でグラフや図解・イラストを使ったりする。

数字はグラフにするのが普通だが、カレンダーで日数を表現するというアイデアはなかなか秀逸。例えばブラック企業で残業時間が月に百何十時間などという報道がある。その数字の意味は計算したらわかるが、百何十時間という情報だけでは伝わらないというか心に響かない。でもカレンダーを使って「終電まで残業させられた日」とでも示せば一発で状況が理解できる。

ところで雨カレンダーでは雨量に関係なく同じ傘マークなのがミソ。これによって雨が多かったという記事の趣旨を現実以上に強調表現している。でも悪質と非難されるほどの印象操作でもない。秀逸なアイデアと評価したのはそういう意味もある。残業カレンダーでは死に神マークかな(^^ゞ


カレンダー以外にも何か使えるものがないかと、あれこれ考え中。

wassho at 08:52|PermalinkComments(0)

2017年08月08日

コーヒーを淹れるのは急須で充分

急須

朝に飲むコーヒーを淹れるのにドリップはやめて、フレンチプレスを使っていることを昨年末に書いた。またフレンチプレスではコーヒーの粉がわずかに混ざるので、カップに注ぐ時に茶こしを使っていて、だったら急須と茶こしだけでもいいんじゃないかとも書いた。


遅ればせながら実験してみた。

  急須に挽いたコーヒー豆を入れ、 
  湯を注ぎ4分後に、
  茶こしで漉しながらカップに注ぐ

実験する前からわかっていたが、急須で淹れたコーヒーはフレンチプレスで淹れたものと100%同じ味がする。原理的にはまったく変わらないのだから当たり前。


ところで日本の家庭(の一部で)でレギュラーコーヒーを淹れるようになったのは昭和40年代になってからだと思う。当初に使われていたのはサイフォンで、やがて器具が安価で手入れも簡単なペーパードリップが主流になった。コーヒーメーカーも基本的にはペーパードリップである。

考えてみると日本人は、コーヒーとは特別の器具を使って淹れるものと信じて疑わなかったことになる。おそらく見た目も味もお茶とはまったく違う飲み物だから、海外のやり方をそのまま真似て、急須という発想は生まれなかったのだろう。それに紅茶だって昔は茶こしごとカップに浸す淹れ方だった。ティーポットなんてものが知られるようになったのはずっと後になってから。そしてなぜか同じ機能なのに、急須とティーポットは使い分けるものだと思っている。和と洋は区別する発想は意外と根深いのかもしれない。そういやスパゲッティはフォークなのに焼きそばはお箸だ。あっ、焼きそばは中国か(^^ゞ


さてフレンチプレスは抽出が終わった後にメッシュのフィルターをポットに押し込んで、コーヒー豆がそれ以上お湯に触れるのを防ぐ、つまりコーヒーが「出過ぎ」ないようにする機能がある。これは急須にはできない芸当。自宅の急須は小さくてカップ1杯分しか容量がないから、急須に入れっぱなしにしておいたコーヒーがどんな味になるのかはまだ試していない。でも淹れた分だけを飲むのなら関係ないし、もしお代わりも一緒に淹れたいのなら、どうせ温め直すのだから最初から別のカップに注いでしまえばいいだけのこと。


まあとにかく急須と茶こしがあれば、コーヒーと日本茶そして紅茶にも対応できる。シンプルに暮らしましょう。私はフレンチプレスを買っちゃったので、それを使うけれど。



ついでに
  カップの上に広げて淹れるドリップバッグ式のコーヒー。
  お茶や紅茶のように、カップに沈めるティーバッグ式のほうが簡単で便利と思う。
  ここはひとつ柔軟な発想で商品開発を。

ーーーーーーーーーーーーー
後日追記
現在使っているのは、こんなティーポット
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53338681.html

wassho at 08:02|PermalinkComments(0)

2016年01月21日

納期60ヶ月待ち!

テレビを買い換えてからNHKのEテレ中心に見ていることは、昨年の末のブログに書いた。録画が増えるばかりで見ることがまったく追いついていないが、まあそれなりに楽しんでいる。

先日「イッピン」という番組を見ていたら、福井県の越前打刃物(うちはもの)のステーキナイフを紹介していた。イッピンはNHKのGテレ(一般放送)で、おもに地場産業の名品を紹介するような番組。

やたら切れ味鋭いステーキナイフが人気を博していることはどこかで聞いたことがあった。これがそのステーキナイフかと思い、いくら位するんだろうと番組を見ながらタブレットで検索してみた。

   1本 2万4440円(税込み)!

ペアとなるフォークは1万4040円。
セットだと3万8480円。家族4人分を揃えたら15万3920円。タカっ!


その価格にもビックリしたが、
さらに驚いたのはホームページに掲載されていた次のお知らせ。
1 60ヶ月

なんと5年待ち!
ステーキ冷めるわ(^^ゞ

こちらがメーカーである龍泉刃物のホームページ。ところでこんな高価なステーキナイフを買う人は、その切れ味が必要な固い肉を食べないような気がするけど。



別の日にEテレの「美の壺」を見た。これも「和の美しさ」をテーマにしたような番組。その時は南部鉄器を紹介していた。南部鉄器とは旧南部藩である岩手県で製造される伝統的な鉄の鋳物製品。いろんな種類があるが、この時は鉄瓶(てつびん:鉄のヤカン)を中心とした内容だった。

鉄瓶で湧かしたお湯はまろやかで珈琲やお茶を淹れるとおいしいらしい。それでまた番組を見ながらタブレットで検索してみると、

まず、このお店は全部品切れ

このお店は新規注文を受け付けていない
2


ここも全部完売

ここは納期1年から2年。たくさん注文すると、さらに待たされる。
3


ここも約1年待ち
4


ーーーと、ことごとく手に入れることができない。先ほどのステーキナイフは1社だけが生産しているものだが、鉄瓶は南部鉄器の産地全体での状況。鉄瓶がそんなに引っ張りだことは知らなかった。(状況は本日2016年1月21日現在)


それにしても納期5年や2年とかで客を待たして商売ができるなんて、ほとんどの企業にしてみれば夢のまた夢みたいな話だろう。生産量とかゴーストオーダーとか、マーケティングに携わるものとしての興味や確かめたいことはもちろんあるけれど、とりあえずブッタマゲタのでまずは報告まで。

wassho at 08:57|PermalinkComments(0)

2014年01月22日

ここが足りないよ日本の気配り

日本人はいろいろと細かいところに気がつく、あるいは気になる国民である。世界気配りオリンピックがあれば、おそらく国別金メダル獲得数1位になれるような気がする。

例えば、これはティッシュの取り出し口。
もともとミシン目がついているのに、さらにそのミシン目がついたフタを切り取りやすくする穴を開けるためのミシン目までついている。ほとんど病気。
DSC04278


ティッシュのフタなんて穴があろうがなかろうが簡単に切り取れるが、毎回イライラするのがこれである。そう、調味料やスパイスのシール。
DSC04281

写真に撮ったものは、めくりやすくするために一応シールに余分な部分があって、そこから引きはがすようになっている。しかし私は今までにこのシールをペロンときれいに剥がせたことは一度もない。引っ張ったら、この余分な部分だけがちぎれてしまうこともままある。

また商品によっては、写真のような余分な部分がなく、爪楊枝などでシールを突き刺して剥がせと書いてあるふざけた商品もある。そういうものに限ってシールが厚みのある素材でできており、爪楊枝程度の鋭さでは刺さりもしないのである。これがティッシュを開けるために二段階のミシン目をつけてしまうのと同じ国民が作った商品とは到底思えない。

話は変わるが、
ずっと昔にサプリの類は飲まないと書いた記憶がある。しかし、その後に気が変わって実は数年前からサプリ愛好家である。いろんな種類のものを、あれこれ試しながら飲んでいる。目に見える効果が出ることはないが、健康管理・体調維持にはそれなりに貢献していると思っている。サプリの話はいずれ別の機会に。

私が購入しているのはすべてアメリカ製である。国産のものはバカみたいに高いので買う気がしない。すべて海外の通販会社から購入。いわゆる個人輸入という方法。そんな話しもいずれそのうち。

それでアメリカ製のサプリのボトルについているシールは、ほとんどのメーカーで次のような工夫がしてある。
DSC04299

DSC04298


一目瞭然だが、真ん中の部分を起こして引っ張れば、楽にシールはきれいに剥がれる。1〜2ミリしかないシールの余分な部分を苦労してツメでつまんだり、ましてや千枚通しを取り出して突き刺してこじ開ける必要はない。ハウスやヱスビーがこの仕組みを知らないとは思えない。この方式でコストが跳ね上がるとも考えづらい。どうして採用しないかな。

ちなみにシールを1〜2ミリ余分に被せるという、まったく役に立たない気配りはメーカーのホームページによれば、あれでも改良型だそうである。ホームページでは「お客様の声を生かして」改良したことになっている。おそらく改良した(とメーカーが信じている)結果の評価は尋ねていないのに違いない。

アメリカ人が作った商品のほうが細かい気配りがあるなんて、ちょっと意外。でも実際にアメリカ式のほうが100倍はがしやすい。日本式は、特に視力が落ちて手先もうまく動かせなくなった高齢者には拷問だろう。誰かハウスかヱスビーに知り合いがいたら伝えといて。

wassho at 01:12|PermalinkComments(0)

2013年10月07日

神様から信者へ 2

ビックリした最上位顧客の呼び方というのは「信者客」。ビックリした理由のひとつは「お客様は神様です」という従来の価値観から180度転換しているから。もうひとつは信者客というネーミングのニュアンスである。


もっとも私は「お客様は神様です」とは思っていないし、その考え方が日本のマーケティングをミスリードしているということは以前にも書いた。ちなみにこの有名な言葉を吐いた三波春男自身も、言葉が一人歩きしていることを危惧していたようである

神様と信者じゃ立場は180度違う。しかし、このネーミングを思いついた人たちは、ありがたい客の条件を考えていったら信者というキーワードにたどり着いただけで、神様というコンセプトを否定しようという意図はなかったみたいである。

商品やサービスを気に入って何度もリピートしてくれる。支払いや態度に問題がなければ、これはありがたい顧客である。信者客には、さらに次のような要素が加わる。

  その商品やサービスの評判を広めてくれる。
  友人知人をに、その商品やサービスを薦めたり店に連れてくる。

変わった宗教の信者と同じかな(^^ゞ もちろん信者になってもらえるほど商品やサービス、あるいは接客やアフターサービスを高めようとすることは決して悪いことではない。それでも信者客というネーミングには抵抗がある。あなたの名前が田中だとする。お店ではあなたのことを内部で「VIPの田中さん」と呼んでいると知ったら悪い気はしないはず。でも、それが「信者の田中さん」だったら?


それとこれは最近の傾向で、しかも主にネットの中の世界の話だが、例えばアップルの信者、ソニーの信者などという場合には次のようなニュアンスがある。

  その会社の製品を盲信している。
  他社の製品やそのユーザーの悪口を言う。

ネットの中の世界の話と書いたが、とっくの昔にネットは特殊な存在ではなく実社会と表裏一体だから、客とかユーザーの文脈で信者という言葉を聞けば、こういうネガティブなイメージを連想する人も多いはず。信者客という言葉が作られた当時は、こういうネガティブなイメージはこの単語にはなかったのかもしれない。しかし今の時点の感覚で「信者客を作りましょう」などとと聞くと「盲信するくらい取り込んじゃえ、洗脳しちゃえ、そして新しい客を勧誘させろ」というようなマーケティング戦略かと思えてくる(人もいるはず)。

また仮にアップルの信者、ソニーの信者などという用法が生まれていなかったとしても、信者というのは従属する存在だから、それを顧客のネーミングに使うのは元もと筋が悪い。「信者の田中さん」と呼ばれていい気がしないのは上から目線を感じるからである。


え〜オチもシメもありません。
信者客だってーーーというお話でした。


おしまい

wassho at 00:18|PermalinkComments(0)

2013年10月03日

神様から信者へ

マーケティングにおいて顧客を、その取引状況に応じて階層的に分類することがよくある。例えば「新規客←→既存客」というのは今まで買ったことがあるかどうかの単純な区別である。既存客の中でも「一度だけ買ってくれた客←→たまに買ってくれる客←→いつも買ってくれる客」などと別けられる。よく買ってくれる客でも「安いものしか買わない客←→高いものを買う客」がいる。分類の視点は目的に応じて様々だが、要は儲けさせてくれる度合いや重要性で顧客をランキングする考えである。


こんなランキングをするようになったのは「顧客の中の上得意客2割が売上の8割を占めている」などといったパレートの法則的な発想がベースにある。そしてそれはロイヤルティマーケティングという考え方につながっていく。ロイヤルティマーケティングというのは、その2割の上得意客を大事にしましょうというマーケティング。

ただし日本人はこのロイヤルティマーケティングが苦手である。2割の上得意客を大事にしましょうということに反論は出ない。ただしこれは、残りの8割を切り捨ててでもという意味なのである。

切り捨てなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、これは単純にパイの奪い合いの問題。企業の対応能力は一定なので、今まで顧客全員に平等に対応していたものを、2割の上得意客に80%のパワーをさけば、残り8割には20%のパワーしか残らない。平等の価値が尊ばれる日本では、こういうことにものすごく抵抗がある。

それで結局、2割の上得意客にも残り8割への対応に毛の生えた程度のことしかできない(当然、上得意客はその対応では満足しない)。出来の悪い企業なら、挙げ句の果てに「我が社の対応能力を上げて、上得意客に最善を尽くすのはもちろん、その他の客にも今まで以上の対応をしましょう」なんて精神論に置き換わってしまう。



ちょっと話がそれたが、顧客を階層的に分類するという話。どう分類するかはもちろん様々。垂直的に分類されるとは限らないが、例えば

    最重要顧客
      ↑
     得意客
      ↑
     一般客
      ↑
     新規客

と分類したとする。もちろんネーミングも様々で最重要顧客はVIPとかスターゲストなんて呼ばれたりもする。ところで先日、ちょっと衝撃的な最重要顧客のネーミングを目にした。


ーーー続く

wassho at 23:09|PermalinkComments(0)

2012年01月13日

オプトアウトのススメ

ネットで何か商品を検索したり、たまたまクリックしたリンク先が販売サイトだったりした後で、まったく別のページを見ていても、その商品やそれによく似た商品の広告が現れる経験をしたことはあると思う。


細かい仕組みを説明すると長くなるので省略するが、ネットでの閲覧記録はブラウザーに記録されている。広告を表示する側はその情報を吸い上げて、ある商品の閲覧記録がある=その商品に関心があると判断して、その商品や類似商品の広告を表示する仕組みになっている。

これは、その人が関心のある商品の広告を流した方が、より広告効果が高くなるであろうという理論というか、ごく当たり前の理屈によっている。クルマのサイトをよくみていればクルマやカー用品の広告が多く表示される。さらに一歩進んで四輪駆動のクルマをよくみる人にはアウトドア用品、ミニバンなら子供に関連した商品の広告が現れるというような仕組みは今のところ試行錯誤中といった状況。


ネットで何を見ていたかを把握されるなんて気持ち悪いと感じる人もいると思う。もっとも広告側に流れるのは閲覧記録のデータだけで、個人情報は含まれない(のはず)。それでもイヤだという人は、自分の閲覧データの収集を拒否する設定ができる。たいてい広告のそばに、その設定にリンクしているボタンがあるはず。代表的なところでいうとグーグルならこのページの「ユーザーは複数の第三者配信事業者の広告サーバーや広告 Cookie を使用しないようにまとめて設定できます」のところ、楽天ならこのページで設定できる。

選択する、つまり閲覧記録の利用を受け入れることがオプトインで、拒否がオプトアウト。オプト(opt)はあまり聞き慣れない英語だが選ぶという意味で、その名詞形は誰でも知っているオプション。

実も私は通常はオプトアウトしている。その理由は

1)ウザッたい
ある商品の閲覧記録から、その関連で自分でも関心があることに気づいていないような商品の広告を流してくれればいいのだが、現状では既に閲覧した商品が出てくることがほとんど。だから広告というか情報としての価値がほとんどない。

2)調べ物をした後が特にウザッたい
個人的な関心ではなく、仕事でいろんな商品を調べることが多い。閲覧記録は、そんなことを考慮してくれないので調べ物が終わった後も、個人的にはまったく関心のない商品の広告が次々と表示されることになる。

3)適当な広告のほうが楽しい
オプトアウトすると広告側は、閲覧記録から関心を読み取れないのでランダムに広告を表示する。これがたまに意外な商品の広告があって楽しい。


「オプトアウトしている」ではなく「通常はオプトアウトしている」と書いたのは、たまにこの広告テクノロジーがどの程度進化したかを確認しているから。今のところたいした進化はない。



さて
米国での古典的なマーケティング事例に、赤ちゃんのオムツとビールは一緒に買われることが多いというのがある。かさばるオムツをスーパーで買ってきてと妻に頼まれた夫が、ついでにビールも買うからというような説明がされることが多い。

ただしオムツとビールを一緒に並べたら売り上げが増えたというような事例が書いてあることもあるが、それはたぶん良くできた作り話。ビールとおつまみを並べるのとは訳が違う。

でもマーケティングの専門家の中には、ありとあらゆる販売データを解析して、オムツとビールのようなまったく違うジャンルの商品の販売相関性を見つけることに価値を見いだしている人も多い。どちらかというと私はそういう考えには否定的。このテーマはあまりに専門的すぎるし、やさしく書くのは大変だからブログではパス。

ネットの閲覧記録を読み取って広告表示する手法をターゲット広告などと呼ぶが、それがイマイチつまらないのは、相関性原理主義者な人たちがその仕組みを作っているからかもしれないとだけ書いておこう。

wassho at 21:29|PermalinkComments(0)

2011年12月02日

コンビニの不思議:ジッポー

私のジッポーのライター。
なかなかカワイイでしょ。
バイクで海辺に行くことが多くなったので、風に強いジッポーを持っている。
普段は使っていない。※写真は販売店から引用
ジッポー・スカル

そういえば大学生の頃は、大学のマーク入りジッポーを持っていて、先日30年ぶりに同窓会で大学を訪れた際に買いたかったのだが、キャンパスに出店を開いていた生協には売っていなかった。残念


さてジッポーは古くからある商品だし、一部にはマニアというかコレクターもいるが、喫煙人口の中でジッポーを使っている人なんて、何十年も前からごくごく僅かである。なのに不思議なのは、ほとんどのコンビニでジッポーのオイルや発火石を売っていること。ついでにいえば、ヤニ取り用のミニパイプなんかも未だに売っている。

コンビニは取り扱っている4000商品のうち、7割が1年以内に入れ替わる「売れ筋商品しか売らない」業態である。カップラーメンでいえば業界全体で年間1000種類ほどの新商品が開発され、それらのほとんどがコンビニの棚を目指して淘汰される。それほど競争の激しい売り場。

それなのに、なぜジッポーのオイルなんて、ノンキな商品を売っているのだろう? コンビニでジッポーのオイルを買っている人を見たことある? 私は一度もないけど。

そういう観点で、お弁当や食品飲料以外の棚を見ると、こんなものどれくらい売れるのかと思う商品もチラホラある。それでもジッポーのオイルよりは売れそうだけれど。コンビニの日用品は食品とは別の考え方で仕入れられているのだろうか?残念ながらコンビニ業界をクライアントに持った経験がないので、今のところナゾ



ついでにジッポーの話。

考えてみればジッポーを使うのも25年ぶりくらいである。昔のジッポーは火を付けるとオイルの匂いがきつかったが、今のオイルはほとんど匂いがしない。喫煙器具としては進化と言えるとしても、ちょっと寂しい気もする。

そういえば当時はその匂いを消すためにオイルと一緒にコロンを少し垂らしていたのを思い出した。(ジッポーの中は綿が入っていて、それにオイル=ベンジンみたいな、さらっとしたオイルをしみこませて使います) 

それとジッポーの純正オイルは容量が少ないから気づきにくいものの、実はベラボーに高い。現在133ccで500円〜600円くらい。500円をリッターに換算すれば3800円近い。念のために書いておくとガソリンはただいまリッター140円前後である。それでジッポーをずっと使っていた頃は、キャンプのコンロ用の燃料を使っていた。中身はほとんど同じ(と、誰かに聞いた)。値段は忘れたが純正オイルの1/3くらいだったように思う。そのうち調べてみよう。

wassho at 00:45|PermalinkComments(0)

2011年10月06日

さよならジョブズ

ジョブズ



本日のブログを、このテーマ以外で書く事はできない。

アップルの創業者で、8月に病気でCEOを退任したスティーブ・ジョブズが亡くなった。この10年ほどすい臓ガンを患っており、ニュースで頬がこけて激ヤセした彼を見るたび、そう長くないだろうとは思っていたが、ついにそれは現実となってしまった。享年56歳。

「私はこれまで常々、私がAppleのCEOとして職務と期待に応えられなくなるような日が来たときは、私からまず皆様にお伝えすると申してきました。残念ながら、その日が来ました」という書き出しで始まる退任に際してのメッセージを、今改めて読めば、本人が死を覚悟していたとわかる。



   1977年 アップル創業
   1985年 アップルから追放される
   1997年 アップルに復帰 

簡単に経歴を書くとこういう事になる。
ジョブズはアップル創業の頃から、既に伝説の有名人だったものの、私が彼を心底すごいなと思ったのは復帰してから数年間のマーケティング戦略である。


  膨れあがっていた製品ラインナップを、プロ用←→コンシューマー用と、
  デスクトップ←→ノートパソコンの基軸で、たった4タイプに絞り込んだ。

  当時、パソコンと周辺機器をつなぐケーブルはいろんな種類があった。
  それをUSBなどの新しい規格のケーブルに変更した。もちろん他メーカーも
  新しい規格は採用したが、マックの場合は古い規格のケーブルの差し込み口を
  あっさりと無くした。

  今までのOSとは互換性のない新しいOSに切り替えた。

  モトローラのCPUから、それまでけなしてきたウインドウズ系のインテルの
  CPUに突然乗り換えた。

などなどーーー。

一言で言えば「選択と集中」である。
選択と集中なんて、どんなビジネス書にも書かれている経営戦略。でも経営者がそれを実行するのがどれだけ難しいか、というよりビビってできないかは仕事柄よくわかっている。彼は天才と呼ばれているけれど、一体どんな神経をしていたのかのほうが私には興味があった。


でもまあ、パソコンでは結局ウインドウズに勝つことはなかった。
今も昔もマックのシェアは10%以下である。

   ※アップル社の造っているパソコンのブランドがマック。
    マッキントッシュが正式な名前で、これはリンゴの品種名
    から名付けられている。品種名の話はあまり知られていない。


だからかどうか、
その後は「iPod」と「iTunes」で音楽産業の在り方を変え、「iPhone」や「iPad」で人々のライフスタイルまで換えようとしている。ビル・ゲイツがパソコンどまりだったのに対して、ジョブズにはその先の未来が見えていた気がする。

そして、彼が復帰する前は何度も倒産や買収の噂があったアップルも、今や株式時価総額で世界一にまで登りつめた。あまり金儲けに執着していたとは思えない彼が、それを成し遂げたのだから世の中はおもしろい。昔はビル・ゲイツにはビジョンがなく、スティーブ・ジョブズには「ビジョンしかない」と陰口をたたかれたものの、今やそんなことをいう人もいない。


もう一つ私が彼を気に入っているのは、その美意識である。アップルは製品はもちろん、アイコンやホームページに至るまでデザインが洗練されている。ナビとか携帯電話の操作画面を見るたびに、これを作った連中はきっとウインドウズユーザーに違いない思うこともよくある。本当かどうか知らないが、ジョブズはユーザーの目に触れないパソコン内部のパーツまで「これはダサイからイヤ」とダメ出しをしていたそうである。「神は細部に宿る」ーーー彼はそれもよくわかっていたはずだ。


ジョブズの代わりが務まる人間なんていない。
アップルも徐々にフツウの会社になっていくだろう。信長→秀吉→家康と、残念ながら世の中はそういう風にできている。彼が生きていたなら、今後どんな革新的なことをやってくれたかと思うと残念である。でも運命には逆らえない。MS-DOSなら無理だったが、マックでパソコンを使い始めることができ(彼が追放されていた時期だけれどーーー)、今はiPadで毎日便利にソファでネットを利用しているのを彼に感謝して冥福を祈ろう。香典代わりに、そろそろiPhone買おうかな。合掌

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2011年07月15日

Konnicsi va

海外とのやりとりはメールが中心になる。
そのメールはどの国であろうと基本的に英語である。

でも初めてのメールを出す時に私が心掛けているのは、
その国の挨拶をその国の言葉で書くこと。つまり

  你好 ニーハオ (中国)
  안녕하세요 アンニョンハセヨ (韓国)
  namaste ナマステ (インド)
  Bonjour ボンジュール (フランス)

などである。「挨拶 なになに語」とネットで検索すればすぐ見つかる。たった一言付け加えるだけだけれど、メールを印象づけるのにはなかなか効果がある(と思っている)。先日に届いたハンガリーからのメールには、Jó napot(ヨーナポト)とハンガリー語で「こんにちは」と書いて返信しておいた。そして戻ってきたメールには

   こんにちは Konnicsi va

の挨拶が。コミュニケーション成立である。
相手の書いた「こんにちわ」のところは平仮名。しかし文字化けでも心配したのかハンガリー語が添えられてある。「こんにちは」をハンガリー語で書くとKonnicsi vaらしい。なぜvaだけ一文字離れているんだろう? 


実際に会う時にも、もちろんその国の言葉を使う。水曜日にはイタリア人が来社した。

   シニョーレ ABC  (シニョーレはミスターという意味。ABCは名前)
   ボンジョルノ    (こんにちは)
   ピアチェーレ    (はじめまして)
   ミキーアモーwassho (私がwasshoです)

というイタリア語で、まるでオペラを歌うように大げさに抑揚をつけて挨拶した。ミーティングの席にはノートを持って行くが、実はその表紙にこの挨拶文をカタカナでポストイットに書いてに貼っておく。カタカナなんて外人は読めないので、まさかカンニングしているとは思われない(^^ゞ


ちなみにそのイタリア人は寿司が大好物で、火曜日の夜に日本に着いて寿司屋に行き(先日レディーガガの行った店だとか)、水曜日の朝は早起きして築地市場へ寿司を食べに行ったらしい。ミーティング後にランチはないがいいかと尋ねると「スシ!マグロ!」と即答。ドンダケ好きヤネン。 

というわけでイタリア人を連れて銀座の寿司屋に行ったけれど、なぜか支払いのときに彼が払ってしまった。来日している外人に、よりによって寿司をおごってもらうなんて「日本人としてドウヨ」と、二日たった今でも私は忸怩(じくじ)たる思いが残っている(/o\)

wassho at 17:11|PermalinkComments(0)

2011年07月14日

海外とのビジネス事情

あまりブログをサボっていると
捜索願を出されるかもしれないので(^^ゞ

いろいろとプロジェクトが重なって、ようやくヒトヤマ超えた感じ。なかなかハードな数週間だった。もうちょっと分散してくれないかというのが正直なところだが、たまにはこういう仕事をこなしておかないと頭がなまってしまいそうなので、まあアリガタイと思うことにしている。


何度か書いたように、海外との仕事が増えてきている。昔から私を知っている人には、とても驚かれてしまうが、なぜかそうなってしまった。英語に似たような言葉?しかできないのに、それで何となく仕事が進んでしまうのだから不思議である。


以前に契約についてのエントリーを書いた。それ以外に海外との仕事で世間一般に思われていることと多少違うことをいくつか紹介しておく。

1)外人の夏休みは長い

会社(業界)にもよるとは思うが、私が仕事をしている相手は大体2週間くらいである。日本の夏休みよりは長いが、びっくりするほど長いわけではない。

それと今はメールや携帯があるので、夏休み中でも連絡が取れるし、向こうからも連絡が来る。実は数日前に分厚い報告書をメールでオーストラリア人に送ったところ「休暇でバリ島に来ている。ビーチは静かで、報告書を読むには最適の環境だ」と返事が来たのでびっくり。外国のビジネスマンはオンとオフを完全に切り離すなんていうのも、もはや迷信である。何と本日には質問のメールが届いた(>_<)


2)外人のエライさんには秘書がついている。

秘書という肩書きかどうかは別として、そういう担当の人がいることはある。ただし電話をしたら秘書が取り次ぐなんてのは、たぶん20年前に終わった話。大きな会社ほど直通電話である比率は日本よりはるかに高いし、名刺やメールの署名にはたいてい携帯の番号が書かれている。


世間の常識と違うという趣旨からは離れるけれど

3)フェイスブックは本当に普及している。

フェイスブックってなんぞやーーという人は、まあ自分で調べてください。

オフィスには英語版のホームページもあり、代表メールアドレスも載せているので、時々海外から仕事の問い合わせが来る。インターネットが世界とつながっていると実感するのはそういう時で、今週はインドとハンガリーからメールが届いた。

それで差出人の名前をグーグルで検索すると、その人が開いているフェイスブックのページにヒットすることが多い。もちろん名前だけでは判断がつかないが、勤務先なども記されている場合もあるので、フェイスブックの写真を「へ〜、こんな人なんだ」と眺めている。

日本のネットは匿名の世界だが、海外では違うようである。
まっ、私はブログをwasshoで続けるつもりだが(^^ゞ

wassho at 22:59|PermalinkComments(0)

2011年03月11日

ブラック化する検察

報道によると、全検事を対象としたアンケートで

  (1)任意性などに問題が生じかねない取り調べと感じる事例を、
     見たり聞いたりすることがあるーーー28%

  (2)実際の供述とは異なる特定の方向での供述調書の作成を指示された
     ことがあるーーー26%

  (3)起訴や公判を担当した事件が無罪になった場合、キャリアに
     マイナスになると考えるーーー31%

  (4)不正行為を内部通報したり、パワハラやセクハラを直訴したり
     すると、人事上の不利益を被る可能性があると感じる
                         ーーー20%以上

  (5)実際にパワハラなどを目撃したり体験したーーー44%


だそうである。


検察が絵に描いたような正義の味方だとは思っていない私だが、この数字はかなり衝撃的である。2番目の26%の数字を信じれば、検察の仕事の1/4はでっち上げだということになる。ただし、このアンケートのイヤらしいところは、どの程度でっち上げたかがわからないし、指示されたことがあるというだけで、指示に従ったとはなっていないところである。おそらく「指示したことがある」という質問はないに違いない(^^ゞ 腐っても検察、逃げ道に抜かりはない。

3番目と4番目は、そんなに驚く数字ではない。無罪=仕事の失敗に置き換えればサラリーマンにアンケートをしてもこんなものだろう。ただしパワハラなどを目撃したり体験した44%は驚くべき数字。検察はもはやブラック企業と化しているらしい。


鯛は頭から腐るというけれど、この国はいつの間にこんなにダメダメになったんだろう。まともに戻るときは来るのか? あるいは茹でガエルとして滅びるのかな?

話は脱線するが、日本が大きく変貌したのは明治維新と敗戦後である。明治維新はペリーの黒船来航がきっかけだし、敗戦後の日本はマッカーサーが厚木に降り立ったときから始まった。そんなことから日本は外からの刺激がないと変化しないともいわれる。

まあそうかもしれない。基本的に日本人はのんびりとした民族である。何か外からの刺激がないと変われないとするならば、いっそ中国にお願いして、尖閣諸島だけではなく日本を丸ごと侵略・占領いただいて、その後に独立戦争でも起こしてやり直すくらいしかないのかなと思うくらい情けないアンケート結果だと私には思える。



もっとも調査結果というものは、その一部を取り出してみただけでは真実とかけ離れている場合もある。逆に言えば調査結果で嘘をついたり、ごまかしたりすることはいくらでもできる。単純な手口は自分の都合のいいところだけを取り上げ、都合の悪いところはなかったことにすること。マスコミもこの手はよく使う。というわけで調査の全体を知るまで、中国に侵略・占領をお願いするのはやめておこう(^^ゞ


ついでに調査結果をねつ造する高等テクニックをひとつ。

新発売予定のとある商品があった。
年配男性向けの商品である。
広告プランがあがってきた。
なぜか、そこにはややミニスカートのセクシーな女性が。
それを知って社長は激怒した。
「若者向け商品ならいざ知らず、年配男性がこんなものを見たら、
なんと卑猥(ひわい)な広告だと思うに決まっている、刺激が強すぎる」と。
しかし、宣伝担当者はこの広告が気に入っていて是非採用したい。
これこそが、自社の企業イメージを変える広告だと信じている。


社長と、宣伝担当者のどっちが正しいかは、この際関係ない。

与えられたミッションは年配男性を対象に、その広告を見せて卑猥と拒絶されるかどうかを調査すること。そして世の中には何事も表と裏がある。宣伝担当者の熱意が通じたのか、調査担当者もその広告に肩入れしている。つまり調査の結論は「卑猥と拒絶されなかった」でなければならない。雇い主の意向に答えるのがプロの義務である。支払いは社長ではなく、調査担当者の決裁であった(^^ゞ


高等テクニックと書いたけれど、
実務的には、この程度は別に難しくも何ともない。
小細工は入らない。きわめて正直に調査をすればよい。


年配男性を集めてこういう。

「これは新しい広告のプランです。ごらんのようにややミニスカートの女性がモデルになっています。ところで社内でこの広告を検討したところ、若者向けの広告ならいいかもしれないが、皆さんのような【年配の方々】には、このミニスカートを卑猥に思われるのではないか、皆さんのような【年配の方々】には刺激が強すぎるのではないかという意見もあったのですが、【年配の方々】である皆さんはどう思われますか?」



どんな調査結果になったかは想像にお任せする。もちろん、これは私の体験談ではなく、業界で語られる噂であることを付け加えておく。






※リンクした新聞記事はいつかなくなるので、
続きを読むのところに引用しておきます続きを読む

wassho at 01:52|PermalinkComments(0)

2011年02月02日

決断のタイミング

何日か前の話になるが、
サッカーアジアカップで日本が優勝。
誠にメデタシ\(^o^)/


ワールドカップと較べて過去のアジアカップは「観たことあったかな」程度のサッカーファンなので、日本が今回も含めれば4回も優勝していたとは知らなかったというか意識になかった。アジアと世界のレベルの差はまだまだ開いているということか。それでも昨年のワールドカップの時と較べると日本代表は強くなったと思う。試合の流れに応じて臨機応変に対応できる、戦術にバラエティが増えたーーード素人ながら、そんな印象を持っている。


優勝を報じる記事をネットで拾い読みしていたら、ちょっとおもしろいコメントがあった。

    ザッケローニ監督は選手交代のタイミングが
    観客の気持ちとずれないので
    観ていてイライラしない

どこで読んだか、誰のコメントだったかは忘れた、ゴメン。


今回、ザッケローニの選手交代の采配は、見事に的中したように思う。ただ私レベルだと、采配がよかったのか、交代した選手ががんばったからなのかはよくわからない。それと選手交代のことまで考えるほどの知識はないので、観客である私は、今までの監督の時でもイライラしたことはなかったけれど。 


でもまあ、このコメンテーターの気持ちはわかる。
つまり、今までの選手交代のタイミングが遅いことが多かったという意味だろう。


サッカーに限らず経営や政治の諸問題でも「なんで、そんなにグズかなあ?」と思うことは多い。というか思うことのほうが多い。


監督や経営者や政治家は、凡人である観客やサラリーマンや市民とは違う「正しい」視点で状況を判断しているからか? そうだったらいいんだけれど、そんな例は100のうち5つ位だろう(サッカーのことはよくわからないが)。だから世の中はずっと不景気で、日本は先行き右肩下がりである。


グズグズする原因はいくつもあるだろうが、

   何かを変えてうまくいくとは限らない。だから迷う。
   変えることに反対する奴が必ず出てくる。だから気が重い。

というのが代表的。つまり責任やアトサキのことを考えなくてもいい外野と、決断を下す当事者は立場が違うといえば違う。


さて
決断が早ければうまくいくのか?
そうだと言い切るつもりはない。

でも適切なタイミングで決断すれば、もし結果が上手く運ばなくても
まわりが納得する度合いは高い。
ズルズルと先送りし、もはや決断ではなく誰でもできる判断だった場合、
その結果がうまくいっても高い評価は得られない。
(それに先送りしている間に失っているものもたぶん一杯ある)



ーーーというようなことをツラツラ思いながらのアジアカップ観戦でした。

wassho at 15:39|PermalinkComments(0)

2010年08月04日

ガラパゴスな理由

日本製品で世界の標準から外れて、なんかヘンな方向に行っちゃったものをガラパゴス化したなどと言う。割と新しい言葉のようにも思えるが、2008年にそのことをこのブログにも書いていた。


最近は「ガラケー」という言葉もある。iPhoneのようなパソコンに近い機能を持った携帯のことをスマートフォンと呼んで、そうではない普通のケイタイがガラケーである。日本独自の機能やサービスはてんこ盛りでも、世界的に流行しているネットやパソコンと連動するスマートフォンの機能はない、つまり世界に通用しないガラパゴスなケイタイだがらガラケーである。


以前に書いたときにはガラパゴスになる理由として

  日本のユーザーの要求が特殊すぎる
  内向きな視点で世界を見ていない


というようなことを書いた。世間一般的には日本のユーザーの要求に合わせている内に、世界標準的なニーズとずれてしまったという論調が多い。それは間違っていないけれど「イノベーションができなくて、改善ばっかりやっているからオタクになりガラパゴスになる」というおもしろい記事を見つけた。まあ強引に要約すれば「アホやからガラパゴスになりドツボにはまる」というロジック。もっとも筆者はオタクやガラパゴスという言葉は使っていなかったが。


詳しくは、こちらで読んでくださいーーーと手を抜く(^^ゞ
(途中にあるグラフでの解説はちょっとレベルが低いので、意味がわからなくても心配することはない、文章だけを追った方が理解しやすい)



この記事を読んでのもう一つの感想は、何となく人生にも当てはまる気がするということ。もうすぐ夏休みだから、ゆっくり反省しようっと(^^ゞ続きを読む

wassho at 13:41|PermalinkComments(0)

2010年03月29日

人口ボーナス

e36c0a49.jpgあまり聞き慣れない言葉である。
名付け親は国連で、下に書いたような定義らしい。





その前に

 ●生産年齢人口
  働いて稼ぐ人口。15歳から64歳までの人口。

 ●従属人口
  上の逆で、働いている人に養われる人口。
  0歳から14歳までと、65歳以上の人口の合計。

それで人口ボーナスの定義とは、
「生産年齢人口÷従属人口」の値が2以上、つまり働いている人が養われている人の2倍以上いる人口構成のこと。この状態の時は労働力が豊富で、経済成長が加速するとされている。年齢の区切り方に多少の疑問はあるが、まあそれは何となく納得できる。


この人口ボーナスとなる人口構成は、国の発展につれて社会が多産多死→多産少死→少産少死へと移っていく過程であらわれるとされる。具体的な計算方法はわからないが、多産多死とは長生きしない社会だから子供の占める比率が高く、その後長生きできる社会になり出生率もさがると、子供の比率が下がり働き手の多い社会になるというようなイメージか。


人口ボーナスは国の経済成長率を予測したり説明する指標らしい。日本が先ほどの値で2以上、つまりボーナスを受け取っていたのは1950年から1987年の37年間で、つまり高度成長の時期とも重なる。


人口ボーナスのおもしろいところは、核を打ち合う世界大戦争でも起こって文明が逆戻りしない限り、多産多死→多産少死→少産少死の流れが変わることはないから、近代以降で、ある国が人口ボーナスを受け取ることができる期間はある一時期だけという点である。日本は少子高齢化社会になったから、もうボーナスは出ないよ(残念)


冒頭のいつもは写真のところをクリックすると各国の一覧表になっている。ただしネットで拾ってきた数字だから、信憑性は多少劣る。公的あるいは信頼できる機関から発表された数字というのは、数分検索した程度では見つからなかった。


数字を見ると中国の天下はあと30年続くことがわかる。中国はやがて世界一の経済大国になるだろうが、インドは2030年代にその中国を抜くかもしれないという予測もできる(人口も2030年代にインドは中国より多くなるといわれている)。アメリカはヤバそうである。韓国は2010年代では2.67と最も大きな値となっている。日本が最近エレクトロニクスでもクルマでも韓国に負けつつあるのは、こんなところに原因があるのかもしれない。


人口ボーナスが、どれだけ経済を説明できるのかは専門外なので知らない。働く人口が多くても、付加価値の高い=儲かる仕事をしなければ経済力には結びつかないという疑問がとりあえず浮かぶ。ただ逆もまた真なりで、日本はよほど高付加価値な路線に舵を切らないとアジアの中流国になってしまう。日本の物づくりの技術力は素晴らしいんだと言う、というか言い聞かせている評論家や政治家は多いけれど、50年先に通用する技術なんてない。


子供手当法案が成立しても、貧困で子供を育てられない状態の家庭が多数いるわけでもないのだから、少額を均等にばらまいたところで「国力」の増加には結びつかない。出生を増やしたり、子供がいても働きやすい社会にするには、もっとまとまって使うべき方策が他にあるように思える。


ところで人口ボーナスは、年齢で生産人口と従属人口を分けて、それを割っただけの単純な指数である。しかし数字になると説得力がある、重みがあるように思えるのが、数字のおもしろいところであり怖いところでもある。

だいたい「2」という値にどれだけの根拠があるのか理解しないで、この数字は読み取れないはずなのに、数字にしたもの勝ちで、後は数字が一人歩きする。数字が一人歩きすると、人々は意味を理解することを省略して数字を追う。実はそんなテクニックは、コンサルティングの現場で私もよく使う(^^ゞ 

wassho at 10:39|PermalinkComments(0)

2010年01月08日

NAVI休刊

8dd58a52.jpgNAVIというのはクルマ雑誌。
世間的にどれだけの知名度があったかは不明だが、
クルマ好きやクルマに関する仕事をしている人からは
一時期、一目置かれていた雑誌である。
その休刊が決まったらしい。


創刊時はクルマだけじゃなく交通全体を視点とするようなコンセプトがあったように思う。そんな大それた編集が長続きするはずもなく(^^ゞ、すぐにクルマ中心の編集になってくるが、新車紹介や試乗記だけの一般クルマ雑誌と異なり、クルマと生活、クルマと文化に触れるような記事も多く、ある種の知的な雰囲気を持つクルマ雑誌だった。

以前に勤務していたコンサルティング会社で作った自動車マーケットの分析がNAVIに取り上げられたこともあり、そのページのコピーを持って、いろんな会社に営業プレゼンテーションに行ったことも懐かしい。NAVIに執筆していた自動車評論家の何名かとは一緒に仕事をしたこともある。


しかし輝いていたのは90年代初めくらいまで。その後は、ファッション雑誌的になったり、高級外車オタク向けの抽象論が多くなったりし始める。最後に立ち読みしてから5年はたつ。そのときも3秒くらいで棚に戻したと思う。


とはいえ(狭い範囲の話だが)クルマの趣味性、文化性で一世を風靡したNAVIが休刊というのは、それなりに感慨がある。何度かブログでも書いたけれど、今はクルマが売れていない、特に若者は関心を持っていない時代である。その象徴のようにも思える。


かつてクルマは、ステイタスの象徴だったり、個性の表現だったり、趣味やこだわりの対象だったりした。今でもその側面はあるが実用的な道具として選ばれる時代である。(ついでに書くと、昔だってその側面は自動車業界の人が思っているほど強くはなかった。だから昔は80点主義とクルマ好きから陰口をたたかれたトヨタがナンバーワンになった)

日本のクルマは4年でモデルチェンジをする。以前はモデル末期になると売り上げが落ちたが、最近はそうでないクルマも増えている。冷蔵庫を買うときに、モデルチェンジの時期を気にする人は少ないと思うけれど、クルマもそのようになってきたということである。帰省したときなどレンタカーを借りるが、(今までの稼ぎの1/5くらいは自動車業界から得ている)この私ですら借りているクルマの排気量を知らない。もちろん私は自宅の冷蔵庫のコンプレッサーの容量も知らない。知っているのは2ドアでモカブラウン色の冷蔵庫であること。ほとんどの人にとってクルマも、この程度の認識の時代になった。


NAVIが輝いていた頃は、クルマにとって「古き良き時代」。そして時代は流れNAVIは休刊。それはマーケットの変化の必然の帰結だろう。私も自動車業界からのカネの巻き上げ方を考え直さねばと思うこの頃である(^^ゞ

wassho at 18:55|PermalinkComments(0)

2009年12月15日

英語でランチの注意点

お久しぶりです。
11月の終わり頃から、やたらと忙しくブログを冬眠しておりましたm(_ _)m
たぶん、本日も深夜まで「残活」(>_<)
もっとも、この業界では勤務時間の決まりなんて無いに等しい。




先日、海外のクライアントが来日した。
某ヨーロッパ企業で、日本を含むアジアのマーケティングを取り仕切る部署のナンバー2。リーマンショック以降、あまり仕事はしていないが、かつてはそれなりに稼がせてくれた相手である。対応に粗相(そそう)があってはならない。


とはいうものの、普段の彼と私は、いつも罵(ののし)りあっている仲である。正確に言うならば、7対3位の割合で私が彼を罵っている(^^ゞ 主にメールでだが、こんな文章を日本のクライアントに送りつけたら即刻「取引打ち切り・出入り禁止」になるだろうと思われるものも少なくない。


仲が悪いのかって? いや、全然。
ビジネスだから、その時々の状況の変化に合わせて交渉しなければならない。私は日本人にしては、はっきりものをいう方だと思うけれど、海外との仕事をしてわかったのは、それでもやっぱり日本人だから、表現が穏やかだし自己主張も弱いということ。

それは無理だとわかっちゃいるのに、ナアナアで済ませようとしたり、相手との無言の意思疎通を無意識のうちに期待してたりする。というわけで、日本的な感覚なら罵っているくらいの表現でないと、相手にこちらの意図が伝わらないことを、いつのまにか学んだという次第。


不思議なもので、罵りあいながら、言い換えれば本音ではっきりとものを言い合う関係を築けると、強固な信頼感が生まれる。ここしばらく仕事をしていないので、他のコンサルタントに乗り換えたのではないかと周りの人に言われたこともあったが、「ワシの目の黒いうちに、黙ってヨソにはいかんわい!」とまるで頑固親父のような確信があった。日本のクライアントで、ここまでの関係になるには10年単位以上のつきあいが必要になる。



ビジネス英語なら読むことはできる。
書くのは苦手だけれど、ネットの例文データベースを利用すれば何とかなる。
でも、やっぱり会話は苦痛である。


相手が言っていることの1/4位しか聞き取れない。その聞き取れたわずかの単語をヒントに「想像力」で1/2位にまでもっていく。話が半分わかれば、後は体当たりで何とかなるというのが私の英語処世術(お薦めはしない)。いずれにせよ極度の集中力と頭の回転が必要とされる行為である。


ランチは8000円の京都懐石を食べに行った。
ときどきランチ接待に利用する店で、普段なら5000円の松花堂弁当。
でも、ここ数年いくどとなく罵りあってきた戦友?である。
8000円のコースを奮発した。

ーーーが、

英語頭に吸い取られたのか「舌に血が回っていなかった」ようで、ほとんど味を感じられなかった。もともと淡泊な京風の味付けである。相手は「ファンタスティック!」と喜んでいたけれど、次から英語でランチの時は、味の濃い料理にしようっと(^^ゞ

wassho at 17:31|PermalinkComments(0)

2009年11月10日

スルーされるニッポン

東京モーターショーの来場者数は、結局61万4400人と目標を大きく下回り、32年ぶりに100万人を割り込んだ。メーカーは「エコカーやハイブリッドカーなどで特徴を打ち出せた」としているが、エコカーを「ショー」に出かけてまで見てみたいと思う人が多いとは思えない。もし次回も海外メーカーが出展しないとなれば、来場者はさらに半減するだろう。エコカーが重要であっても「ショー」とは夢を見るところであり、主役にはなりづらい。


リーマンショック以降の世界不況、最近は100年に一度のという枕詞はさすがに使われなくなったが、実感として感じている人はそう多くはないような気がする。私の仕事でも国内クライアントに限っていえば、特に大きな変化はない。


先日、ヨーロッパで30年以上も暮らしている(日本人)ビジネスマンと話をする機会があった。あの有名な会社の、あんな有望なプロジェクトが中止になったとか、どこそこの有名会社では、あの部署ごとリストラされたとか、そんな話のオンパレード。日本やアジアの国と較べて、欧米ではリーマンショックは深刻である。


もっとも、その人に言われなくても欧米の状況は理解できていた。えっ?さすが世界を股にかけて仕事をしているって? う〜ん、実際はそんなかっこいいものじゃない。理解できていたのは、海外クライアントからの仕事が激減したからである(涙) 東京モーターショーじゃないけれど、特に国際比較のリサーチプロジェクトで、日本だけが対象から外されることがとても多くなった。東京モーターショーの時に「デジャブの反対」と書いたが、それはもうすでに始まっている。



以上、国際ビジネス最前線からのレポートでした。
でも、細々と仕事しているだけだから、情報的には偏っているかも。

wassho at 16:59|PermalinkComments(0)

2009年10月22日

デジャヴの反対

   【デジャヴ】  フランス語 deja-vu
           日本語では既視感(きしかん)
           どこかで見たような気がすること



東京モータショーが開幕された。

報道されているように、今回のモーターショーは規模的に「淋しい」内容になっている。海外主要自動車メーカーは、揃ってすべて不参加。ざっと検索したところ「海外からはロータスなど3社のみ」とあった。ロータスみたいなマイナーなメーカーが、その代表としてあげられているのだから、後の2社はどこなんだろう? 

東京モーターショーはドイツのフランクフルト、米国のデトロイトモーターショーと並んで、世界3大モーターショーと呼ばれてきた。しかし日本車しか出展されていないのなら、とても世界的なモーターショーとはいえない。


出展企業113社、出展車両261台、展示面積2万1000平方メートルは、それぞれ前回の2007年に較べて約半分らしい。入場者数も前回の143万人から100万人に減る予定(ただし開催期間も15日間から11日間に縮小している/もっとも100万人は公称予測値で主催者側はインフルエンザの消毒液を80万人分しか用意していないとの噂もある)。 昨日はプレスデイ(一般公開に先立ち、報道陣だけに事前公開される)の模様をニュースで見たが、なんかガラ〜ンとした感じだった。まあ外車のほとんどないモーターショーなんて、一般のマスコミならネタにならないだろう。



こんなにガタガタになったのは、長年まともな展示の努力をせず、コンパニオンを揃えることしかやってこなかったからーーーではなく(^^ゞ いわゆるリーマンショックを契機とした世界的な不況の影響である。つまり海外の主要自動車メーカーは、東京モーターショーに出展する経費を切り詰めた。


ところがである。
同じリーマンショック後の今年4月に開催された上海モーターショーには、世界の主要自動車メーカーがすべて参加し、出展企業は1500社に達している。(ただし出展企業数はキーホルダーのメーカーが出展しても1社とカウントされるから単純な比較はできない)

リーマンショックは去年の9月だから、時期的に出展を取り消したくても取り消せなかった可能性もある。それでもマスコミがいう「海外の自動車メーカーは日本より中国を優先した」という論評は外れていないだろう。


考えるまでもなく、人口は中国の13億人に対して日本は1億人。中国が豊かになれば、どっちの商売に力を入れた方が儲かるかはサルでもわかる。為替相場とか物価水準とかを考慮して計算すると、現在、日本人と同程度の生活水準にある中国人は約1億人といわれる。そして15年以内に、それが2億人に達するともいわれている。日本の自動車メーカーだって、東京モーターショーに参加せず、それで浮くお金を上海モーターショーにつぎ込みたかったかも知れない。

注)ただし中国人と日本人の生活水準を比較した、この手の話はよく聞くけれど、
  はっきりした統計的な根拠は見たことがない。


かつて世界のナンバーワン自動車メーカーだったGMを、アメリカはいったん倒産させる形で再建することを決断した。日本政府は、まともな経営のできないJALをダラダラと税金をつぎ込みながら、問題解決の先送りをする模様である。一事が万事。こんな事では、対中国だけでなく、世界の中での日本の地盤沈下は続くだろう。


   海外からの参加のない東京モーターショー。
   これと似たような光景を、これからいろいろ見そうな気がする。 

   だから、デジャヴの反対。


ついでに、長年の疑問はまだ解決していません。

wassho at 15:36|PermalinkComments(0)

2009年06月22日

刑事一代

土曜日曜と放送されていた渡辺謙主演のテレビドラマ「刑事一代」を見た。テレビ朝日開局50周年記念ドラマということで気合いの入った力作。サブタイトルが「平塚八兵衛の昭和事件史」とあるように舞台は昭和。ドラマは戦後すぐから昭和50年頃までの主人公の活躍を追っていく。戦後すぐのことはもちろん知らないけれど、昭和って、こんな時代だったんだなあと思い出させてくれるドラマであった。生まれた年代、育った地域や環境によって感じ方は様々だろうが、私の感覚では昭和50年頃を境に、日本の景色や人の印象も含めた「風土」感は変化してくる。すでに平成も21年と半分が過ぎた。昭和は遠くになりにけりである。


ラストシーンで渡辺謙演ずる主人公は、かって彼が逮捕し、後に死刑となった犯人のお墓を尋ねる。その場面では移動の手段としてトヨタの初代マークIIが登場する。お墓は福島の田舎にある設定。その田舎、つまり日本の原風景のような景色と初代マークIIは実にマッチしている。あの当時はクルマのデザインも日本的であったなと改めて感じる。

たとえば(国産の)古いクルマと今のクルマを、古い街並みあるいは寺社仏閣の前に並べて、頭の中で駐めてみる。やはり古いクルマのほうが似合う。もっとイマジネーションをふくらませて、ヨーロッパの今のクルマをヨーロッパの古い街並みや、たとえばローマ遺跡の前に頭の中で駐めてみる。(私の感覚では)違和感は感じない。ここでデザインの本質とは何かについて述べる気はないが、生活がどんどん欧米スタイルになるにつれて、日本人の感性は何か失ったものもあるような気もする。


ちなみに主人公の平塚八兵衛は1975年(昭和50年)に退官し、ドラマでは、その後に犯人のお墓を尋ねたことになっている。ドラマを観ていて、チョット違和感を覚えたので調べてみると、初代マークIIが売られていたのは1972年まで。もちろん初代マークIIが走っていても間違いじゃないけれど、詰めが甘かったねテレビ朝日さん(^^ゞ


ところで、このドラマを観たのは渡辺謙が出ていたからである。
えっ、ファンなのかって?
いや、嫌いじゃないけど特には。


実は渡辺謙とケビン・コスナーは私にとって気になる役者である。両者の共通点、それは「おでこが広いのにカッコイイ」。だからドラマは渡辺謙の演技より、おでこを中心に鑑賞した(^^ゞ 観察の結果、私より彼のほうが、おでこは「イッテル」。でもカッコイイよなあ。つまりは眉毛からアゴにかけての造りのレベルが、かなり違うから当然かという結論に至る。トホホ(^_^)

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2009年06月11日

月表作りのすすめ

昨日のブログを書きながら、昔たまにやった、ちょっと変わったマーケティング分析手法を思い出した。


それは年表作り(実際には月単位で書いていくので月表)。

競合企業の新商品の発売日と内容、広告表現や展開期間、様々な販売政策、売れ行き、その他役立ちそうな材料を集めて年表形式にまとめていくのである。時には開発担当者の名前など人事情報が加えられることもあった。そのときどきのニュースや社会的な話題ももちろん記入する。


やってみればわかるが(けっこうたいへんだけれど)、年表にまとめる、つまり『時系列で情報を整理』すると、相手の手の内が読めてくるし次のマーケティング展開の予想もつく。競合企業ごとに固有の癖があることもわかる。おもしろいことに自社について同じような年表を作ると、クライアント自身が気づいていないような行動パターンが読み取れることもあった。


また私がこの世界に入った頃、海外には「IBMウォッチャー」と呼ばれる人たちがいた。当時コンピューター業界ではIBMが圧倒的なガリバーだったので、その動向を情報収集し、整理・分析したレポートを競合他社に売る専門的な仕事が成立していたのである。


日本の企業は消費者のリサーチや情報収集には熱心でも、競合企業の分析は片手間でやっているところが多い。専任のウォッチャー職を社内に配置しろとはいわないけれど、もう少し力を入れた方がいい。業界にもよるが、例えば年表に定価と実売価格(値引き額)を入れて時系列で眺めると、時には見ず知らずの競合企業の担当者に同情を覚えるくらい(^^ゞ役に立つ情報が得られることもある。


本日は “消費者しか見ないのは、ある意味、内向きな視点。孫子曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからずも、たまには思い出しましょう” の下書きでした。

wassho at 16:25|PermalinkComments(0)

2009年05月29日

百年に一度と言ったのは誰だ(ついでに続く)

続きに何を書こうとしていたのかはいまだに思い出せません。
もっと昔のことはよく覚えているんだけどなあ〜。



さて
『百年に一度の経済危機』という言葉が、枕詞として浸透した理由は

●『百年に一度』かどうかはともかく、今回の危機が深刻である。
●政治家や官僚が『百年に一度』を免罪符に突っ走った。
●経営者や営業マンだって『百年に一度』となれば、業績悪化の言い訳
 になるし慰めにもなる。
●『百年に一度』という言葉のインパクトにマスコミが飛びついた。


ーーーなどなど。要は言葉としてインパクトがあった。


これが「史上最悪の危機」とか「未曾有の危機」というネーミングだったら
事態に違いはあっただろうか?


話は脱線するが、麻生さんが未曾有を「みぞう」ではなく「みぞうゆう」と読んでひんしゅくを買った。私は昔から未曾有を「みぞーう」と読んでいる。漢字の音を考えても「みぞーう」のほうが正しいような気がするけれど。


話は戻って
「史上最悪」は読んで字のごとくだし、「未曾有」は「いまだかってあらず」だから、どちらも百年に一度どころではなく、歴史上、初めて起こったという強い意味である。


でも言葉として『百年に一度』のインパクトにはかなわない。
これは数字が持つ言葉のインパクト、あるいは説得力である。


  「この商品はたいへんよく売れております」

   と言うより

  「この商品は昨年の2倍売れております」
  「この商品は30万人に愛用されています」

などといったほうが説得力がある。もちろん数字は、最も効果のありそうなものを選ばなくてはならない。『百年に一度』も百年だから説得力があったわけで、千年ではウソっぽいし、正直に23年に一度といってもインパクトに欠ける。もし商品が昨年より売れていなければ「この商品は98%の方に満足という評価をいただいています」などという手もある。
※23年というのは単なる例で、今回の経済危機とは無関係です。


数字を入れるとなぜインパクトや説得力が増すのかはよく知らない。でも人間はそういうふうにできていると思って活用した方がいい。説得力とも関連するけれど、話のところどころに数字を入れると「この人はよく知っている」「頭がいい」と思わせる効果もある。もっとも数字の使いすぎもよくない。日本人の75%は数字や数学が苦手とされているので、使うならココゾというところで。


追伸
日本人の75%は数字や数学が苦手とされているーーーというのは
私のデッチアゲです(^^ゞ

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2009年05月12日

その1センチがーーー

たぶん「その1センチが1日を不快にする」だったと思うが、正確には覚えていない。寸法直しのお店のキャッチコピーである。
以前は地下鉄の車両広告でよく見かけた。ツボを突いた表現だと印象に残っている。ちなみに私は寸法直しを頼んだことはないが、最近は新しいパンツ(ズボン)を買ってウエストがきつくなくなったときに無上の喜びを感じている(^^ゞ


突然このコピーを思い出したのは、最近のいくつかの出来事がきっかけ。


リビングの棚に置いてあるデジタル時計。あまり深く考えないで買ったので、時刻表示が小さすぎて、私の視力ではソファから時刻を読み取れない。仕方ないので、以前から持っている、もっと小さなデジタル置き時計をソファの隣のラックの側面に置いた。ソファの隣だから文字が小さくても読めるが、ソファに座っているときは首を90度曲げなくてはならない。ソファ以外の場所からは文字が小さすぎて読めない。


引っ越してからほぼ3年たって、先日ようやく新しい大きな置き時計に買い換えた。同じくデジタルであるが、ソファからでもどこからでもよく見える。実に快適である。計ってみたら液晶の文字はまさに1センチほど大きくなっていた。


花見シーズンの後くらいから週に1回のジョギングを再開した。ジョギングの時は、くるぶし当たりまでの短いソックスを穿く。実はこのソックス、前の、ひょっとしたらその前のジョギングシューズを買ったときにオマケでもらったモノ。オマケとはいえ、一流メーカーのソックスで、だからこそ長く使えたと思うけれど、(たぶん)短距離レース用で非常に薄い。ゴールデンウイークにジョギングしたとき、ようやくその極薄ソックスを引退させ、今履いているジョギングシューズを買ったときに、これまたオマケでもらった(^^ゞソックスに替えた。このソックスは普通の厚みがある。


厚みが違うといっても、たぶん1〜2ミリの違いのはず。しかしソックスで、こんなに違うモノかというくらいジョギングシューズの履き心地がよくなった。


前に3回にわたって書いたシャワーの件もそうだし、時計がよく見えるようになって、ジョギングシューズの履き心地がよくなって、私は今ちょっぴり「幸せ」である。


しかし、考えてみれば、それぞれ実に些細な改善でしかない。


マーケティングは時に大変革を呼び起こすけれど、その99%は「1センチ」が勝負の分かれ目といってもいい。また突然に大きな幸せは転がり込んでこないが、「1センチ」の改善なら、その気になればすぐに、たいしてお金も手間もかけずに可能である。本日は “1センチのことに気づくのも才能である” の下書きでした。

wassho at 14:25|PermalinkComments(0)

2009年05月05日

高速道路で無料でできること

高速道路が休日1000円になったので、このゴールデンウイークは記録的な渋滞らしい。渋滞に巻き込まれた皆さんはご愁傷様。


もともとは民主党が、政権を取ったら高速道路は無料にするといっていた。当時、自民党は財源もないし絶対に無理、環境にも悪いという立場だったのに、支持率が悪いとなるとーーー改めて政治は何でもありの世界である。


ちなみに休日1000円は2年間の限定措置。その期間の高速料金の収入減少は5000億円と見積もられ、その財源にはいわゆる霞ヶ関埋蔵金が充てられる。埋蔵金とはもともと払いすぎていた税金なんだから、政府の努力は認めても感謝する必要はない。


ところで休日1000円というのは、正確には土日祝日に適用される料金である。だから祝日のないお盆休みや、休みではあっても祝日は元旦だけの年末年始の帰省シーズンには、ゴールデンウイークほどの利用価値はない。

あるいは土日にクルマが集中して、今回以上の渋滞を引き起こすかもしれない。また土日が休みじゃない人もいっぱいいるわけで、もう少し制度に知恵を絞るべきだった。もちろん、本来基幹となる高速道路は無料であるべきではあるが。今はじめて気がついたけれど、ユーミンが歌った♪中央フリーウェイ〜 無料じゃないからフリーウェイという歌詞は間違ってるよね(^^ゞ


さて、高速道路のところどころにあるのがサービスエリアとパーキングエリア。パーキングエリアはトイレと売店程度で、サービスエリアはガソリンスタンドとレストランがあり、より規模が大きい。高速道路というものができた当時、クルマの信頼性も今よりはるかに低かったので、サービスエリアには修理工場もあったらしい。たぶんどちらも和製英語。


☆ここからは主にマーケティングに関わる仕事に携わっている人に向けての話☆

その国の、あるいはその都市の庶民の姿を見たければ動物園に行けと昔からいわれる。私は海外で動物園に行ったことはないけれど、何となく正解のような気がする。しかし日本限定でいえば、このサービスエリア(含むパーキングエリア、以下同様。なお基本的に休日の話)は、人間観察に実に適した場所でもある。日本人の「素」の平均像を見ることができる。


人がたくさん集まる場所は、他にもいろいろあるが、たとえばデパートや下町の商店街では集まってくる人々に特定の傾向が見られる。しかし高速道路は目的地ではなく通り道だから、特定の傾向に偏ることがない。もちろん家族連れも多いので、大人と子供をまとめて観察できる。

同様に、たとえばデパートでは、そのデパートに来客する人の居住エリアが限定される。サービスエリアの場合は、エリアの限定度合いが少なくなるので、より幅広い日本人像を観察することができる。

さらに、これはお盆や年末年始の帰省シーズンに顕著であるが、高速道路で人々は家から家へドア to ドアの移動である。だから着飾っておらず普段着の日本人を観察できる。化粧もしていない女性も多い。またサービスエリアは立ち寄る場所であって外出先ではないので、そこでの顔つきや行動も家の中に近い気がする。

少し話はずれるけれど
「銀座にはキレイな女性が多いですね」「渋谷には個性的な若い人が多いですね」などという人がいる。結論から言えば、その観察は間違っている。無意識のうちに銀座=キレイな女性、渋谷=個性的な若い人というフィルターができあがっており、そういう人を見つけ出して記憶しているに過ぎない。(銀座はキレイな女性が池袋より何%多いですねといったら、その人の観察は本物である)。サービスエリアには、そういった先入観も入らないのが、観察に適している理由の一つでもある。



さて、サービスエリアで次々にクルマから降りてくる人々を眺めていると「日本人って、こんなにダサかったっけ?」という印象を受ける。商品開発をするときは、ターゲット像を正確に描くことが何より大切だけれど、なんやかんやで、どうしても格好のよい絵空事になりがち。世の中の多くの人は「こんな感じ」なんだということを肌で知っておくことはとても大切。ヒットする商品というのはサービスエリアに集まっている人々に広く受け入れられる商品である。


さきほどマーケティングに関わる仕事に携わっている人に向けての話と書いたが、大企業のトップや政治家、高級官僚など、普段は庶民の姿を眺められない人にも、サービスエリアで人間観察をしてみることをお奨めしたい。

wassho at 23:30|PermalinkComments(0)

2009年04月24日

契約書についてのアレコレ

昨日とは打って変わり、
薄いコートが欲しいくらいの肌寒い天気である。
草君も、今日に飲みに行けば、
脱ごうという気分にはならなかったかも(^^ゞ


彼の出演していた番組やCMを中止し、新たに別のタレントを起用して作り替えるーーートップアイドルで本数も多いから億単位のカネが必要になる。CMを中止している間は、その商品の売り上げも落ちる。あれやこれやを考えると、今回の事件の経済損失は約50億円という試算もある。


生身の人間をキャラクターに使う限り、その人物が不祥事やスキャンダルを起こす可能性は常にある。その場合の損害賠償の取り決めは契約に盛り込まれているのかな?




一般論だけれど、日本の契約書と、外国の契約書はちょっと内容というか考え方が違う。日本の契約書には「こういう約束をする」という内容が書いてある。外国の契約書は、それに加えて「その約束が守れなかったときは、こういう償いをする」という内容が、場合によっては約束よりたくさん書かれている。

注)ここでいう外国とは、主に欧米という意味であるが、アジアの国でも国際取引は欧米風(グローバルスタンダード?)な場合が多い。


考えてみれば、契約書を引っ張り出さなければならないのは、何かトラブルがあったときだから、約束が守れなかったときの取り決めをしておくのは合理的である。しかし日本人のメンタリティとしては契約というコトの初めに、うまくいかなかったときのことを想定するのは抵抗感がある。何かあったときも、ナアナア、穏便に解決するという国民性もある。だから償いの取り決めをしておくほうが合理的だとしても、国内の取引なら日本風の契約書でも、トータルで考えればヨシとすべきなのかも知れない。

ちなみに、どれくらいの人が実践しているかは知らないが、アメリカの金持ちは、婚約の時に、離婚した場合の財産分与の取り決めをするらしい。しかも、双方の弁護士を交えて。


さて
日本はナアナアだけれど、欧米は契約社会だから、契約書の取り決めは重いーーーと、たぶん多くの人は思っている。

私もそう思っていたのだが、多少海外との仕事をしてわかったのは、


   契約書の取り決めは絶対である。
   でもビジネスだから、途中で事情がイロイロと変わる。
   その場合、契約書の内容変更を頻繁に求められる。

ということである。


  私「契約と違うじゃないか(怒)」
  客「だから、契約を変更しようと言ってるじゃないか(怒)」


もちろん既に締結してある契約が優先するから、私が譲らず裁判にでもなれば私が勝つ。でも、毎回そんなことをしていればビジネスは成り立たない。契約書があるから安心というわけではなくビジネスは常に戦いでもある。



話は戻って草君。
稲垣君の謹慎は4ヶ月だったらしいから、彼も秋ぐらいには復帰?
トヨタは彼のCMを打ち切ったけれど、
ハウス食品さん、「ウコンの力」のキャラクターにどう?

wassho at 19:14|PermalinkComments(0)

2009年04月17日

ハイブリッドカーのエコとエコ

先月プリウスの価格についての、こんなブログを書いて、その続きを書くのをさぼっているうちに、新型プリウスの価格が引き下げられるということがあった。


新型プリウスはまだ発売されていないが、数日前、すでに予約が4万台入っていると報じられた。4万台といわれても、それがどの程度の意味を持つのかピンとこない人のほうが多いかもしれない。月間販売台数の目安は


   1万台   よく売れている
   5千台   売れている
   3千台   少し売れている

もちろんコンパクトカーとスポーツカーを一緒に較べることは無理があるし、自動車メーカーによる規模の違いも無視できないが、普通のクルマ(定義が難しけれど)なら、これくらいが基準。詳しく知りたければ、こっちで。


だから発売前に4万台の予約が入っているというのは、すごいことなのである。たぶんギネス級の記録のはず。プリウスの値下げに出鼻をくじかれたとはいえホンダのインサイトもよく売れている。発売直後に1万8千台を受注したと聞く。


というわけでハイブリッドカーに対する消費者の関心は高い。それはもちろんエコ=燃費がいい(エコノミー)であり、それはエコ=地球に優しい(エコロジー)と思われているからである。


     本当にそうか?


まずエコノミー。
前のブログに書いたように、ホンダは技術で、トヨタは販売戦略でと違いはあるが、とにかくハイブリッドと同クラスの普通のガソリン車との価格差は現在50万円となった。メーカーが国交省に届け出ている燃費は

新型プリウス:38キロ/リッター
カローラ:  18キロ/リッター


つまりプリウスはほぼ同じ大きさのカローラより
50万円高いが、燃費は2倍いい。


年間1万キロ走るとする。(自家用車の平均がこれくらいといわれている)

新型プリウス:1万キロ÷38キロ=263リッターのガソリンが必要
カローラ  :1万キロ÷18キロ=556リッターのガソリンが必要


だからカローラは556ー263=333リッター余分にガソリンが必要。

ガソリン価格をリッター120円とすると

120円×333リッター =3万9960円

そして50万円の元を取るには 
50万円÷3万9960円=12年と半年!!

ちなみに去年の今頃は、ガソリン価格が200円になるのではないかという勢いだった。その200円で計算しても、50万円の元を取るには7年半かかる。プリウスより小さいトヨタのヴィッツなら価格は130万円で燃費は20キロ/リッターである。ヴィッツではなくプリウスを買って元を取るのに何年かかるかは自分で計算してみて。もし暇なら、実用燃費で比較するとか、エコカー減税の費用も計算するとかも。それでも、どう計算したって元は取れないから。


結論:ハイブリッドカーは、別にエコノミーなクルマではないのである。
5年で考えるならば、3万9960円×5年=約20万円。これくらいの価格差になればガソリン代で元が取れる。下取りはハイブリッドカーのほうが高いからその差額がエコになる。エコ重視の人はご参考に。



次にエコロジー。
燃費がいいということは、ガソリンの消費が少ないわけだから、ガソリンを燃やして出る排気ガスも少ない。排気ガスには、今や地球温暖化の代名詞となったCO2(二酸化炭素)も含まれている。


「CO2削減」という言葉を聞かない日はない。たぶんほとんどの人はCO2を削減できれば地球温暖化を防げると考えているはず。世の中、そんな論調である。


ところで、地球にはどれだけのCO2があるのか。
温暖化キャンペーンではちっとも話題にならないが、空気のほとんどは約8割の窒素と、約2割の酸素で組成されていて、CO2は濃度にして0.037%しかない。1万分の3.7である。人間の生産活動によってCO2が増加したといわれるが、産業革命以前、つまり工業化社会でなかった時代のCO2濃度は0.028%だとされている。産業革命は1760年代から。工業化が増やしたCO2濃度は250年間で0.009%でしかない。


地球温暖化の原因がCO2なのか、そもそも本当に地球は温暖化の方向に進んでいるのかについては諸説ある。なかには「トンデモ・マユツバ」な理論もあるけれど、信頼できそうな人の「CO2が原因で地球が温暖化している」あるいは「CO2は原因ではない」または「地球は温暖化していない」という理論を読んでも、こっちの知識が追いつかないから、どっちが本当なのかはさっぱりわからない。いえることは、マスコミが騒ぎ立てていることは鵜呑みにするなということくらいである。


1760年代といえば江戸時代の中頃。その頃から較べて世界がどれだけ近代化、工業化したか。それだけの生産活動をしてCO2濃度の上昇は0.009%である。つまりCO2は、もともととても少ないし、人間が発生させるCO2は誤差レベルの分量でしかない。(ほとんどのCO2は自然界で発生する)


だからハイブリッドカーなら地球に優しいと思うのは、単なる自己満足、またはメーカーのマーケティングにノセられているだけと考えたほうがいいかもしれない。ノセるのが仕事の私がいうのも気が引けるけれど。


wassho at 11:03|PermalinkComments(0)

2009年04月15日

カルマン (ギア)

ff2d4977.jpgページをパラパラめくるーーーという表現がある。そのように特に目的もなく読んでいるような読んでいないような状況を、ネットに当てはめると何といえばいいのだろう。ポチポチクリックするだろうか、チョコチョコジャンプするだろうか? どうもしっくりこない。作家や国語関係の皆様、何かよい表現を発明してください。


まあとにかく、そんなことをしていた時に残念なニュースを見つけてしまった。カルマンといってもほとんどの人は「?」だろうけれど、カルマンギアといえば数%の人は「あのクルマの?」と思い出すかもしれない。


多少説明すると、カルマンギアとは昔「カブトムシ」と呼ばれたフォルクスワーゲン・ビートルというクルマをベースにした派生車。イタリアのギアという会社が外観をデザインして、そのボディをドイツのカルマン社が製造して、ビートルの車体にドッキングさせたクルマ。つまりフォルクスワーゲンは自社の特別仕様車に、下請け会社の名前をつけていたことになる。それも2社とは太っ腹!


「カルマン」が破産のニュース記事にあるように、ベルトーネやピニンファリーナなどの有名どころがどんどん倒産している。それらはカロッツェリアとかコーチビルダーといわれる業態で、主に特別仕様車の架装(ボディの組み立て)を請け負う会社。元をたどれば馬車を作っていた会社で、自動車が発明され馬車が売れなくなったときに、そのボディ製造能力を転用して生き残った会社である。カルマンは架装だけだったと記憶するが、ベルトーネやピニンファリーナはデザインでも有名 (というか、デザイン会社が架装会社を吸収合併して大きくなった会社)。


さて
今の経済危機がもちろん影響しているだろうが、カロッツェリアが傾いた一番の原因は、彼らが自動車メーカーから架装を請け負うのは、クーペとかオープンカーとかスポーティーなクルマが多かったからである。つまり昔はリッチになったら高級スポーティーカーを買ったけれど、今は高級SUVを買う。(SUVとは、こんなクルマね) 当然自動車メーカーはスポーティーなクルマの開発や生産を縮小する。だからカロッツェリアが軒並み倒産するというのは、時代の流れやクルマへの価値観の変遷を象徴するニュースでもある。


ところで
この前、久しぶりに自動車雑誌を立ち読みしたら「若者が買える価格のスポーティーカー」を某社と某社が開発しているそうだ。


   正気ですか?


高級オーディオじゃなくて、iPodみたいなクルマを開発してくれたら、
私も何色かまとめて買うよ(^^ゞ

wassho at 12:56|PermalinkComments(0)

2009年03月13日

(続き)工業製品とファッションと

タイトルは変えたけれど、2つ前のブログの続き。
トヨタは販売の都合を考えて、プリウスとハリアーは新旧モデルを併売していくという話。


あれっ?
新車が発売されて、その後、そのクルマの欠点を改良したり、新しく開発された技術を取り入れたりしてモデルチェンジをするんじゃなかったっけ? だから旧モデルは新モデルより劣っているハズじゃなかったっけ?


価値の劣ったものを安くして売るなら理屈に合っている。しかしプリウスは装備の簡略化による値下げだし、ハリアーにいたっては定価の改定はない。新旧モデルの併売というのは、この不景気にそんなことかまっちゃいられないのだとしても、「モデルチェンジして、よりいいクルマになりました。だから、買い換えてね」という長年のお約束というか建前をひっくり返す、マーケティング的には一大事な出来事なのである。つまり「技術者を遊ばせておくわけにもいかないからモデルチェンジはしましたが、旧モデルでも充分ですよ」と客にいっているに等しい。極論すれば買い換えなくてもいいですよ、という理屈になる。



「走り曲がり止まる」というのがクルマの基本性能。ぶっちゃけていえば、普通に使っている限りクルマの基本性能は20年前から、それほど進化していない。ちなみに20年前の1989年は、初代セルシオやホンダNS−Xが発売され、日本の自動車産業が最盛期を迎えたとか、世界に並んだとかいわれた年である。

もちろん20年間で進化した部分もある。燃費や環境対応は格段に進化したし、90年代半ばからはエアバッグも普及したから安全性も向上した。もっとも100キロで事故を起こせば今も昔もタダじゃすまない。全般的にサイズアップしたり、室内スペースの稼ぎ方(設計)がうまくなったので、広く快適にもなっている。ミニバンという広さ優先のクルマも登場した。クルマ屋の仕事じゃないがナビもついた。

しかし、基本性能は変わっていないから、今、20年前のクルマに乗ったとしても、それほど不都合はないはず。(20年落ちのポンコツ中古車じゃなくて、あくまで新車での話ね)


話は変わるけれど
ファッションの世界では毎シーズンごとに新作が発売される。洋服の場合、新作は「進化」ではなく「変化」。新作だからといって別に性能が向上するわけじゃない。


さて
顧客のニーズをくみ取り、製品やサービスに反映させるのがマーケティングの文法。それには「進化」するという概念が前提としてある。しかし、最近は「変化」ということにマーケティングはもっと真正面から取り組むべきだという気がしている。


世の中の多くの製品やサービスは、すでに充分に基本性能が高く、それを進化させたからといって売り上げ向上に寄与する割合は、それほど高くはならない。まあ、そんなことは私がこの世界に足を踏み入れた昔から議論されてはいたけれど、結局、細かなニーズまで掘り起こそうとか、心理の奥にあるニーズを呼び覚まそうとか、マーケティングの文法から脱却できない結論が多い。進化の努力は必要だとしても、変化は必須とか、常にファッション性を追求しなければならないとか、マーケティングの文法も少し書き換える必要があるのかも知れない。


ここでいう変化や、ファッション性というのはーーーー
ーーーー長くなるので、いずれそのうち


ところでブログの続きをさぼっていた昨日、
プリウスは旧型を安く併売するのではなく、新型の価格をドカンと下げて、インサイトと並ぶ205万円にするという記事があった。当初の予定価格からは50万円以上の値引き(という表現もヘンだが)になる計算。さらに加えて旧型は、200円万以下で法人向けに併売するらしい。


モデルチェンジの建前をひっくり返すことはせず、法人向けという新たな建前まで作ってーーー。トヨタ恐るべしと思うべきか、よっぽどせっぱ詰まっていると思うべきか。

wassho at 12:26|PermalinkComments(0)

2009年03月09日

モデルチェンジの自己矛盾

今が本当に100年に1度の経済危機なのかどうかはわからないが、
もし本当だとしたら、それはそれで貴重な経験?かも知れないけれど、
不景気なニュースにも慣れてきたというか飽きてきたというか。


しかしまあ、世の中不景気なことは事実である。
クルマは実に35年前の販売水準まで落ち込んだというニュースもあった。
35年前? 私はまだ免許も持っていない(^^ゞ


そんなクルマ氷河期の中でスマッシュヒットなのが、ホンダのインサイト。
トヨタのプリウス対抗のハイブリッドカーである。
その最大のセールスポイントは「ハイブリッドなのに低価格」。
中心グレードの価格は205万円。同じくプリウスの中心グレードは250〜270万円である。ボディはプリウスのほうが少し大きいが、この価格差は大きい。エコ志向でプリウスが欲しいと思っていても、プリウスは高すぎる、ハイブリッドだから割高と思っていた人は多い。

  プリウス:250〜270万円
  同じくらいの大きさのカローラ:150万円
  ハイブリッド代(コストとブランド):100万円以上


  インサイト:205万円
  ベースとなったフィット:150万円
  ハイブリッド代:50万円未満


ちょっと強引な計算になるが、プリウスに較べてインサイトはハイブリッドにするためのコストが半分以下で収まっている。インサイトのハイブリッドシステムは、やや簡略な仕組みなので、燃費性能はサイズの大きなプリウスのほうが優れている。それでも、この価格差は大きい。ホンダの開発陣も鼻が高いはず。


実はプリウスはもうすぐモデルチェンジを迎える。ボディもエンジンも少し大きくなる。つまりさらに価格が高くなる。インサイトの売れ行き好調に危機感をいだいたトヨタは

  ●新型プリウス発売後も、旧型(現行)プリウスを併売する。
  ●旧型プリウスは装備を簡略化して200万円程度と
   インサイトと勝負できる価格にする


ーーーーらしい。


トヨタにはハリアーというクルマがある。このクルマはアメリカではレクサスというトヨタとは別系列のブランド(レクサスとは何かを簡単に説明するとかえってややこしいので、?な人は自分で調べてください)で売られていた。それで、このハリアーの新モデルが開発されたんだけれど、それは日本でもレクサスRXと名前を変えてレクサスのディーラーで売られている。旧型となったハリアーは(今でもよく売れているので)、そのままトヨタのディーラーで売られている。つまり新型と旧型が併売されている。


   レクサスRX    ハリアー

ほら、同じクルマの新旧でしょ。


ーーー続く(しばらく先になるかも知れません)

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2009年02月19日

中川大臣 ♪飲んで〜飲んで〜飲まれて

辞職したから、元大臣だけれど。
醜態をさらした、あの記者会見のおかげで、めでたく世界で一番有名な日本の政治家になった。風邪薬とお酒を一緒に飲んだから、ああいう状態になったというのが公式見解なのかな? それはどうでもいいが、一見してわかる彼のたるんだ顔の皮膚、ドヨ〜ンとした目の輝き。普段からかなり深酒していますな。私も深酒が続くと、あんな顔になります(^^ゞ


主要7か国財務相・中央銀行総裁会議という、本来なら政治家としての晴れ舞台での失態だから、本人もさぞ情けないはず。そういえばパパ・ブッシュ大統領が来日した時、晩餐会で隣に座っている宮沢首相の膝に「ゲロ」したという事件があった。当時はもちろん大騒ぎだったものの、その後の大統領のキャリアには何の影響もなかった。中川君も、酒は控えめにして再起に精進してちょうだい、将来の首相候補らしいから。


ところで
内閣は首相の他に、外務大臣とか財務大臣のように法律で役割が決められている14名の大臣で構成される。14名の中には内閣官房長官のように大臣という名前では呼ばれない職もある。また内閣は最大3名まで、その内閣の特命大臣を任命できる(少子化対策担当大臣とか)。


さて
選ばれてトップに立つ人間は、やはり優秀である。というか、組織には、相対的にではあるけれど、選ぶ時点で一番優れた人材を選ぶメカニズムが働く。しかし、どんな優秀な組織でも10人や15人ほどのメンバーを集めれば(選抜すれば)、何人かのアホが混じるのは避けられない。組織の力量はトップで決まるといわれ、それに異存はないとしても、トップが存分に活躍できるかどうかは、その次のレベルの人々の能力に制限される。(何かと課題を抱える企業の)トップと話して、その力量や人間性に感銘を受けても、取締役連中を知った後に、この会社は「やっぱりね」と思うことはままある。トンビな企業でもタカが一匹ならいても、タカを10匹20匹とそろえるのは難しい。


ちょっと文章がおかしかったかな。私も酒が抜けていないかもしれない(^^ゞ
まあ、トップを支える人たちを見れば、その組織の実力がわかると言いたかった。


政治の話に戻って、おもしろいページを見つけた。
何人かの例外を除けば、いっそ巨額な汚職でもしてくれた方がアッパレと思うというくらい、実につまらぬことで政権の足を引っ張るトンビ大臣たちのオンパレード。これじゃ誰が首相になっても存分に活躍するのは難しい。


落ち目になった産業には優秀な学生は就職しない。同じように「政治業界」就職希望者の偏差値も下がる一方である。いかに優秀な人材をリクルートするかが最も重要な政治改革だと思うが、国会議員のうち約4割が世襲議員。麻生内閣にいたっては18名の大臣のうち10名が二世議員(含む中川君)。だから、そんな改革は起こりそうにもない。さあ今日も、この国を憂いながら飲もう(^^ゞ

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2009年02月09日

ドラマ 帽子屋

昨日、NHKで再放送していたドラマ
何気なく見ていたんだけれど、つい引き込まれた。


舞台は呉。緒形拳が扮する帽子職人の老人が、ふとした出来事により、昔、妹のようにかわいがっていた女性が末期ガンであることを知り、彼女を訪ねに東京へ出かけるというストーリー。


ドラマティックな出来事は何も起こらない。
とても感動したり、泣けるようなストーリーでもない。
あくまでシミジミと、淡々と話は進む。
でも不思議に、見終わって満足感があるというか、いいドラマだったなあと思える作品。


ドラマや映画の多くは、観客を引きつけようとストーリーに起伏をつける。ジャック・バウアーの24を筆頭にジェットコースターのようなストーリーも多くある。刺激を与え続けなければ、次にはより強い刺激を与えなければ観客の気持ちが離れてしまうと考えがちだ。けれども作品のレベルが高ければ、制作者の腕がよければ、シミジミ・淡々でも引き込まれることを改めて感じた。

ジェットコースターのようなストーリーは、ある意味、レベルや腕の低さを誤魔化しているのかも知れない。そういえば、ツマラナイ芸人ほどギャグがオーバーだし、マーケティングでもデキの悪い商品ほどコマーシャルは派手なものだ。

wassho at 16:35|PermalinkComments(0)