マーケティング、ビジネス
2008年10月21日
ガラパゴス
昨日のWBS(テレ東)で知ったんだけれど「ガラパゴス化」という言葉があるらしい。日本の製品を揶揄した言葉で、日本人のニーズに合わせているうちにグローバルなニーズとはズレてしまって「独自の進化を遂げた」製品をいう。
日本人は世界でもっとも性能や品質にウルサイ国民だから、日本人を満足させる製品はどうしても高価格になる。でも世界を見回せば、そこそこの性能や品質で充分という国のほうが多い。日本メーカーは性能や品質を追求していいモノを作って、それは日本国内では売れているけれど、上を上を目指しているうちに、ふと気がつくと、いわゆる並レベルの製品に世界中のマーケットを席巻されている。国際的なシェアはジリ貧(/o\) 番組では日本製と台湾製のパソコンや液晶テレビが比較されていた。携帯電話なんかも典型的な例だろう。
上を上を目指して努力に努力を重ねてきたのに、それを否定されるのはツライはず。並レベルにシフトすればいいかというと、それは相手の土俵に乗ることであり自分の優位性も捨てることなので勝算があるか見極めにくい。日本マーケット用と世界マーケット用を作り別ければいいのだけれど、効率が悪いし共倒れの危険性もある。ガラパゴス化は、とっても解決の難しい問題であるーーーとされる。
しかし、なぜガラパゴスになったのか?
それはガラパゴスだったからである。
つまり世界を見ていなかったから。
しかし、たとえば日本の自動車メーカーは世界各地でリサーチや研究をし各国にあう車を開発している。だからガラパゴスにはなっていない。産業としての歴史や厚みがパソコンや液晶テレビと違うといってしまえばそれまでだが、ガラパゴス化を日本企業の宿命みたいにとらえるのは間違いだ。
本日は “気の利いたキャッチフレーズといくつかの実例を挙げられると、それが全体の真実のような気がするけれど、ちょっと周りを見渡せば、それがマスコミやコンサルタントのワナだったりするから自分の頭で考えましょう” の下書きでした。(←このフレーズを前回使ったのはいつだったっけ)
ところでガラパゴス化するのは製品の中身だけでなく、法律や世の中の仕組みや産業構造なんかも影響する。携帯電話の例でいえば、メーカーがキャリア(ドコモとかの電話事業会社のこと)に対して力が弱く、自分で企画せずキャリアのいうことばかりを聞いているから国際競争力がなくなってしまった。
さっきクルマはガラパゴス化していないと書いたけれど、本日のその2は “明治政府がイギリスにならってクルマを左側通行/右ハンドルにしたのは最大の失策だったのか、それとも外国車流入の防波堤として自動車産業育成・国家100年の計を考えたのか、誰か知っている人いない?” の下書きでした。
wassho at 20:36|Permalink│Comments(0)│
2008年10月09日
盗難防止のアラームは音声にしたら?
前回はヘビーな内容だったので、今回は軽めに。
最近の高級車には盗難防止装置がついている。
鍵を壊してドアを開けたりするとアラームが鳴る。たぶん振動にも反応するし音にも反応する。以前にアメリカのどこかで、通りで悪ガキが爆竹を鳴らし(アメリカの爆竹は日本のよりかなりデカイ)周りのクルマのアラームが一斉に鳴ったのを目撃(耳撃?)したことがある。アメリカではずいぶん昔から盗難防止装置は普及していたみたいだ。
先日、アラームが鳴っているクルマの側を通りかかった。誤動作かどうか不明だが、運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人がいた。
さてアラームは盗難防止に役立つのか?
そのクルマが止まっていたのは人通りの多い商店街だったのに、誰一人アラームの鳴っているクルマのことなんか気にせず通り過ぎていく。前に住んでいたマンションは向かいが駐車場だったので、ときどきアラームが鳴っているのが聞こえた。でもクルマ泥棒かなと思って窓から覗いたことは一度もない。
素人の泥棒ならアラームが鳴ったらビックリして逃げるかも知れないし、アラームが装着されているクルマは、運転席あたりに小さな点滅でアラーム作動中を知らせているから敬遠するだろう。でも経験を積んだプロならアラームが鳴っても誰も気にしないことはわかっているはず。運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人が、クルマの持ち主かどうかわからないし問いただす人が現れる確率は低い。
本日は “やっぱり安全は地域のコミュニティがしっかりしていてはじめて成り立つものでーーー” なんて正論を吐くつもりはない。
アラームの「音」のかわりに
「クルマが盗まれようとしています! 助けてください!」あるいは「アラームを解除しようとしているのはクルマ泥棒です! 警察を呼んでください!」とかクルマが「喋ったら」おもしろいだろうなあとチョット思った。「麻生太郎のクルマが盗まれようとしています!」と、そのアラームの喋りをカスタマイズできれば、駐車場からアラームが聞こえたときに自分の車かどうかわかって便利かも。
子供に防犯ブザーを持たせる親が増えている。それもアラーム音よりは「子供が襲われています。誰か助けに来てください」という音声が聞こえた方が注意を引くと思う。そういう製品もあるのかな? ネットで調べたら(この前引退した)清原の声で「コラ!なにすんねん!」と鳴るものがあるらしい。でも彼の顔が見えないと効果半減かも(^^ゞ
最近の高級車には盗難防止装置がついている。
鍵を壊してドアを開けたりするとアラームが鳴る。たぶん振動にも反応するし音にも反応する。以前にアメリカのどこかで、通りで悪ガキが爆竹を鳴らし(アメリカの爆竹は日本のよりかなりデカイ)周りのクルマのアラームが一斉に鳴ったのを目撃(耳撃?)したことがある。アメリカではずいぶん昔から盗難防止装置は普及していたみたいだ。
先日、アラームが鳴っているクルマの側を通りかかった。誤動作かどうか不明だが、運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人がいた。
さてアラームは盗難防止に役立つのか?
そのクルマが止まっていたのは人通りの多い商店街だったのに、誰一人アラームの鳴っているクルマのことなんか気にせず通り過ぎていく。前に住んでいたマンションは向かいが駐車場だったので、ときどきアラームが鳴っているのが聞こえた。でもクルマ泥棒かなと思って窓から覗いたことは一度もない。
素人の泥棒ならアラームが鳴ったらビックリして逃げるかも知れないし、アラームが装着されているクルマは、運転席あたりに小さな点滅でアラーム作動中を知らせているから敬遠するだろう。でも経験を積んだプロならアラームが鳴っても誰も気にしないことはわかっているはず。運転席に首を突っ込んで、あちこちいじっている人が、クルマの持ち主かどうかわからないし問いただす人が現れる確率は低い。
本日は “やっぱり安全は地域のコミュニティがしっかりしていてはじめて成り立つものでーーー” なんて正論を吐くつもりはない。
アラームの「音」のかわりに
「クルマが盗まれようとしています! 助けてください!」あるいは「アラームを解除しようとしているのはクルマ泥棒です! 警察を呼んでください!」とかクルマが「喋ったら」おもしろいだろうなあとチョット思った。「麻生太郎のクルマが盗まれようとしています!」と、そのアラームの喋りをカスタマイズできれば、駐車場からアラームが聞こえたときに自分の車かどうかわかって便利かも。
子供に防犯ブザーを持たせる親が増えている。それもアラーム音よりは「子供が襲われています。誰か助けに来てください」という音声が聞こえた方が注意を引くと思う。そういう製品もあるのかな? ネットで調べたら(この前引退した)清原の声で「コラ!なにすんねん!」と鳴るものがあるらしい。でも彼の顔が見えないと効果半減かも(^^ゞ
wassho at 18:07|Permalink│Comments(0)│
2008年07月09日
半世紀前からの夢でしたーーーだと
吉永小百合のナレーションが印象的なシャープのコマーシャル。
皆さんもごらんになったことがあるだろう。
「電気を消費するモノを作るメーカーの責任として、いつか電気そのものを作り出す存在になりたい。半世紀前からの夢でした」。
ウソツケッ!!!!!!
もちろんシャープが太陽光発電のトップメーカーであることは認める。念のためにホームページを調べると、半世紀ほど前にその技術開発に着手したらしい。しかしそれと、「ーーーメーカーの『責任』としてーーー半世紀前からの『夢』でした」というのはまったく別物である。単に儲かりそう、あるいはおもしろそうな技術だったから開発を始めたに過ぎない。ちなみにシャープのホームページによると、実用品として普及したのは開発から約20年後の太陽電池付き電卓からだそうである。電卓の電池代わり程度レベルになる20年前から『責任』として?『夢』でした? 語るに落ちるとはこういうことを言う。
たぶん開発(町工場の実験レベルだろう)を始めたのが50年ほど前だと知った広告代理店が美しいストーリーにでっち上げたのだろう。そのあざとさマインドにあふれたプレゼンテーションは手に取るように目に浮かぶ。(手に取るように目に浮かぶのは、広告代理店のプレゼンテーションに立ち会う機会も多くて、その70%があざとさマインドにあふれているからである)
何でこんなにムカツいているんだろう?
私は正義漢でもなければ清廉潔白ともほど遠いのに、魂胆が透けて見えることには、奢り(おごり)を感じることにはなぜか敏感である。それにこのコピーは、たとえウソでも今の社会の心をとらえる力をもっている名作なので余計にムカツク(^^ゞ
悪口を書いたからとフォローするつもりは全くないが、シャープはこの10年くらいでもっとも企業イメージをのばした企業の一つだと思う。20年前は技術力はあったかもしれないがパッとしない二流メーカーだった。昔シャープのテレビを買ったことがあるが、それはソニーやパナソニックより安く船井電機よりはマシだろうと思ったから。その程度のポジションだった。
そのテレビがブラウン管から液晶に代わる時流に乗ってシャープの企業イメージは急上昇するが、その少し前に「目のつけどころがシャープでしょ」といいはじめた頃から少しずつ変貌してきたと思う。あれもこれもとトップメーカーの後追いをするのではなく、選択と集中という「正しい2番手戦略」によってトップメーカーの地位に上り詰めたイメージを持っている。
企業イメージの研究対象には、ソニーのように昔から企業イメージのいい企業より、シャープのようにダメからイイへ変化してきた企業の方が参考になると思う。また同じ関西企業で同じく二流メーカーだったサンヨーは、いまだに二流メーカーである。サンヨーもいろいろ選択と集中を積極的に行っているがシャープとの違いを比較研究するのもおもしろいかもしれない。
本当はフォローするつもりだったのに、あまりフォローになっていないなあ〜、しかもヨソの悪口まで書いてしまった(^^ゞ
しかも書きながらシャープの「亀山ブランド」という力まかせのブランド戦略にも反感を持っていたことを思い出した。やっぱりこの会社とは相性悪いのかな。亀山ブランドの話はまたいずれ。しかし文章を書くと自分自身にいろいろな発見があるね。
本日は “おごれる平家は久しからず。中身は一流なったかも知れないけれど、立ち振る舞いにも気を配ってねシャープの皆さん” の下書きでした。
追記
関係ないけど「手に取るように目に浮かぶ」という表現はヘンかな?
皆さんもごらんになったことがあるだろう。
「電気を消費するモノを作るメーカーの責任として、いつか電気そのものを作り出す存在になりたい。半世紀前からの夢でした」。
ウソツケッ!!!!!!
もちろんシャープが太陽光発電のトップメーカーであることは認める。念のためにホームページを調べると、半世紀ほど前にその技術開発に着手したらしい。しかしそれと、「ーーーメーカーの『責任』としてーーー半世紀前からの『夢』でした」というのはまったく別物である。単に儲かりそう、あるいはおもしろそうな技術だったから開発を始めたに過ぎない。ちなみにシャープのホームページによると、実用品として普及したのは開発から約20年後の太陽電池付き電卓からだそうである。電卓の電池代わり程度レベルになる20年前から『責任』として?『夢』でした? 語るに落ちるとはこういうことを言う。
たぶん開発(町工場の実験レベルだろう)を始めたのが50年ほど前だと知った広告代理店が美しいストーリーにでっち上げたのだろう。そのあざとさマインドにあふれたプレゼンテーションは手に取るように目に浮かぶ。(手に取るように目に浮かぶのは、広告代理店のプレゼンテーションに立ち会う機会も多くて、その70%があざとさマインドにあふれているからである)
何でこんなにムカツいているんだろう?
私は正義漢でもなければ清廉潔白ともほど遠いのに、魂胆が透けて見えることには、奢り(おごり)を感じることにはなぜか敏感である。それにこのコピーは、たとえウソでも今の社会の心をとらえる力をもっている名作なので余計にムカツク(^^ゞ
悪口を書いたからとフォローするつもりは全くないが、シャープはこの10年くらいでもっとも企業イメージをのばした企業の一つだと思う。20年前は技術力はあったかもしれないがパッとしない二流メーカーだった。昔シャープのテレビを買ったことがあるが、それはソニーやパナソニックより安く船井電機よりはマシだろうと思ったから。その程度のポジションだった。
そのテレビがブラウン管から液晶に代わる時流に乗ってシャープの企業イメージは急上昇するが、その少し前に「目のつけどころがシャープでしょ」といいはじめた頃から少しずつ変貌してきたと思う。あれもこれもとトップメーカーの後追いをするのではなく、選択と集中という「正しい2番手戦略」によってトップメーカーの地位に上り詰めたイメージを持っている。
企業イメージの研究対象には、ソニーのように昔から企業イメージのいい企業より、シャープのようにダメからイイへ変化してきた企業の方が参考になると思う。また同じ関西企業で同じく二流メーカーだったサンヨーは、いまだに二流メーカーである。サンヨーもいろいろ選択と集中を積極的に行っているがシャープとの違いを比較研究するのもおもしろいかもしれない。
本当はフォローするつもりだったのに、あまりフォローになっていないなあ〜、しかもヨソの悪口まで書いてしまった(^^ゞ
しかも書きながらシャープの「亀山ブランド」という力まかせのブランド戦略にも反感を持っていたことを思い出した。やっぱりこの会社とは相性悪いのかな。亀山ブランドの話はまたいずれ。しかし文章を書くと自分自身にいろいろな発見があるね。
本日は “おごれる平家は久しからず。中身は一流なったかも知れないけれど、立ち振る舞いにも気を配ってねシャープの皆さん” の下書きでした。
追記
関係ないけど「手に取るように目に浮かぶ」という表現はヘンかな?
wassho at 15:48|Permalink│Comments(0)│
2008年06月09日
コンビニのエコとエロ
駅前の夜12時までやっていたスーパーが閉店したので、最近はまたよくコンビニを利用するようになった。ところで映画の撮影や雑誌の取材では、パリならカフェ、ロンドンならパブを撮っておけば、とりあえずその街の雰囲気が出るといわれていて、そんなシーンをよく目にすると思う。それで東京の雰囲気を出したかったらコンビニを撮れと、あの業界(特に海外)ではいわれているらしい。う〜ん、パリはカフェなのに東京はコンビニーーーそれはチョット寂しいような、みっともないような。
今回はコンビニ話をあれこれ。
最近(少なくとも東京では)ほとんどのコンビニがレシートを捨てる小さなゴミ箱をレジにおくようになった。私もいつもそこへ捨てているし、多くの人が捨てているような気がする。主婦がスーパーで買い物をしたら、レシートを見て家計簿をつける人もいるんだろうけれど、コンビニでは男性客も多いし、レシートが必要な人の割合は小さいはず。欲しい人だけにレシートを発行するシステムに変えた方が省資源だと思うが。
スーパーでは賞味期限が近くなった弁当や総菜は値引き販売して売り切ろうとする。コンビニも捨てないで、捨てる前に値引きすれば買う人はいっぱいいるはず。24時間営業している代わりに定価販売というのがコンビニの不文律となっているようだが、弁当類はそろそろ見直してもいいんじゃないの。(あれは必ず廃棄しなければならず、バイトがもらって食べることも禁止らしい)
コンビニの原点はセブンイレブン。今じゃ知らない人も多いけれど、元はアメリカの会社。イトーヨーカ堂が提携して買収して、いろいろ改良して今日の形となった。セブンイレブンの名前の由来は午前7時から午後11まで長時間営業してますというセールスポイントから来ている。しかし今や24時間営業がコンビニでは当たり前となった。
24時間営業する必要があるのか、省エネに逆行しているのではという意見が最近多くなってきた。しかしコンビニの電気代のほとんどは陳列の冷蔵庫が占めており、これは店を開けていようがいまいが24時間つけっぱなしだから営業時間と省エネは余り関係ないらしい。閉店しても防犯上の理由から照明もおそらくは消せないだろう。切れるのはエアコンくらいか。
それに24時間営業じゃなくても少なくと終電の客までは取り込みたいだろうから、終電後に閉店するとなると従業員をタクシーで帰さなくてはいけない。その費用も経営にのしかかるし、徒歩・自転車通勤でないコンビニの従業員がみんなタクシー通勤をしだしたら、何のための省エネかわからなくなる。そんなこんなで24時間営業は、そう簡単にはなくならないだろう。
さて
コンビニは本部が商品を仕入れるから、同じチェーン店であればだいたい品揃えは同じ。かなり前にどこかのコンビニチェーンが、もっと地域色を出そうという取り組みを試験的に始めて、それがテレビで紹介されていた。2つだけ内容を覚えている。
その1
静岡のどこかで、名産の干物を売り出した。レジの横で売っている唐揚げのような販売スタイル。中高生たちが学校帰りによく買っていた。私も食べたいから東京でもやってくれないかな。
その2
東京の埋め立て地沿いのどこか。そのエリアは建築現場が多く建設労働者が多くいる。じゃあきっと、こってりした量の多い弁当でも多くそろえているのかと思ったら、
レポーター「このエリアにあわせた品揃えをされていると伺いましたが」
店長「はい、こちらです」と自信ありげにレポーターを案内。
でもそこは弁当じゃなく雑誌売り場。
店長「他店のコンビニにはないエロ本の充実が当店の特徴です!」
♪♪びっくらこいた〜びっくらこいた〜 (^^ゞ
今回はコンビニ話をあれこれ。
最近(少なくとも東京では)ほとんどのコンビニがレシートを捨てる小さなゴミ箱をレジにおくようになった。私もいつもそこへ捨てているし、多くの人が捨てているような気がする。主婦がスーパーで買い物をしたら、レシートを見て家計簿をつける人もいるんだろうけれど、コンビニでは男性客も多いし、レシートが必要な人の割合は小さいはず。欲しい人だけにレシートを発行するシステムに変えた方が省資源だと思うが。
スーパーでは賞味期限が近くなった弁当や総菜は値引き販売して売り切ろうとする。コンビニも捨てないで、捨てる前に値引きすれば買う人はいっぱいいるはず。24時間営業している代わりに定価販売というのがコンビニの不文律となっているようだが、弁当類はそろそろ見直してもいいんじゃないの。(あれは必ず廃棄しなければならず、バイトがもらって食べることも禁止らしい)
コンビニの原点はセブンイレブン。今じゃ知らない人も多いけれど、元はアメリカの会社。イトーヨーカ堂が提携して買収して、いろいろ改良して今日の形となった。セブンイレブンの名前の由来は午前7時から午後11まで長時間営業してますというセールスポイントから来ている。しかし今や24時間営業がコンビニでは当たり前となった。
24時間営業する必要があるのか、省エネに逆行しているのではという意見が最近多くなってきた。しかしコンビニの電気代のほとんどは陳列の冷蔵庫が占めており、これは店を開けていようがいまいが24時間つけっぱなしだから営業時間と省エネは余り関係ないらしい。閉店しても防犯上の理由から照明もおそらくは消せないだろう。切れるのはエアコンくらいか。
それに24時間営業じゃなくても少なくと終電の客までは取り込みたいだろうから、終電後に閉店するとなると従業員をタクシーで帰さなくてはいけない。その費用も経営にのしかかるし、徒歩・自転車通勤でないコンビニの従業員がみんなタクシー通勤をしだしたら、何のための省エネかわからなくなる。そんなこんなで24時間営業は、そう簡単にはなくならないだろう。
さて
コンビニは本部が商品を仕入れるから、同じチェーン店であればだいたい品揃えは同じ。かなり前にどこかのコンビニチェーンが、もっと地域色を出そうという取り組みを試験的に始めて、それがテレビで紹介されていた。2つだけ内容を覚えている。
その1
静岡のどこかで、名産の干物を売り出した。レジの横で売っている唐揚げのような販売スタイル。中高生たちが学校帰りによく買っていた。私も食べたいから東京でもやってくれないかな。
その2
東京の埋め立て地沿いのどこか。そのエリアは建築現場が多く建設労働者が多くいる。じゃあきっと、こってりした量の多い弁当でも多くそろえているのかと思ったら、
レポーター「このエリアにあわせた品揃えをされていると伺いましたが」
店長「はい、こちらです」と自信ありげにレポーターを案内。
でもそこは弁当じゃなく雑誌売り場。
店長「他店のコンビニにはないエロ本の充実が当店の特徴です!」
♪♪びっくらこいた〜びっくらこいた〜 (^^ゞ
wassho at 17:14|Permalink│Comments(2)│
2008年05月30日
吉兆の薦め
昨日は朝から吉兆廃業記者会見の模様をテレビが盛んに流していた。夜のニュース番組でも取り上げていたと思うが、それは見逃した。コメンテーター達は例の「食べ残し」問題について怒ったり憤ったりしていたし、自分は世間の声を代弁しているような雰囲気だったが、でもそれは「ちょっとずれてるんじゃないの?」という気持ちがする。
日本を代表する最高級料亭が客の食べ残しを別の客に出していたことに、多くの人は驚いたり呆れたりしたと思うが、怒ったり憤ったりしたとは思わない。だって世の中のほとんどの人は吉兆になんて縁がないから被害には遭わない。まあ、むかついたとすれば、今や吉兆の顔となったあの女将についてであろう。彼女が本当はどんな人かはわからないが、テレビ的な好感度は間違いなく低い。(しかし、さすがは料亭の女将だけあって敬語を上手に使うなあと思ってテレビを見ていた。私もそうなんだけれど、使い慣れない敬語を使おうとするととてもクドイ敬語になるものである)
産地偽装で遠のいた客足は徐々に戻ってきていたらしいが、今回の食べ残し問題で客は激減、ついに廃業となった。そりゃ誰だってウン万円も払ったあの料理が食べ残しだったかもと知ったら怒り心頭である。吉兆にいったことがなくってよかった。
さて、吉兆のブランドイメージは地に落ちたのだろうか?
吉兆というだけで世間の人々は、その料理を食べたいと思わないだろうか?
私は、そうではないような気がする。
今回の騒動で吉兆の認知度は間違いなく上がった。そして最高級料亭である(あった)ことも浸透した。この騒動の前、吉兆の知名度はそれほど高くなかったと思われる。ちなみに日本の三大料亭は吉兆の他に、新喜楽、金田中という料亭である。新喜楽と金田中って知ってたあ? 私はさっきブログを書く前にネットで調べて初めて知った。とにかく今、吉兆は、料理の鉄人で有名になった「なだ万」以上の、おそらく日本で一番有名な料亭になったと思われる。
吉兆のイメージをダウンさせたのは、顔は知らないが偽装を指示したとされる前社長と、強欲なイメージがぬぐえない女将と、女将にツブヤキ指示を受けないとまともに喋ることさえできない、あのデキの悪い息子、つまり経営陣達である。幸いなことに料理人や仲居さん達に悪者はいない。
吉兆というのは創業者の子息や親族が五つのグループに分かれて営業しているらしい。今回、廃業になったのは船場吉兆というグループ。グループ間の資本関係や「吉兆」の商標登録の権利がどこにあるのか知らないけれど、
もし
船場吉兆を買収したら「吉兆」ブランドを使用できるのであれば、ビジネス的にはおもしろい。吉兆で「食べ残し」を食べさせられた人以外、つまり世の中のほとんどの人をターゲットに「吉兆」にはブランド価値があると思う。
日本一の知名度=プラス要因
高級イメージ=プラス要因
金儲け主義ででたらめな経営=マイナス要因
だから
もちろん現経営陣は追放するし、昔ながらの料亭商売ではなくマーケティング戦略はいろいろと考えなければならない。新しい吉兆の顔となるカリスマも雇う必要がある。しかし吉兆は民事再生法適用を申請したくらいだから、金に困っている。つまり安く買収できる。吉兆は地に落ちたと思われている今なら「吉兆ブランド」にプレミア価格を上乗せする必要もない。
本日は “起業家投資家の皆さん、よければドバイのリッチマンの皆さんも。どうでしょう、吉兆を買収してブランドとビジネスモデルを立て直せば、がっぽり儲かりますよ。安く買って高く売るのが商売の基本ですものね。
その節には私をコンサルタントとして雇えとまではいいませんので、アイデア料として「吉兆一生食べ放題券」でも進呈いただければ幸いです” の下書きでした。
日本を代表する最高級料亭が客の食べ残しを別の客に出していたことに、多くの人は驚いたり呆れたりしたと思うが、怒ったり憤ったりしたとは思わない。だって世の中のほとんどの人は吉兆になんて縁がないから被害には遭わない。まあ、むかついたとすれば、今や吉兆の顔となったあの女将についてであろう。彼女が本当はどんな人かはわからないが、テレビ的な好感度は間違いなく低い。(しかし、さすがは料亭の女将だけあって敬語を上手に使うなあと思ってテレビを見ていた。私もそうなんだけれど、使い慣れない敬語を使おうとするととてもクドイ敬語になるものである)
産地偽装で遠のいた客足は徐々に戻ってきていたらしいが、今回の食べ残し問題で客は激減、ついに廃業となった。そりゃ誰だってウン万円も払ったあの料理が食べ残しだったかもと知ったら怒り心頭である。吉兆にいったことがなくってよかった。
さて、吉兆のブランドイメージは地に落ちたのだろうか?
吉兆というだけで世間の人々は、その料理を食べたいと思わないだろうか?
私は、そうではないような気がする。
今回の騒動で吉兆の認知度は間違いなく上がった。そして最高級料亭である(あった)ことも浸透した。この騒動の前、吉兆の知名度はそれほど高くなかったと思われる。ちなみに日本の三大料亭は吉兆の他に、新喜楽、金田中という料亭である。新喜楽と金田中って知ってたあ? 私はさっきブログを書く前にネットで調べて初めて知った。とにかく今、吉兆は、料理の鉄人で有名になった「なだ万」以上の、おそらく日本で一番有名な料亭になったと思われる。
吉兆のイメージをダウンさせたのは、顔は知らないが偽装を指示したとされる前社長と、強欲なイメージがぬぐえない女将と、女将にツブヤキ指示を受けないとまともに喋ることさえできない、あのデキの悪い息子、つまり経営陣達である。幸いなことに料理人や仲居さん達に悪者はいない。
吉兆というのは創業者の子息や親族が五つのグループに分かれて営業しているらしい。今回、廃業になったのは船場吉兆というグループ。グループ間の資本関係や「吉兆」の商標登録の権利がどこにあるのか知らないけれど、
もし
船場吉兆を買収したら「吉兆」ブランドを使用できるのであれば、ビジネス的にはおもしろい。吉兆で「食べ残し」を食べさせられた人以外、つまり世の中のほとんどの人をターゲットに「吉兆」にはブランド価値があると思う。
日本一の知名度=プラス要因
高級イメージ=プラス要因
金儲け主義ででたらめな経営=マイナス要因
だから
もちろん現経営陣は追放するし、昔ながらの料亭商売ではなくマーケティング戦略はいろいろと考えなければならない。新しい吉兆の顔となるカリスマも雇う必要がある。しかし吉兆は民事再生法適用を申請したくらいだから、金に困っている。つまり安く買収できる。吉兆は地に落ちたと思われている今なら「吉兆ブランド」にプレミア価格を上乗せする必要もない。
本日は “起業家投資家の皆さん、よければドバイのリッチマンの皆さんも。どうでしょう、吉兆を買収してブランドとビジネスモデルを立て直せば、がっぽり儲かりますよ。安く買って高く売るのが商売の基本ですものね。
その節には私をコンサルタントとして雇えとまではいいませんので、アイデア料として「吉兆一生食べ放題券」でも進呈いただければ幸いです” の下書きでした。
wassho at 17:07|Permalink│Comments(2)│
2008年04月18日
しつこくクルマの音の話(2)
昨日
>さて、クルマの基本性能には差がないのだから、
>用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、
>デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。
と、うっかり書いてしまったけれど。
実はクルマの「静かさ」には大きな差がある。
街中を走るスピードでは同じクラス(価格帯)の車同士でそれほど差はないが、高速ではかなり違う。仮に試乗してクルマを選ぶとしても、高速で試乗することはなかなかできないからデタトコ勝負になってしまう。一般にセダンより表面積の大きなミニバンのほうがウルサイし、凹凸のあるタイヤをはく四駆タイプはさらにウルサイ。
業界的には100キロで60デジベルの音量なら静かなクルマといわれるが、そんな数字はカタログのどこにも載っていない。それに同じ音量でも音質や、いわゆる「音のこもり具合」によって耳に感じる静かさはかなり違う。またクルマによっては前席は静かでも後席はやたらうるさかったりする。さらに少し窓を開けても静かなクルマと、とたんにうるさくなるクルマがある。
クルマの開発では必ず車内音量を測定する。そこで本日は “クルマメーカーにお願い。60キロと100キロの前席と後席の音量をカタログに載せて。できたら窓を閉めた状態と半分開けた状態で。そして、規制はあまり好きじゃないけれど国交省はそれを義務づけさせて” の下書きでした。
数字を目標とすると、むやみなスペック競争にも陥る反面、必ず技術が進歩するというのが私の考えである。0.1デジベルでも競合他車に負けていたら売り上げに響くからね。音質なんかも指標化できればなおさらよろしい。
クルマの静かさ競争が始まれば、タイヤメーカーもクルマメーカーのプレッシャーを受けて本格的に静かなタイヤの開発に取り得かかるはず。もちろんクルマメーカーは空気の音を小さくする。それは車外騒音=道路の静かさにも貢献するはずである。
おしまい
>さて、クルマの基本性能には差がないのだから、
>用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、
>デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。
と、うっかり書いてしまったけれど。
実はクルマの「静かさ」には大きな差がある。
街中を走るスピードでは同じクラス(価格帯)の車同士でそれほど差はないが、高速ではかなり違う。仮に試乗してクルマを選ぶとしても、高速で試乗することはなかなかできないからデタトコ勝負になってしまう。一般にセダンより表面積の大きなミニバンのほうがウルサイし、凹凸のあるタイヤをはく四駆タイプはさらにウルサイ。
業界的には100キロで60デジベルの音量なら静かなクルマといわれるが、そんな数字はカタログのどこにも載っていない。それに同じ音量でも音質や、いわゆる「音のこもり具合」によって耳に感じる静かさはかなり違う。またクルマによっては前席は静かでも後席はやたらうるさかったりする。さらに少し窓を開けても静かなクルマと、とたんにうるさくなるクルマがある。
クルマの開発では必ず車内音量を測定する。そこで本日は “クルマメーカーにお願い。60キロと100キロの前席と後席の音量をカタログに載せて。できたら窓を閉めた状態と半分開けた状態で。そして、規制はあまり好きじゃないけれど国交省はそれを義務づけさせて” の下書きでした。
数字を目標とすると、むやみなスペック競争にも陥る反面、必ず技術が進歩するというのが私の考えである。0.1デジベルでも競合他車に負けていたら売り上げに響くからね。音質なんかも指標化できればなおさらよろしい。
クルマの静かさ競争が始まれば、タイヤメーカーもクルマメーカーのプレッシャーを受けて本格的に静かなタイヤの開発に取り得かかるはず。もちろんクルマメーカーは空気の音を小さくする。それは車外騒音=道路の静かさにも貢献するはずである。
おしまい
wassho at 17:19|Permalink│Comments(0)│
2008年04月17日
しつこくクルマの音の話
音の話の前に。
走る、曲がる、止まるというクルマの基本性能については、よほどマニアックなことをいわない限り、今はどのメーカー、どの車種を選ぼうと差はない。100万円のクルマなら100万円なりの、500万円なら500万円なりの基本性能を得ることができる。私が学生の頃は、同じクラスのクルマでも基本性能に多少の差はあった。エンジンはいいけれど足回りがよくないとか、その逆とか、あるいは基本性能は高いのにデザインがイマイチとかーーーそういう意味ではクルマの選び甲斐があった。
どのクルマを選んでも(価格なりに)基本性能に差がなくなったと言い切れるようになったのは15年くらい前からか。それは自動車の進歩であり成熟なのだけれど、選び甲斐がなくなれば、クルマに関心を持つ人も減る。それはどの産業にとっても進化に伴う悩みのタネ。ビックカメラに行くと大型テレビの画質をいろいろ見較べている人が一杯いる。大型テレビの画質はメーカーや方式によってかなり違う。つまり選び甲斐がある。でもブラウン管時代の後半期、人々は売り場でブランド名と値札しか見ていなかったはずである。
選び甲斐の話は、マーケティング的にきわめて重要なテーマなので、いずれじっくり。まあ、そういって書いたためしがないけれど(^^ゞ
さて、クルマの基本性能には差がないのだから、用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。クルマのリサーチをすると、車内の小物入れやカップホルダーなどがクルマ選びの重要な要素となっていることがわかる。売れるクルマを開発するには優秀なエンジニアだけではなく優秀なインテリアプランナーが必要な時代である。(続く)
走る、曲がる、止まるというクルマの基本性能については、よほどマニアックなことをいわない限り、今はどのメーカー、どの車種を選ぼうと差はない。100万円のクルマなら100万円なりの、500万円なら500万円なりの基本性能を得ることができる。私が学生の頃は、同じクラスのクルマでも基本性能に多少の差はあった。エンジンはいいけれど足回りがよくないとか、その逆とか、あるいは基本性能は高いのにデザインがイマイチとかーーーそういう意味ではクルマの選び甲斐があった。
どのクルマを選んでも(価格なりに)基本性能に差がなくなったと言い切れるようになったのは15年くらい前からか。それは自動車の進歩であり成熟なのだけれど、選び甲斐がなくなれば、クルマに関心を持つ人も減る。それはどの産業にとっても進化に伴う悩みのタネ。ビックカメラに行くと大型テレビの画質をいろいろ見較べている人が一杯いる。大型テレビの画質はメーカーや方式によってかなり違う。つまり選び甲斐がある。でもブラウン管時代の後半期、人々は売り場でブランド名と値札しか見ていなかったはずである。
選び甲斐の話は、マーケティング的にきわめて重要なテーマなので、いずれじっくり。まあ、そういって書いたためしがないけれど(^^ゞ
さて、クルマの基本性能には差がないのだから、用途に合わせたボディタイプ(セダンとかミニバンとか)を決めたあとは、デザインやブランドの好みで選んでも大きな失敗はない。クルマのリサーチをすると、車内の小物入れやカップホルダーなどがクルマ選びの重要な要素となっていることがわかる。売れるクルマを開発するには優秀なエンジニアだけではなく優秀なインテリアプランナーが必要な時代である。(続く)
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2008年04月11日
舗装工事
昨日、書きながら思いだしていたこと。
玉川通りに面したマンションは、当然、道路の騒音がそれなりにあった。
ある時、そのマンション近辺の玉川通りでは大規模な舗装工事があって、道路すべての舗装が新しくなった。雨水を浸透させるタイプの舗装に張り替えたということであった。工事が終わると今までのアスファルトより、少し黒いアスファルトに変わっていたことを覚えている。
雨水の浸透のことは別として、この工事が終わったあと、道路の騒音がはっきりと少なくなった。感覚的には2割近く静かになった。雨水が浸透するということは、アスファルトがミッチリ詰まっているのではなく、雨水が通る隙間があるのだろうから、ロードノイズも多少はその隙間へ吸収されているのか? 理屈はわからないが、とにかく静かになった。
昨日は
>道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。
>タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないけれど、
>空気の音のような気もする。
と書いたけれど、舗装で静かになるということはタイヤの音のほうがうるさいのかも知れない。
もっとも音というのは
エンジン:5
タイヤ:6
空気:7
で音を出していたら、トータルでは18のうるささを感じていても、聞き取れるのは一番大きな空気の音になる。
本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーだけでなく舗装工事の会社にも低騒音化推進に加わって下さい” そして “59兆円は無駄な道路ではなく地下鉄と、こっちに回しましょう” の下書きでした。
玉川通りに面したマンションは、当然、道路の騒音がそれなりにあった。
ある時、そのマンション近辺の玉川通りでは大規模な舗装工事があって、道路すべての舗装が新しくなった。雨水を浸透させるタイプの舗装に張り替えたということであった。工事が終わると今までのアスファルトより、少し黒いアスファルトに変わっていたことを覚えている。
雨水の浸透のことは別として、この工事が終わったあと、道路の騒音がはっきりと少なくなった。感覚的には2割近く静かになった。雨水が浸透するということは、アスファルトがミッチリ詰まっているのではなく、雨水が通る隙間があるのだろうから、ロードノイズも多少はその隙間へ吸収されているのか? 理屈はわからないが、とにかく静かになった。
昨日は
>道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。
>タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないけれど、
>空気の音のような気もする。
と書いたけれど、舗装で静かになるということはタイヤの音のほうがうるさいのかも知れない。
もっとも音というのは
エンジン:5
タイヤ:6
空気:7
で音を出していたら、トータルでは18のうるささを感じていても、聞き取れるのは一番大きな空気の音になる。
本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーだけでなく舗装工事の会社にも低騒音化推進に加わって下さい” そして “59兆円は無駄な道路ではなく地下鉄と、こっちに回しましょう” の下書きでした。
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2008年04月10日
クルマ&タイヤメーカーと国交省にお願い
あと何回かはマンションネタというか、マンション前振りの話が続きます。
早いもので、そろそろ引っ越して2年になる今のマンション。フローリングが軟らかかったり換気の音がこもったりするけれど、満足度はまあ70点くらいかなあ。欲をいえばキリがなくても、払える家賃にはキリがあるので(^^ゞ、今回は更新することになると思う。
このマンションは目黒通りという幹線道路から数ブロックほど奥まったところにある。目黒通りの騒音は全く聞こえない。夜になると静まりかえったと表現してもいいくらい。前のマンションは目黒通りと同じような幹線道路である玉川通りに面していて、かなりうるさかったので、その点はとても満足している。もっともそのおかげで駅まではちょっと遠いんだけれど。
さてクルマが走る音を擬音語で表現するならブーンとかブォーンとなる。エンジンの音のイメージである。しかし実際道路を走っているクルマからは(信号待ちから発進加速する時を除いて)こんな音はしていない。表現するなら「シャー」という音。
クルマが発生するノイズは大きく分けると3つある。
エンジン音
ロードノイズ
空気を切り裂く音
ロードノイズというのはタイヤが地面と接することで生じる音である。人でいうならコツコツという足音。なぜかタイヤノイズとは呼ばずロードノイズと称される。またクルマが走ると高速で周りの空気を押しのけるから、空気が震えて音が出る。空気の音ってイメージしづらいけれど、手のひらに強く息を吹きかければわかってもらえると思う。クルマが空気を切り裂く音には特に名前がない(と思う)。なお風切り音というのは高速でクルマの周りの気流の一部が乱れて笛のようになる音なので別物。
道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないが、空気の音のような気もする。
さて、クルマにはマフラーが付いているし、エンジンの音量には規制がある。大型のトラックやバスはまだまだ改善の余地があるだろうが、今のクルマのエンジン音は充分に静かである。また、そう遠くない将来に電気自動車も普及しそうだけれど、そうなれば無音。
しかし、もうおわかりだと思うがタイヤと空気の音を小さくしなければクルマ騒音はなくならない。そして技術開発的にこの分野はほとんど手つかずだと思う。一部に静粛性を謳う高級タイヤがあるが、それとてメインは車内騒音低減の気がする。空気の音には名前すらない(少なくとも一般に知られていない)。
エンジンの音量や排気ガス二は一定の基準が設けられている。法律でも業界の自主基準でもいいけれど、タイヤの音と空気の音にもそんな基準=低騒音化への目標設定が必要だと思う。本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーと国交省の皆さん、その辺のところよく話し合ってね” の下書きでした。静かな環境を少しでも取り戻しましょう。
早いもので、そろそろ引っ越して2年になる今のマンション。フローリングが軟らかかったり換気の音がこもったりするけれど、満足度はまあ70点くらいかなあ。欲をいえばキリがなくても、払える家賃にはキリがあるので(^^ゞ、今回は更新することになると思う。
このマンションは目黒通りという幹線道路から数ブロックほど奥まったところにある。目黒通りの騒音は全く聞こえない。夜になると静まりかえったと表現してもいいくらい。前のマンションは目黒通りと同じような幹線道路である玉川通りに面していて、かなりうるさかったので、その点はとても満足している。もっともそのおかげで駅まではちょっと遠いんだけれど。
さてクルマが走る音を擬音語で表現するならブーンとかブォーンとなる。エンジンの音のイメージである。しかし実際道路を走っているクルマからは(信号待ちから発進加速する時を除いて)こんな音はしていない。表現するなら「シャー」という音。
クルマが発生するノイズは大きく分けると3つある。
エンジン音
ロードノイズ
空気を切り裂く音
ロードノイズというのはタイヤが地面と接することで生じる音である。人でいうならコツコツという足音。なぜかタイヤノイズとは呼ばずロードノイズと称される。またクルマが走ると高速で周りの空気を押しのけるから、空気が震えて音が出る。空気の音ってイメージしづらいけれど、手のひらに強く息を吹きかければわかってもらえると思う。クルマが空気を切り裂く音には特に名前がない(と思う)。なお風切り音というのは高速でクルマの周りの気流の一部が乱れて笛のようになる音なので別物。
道路で聞こえるシャーという音はエンジン音ではない。タイヤの音か空気の音かは私の耳ではよくわからないが、空気の音のような気もする。
さて、クルマにはマフラーが付いているし、エンジンの音量には規制がある。大型のトラックやバスはまだまだ改善の余地があるだろうが、今のクルマのエンジン音は充分に静かである。また、そう遠くない将来に電気自動車も普及しそうだけれど、そうなれば無音。
しかし、もうおわかりだと思うがタイヤと空気の音を小さくしなければクルマ騒音はなくならない。そして技術開発的にこの分野はほとんど手つかずだと思う。一部に静粛性を謳う高級タイヤがあるが、それとてメインは車内騒音低減の気がする。空気の音には名前すらない(少なくとも一般に知られていない)。
エンジンの音量や排気ガス二は一定の基準が設けられている。法律でも業界の自主基準でもいいけれど、タイヤの音と空気の音にもそんな基準=低騒音化への目標設定が必要だと思う。本日は “クルマメーカーとタイヤメーカーと国交省の皆さん、その辺のところよく話し合ってね” の下書きでした。静かな環境を少しでも取り戻しましょう。
wassho at 19:02|Permalink│Comments(0)│
2008年03月28日
企業の社会的責任の基本は
略してCSR(Corporate Social Responsibility)といわれることが多い。
この言葉にどれだけ馴染みがあるかどうかは、その人の職業によるけれど、経営企画的な分野では6〜7年前から合い言葉になっている。ネットで調べてもらえば、難解な説明がいっぱい見つかるが、簡単に言えば社会人として立派な企業でありましょうということ。不正ややましいことをせず正直にと、そして例えば環境問題に配慮するなど善良という考え方がミックスされた概念。
難しい話はさておいといて、
先日、いつものように駅前の東急ストアに行くと「3月末で閉店します」の張り紙が。エー!キイテナイヨ(←もう古いか)
よく見ると、「(すぐ近くの)仮店舗で営業します」の案内が小さく書かれている。ホッとしたのもつかの間、「仮店舗では食料品は扱いません」とさらに小さな文字が。それじゃ意味ナイィ!
ちょっと待てよ? 仮店舗で営業ということは改装でもするのだろうから、しばらくの我慢かと思ったけれど、その張り紙に営業再開時期は書かれていない。何となく店員にも聞きそびれたので、自宅で東急ストア(東京、神奈川じゃ名の知られたチェーン店です)のホームページを見ても何の情報もなし。いろいろヨソで検索してみると、何と改装期間は2年間!!との情報が。
とっても困るのである。
私の胃袋に入るものの半分くらいは、このスーパーで買っている。夜12時の閉店間際までいつも客で賑わっていいるから、この近辺に困る人はたくさんいるはず。駅から10分のところに夜12時までやっているスーパーがもう一軒あるが、自宅へは逆方向に10分離れているから、そこまでは行けない。ダイエーは自宅まで多少遠回りになる程度だけれど閉店は午後9時半。平日に寄れる日はほとんどない。だから、とっても困るのである。
本日は “企業の社会的責任とは、難しい話もいろいろ大事であるが、ごく普通に営業を営むとか、ごく普通に商品を製造することが、実はやっぱりメインかも。コンサルタントとか広告代理店は何かと新しいことを仕掛けたがるけれど、経営者の皆さんはそれを忘れないでね” の下書きでした。
しかし2年間とは新しいビルが建つ期間。2年も掛けて、どんな改装をするのかナゾ。しかもこのスーパーは線路の高架下を利用している店舗だから、建物を広げたりすることはできない。ますますナゾ。
この言葉にどれだけ馴染みがあるかどうかは、その人の職業によるけれど、経営企画的な分野では6〜7年前から合い言葉になっている。ネットで調べてもらえば、難解な説明がいっぱい見つかるが、簡単に言えば社会人として立派な企業でありましょうということ。不正ややましいことをせず正直にと、そして例えば環境問題に配慮するなど善良という考え方がミックスされた概念。
難しい話はさておいといて、
先日、いつものように駅前の東急ストアに行くと「3月末で閉店します」の張り紙が。エー!キイテナイヨ(←もう古いか)
よく見ると、「(すぐ近くの)仮店舗で営業します」の案内が小さく書かれている。ホッとしたのもつかの間、「仮店舗では食料品は扱いません」とさらに小さな文字が。それじゃ意味ナイィ!
ちょっと待てよ? 仮店舗で営業ということは改装でもするのだろうから、しばらくの我慢かと思ったけれど、その張り紙に営業再開時期は書かれていない。何となく店員にも聞きそびれたので、自宅で東急ストア(東京、神奈川じゃ名の知られたチェーン店です)のホームページを見ても何の情報もなし。いろいろヨソで検索してみると、何と改装期間は2年間!!との情報が。
とっても困るのである。
私の胃袋に入るものの半分くらいは、このスーパーで買っている。夜12時の閉店間際までいつも客で賑わっていいるから、この近辺に困る人はたくさんいるはず。駅から10分のところに夜12時までやっているスーパーがもう一軒あるが、自宅へは逆方向に10分離れているから、そこまでは行けない。ダイエーは自宅まで多少遠回りになる程度だけれど閉店は午後9時半。平日に寄れる日はほとんどない。だから、とっても困るのである。
本日は “企業の社会的責任とは、難しい話もいろいろ大事であるが、ごく普通に営業を営むとか、ごく普通に商品を製造することが、実はやっぱりメインかも。コンサルタントとか広告代理店は何かと新しいことを仕掛けたがるけれど、経営者の皆さんはそれを忘れないでね” の下書きでした。
しかし2年間とは新しいビルが建つ期間。2年も掛けて、どんな改装をするのかナゾ。しかもこのスーパーは線路の高架下を利用している店舗だから、建物を広げたりすることはできない。ますますナゾ。
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2008年01月22日
CDショップにお願い(本題)
皆さんはどうやってCDを選んでいますか?
試聴してから買う慎重派からジャケ買いまでいろいろあると思うけれど、私は雑誌なんかのCD評を参考にすることも多い。(ところで本の評論は書評っていうから、CDならCD評でいいのかな?)
CDショップにお願い:その1
店頭で雑誌のCD評を掲示してくれると助かる。
CD評を読んで、いいなと思ったらすぐに買いに走ったのは遠い昔。今は腰が重くて(^^ゞ そして、ようやくCDショップにいった頃には、何とかという雑誌に、よさそうなCDが紹介されていたなあ〜という記憶はあっても、そのCDのタイトルもアーティストもすっかり忘れているから。
CDショップにお願い:その2
最近買うのは、ほとんどクラシックになってしまった。クラシックの場合は、雑誌CD評の掲示の横に一緒に商品も揃えておいて欲しい。買ったことがある人はわかると思うが、クラシックは欲しいCDがわかっていても、それがお店のどこにあるのかを探すのがとても大変なのである。
暇つぶしにふらっとCDショップや本屋に立ち寄って、何か買おうと思っても、何を買っていいのかわからない〜自分が何を欲しいのかすらわからず、結局何も買わなかった事ってない? 私は時々ある。本人は何か買いたいという欲求が満たされず不幸、お店もせっかくの販売機会を生かせず不幸である。CDや本などは「何かいいものがあれば」という漠然としたニーズが購買動機なことも多い。そのあたり、漠然を明確化する仕組みの工夫が必要である。
CDも本も「売れなくなった」商品の代表例のようにいわれている。その原因については、いろいろ論じられていて、正しいと思われる見解もあるけれど、本日は “売れていないのではなく「売っていない」のでは?とマーケティングを見直すことも大事” の下書きでした。
試聴してから買う慎重派からジャケ買いまでいろいろあると思うけれど、私は雑誌なんかのCD評を参考にすることも多い。(ところで本の評論は書評っていうから、CDならCD評でいいのかな?)
CDショップにお願い:その1
店頭で雑誌のCD評を掲示してくれると助かる。
CD評を読んで、いいなと思ったらすぐに買いに走ったのは遠い昔。今は腰が重くて(^^ゞ そして、ようやくCDショップにいった頃には、何とかという雑誌に、よさそうなCDが紹介されていたなあ〜という記憶はあっても、そのCDのタイトルもアーティストもすっかり忘れているから。
CDショップにお願い:その2
最近買うのは、ほとんどクラシックになってしまった。クラシックの場合は、雑誌CD評の掲示の横に一緒に商品も揃えておいて欲しい。買ったことがある人はわかると思うが、クラシックは欲しいCDがわかっていても、それがお店のどこにあるのかを探すのがとても大変なのである。
暇つぶしにふらっとCDショップや本屋に立ち寄って、何か買おうと思っても、何を買っていいのかわからない〜自分が何を欲しいのかすらわからず、結局何も買わなかった事ってない? 私は時々ある。本人は何か買いたいという欲求が満たされず不幸、お店もせっかくの販売機会を生かせず不幸である。CDや本などは「何かいいものがあれば」という漠然としたニーズが購買動機なことも多い。そのあたり、漠然を明確化する仕組みの工夫が必要である。
CDも本も「売れなくなった」商品の代表例のようにいわれている。その原因については、いろいろ論じられていて、正しいと思われる見解もあるけれど、本日は “売れていないのではなく「売っていない」のでは?とマーケティングを見直すことも大事” の下書きでした。
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2007年12月10日
島田紳助の本
最近ネットのどこかで読んだ記事。
どこかのコンサルタントが島田紳助の本を評して「彼は天才だ」と紹介していた。
紳助が生み出した、芸人が売れるための「XとYの法則」というのがあるらしい。
うろ覚えなので、私の解釈を適当に加えて書く。
Xというのは「自分のオリジナリティや他者との差別化」という考え方。Yは「世の中のトレンドやニーズ」。そしてXのレベルが高く、なおかつYと一致したときにスターになる。いわゆる一発屋はYの変化にXを対応させられないから消えていくーーーそんな内容らしい。
しごく納得できる内容。マーケティングの小難しい古典的な理論で、これと同じ内容のものはいくつもあるが、「紳助の法則」といわれると何となくリアリティがあるし、消えていった芸人の顔など思い浮かべると妙に納得できる(^^ゞ
Xに熱中するとYがおろそかになる。Yばかり追いかけているとXを見失う。XもYも中途半端だとなおさら悪い。XYを極めた後で、Yの変化にXを対応させ進化させることはとっても難しい。しかもXは変えりゃいいというものではないのだ。
紳助のYは、最近の言葉で言うならKY(空気読む)と言い換えられるかも知れない。マーケットの空気を読めていなければマーケティングは失敗する。飲み会では場の空気を読んで話題も変えていかなければならない。毎回、同じような自慢やグチばかりではダメですぞ。
本日は “タレント本なんて今まで読んだことないけれど、たまには見聞を広めるために立ち読みでもしてみようか” の下書きでした。
どこかのコンサルタントが島田紳助の本を評して「彼は天才だ」と紹介していた。
紳助が生み出した、芸人が売れるための「XとYの法則」というのがあるらしい。
うろ覚えなので、私の解釈を適当に加えて書く。
Xというのは「自分のオリジナリティや他者との差別化」という考え方。Yは「世の中のトレンドやニーズ」。そしてXのレベルが高く、なおかつYと一致したときにスターになる。いわゆる一発屋はYの変化にXを対応させられないから消えていくーーーそんな内容らしい。
しごく納得できる内容。マーケティングの小難しい古典的な理論で、これと同じ内容のものはいくつもあるが、「紳助の法則」といわれると何となくリアリティがあるし、消えていった芸人の顔など思い浮かべると妙に納得できる(^^ゞ
Xに熱中するとYがおろそかになる。Yばかり追いかけているとXを見失う。XもYも中途半端だとなおさら悪い。XYを極めた後で、Yの変化にXを対応させ進化させることはとっても難しい。しかもXは変えりゃいいというものではないのだ。
紳助のYは、最近の言葉で言うならKY(空気読む)と言い換えられるかも知れない。マーケットの空気を読めていなければマーケティングは失敗する。飲み会では場の空気を読んで話題も変えていかなければならない。毎回、同じような自慢やグチばかりではダメですぞ。
本日は “タレント本なんて今まで読んだことないけれど、たまには見聞を広めるために立ち読みでもしてみようか” の下書きでした。
wassho at 19:37|Permalink│Comments(0)│
2007年11月06日
山場CM
「やまばCM」と読むと思う。
この言葉は初めて聞いた。
詳しくは朝日新聞のこの記事を
記事がなくなったときのために一部を引用しておくと
ーーーーー場面を盛り上げるだけ盛り上げておいてから「正解はCMのあとで」「最新情報はこのあとすぐ」。こんなテレビの「山場CM」が多い番組に視聴者が不快感を抱いていることが、榊博文・慶応義塾大教授(社会心理学)らの調査で明らかになり近著で発表された。国際比較でも日本の山場CMは欧米より格段に多い。テレビ局側の思惑とは裏腹に、そうしたCMへの好感度が低くなり商品の購買意欲も下がるというーーーーー
「正解はCMのあとで」以外にも、番組のエンディングっぽいものを本当の番組終了の少し前に流し、CMも見終わらさせてから、あとほんの少し番組を続ける手もよく使われている。CMとは関係ないものの、〇〇時58分とか中途半端に始まる番組も多い。
すべて、あの手この手の小賢しい(こざかしい)視聴率稼ぎである。日本人は大きな発明はできない(と書くとお叱りも受けるが)けれど、細かな改良は得意である。だから視聴率稼ぎのテクニックも、もはや芸術的領域に達している(^^ゞ
あの手この手でCM視聴率はアップする。しかし、この記事によると、そういうテクニックで流されたCMの商品は「買いたくない」と答えている人が多い。広告主にとっては、これは気になるデータであろう。でも山場CMと普通のタイミングのCM(記事では一段落CMと呼んでいる)で、どんな商品が広告されていたか、それほど区別して識別されているかは疑問でもある。山場CMの肩を持つ気はないが、記事で読む限りこのアンケートはちょっとロジック構成がユルイのが気になる。
さて、
あの手この手のCM視聴率アップについて世論を問えば、たぶん批判的な意見が多いと思う。でも本日はちょっとブラックに “テレビ(民放)というのはCMを見た「ご褒美」としてニュースやドラマを無料でみられるサービスである” の下書きでした。
この言葉は初めて聞いた。
詳しくは朝日新聞のこの記事を
記事がなくなったときのために一部を引用しておくと
ーーーーー場面を盛り上げるだけ盛り上げておいてから「正解はCMのあとで」「最新情報はこのあとすぐ」。こんなテレビの「山場CM」が多い番組に視聴者が不快感を抱いていることが、榊博文・慶応義塾大教授(社会心理学)らの調査で明らかになり近著で発表された。国際比較でも日本の山場CMは欧米より格段に多い。テレビ局側の思惑とは裏腹に、そうしたCMへの好感度が低くなり商品の購買意欲も下がるというーーーーー
「正解はCMのあとで」以外にも、番組のエンディングっぽいものを本当の番組終了の少し前に流し、CMも見終わらさせてから、あとほんの少し番組を続ける手もよく使われている。CMとは関係ないものの、〇〇時58分とか中途半端に始まる番組も多い。
すべて、あの手この手の小賢しい(こざかしい)視聴率稼ぎである。日本人は大きな発明はできない(と書くとお叱りも受けるが)けれど、細かな改良は得意である。だから視聴率稼ぎのテクニックも、もはや芸術的領域に達している(^^ゞ
あの手この手でCM視聴率はアップする。しかし、この記事によると、そういうテクニックで流されたCMの商品は「買いたくない」と答えている人が多い。広告主にとっては、これは気になるデータであろう。でも山場CMと普通のタイミングのCM(記事では一段落CMと呼んでいる)で、どんな商品が広告されていたか、それほど区別して識別されているかは疑問でもある。山場CMの肩を持つ気はないが、記事で読む限りこのアンケートはちょっとロジック構成がユルイのが気になる。
さて、
あの手この手のCM視聴率アップについて世論を問えば、たぶん批判的な意見が多いと思う。でも本日はちょっとブラックに “テレビ(民放)というのはCMを見た「ご褒美」としてニュースやドラマを無料でみられるサービスである” の下書きでした。
wassho at 16:28|Permalink│Comments(0)│
2007年10月19日
心ではなく脳が支配する広告新時代へようこそ
日経ビジネスオンラインの記事。
できたら読んで。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071018/137860/
注)
ひょっとしたら読者登録を要求されるかも知れない。
無料だけれど。
日経グループのサイトは何かと登録を要求してくるので私は嫌い。
課金するわけでもないのに、面倒で企業好感度を下げるシステムである。
もちろんすべて偽名、嘘八百の個人情報で登録している。
この記事はマーケティングを仕事としている、あるいは興味がある人なら登録してでも読む価値はあると思う。
さて、読んでくれたとして、
ウ〜ン、ヤバイ。
ニューロマーケティング。
最先端はここまで来ている。
また勉強することが増える(/o\)
脳をスキャンする装置は、たぶん大きく備え付け型で、またとても高価だ。操作に免許もいるかも知れない。つまりまだ、それほどリサーチに気軽に利用できる環境にはない。
それで
【この手の装置開発に携わっている皆様にお願い】
医療用ほどの精度は要らないから、コンパクトで操作が簡単で、これが一番大事なんだけれどクライアントに説明しやすい明確な結果のでる(^^ゞ装置の開発をお願いします。500万円までなら私も買います!
本音と建て前、見栄や謙遜、その他いろんな理由があって、人間は思っていることを正直に話さない。また潜在意識にある気持ちは話しようがない。それをいろいろな角度から検証して真実に近づいていくのがリサーチ分析ではあるものの、やっぱり限界があるし、何より面倒。そういえば私は駆け出しの頃、インタビュー調査に嘘発見器を使おうと提案して呆れられたことがある(^^ゞ
本日は “マーケティングを仕事にしているなら心理学のイロハは必須。そして、これからは脳科学も学ばないといけないかも” の下書きでした。一部の読者に限定される話でゴメン。
できたら読んで。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071018/137860/
注)
ひょっとしたら読者登録を要求されるかも知れない。
無料だけれど。
日経グループのサイトは何かと登録を要求してくるので私は嫌い。
課金するわけでもないのに、面倒で企業好感度を下げるシステムである。
もちろんすべて偽名、嘘八百の個人情報で登録している。
この記事はマーケティングを仕事としている、あるいは興味がある人なら登録してでも読む価値はあると思う。
さて、読んでくれたとして、
ウ〜ン、ヤバイ。
ニューロマーケティング。
最先端はここまで来ている。
また勉強することが増える(/o\)
脳をスキャンする装置は、たぶん大きく備え付け型で、またとても高価だ。操作に免許もいるかも知れない。つまりまだ、それほどリサーチに気軽に利用できる環境にはない。
それで
【この手の装置開発に携わっている皆様にお願い】
医療用ほどの精度は要らないから、コンパクトで操作が簡単で、これが一番大事なんだけれどクライアントに説明しやすい明確な結果のでる(^^ゞ装置の開発をお願いします。500万円までなら私も買います!
本音と建て前、見栄や謙遜、その他いろんな理由があって、人間は思っていることを正直に話さない。また潜在意識にある気持ちは話しようがない。それをいろいろな角度から検証して真実に近づいていくのがリサーチ分析ではあるものの、やっぱり限界があるし、何より面倒。そういえば私は駆け出しの頃、インタビュー調査に嘘発見器を使おうと提案して呆れられたことがある(^^ゞ
本日は “マーケティングを仕事にしているなら心理学のイロハは必須。そして、これからは脳科学も学ばないといけないかも” の下書きでした。一部の読者に限定される話でゴメン。
wassho at 18:23|Permalink│Comments(0)│
2007年10月01日
指定された以外の電池です
ダラダラと暑かった東京は28日(先週の金曜日)に、また30度を超えたと思ったら、週末の土日は冷たい雨も降って最高気温15度に急降下。つまり気温が半分になった。今日は昨日よりはマシだが、それでも最高気温20度に届くかどうかといった肌寒さ。温暖化はどこへ行った? 気温が25度前後のすごしやすい秋を返せ!
季節の変わり目は体調を崩しやすい。
そのせいか金曜の夜から携帯電話の調子がおかしくなった(^^ゞ
画面に「指定された以外の電池です」という表示が出る。通話やメールはできるが、電池が正しくないと携帯が判断しているので充電は受け付けない。もちろん電池の交換などはしていない。最初は電源を入れ直すと治ったが、しばらくするとまた表示があらわれ、最終的には表示がつきっぱなしに。
銀座のドコモショップへ行く。この携帯に買い換えたときに、購入したビックカメラではアドレスやメールのデータを新しい携帯にうまく移せなかったのだが、このショップに持ち込んだら、丁寧に作業をしてくれたので、それ以来なんとなく信頼している。相談コーナーにいる担当の人じゃなくて普通の店員でも知識が豊富だから話が早い。今回も「430番でお待ちのお客様ぁ〜」と誘導の係をしていた店員がすべて面倒を見てくれた。
故障の原因を正確に記述するのは面倒なので省略するけれど、結論はたまたま起こった誤動作の可能性が高いらしい。そして、また同じ症状が出たら「今回ご来店いただいたお客様の不具合情報はすべてのドコモショップで共有しているので、どこのドコモショップにお持ち込みいただいても、すぐに交換か修理の手配をいたします」といわれた。
よく考えると「すぐに交換か修理の手配をする」のは当然なのに「すべてのドコモショップで情報を共有」「どこのドコモショップに持ち込んでも」という言い回しで、またまた好感度アップである。もっとヨクヨク考えれば今回は「とりあえず治ったかもしれないので、しばらく様子を見てくれ。また故障するかも知れないけれどーーー」といわれたのに等しい。普通なら「しっかり確認しろ!責任者を呼べ!新品に交換しろ!」と暴れるところである(^^ゞ
信頼している上に接客態度もいいから、納得して好感度アップ。もしそうじゃない店なら暴れるーーー同じ故障でも、この上下の差は大きい。
本日は “トラブルがあっても、相手に誠意を感じられれば人間そうカッカしない。私の客はイヤなヤツばっかりだと思ったら、ちょっと自分の態度を見つめ直すのもイイカモ” の下書きでした。
季節の変わり目は体調を崩しやすい。
そのせいか金曜の夜から携帯電話の調子がおかしくなった(^^ゞ
画面に「指定された以外の電池です」という表示が出る。通話やメールはできるが、電池が正しくないと携帯が判断しているので充電は受け付けない。もちろん電池の交換などはしていない。最初は電源を入れ直すと治ったが、しばらくするとまた表示があらわれ、最終的には表示がつきっぱなしに。
銀座のドコモショップへ行く。この携帯に買い換えたときに、購入したビックカメラではアドレスやメールのデータを新しい携帯にうまく移せなかったのだが、このショップに持ち込んだら、丁寧に作業をしてくれたので、それ以来なんとなく信頼している。相談コーナーにいる担当の人じゃなくて普通の店員でも知識が豊富だから話が早い。今回も「430番でお待ちのお客様ぁ〜」と誘導の係をしていた店員がすべて面倒を見てくれた。
故障の原因を正確に記述するのは面倒なので省略するけれど、結論はたまたま起こった誤動作の可能性が高いらしい。そして、また同じ症状が出たら「今回ご来店いただいたお客様の不具合情報はすべてのドコモショップで共有しているので、どこのドコモショップにお持ち込みいただいても、すぐに交換か修理の手配をいたします」といわれた。
よく考えると「すぐに交換か修理の手配をする」のは当然なのに「すべてのドコモショップで情報を共有」「どこのドコモショップに持ち込んでも」という言い回しで、またまた好感度アップである。もっとヨクヨク考えれば今回は「とりあえず治ったかもしれないので、しばらく様子を見てくれ。また故障するかも知れないけれどーーー」といわれたのに等しい。普通なら「しっかり確認しろ!責任者を呼べ!新品に交換しろ!」と暴れるところである(^^ゞ
信頼している上に接客態度もいいから、納得して好感度アップ。もしそうじゃない店なら暴れるーーー同じ故障でも、この上下の差は大きい。
本日は “トラブルがあっても、相手に誠意を感じられれば人間そうカッカしない。私の客はイヤなヤツばっかりだと思ったら、ちょっと自分の態度を見つめ直すのもイイカモ” の下書きでした。
wassho at 20:02|Permalink│Comments(0)│
2007年09月21日
iPodのイヤホンを交換してみると

行方不明になっていたiPodは、実は今年のゴールデンウイークに、家の中を大掃除しているときに見つけた。それでNHKの4月号5月号の教材だけはすぐ買ったのだけれど、何となくまたズルズルとーーー今頃になってようやく。
久しぶりに使うiPodは、もちろん電池が空っぽ。パソコンにつないで充電しようとすると、まったく反応しない。ヤッター!壊れてる!英語の勉強サボれる!と喜んだのもつかのま、5分ほどたって充電中の表示に変わった(>_<)
月曜日は休日だったので火曜日から電車の中で聴き始めた。ところがイヤホンの片側からしか音が出ないし、全体に雑音が入る。イヤホンジャックをくるくる回したり、コードをしごいたりしてみたものの改善せず。どうも断線ぽい。というわけで、その日のうちにイヤホンを買い換えた。
よく考えると、お金を出してイヤホンを買ったのは生まれて初めての気がする。今まで使ってきたのはすべて付属品。ビッグカメラの売り場に行くと、100種類上の商品が並んでいて試聴できるようになっているのも30種類くらいある。イヤホンは人気商品らしい。
何万円もする高級イヤホンがあることは知っていたが、そこまでこだわる必要もないので 3000円ほどのを買った。
ところで今回、iPodの純正イヤホンに買い換えるつもりは最初からなかった。アメリカンサイズなのかどうかは知らないがど、iPodの純正イヤホンはサイズがちょっと大きい。私は何とか慣れたけれど、耳が痛いからといって速攻で買い換えた女性も何人か知っている。
イヤホンには大きく2種類あって、iPodの純正のような(普通の)形のイヤホンは開放型といわれる。今回、私が買ったのは密閉型とか挿入型とか呼ばれるタイプで、やや細長くなった先端部を耳の奥に少しだけ深く入れる方式。このタイプはほとんどの場合、その先端部分を交換できるようにS、M、Lのサイズ違いの付属品がついてくる。
それで、これが実に快適快感(^_^)
純正イヤホンのサイズがあっていないとはいえ、長く使っているから慣れてはいたつもりだったが、やっぱり無理していたんだなと改めて気づいた。耳にイヤホンをしているという異物感がほとんどない。どれだけ快適かを文章で伝えるのは難しいけれど、例えアップルが純正イヤホンが壊れたら無料で交換してくれるサービスを始めたとしても、もう戻れない。
人間は身体も心も順応性があって、だから生物的にも社会的にも生きていけるが、やはり自分にフィットしていることに越したことはない。順応するというのは、無意識かも知れないがストレスになっているんだなと改めて感じたしだい。
本日は “買ってくれているからといって、顧客が充分に満足しているとは限らない。本当にフィットするものを提供すれば、その顧客はずっとついてくる” と教科書的なことをいうと、マス・マーケティングでは無理とか、よほど高級品ならといわれそうだけれど “イヤホンの付属品でもできるんだか、言い訳していないで、小さなことからコツコツと” の下書きでした。
wassho at 17:08|Permalink│Comments(0)│
2007年09月03日
温暖化「米」
温暖化の影響で暖かくなった北海道のお米が美味しくなり、新たなブランド米として人気が出ているーーーというようなことをテレビでいっていた。ちょっと別のことをしていてナガラ聴きだったので正確な内容は把握していないけど。
温暖化は深刻な問題(らしい)だけれど、一方で、その副作用としての恩恵やビジネスチャンスも、問題が大きければ大きいほど存在する。たとえば環境問題も高齢化社会もいいビジネスになっている。温暖化を利用するというのは、温暖化を促進するわけじゃないし、うまい米ができれば消費者はウレシイし、いい話じゃないかと思う。温暖化の恩恵を受けられる産業は限定されるにしても、これからも増えてくる気がする。
本日は “悪い話にもオイシイ部分はある。考えてみればビジネスは問題を解決するところから始まる。機転を利かせてシブトク稼ぎましょ” の下書きでした。
温暖化は深刻な問題(らしい)だけれど、一方で、その副作用としての恩恵やビジネスチャンスも、問題が大きければ大きいほど存在する。たとえば環境問題も高齢化社会もいいビジネスになっている。温暖化を利用するというのは、温暖化を促進するわけじゃないし、うまい米ができれば消費者はウレシイし、いい話じゃないかと思う。温暖化の恩恵を受けられる産業は限定されるにしても、これからも増えてくる気がする。
本日は “悪い話にもオイシイ部分はある。考えてみればビジネスは問題を解決するところから始まる。機転を利かせてシブトク稼ぎましょ” の下書きでした。
wassho at 16:33|Permalink│Comments(0)│
2007年08月28日
横綱の育て方
この話題、前に書いたかなぁ〜。よく思い出せない。まあ、イイヤ(^^ゞ
↓↓↓
さて朝青龍が病気がどうか、相撲界のあまりすっきりしないというか陰険な体質が連日報じられているけれど、10何年か前に聞いた印象深い話を。当時は貴乃花がまだ横綱になる前だったと思う。
スポーツトレーナーの世界ではかなり有名な某氏(スポーツトレーナーという仕事もよくわからないのだが、マッサージしたり、選手の体調全般を管理するような仕事らしい)と話していたとき、なぜか相撲の話となり、彼は「横綱を育てるのなんて簡単だよ」と豪語。
彼の説明はこうだった。「例えば学校のクラスを思い出して欲しい。運動の一番できる奴は昔なら野球、今ならサッカーをやる。2番目に運動のできる奴、3番目4番目ーーーと下がっていって10番目までに相撲をする奴がいるか?」「つまり相撲をやっている連中は運動能力的にたいした素質を持ち合わせた集団じゃない」「だからクラスで一番の運動能力を持つ奴に相撲をやらせ、しかるべきトレーニングを施せば、すぐに横綱になれる」。
この話、相撲協会には内緒にしててね。
張り手くらいたくないから(^^ゞ
彼のロジックは表現が乱暴だし、すんなり横綱を育てられるかどうかは別だとしても、基本的には正しい。
私が中学の時水泳部だったことは何回か書いた。1年生は夏頃、自分の専門種目を決める。今は知らないが、当時はフリー(クロール)と平泳ぎが人気だった。私もフリーを専門にしたかったのに、タイムがビミョーだったので、背泳に転向させられた(涙)。でもフリーと平泳ぎに較べれば背泳は選手層が薄い。転向したおかげで3年生の時には地域で2位入賞できた。フリーを続けていればおそらく10位も危なかった。
ビジネスでもみんなが注目する分野は、競争もそれだけ激しい。そこにチャレンジし勝ち抜くことも立派だが、もっと広い視野で戦略を考えることも重要だと思う。上に挑戦するよりも下を叩いたほうが勝算は立てやすい(場合もある)。勝チャ何でもアリだとはいわないけれど、本日は “前向きに下を向くのも戦略のうち” の下書きでした。
↓↓↓
さて朝青龍が病気がどうか、相撲界のあまりすっきりしないというか陰険な体質が連日報じられているけれど、10何年か前に聞いた印象深い話を。当時は貴乃花がまだ横綱になる前だったと思う。
スポーツトレーナーの世界ではかなり有名な某氏(スポーツトレーナーという仕事もよくわからないのだが、マッサージしたり、選手の体調全般を管理するような仕事らしい)と話していたとき、なぜか相撲の話となり、彼は「横綱を育てるのなんて簡単だよ」と豪語。
彼の説明はこうだった。「例えば学校のクラスを思い出して欲しい。運動の一番できる奴は昔なら野球、今ならサッカーをやる。2番目に運動のできる奴、3番目4番目ーーーと下がっていって10番目までに相撲をする奴がいるか?」「つまり相撲をやっている連中は運動能力的にたいした素質を持ち合わせた集団じゃない」「だからクラスで一番の運動能力を持つ奴に相撲をやらせ、しかるべきトレーニングを施せば、すぐに横綱になれる」。
この話、相撲協会には内緒にしててね。
張り手くらいたくないから(^^ゞ
彼のロジックは表現が乱暴だし、すんなり横綱を育てられるかどうかは別だとしても、基本的には正しい。
私が中学の時水泳部だったことは何回か書いた。1年生は夏頃、自分の専門種目を決める。今は知らないが、当時はフリー(クロール)と平泳ぎが人気だった。私もフリーを専門にしたかったのに、タイムがビミョーだったので、背泳に転向させられた(涙)。でもフリーと平泳ぎに較べれば背泳は選手層が薄い。転向したおかげで3年生の時には地域で2位入賞できた。フリーを続けていればおそらく10位も危なかった。
ビジネスでもみんなが注目する分野は、競争もそれだけ激しい。そこにチャレンジし勝ち抜くことも立派だが、もっと広い視野で戦略を考えることも重要だと思う。上に挑戦するよりも下を叩いたほうが勝算は立てやすい(場合もある)。勝チャ何でもアリだとはいわないけれど、本日は “前向きに下を向くのも戦略のうち” の下書きでした。
wassho at 17:59|Permalink│Comments(0)│
2007年08月23日
できたら安倍さんにもアドバイスしたい(^^ゞ
本日、東京はちょっと涼しい。
最高気温は27度で昨日より10度も低い。明日はまた34度らしいが、向こう1週間の予報ではもう35度を超える日はないらしい。
そろそろ残暑(クドイ)も近い。
明日の天気を知りたい時、ほとんどの人は天気予報を参考にするだろう。今ならネットでいつでも調べられる。何時間かおきに天気予報を携帯に送ってくれるサービスもある。ときどきハズれるけれど(そういや、今年は最初、冷夏のハズだった)天気予報を頼りにいろいろと予定を立てる。
一般の人はそれで充分だが、天気に生活や身の安全がかかっている人は、いわゆる天気予報だけじゃなく天気図その他の気象情報をもとに自分なりの判断も加える。それに雲の形や動き、風の感じなどをよく観察している。パイロット、船の航海士、ヨットマン、登山家ーーーー私もサーフィンをしていた頃は低気圧の位置をよく見ていた。漁師や農家が天気図を見ているかどうか知らないが、肌で感じる天候の変化には敏感に違いない。
天気予報はいうまでもなく気象情報を元に気象台や天気予報士が予想・判断したものである。ひらたくいえば「他人の意見」。
生活、あるいはマーケティングやビジネスで接する情報には天気図のようなナマの一次情報と天気予報のような他人の判断による二次情報がある。二次情報のほうがわかりやすいし、プロが分析した情報だから何となく安心感もある。でも二次情報ばかりに頼っていると、本当の判断力はなかなか養われない。
株で「とっても」儲けている人は何らかのデータ分析をしている人が多い。評論家の話やアナリストのレポートしか読んでいない人とは、その努力の差が儲けの差につながっている。マーケットリサーチの報告会をすると、優秀なクライアントはデータによく目を通している。優秀でないクライアントの場合は、私のつけたコメントに一喜一憂している(^^ゞ 昔、某企業の「天皇」「影の社長」と恐れられた専務の部屋には壁一面の本棚に経営に関する本が並んでいたが、店頭も見ず社員や取引先ともほとんど話さない彼の会社はやがて傾いた。教科書通りの経営改革プロジェクトは年中やっていたけれどーーー。
我々の接する情報のほとんどは二次情報である。例え仕事や趣味の専門分野に限ったとしても、すべての一次情報を取捨選択し分析している時間はない。それでもできるだけ一次情報に接してを分析する努力を続けないと判断力や勘といったものが養われない、いつまで立っても向上しないのでご注意を。
本日は “KYにならないための講座” の下書きでした(^^ゞ
※KY=空気読めないの略。最近、安倍さんはこう呼ばれているらしい。
最高気温は27度で昨日より10度も低い。明日はまた34度らしいが、向こう1週間の予報ではもう35度を超える日はないらしい。
そろそろ残暑(クドイ)も近い。
明日の天気を知りたい時、ほとんどの人は天気予報を参考にするだろう。今ならネットでいつでも調べられる。何時間かおきに天気予報を携帯に送ってくれるサービスもある。ときどきハズれるけれど(そういや、今年は最初、冷夏のハズだった)天気予報を頼りにいろいろと予定を立てる。
一般の人はそれで充分だが、天気に生活や身の安全がかかっている人は、いわゆる天気予報だけじゃなく天気図その他の気象情報をもとに自分なりの判断も加える。それに雲の形や動き、風の感じなどをよく観察している。パイロット、船の航海士、ヨットマン、登山家ーーーー私もサーフィンをしていた頃は低気圧の位置をよく見ていた。漁師や農家が天気図を見ているかどうか知らないが、肌で感じる天候の変化には敏感に違いない。
天気予報はいうまでもなく気象情報を元に気象台や天気予報士が予想・判断したものである。ひらたくいえば「他人の意見」。
生活、あるいはマーケティングやビジネスで接する情報には天気図のようなナマの一次情報と天気予報のような他人の判断による二次情報がある。二次情報のほうがわかりやすいし、プロが分析した情報だから何となく安心感もある。でも二次情報ばかりに頼っていると、本当の判断力はなかなか養われない。
株で「とっても」儲けている人は何らかのデータ分析をしている人が多い。評論家の話やアナリストのレポートしか読んでいない人とは、その努力の差が儲けの差につながっている。マーケットリサーチの報告会をすると、優秀なクライアントはデータによく目を通している。優秀でないクライアントの場合は、私のつけたコメントに一喜一憂している(^^ゞ 昔、某企業の「天皇」「影の社長」と恐れられた専務の部屋には壁一面の本棚に経営に関する本が並んでいたが、店頭も見ず社員や取引先ともほとんど話さない彼の会社はやがて傾いた。教科書通りの経営改革プロジェクトは年中やっていたけれどーーー。
我々の接する情報のほとんどは二次情報である。例え仕事や趣味の専門分野に限ったとしても、すべての一次情報を取捨選択し分析している時間はない。それでもできるだけ一次情報に接してを分析する努力を続けないと判断力や勘といったものが養われない、いつまで立っても向上しないのでご注意を。
本日は “KYにならないための講座” の下書きでした(^^ゞ
※KY=空気読めないの略。最近、安倍さんはこう呼ばれているらしい。
wassho at 17:52|Permalink│Comments(0)│
2007年07月31日
マーケティングの日

こことか ここでも見て。ちなみに今日はパラグライダー記念日らしい。
昨日は土用の丑(うし)の日ということで駅前のスーパーでは売り場だけじゃなく店頭でもウナギの蒲焼きや鰻丼を販売していた。土用の丑の日というのは昔の暦の概念だから、今の暦では一定していなくて大体7月の終わりから8月の最初にくる。どういう理屈なのか知らないが年に1回の年と2回の年がある。来年は7月24日と8月4日である。なお正確には土用の丑の日は春夏秋冬にそれぞれある。
土用の丑の日にはウナギを食べることになっている。その起源は諸説あるけれど一般的には江戸時代の蘭学者で発明家の平賀源内が知り合いのウナギ屋に頼まれ「丑の日にウの字の物を食べると夏負けしない」とデッチあげたキャンペーンに由来するとされている。
平賀源内というのは日本のレオナルド・ダ・ヴィンチみたいな人で多方面で業績を残している。このウナギのキャンペーンの他にも、日本で最初のCMソングも作ったらしい。発明家としてはエレキテル(電気発生装置だったか?)が有名。彼のことはそんなに知らないものの、何となく楽しそうなオッサンである。それで私は彼に敬意を表して土用の丑の日を勝手に「マーケティングの日」と呼んでいる(^^ゞ
かれこれ200年以上もこのキャンペーンの効果が続いているのは、夏バテの時期に栄養価の高そうなウナギという組み合わせに信憑性があったからだろう。マーケティングは人を騙すーーーというと聞こえが悪いので、人をノセる技術でもあるが、やはりそこには何パーセントかの真実がなければ長続きしない。広告費にものをいわせた無理矢理マーケティングでは、やはり金の切れ目が縁の切れ目となってしまう。ブランドマーケティングと称するものには、最近そういうのが多い気もする。
ところでご指摘メールを頂戴して気がついたんだけれど,
7月26日と7月30日のブログを修正したい。
7月26日
衆議院で与党は2/3以上いる。
定数480名。その2/3は320名。現在自民党305名、公明党31名の336名である。民主党って、そんなに少なかったのね(112名)
だから参議院で法案を否決しても衆議院で再可決できる。でも聞くところによると自民党の強行採決ならぬ民主党は強行審議拒否作戦で廃案に持ち込む作戦らしい。その場合、衆議院には法案が戻らないので成立しない。
7月30日
遠くの雷でも安全じゃないけれど、正確にいうなら、もちろん近くの雷のほうがより危険。雷の発生するエリアの中心部のほうが落雷の密度は高いとしても、10キロ以上離れた周辺部でも落雷する可能性があるということをいいたかった。
他にも時々間違ったことを書いているのでユルサレヨm(_ _)m
wassho at 17:27|Permalink│Comments(0)│
2007年06月07日
4人の心を動かす
日経産業で読んだ記事。
オニツカタイガー(知ってる?スニーカーのブランドです)が、ちょっとレトロな、希少価値のある商品としてセレクトショップなどで人気らしいが、そのあたりの内容。
記事の紹介は省略するが、オニツカタイガーの企画担当者いわく、商品をヒットさせるには「4人の心を動かす」必要がある。
●メーカー(自社)の営業担当
●店舗のバイヤー(仕入れ担当者)
●店舗の販売員
●消費者
消費者に買ってもらう前に、営業担当に売ってもらわなければならないし、お店に仕入れてもらわなければならないし、お店で売ってもらわなければならないから、当たり前といえば当たり前の話。でも、なかなかそこまで考え抜いたマーケティングを実行している企業は少ない気がする。
消費者の目線で考えるのがマーケティングの基本だが(それ自体が実際はトッテモ難しいのだけれど)、残り3名の目線で考えるということに10%位の力を割くように心掛ける、あるいは決めておくのはいいかもしれない。多くの視点で考えるというのは、それだけで有益である。
ーーーと、書きつつではあるが
消費者以外の3人はプロである。プロの考えることは消費者の考えることとずれることも多い。
(実名ではかけないので、違う商品に置き換えて似たような話を書きます)
かなり昔、花柄の鉛筆を企画した。
消費者調査でも反応は上々。
企画担当者は絶対の自信を持っていた。
しかし文具屋さんは「鉛筆というのは無地に決まってる。こんな派手なものが売れるわけがない」といって仕入れてくれなかった。
何だかんだで2年間、その商品は日の目を見なかった。
業を煮やした企画担当者は「売れなかったら、すべて引き取るし、その間の陳列の場所代も払う」と、強引にいくつかの文房具店に花柄鉛筆を並べた。
花柄鉛筆は陳列したその日から飛ぶように売れた。
ーーーということもあった。
プロの考えることは消費者の考えることとずれることも多い。
なにか混乱するような書き方になってしまったが「4人の心を動かす」というのは4人の言い分を鵜呑みにするということではないので誤解のなきよう。消費者だって意見と行動は結構違う。
どうも頭も筋肉痛のようで(^^ゞ 本日は書き出しと書き終わりがチグハグだけれど “「4人」という目線の多さと「心を動かす」というマーケティングの本質部分に着目していただければ幸いです” の下書きでした。
オニツカタイガー(知ってる?スニーカーのブランドです)が、ちょっとレトロな、希少価値のある商品としてセレクトショップなどで人気らしいが、そのあたりの内容。
記事の紹介は省略するが、オニツカタイガーの企画担当者いわく、商品をヒットさせるには「4人の心を動かす」必要がある。
●メーカー(自社)の営業担当
●店舗のバイヤー(仕入れ担当者)
●店舗の販売員
●消費者
消費者に買ってもらう前に、営業担当に売ってもらわなければならないし、お店に仕入れてもらわなければならないし、お店で売ってもらわなければならないから、当たり前といえば当たり前の話。でも、なかなかそこまで考え抜いたマーケティングを実行している企業は少ない気がする。
消費者の目線で考えるのがマーケティングの基本だが(それ自体が実際はトッテモ難しいのだけれど)、残り3名の目線で考えるということに10%位の力を割くように心掛ける、あるいは決めておくのはいいかもしれない。多くの視点で考えるというのは、それだけで有益である。
ーーーと、書きつつではあるが
消費者以外の3人はプロである。プロの考えることは消費者の考えることとずれることも多い。
(実名ではかけないので、違う商品に置き換えて似たような話を書きます)
かなり昔、花柄の鉛筆を企画した。
消費者調査でも反応は上々。
企画担当者は絶対の自信を持っていた。
しかし文具屋さんは「鉛筆というのは無地に決まってる。こんな派手なものが売れるわけがない」といって仕入れてくれなかった。
何だかんだで2年間、その商品は日の目を見なかった。
業を煮やした企画担当者は「売れなかったら、すべて引き取るし、その間の陳列の場所代も払う」と、強引にいくつかの文房具店に花柄鉛筆を並べた。
花柄鉛筆は陳列したその日から飛ぶように売れた。
ーーーということもあった。
プロの考えることは消費者の考えることとずれることも多い。
なにか混乱するような書き方になってしまったが「4人の心を動かす」というのは4人の言い分を鵜呑みにするということではないので誤解のなきよう。消費者だって意見と行動は結構違う。
どうも頭も筋肉痛のようで(^^ゞ 本日は書き出しと書き終わりがチグハグだけれど “「4人」という目線の多さと「心を動かす」というマーケティングの本質部分に着目していただければ幸いです” の下書きでした。
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2007年06月01日
サービス精神
私が通っている理容室はオフィスの近くにある。ということは銀座だから、それなりの高級店である。ブースに仕切られた半分個室のようなところでカットする。私の担当は店長。オーナーというのがその上にいるのでNO2のポジションだが腕もいい。「髪の毛が多く見えるようにカットしてくれ」という私の無理難題にも、可能な範囲で応えてくれている(^^ゞ
昔風にいうなら
理容室=散髪屋
美容室=パーマ屋
理容室はひげを剃れて、美容室は剃れないという免許の違いがあることはご存じかと思うが、理容室に行ったことのない女性と、美容室に行ったことのない男性のために書くと、両者にはもうひとつ大きな違いがある。
シャンプーの時
理容室=洗面台に上体を倒して前屈みになる
美容室=椅子を後ろに倒して仰向けになる
なぜ、こんな違いが生まれたのかよく知らないが、どっちが楽かといえば仰向けになる美容室スタイルである。ついでに解説すると、美容室ではカットする場所とシャンプーする場所が別だが、理容室は同じ場所。カットする椅子の前に鏡と洗面台がある。
この店も始めていったとき、当然のごとく前屈みでシャンプーさせられたけれど「なぜ、理容室と美容室で違うのか」みたいな雑談をすると、「仰向きでもできます」と後半のシャンプーの時は椅子を回転させ倒しててくれた。
さすが高級店だなと思ったのは2度目にいったときは、何も言わずにシャンプーの時になると椅子を回転させて仰向きにしてくれたこと。また実はこの店、仰向けになると照明の位置の関係でまぶしいのだけれど、それも雑談で言うと次の時から目の上に被せるカバーが2枚になった。他にもいろいろある。とにかく同じお願いは2度しなくてすむ。
お店の人はそうしたとは一言も言わないし、こちらもわざわざありがとうとはいわないものの、そういった気配りは値段以上の満足感となる。
こういった気配りはコストゼロである。大衆店でもできるはず。でもそれができないのは直接的なコストはゼロでも、しっかりした接客ポリシーを持つとか、継続的に教育するとかの間接的なコストが、言うは易く行うは難しだからだろう。
でも本日は “気配りのススメとかいうと何か説教臭いけれど、ビジネスで大事なのは接客業に限らず客を喜ばせようというサービス精神。気配りはその元となるひとつ。エッ、間接コストがかかるって? 投資なくしてリターンなしですぞ。投資には、チェッ面倒クセエ〜という気持ちを抑えることも含まれます” の下書きでした。
昔風にいうなら
理容室=散髪屋
美容室=パーマ屋
理容室はひげを剃れて、美容室は剃れないという免許の違いがあることはご存じかと思うが、理容室に行ったことのない女性と、美容室に行ったことのない男性のために書くと、両者にはもうひとつ大きな違いがある。
シャンプーの時
理容室=洗面台に上体を倒して前屈みになる
美容室=椅子を後ろに倒して仰向けになる
なぜ、こんな違いが生まれたのかよく知らないが、どっちが楽かといえば仰向けになる美容室スタイルである。ついでに解説すると、美容室ではカットする場所とシャンプーする場所が別だが、理容室は同じ場所。カットする椅子の前に鏡と洗面台がある。
この店も始めていったとき、当然のごとく前屈みでシャンプーさせられたけれど「なぜ、理容室と美容室で違うのか」みたいな雑談をすると、「仰向きでもできます」と後半のシャンプーの時は椅子を回転させ倒しててくれた。
さすが高級店だなと思ったのは2度目にいったときは、何も言わずにシャンプーの時になると椅子を回転させて仰向きにしてくれたこと。また実はこの店、仰向けになると照明の位置の関係でまぶしいのだけれど、それも雑談で言うと次の時から目の上に被せるカバーが2枚になった。他にもいろいろある。とにかく同じお願いは2度しなくてすむ。
お店の人はそうしたとは一言も言わないし、こちらもわざわざありがとうとはいわないものの、そういった気配りは値段以上の満足感となる。
こういった気配りはコストゼロである。大衆店でもできるはず。でもそれができないのは直接的なコストはゼロでも、しっかりした接客ポリシーを持つとか、継続的に教育するとかの間接的なコストが、言うは易く行うは難しだからだろう。
でも本日は “気配りのススメとかいうと何か説教臭いけれど、ビジネスで大事なのは接客業に限らず客を喜ばせようというサービス精神。気配りはその元となるひとつ。エッ、間接コストがかかるって? 投資なくしてリターンなしですぞ。投資には、チェッ面倒クセエ〜という気持ちを抑えることも含まれます” の下書きでした。
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2007年05月23日
家族は競い合わない
時々バイトに来てくれる女優の卵の卵の劇団員をしている女性が、某商品のホームページに出演している。キャンペーン広告で展開されている、様々な職業の女性の1週間をドキュメンタリー風に追いかけて、その商品と結びつけるというショートフィルム。いろいろ事情があるので商品名は書かないでおく。ゴメン。
さて、そのホームページにレストランのプロデューサーのような仕事をしている女性のドキュメンタリーもあった。開店1週間前なのに内装工事は遅れている、従業員のトレーニングは終わっていないドタバタ、ドタバターーーみたいな内容。
彼女はとても厳しく従業員を訓練するのだが、反省会みたいなところで言った言葉が印象的だった。
「私はお店(従業員)というのは家族だと思っている」
「家族は競い合わないでしょ」
「家族は助けあうもの」
日本的経営とされるものの1つに家族的経営といわれるものがある。どんな経営なのか特に定義はないものの、社員を家族のように大切に扱うというようなことを指す場合が多い。それ自体は悪いことではないが、悪しき平等主義つまり能力主義の反対ーーー仕事ができてもできなくても給料に差が出ないとかーーーどちらかというと現在では否定的なニュアンスで使われることが多い。
その社員は家族だという経営者は少なくなっていると思う。そりゃリストラでどんどん解雇するから、とても家族とは呼べない。今までリストラしない方針だった企業がリストラに踏み切ると家族的経営からの脱却ーーーなんて言われたりもする。脱却というのは肯定的評価だ。
さて、どんどんと競争社会である。競争すれば勝ち負けが生まれ格差社会になっていく。それはさておきなぜ競争するのかというと、競争によって進歩・成長するから。みんな平等、1億総中流でやっていける古き良き時代にはもう戻れない。格差は、是正するかどうかは別として、それは競争の結果生まれる必要悪。そして競争を怠れば日本自体が負け組になってしまう。
ーーーだとは思うんだけれど
「競い合わないで助け合う」というのは妙に心に引っかかるフレーズなのである。
労働者はみんな等しく平等という古典的な共産主義は、怠けてがんばらないやつが出てくるという人間性を無視しているから当然成り立たない。助け合うという言葉の響きは美しいが、これも助けるやつと助けられるやつに別れていくはず。つまりは成り立たない。
そんなことはわかっていても、競争と格差是正の中間に何か必要だと感じているから「競い合わないで助け合う」が心に引っかかったのかも知れない。
さて本日は “このへんのところを上手に理論化、コンセプト化して、どちらの政党でも構いませんから「格差是正!」と中身のないキャッチフレーズの変わりにお使い下さい” の下書きでした。
さて、そのホームページにレストランのプロデューサーのような仕事をしている女性のドキュメンタリーもあった。開店1週間前なのに内装工事は遅れている、従業員のトレーニングは終わっていないドタバタ、ドタバターーーみたいな内容。
彼女はとても厳しく従業員を訓練するのだが、反省会みたいなところで言った言葉が印象的だった。
「私はお店(従業員)というのは家族だと思っている」
「家族は競い合わないでしょ」
「家族は助けあうもの」
日本的経営とされるものの1つに家族的経営といわれるものがある。どんな経営なのか特に定義はないものの、社員を家族のように大切に扱うというようなことを指す場合が多い。それ自体は悪いことではないが、悪しき平等主義つまり能力主義の反対ーーー仕事ができてもできなくても給料に差が出ないとかーーーどちらかというと現在では否定的なニュアンスで使われることが多い。
その社員は家族だという経営者は少なくなっていると思う。そりゃリストラでどんどん解雇するから、とても家族とは呼べない。今までリストラしない方針だった企業がリストラに踏み切ると家族的経営からの脱却ーーーなんて言われたりもする。脱却というのは肯定的評価だ。
さて、どんどんと競争社会である。競争すれば勝ち負けが生まれ格差社会になっていく。それはさておきなぜ競争するのかというと、競争によって進歩・成長するから。みんな平等、1億総中流でやっていける古き良き時代にはもう戻れない。格差は、是正するかどうかは別として、それは競争の結果生まれる必要悪。そして競争を怠れば日本自体が負け組になってしまう。
ーーーだとは思うんだけれど
「競い合わないで助け合う」というのは妙に心に引っかかるフレーズなのである。
労働者はみんな等しく平等という古典的な共産主義は、怠けてがんばらないやつが出てくるという人間性を無視しているから当然成り立たない。助け合うという言葉の響きは美しいが、これも助けるやつと助けられるやつに別れていくはず。つまりは成り立たない。
そんなことはわかっていても、競争と格差是正の中間に何か必要だと感じているから「競い合わないで助け合う」が心に引っかかったのかも知れない。
さて本日は “このへんのところを上手に理論化、コンセプト化して、どちらの政党でも構いませんから「格差是正!」と中身のないキャッチフレーズの変わりにお使い下さい” の下書きでした。
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2007年05月22日
中間の中間
コンビニの売り上げ(既存店)が10ヶ月連続で前年実績を下回った。コンビニの数が増えコンビニ同士で客を奪い合っていること、また他業態との競争も激しいと報じられている。おごれる平家も久しからずか?
私自身も昨年引っ越してからコンビニに行く機会が極端に減った。理由はきわめて単純で、駅の改札をでたすぐ先に中型規模のスーパーがあって、そこが夜の12時まで開いているから。
ただ、そのスーパーはお弁当やお総菜の類はあまり充実していないというか、夜遅いともう売り切れているし、そもそもあまり美味しくないし、お総菜は揚げ物に偏っている。トッテモ不満。
それで、土曜か日曜のテレビで観たこのnews-chef。詳しくはホームページを見てもらうとして、簡単に言うと「生の素材」が「プラスティック容器」に納められていて、一緒に付いてくるソースや調味料を入れてレンジでチンすれば料理が出来上がるというもの。レンジでチンするレトルト食品はいろいろあるが、この商品は生の素材というのが特色。テレビでは米を炊いてかやくご飯のようなものを作っていた。
食べてみないことには美味しいかどうかわからないが、テレビで見た限りではなかなかよさそう。でもホームページを見てガッカリしたのは、現時点で取扱店は都内で5店舗しかないこと。もし美味しいのなら、駅前のスーパーはお総菜売り場を縮小、いや撤廃してもいいから取り扱って欲しい。
ところで、この商品がおもしろいと思ったのは、
私の食い意地が張っているからではない。
前にも書いた 中食(なかしょく)。この商品もチンするだけだからコンビニ弁当と同じ中食に分類されるんだろうけれど、同じチンでも暖めるのではなくて、素材を調理するチンだから、中食とウチ食の中間のような気がする。そもそも外食とウチ食の中間が中食だったのに、さらにその中間というところがマーケティング的におもしろい。いろいろと応用できる業界や業態はありそうだ。
本日は “無から発想するのは難しいものだが、とりあえず中間とか、中間の中間とかの視点で眺めれば何かひらめくかも” の下書きでした。
私自身も昨年引っ越してからコンビニに行く機会が極端に減った。理由はきわめて単純で、駅の改札をでたすぐ先に中型規模のスーパーがあって、そこが夜の12時まで開いているから。
ただ、そのスーパーはお弁当やお総菜の類はあまり充実していないというか、夜遅いともう売り切れているし、そもそもあまり美味しくないし、お総菜は揚げ物に偏っている。トッテモ不満。
それで、土曜か日曜のテレビで観たこのnews-chef。詳しくはホームページを見てもらうとして、簡単に言うと「生の素材」が「プラスティック容器」に納められていて、一緒に付いてくるソースや調味料を入れてレンジでチンすれば料理が出来上がるというもの。レンジでチンするレトルト食品はいろいろあるが、この商品は生の素材というのが特色。テレビでは米を炊いてかやくご飯のようなものを作っていた。
食べてみないことには美味しいかどうかわからないが、テレビで見た限りではなかなかよさそう。でもホームページを見てガッカリしたのは、現時点で取扱店は都内で5店舗しかないこと。もし美味しいのなら、駅前のスーパーはお総菜売り場を縮小、いや撤廃してもいいから取り扱って欲しい。
ところで、この商品がおもしろいと思ったのは、
私の食い意地が張っているからではない。
前にも書いた 中食(なかしょく)。この商品もチンするだけだからコンビニ弁当と同じ中食に分類されるんだろうけれど、同じチンでも暖めるのではなくて、素材を調理するチンだから、中食とウチ食の中間のような気がする。そもそも外食とウチ食の中間が中食だったのに、さらにその中間というところがマーケティング的におもしろい。いろいろと応用できる業界や業態はありそうだ。
本日は “無から発想するのは難しいものだが、とりあえず中間とか、中間の中間とかの視点で眺めれば何かひらめくかも” の下書きでした。
wassho at 16:27|Permalink│Comments(0)│
2007年05月18日
スケジュール調整の見切り
ちょっとだけ昨日の続き。
他人とのスケジュール調整は面倒な作業だ。ところで以前勤務したコンサルティング会社にはユニークな制度があった。
社員には全員A4サイズのダイアリーが支給される。そこに予定を書き込んでスケジュール管理をするわけだけれど、ポイントは他人のダイアリーに勝手に予定を書き込んでいいこと。つまりAさんとBさんと一緒に明日の午後1時に(株)ワッショへ行きたければ、彼らのダイアリーを見て空いていれば、そう書き込む。
そしてAさんとBさんの了承は要らない。原則的に書き込まれた予定は拒否できない。外出はしないが社内で仕事をしたいときは、ダイアリーにその旨を書いておかなければならない。また書き込みは上下の関係なく可能。平社員が社長のスケジュールを押さえることもできた。
外出先でスケジュール調整をするとき、自分のダイアリーがどうなっているかわからないという欠点はあったものの(ダイアリーは常にデスクに置いてなければならない)、相手の都合を構わず社内のスケジュール調整に時間をかけなくていいというメリットのほうが上回っていたと思う。今はパソコンでダイアリーを共有したり、それを外出先から携帯で操作するということもできる。
でも、空いていれば相手の了承なく勝手に書き込んでいいという「見切った」ルールがなければ時間節約にはならないはず。それに連れて行きたい人間を自由に連れていけるというのは社内の活性化にもつながっていたと思う。よかったらお試しを。
他人とのスケジュール調整は面倒な作業だ。ところで以前勤務したコンサルティング会社にはユニークな制度があった。
社員には全員A4サイズのダイアリーが支給される。そこに予定を書き込んでスケジュール管理をするわけだけれど、ポイントは他人のダイアリーに勝手に予定を書き込んでいいこと。つまりAさんとBさんと一緒に明日の午後1時に(株)ワッショへ行きたければ、彼らのダイアリーを見て空いていれば、そう書き込む。
そしてAさんとBさんの了承は要らない。原則的に書き込まれた予定は拒否できない。外出はしないが社内で仕事をしたいときは、ダイアリーにその旨を書いておかなければならない。また書き込みは上下の関係なく可能。平社員が社長のスケジュールを押さえることもできた。
外出先でスケジュール調整をするとき、自分のダイアリーがどうなっているかわからないという欠点はあったものの(ダイアリーは常にデスクに置いてなければならない)、相手の都合を構わず社内のスケジュール調整に時間をかけなくていいというメリットのほうが上回っていたと思う。今はパソコンでダイアリーを共有したり、それを外出先から携帯で操作するということもできる。
でも、空いていれば相手の了承なく勝手に書き込んでいいという「見切った」ルールがなければ時間節約にはならないはず。それに連れて行きたい人間を自由に連れていけるというのは社内の活性化にもつながっていたと思う。よかったらお試しを。
wassho at 16:19|Permalink│Comments(0)│
2007年05月16日
ウェッブで検索してね
最近テレビコマーシャルの最後のほうに、検索窓にその商品名が入ってボタンをクリックするというような図柄が流れることが多い。詳しいことはウェッブで検索してねというアピールである。
ちょっと話は横道にずれるが、テレビのコマーシャルを英略語で書いたり話すとき普通はCMという。しかし広告・テレビ業界的にはCFという言葉を使う。さてCMは「コ」「マ」−シャルの略ではなく
CM=コマーシャル メッセージ
CF=コマーシャル フィルム
理屈的にはCMはテレビのコマーシャルだけでなくすべての宣伝を含む。だからテレビコマーシャルに限定するときはCFという。しかしCMで雑誌広告を連想することはないわけで、CFとわざわざ呼ぶのは何となく業界キザっぽいところがあって私は好きじゃない。広告関連の打ち合わせでは、いつもCMと言ってささやかな抵抗をしている。あっ!こんなことを書いて初めて気づいたけれど、ラジオのコマーシャルは別の呼び方があるのだろうか?
さてCMでウエッブで検索してねというアピールがされるようになったのは最近のことだ。そんなことを気にしてテレビを見ているわけではないから正確じゃないかも知れないが、わーっと増えてきたのは数ヶ月前からだと思う。
CMでいちばんコアなメッセージを訴え、後はウエッブでよろしくーーーというのは理論的には正しいように見える。CMは15秒間だから、伝えられる情報量には限界がある。ウエッブでは限界はない。
しかし私は、このウエッブで検索してね方式がうまく機能するかにはちょっと疑問があるというか興味深く観察している。
1)
CMを見ても関心のない人はいくら叫ばれてもウエッブには行かない。つよく関心を持てば言われなくてもウエッブで調べる人も多いだろう。問題は、その中間のちょい関心があって「検索してね」と言われてはじめてウエッブに行く人をどれだけ獲得できるか。
2)
ウエッブに引きずり込んだら商品を買うとは限らない。そこでさらに関心を持ったり納得させなければならない。「検索してね」とCMしている商品のホームページをいくつかいってみたが、トホホな内容のところも少なくなかった。
3)
そもそも情報が多ければ多いほど、商品を買いたくなると考えるのは間違っている。商品内容にもよるが、消費者はほとんどの商品をそれほど深く検討して購入するわけではない。トホホなホームページは情報過多な場合も多い。CM連動型のホームページのあり方は大きな課題だ。
4)
上にも関連して「後はウエッブで検索してね」だとCMのクリエイティビティが下がらないか心配である。15秒で売ることに知恵を絞りに絞ってCMは発展してきた。それでなくても出来のいいCMが少なくなっているのに。
最近マーケティング・ネタが少ないとお叱りを受けることも多いので、
久しぶりにそれっぽい話を。
ちょっと話は横道にずれるが、テレビのコマーシャルを英略語で書いたり話すとき普通はCMという。しかし広告・テレビ業界的にはCFという言葉を使う。さてCMは「コ」「マ」−シャルの略ではなく
CM=コマーシャル メッセージ
CF=コマーシャル フィルム
理屈的にはCMはテレビのコマーシャルだけでなくすべての宣伝を含む。だからテレビコマーシャルに限定するときはCFという。しかしCMで雑誌広告を連想することはないわけで、CFとわざわざ呼ぶのは何となく業界キザっぽいところがあって私は好きじゃない。広告関連の打ち合わせでは、いつもCMと言ってささやかな抵抗をしている。あっ!こんなことを書いて初めて気づいたけれど、ラジオのコマーシャルは別の呼び方があるのだろうか?
さてCMでウエッブで検索してねというアピールがされるようになったのは最近のことだ。そんなことを気にしてテレビを見ているわけではないから正確じゃないかも知れないが、わーっと増えてきたのは数ヶ月前からだと思う。
CMでいちばんコアなメッセージを訴え、後はウエッブでよろしくーーーというのは理論的には正しいように見える。CMは15秒間だから、伝えられる情報量には限界がある。ウエッブでは限界はない。
しかし私は、このウエッブで検索してね方式がうまく機能するかにはちょっと疑問があるというか興味深く観察している。
1)
CMを見ても関心のない人はいくら叫ばれてもウエッブには行かない。つよく関心を持てば言われなくてもウエッブで調べる人も多いだろう。問題は、その中間のちょい関心があって「検索してね」と言われてはじめてウエッブに行く人をどれだけ獲得できるか。
2)
ウエッブに引きずり込んだら商品を買うとは限らない。そこでさらに関心を持ったり納得させなければならない。「検索してね」とCMしている商品のホームページをいくつかいってみたが、トホホな内容のところも少なくなかった。
3)
そもそも情報が多ければ多いほど、商品を買いたくなると考えるのは間違っている。商品内容にもよるが、消費者はほとんどの商品をそれほど深く検討して購入するわけではない。トホホなホームページは情報過多な場合も多い。CM連動型のホームページのあり方は大きな課題だ。
4)
上にも関連して「後はウエッブで検索してね」だとCMのクリエイティビティが下がらないか心配である。15秒で売ることに知恵を絞りに絞ってCMは発展してきた。それでなくても出来のいいCMが少なくなっているのに。
最近マーケティング・ネタが少ないとお叱りを受けることも多いので、
久しぶりにそれっぽい話を。
wassho at 15:54|Permalink│Comments(0)│
2007年05月11日
ドコモ 2.0
ドコモが「そろそろ反撃していいですか?」と挑発的なコピーでの広告を始めている。
依然50%以上のシェアを持つ王者ドコモだけれど、番号ポータビリティー制では7ヶ月連続で転出が転入を上回り「1人負け」とも揶揄されている。反撃しますというのは、裏返せば、今まで負けていたことを認めることでもあり、ずいぶん思い切ったコピーでもある。
「そろそろ反撃していいですか?」のコピーの下にはドコモ 2.0と書かれている。これはウエッブ2.0というIT系マーケティングの用語をもじったもの。
ウエッブ2.0とは、会社案内がホームページに置き換わっただけのような、すなわち一方通行な情報発信の時代(ウエッブ1.0)から、例えばブログや各種の書き込み掲示板のように参加者主体というか相互の情報発信の形態に変わってきたことを指す。1.0とか2.0というのはソフトウエアのバージョンアップになぞらえたものだろう。
マーケティングやコンサルティングの業界はキーワードをぶちあげて、それを一人歩きさせて騒ぎ立て、稼ぎの種にする傾向があるが、ウエッブ2.0はここ1年くらいその先頭を走っているキーワードの1つ。
さて、ドコモ 2.0の正体は1台の携帯に2つの電話番号を持てるのと、その2つめの料金がソフトバンクのホワイトプランより安いというのがメインらしい。その評価はさておいておいて、この時期に2.0という言葉を使うのはいいセンスだ。
携帯電話が好きな&デジタルやITが好きなオタク系な消費者なら、今この言葉は旬である。半年前なら理解できる人数が少なすぎただろう。半年先ならマーケティングキーワードの宿命で、もうすたれているかもしれない。消費者全体で考えれば2.0の意味を理解できる人は限られるが、2というのは1(最初)の次のイメージがあるので、ドコモの宣伝量をもってすれば、多くの人に「新しい」というイメージは伝わるはずだ(これが3.0や4.0では難しい)。最初に書いたように負けを認めたことも、余裕すら感じさせる。
1.0から2.0へ大きなバージョンアップという視点で、自分やビジネスを振り返ってみるのもいいかもしれない。私は普通のサラリーマンを辞めて、この仕事を始めた時点でwassho 2.0になったと思っているが、それはずいぶん大昔。とっくに3.0になっていなければいけないのにソレガナカナカ。努力を重ねれば2.1、2.2−−−とコンマ以下のマイナーチェンジはできるかも知れないけれど、1の位を動かすには、それ相当に改革しないと。皆さんも死ぬまでに5.0を目指しましょう!
依然50%以上のシェアを持つ王者ドコモだけれど、番号ポータビリティー制では7ヶ月連続で転出が転入を上回り「1人負け」とも揶揄されている。反撃しますというのは、裏返せば、今まで負けていたことを認めることでもあり、ずいぶん思い切ったコピーでもある。
「そろそろ反撃していいですか?」のコピーの下にはドコモ 2.0と書かれている。これはウエッブ2.0というIT系マーケティングの用語をもじったもの。
ウエッブ2.0とは、会社案内がホームページに置き換わっただけのような、すなわち一方通行な情報発信の時代(ウエッブ1.0)から、例えばブログや各種の書き込み掲示板のように参加者主体というか相互の情報発信の形態に変わってきたことを指す。1.0とか2.0というのはソフトウエアのバージョンアップになぞらえたものだろう。
マーケティングやコンサルティングの業界はキーワードをぶちあげて、それを一人歩きさせて騒ぎ立て、稼ぎの種にする傾向があるが、ウエッブ2.0はここ1年くらいその先頭を走っているキーワードの1つ。
さて、ドコモ 2.0の正体は1台の携帯に2つの電話番号を持てるのと、その2つめの料金がソフトバンクのホワイトプランより安いというのがメインらしい。その評価はさておいておいて、この時期に2.0という言葉を使うのはいいセンスだ。
携帯電話が好きな&デジタルやITが好きなオタク系な消費者なら、今この言葉は旬である。半年前なら理解できる人数が少なすぎただろう。半年先ならマーケティングキーワードの宿命で、もうすたれているかもしれない。消費者全体で考えれば2.0の意味を理解できる人は限られるが、2というのは1(最初)の次のイメージがあるので、ドコモの宣伝量をもってすれば、多くの人に「新しい」というイメージは伝わるはずだ(これが3.0や4.0では難しい)。最初に書いたように負けを認めたことも、余裕すら感じさせる。
1.0から2.0へ大きなバージョンアップという視点で、自分やビジネスを振り返ってみるのもいいかもしれない。私は普通のサラリーマンを辞めて、この仕事を始めた時点でwassho 2.0になったと思っているが、それはずいぶん大昔。とっくに3.0になっていなければいけないのにソレガナカナカ。努力を重ねれば2.1、2.2−−−とコンマ以下のマイナーチェンジはできるかも知れないけれど、1の位を動かすには、それ相当に改革しないと。皆さんも死ぬまでに5.0を目指しましょう!
wassho at 20:26|Permalink│Comments(0)│
2007年05月09日
並べただけじゃ
一時ほどコンテンツ!コンテンツ!と念仏のようにはいわれなくなったものの、ITビジネス、その中でもホームページに来てもらって成り立つタイプのビジネスでは、そのコンテンツが最重要であることに変わりはない。
コンテンツとは直訳すれば中身とか内容という意味。内容が大事なのは昔から当たり前だけれど、IT時代になってコンテンツと呼び名も「昇格」し、ことさら重視されるようになったのは、雑誌や新聞を発刊するのと較べて、器(ホームページ)を作ることが飛躍的に簡単になったからだろう。器はできても、見せるものがなければーーーである。
ちょっと前の話になるが、ずいぶんとITカブレした会議に出席した。
いわく「当社のビジネスモデルはーーー云々」。言っている本人も聞いている人たちも、おそらく曖昧にしか理解していない業界用語てんこ盛り。
そして「当社が資本参加している、あるいは提携している企業から、これだけのコンテンツの供給を受けることが可能です」。
山ほどリストアップされたそれらのコンテンツは玉石混淆ではあったが、筋のいいものも少なくなかった。
でも、情報があるだけじゃコンテンツじゃないんだよなあ〜。
たとえば写真と記事を集めただけじゃ雑誌はできない。編集のテーマやポリシー、それと全体として構成を作り上げる編集力が不可欠。(20歳前後の女性が読むファッション雑誌に喪服の情報は要らないよね) もちろんインパクトを感じたり興味を誘うようなレイアウトも必要。
たとえば商品をただ並べただけじゃ売り場にはならない。
そういうお店も多いが絶対に流行らない。
個々のコンテンツを取捨選択したり、編集やレイアウトするのは業界用語っぽくいえばプロデュースする能力である。ゼロからコンテンツを生み出す方が絶対的には難易度が高いと思うが、プロデュースには最後を詰めるというまた違った難しさがある。
本日は “細かく観察すればなかなかいいものを持っているのに、イマイチパッとしないあなた。セルフプロデュースしてる?” の下書きでした。
あなたを自分と読み替えて私も反省(^^ゞ
コンテンツとは直訳すれば中身とか内容という意味。内容が大事なのは昔から当たり前だけれど、IT時代になってコンテンツと呼び名も「昇格」し、ことさら重視されるようになったのは、雑誌や新聞を発刊するのと較べて、器(ホームページ)を作ることが飛躍的に簡単になったからだろう。器はできても、見せるものがなければーーーである。
ちょっと前の話になるが、ずいぶんとITカブレした会議に出席した。
いわく「当社のビジネスモデルはーーー云々」。言っている本人も聞いている人たちも、おそらく曖昧にしか理解していない業界用語てんこ盛り。
そして「当社が資本参加している、あるいは提携している企業から、これだけのコンテンツの供給を受けることが可能です」。
山ほどリストアップされたそれらのコンテンツは玉石混淆ではあったが、筋のいいものも少なくなかった。
でも、情報があるだけじゃコンテンツじゃないんだよなあ〜。
たとえば写真と記事を集めただけじゃ雑誌はできない。編集のテーマやポリシー、それと全体として構成を作り上げる編集力が不可欠。(20歳前後の女性が読むファッション雑誌に喪服の情報は要らないよね) もちろんインパクトを感じたり興味を誘うようなレイアウトも必要。
たとえば商品をただ並べただけじゃ売り場にはならない。
そういうお店も多いが絶対に流行らない。
個々のコンテンツを取捨選択したり、編集やレイアウトするのは業界用語っぽくいえばプロデュースする能力である。ゼロからコンテンツを生み出す方が絶対的には難易度が高いと思うが、プロデュースには最後を詰めるというまた違った難しさがある。
本日は “細かく観察すればなかなかいいものを持っているのに、イマイチパッとしないあなた。セルフプロデュースしてる?” の下書きでした。
あなたを自分と読み替えて私も反省(^^ゞ
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2007年04月12日
ついに新人類と遭遇
20年ほど前、つまり1980年代中頃「新人類」という言葉が流行した。マーケティングの分野でも何かと脚光を浴びた。具体的な定義は忘れたが、その1980年代中頃に20代前半の若者を指した言葉だったように思う。つまり1960〜1965年あたりに生まれた人々。
世代が違えばものの考え方や生活のパターンも変わってくる。5歳違えば、10歳違えば、20歳違えばーーーと、だんだんと違いは大きくなる。つまりそれは徐々に変わっていく連続的な変化。だから想像のつく範囲での変化。新人類とは当時の50〜60代の人の目から見て、40代や30代は自分たちと違うといえば違うけれど、それは世代の違いとして理解できる範囲の違いだった。しかし20代前半の連中は「まったく違う」、大げさに表現すれば同じ人類とは思えないほど違うということで「新人類」とネーミングされたものだと思う。
その新人類の特徴とされたものはーーー忘れた(^^ゞ
忘れた理由は2つある。
忘れたんだから詳しく思い出せないが、社会学的には興味深くても、実際のマーケティングにそれほど考慮すべきテーマではないと感じていたのが1つ。
もう1つは当時の年配層にとって、新人類の価値観やライフスタイルは「新しい」ものにうつったのだろうが、私(新人類より少し上の世代)にとっては、特に新しさも感じられず、新しさでいえば(どういう基準で比較するのか意味不明だとしても)自分のほうが、もっと昔からもっと新しかったというような気持ちがあった気がする。
つまり、新人類は私を追い越すような存在ではなかったからである。
さて、時代は流れて2007年。先日、私は衝撃的な光景を目撃した。
帰りの電車。軽めのラッシュでそこそこ混んでいる車内。抱き合っているというほどではないが、かなりひっついてイチャイチャしているカップル。歳はどちらも23〜25歳くらい。よく見る光景である。
その2人は、たわいもない会話をずっと喋り続けている。いいですか、途切れることなくずっとですよ!
なのに、なのに、いちゃつきながら、「ずっと」喋り続けながら、2人とも、それぞれ携帯を「ずっと」操作している! 男はmixiにコメントを書いている、女は届いたメールに返信し、すぐにその返信が来てーーーそれを3人くらいを相手にやっているから、ずっとメールを読むか打つかしている。
私の目の前30センチほどの距離で繰り広げられるこの2人の行動を見ながら、私は「追い越された!」とうちひしがれていたのである(ちょっと大げさか)
いちゃつきながらずっと喋ることはできる(最近、あまりしてないけれど)。携帯をずっと操作することもできる。でも、この2つを同時にするのは私には無理である。とうとう私は新人類を目撃した。長生きはするものである(^_^)
世代が違えばものの考え方や生活のパターンも変わってくる。5歳違えば、10歳違えば、20歳違えばーーーと、だんだんと違いは大きくなる。つまりそれは徐々に変わっていく連続的な変化。だから想像のつく範囲での変化。新人類とは当時の50〜60代の人の目から見て、40代や30代は自分たちと違うといえば違うけれど、それは世代の違いとして理解できる範囲の違いだった。しかし20代前半の連中は「まったく違う」、大げさに表現すれば同じ人類とは思えないほど違うということで「新人類」とネーミングされたものだと思う。
その新人類の特徴とされたものはーーー忘れた(^^ゞ
忘れた理由は2つある。
忘れたんだから詳しく思い出せないが、社会学的には興味深くても、実際のマーケティングにそれほど考慮すべきテーマではないと感じていたのが1つ。
もう1つは当時の年配層にとって、新人類の価値観やライフスタイルは「新しい」ものにうつったのだろうが、私(新人類より少し上の世代)にとっては、特に新しさも感じられず、新しさでいえば(どういう基準で比較するのか意味不明だとしても)自分のほうが、もっと昔からもっと新しかったというような気持ちがあった気がする。
つまり、新人類は私を追い越すような存在ではなかったからである。
さて、時代は流れて2007年。先日、私は衝撃的な光景を目撃した。
帰りの電車。軽めのラッシュでそこそこ混んでいる車内。抱き合っているというほどではないが、かなりひっついてイチャイチャしているカップル。歳はどちらも23〜25歳くらい。よく見る光景である。
その2人は、たわいもない会話をずっと喋り続けている。いいですか、途切れることなくずっとですよ!
なのに、なのに、いちゃつきながら、「ずっと」喋り続けながら、2人とも、それぞれ携帯を「ずっと」操作している! 男はmixiにコメントを書いている、女は届いたメールに返信し、すぐにその返信が来てーーーそれを3人くらいを相手にやっているから、ずっとメールを読むか打つかしている。
私の目の前30センチほどの距離で繰り広げられるこの2人の行動を見ながら、私は「追い越された!」とうちひしがれていたのである(ちょっと大げさか)
いちゃつきながらずっと喋ることはできる(最近、あまりしてないけれど)。携帯をずっと操作することもできる。でも、この2つを同時にするのは私には無理である。とうとう私は新人類を目撃した。長生きはするものである(^_^)
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2007年04月05日
この人に聞きたい10の質問
バイトに来てもらっている女子大生の目が充血している。また夜遊び(^_^)と聞くと、「昨日、突然、ゼミからレポートを出すようにいわれて大変なんです」との答え。まだ春休みなのに?と思って聞くとーーー。
そういう方法が一般的なのかどうかは知らないけれど、彼女の携帯を見ると「かくかくしかじかの内容のレポートを、ワードで作成し、4月10日(授業の始まる日)までに下記アドレスに添付ファイルで送信のこと」と書いてある。どうもゼミが始まる前の予備テストのよう。メールやパソコンを持っていないと最近は大学生もつとまらないらしい。
それで、そのレポートの課題というのは、メールにいくつかの企業名があって、その中から2つを選び、経営の課題点を上げよというもの。
フフフッ( ̄ー ̄)ーーー任せなさい、私はそんなことを20年やっているんだよ、そのへんのヘナチョコ教授が想像もしないリアルな視点でポイントを教えてあげるーーとなだめて、本日もバイトに励んでもらっている(^^ゞ
何を問うかというのは、その問いを設定した人の能力があらわれる。学生のレポートの課題を目にすることはあまりないが、マーケティングリサーチのアンケート用紙ならほとんど毎日目にしている。
クライアントからのアンケート素案を見ただけで、その担当者、あるいはその企業のレベルは把握できる。あんまり書くと仕事に差し支えるから書かないけれど、優秀な担当者のアンケートほど短い。何を知るべきかがわかっているから。
安部総理、東国原知事、松坂投手、キムタク、厚労省のタミフル担当者、それに自分のお客さんーーーー誰でもいいが「この人に聞きたい10の質問」を考えてみると、自分の関心度や理解度がわかるはず。
そういう方法が一般的なのかどうかは知らないけれど、彼女の携帯を見ると「かくかくしかじかの内容のレポートを、ワードで作成し、4月10日(授業の始まる日)までに下記アドレスに添付ファイルで送信のこと」と書いてある。どうもゼミが始まる前の予備テストのよう。メールやパソコンを持っていないと最近は大学生もつとまらないらしい。
それで、そのレポートの課題というのは、メールにいくつかの企業名があって、その中から2つを選び、経営の課題点を上げよというもの。
フフフッ( ̄ー ̄)ーーー任せなさい、私はそんなことを20年やっているんだよ、そのへんのヘナチョコ教授が想像もしないリアルな視点でポイントを教えてあげるーーとなだめて、本日もバイトに励んでもらっている(^^ゞ
何を問うかというのは、その問いを設定した人の能力があらわれる。学生のレポートの課題を目にすることはあまりないが、マーケティングリサーチのアンケート用紙ならほとんど毎日目にしている。
クライアントからのアンケート素案を見ただけで、その担当者、あるいはその企業のレベルは把握できる。あんまり書くと仕事に差し支えるから書かないけれど、優秀な担当者のアンケートほど短い。何を知るべきかがわかっているから。
安部総理、東国原知事、松坂投手、キムタク、厚労省のタミフル担当者、それに自分のお客さんーーーー誰でもいいが「この人に聞きたい10の質問」を考えてみると、自分の関心度や理解度がわかるはず。
wassho at 21:00|Permalink│Comments(0)│
2007年04月04日
目標を創る能力
本日、東京は突然暗くなって雷が鳴り響き、なんと「みぞれ」が降り、私のパソコンでどこかの気象サイトからデータを拾って表示している温度計は、10数度から、いっきに5度まで下がった。
桜も咲いているというのに、おお寒っ(>_<)
そんな中、今日は中国から来客。
明日はフランス人が来る。
難しい話をする訳じゃないけれど、会話はもちろん英語である。
5倍疲れる。しかも半分くらいしか言っていることがわからない、言いたいことは1/3くらいしか喋れない。
以前にNHKラジオの英語番組のCDをiPodに入れて聞いていると書いたが、実は去年の1月からサボっている。始めなきゃ始めなきゃと思ってたのだが、さらに悪いことに6月の引越でiPodも行方不明に。探さなきゃ、買わなきゃと思いつつも、そのままになっているのは、たぶん英語の勉強をサボりたいからだ(^^ゞ
ズルズルとサボり続けたのは、英語は多少仕事でも使うものの、基本的には一般教養として勉強しているから。つまり明確な目標がない。そもそも語学なんてものは、到達点はキリがないから目標を立てづらい。
話は変わるけれど、以前に在籍した会社のトップは、いちばん欲しい社員は、いっぱい稼いでくれる社員じゃなくて、一緒に目標を作っていける社員だ、それが本当のパートナーだーーーというようなことをよく言っていた。目標があるからこそ、会社は成長し進化する。そしていい会社になる。
本日は “生きていく上で一番必要なものは希望だと思っているが(水とか酸素とかの反則ワザはナシよ)、人生で一番大事なのは目標を「創る」能力かも知れない”の下書きでした。
それで英語を勉強する目標は?
ウ〜ン、ウ〜ン、ウ〜ン(^^ゞ
桜も咲いているというのに、おお寒っ(>_<)
そんな中、今日は中国から来客。
明日はフランス人が来る。
難しい話をする訳じゃないけれど、会話はもちろん英語である。
5倍疲れる。しかも半分くらいしか言っていることがわからない、言いたいことは1/3くらいしか喋れない。
以前にNHKラジオの英語番組のCDをiPodに入れて聞いていると書いたが、実は去年の1月からサボっている。始めなきゃ始めなきゃと思ってたのだが、さらに悪いことに6月の引越でiPodも行方不明に。探さなきゃ、買わなきゃと思いつつも、そのままになっているのは、たぶん英語の勉強をサボりたいからだ(^^ゞ
ズルズルとサボり続けたのは、英語は多少仕事でも使うものの、基本的には一般教養として勉強しているから。つまり明確な目標がない。そもそも語学なんてものは、到達点はキリがないから目標を立てづらい。
話は変わるけれど、以前に在籍した会社のトップは、いちばん欲しい社員は、いっぱい稼いでくれる社員じゃなくて、一緒に目標を作っていける社員だ、それが本当のパートナーだーーーというようなことをよく言っていた。目標があるからこそ、会社は成長し進化する。そしていい会社になる。
本日は “生きていく上で一番必要なものは希望だと思っているが(水とか酸素とかの反則ワザはナシよ)、人生で一番大事なのは目標を「創る」能力かも知れない”の下書きでした。
それで英語を勉強する目標は?
ウ〜ン、ウ〜ン、ウ〜ン(^^ゞ
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2007年03月22日
不気味の谷
ロボット工学用語。
まったく知らなかったが、何日か前の日経産業新聞のコラムで知る。
その記事もリンクしたいけれど、あの新聞はセコくてネットでは何も読めないので。
簡単に説明すると、ロボットがロボットらしい(機械っぽい)うちは親近感がわくが、どんどん人間ぽくなってくると、あるレベルを超えたところで気味が悪くなる。(理論では、さらに人間ぽくなると、また親近感がわくらしい)
とりあえず、 このページ見て。
確かに右から3つめの少女型ロボットは気味が悪い。
実験風景の下の写真は、たぶん本物の人間だろうが、あれがもしロボットとしても(つまり、見分けがつかないくらい精巧ならば)気味悪さはない。
つまり少女型ロボットは、中途半端にそっくりなところが不気味。
ページの下の方にあるのが、不気味の谷のグラフ。縦軸が好感度、横軸が人間にどれだけ似ているかを示している。あるレベルを超えると好感度が下がりマイナスとなる。グラフに書くと谷のように凹んでいる。
この理論はロボットの見かけと動作についてのものだが、ほかないもいろいろと当てはまりそうだ。
1)人と仲良くなるのはいいことだが、限度を超えて、あまり一方的に
なつかれるとうっとうしくなる。
2)あるいは、丁寧な人は助かるけれど、あまりクソ丁寧だとーーー。
3)自分のことをよく理解してくれたり、誕生日を覚えてくれたりするとウレシイが、
あまり何でも知っているとストーカーかと疑う。
4)値段が安いのは魅力的でも、あまりやすいと不安になってくる。
(これについては各種の計測手法が開発されている)
5)何事も自分で判断し、決定し、行動したいけれど、ずっとそれじゃ疲れるので、自分に都合のよい状況が続く限り世の中に流されていたい。
ンッ? 5)は、ちょっと違うか(^^ゞ
とにかく本日は “人の気持ちとか世の中とかは、グラフにして一直線じゃない場合もあることを再確認” の下書きでした。マーケティングにも応用の利く理論だと思う。
まったく知らなかったが、何日か前の日経産業新聞のコラムで知る。
その記事もリンクしたいけれど、あの新聞はセコくてネットでは何も読めないので。
簡単に説明すると、ロボットがロボットらしい(機械っぽい)うちは親近感がわくが、どんどん人間ぽくなってくると、あるレベルを超えたところで気味が悪くなる。(理論では、さらに人間ぽくなると、また親近感がわくらしい)
とりあえず、 このページ見て。
確かに右から3つめの少女型ロボットは気味が悪い。
実験風景の下の写真は、たぶん本物の人間だろうが、あれがもしロボットとしても(つまり、見分けがつかないくらい精巧ならば)気味悪さはない。
つまり少女型ロボットは、中途半端にそっくりなところが不気味。
ページの下の方にあるのが、不気味の谷のグラフ。縦軸が好感度、横軸が人間にどれだけ似ているかを示している。あるレベルを超えると好感度が下がりマイナスとなる。グラフに書くと谷のように凹んでいる。
この理論はロボットの見かけと動作についてのものだが、ほかないもいろいろと当てはまりそうだ。
1)人と仲良くなるのはいいことだが、限度を超えて、あまり一方的に
なつかれるとうっとうしくなる。
2)あるいは、丁寧な人は助かるけれど、あまりクソ丁寧だとーーー。
3)自分のことをよく理解してくれたり、誕生日を覚えてくれたりするとウレシイが、
あまり何でも知っているとストーカーかと疑う。
4)値段が安いのは魅力的でも、あまりやすいと不安になってくる。
(これについては各種の計測手法が開発されている)
5)何事も自分で判断し、決定し、行動したいけれど、ずっとそれじゃ疲れるので、自分に都合のよい状況が続く限り世の中に流されていたい。
ンッ? 5)は、ちょっと違うか(^^ゞ
とにかく本日は “人の気持ちとか世の中とかは、グラフにして一直線じゃない場合もあることを再確認” の下書きでした。マーケティングにも応用の利く理論だと思う。
wassho at 15:41|Permalink│Comments(0)│
2007年03月13日
100メートルは全力で
世界水泳が近いということで、テレビでよく水泳関連の番組がある。
前にもチラッと書いたように中学の時は水泳部所属。当時は、市内で常にトップクラスの強いチームだった。まあ、練習もきつかった。
入部していつ頃だったか忘れたが最初のタイム計測。1年生にとっては初めて全力で泳ぐという体験。100メーターのタイムを計るんだけれど、最初から飛ばしては体力が続かないから「50メーターまでは様子見で、2ターン目でピッチを上げて、最後の25メーターを必死で泳ごう」などと作戦を立てながらスタート。
それで泳ぎ終えると、顧問の先生から「コラッ!wassho、最初ゆっくり泳いだだろ」とどなられる(>_<) 「100メータなんてのは最初から最後まで全力で泳げ! それくらいできなければ辞めろ、このボケ!!」
ヒェ〜ご無体な!と思いつつも、2回目の計測では最初から全力で泳ぐ。絶対途中でバテて泳げなくなると思ったけれど、しかしバテながらも意外とすんなり泳ぎ切れ、もちろんタイムもよかった。
本日は “全力でチャレンジもしないで、低めのレベル設定で楽して、そのくせ思ったとおりにいかないとか成果が上がらないとかブーたれてることってない?” の下書きでした。
ところで200メートルになると、さすがに最初から最後まで全力というわけにはいかない。ペース配分も大事だし、試合となればほかの選手との微妙な駆け引きもある。ハイ、私は200メートルのほうが成績がよかったです(^^ゞ
前にもチラッと書いたように中学の時は水泳部所属。当時は、市内で常にトップクラスの強いチームだった。まあ、練習もきつかった。
入部していつ頃だったか忘れたが最初のタイム計測。1年生にとっては初めて全力で泳ぐという体験。100メーターのタイムを計るんだけれど、最初から飛ばしては体力が続かないから「50メーターまでは様子見で、2ターン目でピッチを上げて、最後の25メーターを必死で泳ごう」などと作戦を立てながらスタート。
それで泳ぎ終えると、顧問の先生から「コラッ!wassho、最初ゆっくり泳いだだろ」とどなられる(>_<) 「100メータなんてのは最初から最後まで全力で泳げ! それくらいできなければ辞めろ、このボケ!!」
ヒェ〜ご無体な!と思いつつも、2回目の計測では最初から全力で泳ぐ。絶対途中でバテて泳げなくなると思ったけれど、しかしバテながらも意外とすんなり泳ぎ切れ、もちろんタイムもよかった。
本日は “全力でチャレンジもしないで、低めのレベル設定で楽して、そのくせ思ったとおりにいかないとか成果が上がらないとかブーたれてることってない?” の下書きでした。
ところで200メートルになると、さすがに最初から最後まで全力というわけにはいかない。ペース配分も大事だし、試合となればほかの選手との微妙な駆け引きもある。ハイ、私は200メートルのほうが成績がよかったです(^^ゞ
wassho at 15:16|Permalink│Comments(0)│
2007年03月08日
テレビ会議
受付嬢に続いて、これも体験してみないとピンとこない話だけどーーー。
先日、某クライアントを訪問すると、いつもの会議室ではない部屋に案内された。入ってみると、そこにはテレビ会議のシステムが。そして離れた場所にいる技術開発のスタッフと一緒にミーティングという段取り。
かなり以前にもテレビ会議に参加したことがある。その当時は画像がカクカクとコマ送り的な感じがして何となく落ち着かなかったけれど、最近のシステムはまったく問題なし。音声は微妙に遅れても、テレビの衛星中継ほどはズレない。数週間前に一緒に仕事をした技術開発スタッフの顔を見ながら話ができるのは、何となく懐かしく親近感も沸くし、もちろんミーティングの中身も充実したものになった。
遠方にいるクライアントとのやりとりは、どうしてもメールが中心になるが、顔を見ながらのコミュニケーションはやはり密度が濃いと実感する。素直に「コレ欲しい」と思った。
テレビ会議システムがどれほど普及しているのかは知らないが、あまり話題は聞かない。そういえば携帯でもテレビ電話ができるが、かかってきたこともないし、使っているという人は私の周りではたぶんいない。NTTのフレッツ光だったと思うが、草薙剛がインターネットテレビ電話をしているコマーシャルもあったけれど、あれって普及しているの?
私が持っているパソコンのディスプレイの上には小さなレンズがついていてカメラになっている。マイクもどこかについていて音声も拾えるはず。こういうハードとインターネットを利用して「各人がデスクにいながらテレビ会議を行えるシステム」ってあるのかな? もちろん性能は優秀で、暗号化か何かで会議の内容が外部には漏れず、かつ安価で、何よりも操作が超簡単なのが条件。
クライアントのほとんどは、それほど遠くない場所にあるにしても、それでも出かけるには時間がかかる。大きな会社では会議室まで行って帰ったり、会議室を予約したり、会議室を片付けたりする時間もチリと積もれば山となるはずである。社内でテレビ会議をすれば、会議室の数も減らせて、オフィスも広くなる。社外への移動が減れば二酸化炭素排出量も減るとは、ちょっとこじつけっぽいけれど、テレビ会議はいいことずくめの気がする。
本日はちょっと長いけれど、“メールは連絡には便利でも議論するには向いていない。というか、そんな議論のメールを書くには時間がかかりすぎる。かといって、人が集まるのには労力がかかる。私の仕事は議論が大事なんだけれど、気がつけばメール・コミュニケーションの弊害で昔と較べて議論が少なくなっている気がする。私のイメージするようなお気楽なテレビ会議システムが普及すれば、メールの弱点を補うツールになるかな?” と多少は自戒の念を込めての下書きでした。
先日、某クライアントを訪問すると、いつもの会議室ではない部屋に案内された。入ってみると、そこにはテレビ会議のシステムが。そして離れた場所にいる技術開発のスタッフと一緒にミーティングという段取り。
かなり以前にもテレビ会議に参加したことがある。その当時は画像がカクカクとコマ送り的な感じがして何となく落ち着かなかったけれど、最近のシステムはまったく問題なし。音声は微妙に遅れても、テレビの衛星中継ほどはズレない。数週間前に一緒に仕事をした技術開発スタッフの顔を見ながら話ができるのは、何となく懐かしく親近感も沸くし、もちろんミーティングの中身も充実したものになった。
遠方にいるクライアントとのやりとりは、どうしてもメールが中心になるが、顔を見ながらのコミュニケーションはやはり密度が濃いと実感する。素直に「コレ欲しい」と思った。
テレビ会議システムがどれほど普及しているのかは知らないが、あまり話題は聞かない。そういえば携帯でもテレビ電話ができるが、かかってきたこともないし、使っているという人は私の周りではたぶんいない。NTTのフレッツ光だったと思うが、草薙剛がインターネットテレビ電話をしているコマーシャルもあったけれど、あれって普及しているの?
私が持っているパソコンのディスプレイの上には小さなレンズがついていてカメラになっている。マイクもどこかについていて音声も拾えるはず。こういうハードとインターネットを利用して「各人がデスクにいながらテレビ会議を行えるシステム」ってあるのかな? もちろん性能は優秀で、暗号化か何かで会議の内容が外部には漏れず、かつ安価で、何よりも操作が超簡単なのが条件。
クライアントのほとんどは、それほど遠くない場所にあるにしても、それでも出かけるには時間がかかる。大きな会社では会議室まで行って帰ったり、会議室を予約したり、会議室を片付けたりする時間もチリと積もれば山となるはずである。社内でテレビ会議をすれば、会議室の数も減らせて、オフィスも広くなる。社外への移動が減れば二酸化炭素排出量も減るとは、ちょっとこじつけっぽいけれど、テレビ会議はいいことずくめの気がする。
本日はちょっと長いけれど、“メールは連絡には便利でも議論するには向いていない。というか、そんな議論のメールを書くには時間がかかりすぎる。かといって、人が集まるのには労力がかかる。私の仕事は議論が大事なんだけれど、気がつけばメール・コミュニケーションの弊害で昔と較べて議論が少なくなっている気がする。私のイメージするようなお気楽なテレビ会議システムが普及すれば、メールの弱点を補うツールになるかな?” と多少は自戒の念を込めての下書きでした。
wassho at 19:15|Permalink│Comments(0)│
2007年03月06日
受付嬢になる
調査にはいろいろな区分がある。
アンケートに答えてもらうものは、あとでどの回答に何%の数字がついたかを集計する。これらは量を定める調査なので定量調査という。アンケートで○や×をつけたり番号を選んだりするのではなくて、インタビューで様々な意見を聞くのは定性調査。これらは回答の性質が違う。
別の区分としては同じアンケートでも、郵送したりインターネットで自宅でアンケートに答えてもらう調査と、会場に来て商品サンプルを見たりしながら回答する調査がある。これらは回答する場所が違う。会場での調査は会場テストというが、最近は業界用語的にCLT(セントラル・ロケーション・テスト)と呼ばれることが多い。
会場テストの場合は、アンケートに答えに来た人に、手順を説明したり、謝礼を渡したりする受付係が必要になる。通常は女性スタッフや、女性のアルバイトに受付を頼むのだが、先日、どうしても人員の都合がつかず、早番の受付と遅番の受付の途中に空いた1時間半ほどのあいだに私が受付をやることになった。今まで、いろんな仕事をしたけれど、男子この歳になってなんと「受付嬢」デビューである(^_^)
受付の仕事内容は理解したが、やってみて初めてわかったのは、
1)受付嬢は孤独である。
来場者に応対しているとき以外は、基本的にすることがない。暇つぶしに携帯でメールでもーーーというわけにもいかない。
2)受付嬢は退屈である。
調査会場はそれなりの広さなのだが、受付は当たり前だけれど、部屋の入り口にある。受付の机に座ると、会場のごく一部しか見ないで時間を過ごすことがわかった。
3)来場者とのちょっとしたコミュニケーションが楽しい。
来場者に対しては基本的に事前に定められた説明をするだけであるが、その短い受け答えにも愛想のいい来場者とと無愛想な来場者の差は出る。孤独で退屈な仕事だけに、たわいのない短い会話でも楽しいものである。
何事も体験してみないとわからないことがあるものである。皆さんも、本物の受付嬢をナンパするときに私の体験を参考にして下さい(^^ゞ
アンケートに答えてもらうものは、あとでどの回答に何%の数字がついたかを集計する。これらは量を定める調査なので定量調査という。アンケートで○や×をつけたり番号を選んだりするのではなくて、インタビューで様々な意見を聞くのは定性調査。これらは回答の性質が違う。
別の区分としては同じアンケートでも、郵送したりインターネットで自宅でアンケートに答えてもらう調査と、会場に来て商品サンプルを見たりしながら回答する調査がある。これらは回答する場所が違う。会場での調査は会場テストというが、最近は業界用語的にCLT(セントラル・ロケーション・テスト)と呼ばれることが多い。
会場テストの場合は、アンケートに答えに来た人に、手順を説明したり、謝礼を渡したりする受付係が必要になる。通常は女性スタッフや、女性のアルバイトに受付を頼むのだが、先日、どうしても人員の都合がつかず、早番の受付と遅番の受付の途中に空いた1時間半ほどのあいだに私が受付をやることになった。今まで、いろんな仕事をしたけれど、男子この歳になってなんと「受付嬢」デビューである(^_^)
受付の仕事内容は理解したが、やってみて初めてわかったのは、
1)受付嬢は孤独である。
来場者に応対しているとき以外は、基本的にすることがない。暇つぶしに携帯でメールでもーーーというわけにもいかない。
2)受付嬢は退屈である。
調査会場はそれなりの広さなのだが、受付は当たり前だけれど、部屋の入り口にある。受付の机に座ると、会場のごく一部しか見ないで時間を過ごすことがわかった。
3)来場者とのちょっとしたコミュニケーションが楽しい。
来場者に対しては基本的に事前に定められた説明をするだけであるが、その短い受け答えにも愛想のいい来場者とと無愛想な来場者の差は出る。孤独で退屈な仕事だけに、たわいのない短い会話でも楽しいものである。
何事も体験してみないとわからないことがあるものである。皆さんも、本物の受付嬢をナンパするときに私の体験を参考にして下さい(^^ゞ
wassho at 16:51|Permalink│Comments(0)│
2007年03月05日
ペコちゃん
朝のテレビ番組で、神楽坂にある不二家のお店の「ペコちゃん焼き」という、どら焼きのようなお菓子が明日から販売再開されると取り上げられていた。そのお店にはいろいろと激励の声が届いているようである。
不二家の事件が、どんなものだったかは、私の生活には特に関係なかったので、正確には覚えていない。賞味期限切れの材料を使ったーーーだったと思うが、健康被害があったのかどうかーーーは忘れた。
食品の衛生に関わる事件で、おそらくは後世にまで名を残すのは雪印事件である。こっちは食中毒患者がでたと記憶している。
さて不二家と雪印。会社の規模が違うから社会に与えた影響も一律には比較できないが、雪印の時は、あんな会社つぶしてしまえと怒った人も多かったけれど、不二家の場合はそれほどでもない。現在の状況を残念に思っている人も多い。不二家の社長は「私は寝ていないんだ!」とはいわなかったし、ケーキなどは対面販売でお店に馴染みがあるからとか、そもそも雪印事件以降、日本人が不祥事慣れしたーーーとか、理由はいろいろと挙げられる。
しかし、やっぱり最大の違いはペコちゃんの存在である。
不二家がこんなことになってペコちゃんがかわいそうなのである。
キャラクーの存在が、いかに人々に影響を与えるか、私の仕事分野的にちょっと下世話な表現をすれば、愛されるまでに確立したキャラクターがどれだけ巨大な企業資産かを痛感する。不祥事対策専門のコンサルティング会社のプロフェッショナルな対応策(もちろん巨額な報酬と引き替えに)も、ペコちゃんの笑顔ほどの効果はあるまい。
分野は違っても、私もプロフェッショナルな対応を考える仕事である。マーケティングがうまくいく=つまり、売れるものは、人々が欲しているものという自負もある。しかし本日は “でも、人に愛されるものを作る仕事っていいなあ〜と、つくずく思うね” の下書きでした。図工の成績はよかったからイラストレーターになればよかった。
不二家の事件が、どんなものだったかは、私の生活には特に関係なかったので、正確には覚えていない。賞味期限切れの材料を使ったーーーだったと思うが、健康被害があったのかどうかーーーは忘れた。
食品の衛生に関わる事件で、おそらくは後世にまで名を残すのは雪印事件である。こっちは食中毒患者がでたと記憶している。
さて不二家と雪印。会社の規模が違うから社会に与えた影響も一律には比較できないが、雪印の時は、あんな会社つぶしてしまえと怒った人も多かったけれど、不二家の場合はそれほどでもない。現在の状況を残念に思っている人も多い。不二家の社長は「私は寝ていないんだ!」とはいわなかったし、ケーキなどは対面販売でお店に馴染みがあるからとか、そもそも雪印事件以降、日本人が不祥事慣れしたーーーとか、理由はいろいろと挙げられる。
しかし、やっぱり最大の違いはペコちゃんの存在である。
不二家がこんなことになってペコちゃんがかわいそうなのである。
キャラクーの存在が、いかに人々に影響を与えるか、私の仕事分野的にちょっと下世話な表現をすれば、愛されるまでに確立したキャラクターがどれだけ巨大な企業資産かを痛感する。不祥事対策専門のコンサルティング会社のプロフェッショナルな対応策(もちろん巨額な報酬と引き替えに)も、ペコちゃんの笑顔ほどの効果はあるまい。
分野は違っても、私もプロフェッショナルな対応を考える仕事である。マーケティングがうまくいく=つまり、売れるものは、人々が欲しているものという自負もある。しかし本日は “でも、人に愛されるものを作る仕事っていいなあ〜と、つくずく思うね” の下書きでした。図工の成績はよかったからイラストレーターになればよかった。
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2007年02月08日
知名度とパワープレイ
東国原知事が公用車をセンチュリーからハイブリッドのクラウンに乗り換えたという、つまらぬ話を大きく写真付きで取り上げたニュースを見た。今や彼のニュースを見ない日はない。知事は48人いるけれど、知名度は石原都知事と並んでダントツである。今、瞬間的になら彼のほうが上だろう。鹿児島や熊本の知事の名前知ってる?私は知りません(^^ゞ
当選して間もないから、彼がたいした仕事をしたわけではない。鳥インフルエンザはニュース性があったとしても、マスコミが追いかけるのはもともと彼が有名人だからだ。もし鹿児島や熊本で鳥インフルエンザが発生しても、彼のように一挙一足まで知事の行動が報じられることは絶対にない。いいか悪いかは別として、マスコミは基本的、あるいは本能的に受け狙いなのである。
話はそれるけれど「いいか悪いかは別としてーーー」というときは、
たいてい悪いと思っている(^^ゞ
知名度というのは、あればあるほど有利である。もちろん悪いことをした場合は、逆に知名度があるほど風当たりも強くなるが(そういや東国原知事も昔風俗店に行ったことがバレて騒がれた)、やっぱりあるにこしたことはない。
ずいぶん昔の話になるが、ある商品開発で試作機をマーケティングリサーチにかけた。評価されるかされないか、つまり売れそうかどうかの判断のためである。
まあちょっと冒険した商品だった。それが災いして、突飛、奇抜、イミがわからないーーーと結果は散々。担当者は調査結果を見てうなだれた。当然開発中止か、大幅に改良されるものと思っていたが、その商品はほぼ試作機のまま発売された。
ただし、超大物タレントを起用したCMをバンバン流しての市場投入である。
つまり時間的余裕とか、社内のいろんなしがらみの関係で、商品を改良することはできなかったけれど、なんとか広告でガンバロウという作戦である。作戦は成功し(たんだと思う)商品はそこそこ売れた。
大企業だからできる王者のマーケティングかな。
そんな目で広告を眺めてみるのも、たまにはいいかも。ほら、今盛んに大物タレントを使ったCMを流しているあの商品だって、よく見ればーーー
当選して間もないから、彼がたいした仕事をしたわけではない。鳥インフルエンザはニュース性があったとしても、マスコミが追いかけるのはもともと彼が有名人だからだ。もし鹿児島や熊本で鳥インフルエンザが発生しても、彼のように一挙一足まで知事の行動が報じられることは絶対にない。いいか悪いかは別として、マスコミは基本的、あるいは本能的に受け狙いなのである。
話はそれるけれど「いいか悪いかは別としてーーー」というときは、
たいてい悪いと思っている(^^ゞ
知名度というのは、あればあるほど有利である。もちろん悪いことをした場合は、逆に知名度があるほど風当たりも強くなるが(そういや東国原知事も昔風俗店に行ったことがバレて騒がれた)、やっぱりあるにこしたことはない。
ずいぶん昔の話になるが、ある商品開発で試作機をマーケティングリサーチにかけた。評価されるかされないか、つまり売れそうかどうかの判断のためである。
まあちょっと冒険した商品だった。それが災いして、突飛、奇抜、イミがわからないーーーと結果は散々。担当者は調査結果を見てうなだれた。当然開発中止か、大幅に改良されるものと思っていたが、その商品はほぼ試作機のまま発売された。
ただし、超大物タレントを起用したCMをバンバン流しての市場投入である。
つまり時間的余裕とか、社内のいろんなしがらみの関係で、商品を改良することはできなかったけれど、なんとか広告でガンバロウという作戦である。作戦は成功し(たんだと思う)商品はそこそこ売れた。
大企業だからできる王者のマーケティングかな。
そんな目で広告を眺めてみるのも、たまにはいいかも。ほら、今盛んに大物タレントを使ったCMを流しているあの商品だって、よく見ればーーー
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2007年02月07日
派遣社員
「キヤノンの偽装請負で、御手洗会長の参考人招致を要求」というニュースを見た。このテーマについてはまったく詳しくないのだが、関連情報をクリックしていくと、東芝、松下などそうそうたる企業が偽装請負で行政指導を受けている。「派遣の品格」なんてテレビドラマも始まったから、派遣というのは大きな社会テーマなんだと思う。
マーケティングリサーチでは、本人の特性を把握するために年齢や職業というのは、必ず尋ねる項目のひとつである。職業の尋ね方はいろいろなパターンがあるけれど、1番シンプルなのは
●無職
●有職
の2項目。実際には
1.無職
2.有職(フルタイム)
3.有職(パート、アルバイト)
4.専業主婦
という区分がシンプルな分類としてはよく使われる。さらに詳しく分類するときは、その調査の目的やクライアントの意向によって数限りないバリエーションがある。ちなみに既婚女性で無職なら専業主婦と見なしてもいいのだが、無職と答えさせるのは抵抗があるのか、専業主婦は職業の1項目扱いとするのが通例である。残念ながら専業「主夫」については、調査業界は未対応である(^^ゞ
数年前から、調査を実施すると「あの〜派遣社員なんですが、どれに当てはまるのですか?」という問い合わせが多くなってきた。特に若い世代を対象とした調査では必ず問い合わせが入る。あるいは「5.その他」という項目に派遣社員と書く人も多い。マーケティングの仕事をしていると、思わぬところで世相を感じるものである。
ちなみに問い合わせへの回答は派遣や契約社員といった身分にかかわらず、フルタイムで働いているなら2、パートタイムなら3となる。パートやアルバイトの身分でフルタイムで働いている場合でも3になるから、このあたりは矛盾しているというか、世の中の変化に職業の区分という概念が追いついていない。
働き方のバリエーションがいろいろ増えるのは社会の進歩だと思うが、一方で派遣社員、契約社員の増加は企業の人件費抑制や変動費化などの都合が反映しているとも思う。本日は “もうすっかり死語になったと思っていたが「資本vs労働者の対立」が復活したり、「資本(正社員含む)vs派遣社員の対立」というのが生まれたりするカモ” の下書きでした。
マーケティングリサーチでは、本人の特性を把握するために年齢や職業というのは、必ず尋ねる項目のひとつである。職業の尋ね方はいろいろなパターンがあるけれど、1番シンプルなのは
●無職
●有職
の2項目。実際には
1.無職
2.有職(フルタイム)
3.有職(パート、アルバイト)
4.専業主婦
という区分がシンプルな分類としてはよく使われる。さらに詳しく分類するときは、その調査の目的やクライアントの意向によって数限りないバリエーションがある。ちなみに既婚女性で無職なら専業主婦と見なしてもいいのだが、無職と答えさせるのは抵抗があるのか、専業主婦は職業の1項目扱いとするのが通例である。残念ながら専業「主夫」については、調査業界は未対応である(^^ゞ
数年前から、調査を実施すると「あの〜派遣社員なんですが、どれに当てはまるのですか?」という問い合わせが多くなってきた。特に若い世代を対象とした調査では必ず問い合わせが入る。あるいは「5.その他」という項目に派遣社員と書く人も多い。マーケティングの仕事をしていると、思わぬところで世相を感じるものである。
ちなみに問い合わせへの回答は派遣や契約社員といった身分にかかわらず、フルタイムで働いているなら2、パートタイムなら3となる。パートやアルバイトの身分でフルタイムで働いている場合でも3になるから、このあたりは矛盾しているというか、世の中の変化に職業の区分という概念が追いついていない。
働き方のバリエーションがいろいろ増えるのは社会の進歩だと思うが、一方で派遣社員、契約社員の増加は企業の人件費抑制や変動費化などの都合が反映しているとも思う。本日は “もうすっかり死語になったと思っていたが「資本vs労働者の対立」が復活したり、「資本(正社員含む)vs派遣社員の対立」というのが生まれたりするカモ” の下書きでした。
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2007年01月22日
誰にリサーチする?
そのまんま東が宮崎県知事に当選。
次の参議院選挙は、タレント候補だらけになるな。
さて、そのまんま東知事(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
民主主義において選挙は平等に1人1票ということになっている。
カシコイ人でもアホな人でも1票である。カシコイ人の判断だけのほうが正しい判断ができるはずだが、何がカシコイのか、どこまでがカシコイのかの線引きができないし、基本的人権の問題もあるし、とにかく1人1票ということになっている。このシステムに挑戦した事例は議員選挙ではおそらく世界中に例がない。(昔の話は別よ)
国連もまた1国1票のルールである。超大国も聞いたことのないような国も、日本のように分担金を一杯払っている国もいない国も、1国1票である。ただしこちらは別のルールもあって、安全保障に関しては常任理事国5ヶ国は拒否権を持つ。米ソ英仏中の1ヶ国でも反対すれば他の191各国が賛成しても議決は流れる。
またサミットも、先進国だけで世の中を動かそうゼという、1国1票の国連システムへの挑戦の意味合いもあったと思う。あまりうまくいってないが。
投票権の平等について(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
問題はマーケティングリサーチである。
何か他人に相談したいとする。手当たり次第には相談しないはず。やはり相談する相手を選ぶ。それと同じで、単純な知名度を測定したいような場合は別だが、よりマーケティングの参考となる情報を得たいならば、やはり聞くべき相手にリサーチをしなければならない。
それで、これがむつかしいんだなぁ。
いろいろと手法は開発されている。
でも、やっぱりむつかしいんだなぁ。
まあ、難しいというのは往々にしてこういう 意味でもあるけれど。
続く、そのうち。
次の参議院選挙は、タレント候補だらけになるな。
さて、そのまんま東知事(/_')/ソレハコッチニオイトイテ
民主主義において選挙は平等に1人1票ということになっている。
カシコイ人でもアホな人でも1票である。カシコイ人の判断だけのほうが正しい判断ができるはずだが、何がカシコイのか、どこまでがカシコイのかの線引きができないし、基本的人権の問題もあるし、とにかく1人1票ということになっている。このシステムに挑戦した事例は議員選挙ではおそらく世界中に例がない。(昔の話は別よ)
国連もまた1国1票のルールである。超大国も聞いたことのないような国も、日本のように分担金を一杯払っている国もいない国も、1国1票である。ただしこちらは別のルールもあって、安全保障に関しては常任理事国5ヶ国は拒否権を持つ。米ソ英仏中の1ヶ国でも反対すれば他の191各国が賛成しても議決は流れる。
またサミットも、先進国だけで世の中を動かそうゼという、1国1票の国連システムへの挑戦の意味合いもあったと思う。あまりうまくいってないが。
投票権の平等について(/_')/ソレモコッチニオイトイテ
問題はマーケティングリサーチである。
何か他人に相談したいとする。手当たり次第には相談しないはず。やはり相談する相手を選ぶ。それと同じで、単純な知名度を測定したいような場合は別だが、よりマーケティングの参考となる情報を得たいならば、やはり聞くべき相手にリサーチをしなければならない。
それで、これがむつかしいんだなぁ。
いろいろと手法は開発されている。
でも、やっぱりむつかしいんだなぁ。
まあ、難しいというのは往々にしてこういう 意味でもあるけれど。
続く、そのうち。
wassho at 21:58|Permalink│Comments(0)│
2007年01月10日
ジーコの食料品引き換えチャリティ
日本ではワールドカップの監督としてあまりいい印象を残せなかったジーコだが、母国ブラジルでは、例えるなら長嶋茂雄以上の存在。好かれているだけじゃなくて大変尊敬されてもいる。自費でサッカー場を作ったりして社会貢献もしているらしい。
昨日のニュース番組で紹介されていたのがジーコが主催するチャリティのサッカー試合。チャリティのイベントはたくさんあるけれど、おもしろいと思ったのは、この試合はチケットを買うのではなくて、2キロの食料品と引き替えにチケットをもらうシステムになっている点。
チケット売り場というか事務所のようなところに、自分で米とかパスタとかを持ち込んでチケットをもらっている人々が紹介されていた。「チャリティに、サッカー試合に参加しているんだ」とみんな満足気。その食料は貧しい子供達に分配されるのだという。(リオデジャネイロの1/5の人はスラムに住んでいるらしい)
効率からいえば、このシステムは非合理的だ。人々が食料を買った分のお金を現金でもらい、ジーコがまとめ買いした方が、より多くの食料を買える。配達も食品会社持ちでしてもらえるかもしれない。
しかしチャリティへの参加意識をより喚起できるのは食料を運ぶという行為だろう。2キロの重みは世の中の役に立てた善意として記憶に残る。その記憶はまた次の助け合い精神を発揮しようという意識につながっていく。金を払うだけ、ましてやコンビニの端末や銀行引き落としでの支払いなら、そういった感動は得られない。
マーケティングではよく参加型とか体験という意味のエクスピリエンスというキーワードが重視される。より深く消費者に印象づけようということなのだが、広告だけじゃなくてイベントで商品に触れてもらったりとか、そういうことである。懸賞でハズレのティッシュが送られて来たらムカツクだろうが、ガラガラと福引きを回してのハズレなら、それなりに楽しい。「実体験」にはそれだけのプラス効果がある。
ところが、この参加型マーケティング、言うは易しなんだけれど、実際はとても難しい。イベント現場は盛り上がっても、それが売り上げにつながるような成功例はあまり聞いたことがない。
マーケティングとチャリティでは人々の心理的要件はかなり違うとしても、2キロの食料とチケットを引き替えるというシンプルで、ちょっと大胆な方法に「いろいろなやり方があるものだなあ」とヒントのヒントを感じたようなーーーと本日は控えめな下書きでした。
昨日のニュース番組で紹介されていたのがジーコが主催するチャリティのサッカー試合。チャリティのイベントはたくさんあるけれど、おもしろいと思ったのは、この試合はチケットを買うのではなくて、2キロの食料品と引き替えにチケットをもらうシステムになっている点。
チケット売り場というか事務所のようなところに、自分で米とかパスタとかを持ち込んでチケットをもらっている人々が紹介されていた。「チャリティに、サッカー試合に参加しているんだ」とみんな満足気。その食料は貧しい子供達に分配されるのだという。(リオデジャネイロの1/5の人はスラムに住んでいるらしい)
効率からいえば、このシステムは非合理的だ。人々が食料を買った分のお金を現金でもらい、ジーコがまとめ買いした方が、より多くの食料を買える。配達も食品会社持ちでしてもらえるかもしれない。
しかしチャリティへの参加意識をより喚起できるのは食料を運ぶという行為だろう。2キロの重みは世の中の役に立てた善意として記憶に残る。その記憶はまた次の助け合い精神を発揮しようという意識につながっていく。金を払うだけ、ましてやコンビニの端末や銀行引き落としでの支払いなら、そういった感動は得られない。
マーケティングではよく参加型とか体験という意味のエクスピリエンスというキーワードが重視される。より深く消費者に印象づけようということなのだが、広告だけじゃなくてイベントで商品に触れてもらったりとか、そういうことである。懸賞でハズレのティッシュが送られて来たらムカツクだろうが、ガラガラと福引きを回してのハズレなら、それなりに楽しい。「実体験」にはそれだけのプラス効果がある。
ところが、この参加型マーケティング、言うは易しなんだけれど、実際はとても難しい。イベント現場は盛り上がっても、それが売り上げにつながるような成功例はあまり聞いたことがない。
マーケティングとチャリティでは人々の心理的要件はかなり違うとしても、2キロの食料とチケットを引き替えるというシンプルで、ちょっと大胆な方法に「いろいろなやり方があるものだなあ」とヒントのヒントを感じたようなーーーと本日は控えめな下書きでした。
wassho at 18:34|Permalink│Comments(0)│
2006年12月26日
47NEWS
どれだけ話題性があるのかわからないけれど、 ローカルニュースを集めたようなサイトが24日にオープン。47というのはたぶん都道府県の数を象徴しているのだと思う。地方新聞社各社が共同で運営しているみたい。
ローカルニュースをざっと見られるようなサイトがあればと前から思ってい。しかし、いざ見てみると、あまりたいしたニュースがないなあ。個々の見出しをクリックする気持ちは起こらず。ニュースと一緒に地図が表示される仕組みは、ちょびっとおもしろい。
ニュースサイトは見だしクリック→本文じゃなくて、もっと生の新聞と同じように一読性に優れた=流し読みのできるレイアウトを開発して欲しい。オートロックになってから新聞を取っていない身としては、そういう新聞紙面を読めるようなウエッブサービスが提供されれば、有料でも契約したいと思っている。産経新聞に、それに一歩だけ近づいたものはあるが、第一面の紙面のコピーがイメージとして載っているだけで、本文の流し読みは不可能。あれじゃお金は払えない。
見だしクリック→本文方式だと、興味のある見出ししかクリックしない。紙面のいいところは興味のない(と思っていた)記事も、目の端でとらえて、他の記事を読みながら興味が起これば、すぐに読めるところ。私の知識や教養の3割くらいは、そうやって得てきた気がする。だから、このままじゃヤバイかも。新聞社の皆さん、ウエッブデザイナーの皆さん、なにとぞよろしく。
ローカルニュースをざっと見られるようなサイトがあればと前から思ってい。しかし、いざ見てみると、あまりたいしたニュースがないなあ。個々の見出しをクリックする気持ちは起こらず。ニュースと一緒に地図が表示される仕組みは、ちょびっとおもしろい。
ニュースサイトは見だしクリック→本文じゃなくて、もっと生の新聞と同じように一読性に優れた=流し読みのできるレイアウトを開発して欲しい。オートロックになってから新聞を取っていない身としては、そういう新聞紙面を読めるようなウエッブサービスが提供されれば、有料でも契約したいと思っている。産経新聞に、それに一歩だけ近づいたものはあるが、第一面の紙面のコピーがイメージとして載っているだけで、本文の流し読みは不可能。あれじゃお金は払えない。
見だしクリック→本文方式だと、興味のある見出ししかクリックしない。紙面のいいところは興味のない(と思っていた)記事も、目の端でとらえて、他の記事を読みながら興味が起これば、すぐに読めるところ。私の知識や教養の3割くらいは、そうやって得てきた気がする。だから、このままじゃヤバイかも。新聞社の皆さん、ウエッブデザイナーの皆さん、なにとぞよろしく。
wassho at 16:59|Permalink│Comments(0)│
2006年12月22日
道真と時平
菅原道真(みちざね)と藤原時平(ときひら)。深夜にほろ酔い気分でテレビを見ていたら、この二人をテーマにした歴史番組をやっていた。
10世紀後半、律令制がほころびを見せ始めた頃に、この二人は登場する。エッ?律令制のほころびって何かって? 私もよくわかりません(^^ゞ 要は時代の変化で、今までうまくいっていたシステムが、うまく機能しなくなった、構造改革が必要な状況になってきたと理解しましょう。
道真のほうが20歳ほど時平より年上。
秀才の誉れ高い道真は高級官僚の試験に若くして合格し、政権の中枢に上り詰めていく。時平は藤原家の御曹司。家柄で政権の中枢に入る。和歌の達人でプレイボーイでもあったらしい。まったく対照的な二人。この時点では道真のほうが政治の中心。
構造改革、つまり律令制の改革に道真は取り組む。しかし律令制「命」の官僚から総スカンを食らう。このあたりは1000年以上たった今でも構図は変わらない。途中は省略するけれど、結局官僚の反感を買った道真は、クーデターみたいな形で太宰府へ追放になる。
それで時平に道真のポジションが回ってくる。道真が追放されても改革はやらないと国家が持たないから、時平も改革に着手する。秀才道真が企画した構造改革案は理にかなったものだから、時平の改革も道真と同じ内容。当然、律令制「命」の官僚から総スカンを食らう。
ここからがおもしろい。
でも上手に書くのは難しい。
律令制というのは唐(中国)の政治制度を手本にしたもの。だから当時、役所の中の文書は漢文。日本語である「ひらがな」は和歌に使われていたくらいで、一段低く見られていたらしい。
それで一計を案じた時平は、ひらがなを使った和歌集の編纂を命ずる。和歌は時平の専門分野でもある。それがあの有名な古今和歌集。ここから先の番組の作りはかなり強引ではあるが、
素晴らしい古今和歌集
↓
ひらがなは素晴らしい
↓
ひらがなを生んだ日本語、日本は素晴らしい
↓
だから、中国のコピーである律令制を日本にあったものに改革しよう
この時平のPR戦略によって、守旧派の官僚にも意識改革が起こり、律令制の構造改革が進んだ、メデタシメデタシ。
史実がこの通りかはちょっと疑問。教養番組というより歴史娯楽番組みたいな放送だから、テレビ的なデフォルメはあると思う。
でも本日は “正論が通ると思うのは、正論を立てられる能力がある人たちに見られる、ありがちな錯誤”とか “通すのではなく、どうすれば受け入れられるかを考えないと通るものも通らない”とか “社会のドライビングフォースは理じゃなくて情だよねぇ”とか “社会じゃなくて個人対個人ならもっとそうか”とか “急がば回れ”とか “やっぱ芸は身をたすく”とか、何かと数多い下書きでした。
こんなこと書いてミチザネの祟りがありませんように(^^ゞ
10世紀後半、律令制がほころびを見せ始めた頃に、この二人は登場する。エッ?律令制のほころびって何かって? 私もよくわかりません(^^ゞ 要は時代の変化で、今までうまくいっていたシステムが、うまく機能しなくなった、構造改革が必要な状況になってきたと理解しましょう。
道真のほうが20歳ほど時平より年上。
秀才の誉れ高い道真は高級官僚の試験に若くして合格し、政権の中枢に上り詰めていく。時平は藤原家の御曹司。家柄で政権の中枢に入る。和歌の達人でプレイボーイでもあったらしい。まったく対照的な二人。この時点では道真のほうが政治の中心。
構造改革、つまり律令制の改革に道真は取り組む。しかし律令制「命」の官僚から総スカンを食らう。このあたりは1000年以上たった今でも構図は変わらない。途中は省略するけれど、結局官僚の反感を買った道真は、クーデターみたいな形で太宰府へ追放になる。
それで時平に道真のポジションが回ってくる。道真が追放されても改革はやらないと国家が持たないから、時平も改革に着手する。秀才道真が企画した構造改革案は理にかなったものだから、時平の改革も道真と同じ内容。当然、律令制「命」の官僚から総スカンを食らう。
ここからがおもしろい。
でも上手に書くのは難しい。
律令制というのは唐(中国)の政治制度を手本にしたもの。だから当時、役所の中の文書は漢文。日本語である「ひらがな」は和歌に使われていたくらいで、一段低く見られていたらしい。
それで一計を案じた時平は、ひらがなを使った和歌集の編纂を命ずる。和歌は時平の専門分野でもある。それがあの有名な古今和歌集。ここから先の番組の作りはかなり強引ではあるが、
素晴らしい古今和歌集
↓
ひらがなは素晴らしい
↓
ひらがなを生んだ日本語、日本は素晴らしい
↓
だから、中国のコピーである律令制を日本にあったものに改革しよう
この時平のPR戦略によって、守旧派の官僚にも意識改革が起こり、律令制の構造改革が進んだ、メデタシメデタシ。
史実がこの通りかはちょっと疑問。教養番組というより歴史娯楽番組みたいな放送だから、テレビ的なデフォルメはあると思う。
でも本日は “正論が通ると思うのは、正論を立てられる能力がある人たちに見られる、ありがちな錯誤”とか “通すのではなく、どうすれば受け入れられるかを考えないと通るものも通らない”とか “社会のドライビングフォースは理じゃなくて情だよねぇ”とか “社会じゃなくて個人対個人ならもっとそうか”とか “急がば回れ”とか “やっぱ芸は身をたすく”とか、何かと数多い下書きでした。
こんなこと書いてミチザネの祟りがありませんように(^^ゞ
wassho at 17:32|Permalink│Comments(0)│
2006年12月21日
制服効果
オフィスの前をデモ隊が行進。
デモを否定しないけれど、大規模なデモだと通りすぎるまでしばらくうるさいから、やっぱり迷惑な気持ちが先に立つ。
昼前にオフィスを出たときに、ちょうどデモ隊に出くわす。
めずらしく日本航空(の労組だと思う)のデモ。
規模は小さかったが、前後をパトカーに挟まれて、車道を行進する立派な?デモ。
普通のデモと違うのが、デモをしている人が機長やスチュワーデスの制服を着ていること。それで、その制服姿で一斉に「日本航空は〜法律を〜守れ〜」とシュプレヒコール。
エッ!日本航空は法律を守っていないのか! と思ってしまう。
ふだんはシュプレヒコールなんか聞き流しているのに、やっぱり制服の効果というかインパクトは大きい。何たって機長のいうことには説得力がある。やっぱり人は見かけで判断される。
次はスッチーをもっとたくさん動員して、また来て欲しい(^_^)
デモを否定しないけれど、大規模なデモだと通りすぎるまでしばらくうるさいから、やっぱり迷惑な気持ちが先に立つ。
昼前にオフィスを出たときに、ちょうどデモ隊に出くわす。
めずらしく日本航空(の労組だと思う)のデモ。
規模は小さかったが、前後をパトカーに挟まれて、車道を行進する立派な?デモ。
普通のデモと違うのが、デモをしている人が機長やスチュワーデスの制服を着ていること。それで、その制服姿で一斉に「日本航空は〜法律を〜守れ〜」とシュプレヒコール。
エッ!日本航空は法律を守っていないのか! と思ってしまう。
ふだんはシュプレヒコールなんか聞き流しているのに、やっぱり制服の効果というかインパクトは大きい。何たって機長のいうことには説得力がある。やっぱり人は見かけで判断される。
次はスッチーをもっとたくさん動員して、また来て欲しい(^_^)
wassho at 22:12|Permalink│Comments(0)│
2006年12月18日
飼い慣らされる
春先くらいから携帯が不調である。
考えてみるとずいぶん前からである。
SDカードが「壊れている」みたいな表示がでる。
実際には壊れていないし、写真もめったに撮らないので、そのままにしてある。
カードを挿し直すと表示は消えるのだけれど、1日おきくらいに「壊れている」と警告される。うっとうしいので携帯を買い換えようかとも思ったら、3ヶ月ほど前に「カードをギュウーっと強く差し込む」と2週間は持つことを発見。以来、そのままになっている。
携帯やデジカメは、操作方法が変わるのがイヤだから、同じメーカーのモノしか買わないという人が結構いる。(本当はどのくらいいるか正確に知っているが、受注した調査結果なので内緒、ユルサレヨ)
そういう私も、前回デジカメを買い換えたときに、同じメーカーのものにした。私が欲しいスペックを持った機種は3つくらいのメーカーから発売されていて、私の買ったメーカーのデジカメが一番高かったが、説明書を読む気力もなかったのでツイ。でもまあ、いろんな設定に戸惑うこともないので満足している。
考えてみれば、これはユーザーを飼い慣らす究極の囲い込みマーケティング。ユーザーの不便の上に成り立っているから邪道のような気もするけれど、私だって、そのデジカメに満足したんだから、まあ許される範囲か。
私の仕事で操作方法にあたるものは何か、クライアントを飼い慣らす仕事の仕方ーーー思案中(^^ゞ 誰か教えて!
考えてみるとずいぶん前からである。
SDカードが「壊れている」みたいな表示がでる。
実際には壊れていないし、写真もめったに撮らないので、そのままにしてある。
カードを挿し直すと表示は消えるのだけれど、1日おきくらいに「壊れている」と警告される。うっとうしいので携帯を買い換えようかとも思ったら、3ヶ月ほど前に「カードをギュウーっと強く差し込む」と2週間は持つことを発見。以来、そのままになっている。
携帯やデジカメは、操作方法が変わるのがイヤだから、同じメーカーのモノしか買わないという人が結構いる。(本当はどのくらいいるか正確に知っているが、受注した調査結果なので内緒、ユルサレヨ)
そういう私も、前回デジカメを買い換えたときに、同じメーカーのものにした。私が欲しいスペックを持った機種は3つくらいのメーカーから発売されていて、私の買ったメーカーのデジカメが一番高かったが、説明書を読む気力もなかったのでツイ。でもまあ、いろんな設定に戸惑うこともないので満足している。
考えてみれば、これはユーザーを飼い慣らす究極の囲い込みマーケティング。ユーザーの不便の上に成り立っているから邪道のような気もするけれど、私だって、そのデジカメに満足したんだから、まあ許される範囲か。
私の仕事で操作方法にあたるものは何か、クライアントを飼い慣らす仕事の仕方ーーー思案中(^^ゞ 誰か教えて!
wassho at 18:05|Permalink│Comments(0)│
2006年12月15日
1億円の駐車場
何日か前のニュース。
東京の上野で台東区が建設している300台分の駐車場の建設が遅れ、工事費もかさみ問題になっているという。
それで、その工事費のお値段が301億円。1台分あたり1億円である。Wao!
24時間常に満車だとしても、1時間の料金が500円として
1億円÷500円=20万時間。
20万時間÷24時間=8333日
8333日÷365日=23年
実際にはその2倍以上だろう。
元を取るのには、かなりの時間がかかるようである。
地下鉄に対する補強工事が必要だったりとか、遺跡が発掘されたりとかで工事が延びて工事費も増えたらしいのだが、当初の予算も261億円だから、もともと無謀な事業計画という気もする。台東区としては、駐車料金で元を取るのではなく、上野が活性化すればーーーという算段とは思うが、クルマ300台の経済効果なんて、それほどあるまい。
かように公共事業は、こうやって費用が増えていくことが多いけれど、実は私の仕事も1/3くらいは、そういうパターンである。もちろん遺跡は発掘されないが、当初よりリサーチする項目が増えたり、分析だけの予定が提言やコンサルティングまで依頼されたりということはよくある。
長年やっていると、この仕事は膨らむなというのも直感でわかるようになってくる。だから控えめの見積もりで仕事を取るというコザワも使う。コンサルタントも、それなりに営業センスが必要なのである。
ちょっと話に脈絡がありそうでないけれど、私が心掛けていることに「見積もりも腹八分目が長生きの秘訣」というのがある。なにがしかの営業経験がある人には賛同してもらえると思っている。でも、たまには暴飲暴食したい(^^ゞ
東京の上野で台東区が建設している300台分の駐車場の建設が遅れ、工事費もかさみ問題になっているという。
それで、その工事費のお値段が301億円。1台分あたり1億円である。Wao!
24時間常に満車だとしても、1時間の料金が500円として
1億円÷500円=20万時間。
20万時間÷24時間=8333日
8333日÷365日=23年
実際にはその2倍以上だろう。
元を取るのには、かなりの時間がかかるようである。
地下鉄に対する補強工事が必要だったりとか、遺跡が発掘されたりとかで工事が延びて工事費も増えたらしいのだが、当初の予算も261億円だから、もともと無謀な事業計画という気もする。台東区としては、駐車料金で元を取るのではなく、上野が活性化すればーーーという算段とは思うが、クルマ300台の経済効果なんて、それほどあるまい。
かように公共事業は、こうやって費用が増えていくことが多いけれど、実は私の仕事も1/3くらいは、そういうパターンである。もちろん遺跡は発掘されないが、当初よりリサーチする項目が増えたり、分析だけの予定が提言やコンサルティングまで依頼されたりということはよくある。
長年やっていると、この仕事は膨らむなというのも直感でわかるようになってくる。だから控えめの見積もりで仕事を取るというコザワも使う。コンサルタントも、それなりに営業センスが必要なのである。
ちょっと話に脈絡がありそうでないけれど、私が心掛けていることに「見積もりも腹八分目が長生きの秘訣」というのがある。なにがしかの営業経験がある人には賛同してもらえると思っている。でも、たまには暴飲暴食したい(^^ゞ
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2006年12月13日
成長と拡大
少し前に聞いて、最近気になっているキーワードがある。それは成長と拡大。
例えばラーメン屋を始めたとする。評判よろしく繁盛し、店も2軒3軒と増え、wasshoラーメン店は、(株)wasshoフードと会社にもなり、さらに10軒20軒と店舗数が増えたとする。そして人はいう「成長してますね」と。
規模は「拡大」したが、それを「成長」といえるのか? ラーメンを売っていることに変わりはない。
ちょっといい例をすぐに思い出せなくて、あまり詳しく知らないんだけれどサッカーの川淵キャプテン。たぶんサッカー小僧から始まって、サッカー選手になり、監督もしたかどうかは知らないが、その後Jリーグを立ち上げ、そして地域のスポーツ振興とかスポーツを通じたコミュニティといったビジョンを実現しようとしている(だよね?)。彼はサッカーという仕事を通じて、とても成長しているように思える。
企業と個人を較べるのに無理があることはわかっている。ラーメン屋でも皿洗いから料理人になり、経営者になり、さらにフランチャイズを集めるような企業に発展させれば、それはもちろん成長である。
企業というのは同じことを続けるものなのかもしれない。トヨタだって,ずっとクルマを売っている会社である。この先もずっとそうだ。ホームページ制作あたりから始めたIT企業がポータルサイトを目指したりネット通販モールに業態を変えていくのは成長のような気がする。でも、たいていのところで企業としての形が固まってしまう。例外はソフトバンクくらいか。
我が身を増えれば多少は拡大したかもしれないが、はたして成長したといえるのか? もっと成長しなければーーーと、書くと思ったでしょ(^_^)
社会人になった頃と較べれば成長しているはずだけれど、この5年に限って振り返れば自分自身は成長も拡大もしていない気がする。成長するというココロザシは失わないにしても、それがどれだけ難しいかも理解しているつもりである。とりあえず拡大を目指せば、成長もついてくるかもなどと、安易に考えてみようか(^^ゞ
例えばラーメン屋を始めたとする。評判よろしく繁盛し、店も2軒3軒と増え、wasshoラーメン店は、(株)wasshoフードと会社にもなり、さらに10軒20軒と店舗数が増えたとする。そして人はいう「成長してますね」と。
規模は「拡大」したが、それを「成長」といえるのか? ラーメンを売っていることに変わりはない。
ちょっといい例をすぐに思い出せなくて、あまり詳しく知らないんだけれどサッカーの川淵キャプテン。たぶんサッカー小僧から始まって、サッカー選手になり、監督もしたかどうかは知らないが、その後Jリーグを立ち上げ、そして地域のスポーツ振興とかスポーツを通じたコミュニティといったビジョンを実現しようとしている(だよね?)。彼はサッカーという仕事を通じて、とても成長しているように思える。
企業と個人を較べるのに無理があることはわかっている。ラーメン屋でも皿洗いから料理人になり、経営者になり、さらにフランチャイズを集めるような企業に発展させれば、それはもちろん成長である。
企業というのは同じことを続けるものなのかもしれない。トヨタだって,ずっとクルマを売っている会社である。この先もずっとそうだ。ホームページ制作あたりから始めたIT企業がポータルサイトを目指したりネット通販モールに業態を変えていくのは成長のような気がする。でも、たいていのところで企業としての形が固まってしまう。例外はソフトバンクくらいか。
我が身を増えれば多少は拡大したかもしれないが、はたして成長したといえるのか? もっと成長しなければーーーと、書くと思ったでしょ(^_^)
社会人になった頃と較べれば成長しているはずだけれど、この5年に限って振り返れば自分自身は成長も拡大もしていない気がする。成長するというココロザシは失わないにしても、それがどれだけ難しいかも理解しているつもりである。とりあえず拡大を目指せば、成長もついてくるかもなどと、安易に考えてみようか(^^ゞ
wassho at 20:44|Permalink│Comments(0)│
2006年12月11日
ラストサムライ
日曜日にテレビでラストサムライを観た。
よくできた映画で楽しめた。
今更遅いけれど、映画館で観るべき映画だったと思う。
サムライだから江戸時代の映画と思っていたら舞台は明治。一言で言えば、渡辺謙率いる反乱士族軍に、明治政府軍事顧問として雇われていたトム・クルーズが捕まり、やがて味方となり、人数でも兵力でも圧倒的に有利な明治政府軍と戦い、そして玉砕するーーーというようなストーリー。
この映画、トム・クルーズ以外の主要な配役はほとんど日本人であるが、日本映画ではなくハリウッド映画(だよね?)
それで強く感じたのは殺陣(チャンバラシーン)の迫力。チャンバラは日本の文化?だから、殺陣も日本がオリジナルのはずなのに、迫力・スピード感・リアリティとも圧倒的にこのハリウッド映画が素晴らしい。これに較べたら日本映画の殺陣は「踊り」でしかない。(よく考えたら日本映画で殺陣のあるようなものを観たかどうかあまり記憶はない。正月のテレビドラマくらいか。それと較べちゃいけない気もするが)
本日は “進化がなければ新参者に抜かれるし、努力すればオリジナルも超えられる” のような感想の下書きでした。
ところで、この映画は渡辺謙演じるラストサムライが時代と折り合えず、死に場所を求めるというか、破滅の美学というか、そんなあたりがテーマだと私には思えた。自分は根性ナシのくせに、そういう世界には妙にひかれる。
よくできた映画で楽しめた。
今更遅いけれど、映画館で観るべき映画だったと思う。
サムライだから江戸時代の映画と思っていたら舞台は明治。一言で言えば、渡辺謙率いる反乱士族軍に、明治政府軍事顧問として雇われていたトム・クルーズが捕まり、やがて味方となり、人数でも兵力でも圧倒的に有利な明治政府軍と戦い、そして玉砕するーーーというようなストーリー。
この映画、トム・クルーズ以外の主要な配役はほとんど日本人であるが、日本映画ではなくハリウッド映画(だよね?)
それで強く感じたのは殺陣(チャンバラシーン)の迫力。チャンバラは日本の文化?だから、殺陣も日本がオリジナルのはずなのに、迫力・スピード感・リアリティとも圧倒的にこのハリウッド映画が素晴らしい。これに較べたら日本映画の殺陣は「踊り」でしかない。(よく考えたら日本映画で殺陣のあるようなものを観たかどうかあまり記憶はない。正月のテレビドラマくらいか。それと較べちゃいけない気もするが)
本日は “進化がなければ新参者に抜かれるし、努力すればオリジナルも超えられる” のような感想の下書きでした。
ところで、この映画は渡辺謙演じるラストサムライが時代と折り合えず、死に場所を求めるというか、破滅の美学というか、そんなあたりがテーマだと私には思えた。自分は根性ナシのくせに、そういう世界には妙にひかれる。
wassho at 16:31|Permalink│Comments(0)│
2006年12月07日
感情で押し切る
朝のワイドショーで、元リクルートの人が民間人校長を務める高校の授業風景が紹介されていた。藤原さんというリクルートのエリート社員が、杉並区の公募に応じて校長に就任したことはニュースにもなって記憶にはあったが、何をやっているのか、普通の校長と何が違うのかは知らなかった。
番組ではいくつかの試みが取り上げられていて、それを全部紹介するのは大変だから書かないが、私もあんな高校に通っていれば、もっとまっとうな人間に育ったかもしれないと思うことしきりーーー
1つだけ紹介すると、自殺について考える授業というか討論会みたいなのがあって、そのやり方は
1)ビルから飛び降りようとしている人と
2)それを発見して止めようとする人
に分かれてロールプレイ(即興芝居みたいな感じ)をして
3)その二人で何回の会話が成立するか、できるだけ会話が続くよう努力するというもの。
だから「バカなことをするな」「ほっておいてくれ」となったら、そこで飛び降りちゃうからダメな訳で、止める側がいかに、飛び降りようとする人に語りかけるかがポイントとなる。
生徒(見学に来た大人も混じっていた)のロールプレイも、それぞれユニークで楽しかったけれど、まとめで藤原校長はこういった。(彼は、もっと上手に話したが、うろ覚えなので私の脚色が入っています)
「人を説得するのは難しいでしょ」
「自殺しようとしている人に、なぜ自殺しちゃいけないか論理的に説得してもムダでしょ」
「こういう場合は、頼むから死ぬなとか、あなたがいないと私はとっても寂しいとか、感情で押し切るしかないんだよ」
論理的に説得するのではなく感情で押し切る
人間は右脳・感情型と左脳・論理型に別れるという説がある。実は、そんなに簡単に割り切れるかと、あまり信じていないのだけれど、心理テストやゲームみたいな占いも含めて、私はいつも右脳・感情型と診断される。しかし仕事的なこともあって、思考は左脳・論理型であり、その自覚もある。
感情で押し切る
論理的に100%完璧な説得なら、相手が納得するというものではない。何か大事なことというか、忘れていたことを思い出させてもらった気がする。
今日から、もっとワガママに生きようっと(^_^)
番組ではいくつかの試みが取り上げられていて、それを全部紹介するのは大変だから書かないが、私もあんな高校に通っていれば、もっとまっとうな人間に育ったかもしれないと思うことしきりーーー
1つだけ紹介すると、自殺について考える授業というか討論会みたいなのがあって、そのやり方は
1)ビルから飛び降りようとしている人と
2)それを発見して止めようとする人
に分かれてロールプレイ(即興芝居みたいな感じ)をして
3)その二人で何回の会話が成立するか、できるだけ会話が続くよう努力するというもの。
だから「バカなことをするな」「ほっておいてくれ」となったら、そこで飛び降りちゃうからダメな訳で、止める側がいかに、飛び降りようとする人に語りかけるかがポイントとなる。
生徒(見学に来た大人も混じっていた)のロールプレイも、それぞれユニークで楽しかったけれど、まとめで藤原校長はこういった。(彼は、もっと上手に話したが、うろ覚えなので私の脚色が入っています)
「人を説得するのは難しいでしょ」
「自殺しようとしている人に、なぜ自殺しちゃいけないか論理的に説得してもムダでしょ」
「こういう場合は、頼むから死ぬなとか、あなたがいないと私はとっても寂しいとか、感情で押し切るしかないんだよ」
論理的に説得するのではなく感情で押し切る
人間は右脳・感情型と左脳・論理型に別れるという説がある。実は、そんなに簡単に割り切れるかと、あまり信じていないのだけれど、心理テストやゲームみたいな占いも含めて、私はいつも右脳・感情型と診断される。しかし仕事的なこともあって、思考は左脳・論理型であり、その自覚もある。
感情で押し切る
論理的に100%完璧な説得なら、相手が納得するというものではない。何か大事なことというか、忘れていたことを思い出させてもらった気がする。
今日から、もっとワガママに生きようっと(^_^)
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2006年10月11日
キムタクとカローラ
カローラの数えて10代目となる新車が発表され、そのCMキャラクターがキムタクだ!ということをワイドショーで報じていた。
初代から現在までのカローラを紹介し、どのカローラのCMに誰を起用したか一覧表が出てきたり、昔のCMを見せたりーーー。カローラのお勉強のようなコーナーだった。最初の10秒を見て「こりゃ、持ち込み企画だな」と思うのはマーケティングの世界に長くいる習性か。
別にカローラの話じゃないんだけれど、CMに有名タレントを起用する場合、その目的としてあげられるのは
1.タレントの知名度を活かして注目度を上げる。
2.タレントのイメージを活かして、商品のブランドイメージを上げる、
または作る。
それで2の試みはほとんど成功しない。理由は単純で売れっ子のタレントほどたくさんのCMに出演するから。ブランド論としてはいろいろとあるが、簡単にタレントのイメージに乗っかれるほどマーケティングは甘くないといっておこう。
ここまでは一般論。
しかしである。
キムタクは先代カローラの一部車種のCMにも出演している。その前のキャラクターはお笑い芸人から文化人にイメージチェンジした頃の北野武。
カローラは大衆車。若い人や昔若かった?人にとってはダサイイメージがつきまとう。でもキムタクやタケシの起用によって、そのイメージをある程度払拭する効果はあったように思う。クルマにこだわりの強い人は無理でも、そうでないほとんどの人に「カローラに乗るなんて恥ずかしい」から「まっ、カローラでもいいか」と思わせることには成功したような気がする。それはキムタク以外のスマップのメンバーでは無理な気がするし、タケシも意外だったが、しっくりきていた。
トヨタがそこまで考えていたとも思わないが、結果としてはさすがトヨタとも思う。本日は “むやみにプラスを狙ってコケるのではなく、きっちりマイナスをゼロに持ってくるのが王者のマーケティングかも” の下書きでした。私も「カローラに乗るなんて恥ずかしい」から「まっ、カローラでもいいか」と思わせるーーーなんて企画書は一度出してみたい(^^ゞ
初代から現在までのカローラを紹介し、どのカローラのCMに誰を起用したか一覧表が出てきたり、昔のCMを見せたりーーー。カローラのお勉強のようなコーナーだった。最初の10秒を見て「こりゃ、持ち込み企画だな」と思うのはマーケティングの世界に長くいる習性か。
別にカローラの話じゃないんだけれど、CMに有名タレントを起用する場合、その目的としてあげられるのは
1.タレントの知名度を活かして注目度を上げる。
2.タレントのイメージを活かして、商品のブランドイメージを上げる、
または作る。
それで2の試みはほとんど成功しない。理由は単純で売れっ子のタレントほどたくさんのCMに出演するから。ブランド論としてはいろいろとあるが、簡単にタレントのイメージに乗っかれるほどマーケティングは甘くないといっておこう。
ここまでは一般論。
しかしである。
キムタクは先代カローラの一部車種のCMにも出演している。その前のキャラクターはお笑い芸人から文化人にイメージチェンジした頃の北野武。
カローラは大衆車。若い人や昔若かった?人にとってはダサイイメージがつきまとう。でもキムタクやタケシの起用によって、そのイメージをある程度払拭する効果はあったように思う。クルマにこだわりの強い人は無理でも、そうでないほとんどの人に「カローラに乗るなんて恥ずかしい」から「まっ、カローラでもいいか」と思わせることには成功したような気がする。それはキムタク以外のスマップのメンバーでは無理な気がするし、タケシも意外だったが、しっくりきていた。
トヨタがそこまで考えていたとも思わないが、結果としてはさすがトヨタとも思う。本日は “むやみにプラスを狙ってコケるのではなく、きっちりマイナスをゼロに持ってくるのが王者のマーケティングかも” の下書きでした。私も「カローラに乗るなんて恥ずかしい」から「まっ、カローラでもいいか」と思わせるーーーなんて企画書は一度出してみたい(^^ゞ
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2006年09月20日
小泉政権と格差とコウノトリ
小泉政権が終了ということで何かとその功罪が問われている。2月危機とか5月危機とか定期的に危機が騒ぎ立てられ、ひょっとしたら日本経済めちゃヤバイことになるんじゃない?という状況から脱した「功」は、世の常として忘れ去られ(^^ゞ その「罪」を何となく薄っぺらい観点から並べ立てヒョーロンするのが目立つのも、これまた世の常である。
よくわからないのが「小泉政権になって格差が広がった」という話。
格差は広がっているとしよう。それは問わないとして、小泉政権のどういう施策が格差を広げたのかというのがよくわからない。そんな重要施策ってあった? だいたいそんなことって意図的にできるの? 何らかの施策が直接的または間接的に格差を広げるのに影響したというより、たまたま格差が広がる時期に小泉さんが政権にいたという理解を私はしている。
小泉政権と格差の広がりについての私の考察は、話半分に読み飛ばしてもらうとして、モノゴトの因果関係はボーッとしていると騙されがち。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくるというのが、単なるファンタジーではなくリサーチの古典話であるというのはあまり知られていない。
はっきり知らないんだけれど、昔(いつ頃かは知らないんだけれど)、ロンドン市役所統計局(だったかな)が、各種データを分析していたところ、ロンドンの人口の増加と、ロンドン市内のコウノトリの巣の数の増加には統計学的に明確な相関関係があることを発見した。それを公表して世間の話題となり、誰かがこれにファンタジーを膨らませて「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という話ができた。
さて、その相関関係。昔なんで暖炉に煙突の時代。コウノトリは煙突に巣を作るらしく、人口が増えるー>家が増えるー>煙突が増えるー>コウノトリの巣が増えるという理屈。だからこの条件下に置いては人口とコウノトリの巣は因果関係があるように見える。しかし人口が増えるー>マンションが増えるだったら、煙突はなくて巣は増えないから人口とコウノトリは関係ないことがわかる。
てなことで、何を書きたかったのか途中で忘れてしまったが(^^ゞ とりあえず本日は “世の中の仕組みは複雑だとわかってるくせに、面倒くさいから単純に割り切って理解しようとするのはやっぱりダメよ。小泉政権になって格差が広がったと良識ぶってる人は、小泉首相はワンフレーズポリティクスだと批判していたような気がする” と最後まで訳のわからない下書きでした。
「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」話がリサーチ分析が下敷きになっているというウンチクで本日はご勘弁をm(_ _)m
よくわからないのが「小泉政権になって格差が広がった」という話。
格差は広がっているとしよう。それは問わないとして、小泉政権のどういう施策が格差を広げたのかというのがよくわからない。そんな重要施策ってあった? だいたいそんなことって意図的にできるの? 何らかの施策が直接的または間接的に格差を広げるのに影響したというより、たまたま格差が広がる時期に小泉さんが政権にいたという理解を私はしている。
小泉政権と格差の広がりについての私の考察は、話半分に読み飛ばしてもらうとして、モノゴトの因果関係はボーッとしていると騙されがち。
コウノトリが赤ちゃんを運んでくるというのが、単なるファンタジーではなくリサーチの古典話であるというのはあまり知られていない。
はっきり知らないんだけれど、昔(いつ頃かは知らないんだけれど)、ロンドン市役所統計局(だったかな)が、各種データを分析していたところ、ロンドンの人口の増加と、ロンドン市内のコウノトリの巣の数の増加には統計学的に明確な相関関係があることを発見した。それを公表して世間の話題となり、誰かがこれにファンタジーを膨らませて「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という話ができた。
さて、その相関関係。昔なんで暖炉に煙突の時代。コウノトリは煙突に巣を作るらしく、人口が増えるー>家が増えるー>煙突が増えるー>コウノトリの巣が増えるという理屈。だからこの条件下に置いては人口とコウノトリの巣は因果関係があるように見える。しかし人口が増えるー>マンションが増えるだったら、煙突はなくて巣は増えないから人口とコウノトリは関係ないことがわかる。
てなことで、何を書きたかったのか途中で忘れてしまったが(^^ゞ とりあえず本日は “世の中の仕組みは複雑だとわかってるくせに、面倒くさいから単純に割り切って理解しようとするのはやっぱりダメよ。小泉政権になって格差が広がったと良識ぶってる人は、小泉首相はワンフレーズポリティクスだと批判していたような気がする” と最後まで訳のわからない下書きでした。
「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」話がリサーチ分析が下敷きになっているというウンチクで本日はご勘弁をm(_ _)m
wassho at 17:15|Permalink│Comments(0)│