映画、ドラマ、文学

2024年09月23日

101回目の姿勢改善 その2

100回目のお手玉メソッドの次に試した、
本題である101回目の姿勢改善の話の前にちょっと寄り道。


自分の姿勢に気をつけるようになったのは前回に書いたように30代半ば。しかし姿勢そのものに初めて興味を持ったのはもう少し前。そのきっかけは映画「愛と青春の旅立ち」。
2ポスター

この映画はリチャード・ギアが演じる、いろいろと家庭に問題もあり生活のすさんでいた主人公が、一念発起して海軍士官候補生学校に入学。13週間の訓練期間中に人間として成長し、また恋愛も繰り広げる筋立て。何たって若い頃の甘いマスクのリチャード・ギアだし、最終的にはハッピーエンドのラブストーリーなのだけれど、それだけじゃない内容を含んでいるのが名作に数えられる理由。


訓練でリチャード・ギアと同期入学した一団は、教官の鬼軍曹にメチャクチャしごかれる。その舞台となるのは主に体力作りの基礎訓練。また肉体的なしごきだけでなく、何かあるとすぐ「退学届けを出せ」とプレッシャーを掛けて追い込まれる。つまり心身両面を鍛えるわけね。このあたりは上手に文章にできないから映画を見てちょうだい。
3訓練


そして厳しい訓練を乗り越えてリチャード・ギアたちは卒業。卒業すると教官の軍曹より階級が上の少尉となる。今まで軍曹の命令に「イエス、サー」と答えていたのに、この日を境に軍曹から「サー」付きで話しかけられる。
4卒業

たった13週間でただの民間人が少尉になれるのかとも思うものの、(/_')/ソレハコッチニオイトイテ、リチャード・ギアたちが軍曹に最後の挨拶に来るこのシーンはなかなか感動的。

そして私はこれを見て
「こんなに真っ直ぐに立っている人、見たことない」と思ったわけ。

アメリカでは士官(少尉以上)になって最初に敬礼してくれた、自分より階級の低い軍人に1ドル硬貨を渡す習慣があるらしく、これはその場面。よく見ると軍曹の手のひらには硬貨がある。何を言いたいかというと、軍曹はいわゆる上官に対する「気をつけ!」の体勢ではない。それなのにこの真っ直ぐな立ち姿。

映画を見た記憶としてはこのシーンしか覚えていなかったが、ブログを書くために画像を探すと、この鬼軍曹はリチャード・ギアをネチネチとイビるときや、ホースで水を浴びせていたぶるときすらもメッチャ姿勢がいい。
5姿勢

この役を演じているのはルイス・ゴセット・ジュニア。今年の3月に87歳で亡くなられていた。これからは姿勢の神様として崇めよう(^^ゞ



このルイス・ゴセット・ジュニアが普段から姿勢がよかったのか、軍人を演じる役作りでそうしていたのかは知らない。一般に軍人は洋の東西を問わず概して姿勢がいい。写真はオーストラリア軍。写真はhttps://x.gd/FYnjoから引用(短縮URL使用)
11オーストラリア

装備から見て儀仗(軍が参加する儀礼の式典)の場面かと思う。儀仗の際は特に姿勢をよくするものの、これだけ真っ直ぐなのに、どこにも力の入っていない立ち方は見事。


こちらは陸上自衛隊の特別儀仗隊。
本番と訓練の様子。写真はhttps://bunshun.jp/articles/-/14864から引用
12自衛隊

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姿勢は申し分ないとしても、少し力(りき)みが感じられ、見ているこちらまで疲れそうな印象がある。スクッと立っているオーストラリア軍、あるいはルイス・ゴセット・ジュニアとはどこか違う。

自衛隊もいわば幕末から導入された「西洋式軍隊」である。儀仗も西洋の風習だし、儀仗の姿勢も西洋のそれがお手本なのだろう。でも西洋人とアジア人では骨格や体つきが違う。だから西洋の軍隊と同じような姿勢をするのはちょっと無理があるのかも知れない。私もルイス・ゴセット・ジュニアのような立ち方に憧れるが、努力してもおそらくそうはならないと思う。


同じアジアの中国軍はこんな工夫までして姿勢改善をしている。写真はhttps://x.gd/SZwTPから引用(短縮URL使用)
14中国

以前に歌舞伎か能だったかの役者が、子供の頃は背中に長い定規を差し込まれて姿勢を矯正されたとのインタビューを読んだ。だからこの方法も効果的なのだろう。でもまるで十字架を背負って罰を受けているいるみたいだ。


そして絶対にうつむけない、こんな恐怖の方法が取り入れられていた(>_<)
そこまでやるか、中国オソルベシ!写真はhttps://gigazine.net/news/20080509_trooper_attention/から引用
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ーーー続く

wassho at 23:37|PermalinkComments(0)

2024年07月08日

祇園精舎の不覚 その3

鳥羽伏見の戦い、伊賀と甲賀に続いて恥を忍んで告白する「ああ勘違い」パート3は皇居の二重橋。これは2015年に発覚。


皇居を訪れた経験がなくても、誰もが写真や映像でならば一度は見たことのある皇居のアイコンともいえるこの橋。これを二重橋だとずっと思っていたのに、そうじゃなかったとの話。
7石橋


上の橋の奥にあるこちらが二重橋。
8本当の二重橋

どうしてこれが二重橋の名前なのかは「皇居見物 そして、ああ勘違い」に書いたからそちらを読んで欲しい。https://wassho.livedoor.blog/archives/53113149.html

ただし多くの人が最初の橋を二重橋と思っているようで、ネットで検索すれば同じような事例がたくさん出てくる。何となくトラウマになっている鳥羽伏見の戦い、伊賀と甲賀とは違って、これに気付いたときは「エーっ!違うの、何で〜?」とズッこけた感じだったかな。戦時中なら非国民扱いされたかも知れないが(^^ゞ



さて前置き3つが終わって、
いよいよ本題のパート4。

    祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
    沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
    奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
    猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。

ご存じ平家物語の書き出し部分。「春は、あけぼの」の枕草子、「いづれの御時にか」の源氏物語と3点セットで冒頭だけは何となく記憶にある人も多いと思う。(ふりがな付きはここをクリック

問題はこの「祇園精舎」。
その後に「鐘の声」と続くので、これはてっきり京都の祇園あたりにある寺だとばかり思っていた。さにあらず、この祇園精舎とは釈迦が説法を行ったインドの寺院だった(/o\)

場所はここ!
10祇園精舎地図


今でも遺跡として残っている。
11精舎現在

サクスクリット語(インドの古典語:梵語ぼんご)で Jetavane 'nāthapiṇḍadasya ārāma と書きジェータヴァナ・アナータピンダダスヤ・アーラーマと長い名前。その漢訳が称祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)、それを略して祇園精舎。略した祇園精舎のサンスクリット語は Jetavana-vihara でジェータヴァナ・ヴィハーラ。

それにしてもまさか祇園精舎がインドにあったとは。平家物語→平家が権勢を誇ったところは→京都→祇園にある寺だとばかり思っていた。今の祇園は歓楽街でも平安時代は静かなところだったのだろうと思い、「祇園精舎の鐘の声」の一節に触れるたび、その平安時代の祇園に鳴り響くゴ〜ンという鐘の音をイメージしてきたのに。

その最初はもちろん平家物語を初めて読んだ高校の古文での授業。そして祇園精舎がインドにあると知ったのは半月ほど前。そうなると勘違いしていたのはアラウンド半世紀もの期間になる。何たる不覚(>_<)

古文の先生は祇園精舎がインドの寺としっかり教えてくれたかなあ。もし教えてくれていたとしても「カロカツクイイケレマル」に気をとられて聞き逃していたのかも。



ところで祇園精舎はインドにあるけれど、
実は京都の祇園はこの祇園精舎がその名前のルーツ。

祇園の近くにあるのが八坂神社。ここは明治になるまで「祇園神社」や「祇園社」と呼ばれていた。八坂神社の歴史はややこしいものの、超簡潔にはインドにある祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう)を祀ることから始まったから。神社なのに仏教の守護神を祀るとは?だが、中世の頃の神道と仏教はクロスオーバー(神仏習合)している存在だった。後に牛頭天王は素戔嗚尊(=須佐之男命=スサノウ ノ ミコト=天照大神の弟)とされている。

祇園神社は大きな神社なので周辺の鴨川一帯に広大な社領を持っていた。そこが祇園と呼ばれ神社の名前が八坂神社に変わった後も地名として残る。今は舞妓さんや花街のイメージが強くても元は祇園神社の門前町。

参考までに現在の祇園はこのあたり。
12京都祇園



ところで祇園精舎の鐘の声〜で始まるのが平家物語。しかし実際のインドの祇園精舎に鐘は存在しない。鐘は中国が起源で日本に伝わった。インドの寺に鐘を打つ文化などないのだ。

平家物語は作者も書かれた時期も不明であるが、1309年(鎌倉時代末期)までには成立していたとされる。その頃の作者が古代インドの状況を知るはずもなく、精舎=寺だから鐘を打つと考えたのだろう。鐘がなければ当然ながら、それに続く「諸行無常の響き」もあり得ない。たぶんあの世で「やってもうた!」と反省しているはず(^^ゞ

それでも日本において祇園精舎といえば「祇園精舎の鐘の声」である。それで何と日本国祇園精舎の鐘の会なる団体が(ネットで調べたが正体はわからず)が1981年にインドの祇園精舎に鐘を寄贈している。ないのなら作ってしまえホトトギス?

それがこの鐘。
釈迦はナンジャこれ?とビックリしているはず。 画像はhttps://kaz4649.com/2017/05/02/bihar-up-220/から引用
13祇園精舎の鐘



さてさて、
ならばである。

祇園精舎とは京都の祇園にある寺だと思っていた。
果たしてそれは不覚の至りなのか?

インドの祇園精舎に鐘はない。
それなのに「諸行無常の響き」とまで書いている。

それを考えると、
これは祇園「しょうじゃ」ではなく祇園「じんじゃ」の書き間違いに違いない!
オリジナルの平家物語は琵琶法師による語りで伝えられた。
それを文字に書き起こす際に聞き間違えた可能性も高い。
14琵琶法師

つまり祇園精舎とは八坂神社。
八坂神社は平安時代以前からあるし、
神仏習合の時代なら神社に鐘があってもおかしくない。
そこでゴ〜ンと鳴った鐘を平家物語の作者は聞いたのだ。

だから祇園精舎を「京都の祇園あたりにある寺」と思っていた私のイメージは、寺と神社の違いを除けば間違っていなかったのである!!!


古典にも負けず嫌いで挑む元気がないとね(^^ゞ


おしまい

wassho at 23:16|PermalinkComments(0)

2024年07月02日

使っていないのに壊れていた(/o\)

机の引き出しの奥にVHSのビデオテープがあるのを発見。ラベルを見ると1988年に私が制作に関わったプロモーションビデオだった。そのプロジェクトのことは今でもよく覚えている。それにしても2024 − 1988 = 36年前。もうそんなに経つのか、そりゃ年もとるわと感慨にふける(^^ゞ
ビデオテープ

VHSのビデオデッキはもう持っていないのでそのままでは見られない。そこでVHSからDVDにダビングしてくれるサービスを利用した。ネットで「VHS DVDダビング」と検索すると、いろいろな会社がサービスを提供している。

いくつかを検討して選んだのはカメラのキタムラ。理由は他社のほとんどが宅配便で送る必要があるのに対して、ここは店頭で受け付けていたから。キタムラの店舗の前はよく通りかかるし、それなら宅配便でビデオテープが壊れないように梱包するのも面倒だった。

キタムラの価格は他社と比べて高くもなく安くもないといったところ。60分までが税込みで1650円。カビが生えていればそれを取るのに2750円、テープが癒着していればその修復に3850円かかる。ただし事前にお得パックなるものを申し込めば550円。これはカビや癒着がなくても返金されない。まるで保険みたいな仕組みのサービス。

ずっと引き出しの中に入れっぱなしで保管状況はよかったとはいえ、36年前のテープだからお得パックを申し込んで1650円 + 550円 = 2200円。


店頭に持ち込んだのは6月の最初。店員の説明では修復作業がなければ約1ヶ月、作業が必要ならさらに半月というような説明だったと思う。けっこう時間がかかるなと思ったけれど、ずっとその存在を忘れていたテープなので特に気にはかけず。

ところが2週間ちょっとで店舗から仕上がったとの連絡がある。クレーム対策でけっこうサバを読んで作業日数を案内しているようだ。それとおそらくお得パックは申し込む必要がなかった(>_<)



店舗でDVDを受け取り、
さっそく見ようとするとブルーレイのプレーヤーが何とご臨終!!!
プレーヤー

症状としては電源が入らない。
コンセントを差し替えたり、軽く叩いたり揺すっても変化なし。

ブログには2019年の8月に「TSUTAYAが閉店していた」との記事を書いている。それ以降はAmazonプライムやAppleの配信でしか映画を見ていない。だから5年間まったく使っていないのに。

使っていなくても家電製品は壊れるんだとガッカリ。
皆さんも長らく使っていないものがあったら、たまには点検を。

もっとも私は以前にCDプレーヤーを自分で修理した経験がある。
これもそのうち分解して原因を突き止めてやると、実は今から楽しみにしている(^^ゞ

ただもし直せたとしても使い道はほとんどない。せっかく修理したCDプレーヤーも既に手持ちのCDはすべてパソコンに取り込んであるし、さらに最近はもっぱらサブスクで音楽を聴いていて出番なし。これも何かと時代の変化を感じる。



さてプレーヤーが壊れていたので、パソコンにDVDのファイルを取り込んで、パソコンで再生した。パソコンとテレビはつなげてあるのでテレビの大画面でも見た。もともとバックアップ用としてDVDの中のファイルは取り出すつもりでいたから、特に手間が増えたわけでもない。

その36年前のプロモーションビデオは今見てもなかなかの出来映え。なんと全編ニューヨークロケ! しかも映画的な味わいを出すためにVTRではなくフィルムでの撮影。そういえば撮影したのもちょうど今頃の季節だった。ニューヨークの各所でロケをして、観光では行くことのないニューヨークをあれこれ見られたのは懐かしい思い出。

それは私にとってはたまたま舞い込んできた畑違いの案件だった。初めての映像制作、しかも初めてのニューヨーク、さらにニューヨークの治安が最悪だった頃である。それでも全力で頑張ればなんとかやり遂げられるものだと自信にもなった仕事。

そのプロモーションビデオをここで紹介したいのは山々なのだが、
関係各位、著作権モロモロがあるので、当たり障りのない街角風景ショットをひとつだけ。
今より幅の狭い当時の画角に時代を感じる。

画面ショット

もしこちらの道に進んでいれば、
今頃はアカデミー賞のひとつやふたつくらい獲れてたかなあ(^^ゞ

wassho at 22:00|PermalinkComments(0)

2023年09月26日

トレッドストーンとサンクコスト その2

アメリカのドラマだし、また興業収入約1800億円と大ヒットした映画ボーンシリーズを下敷きにして強気だったのか、トレッドストーンは相当に大規模な制作である。

舞台設定だけを見ても

   アメリカ(アラスカ、ケンタッキー、バージニア)、ロンドン、パリ
   冷戦下の東ドイツ、ロシア、ハンガリー、ルーマニア
   インド、ギリシア、ガーナ、北朝鮮、韓国、中国

と多岐にわたる。もちろん実際のロケ地はそれぞれの国ではなく似たような雰囲気の場所も選ばれているだろうが、それでも世界各地で撮影されたはず。また4つのストーリーが同時進行するから登場する俳優の人数も多い。

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それだけの制作費を掛けても元が取れて利益が出ると判断したから、このドラマは制作された。また前回でも書いたように最低でも3シーズンは続ける予定だったはず。シーズン1はエピローグ編みたいなもので、提示した謎は一切解けないまま終わったのだから。

でも結果はシーズン1であえなく打ち切り(/o\) テレビの視聴率、ストリーミングサービス配信数やDVDの販売が予想より低かったのだろう。できれば予想と実際の差を知りたいところだが、このドライな判断にはある意味で感銘を受けた。もっとも超大物俳優は出演していないから決断できた可能性はある。もちろんジャニタレは出演していないから事務所にソンタクする必要もなし(^^ゞ



そして頭に浮かんだのがサンクコストという言葉。元は行動経済学の用語で、10年ほど前からビジネスやマーケティングの分野でもチラホラ使われるようになった。ごく簡単に説明すると、

 狭義のサンクコストとは、
   事業に投下したが回収できないコストを意味する。
   このコストには資金はもちろん労力や時間なども含まれる。
   事業ではない様々な場面に当てはめられる場合もある。

 広義のサンクコストとは、
  「今は赤字だがやがて状況が好転する(根拠なき願望)」「やめてしまえば
   今までの苦労が水の泡になる」「少しでも取り返さなければ」「中止すれば
   損失が確定してしまう」ーーー

   などの心理が働いて、ズルズルとその事業を継続し損失が拡大すること。
   これをサンクコスト効果と呼び、逆にいえばそれを引き起こすのが
   サンクコスト。赤字がすべてサンクコストではない(ただしこれは私の解釈)。

ちなみにサンクコストのサンクとはサンキューのThankではなくて、沈むを意味する動詞Sinkの過去分詞であるSunk。名詞としてのSinkはキッチンのシンクね。日本語では埋没費用と訳される。でもドブに捨てた金と表現したほうがイメージが湧くかも。


サンクコストでよく引き合いに出されるのがコンコルドの事例。これだけ特別扱いでコンコルド効果やコンコルドの誤謬と呼ばれたりもする。もう20年前に運行中止されたから知らない人もいるだろうが、コンコルドとは1970年代にイギリスとフランスで開発された超音速旅客機。マッハ2.2の速度が出せて、普通の旅客機では7時間かかるロンドン〜ニューヨーク間を3時間半で結んだ。

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1960年代から開発が始められて、その段階での仮受注は100機ほど(開発段階から受注を取り始めるのが航空業界の商習慣)。1969年に試作機完成。1970年代に入って世界各国の主要空港でお披露目飛行をしてさらなる売り込みを図ったものの、逆に

 オイルショックによる燃料費高騰:超音速で飛ぶので燃費は普通の旅客機の3.5倍
 超音速で飛ぶと衝撃波が発生するので飛行ルートが海上のみと規制された
 騒音問題:離着陸時の騒音は落雷レベルといわれた
 航続距離が短く太平洋を横断できない
 機体が狭く100人しか乗れない
 また座席はエコノミークラス並み、でも運賃はファーストクラスの2割増しになる

ーーーその他諸々あって、ほとんどの航空会社が続々と発注をキャンセル(/o\) 採算ラインに乗るのが250機とされてていたのに、確定受注は開発国の航空会社であるブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスで7機ずつ合計14機のみ。それでも4000億円を投じた開発費がサンクコストとなってプロジェクトは継続され、そして1976年に商業運行が始まったその年に製造中止と決まる。つまり何が何でも完成させて飛ばしたかったということ。そして2003年に運行を終えるまでに数兆円の赤字を垂れ流したとされる。

その赤字が製造メーカーの損失なのか、運行で航空会社も赤字を出したのかの内訳は分からなかった。コンコルドは英仏の国策事業みたいなものだから、税金で穴埋めされたのかも知れない。

コンコルドが売れなかった理由を客観的に眺めれば「誰か止めるヤツいなかったのか!」である。しかしそれがサンクコストの恐ろしいところ。この時は「国家の威信」なんて厄介なものも絡んでいた。あっ、再来年に大阪で万博をやるらしいね。建設費は当初予算の1250億円から2300億円の大幅アップだって?(^^ゞ



ーーー続く

wassho at 22:01|PermalinkComments(0)

2023年09月24日

トレッドストーンとサンクコスト

米国テロ対策ユニットCTUのジャック・バウアー捜査官が活躍する連続ドラマ「24 -TWENTY FOUR」。日本でビデオレンタルが始まったのが2003年、テレビで放送されたのは2004年から。あれからもう20年も経ったなんてまあまあビックリする。それだけ歳を取ったと自覚を持たないと(/o\) 当時30歳代後半で懸命に大統領を警護していたバウアー役のキーファー・サザーランドも、今は大統領役を演じられる年齢になっているのだから。

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ドラマの1話、2話、3話ーーーをエピソード1、エピソード2、エピソード3ーーーと呼び、またそのエピソードのセットをシーズン1、シーズン2、シーズン3ーーーと数えるのはこのドラマから広がったように記憶しているが違うかな?


この「24」は大ヒットしたし内容的にも私の好きなジャンルなのだけれど、実はいくつかのエピソードをポツンポツンとつまみ食い程度にしか観ていない。理由は単純に長い〜長すぎるから。ドラマの構成はタイトル通り事件当日の1日=24時間を追った内容で、1エピソードがその1時間分。だから24エピソードもある。

よくもこんな長いドラマを観ていられるなと思ったものの、世の中では観ていた人が多かったから「24」はなんとシーズン9まで続いた。そしてそれ以降、特にアメリカではシーズン1、2、3ーーーと続編を前提としたドラマ制作が多くなる。

だからAmazonプライムビデオで面白そうな海外ドラマがあっても、エピソードやシーズンがたくさんなものばかりでほとんど観ていない。ダイジェスト版も作って欲しいものだといつも思っている。

でも先月はエピソード10まであるドラマを観た。
タイトルは「トレッドストーン」。

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それは、こんな説明がついていたから。

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ジェイソン・ボーンとは過去に5作品が公開されている映画「ボーンシリーズ」の主人公の名前。演じているのはマット・デイモン(ただし4作目はスピンオフ作品なので登場せず)。

  ボーン・アイデンティティ   2003年
  ボーン・スプレマシー   2005年
  ボーン・アルティメイタム   2007年
  ボーン・レガシー    2012年  
  ジェイソン・ボーン   2016年

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このボーンシリーズはアクション、サスペンス、スパイもの系の映画が好きならオススメ作品。特に1〜3作目までは傑作の部類に入ると思っている。それまでマット・デイモンって何となくアメリカの田舎のアンちゃん的なイメージだったが、ボーン・アイデンティティを見てからはすっかり印象が変わったくらい。

またトレッドストーンとは映画の中で重要な位置づけを占める、CIAが極秘で進めた暗殺者養成プロジェクトの名前。ドラマと映画のストーリー的なつながりはなく、マット・デイモンも出演していないけれど、「ジェイソン・ボーンの物語をヒントに」と書かれているし、トレッドストーンをタイトルにしているくらいだから、これは期待できると思って何日かかけて観た。



ドラマの「トレッドストーン」は過去と現在、そして世界のあちこちのストーリーが同時進行するスタイル。北朝鮮も舞台となっている。ちょっと風呂敷広げすぎで、映画のボーンシリーズのようなテンポのよさや緊張感はないものの、映画レベルのクォリティを期待していたわけではないから、まあまあ楽しめた。そして最終のエピソード10では、いかにも「この続きはシーズン2で」というような終わり方。全体的な話の流れからすると、最低でもシーズン3までは引っ張りそうな感じ。

それでシーズン2も配信されているのかなとAmazonプライムビデオのトップページに戻って探すが見つからない。テレビのリモコンで操作するのは時間が掛かるのでパソコンで調べてみると、なんとシーズン1で打ち切られた!と判明(>_<)

内容的には今までは背景説明で、さあここからが本番という区切りで終わってしまった。といっても実際にこのドラマを観ていない人にはピンとこないと思うけれど、シーズン1は信長でいえば桶狭間の戦い、家康なら関ヶ原の戦いを描く前にドラマが終わっているイメージ。せっかくがんばってエピソード10まで観たのに、それはないゼと唖然とした。

そんなわけで、このドラマはフラストレーションを溜めてイライラしたい人にしかオススメできない(^^ゞ 脚本的には間延びしたところがあるとはいえ、撮影・絵作りはまあまあなので惜しい気がする。


次のシーズンが続かなかったのは視聴率がコケたからだろう。
でもここまで作った作品をスパッと打ち切るのもすごい。
それで思い出したのがサンクコストという言葉。


ーーー続く

wassho at 23:16|PermalinkComments(0)

2023年08月01日

本能寺の変 新説?

「レジェンド&バタフライ」はいわゆる“ 織田信長モノ”の映画。主演は木村拓哉と綾瀬はるか。公開は今年の1月27日。少し前にAmazonプライムビデオで観た。

ポスター

映画としての面白さはゴクフツー。時代劇なのでそれなりに重厚感は出ているものの、あくまでキムタクありきの作品。合戦シーンは省略が多く予算が足りなかったのかと思わせる。なお「バタフライ」は綾瀬はるかが演じる信長の正妻「濃姫(のうひめ)」が、帰蝶(きちょう)や胡蝶(こちょう)の名前だったともされるので、そこから取ったネーミングだろう。


さて誰もが知っているように信長の最後は、明智光秀がクーデターを起こした本能寺の変である。信長の最側近だった彼が、なぜそんな行動を起こしたのかについては日本史最大のミステリーといわれたりもする。

  怨恨説
  野望説
  黒幕存在説
  四国問題説
  義憤説

などがよく知られ、細かなものを含めると50以上の説があるらしい。まあ謎が解けないから歴史は面白い。

それでこのレジェンド&バタフライで描かれているのは、
まったく新しい視点での光秀の動機である。

それは

  魔王と恐れられた信長のカリスマ性と行動力に心酔していた光秀だったが、
  この頃になると信長がボケて衰えてきたので、
  こんなヤツに天下統一は無理と見切りを付けてクーデターを起こした!

との設定。

これはまったく斬新な発想。今までの歴史的見解では信長は死ぬまで絶対的な強者の存在であったから。おそらくそちらが事実だとしても、フィクションって面白いと思わせてくれたストーリーだった。


また「怨恨説」の根拠のひとつに饗応役解任事件と呼ばれるものがある。これは信長の同盟相手である家康が安土城を訪れる際に、光秀が饗応役(接待担当)を任されたものの、料理のために用意した魚が腐っていたのに信長が腹を立てたというもの。光秀は饗応役を解任され、中国地方で毛利と戦っていた秀吉の援軍として出陣を命じらる。それにより自尊心を傷つけられた彼が向かったのは秀吉の元ではなく本能寺ーーー

秀吉の援軍として出陣を命じられたのは史実だとして、魚が腐っていたから饗応役を解任されたかどうかは分かっていない。援軍を出さなければいけない事態のほうが家康を接待するより優先順位が高いと、優秀な軍事司令官だった光秀を起用した可能性もある。

というわけで家康を接待する場に解任された光秀はいないはずなのに、映画やドラマでは家康を招いた宴席で、信長が魚が腐っていると激怒して光秀をボコボコにする場面が好んで使われる。

それがこの映画では

  ボケて衰えてきた信長を見くびって、会議の場で居眠りをする家臣がいる。
  そんな緩んだ雰囲気を家康に悟られたら、
  織田家は弱体化していると攻められるかも知れない。
  そこで光秀は家康の前で失態を演じると信長に前もって打ち明ける。

つまり家康の目前で光秀をシバキ倒したのは、激怒した信長の恐ろしさを家康に見せつけるために光秀が仕組んで信長に演じさせた芝居!

いやあフィクションって素晴らしいと感心したわ。


このフィクションで難点があるとすれば信長が亡くなったのは47歳であること。
ボケ始めるにはちょっと早い。(なお年齢は数え年ではなく実年齢。以下、上杉謙信、武田信玄も同様)

ところで信長が好んで舞ったとされる能の一種の「敦盛」は

  人間五十年
  下天の内をくらぶれば、
  夢幻のごとくなり。

との唄で始まる。

それを知ったかぶりして「当時の寿命は50歳くらい」なんていうと、

  これは「人間の寿命が50年しなかい」ではなく、仏教で6階層ある天上界の
  最も低いレベル(下天)でも寿命が920万年あるので、それと較べれば人間界の
  50年なんてあっという間=夢幻のごとくなりとの意味。

と指摘されるからご注意を。

それでも920万年を100年でも1000年でもなく、50年と較べたのにはそれなりに意味があるはず。そして上杉謙信は48歳、武田信玄も51歳で亡くなっているから、50歳はひとつの区切りであって、信長もピークは過ぎていたのは確かだろう。もちろんボケていたかどうかは別問題。またボケるのは肉体的ピークは過ぎたのに、食糧事情や医療のおかげでやたら長生きする現代だからとの気もする。

それはさておき、47歳の信長を討ち取った光秀。彼の生涯の前半は記録がなく=生年月日も不明だから、その時に何歳だったかはよく分かっていない。通説としては信長より年上で55歳前後、あるいは65歳前後から70歳とされている。

後者だと当時としてかなりの高齢者だったことになる。

ということで、本能寺の変の新説その2は
「光秀がボケてクーデターを起こした」なんてのはどう?(^^ゞ


wassho at 22:50|PermalinkComments(0)

2022年11月20日

危険な天文学? その3

宇宙が誕生したのは138億年前とされるのが初回に書いた話。ビッグバン理論によれば138億年前より過去は存在しないのだから究極の昔である。そして前回は太陽系だけでも気の遠くなるような広さなのに、それが宇宙の中では点にもならない存在なことについて。

その想像すら追いつかないスケールと人生や日常を較べると、あらゆる出来事がどうでもよく思えてきてヤル気がなくなるから天文学は危険である。ただしクヨクヨする気も失せるプラス面もある(^^ゞ


さて時間と距離の次は量について。
宇宙に星がいくつあるか考えたことある?

太陽系には光を発する恒星である太陽を中心に、その周りを回る惑星8つ、準惑星5つがあり、さらに惑星や準惑星の周りを衛星が回っている。衛星の数え方はいろいろあるようだが国立天文台で確定番号がついた(観測の結果、衛星だと認められたとの意味だと思う)惑星の衛星数は182個。発見されていない衛星もまだ残っているようで、数年前の2018年に木星で10個、2019年に土星で20個が新たに見つかっている。また準惑星の確定衛星数は8個。

他にも小惑星や彗星などがあるけれど、とりあえず恒星1+惑星8+準惑星5+確定衛星182+8=204が太陽系の星の数。衛星は月くらいしか意識にないからずいぶんと多く感じる。衛星の大きさは様々で半径1メートル以下の岩のかけらもあれば、惑星である水星より大きな衛星も2つある。


太陽系のように恒星が惑星を伴っているものを惑星系と呼ぶ。ただし恒星と違い惑星は光を発しないので発見が難しい。今までに確認された太陽系以外の惑星系は3873個、惑星の総数は5241個。衛星はまだ見つかっていない。

というわけで、とりあえず星とは恒星に限定として、太陽系が属する天の川銀河にいくつの恒星があるか。正確に数えた人はいないが学説では1000億個から4000億個とされる。

そして全宇宙の銀河の数はなんと2兆個と推定されている!

ということはあまたある銀河の恒星数を、天の川銀河の恒星数1000億から4000億の中間をとって2000億とすれば、全宇宙の恒星は

  2000億個 × 2兆個!!

もう掛け合わせたら桁の単位は何になるか調べるのも面倒なくらいの数量。そして仮にすべての恒星が太陽系のように惑星系を持つとすれば、星の数は

  2000億個 × 2兆個 × 200個!!!   (太陽系の星の数を切り下げて200個)

たった200倍になるだけのように思えても、掛け合わせる相手が巨大だから、この200倍の破壊力も強烈になる。よく「世の中には星の数ほど−−−」との表現が使われるが、星の数ほどあるものなんて人間社会にないよ。

え〜そして、我々は2000億個 × 2兆個 × 200個のうちの1つの星に住んで、その中に196カ国あるうちの1つの国で暮らし、日常の生活範囲なんてせいぜいーーーやっぱり天文学に手を出すのは危険である(^^ゞ



さて地球に最も近い太陽系外の星はプロキシマ・ケンタウリと名前がついている。距離は約4.2光年。光の速度は秒速約30万キロで時速に直せば約11億キロ。時速1225キロのマッハに換算すればマッハ90万。その光速で移動しても4.2年、往復で8年半ほども掛かる距離。

10プロキシマ・ケンタウリ

画像はhttps://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46833562から。明るく輝いている2つの星がケンタウルス座のα星とβ星で、赤く丸を付けたところにプロキシマ・ケンタウリがある。

ところで、ご承知のように光より早いスピードはないと物理学ではなっている。それどころか人類史上最速の宇宙探査機ヘリオス2号のスピードでも時速25万3000キロだから、光速の0.00023%しか達成していない。

いやいや大丈夫、来年あたりにアインシュタイン以上の天才が現れて、10年後にはワープ航法の宇宙船が完成しているはずだから、それに乗って宇宙旅行にーーーと、かれこれ50年以上思い続けているのだが。そろそろ実現してくれないともう年齢的に(^^ゞ

しかし、もし明日にでも未来から宇宙船エンタープライズ号がやって来てくれたとしても、そう簡単に喜べないのである。

11エンタープライズ号

スタートレックではなくまだ宇宙大作戦と呼ばれていた頃のエンタープライズは、ワープ2から3のスピードだったように思う。しかし最新の機体はワープ9.9まで出せるらしい。ワープ1が光速、値が上がる毎に指数関数的にスピードは増してワープ9.9は光速の3053倍。これだとプロキシマ・ケンタウリまで12時間ほどである。

しかし天の川銀河は直径10万光年の広さなのである。端から端までワープ9.9で33年も掛かる。太陽系の位置は画像に赤丸で示したところで、そこから銀河の中心部まで2万5800光年。ワープ9.9で8.5年、往復で17年も掛かる。やっぱり宇宙旅行するなら中心は見ておきたいでしょ、日本でいえば富士山みたいなものだから。でも17年も旅行するのは無理(>_<)

12銀河系

地球から最も近いプロキシマ・ケンタウリは4.2光年先だが、他にも10光年以内に13個の星が見つかっている。しかし10光年とはエンタープライズで片道29時間掛かる距離。現地で遊んで観光して、それでも3泊4日くらいで宇宙旅行を楽しみたいのになあ(^^ゞ

なお10光年は天の川銀河の直径10万光年に対して0.0001%の距離。これを日本の長さ3000キロに当てはめるとわずかに300メートル! それじゃ宇宙旅行してきたと自慢できない!

またどうせなら隣のアンドロメダ銀河にも訪れてみたいもの。何となく子供の頃からアンドロメダという言葉に神秘的な響きを感じていたのよ。しかしアンドロメダは、天の川銀河の直径10万光年よりはるかに遠い250万光年も先にある。82年も掛かるぢゃないか! それではとウルトラマンの出身地であるM78星雲を調べたら300万光年も離れていた(>_<) 買いたかったなあ、ご当地限定販売グッズをM78にあるウルトラマン記念会館で(^^ゞ

13アンドロメダ

まあそれだけ宇宙は桁外れに広いという話である。ちなみに宇宙大作戦の最初のシリーズでは、エンタープライズ号で5年間の宇宙探査任務に出かける設定だった。片道2年半を、途中の船外活動時間を考えないで真っ直ぐに飛び続けたとして、平均速度ワープ2(当時の設定では光速の8倍)とすれば、20光年先までしか進んでいない計算になる。日本サイズだと600メートル。えっ、たったそれだけ?

あんなに心躍らせて放送を見ていたのに、その夢がしぼんだようなーーー
これが宇宙のあまりのスケールはSF映画や小説の危機でもあると書いた意味。

それでもつい見てしまうけどね。
庵野秀明監督がシン・スタートレックや
シン・スターウォーズをを撮ってくれないかな(^^ゞ


おしまい

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2022年08月31日

南山の部長たちと明智光秀

Amazonプライムビデオで「KCIA 南山の部長たち」という韓国映画を見た。
2020年に公開され韓国では興行収入トップとなった作品。主演はイ・ビョンホン。

南山1

内容は1979年に起きた、韓国の朴正煕大統領が、側近のKCIA部長である金載圭部長によって射殺された事件をベースにしている。

KCIAとはアメリカのCIAになぞらえてそう呼ばれた韓国版の諜報組織。ただCIAと違って国内の治安維持も担当する。治安維持とは反体制派の弾圧であるから、戦前日本の特高(特別高等警察)的な役割も果たしていた。CIAと特高を兼ねているのだからまさに「泣く子も黙る」的な存在である。1973年に日本滞在中の金大中を拉致したのもKCIA。その2年前には金大中のクルマに大型トラックを突っ込ませる暗殺工作もしている(同乗していた3名が死亡)。

南山とはKCIA本部があった地名。日本でも永田町や霞ヶ関と呼ぶみたいな感覚。韓国語ではナムサンと発音する。また部長というと中間管理職のようだが、KCIAトップの肩書きは部長で、当時は大統領に次ぐ権力を持っていたとされる。なお映画のタイトルが「部長たち」となっているのは元部長も登場するから。

南山2


この朴大統領が射殺された事件や、それがKCIAトップの犯行だとはもちろん知っていた。ただしそれ以上の知識はこの映画を見るまで特になし。当時はもちろん大きなニュースになり、いろいろと情報を得たと思うけれど、もうすっかり忘れてしまった。

興味があれば映画を見る、あるいはストーリーを調べてもらうとして、この南山部長は朴大統領が1961年に軍事クーデターを起こして政権を握ったときの部下。それ以来、忠実に大統領に仕えてきたものの、

  (1)長く政権に居座ったことにより大統領が独裁・金権腐敗体質に
  (2)他の大統領側近との権力争い
  (3)側近同士を争わせようとする大統領の工作
  (4)その他あれやこれや降りかかる難題

が重なって射殺に至る。

これって(1)は微妙だとしても、明智光秀が織田信長を襲撃したときと同じような状況である。まさか1979年(昭和54年)に本能寺の変が隣の国で起きていたとはビックリ。まさに歴史は繰り返すの言葉通り。

そして明智光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのかは、日本史における最大のミステリーとされる。それと同じく南山部長もその動機をあまり語ることなく処刑された。韓国内では精神錯乱、自己保身、民主化を守ろうとした愛国者と様々な評価があるようだ。

この映画は実話をベースにしているとはいえフィクションであるが、南山部長は朴大統領に追い詰められてかなりの恐怖を感じていたようだ。それが犯行に至った理由の少なくない部分を占めているように思えた。 彼自身が朴大統領の意向を受けて、というか忖度して元部長の暗殺を計画する。いつか自分に標的にされる順番が回ってくると考えたとしても不思議ではない。

それで思い出したのは、
明智光秀が本能寺の変を起こした理由として

  怨恨説
  野望説
  黒幕存在説
  四国問題説
  義憤説

などが議論されている。しかし意外と「このままでは信長にやられる」といった恐怖説は少ないように思う。恐怖におびえた者が最後に牙をむくのは一番ありがちなパターンなのだから、もっと検討されてもいいと思うのだが。しかしそれじゃ当たり前すぎて、歴史考察的につまらないからスルーされるのかな(^^ゞ とりあえず歴史研究家の皆さんは、この映画も参考に見ておきましょう。



最後にこの映画の、
どうでもいい見所(言葉がおかしいが)を2つ。

その1
ヒットマンが依頼主から受け取ったアタッシュケースを開くと、そこにはピストルと共に札束も収まっている。おそらく報酬なんだろう。舞台はパリ。しかしなぜかそれが日本の千円札。時代をあわせて伊藤博文の図柄。
IMG_1676

ひと束が100枚としたら4束あるから40万円。下にもう4束あるなら80万円。さらにもう1列くらい入っていれば120万円。当時のこの手の仕事の相場は知らないが、なにゆえ1万円札ではなく千円札? かさばるやろ? そもそもどうしてパリで日本円を使うのかもナゾ。なおヒットマンが日本人との設定ではなかったように思う。


その2
朴大統領には彼専用の秘密料亭のような施設があって、事件はそこで起こる。そして、その宴席の場がタタミ敷きになっている。おそらくこれは史実なのだろう。
IMG_1677

タタミは日本独自の文化で韓国や中国にはない。それでも戦前は日本が韓国を併合していたし、朴大統領は日本陸軍の士官学校に留学もしているから、タタミに馴染みがあったのかも知れない。千円札ほどではないものの意外な印象を受けた。


密度が濃くていい映画だと思う。役者の演技もよかった。ひとつ難点をいえば、ふたつの勢力が元部長を暗殺しようと同時に動くのだが、誰がどちらの勢力かこんがらがってわかりにくい。映画あるあるなことだけれど、もうちょっと工夫が欲しかった。それを差し引いてもスパイ・サスペンスものが好きならお勧めの1本。




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2021年11月24日

アラン・ドロンのサムライ その2

no title

特に選んでたくさん観ているわけではないものの古い映画を観るのは好きである。それは当時の街並み、インテリア、ファッション、生活の様子などを眺められるから。昔はこうだったんだと思ったり、こういうのもあったなと懐かしかったり。それには舞台設定として古い時代を再現した映画ではダメで、古い時代に当時を撮ったものでないとこの楽しみは味わえない。本物と撮影のために組まれたセットの違いはもちろんあるけれど、その時代の空気や人間の感性が画面に現れているような気もする。


アラン・ドロンのサムライが公開されたのは1967年、和暦でなら昭和42年となる51年前。残念ながらパリの街並みはそれほど多く登場しないが、走っているのは今ではヴィンテージカー扱いのシトロエンをはじめとする古いフランス車。ゴルディーニやシムカといった既に消滅してしまったメーカーのクルマも多数で、それぞれの個性的なデザインは見ていて楽しい。なお夜のシーンではクルマのヘッドライトがとても暗いのも時代を感じさせる。
1

2


電話は当然ながら携帯ではなく固定式で、しかもダイヤルを回すタイプ。最後にダイヤルを回して電話をかけたのはいつだったかなと思いながら眺めていた。写真でアラン・ドロンがかけているのは日本とはかなり違うデザインの公衆電話。
3


そして警察がアパートの一室を盗聴するシーンがあるのだが、受信機から流れてきた音声を録音するテープレコーダーはオープンリール! レコードをかけたことのない世代でも、レコード自体のことは知っているが(DJの影響?)オープンリールのテープは見たことがない人が多いんじゃないかな。ちなみにカセットテープは1965年頃の誕生で広く普及したのは1970年代になってから。

映画からの画像ではないがオープンリールはこんなテープレコーダーね。
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次から書くのは当時はそうだったんだとあれこれ気がついたこと。この映画を観ていない人に文章だけで伝わるとは思っていないが、私の備忘録メモとして。


アラン・ドロンが演じる殺し屋は、殺しの現場にはクルマで向かう。ただし彼はクルマを持っておらず路上駐車しているものを盗む(^^ゞ 今はクルマの防犯装置が高度化して次の手は使えないが、少し前までクルマ泥棒というのは

  窓ガラスとドアの隙間に薄い定規のような板を差し込んでドアロックを外す。
  キーシリンダーの下の配線を直結させてセルを回してエンジンをかける。

というやり方だった。ドラマなどで見たことがあると思う。しかしこの映画ではクルマにドアロックはかかっていなかった。彼がクルマから降りる時もロックする様子はなかったから、この頃のフランスではロックしなかったのかな。縦列駐車するスペースが足りなかったら、以前はバンパー同士をぶつけて先に停まっているクルマを押し出してスペースを広げることをやっていた国だから、日本とは風習が違ったのかも知れない。あくまで想像だけれど。

そして決定的に違うのがエンジンのかけ方。配線をイジるのではなく合鍵を使う。写真のように100本ほどの合鍵を用意しておいて、順番に差し込んで合うものを探す。その時に怪しまれないように、顔や上半身は正面を向いたままで、手探りで作業するのがちょっとおかしい。
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先ほど書いた盗聴シーンはアラン・ドロンの部屋に、警察が不法侵入して盗聴器を仕掛けたもの。当然ながら彼は留守の設定で玄関には鍵が掛かっている。その鍵を開けるのもクルマ泥棒と同じように合鍵方式だった。この頃のフランスではピッキングという技術はなかったみたい。


殺害が通報されて警察が動き出す。怪しい奴は全員しょっ引けというかなり強引な捜査方法が取られる。怪しいかどうかの基準は身分証を持っているかどうか。アメリカ映画ではよく「IDを見せろ」というシーンがあるが、フランスでも身分証を持ち歩いているとは知らなかった。フランス映画はけっこう観たはずなのにーーー

アラン・ドロンは身分証は持っていたのに怪しまれて連行される。ビックリしたのは面通し(めんとおし)のやり方。面通しというのは目撃者に容疑者を見せて、犯人かどうかを確認してもらう作業。その際に容疑者に目撃者の素性を知られないように、面通しは隣の部屋からマジックミラー越しに行う。

でも映画では容疑者と目撃者が対面している。
写真で後ろ姿が見えているのが目撃者の皆さん。
11

この時代はマジックミラーがなかったのかなあ(ネットでざっと調べても、マジックミラーが登場した時期は分からなかった)。そういえば昔の映画で暗くした隣室から細長いスリットから覗いて面通しをしているシーンがあった。マジックミラーがなくても目撃者の保護対策は取られていたということ。それと較べると何ともおおらかなフランスの捜査手法。

もっとも目撃者の1人に映画のストーリーでキーとなる女性がおり、彼女とアラン・ドロンとの表情のやりとりを効果的に撮るためにこのような演出をした可能性もある。そんなことを想像しながら観るのも古い映画の楽しみ方。



アラン・ドロンがアリバイ偽装を依頼した女性の自宅を訪ねるシーンが何回かある。ところで日本でオートロックが普及しだしたのは30年ほど前からだが、欧米ではかなり昔からあった。かなり古そうな建物なのに、部屋から操作すると建物の入口でビーッとブザーが鳴ってロックが外れるシーンは映画でもよくある。

彼女のアパート(日本語でいうならマンション)にはそれが備わっているようなのだが、どうにも解せないのが、

   アラン・ドロンが建物の入口に来る。
   ドアの横のボタンを押す。
   ビーッと音が鳴って、アラン・ドロンが自分でドアを開いて建物の中に入る。

という流れなのだ。つまりロックを解除しているのは彼自身=居住者じゃない人間である。これじゃオートロックの役割を果たせない。それなのに一応は鍵は掛かっていて、でもボタンを押せば外から解錠できるナゾのシステム。この映画で一番不思議だった。


ドアつながりになるが、当時のパリの地下鉄は車両のドアを自分で開いて乗り込む仕組みのようだ。ただし閉まる時は自動で閉まる。昔、どこだったか雪深い地方で同じような仕組みの電車に乗ったことがある。無駄に寒気を車内に入れないための工夫。今でもそうしているのかな。現在のパリの地下鉄は自動で開くと思う。以前に開かなかったのは単にメカニズムの簡略化のためだろう。


アラン・ドロンは容疑者として警察に連行されたけれど、なぜか目撃者が嘘の証言をしたので釈放される。でも疑いを捨てきれない警察は彼を尾行する。地下鉄を乗り継いで尾行をまくシーンはこの映画の見所のひとつ。そこで最新機材の登場。彼を見つけた尾行要員(一般市民に変装している)は手に持った発信器のようなものを作動させる。すると捜査本部の地図の上の豆電球が光って、その位置情報を元に捜査員をその場所に急行させるというシステム。

これは携帯電話などない時代に情報のやりとりをする手法として考えられたのだろう。もちろん位置情報を送信できる発信器など、あの時代にあるはずもなく映画における空想の産物。捜査本部にある地図パネルも、今見れば笑っちゃうくらいにチャチ。でも当時の観客は、現在なら人工衛星や無人偵察機から送られてくる地上のライブ映像で犯人を追い詰めるシーンが映画であるように、それで未来的なハイテク気分を味わえたのだと思う。


もうひとつだけ書くと、市内各所に配置された捜査車両には無線機が積んであって捜査本部とやりとりしている。警察無線がこの時代にあるのは不思議じゃない。しかし一般に無線機の場合、受信した音声はスピーカーから流れてきて、送信はマイクに向かって話す。でもパリ警察の無線機には電話と同じような受話器がつながっていた。なんかヘンな感じ。そういう無線機もあったのかと思ったが、ひょっとしたらあれは携帯電話の前に登場した自動車電話を想像して作ったのだろうか。



サムライは感動したり何か唸るようなところがある映画じゃない。別に武士の「サムライ」を連想するようなところもない。あくまでアラン・ドロンの美貌とスタイリッシュさを満喫するためのもの。これを観れば彼が「目から何か光線を出している」と子供の私が思ったことも分かると思うよ(前回を参照してね)。


おしまい

100


wassho at 23:16|PermalinkComments(0)

2021年11月23日

アラン・ドロンのサムライ

先日、TVK(テレビ神奈川)というローカル局がアラン・ドロン主演の「サムライ」という古い映画を放送していた。制作は1967年。アラン・ドロンの代表作の1つで、フィルム・ノワールの名作とのこと。


フィルム・ノワール(Film Noir)はフランス語。Filmは映画でNoirは黒だから直訳すれば黒映画。日本語では暗黒映画と訳すこともある。狭義では1940〜50年代にハリウッドで数多く制作された犯罪映画のことだが、それをフランス人の評論家がネーミングしたのでフランス語が使われている。それまでの大衆娯楽としてのハッピーエンドな映画じゃなくて、虚無的、退廃的、悲観的などがキーワードだからノワール=黒なのだろう。現在はそういう内容のフランスあるいはヨーロッパ映画の形容詞として用いられることが多い気がする。

サムライ1

映画はアラン・ドロンが演じる一匹狼の殺し屋のストーリー。冒頭に「サムライの孤独ほど深いものはない。さらに深い孤独があるとすれば、ジャングルに生きる虎のそれだけだ 《武士道より》」というテロップが流れる。その《武士道より》の武士道ってナンだ? そんなタイトルの本があるのか? ジャングルの存在を知っているなら、とりあえず江戸時代の武士が書いたものではなさそう。

面白い映画だった。淡々としたストーリーに美意識の行き届いた映像と書くとありきたりの表現になってしまうけれど。派手なアクションや絶叫は一切なし。それどころか冒頭の数シーンが過ぎるまで台詞すらない静かな映画。現在のジェットコースターのようなハリウッド映画とは正反対で、じっくりと小説を読んでいるような気にさせてくれる。もっともアラン・ドロンの美貌ありきの作品なのは間違いないが。



ところでフレグランス(香水)のブランドにサムライというものがあって、それはアラン・ドロンがプロデュースした商品ということになっている。発売されたのは20年ほど前。当時は俳優としての人気が衰えたアラン・ドロンが、あるいはアラン・ドロンを担ぎ出した誰かが、てっきりその知名度を利用して日本人相手にインチキ商売を始めたのかと思っていた。しかし実は大いに優れた商品で現在に至るまで人気・定番ブランドの地位を保っている。今ではアラン・ドロンのサムライといえば映画ではなくフレグランスのことを思い浮かべる人のほうが圧倒的に多いだろう。

インチキ商売と感じた理由はサムライというネーミングにもあった。アラン・ドロンはフランス人なのにナンでサムライやねん、日本の単語を使ったら受けると考えたのか、日本人を舐めとるなあと思っていた。サムライというのは出演映画のひとつだったのね、無知というのは恐ろしい。ごめんなさいアラン・ドロンm(_ _)m

サムライ2



さてアラン・ドロン、私が小学生から中学生頃にかけては他を寄せ付けない「世紀の二枚目スター」だった。今でもよく覚えていることがある。

  アラン・ドロンが来日。
  空港には多数の女性ファン。アラン・ドロンがゲートから出てくるとキャーと大絶叫。
  そして彼がウインクすると数人の女性が失神して倒れた。
 (実際に起きた順序は分からないがニュース映像ではそういう編集になっていた)

アラン・ドロンは目から何か光線を出しているに違いないと子供の私は思った(^^ゞ


そのアラン・ドロンも今年で御年86歳。
美男子から渋いミドルまではよかったが、
Alain Delon1

Alain Delon2


これは3年ほど前の写真。
ただのジジイに(/o\)
Alain Delon3


時の流れは残酷だなあ。
アラン・ドロンでさえこうなのだから、そりゃ私もブサイクになるわ。


アラン・ドロンでもうひとつ思い出した。
40年ほど前だったと思うが次のような文章をどこかで読んだ。

  俳優には2種類ある。
  長生きしていい俳優とそうでない俳優。
  ジャン・ギャバンは老醜をさらした役もいいが、
  アラン・ドロンはそろそろ死ぬべきである。

ひょっとしたらアラン・ドロンの俳優としての実力をけなしていたのかも知れない。しかし私にそこまでの映画知識はなく、単純に顔面レベルの経年劣化を危惧して?の意見だと捉えた。その時は凄いことを言うなあと思ったが、現在のアラン・ドロンの写真を見ると、まあ納得できなくもないかな。ごめんなさいアラン・ドロン(2回目)。

まあ私は長生きしても許されるに違いない(^^ゞ



ーーー続く

wassho at 23:04|PermalinkComments(0)

2020年12月23日

さよなら ジョン・ル・カレ

ジョン・ル・カレはスパイ小説で有名なイギリスの作家。
1931年(昭和6年)生まれで、今月12日に89歳で亡くなった。

ジョン・ル・カレ

スパイ小説の分野では巨匠中の巨匠なので、そういう作品が好きな人なら誰でも知っているが、世間全般での知名度はそれほど高くはないかも知れない。何作かは映画になっているものの、それほどのヒットではなかったと思う。


ジョン・ル・カレが描くのは、007やミッション・インポッシブルをはじめとするスーパーヒーロー的なスパイとは対極の世界。あくまでリアルにスパイという人間くさい連中が等身大で迫ってくる。華麗なところはまったくなく暗く湿っぽい。それはジョン・ル・カレ自身が一時期は英国のMI5やMI6という情報機関で働いていて、実際の現場を知っているせいかもしれない。

驚いたことに彼は情報機関に在職中から作家としてスパイ小説を発表している。公務員なので、その時に使ったペンネームがジョン・ル・カレ。本名はディヴィッド・ジョン・ムーア・コーンウェルとやたら長い。ちなみに色仕掛けで相手を絡め取ることをハニートラップと表現したのは彼が最初で、その後に言葉として定着した。


ジョン・ル・カレの作品は26作ある。うち冷戦時代に書かれたのが半分で、それらがスパイを描いた小説。1991年に冷戦が終わった時、スパイはもう活躍しないからジョン・ル・カレも引退するのではと噂されたが、手を変え品を変え作品を発表し続けた。テロリストや外交官やマフィアなどが登場するが、冷戦スパイ小説と較べると少しエンタメ的な要素が増したかな。

私は半数くらい読んでいるはず。ただし20年から30年近く前とかなり昔のことなので、面白くて作品に引き込まれた記憶はあっても、どんな内容だったか具体的には忘れてしまった。しかしひとつだけ今でも強烈に覚えているストーリーがある。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
イギリス情報機関の最高幹部にソ連の二重スパイがいるという噂があった。
ある人物に疑いがかけられた。
そこで彼の行動を過去何十年に遡って調べてみたところ、

彼が外国に出張すると、ソ連のスパイも必ずその街に現れていることがわかった。
ただしそのソ連のスパイにはいつも尾行をまかれてしまい、2人が密会している現場は目撃されていない。

  ーーーということで確証はないもののメッチャ怪しい。
  実はこれがソ連の仕掛けたワナ。


ソ連はイギリス情報部員の若手の中から、将来は最高幹部になりそうな人物に目をつける。
仮にAという名前だとする

ソ連はAの行動を監視し、外国に出かける際は自国のスパイもその街に行かせる。
それでわざとイギリス側に目撃され尾行される。そして尾行をまく。
もちろんこれはAとは何の関係もない行動。

結果的に何も事件は起きていないのでイギリス側では特に問題にされないで忘れ去られる。
しかし、その目撃情報は記録として残る←ココ大事。

それを何十年と根気よく続ける。

そしてAが最高幹部になってから二重スパイだという噂を流す。
イギリス側が過去の記録を調べてみると、Aが海外に行くと必ずソ連のスパイもその街に現れるという「とても偶然とは思えない事実」が浮かび上がる。

イギリス情報機関は最高幹部Aに対する疑心暗鬼でボロボロになる。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

だいたいこんな感じ。うろ覚えで(どの作品かも忘れた)あまり正確ではないし、それより私の表現でどれだけ伝わったか自信はない。まあとにかく敵を弱体化するために内部崩壊を仕掛け、その手段として不信感という人間心理を利用し、そのために将来の調査に備えて敵側に記録が残るような偽装工作を長年続けるというストーリーに「そこまでやるのか」と唸ったことを覚えている。

もちろんこれはフィクションである。しかしビジネスでよく使われる「長期的な展望に立って」「将来に向けた種まき」なんて言葉を聞くと、たまにこのストーリーを思い出し「ここまでやる覚悟はあるのかな」なんて考えてしまう(^^ゞ


まだしばらくコロナで外出の機会は減りそうだから、
久しぶりにジョン・ル・カレを読んでみようかな。

wassho at 23:30|PermalinkComments(0)

2020年08月27日

クルマ爆弾と狙撃のナゾ

刑事や兵士がドアを蹴破って室内に突入するシーンを、海外の映画やドラマではよく見るのに、日本のでは見たことがない話を以前に書いた。調べてみたら欧米のドアは内側に開くのに対して、日本のドアは外側に開くからとの理由でツマラなかったが。


それ以外にアクション系の映画やドラマを見て疑問に思っていることがいくつかあって、まずはクルマ爆弾。殺したい相手のクルマに爆弾を仕掛けておいて、その相手が乗り込んでエンジンをかけたら爆発するというヤツ。海外モノでは割とポピュラーな暗殺手段である。

これも日本の映画やドラマではあまり見たことがない。しかし、よく考えると爆弾を仕込む場所としてクルマを使ったり、爆弾を積んだクルマでの自爆テロは現実の海外ニュースでよくあるものの、エンジンをかけたら爆発した事件は聞いた記憶がない。

このエンジン連動式の爆弾とは、映画やドラマだけの空想の産物なのかな?

殺し屋

そして暗殺といえば狙撃である。近くからピストルで撃つのは銃撃で、遠くからライフルで狙うのが狙撃ね。ゴルゴ13は2000メートル先のターゲットを狙撃できるらしいが、実際の世界記録は2017年にカナダの狙撃手がイスラム国の戦闘員を狙撃した3540メートルとのこと。ゴルゴよりスゴい奴がいるんだとビックリ。それにしても3540メートルって渋谷駅から新宿駅を超えてまだ先なんだけれど。そんな遠くから狙われたら絶対に気づかないわ。

さて戦場や乱射事件は別として、ケネディ大統領以外にライフル狙撃で暗殺された事例はざっと検索した程度では見つからなかった。意外と狙撃による暗殺というのも映画やドラマの中でしか起こっていないのかもしれない。

ちなみに日本では、1995年に國松警察庁長官が撃たれたことが狙撃事件と呼ばれている。しかし距離は20メートルほどだし、使われたのも拳銃だから狙撃と表現するのは微妙。


ところで、このブログを書くために、爆弾や狙撃などの物騒な単語であれこれ検索して調べた。もしかしたら政府の「秘密国民監視システム」に引っ掛かって要注意人物にリストアップされた可能性がある。

もしそうだとしたら、このブログを最後まで読んだあなたもきっと(^^ゞ

wassho at 21:59|PermalinkComments(0)

2020年08月08日

ラングレーまで11.17km

訳のわからないタイトルではあるが、アメリカのホワイトハウスからバージニア州のラングレーまでの直線距離が11.17kmとの意味である。そして、その

   「バージニア州ラングレー」

アクション系の映画が好きなら、そこにCIAの本部があるのを知っている人は少なくないかと思う。永田町とか霞ヶ関の地名が代名詞として使われるように、ラングレーといえばCIAを意味する。そして、この建物も映画の中によく登場する。

1CIA

そういうジャンルの映画が好みの私にはお馴染みのCIA本部。しかし昔から不思議に思っていることがあった。それは

   どうしてワシントンではなく、
   こんな人里離れたところにあるのだ。

という疑問。ちなみにこちらがもっと広い範囲を撮ったもの。どう考えても主要官庁が存在するような場所じゃない。

2CIA

ひょっとしたら敵から攻撃される可能性がある秘密基地?のようなものだから、ワシントンから遠い場所にあるのかーーーというのが映画的モーソーでの推察だった。もっともそんなに深く考えていたわけじゃないが。


ところが先日見た映画に衝撃のシーンが。

   主人公はCIA職員でワシントンの街中に住んでいる。
   そしてCIA本部まで自転車で通勤していた!

どんなドンデン返しよりもビックリするストーリーだった(^^ゞ それでバージニア州ラングレーってどこ?とGoogleマップで調べてみると、ホワイトハウスからCIA本部までが直線距離で11.17kmしかないことに再度のビックリ。

3 11.17km

これは東京だと国会議事堂から杉並区の高井戸までと同じ距離である。それなのに、あの森の中なんて日本では想像がつかない。なお念のために書いておくと自転車はママチャリじゃなくてスポーツタイプね。これくらいの距離ならフィットネスを兼ねて自転車通勤している人は日本にもいるだろう。

4高井戸


CIAが人里離れたところにあると思っていたのは、その緑あふれる風景と共に地名がワシントンではなくバージニア州だったのも影響している。どこにあるのかすら知らなかったものの、なんとなく田舎のイメージ。でも首都ワシントンD.C.はメリーランド州とバージニア州の州境に位置しているのだった。

5バージニア

アメリカに50ある州の名前はすべて聞き覚えがあっても、白地図で場所を示せるのは10もないかもしれない。あなたはいくつできる?

6白地図

ついでにアメリカ東海岸の主要都市。ニューヨークからワシントンまでは約300kmで、これは東京からだと名古屋と琵琶湖の中間くらいまでに当たる。

7東海岸


ところで最初の地図に記したように国防総省のペンタゴンとホワイトハウスが近いのにも驚いた。直線距離で約2km。これは日本の国会議事堂からだと銀座まで程度の距離である。ペンタゴンも風景写真はこんな感じだから、もっと郊外にあるものだとばかり思っていた。

8ペンタゴン

またこのペンタゴンは世界最大のオフィスビルだとされている。1フロアの面積が11.7ヘクタールで東京ドーム2.5個分。それの5階建て。どんだけ広いネン。



それがどうしたと言われそうな内容のブログだが、
まあ夏休みの自由勉強ということで。

wassho at 19:46|PermalinkComments(0)

2020年05月19日

お茶が熱いと吹き出すシーンはあり得ない

少し前まではドラマなどでよく見られたシーン。

   ちょっと昭和な感じの職場で、
   気の利かない女子社員からお茶を渡されて、
   それが熱すぎて口から吹き出す。

今は女性にそんなことをさせたら問題になるから、
そういうドラマはもうないかも知れない。

吹く


話は変わって5月12日に断熱マグカップの話を書いた。そして、そのメリットのひとつとして飲み口が熱くならないことを紹介した。

もうおわかりかと思うが、

   飲めないような熱いお茶なら、
   取っ手のない茶碗は、まず熱くて持てないし、
   もちろん茶碗の飲み口は、唇を触れられないくらい熱いので、
   飲むまでに至らない。

   それでも飲んだとしたのなら、
   事前に相当熱いのを承知した上であるから、
   飲んで初めて熱いと気がついて、
   ビックリして吹き出すのはおかしい

のである。
つまりあのシーンは実際にはあり得ない、いわゆるお約束の演出である。

どうでもいいことに気がついてしまった(^^ゞ

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2020年04月23日

映画を4Kテレビで見てみたら その2

それで前回書いたようにiMacでは2Kでしか再生できなかったが、テレビからAmazonプライムビデオに直接アクセスして4K映画を観た感想は、

   映像はメチャ美しい
   でも映画としては違和感
   撮影技術が4Kに追いついていない部分もある

の3つ。

映像は圧倒的な細密さとクリア感。2K映像から1枚ベールを剥いで曇りが取れたように感じる。ずっと昔、テレビがアナログ放送の時代に、初めてハイビジョンを観た時も同じように思ったものである。しかし現在の地デジ(つまり2Kのハイビジョン)と4Kの違いは、当時のアナログ放送とハイビジョンの差を大幅に上回る。

ということで映像の美しさは申し分ない。
しかし、それですべてに満足といかないのが厄介なところ。


満足できないのは、4K作品は映像に映画感がなくなってニュース中継のよう映像だったから。味わいや趣(おもむき)がなく、ひたすらリアルなだけと言い換えてもいい。

昔ならフィルムとビデオの違いとの説明もできた。ビデオはフィルムよりクリアに撮れても、どこか無機質な映像である。しかし今は映画だってデジタル撮影が多い。それでも映画として違和感がないのは画質というか画調を加工しているからだと思う。たまに見るメイキング風景で、現場での映像と映画として出来上がった映像のあまりの違いにビックリすることもある。

4K作品も同じような加工をしているはずなのに、4Kの解像度がその調整幅を超えてリアルなのかなあ。映画編集の知識もないので単なる想像だが。まあとにかくクリアに見えるとの意味では抜群にキレイなものの、ニュース中継のような「素の映像」に近くて、映画らしい雰囲気や映像美といった点で違和感がある、あるいは物足りなさを覚えたのが正直なところ。

これが4K映画の特徴なのか、まだ編集調整技術が追いついていない過渡期の現象なのか、あるいは私が見た作品が単に下手くそだっただけなのか。映画に携わっているプロがニュース中継のよう映像をヨシとするとは思えないから、徐々に「映画らしさ」を取り戻すだろうし、それを期待している。



撮影技術が4Kに追いついていないと感じたのは、たまにピントがボケているシーンがあったから。ある人物から隣の人物にカメラの向きが替わる場面などで見られた。もちろん一瞬ではあるが。

ひょっとしたら従来からそういう現象は起きていたのに気がつかず、4Kになって映像が超クリアになったから目立っただけの可能性もある。あるいは4Kカメラは映像素子が大型で被写界深度が浅くて(ピントの合う範囲が前後に狭い)撮影が難しいのか。どちらもまったく素人の推測。しかし今まで映画を見て「あっ、一瞬ピンボケになった!」なんて感じた経験はなかったから結構ビックリした。



ところで前回書いたように、Amazonプライムビデオで4Kが視聴できるのはAmazonのオリジナル作品が多い。たいていが10回くらいの連続ドラマ仕立てで、しかもシーズン2〜3へと続いたりする。でもそういうのはちょっと苦手なのである。見るのに時間がかかりすぎるから。できれば全3話くらいにして欲しい。もっとも私のブログも「その7」とか話を引っ張ることもあるけれど(^^ゞ

というわけでプライムビデオで見ているのはAmazon制作でない一般の映画が中心。だから必然的に2Kの画質になる。しかし、だからといって映像に不満を感じることはまったくない。今さらブラウン管で見たいとは思わないものの、2Kつまりハイビジョンなら充分で、4Kでニュース中継みたいな映像になるなら、2Kで映画的な映像のほうが楽しめるというのが私の結論。

なおテレビが2Kから4Kに交換になった件のブログで、

   地デジの2K放送でも、4Kパネルの性能を生かして従来よりキレイな映像に
   なるというのが東芝に限らずメーカーのうたい文句。しかし特に違いは感じない。
   2KパネルのZ8を横に並べて較べたら違いはあるのかも知れないが、まあその
   程度の違い。

と書いた。
しかしテレビ放送でもニュースなどではなく、コンテンツが映画だと2Kテレビより4Kテレビのほうが「少しは感じられる程度に」キレイなような気がする。理屈的に説明がつかないし、あくまで記憶の中での対比だから正確ではないが。でもキレイに思えるならそれでいいかと。

今、興味があるのは昔の映画を4Kにしたらどうなるかということ。Amazonプライムビデオで検索するとゴッドファーザーの4K版があるのに、なぜか「このタイトルは現在利用できない」と記されている。2K版は見られるのにどうして? 早く見られるようにして欲しいものだ。
ゴッドファーザー4K


おしまい

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2020年04月22日

映画を4Kテレビで見てみたら

5年前に購入して以来、何度も故障を繰り返していたテレビが、4度目の故障で修理ではなく新品に交換になった話を前回までに書いた。新品といっても2世代前のモデルだけれど。それでも4Kの液晶パネルとチューナーを搭載したモデルである。

ただしBSとかは契約していないので4Kのメリットは特にないと思っていた。しかしdocomoのキャンペーンでAmazonプライムの会員になったので、プライムビデオにある4K作品を見られるようになった。

もっとも最初はAmazonプライムビデオに4K作品があると気づかなかった。なぜなら4K作品は数が少なく、1万5000〜2万といわれるプライムビデオのラインナップで「4K UHD」の検索でヒットするのは現在428件。ほとんどがAmazonオリジナルの連続ドラマ作品で一般の映画はほとんどない。

それでも少し興味を持った連続ドラマに4K版があったので試してみることに。
しかし、そこで問題がーーー


それまではiTunesやNetflixの時と同じようにパソコンで再生して、それをテレビに外部出力して見ていた。しかしその方法で、4Kの作品を再生するとHDつまり2Kの表示が表れるのである。もちろん表示だけではなく映像も2Kである。昨年の夏にパソコンとテレビをつなぐHDMIケーブルの選定で苦労した悪夢がよみがえる(>_<)

4Kにはまた違う規格のケーブルが必要なのか? 試しにテレビと接続しないで、パソコンだけで再生してみた。結果は変わらず。ちなみに使っているiMacは4Kディスプレイである。

ネットで調べると、どうもAmazonプライムビデオはパソコンでの4K再生に対応していないようなのである。なんで?

Amazonプライムビデオ

仕方がないのでテレビからAmazonにアクセスすることに。テレビのリモコンにはNetflixとTSUTAYA TVのボタンがあるので、それにはおそらく簡単にアクセスできるのだろうが、Amazonにつなぐにはリモコンの数字ボタンでURLやメアド・パスワードを打たなくてはいけないのかーーーああ面倒クサッ!と思ったのだが、実は意外と簡単だった。

テレビでネット接続の設定画面にするとAmazonの項目が用意されていた。そこに入ると5桁くらいのパスワードのようなものが表示される。次にパソコンでAmazonにアクセスして「新しいデバイスを登録する」項目で、そのパスワードを打ち込むとすべて終了。これで私のAmazonアカウントに、このテレビが紐付けられる仕組み。テレビでいろいろ設定する必要は一切なし。ヨカッタ。

テレビをAmazonプライムビデオの画面に切り替えるには、リモコンボタンを4回押す必要がある。しかし慣れればそれほど面倒でもない。また作品を探したりするにはパソコンで操作するほうが早いが、パソコンで探した作品を「次に観る」リストに入れておけば、アクセスしている先は同じだからテレビの画面でもリストの内容は同期されている。

一番便利なのはパソコンでの再生と違って、テレビのリモコンで早送りや巻き戻しと一時停止ができること。ただし30秒進む・10秒戻るのボタンが使えないのが残念。台詞が聞き取れなかった時などに重宝するのに。

なおテレビはWi-Fiでネットにつないでいる。テレビの設定画面では「接続できているものの回線速度が遅い」というような表示が出る。しかし容量の大きい4K作品でもまったく支障なく再生できた。このテレビはいったいどういう基準で判断しているのだろう? 心配性なのかな(^^ゞ


ーーー続く

wassho at 21:30|PermalinkComments(0)

2020年04月10日

ドコモがアマゾンで若返った話

タイトルを正確に書くと、

   docomoが
   Amazonプライムの権利を1年分提供する
   キャンペーンをしていたので

   それを利用してプライム会員になり

   その特典であるAmazonミュージックで
   昔、レコードを持っていた音楽を聴いて
   気分が若返った

という話。

docomoのキャンペーンは「ドコモのギガプラン」への乗り換え特典としてAmazonプライムの権利を付けるというもの。私が乗り換えたのは昨年の秋頃なのに、それでも対象になるという太っ腹。しかもわざわざ「あなたはキャンペーン対象になっています」と葉書で送ってくるという念の入りよう。

docomoキャンペーン

そのAmazonプライムは年間4900円を払えば、2000円以下の買い物の場合でも送料が無料になるなどショッピング関連の特典がつき、またビデオ、音楽、電子書籍などの配信も無料というサービス。

私の場合、ショッピング関連では特にメリットがなく、いずれビデオは試してみようかなと思っていた程度。


話は変わるが、Netflixから始めた動画配信サービス・無料お試し期間の渡り歩き。Netflixが終了したことはブログに書いたが、その次はTSUTAYAに申し込んだ。これが最悪だった。映画の品揃えはそれなりに充実していたが、とにかくホームページの画面が反応しない。おそらくサーバーの処理能力が低いのだと思う。そしてようやく見たい映画につながったと思ったら、見ているうちにどんどん解像度が落ちてくる(画質が悪くなってくる)。途中で映像が止まることもあった。もう一度書くが評価は最悪の下。

映画の見られない動画配信サービスなんて意味がないので1週間くらいで解約した。解約のページもなかなか反応せず、何度もやり直して手続きを終えるのに3日くらいかかったかな。もし手続きするのが無料お試し期間の終了間際で、ページが反応せず有料期間に入ってしまったら一悶着起きたかも知れない。いや、サービスのレベルの低さに頭にきていたから、きっと起こしただろう(^^ゞ とりあえずTSUTAYAはお勧めしない。

TSUTAYAの一件でちょっと熱が冷め、無料お試し期間の渡り歩きは中断してしまった。というかレンタルしての映画は見ても月に1〜2本だから、その都度 iTunes で単品購入してもいいかなと思ったり。まあAmazonプライムは1年間続くのでゆっくり考えましょう。


さて話をAmazonプライムのサービスのひとつであるAmazonミュージックに戻すと、これには3つのコースが用意されている。

 PRIME    200万曲聴き放題  費用はプライム会員費に含まれる
 UNLIMITED 6500万曲聴き放題 月額980円(プライム会員は月額780円)
 HD      高音質で6500万曲聴き放題 月額1980円(プライム会員は月額1780円)

曲数と音質での差別化。PRIMEとUNLIMITEDの音質は通常の音楽配信サービスと同程度。HDはCD並みの音質で、一部にハイレゾ化されている曲もあるとのことだが、その比率は分からず。

それで、とりあえずPRIMEで曲を聴こうとしたのだけれど、曲のタイトルをクリックすると「UNLIMITED 30日間無料お試しできます」というような画面が現れる。200万曲と6500万曲で私の聴きたい曲の品揃えにどれだけ違いがあるか確かめるために、まずはPRIMEでいろいろ検索したかった。しかしその「無料お試しできます」を消しても、またタイトルをクリックすると表れる。消しても消しても表れる。仕方なく諦めてUNLIMITEDの無料お試しを申し込んだ。

なおUNLIMITEDでアクセスして曲を表示させると、その曲がUNLIMITEDでしか聴けないのかPRIMEでも聴けるのかといった区別は表示されない。だから200万曲と6500万曲の違いは無料お試し期間が過ぎるまでオアズケである。



私のレコード・コレクションは自宅に50枚、実家に100枚ほどがあった。高校生から大学生〜社会人なりたての頃に買ったもの。自宅のレコードはずっと以前に処分したが、実家に置いてあったものは2年ほど前に処分して、その時にジャケットを写真に撮っておいた。それを見てAmazonミュージックで検索している。

それにしても自宅にあったレコードの記録が何もないことが悔やまれる。処分したのはデジカメなんてなかった時代だから仕方ないけど。さらに言えば、買ったレコードよりレンタルしてカセットテープにダビングしていた(時代を感じる表現です)コレクションのほうが数倍は多かった。そのカセットを処分した時に、カセットケースに入れていたアルバム名・アーチスト名を書いたラベルは残しておいたのに、数年後に「ラベルで音楽が聴けるわけではない」と捨ててしまったのが痛恨の極みである。まさかネットで音楽配信なんて時代が来るなんて、その頃は夢にも思っていなかった。


ーーー続く

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2020年02月07日

実はカルロス・ゴーンとショーン・コネリーは似ていた?

テレビ東京が放送している映画番組「午後のロードショー」が、年明けから「007シリーズ20作品大放送!」を展開している。007映画は現在25作品が制作されている。古いものから順に放送しているから、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンド役の第21作から25作を除くすべてを放送するみたいだ。古い作品も、まだレンタル「ビデオ」の時代にすべて見たと思うが、再び見られてうれしい。


初代のジェームズ・ボンドはご存じショーン・コネリー。第1作から第5作と第7作で登場する。ちなみに第6作は1回しかキャスティングされなかったジョージ・レーゼンビーが演じている。

そのショーン・コネリー。2006年に俳優を引退し現在は御年89歳。
これは俳優として最後の出演作となった2003年公開の「リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い」のポスター。この時の年齢は72歳。
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こちらは2014年にイギリスでスコットランド独立の住民投票があった頃の写真。彼は独立支持派として活動していた模様。この時の年齢が83歳。
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いくつになってもカッコイイ。スコットランド独立の写真は映画ポスターと違って「素の状態」なのにこのオーラである。こんなジジイになりたいものだ。


これは007シリーズ第3作「ゴールドフィンガー」の頃のショーン・コネリー。1964年公開で撮影時には33歳。ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドといえばこの2枚目イメージ。
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日本で撮影された第5作「007は二度死ぬ」のポスター。ほぼ完璧のイケメン。
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しかし第7作「ダイヤモンドは永遠に」のショーン・コネリーはなぜか極太超ロングのゲジゲジ眉なのである。ちょっと笑いをこらえるレベル。
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もちろんゲジゲジ眉であっても、決め顔のショーン・コネリーは渋い。
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しかし、ところどころでカルロス・ゴーンになっている!!
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カルロス・ゴーンが楽器ケースに隠れて飛行機で日本を脱出したニュースを聞いた時、誰もが思ったはずである。まるでスパイ映画だなと。まるでーーーじゃなくてカルロス・ゴーンこそが実はジェームズ・ボンドだったことは、まだあまり知られていない(^^ゞ

wassho at 20:45|PermalinkComments(0)

2019年09月26日

WALKとWORKはウォークとワーク?

前回にウォークマンのことを書いたので、
ついでに前から気になっている英語の発音の話。

WALKとWORKは「歩く」「働く」で中学生でも知っている単語。しかし、この2つの日本語つまりカタカナでの表記の仕方が、なぜか英語の発音とは逆になっている。

  WALK→日本語ではウォーク:ウォークマン、ウォークインクロゼットなど
  WORK→日本語ではワーク:ワークシャツ、ハローワークなど


しかし英語だとWALKは
    口を大きく開いてワアーク

WORKは
    唇を突き出すようにしてウォーrク

である。だからカタカナ英語のウォークマンは「働く人」だしワークシャツは「散歩の時に着るシャツ」になってしまう。


どうしてなのか前から不思議だったので調べてみた。するとーーー

まず歩くのWALKは、アメリカ英語ではワークだがイギリス英語ではウォークのようだ。だからWALKをウォークとカタカナにするのは間違っているとはいえない。

しかし日本の学校教育の英語はアメリカ英語。なのにどうしてWALKをウォークとイギリス式にカタカナにしたのだろう。もっとも水のWATERはアメリカではウォラーでイギリスではウォーターだから、イギリス風にカタカナ表記されている英語はもっとあるのかも知れない。アメリカ式とイギリス式の発音を混ぜて使うとネイティブの人には??という印象らしいから統一しておいて欲しかったけれど。

次に働くのWORKはアメリカもイギリスもウォーク。だからカタカナ英語のワークは完全に日本訛りの発音になる。しかしもうすっかり定着しているので、たとえばワークスペースをウォークスペースに言い換えたりしたら混乱するね。



ちなみにWALKとWORKの発音について気になったのは、33年前の映画「トップガン」がきっかけ。その中で主役であるトム・クルーズの口癖のような感じで Just a walk in the park の台詞が出てくる。公園の散歩=簡単なことというような意味。

私は英語が得意なわけでもないし、発音もコテコテの日本英語。でもなぜかその Just a walk in the park が聞き取れた。そして日本語の字幕を見ながら散歩のWALKなのにワークと言ったぞと思ったわけ。

Top gun

ネットで探したら、そのシーンがあったので紹介しておく。

   トップガンの台詞その1
   トップガンの台詞その2

ところで来年の夏、トップガンの続編が公開される予定。今から楽しみにしている。しかしと珠玉の名作映画の長い期間をおいての続編は「ゴッドファーザー」「ウォール街」「ブレードランナー」とハズレの歴史でもある(/o\) 取り越し苦労でなければいいのだが。

それと「卒業2」を誰か撮ってくれないかな(^^ゞ

wassho at 23:56|PermalinkComments(0)

2019年09月22日

日本のドアは蹴破れない

Doors1


私が見る映画やドラマは海外のいわゆるアクション系が多い。よくあるシーンが刑事や兵士がドアを足で蹴破って室内に強行突入するシーン。それで先日、日本の映画やドラマではそういうものをほとんど見たことがないと気づいた。

どうして? 日本人は穏やかだから? 体格的に無理だから?

調べてみると

   欧米のドア:内側に向かって開くものが多い
   日本のドア:外側に向かって開くものが多い

との単純な理由だった。

ドア枠には閉じる方向にストッパーとなる桟(さん)があるから、開く方向じゃないと蹴破るのは無理との理屈。
IMG_1715

蹴破るのではなくパッティング・ラムと呼ばれる重い棒のようなものを使っても、ドアを閉じる方向に押し破ることはできないと思う。
バッティング・ラム

すると日本の警察や自衛隊は建物に強行突入するときにどうしているのだろう?
あまりそういう事例は聞いたことがないけれど、まあそのうち調べましょう。


ドアの開く向きという意外なところに文化の違いがあるものだと思った。ただし日本のドアが外側に開くのは、玄関や部屋が狭いのでドアが内側に開くと邪魔になるとのトホホな理由かららしい。


とにかく日本ではドアを蹴破って室内に突入できないとわかった。しかし逆に考えると、もし拉致監禁された時はドアを蹴破って逃げ出せるかも。イザというときのために覚えておきましょう(^^ゞ

ただしドアを蹴破るのは、言い換えれば、ドアと鍵の結合部を破壊する行為である。だからボールを蹴るようにドアを蹴るのではなく、写真のようにそこそこ高い位置にある鍵の部分に衝撃を与えるように蹴り込まないといけない。
Doors2

試しにそのポーズをやってみた。
ちょっと体勢的にキツいかな。
身体を鍛えなきゃ。


▢▢▢▢▢
2020.8.27追記:似たようなシーンであるクルマ爆弾と狙撃についても書きました。
http://blog.livedoor.jp/wassho/archives/53364345.html

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2019年09月21日

Netflixの無料お試し期間終了

数日前にNetflixの無料お試し期間が終わって、
ようやく生活のペースが戻ってきた(^^ゞ

予定通り本契約はせずに、別の動画配信サービスの無料お試し期間を試すつもり。ただし、しばらくはテレビ離れしたいから次の契約は少し先になるかな。このペースだとメジャーな配信サービスを一巡りするのに1年以上かかるかも。

あれこれ試すのは、それぞれの動画配信サービスにどんな作品がラインナップされているのか、ホームページの案内だけではよくわからず、(無料でも)契約して実際のメニューを確かめる必要があるとわかったから。

Netflixの場合、海外ドラマは充実していた。Netflixオリジナルのドラマが多くを占めるが、今までテレビ放送で見ていた海外ドラマと較べても作品レベルは同等以上。その反面、映画のラインナップはイマイチ。主に洋画のアクション系しか確認していないけれど、新しいものでも4〜5年前の作品といった印象。また作曲家や画家を主人公にした映画も見たかったのだが、そういうマイナーな映画はメニューで検索してもあまり見当たらなかったのが残念。

もっとも別に映画に詳しいわけじゃないから、あくまで「個人の感想」ね。

wassho at 23:35|PermalinkComments(0)

2019年09月07日

Netflix無料お試し中

ほぼ2週間ぶりの投稿になる。
ブログというのは少し休むと休み癖がついてしまうのだが、今回は特別に理由があった。


夏休みに映画三昧をしようと思ったらTSUTAYAが閉店していて、それでiTunesでダウンロードレンタルして、そしてパソコンとテレビを接続するのに少しトラブった話を前回までに書いた。

MacユーザーだからiTunesに馴染みがあって利用した。しかし今や映画も単品での課金ではなくサブスクリプション(定額制)でのネット配信サービスが主流である。それはわかっていたけれど、そのときに書いたように普段はテレビが全チャンネル自動録画してくれる機能で間に合っているし、Eテレの録画を見るのにも忙しい。だから定額制=見放題なサービスは必要ないという判断だった。

しかし動画配信サービスには無料お試し期間がある。もし無料期間終了前に解約して別のサービスに移れば、ここにリストアップしたものだけで10ヶ月半は無料ということになる。

動画配信サービス

タダならいいかと、とりあえずNetflixに申し込む。
Netflixは海外のドラマが充実している。
何シーズンもあるそれらを見まくった。映画も10本以上は見た。
面白かったから止まらなかったわけだが、無料期間中にたくさん見なければという気持ちも働いていたのかも知れない。それで自由になる時間のほとんどをNetflixしていたからブログも書いていなかったというわけ。

まさにテレビにかじりついていた日々。

   やっぱりアホになる(/o\)

生活のバランスが崩れるし、寝不足になるし、休日も引きこもりになる。
適度に見ればいいのだけれど、つい見続けてしまう。
自制心はあるほうだと思っていたが、ドラマのデキがいいのか。
それって自制心がないということか(^^ゞ


Netflix


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2019年08月23日

Macとテレビをつないでみたけれど その3

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前回に書いたようにこのような警告が出た。
iTunesストアでレンタルした映画をiMacだけで再生していたときは問題がなかったから、「ディスプレイのうちの1台」がテレビなのは明白である。しかしテレビはHDCPに対応しているはず。

誤作動かも知れないので、とりあえずまずはパソコンの再起動。テレビも電源をいったん抜いてみた。またiMacにはThunderbolt 3のポートが2つ、テレビにはHDMIのポートが3つある。ケーブルを別のポートに挿し変えてその組み合わせも試した。結果は同じ。

不思議なのは最初に警告がでたのは映画を再生して数分後だったのに、2度目からは再生直後に警告が出るようになったこと。どこかに情報が記録されたのか。というかHDCPに引っ掛かったのなら数分間も再生できたことのほうがおかしいが。


ネットで調べると似たようなケースはいろいろ見つかった。ただしパソコンのモニターで見られなくなったというものが多い。パソコン用のモニターはHDCPに対応しているとは限らないからテレビに接続した私のケースとは異なる。

さらに調べた。
結論から書くとiMacとテレビを接続させている「USB Type-CとHDMIの変換ケーブル」がHDCPに対応していない可能性が出てきた。これはちょっと想定外。HDMIの規格はHDCPの規格に準拠しているというか、それを内包しているものだと思っていたから。

推測だが、おそらく普通のHDMIケーブル(両端ともコネクタがHDMI)なら問題ない。その主な用途はDVDやブルーレイなどのプレーヤーをテレビと接続する、つまり著作権保護されたコンテンツを見ることだからHDCPに対応していなければ話にならない。しかし私が購入した「USB Type-CとHDMIの変換ケーブル」はパソコンとパソコン用モニターを接続することを前提とした商品なのだろう。普通にパソコンを使うには著作権保護は関係ないからHDCPの機能を外してコストダウンしているのかも知れない。


再度アマゾンで商品を探す。変換ケーブルはほとんどが1.8mで、その中にはHDCP対応をうたったものもあった。しかし3mのケーブルは商品が少なく対応しているものはナシ。仕方ないのでHDCPに対応したUSB Type-CとHDMIの変換「アダプター」と、単体のHDMIケーブルの組み合わせで購入。これでケーブルに関してHDCPの問題はクリアできるはず。
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しかし気になることがあった。変換アダプターの説明文に「HDCP2.2対応でiTunesの視聴に問題ない」と書かれていること。
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HDCPにもバージョンがあって2.2というのは4Kのコンテンツの保護のための規格。現在販売されている4KテレビはHDCP2.2に対応しているが、自宅のテレビは数年前に購入した2Kのハイビジョンテレビである。時期的に考えても1つ前のHDCP1.1にしか対応していない可能性がある。

iTunesストアの映画はHDCP2.2で保護されているのか? だとしたらケーブルの問題をクリアできても、今度はテレビがネックになって再生できなくなる。iTunesストアとHDCPのバージョンの関係については調べてもよくわからなかった。

まっ、もし再生できなかったら返品できるだろうと発注。


商品が到着。
接続した。
iTunesストアでレンタルした映画は問題なく再生できた。
最初の5分くらいは、また止まるんじゃないかとヒヤヒヤした。


結果オーライで目的は果たせたので、iTunesストアの映画はHDCPのどのバージョンで保護されているのか、また自宅のテレビがHDCP2.2に対応しているのかどうかも調べていない。だから技術的に確かな情報とはいえないけれど、とりあえずパソコンとテレビをつないで映画などを見るなら、HDCPのことも考えましょうというのが、この顛末記の結論。


映画三昧のはずの夏休みが、ケーブルの配達待ちに時間を取られて残念。


おしまい

wassho at 23:37|PermalinkComments(0)

2019年08月22日

Macとテレビをつないでみたけれど その2

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iMacにはThunderbolt 3(サンダーボルト スリー)というポート(端子)があって、そこから映像や音声の信号を出力できる。Thunderbolt 3は簡単に説明するのが難しので、とりあえずコネクタの形状はUSB Type-Cと同じということだけを書いておく。

テレビのポートはHDMIである。ということは片側がUSB Type-Cで、反対側がHDMIのコネクタになっている、いわゆる変換ケーブルでiMacとテレビをつなげばいいことになる。

もっともデジタル機器を接続するには「通信方式」「ケーブル」「コネクタ」のそれぞれの規格が関連していてややこしい。コンセントが遠かったら延長コードを足せばいいというようなわけにはいかない。そういうことはいろいろと経験してきたが、パソコンとテレビを接続するなんて、それほど難しい要素はなさそうだったのであまり深く検討しなかった。まあ面倒だったというのが正直なところ。


アマゾンで探してみる。USB Type-CとHDMIの変換ケーブルはほとんどが1.8mの長さだった。主に使用されるのがノートパソコンに外部モニターを接続したり、あるいはスマホとテレビをつなぐ用途だからだろう。私が必要だった3mの変換ケーブルは数種類しかなかった。

とりあえず選んだのがこれ。
MacLabというブランドだがAppleやMacとは関係ない。
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接続した。
何も設定しなくても、あっさりとパソコンの画面がテレビにも表示された。ただし音声はコントロールパネルで出力先を内蔵スピーカーからテレビに切り替える必要がある。

新しくiTunesストアでレンタルした映画を再生する。
問題なし。

やはりiMacとテレビの大画面では迫力が違う。またテレビの音声はDAC(デジタル・アナログ・コンバーター)という機器を介してオーディオで鳴らせるようにしてあるので臨場感も増した。

ーーーと喜んでいたのだが、
数分が経過したところでこんな警告が表示されて再生が止まった。
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警告に書かれているHDCPというのは映像の著作権を保護するための技術規格。平たくいえばコピー作成の防止。デジタルなものはコピーしても劣化しないので、ブルーレイのAACSや地デジのCPRMなど様々なコピー防止規格がある。でも地デジ対応のテレビ、ということは現在ではすべてのテレビはHDCPに対応しているはずなのに。ナゼ?


ーーー続く

wassho at 23:54|PermalinkComments(0)

2019年08月21日

Macとテレビをつないでみたけれど

前回に書いたように最寄りのTSUTAYAが閉店していたので、
iTunesでビデオを借りることにした。

iTunes(アイ・チューンズ)というのはAppleが提供する音楽や動画の再生ソフトであり、それらのファイルの管理ソフト。そしてiTunesストアというのと連動していて音楽ファイルの購入、動画ファイルなら購入とレンタルができる。Macには標準でインストールされているがWindows版もある。

購入とはファイルをダウンロードすること。レンタルもダウンロードするのは同じだが、レンタルしてから30日以内が再生可能期間で、かつ一度再生すると48時間後には再生できなくなるという仕組みになっている。ちなみにダウンロードしたファイルは再生48時間後に自動的にパソコンから削除される。

動画(映画)のレンタル料金は新作が500円で旧作が400円。タイトルによっては200円のものもある。TSUTAYAは5枚で1000円だから較べると割高。でも5枚借りてもすべて見ないことも多かった。だから見るものだけを選んで、店に借りに・返しに行かなくていい利便性を考えれば納得できる価格。

ところでiTunesは2001年に誕生し、音楽のダウンロード販売という業態を築いて音楽業界の構造を変えた。CDが売れなくなったのはその影響。しかしダウンロード販売より定額聴き放題サービスが受け入れられるようになって、その栄光も今は昔。近々AppleはiTunesを廃止して別のアプリやサービスに置き換えるらしい。世の中の動きは激しいね。



とりあえず1本レンタルした。
ファイルは3〜4ギガのサイズなのでダウンロードには少し時間がかかるが、ファイルの一部がダウンロードされた段階でiTunesに表示され再生が可能だった。

見た。
自宅で使っているiMacは21インチ。画角というか目に映る画面の広さでいえば、ソファに座って離れて見るテレビより、デスクで間近に見るiMacのほうが大きい。

だから迫力的なことは問題ないかなとも思っていたのだが、実際にはかなり違った。やはり絶対値が大事。考えてみればスマホの画面を顔に近づけても大画面の迫力を味わえるわけではないから当たり前。それにソファと違って椅子ではくつろげない。

ということでiMacとテレビを接続して、テレビの画面で見ようということに。
それが一筋縄ではいかなかったのである。


ーーー続く

wassho at 21:06|PermalinkComments(0)

2019年08月20日

TSUTAYAが閉店していた

暑いし、もう元気なつもりだけれど、いちおう病み上がりだし、
今年の夏休みは自宅に引きこもって映画鑑賞三昧で過ごすことにした。
それで駅前の商店街にあるTSUTAYAへ行くとーーー

   なくなってた(/o\)

ネットを使った配信サービスに押されて、CDやDVDのレンタルという業態が時代に合わなくなり、TSUTAYAがかなりのペースで閉店しているのはなんとなく知っていた。でもまさか地元のTSUTAYAが閉店しているとは。かなり規模の大きい商店街なのに。


調べてみると閉店したのは2月。今まで気づかなかったのはTSUTAYAが駅から自宅への反対方向にあって普段はその前を通らないから。それと最近はあまり利用していなかった。

以前は月に1回は何か借りていたかな。しかし4年ほど前に買い換えたテレビは、全チャンネルの1週間分くらいの放送を自動的に録画する機能が付いている。リモコンを操作すると放送された映画がズラッと出てくるので、そちらを見ることが多くなった。それと前にも書いたが、自動録画とは別にEテレの教育番組をかなり録画しているので、それを見るのに忙しくて。

ちなみに今1番おすすめなのは高校講座の生物基礎。昨年に番組が改訂され(今年はその再放送)、教科書解説的なものから研究者が熱く語る内容になった。遺伝子や免疫のことなど、けっこう知的好奇心を刺激される。それにしても高校生だった頃の生物の授業ってまったく思い出せない。


話をTSUTAYAに戻すと隣の駅のお店はまだある。上り下り共に2駅先でも営業中。でも電車に乗ってまでDVDを借りに行く気にもなれず。絶対に見たいタイトルがあったわけでもないので。

それでiTunesの配信でレンタルすることにした。
そしていろいろ発見があったというか、ちょっと無駄遣いしたというか。


ーーー続く


ツタヤ


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2019年03月09日

「カメラを止めるな!」をテレビで観た

昨日、テレビで放送されていた「カメラを止めるな!」という映画をテレビで観た。今はまだ3月初めだけれど、今年、これ以上に楽しい体験が出来るだろうかと思うくらい最高に面白かった。

「カメラを止めるな!」が公開されたのは昨年。300万円という低予算で制作され、当然ながら出演しているのは無名の俳優ばかりで、当初はミニシアター2館だけで始まったインディーズ映画。しかし徐々に口コミで評価が広まり、やがて全国で上映されて、国内外の映画祭で賞をたくさん取り、2018年の映画ランキングでは邦画の7位に入っている。興行収入は31億円。31億円÷300万円=1033倍だから10万円ほど出資しておけばよかった(^^ゞ

カメラを止めるな!

「カメラを止めるな!」のストーリーを説明するのは難しい。まず冒頭に37分間のB級感たっぷりのゾンビ映画が展開される。これは劇中劇みたいなもので、メインはそのゾンビ映画の企画から撮影までの人間模様を映画にしたもの。だから撮影シーンでは、ゾンビ映画撮影のメイキング映像を観るような作りになっている。

ゾンビ映画と書いたが、正確にはケーブルテレビ局の開局記念として「ゾンビもので、生中継で、ワンカット」の番組として企画されたものという設定。ワンカットというのは1台のカメラを回し放しにして撮影するという手法。これがキモとなっている。生中継で1つしかないカメラの撮影を止められないから、撮影中に次から次に降りかかるトラブルをスタッフが必死に乗り越えようとする珍妙な行動に笑わされる。ゾンビ映画の中で??と思うシーンもあるのだが、それは裏でこういうハプニングが起きていたのかということがわかり、それにもニヤニヤしてしまう。

ウン、ストーリーの説明になっていないし、面白さもまったく伝わらない文章だね(^^ゞ
DVDやアマゾンのネットビデオもあるからぜひ観ましょう。ちなみにウチのテレビには24時間全チャンネル自動録画という機能がついているのだが、昨日はその録画で2回続けて観た!

念のために言っておくと、冒頭の37分間はわざとB級アルアルな仕上げにしていると思うが、全体としてもB級映画であることに変わりない。なんたって300万円で撮ったドタバタ劇。ちなみに300万円はスターウォーズ撮影予算の2秒分なのだとか。でも二層構造になっているストーリーは緻密だし、コメディ部分もよく練られていて素直に笑える。そして作品に対する情熱や映画愛のようなものが画面から伝わってくる。その「純な」な部分がちょっぴりうらやましくもあり、またこの作品に好感をいだく理由かもしれない。

とりあえずオススメ★5つ。
何のためにもならないけれど、ぜひとも観るべき映画。

wassho at 23:29|PermalinkComments(0)

2017年10月27日

ブレードランナー2049

「ブレードランナー2049」は本日公開された映画のタイトル。テレビでコマーシャルも流れているからご存じの方も多いはず。前作「ブレードランナー」の公開は1982年でなんと35年振りの続編となる。

私にとって前作はかなりインパクトのあった作品で、このブログでも2回取り上げている。

   2005年05月05日
   前振りに使っただけだが2009年06月27日


前作のストーリーは2019年という設定。つまり再来年。映画でクルマは空を飛んでいたが、あと2年でそんな未来社会は実現しそうにない(^^ゞ また有名なSF映画である「2001年宇宙の旅」「2010年宇宙の旅」はもちろんタイトルとなっている年が舞台設定。とっくに過ぎたが2001年レベルもまだまだ先の話。


それぞれが何年先の未来を描いたのかを整理すると

  2001年宇宙の旅 1968年公開→33年後の未来
  2010年宇宙の旅 1984年公開→26年後の未来
  ブレードランナー    1982年公開、舞台は2019年→37年後の未来
  ブレードランナー2049 2017年公開、舞台は2049年→32年後の未来

こう並べてみると「2001年宇宙の旅」はひょっとしたら33年後の未来予想に多少は盛った程度で制作されたのかもしれないが、それ以外は現実をまったく無視した内容だとわかる。実現可能性がないのに比較的近い未来に年代を設定するのは、そのほうが漠然とはいえリアリティを感じてもらえると考えているからなのかな。ちなみに1963年から放送された鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日!


ブレードランナー2049では面白いプロモーションをしている。前作と今回でどの程度ストーリーがつながっているかは不明だが、2019年から2049年の間を埋める3本のショートフィルムが公開されている。予習してから観に来いということ?

2022年編「ブラックアウト」



2036年編「ネクサス・ドーン」



2048年編「ノーウェア・トゥ・ラン」



2022年編では核ミサイルによる電磁パルス攻撃が取り上げられている。これは北朝鮮が脅している攻撃と同じもの。彼らがそのことを言い出したのは今年の9月になってから。それをヒントにストーリーに入れたのか(ちょっと制作期間的に無理な気もするが)、あるいは偶然の一致なのかは興味があるところ。


さてブレードランナー2049を映画館に観に行くかどうかを目下思案中。レンタルDVDになるのはまだ先だし、映画館のほうが映像に迫力があることはわかっている。でもこの映画はきっとストーリーが込み入っているはず。映画館だとDVDと違って「?」と思った時にちょっと巻き戻して確認できない。もうそういう鑑賞方法にすっかり身体が慣れてしまったのが辛いね。でもまあ観に行くんだろうな。3本のショートフィルムでもうウズウズしてきたから。


ところで前述したように35年振りの続編である。映画の続編ができるまでの期間ランキングではおそらく1位のはず。それで思い出すのが「ウォール街」から23年振りの続編だった「ウォール・ストリート」。続編ということ以外に価値のない作品だった(/o\) またパート2から26年後に制作された「ゴッドファーザー・パート3」。コッポラの娘の大根役者振りに泣けた(>_<) だから久し振りの続編と聞くと心配になってくる。今回はそんなことがなければいいのだが。

wassho at 21:22|PermalinkComments(0)

2017年10月20日

暗闇演劇「イヤホン」 その2

くらやみ

劇場のキャパは200名くらい。一般席はほぼ満席、後方に3列分ほど設けられた招待席は半分くらい埋まっていたように思う。


さて暗闇演劇「イヤホン」がどんな芝居だったかを説明するのはちょっと難しい。Y君から教えてもらってホームページを見た時はアングラっぽい芝居かなと考えていた。でも実際のストーリーは難解でも前衛的でもない。ただし演出の仕方が実験的。

ストーリーをかいつまんでいうと

  劇場に役者や観客やその他10名くらいが人質として閉じ込められる。
  犯人から拳銃でロシアンルーレットをするように強要される。
  その過程でいろんな人間模様がある。

というもの。
また犯人とやりとりしている警察の交渉人が、外部から人質と連絡を取り合うという設定。


演出の仕方が実験的というのは暗闇演劇の名前通り、約2時間の上演中に舞台照明がついているのは全部で5分くらいだから。単に照明が落ちているだけでなく、出入り口には暗幕を張り、非常誘導灯なども隠しているようで館内は正真正銘の暗闇。

開演と同時に暗くなり、しばらくすれば目が慣れるだろうと思っていたが、光ゼロの空間なので本当に何も見えない。自分が目を開いているのか閉じているのかもわからないくらいである。目を閉じると暗闇の濃淡のようなものを感じることがあるが、目を開いていてもそういうものが見えるという体験もした。

  とにかく人生で一番瞳孔が全開になった2時間


というわけで演技はまったく見えない。実はメガネを忘れて「しまった!」と思っていたのだが、まったく必要なかった(^^ゞ 不思議なのはたまに舞台照明がついた時、役者がその場面に応じた立ち位置にいたこと。直前まで暗視ゴーグルでもつけていたのか?

暗視ゴーグルといえば芝居が始まる前に「館内は暗闇だが係員が暗視ゴーグルで監視している。気分が悪くなったりした人は手を挙げてくれれば係員が誘導する」というような説明があった。その時はこんな光なしの暗闇になるとは知らなかったので「本当にそんな装置を使っているの? 暗くなってイチャついたり、痴漢防止の牽制じゃないの?」と思っていた。しかしでも芝居の途中で2〜3名が館外へ連れ出されていたから、やはり監視していたようだ。



もうひとつの演出がイヤホン。一般客は無線レシーバー付きのイヤホンを渡され、招待席には有線のイヤホンが座席に備え付けられていた。このイヤホンから聞こえるのは警察の交渉人のセリフ。イヤホンの没入感を演出に利用しようという試み。

しかし交渉人とやりとりする人質のセリフは舞台から聞こえる、つまりイヤホンのセリフだけで完結していないから企画倒れな気がする。だいたい暗闇で姿が見えないから役者のセリフとイヤホンで聴いているセリフも耳への入り方は大差ない。


前回のエントリーで書いた「大変久し振りに小劇場での芝居を観た、というより聴いてきた」というのはこういう内容だったから。芝居というよりラジオドラマのライブみたいなもので久し振りに芝居を「観る」という期待は叶わなかったものの、光ゼロの空間に2時間いるという大変貴重な体験ができた。これを契機にたまには芝居を観ようかと思っている。


なお最後に役者の舞台挨拶があった。しかし登場人物より人数が少ない。暗闇を活かし声色を変えて一人二役で登場人物の水増しをするという演出?も行われていたようである。


おしまい

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2017年10月19日

暗闇演劇「イヤホン」

暗闇演劇

大変久し振りに小劇場での芝居を観た、というより聴いてきた?


暗闇演劇というのは大川興業が主催している芝居のタイトル。大川興業は「応援団ふうのパフォーマンスをするお笑いグループ」という認識しかなかったが、今は芝居がメインの芸能プロダクションになっているみたいだ。もっとも芸人としての大川興業がテレビによく出ていたのは1980年代中頃だから、現在アラサー以下の年代なら知らない人のほうが多いだろう。ちなみに江頭2:50は大川興業の所属。

代表のことは大川総裁と呼ぶ。まあ芸名みたいなもの。友人のY君がその大川総裁と知り合いで、招待チケットを回してくれて今回の観劇となったしだい。10月6日のこと。


場所は下北沢のザ・スズナリという小劇場。下北沢はあまり馴染みがなく25年は訪れていないので、開場の少し前に着いてタウンウォッチをすることにした。しかし当日はあいにくの雨。しかも時々土砂降り(/o\)

駅に着いた時はまだ普通の雨だったので駅周辺を歩いてみる。だんだんと雨が強くなりドトールみたいなところに入ろうと思ったのだが、そういう店が見あたらない。そのうち土砂降りになり、たまらず何でも屋みたいなお店の軒先というか入口に避難。そこには灰皿があってJTのキャンペーンガールが新商品の試喫を勧めていた。彼女に尋ねると、やはりドトールのような店は下北沢にはないということ。このクラスの規模の駅前なら、どこにでもあると思っていた認識を改めることに。

話はそれるがキャンペーンガールは事前に教えられているのか、この近辺でタバコの吸えるカフェをすべて把握していた。駅の反対側だったりしたのでそこへは行かなかったが、けっこうプロフェッショナルなんだと感心。


雨が少し弱くなったのでタウンウォッチング再開。
しかし本日の教訓。

   暗くなってから歩き回っても街のことはあまり頭に入らない(^^ゞ



劇場に着くと準備が遅れているとかで、1階のガレージみたいなところで待たされる。指定席はなく当日来た順番に番号入り整理券を渡され、その番号を呼ばれたら劇場に入る仕組み。やがて番号が呼ばれ始めたが、途中で何回も「ご招待の方は一番最後にご案内します」といわれる。周りの人はお金を払ってチケットを買っているのに何となく気まずい。


これがザ・スズナリ。
(写真はhttp://shibainomachi.com/2017/01/30/0189/から引用)
スズナリ

見るからにレトロというかボロい感じ。1980年頃にアパートだった建物を改築してできたらしい。劇場の入口は2階で写真にある黒い階段で上がるが、その幅は人一名分しかない。下北沢が演劇の街と呼ばれるのは本多劇場があるからだが、スズナリは本多系列で最初にできた劇場とのこと。


ーーー続く

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2015年02月28日

さよならスポック

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ネットのニュースでレナード・ニモイ氏の訃報を知る。宇宙大作戦、後にはスタートレックと呼ばれたテレビドラマや映画でミスター・スポック役を演じてきたアメリカ人の俳優である。亡くなったのは米国時間で2月27日午前8時40分、享年83歳。死因は慢性閉塞性肺疾患と報じられている。

国内外の主要メディアでこのニュースが取り上げられた。オバマ大統領も「レナードは生涯にわたって芸術を愛し、その才能を惜しみなく発揮してくれた。私もミスター・スポックが大好きだった。心からお悔やみ申し上げる」との声明を出した。彼は2007年にレナード・ニモイに私的な場で会ったとも書かれている。

考えてみればスタートレックのファン=ミスター・スポックのファンのような気がする。少なくとも私は間違いなくそうだ。だからスポックが登場しない2代目以降のテレビドラマシリーズにはあまり興味を持てなかったし、それをベースにした映画もすべて観たものの今ひとつ楽しめず。しかし最近の2作品では別の俳優だがスポックが登場している。そしてレナード・ニモイも老スポック役で出演していたからうれしかった。これだけ愛され、かつ作品で重要な役割を果たす登場人物は珍しいかも知れない。しかしもうレナード・ニモイのスポックは見ることができなくなってしまった。合掌


以前に書いたように高校生の時に宇宙大作戦の再放送を見て以来、スポックのファンである。しかし正直に書くと、あくまでスポックのファンであって、スポックを演じた俳優のレナード・ニモイのついては名前以外は何も知らなかったm(_ _)m 本日、訃報のニュースでスポックを演じていない素の彼を初めて見たしだい。バルカン人(と地球人のハーフ)のスポックは尖った耳がトレードマークだったけれど、彼自身の耳もかなり大きかったのね。
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写真で中指と薬指が開いた形をしているのはバルカン式の挨拶。この手の形をして別れ際に「長寿と繁栄を」と挨拶をする。英語ではLive long and prosper。バルカン語というのも考えられていてDif-tor heh smusma。ちなみにバルカン人の寿命は200数十年の設定。

ところでバルカン人同士がこの挨拶をするのは割と改まった場で、結構厳かな雰囲気でLive long and prosperと言葉を交わす。しかし日本だとこの形は「ブタの手」となっているのがツライところ(^^ゞ

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死期を悟ったのかレナード・ニモイは2月22日にツイッターにこんな言葉を残している。

   A life is like a garden.
   Perfect moments can be had, but not preserved, except in memory.
   LLAP

   人生は庭のようなもの。
   完璧なときもあるが、それをとどめておくことはできない。
   思い出の中以外では。

LLAPはLive long and prosperの略で、彼はいつも文章の中で結びの句として使っていたようである。それにしてもなかなか味わい深い言葉である。辞世の句のようなものだから過去を振り返って感傷的ではあるけれど、ここはひとつ「人生も庭も常に手入れを怠るな」と彼からのメッセージを前向きに受け取っておこう。


                             LLAP


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2014年08月12日

モディリアーニ 真実の愛 (映画)

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先日書いたようにモディリアーニをテーマとした映画は2本ある。

    モンパルナスの灯 1958年
    モディリアーニ 真実の愛 2004年

展覧会の記憶が鮮明なうちに映画も観てみようとDVDを借りてきた。残念ながら「モンパルナスの灯」はツタヤになかったし、iTuneの映画ダウンロード(期限付きのダウンロードでレンタルみたいなもの)にもなかった。そちらのほうがおもしろそうだったのに。

でも「モディリアーニ 真実の愛」もなかなか楽しめた。モディリアーニや絵とかに興味がなくても、映画としてそこそこのレベルの作品だと思う。画家をテーマにしたから意識したのか映像もきれい。(DVDよりブルーレイのほうがというキレイさじゃなくて、撮り方のことね)


モディリアーニが映画になるのはモンパルナスのプリンスと呼ばれ、35歳で夭折した彼の破滅型の人生に人を惹きつけるものがあるから。それと展覧会のエントリーでは書かなかったが、彼が亡くなる3年前に知り合って結婚した妻のジャンヌ・エビュテルヌの存在が大きい。妊娠9ヶ月の彼女はモディリアーニの死後2日後に自殺している。そして彼女は飛びきりの美人だった。脚本家にとっては書かずにはいられないのがモディリアーニの生涯なのである。

映画は史実をベースにしながらもかなり大胆な脚色が入っている。映画の冒頭で「これはフィクションです」と但し書きが入るくらい。美術史を勉強している人や絵画オタクにはいろいろ気になることもあると思うが、伝記映画やドキュメンタリーじゃないから別に構わないと思う。これはモディリアーニの半生にインスピレーションを得て、一途で切なく悲劇的なジャンヌの愛をテーマにした映画なのである。ちなみ舞台はもちろんパリだがセリフは英語である。


冒頭のシーン。
レストランに入ってきていきなりテーブルに上がり客に語りかけるモディリアーニ。この写真だけを見ると「はぁ?」なシチュエーションでも、このシーンでモディリアーニが皆に好かれていることがよくわかる設定になっている。
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主演のモディリアーニ役はアンディ・ガルシア。
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映画公開当時は48歳のはず。モディリアーニを演ずるには年配だが、なかなかいい演技だった。アンタッチャブルやゴッドザーザーpart3の頃のダイコン役者なイメージが残っているから心配したが。


こちらが本物のモディリアーニ。
何歳の時の写真なのかは不明。
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ジャンヌ役のエルザ・ジルベルスタイン。
フランスの女優。
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モディリアーニの絵に多少馴染みのある人なら賛同してもらえると思うはずだが、彼女はモディリアーニが描く絵にどことなく似ている。イヤ、どことなくのレベルじゃなくて、下の写真は絵のモデルになっているシーンだけれど、モディリアーニの肖像画そのものである。
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だから彼女ほどジャンヌにふさわしい女優はいないとも言えるが、少し歳を取りすぎているのが気になるところ。エルザ・ジルベルスタインは公開当時35歳。本物のジャンヌはモディリアーニより14歳年下で自殺した時はまだ21歳なのである。そんな若い女性が生活能力のない自堕落な中年男モディリアーニを愛し支えるところに、いろいろと想像をかき立てられる「歴史のおもしろさ」があるのに、35歳のエルザ・ジルベルスタインじゃ迫力ありすぎかな。このモディリアーニ顔には捨てがたいものがあるが。


こちらが本物のジャンヌ・エビュテルヌ。
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モディリアーニがジャンヌをモデルに描いた作品。
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これは映画の中でガルシアが描いたジルベルスタイン。
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超要約すると、売れない画家で子供も生まれたのに金のないモディリアーニが、高額の賞金狙いでコンテストに出品。優勝するが死んじゃって、二人目の子供を宿していたジャンヌも後追い自殺というもの。モディリアーニは病気で死んだのだが、映画では飲み屋で大酒を食らって金を持っていなかったので店の用心棒にボコボコにされ、それと病気の悪化で死んだことになっている。

当時の画家がいろいろ登場して、特にピカソとモディリアーニの対立を中心にストーリーが展開していく。画家として成功しているピカソは、思いっきり傲慢でイヤな野郎として描かれている。しかし二人揃って生きた伝説と化しているルノアールに会いに行くシーンでは不思議な友情も感じさせる。そのあたりは観てのお楽しみ。

コンテストに向けて画家達が寝食を忘れて絵を制作していくところがクライマックス。あり得ない設定なんだけれど、こういうのが映画ならではのストーリーで引き込まれる。音楽もいい。コンテスト会場でモディリアーニの作品が披露されるシーンは涙腺が緩い人なら泣けるはず。

ジャンヌのモディリアーニに対する愛情はだんだんと狂気じみてきて、ボコボコにされて死にかけているモディリアーニを病院に連れて行こうとする友人の画家達に「私とモディリアーニを引き離さないで」などと錯乱状態。彼が亡くなってピカソがジャンヌにお悔やみを言う時、それをさえぎって「お腹の子の魂を感じるのに私は空っぽ」というシーンは切ない。そして最後はモディリアーニに許しを請いながら飛び降り自殺する。

このシーンのセリフは意味がよくわからなかったが、そこだけ字幕から吹き替えに変えてみて理解できた。吹き替えのほうが100倍グッとくる。普段は吹き替えで観ることはないが、日本語の字幕とは微妙に違うセリフを喋っているとは知らなかった。


ところで映画では時々、幼い頃のモディリアーニが彼の分身のように出てくる。モディリアーニ以外には見えない幽霊みたいな存在。その子供モディリアーニがモディリアーニに忠告するシーンがいくつかある。例えば肖像画の依頼主と意見が合わず仕事を投げ出してしまった時は「また逃げるの?」。酒場で飲んだくれている時は「ジャンヌが待ってるよ」とか。

私の分身も出てきて欲しい(^^ゞ

wassho at 19:32|PermalinkComments(0)

2014年03月06日

ウクライナあれこれ その2

縁もゆかりもないウクライナなのに、昔から何となく親しみを持っていたのはアニメのルパン三世の影響。ウクライナの銀狐という名前の老婆が登場する作品があったから。なぜかその響きが印象的でいまだにその名前をよく覚えている。

ルパン三世の放送が始まったのは私が中学生の頃。とても熱中してみていた記憶がある。ただし今になっても覚えているのはそのウクライナの銀狐と、もう1作品だけ。後者の作品のインパクトは強烈で、いつかあんなことをやってやろうと思っていた。そして40ウン年たった現在、ナントその思いは実現しつつある。それは自宅にあるのだが、まだ完成途中なのでブログで披露できるのはもうちょっと先かな。もちろん何も盗んでいないよ。


ウクライナの銀狐のほうは老婆だったのと、何か雪の景色が多かったくらいは覚えているものの、作品の内容はすっかり忘れてしまっていた。でも今は便利なインターネット検索の時代。調べてみるとタイトルは「ニセ札つくりを狙え!」で、ウクライナの銀狐は引退した偽札界の女ボスだった。ウンウン何となく思い出してきたゾ。



このお方がーーー
と思わず敬語になってしまう貫禄充分なウクライナの銀狐。
ぎんぎつね


この雪に覆われた時計台が物語の舞台。
時計台


“ルパン三世 ニセ札つくりを狙え!”で検索すればいくらでもヒットするし、動画でまるまる見られるサイトもある。興味のある人はどうぞ。


ーーー続く。

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2013年08月12日

さよならロバート・B・パーカー

ロバート・B・パーカーはいわゆるハードボイルド小説を書くアメリカの作家。亡くなったのは2010年の1月である。訃報がニュースになるほどの著名人ではないので、彼の死を知ったのはその年の春か夏頃だったと思う。たまたま立ち寄った本屋で「追悼」みたいな文字を彼の本に掛けられている帯に見つけた。享年77歳。
ロバート・B・パーカー

それが、どうして今頃「さよならロバート・B・パーカー」なのかというと、本日、彼の最後の作品を読んだから。


スペンサーという私立探偵が主人公の、通称スペンサーシリーズが最初に書かれたのは1973年。日本では1976年に出版されている。私が初めてスペンサーシリーズを読んだのは1985年頃だったと思う。きっかけはよく覚えていないが、どこかで書評を読んだからのようにも思う。年表で確認すると1985年なら、既に11冊出版されていたことになる。

スペンサーは朝鮮戦争の経験があり、元ボクサーで元警官の私立探偵。当然タフガイである。でもハリウッド映画のような現実離れした強さではなく、それなりにリアリティのあるスケールで描かれている。なぜか料理が得意で、料理を作る過程の描写がよくでてくる。

初期の作品では手の込んだ料理とともにビスケットを焼くシーンが多くあった。「なぜビスケットをおかずと一緒に食べる?」と不思議だったが、ケンタッキーフライドチキンがビスケットを発売し始めて(かれこれ30年近く前の話である)、お菓子のビスケットとは別にパンに近い存在のビスケットがあることを知って納得がいったのは読者としてなつかしい思い出。



処女作の「ゴッドウルフの行方」から遺作となった「春嵐」まで39冊が出版されている。全部読んだし、すべての本をまだ持っている。じゃ熱烈なファンかというと実はそうでもない。

最初に読んだスペンサーシリーズのタイトルは覚えていない。「ゴッドウルフの行方」ではなかったように思う。スペンサーと私は対極にある。タフガイな私立探偵と屁理屈でメシを食っているマーケティング・コンサルタント。そんなところに憧れがあったのかもしれない。ただしテーマや手法は違うが情報を集め謎解きをする点では共通項もある。

とにかくスペンサーシリーズが気に入った私は数年掛けて出版されている作品をすべて読み、それからは大体年に1冊のペースで出版される新作を楽しみにしてきた。

だが20作目を超えた頃から、だんだんと飽きてきた。基本的にワンパターンなのである。依頼があって、依頼人には依頼したこと以外に隠された秘密があって、そのことにスペンサーがいろいろと巻き込まれたり、頼まれもしないのに首を突っ込んだり。そしてあれこれあるものの最後は無事解決。もっともこれをワンパターンというなら、ほとんどの探偵小説がそうなのだが。ただロバート・B・パーカーはストーリー作りという点では、たいした才能は持っていないと思う。ハラハラ・ドキドキしたり、この先どうなるんだろうと思わせることは滅多にない。それと過去の依頼人や敵対した相手が、その後の小説にスペンサーの味方として多く登場する。その人物達のキャラクターがお約束的すぎるのも話が退屈になる原因。何となくストーリーに行き詰まったら、昔の人物を登場させてページ数を稼いでいる気がしなくもない。


でもまあスペンサーシリーズは、スペンサーのタフで一本筋の通った生き様や男っぷりを楽しむ小説である。毒にも薬にもならないけれど安心して暇をつぶせるという意味では、私にとっては水戸黄門みたいなもの。 いつからか新刊ではなく文庫本になってから買うようになったが、39作品も読み続けたのはそんなところが理由。男性なら、ちょっと男気が不足してきたと思った時に読んでみるのをお薦めする。初期の作品にはフィリップ・マーロー並とまではいわないが、ハードボイルド小説にはお約束の「気の利いた台詞」もそこそこあったと思う。


夏の読書は公園がお気に入り。
エアコンの効いた部屋より温度は高いはずなのに、なぜか涼しく感じる。
この日は半分くらい読んだ頃に、空がゴロゴロ鳴り出し、ヤバイと思って帰ったが途中でゲリラ豪雨につかまってビショビショに(/o\) ゲリラ豪雨はもう異常気象じゃなくて日本の夏の風物詩かな。
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2013年06月20日

愛と哀しみのボレロ

最近DVDを借りてみた映画。

ここでいうボレロとは女性が着る丈の短い上着ではなく、ラベルという人が作曲したクラシック音楽のタイトル。もともとボレロはワルツやソナタと同じように曲の形式を表す言葉だが、ラベルの作曲したボレロがあまりに有名で、ボレロをいえばその曲を指す場合がほとんど。ボレロの名前は知らなくても、CMやドラマでもしょっちゅう使われているから、聴けば「ああ、これか」とわかるはず。


それで「愛と哀しみのボレロ」。
1981年公開だから30年以上前の映画。タイトルだけはずっと昔から知っていたように思う。もちろん観たのは初めて。映画は痛快アクション系が好みだけれど、そればかりじゃ芸がないから、たまに毛色の違うものも借りてくることを以前にも書いたかもしれない。監督はクロード・ルルーシュというフランス人で、あまりよく知らない。当然この映画はフランス映画。フランス映画がハリウッド映画と互角に張り合えていたのは、この頃までだったようなイメージをなんとなく持っている。


ブログに書くのだから、それなりに気に入ったということ。
でもかなり変わった映画である。

まず、この映画はセリフが極端に少ない。特に前半はほとんどセリフがない。映像というか情景描写だけで勝負したかったのだろうか。でも何の不満もなく話の内容はわかるから、この勝負は成功していると思う。セリフが少ないことによる説明不足、情報不足は感じなかった。よく考えたら小説でも登場人物は映画ほど喋らない。ひょっとしたら、本来はこれくらいが適正なセリフ量かもしれない。ハリウッド映画は必要のないセリフどころか、無駄な叫び声や効果音が多すぎるかもね。


基本的には第2次世界大戦前後の、何かといろいろ大変だった時代の生活や人生を描いている映画である。登場するのは次の有名な方々とその家族。

  グレン・ミラー
    グレン・ミラー楽団を率いたアメリカの有名ジャズミュージシャン

  エディット・ピアフ
    フランスの国民的女性歌手

  カラヤン
    クラシック音楽界では皇帝と呼ばれたドイツの指揮者

  ヌレエフ
    ロシアの男性バレエダンサー
    私でも多少は知っているくらいのバレエのスーパースター


これらの人たちを史実として描いたのではなく、あくまでモデルとして題材に使っているだけでストーリーは全くの架空物語。たとえばナチスの進駐軍としてフランスに来ていた若き頃のカラヤンが、エディット・ピアフと不倫して子供を作ったことになっている。その他も全くの創作。

映画が公開された1981年にカラヤンとヌレエフはまだ存命で、今なら権利関係でかなりややこしいことになりそうだが、当時はそんなことはなかったのかな。それにしても日本で例えるなら、超大御所クラスの長嶋茂雄と吉永小百合の間に隠し子がいたというようなストーリーの映画を作るのだからおもしろい。


映画には有名人をモデルにしていない家族がもう一組登場して合計5組。そしてカラヤンをのぞけば、大戦中が親の世代、戦後は子供の世代が中心の話になる。そして何と親子は全員一人二役なのである。例えばグレン・ミラーを演じていた俳優はその息子も演じ、グレン・ミラーの妻を演じていた女優はその娘も演じている。ヌレエフの母親に至ってはヌレエフの娘、つまり母と孫という配役。こんなに一人二役が多い映画は初めて観た。映画は5組の家族の話がバラバラに進行する。だから顔を見るだけで「あっ、これはあの夫婦の子供の話ね」とわかりやすいといえばわかりやすいけれど。


さらにこの映画は3時間と長い。ラストシーンが圧巻であるが、それを効果的にするために多少ダラダラ話を進めた疑いもビミョーにあり。観ればわかるがニューヨークでグレン・ミラーの家の隣に住んでいた家族の話とか、有名人じゃない家族の息子の友達の苦労話とかは、あってもなくても映画には影響しなかったと思う。

逆に3時間もあるのに、ヌレエフや有名でない家族の両親が出会って結婚するまでの展開はビックリするくらい早い。出会って、見つめ合って、その次は結婚式のシーンになっているくらいのテンポ。口説いたりプロポーズさせたらセリフが長くなるから、それを嫌ったのかな?


さて、ラストシーンはヌレエフがボレロに合わせて踊るバレエ。門外漢なのでバレエには何となく優雅なイメージしかないが、このシーンはとても激しい踊りーーーというか舞踏と書いたほうがしっくりくるパフォーマンス。映画ではヌレエフが宮殿のサロンのようなところで踊るシーンも別にあって、そちらも素晴らしい。演じているのはジョルジュ・ドンという本物のバレエダンサー。もちろん彼はヌレエフの父親も一人二役で演じているが、役者じゃないから、残念ながらそっちはとってもダイコン。

ラストシーンがどれほど素晴らしいかは、文章力がないから表現できない(^^ゞ ぶっちゃけメンズのダンスなんかにまったく興味がない。それでも食い入るように画面を見ていたとだけ書いておく。ちなみにラストシーンは15分くらいある。

そのラストシーンは赤十字主催のチャリティコンサートという設定になっている。ヌレエフがボレロにあわせて踊り、ボレロを演奏するオーケストラを指揮するのはカラヤン。大物歌手になったという設定のグレン・ミラーの娘と、同じく歌手になった有名人じゃない家族の孫がデュエットで歌い、司会を勤めるのはテレビキャスターになったエディット・ピアフの娘。観客にはそれぞれの家族もいる。バラバラに話が進んできた登場人物達がここで偶然にも一堂に会したという、とてもとても無理がある設定。

しかし、それぞれの国で色々あったね、戦争がなければもっと違う人生があっただろうにーーーというネタ振りには一役買っているし、それを下敷きに観るからヌレエフのダンスはより一層鬼気迫る。登場する5組の家族はそれぞれアーティスト家系なので、戦争の哀しみを乗り越えての芸術賛歌というのが、この映画のテーマかもしれない。そういう意味では、あまり観ることのできない「純な」映画である。


3時間の暇があるなら観て損はしないと思う。
なお現在DVDは廃盤で、ツタヤのみ独自のレンタル版を扱っている模様。

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2012年12月21日

悪魔のWin Win

Win Winの関係ーーーということがよく言われるようになったのは10年ほど前のことだろうか。念のために説明しておくと

   Win (ウィン) 勝つこと
   Lose (ルーズ) 負けること

たとえばビジネスにおいて発注者が値切り倒して、とにかく仕事が欲しい下請け業者が赤字覚悟で受注したとする。こういう場合はWin-Loseな関係。そうではなく双方が利益を得られる、メリットがある、あるいは満足できる状況がWin-Win。世の中Win-Loseな場合が多いからWin-Winというキーワードがもてはやされたともいえるが、社会的にはまったく正義な考え方である。


アメリカの大統領予備選をテーマにした映画を先日レンタルした。出来はあまりよくなかったので、もうタイトルは忘れた。ジョージ・クルーニーが出演していた。

  選挙戦でA候補とB候補が対立している。
  A候補には選挙参謀のPと、その下で働くQがいる。
  B候補には選挙参謀のRがいる。

Qはなかなかの切れ者で、そのせいでB候補は苦戦している。
そこでB候補の選挙参謀Rは内密にQと会い、こちらの陣営に来ないかとヘッドハンティングする。Qは断る。しかし、そのような密会をしたことがバレて選挙参謀Pの信頼を失いA陣営をクビになる。辞任ではなくクビになったものは雇えないとQはB陣営にも入れない。実は密会したことをA陣営に漏らしたのはRである。

QはRに文句を言いにいく。
Rは言う。

「君のせいで我が陣営は苦戦している。君を我々の味方にするか、もし味方にならないのであれば排除する必要があった。君がA陣営からいなくなりさえすれば、どちらでもよかった。これが私にとってのWin-Winさ」


Win Winな関係を目指しましょうというのはまったく正しいのだが、どこかお利口ぶった言葉の響きも感じる。どちらかといえばLose側の主張で、世の中そんな甘くないんだなあと思うこともある。この映画でのWin-Winは言葉としての使い方がまったく違う。でも、そんな潜在意識があったせいか「そーくるかあ」と感心したしだい。これくらいのしたたかさがないと本来の意味でのWin-Winも実現できないという気もする。Lose-Loseなことが多いから、世の中パッとしないのだ。

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2012年09月03日

バグダッド・カフェ

金曜日時点での天気予報は

   土曜日:晴れ時々曇り
   日曜日:雨時々曇り

実際の天候は

   土曜日:晴れ、しかし突然の土砂降りが5〜6回
   日曜日:曇り

おかげで週末は少し涼しかった。
今日からまた猛暑らしいが。

天気予報とは関係なく、いろいろ用事もあって今週のバイク遊びはなし。映画くらい見る時間はあるかと思ってDVDをレンタル。私がよく観るのは基本的にアクション系である。でもツタヤでは4枚1000円なので、いつも1枚くらいは違うタイプの映画を選ぶようにしている。それで借りてきたのが名作の誉れ高いバグダッド・カフェ。
バグダッドカフェ

ベルリンの壁崩壊前の1987年製作の西ドイツ映画。日本公開は89年。日本での興行成績はたいしたことなかったと記憶するが、当時から何かと話題だった。というかバグダッド・カフェをテーマにしておけば、何となく知的でおしゃれな雰囲気が漂うので雑誌なんかで便利に取り扱われていた感じ。ネットはまだなかった時代。テーマ曲のCalling youもヒットし、映画館でもビデオでも映画は観なかったけれど、このCDは私も買った。


観た。
冒頭3秒でズッコケタ!

バグダッド・カフェってイラクの首都バグダッドにあるカフェを舞台にした物語じゃなく、ラスベガス近くの砂漠の道路沿いにある「バグダッド・カフェ」という名前のお店のことだったのね。1980年代中頃の私はワールドミュージックをよく聴いていて、Calling youもそのジャンルのCDとして買った記憶があったる。だから、てっきりバグダッド・カフェ=イラクが舞台だと思い込んでいた。そういえばフセインが捉えられたイラク戦争の時も、イラクつながりでバグダッド・カフェを思い出して借りようとしたっけ。

※ワールドミュージック
  あえて定義すれば、ややマイナーな地域の民族音楽
  をベースとしたポピュラー音楽(ナンノコッチャ?)


主人公のドイツ人女性が旦那と喧嘩別れしてクルマを降りて、砂漠の道路をとぼとぼ歩いてたどり着いたのがバグダッド・カフェという名前の食堂兼モーテル兼ガソリンスタンド。最初は怪しまれるが、やがてカフェを経営する家族や、そのお客さんとも仲良くなるというストーリー。短編小説を映像化したような印象を受ける。

変わった映画である。主人公の台詞はほとんどない。だって英語しゃべれないから。途中で「オチはどうなるの?」と気になってくる。一応オチはあるが、あってもなくてもいいようなエンディング。

一言で表現するなら淡々として、ほのぼのとした映画。演出過剰でジェットコースターのようにストーリーに振り回されるハリウッド映画とは対極にある。そういう意味では新鮮。無駄なシーンやカットも多いが、撮影陣も楽しみながら撮影した気配が伝わってくる気がする。最後はよかったネというエンディング。心温まるとか泣けてくるというものではなく、しみじみとした安心感で終わる。まあ、こういう映画を100本くらい観たら心優しい人間になれるかもしれない(^^ゞ

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2012年08月15日

夏の公園でアーウィン・ショー

夏の休みになると楽しみにしていることがひとつある。
それは公園で本を読むこと。
公園が気に入っているのでも、読書がしたいのでもなく
公園にいるとなぜか涼しいから。


家の中にいると暑い。
たとえエアコンで充分に室温が下がっていても何となく暑い。でも、昔から不思議に思っているのだが公園の木陰にいると、たとえ猛暑日でも涼しくて汗ひとつかかないのである。
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理由はよくわからない。理屈的に涼しいはずがないし、気温を計ればエアコンが効いた部屋より高いはずである。公園は広々としていて風がよく通るからくらいしか思いつかないが、木陰とはいえ炎天下の屋外で汗もかかないのは不思議。でもとりあえず涼しくて気持ちいいから、暇なときはよく公園に出かける。


読書するのは、本でも読まないと間が持たないから。
それで涼みに出かけているわけだから、小難しいものは読まない。


アーウィン・ショー(1913-1984年)は短編が多いアメリカの小説家。何となく昔からファンで十数冊ほど持っている。でも、あまり人気がないのか彼の本は現在すべて絶版。心理的葛藤を描くのがうまいといえるが、基本的に毒にも薬にもならない小説で、読んだ次の日に内容を覚えていることはない(^^ゞ 代表作の「夏服を着た女たち」も、どんな話だったかはさっぱり忘れた。でも私はそんな軽いタッチの小説が好きなのである。

それと彼の作品は1930年代から50年代に書かれたものが多い。ネットや携帯はなくても、自動車や旅客機は日常的で、オフィスには大きなタイプライターが並び、スーツの大人は帽子をかぶっていた、いわゆる古き良きアメリカの文明社会が背景。貴族社会のヨーロッパなら空想の世界でも、この頃の外国ならリアリティを感じながら読むことができる。


春頃に、ふと「アーウィン・ショーの小説で読んでいないものって、どれくらいあるんだろう」と思いつき、調べてみると私が読んだのは彼の作品(邦訳)の半分くらいだとわかった。アマゾンで調べたら、そのうちの1冊で新品の在庫があった(中古はたくさん売られている)ので即注文。

本が届いたときに「待てよ、アーウィン・ショーほど夏の公園で読むのにふさわしいものはない」と気づき、本日までキープしておいたしだい。よく考えたら彼の小説を読むのは20年ぶりくらいかな。楽しかったよ、もう内容はほとんど忘れたけれど(^^ゞ


本日はお盆で終戦記念日。
この2つが同じ日なのは何か意味があるような気がする。
それはともかく、残暑お見舞い申し上げます。
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2012年06月17日

ブラック・アイ

coffee豆以前に紹介したカフェ・アメリカーノというエスプレッソのお湯割り。そこで書いた「ひょっとしてこれが究極?」というコーヒーの飲み方がブラック・アイ。ブラック・アイとは普通のコーヒーつまりドリップコーヒーに、エスプレッソを2ショット加えたもの。カフェ・アメリカーノと同じ文法で書くならエスプレッソのコーヒー割り。でも発想としてはコーヒーのエスプレッソ乗せな飲み方。



エスプレッソの1ショット(1杯)は50cc。
普通サイズのコーヒーカップに入った普通のコーヒーは1杯150ccで、マグカップなら250cc。2ショット分100ccを足さなければいけないからマグカップにエスプレッソ100ccとドリップコーヒー150ccで飲むことになる。比率2:3。


ひょっとして究極?と書いたくらいだからとてもおいしいコーヒー。カフェ・アメリカーノだと(薄まって)エスプレッソの単調さが強調されるけれど、ブラック・アイはエスプレッソのパンチと、ドリップコーヒーの奥行きがブレンドされたような味になる。エスプレッソと違って砂糖を入れなくてもOK。私はドリップと同じようにクリームだけで飲んでいる。

以前書いたようにエスプレッソは同じ分量でドリップの倍の豆を使う。お湯割りのアメリカーノでドリップと同じに薄めても、エスプレッソの味が勝っていてドリップよりハードに感じる。ブラック・アイはコーヒーにエスプレッソを加えたものだからかなり濃い目。私はドリップコーヒーの豆を2/3くらいに減らして淹れて調節している。ただし、あまり減らすとアメリカーノと変わらなくなってしまう。


この飲み方は「フェアゲーム」という映画で知った。主人公の女性の夫が、このコーヒーを注文する。それがちょっと不自然で、例えば空港のコーヒースタンドのようなところで「ブラックアイ」と注文する。店員がナニそれ?みたいな顔をすると、すかさず「コーヒーにエスプレッソを2ショット落としてくれ」と説明する。ちなみにそのシーンでブラックアイを飲もうがコーラを飲もうがストーリーにはまったく関係ない。そんなわざとらしいシーンが3回くらいあった。ブラックアイはスターバックスの隠しメニューにもあるらしいので、スタバが金を払ってシナリオに盛り込んだのかな?(映画に出てくるコーヒーショップがスタバだったかどうかは忘れた) ちなみにこの映画、あまりおもしろくなかった(^^ゞ


ネットでブラックアイを検索してもあまりヒットしない。「ブラックアイ コーヒー」と2つの単語で検索しないとプロレス関連の項目ばかりになる。あまり有名じゃないみたい。


それで英語で検索。こことか、こことか、その他の情報を勘案すると

  コーヒーにエスプレッソ1ショット→レッドアイ
  コーヒーにエスプレッソ2ショット→ブラックアイ
  コーヒーにエスプレッソ3ショット→デッドアイ(死んだ目)
  カフェイン抜きコーヒーにエスプレッソ→レイジーアイ(怠けた目)
  スタバの本拠地シアトルでは、ショット・イン・ザ・ダークと呼ばれてる
  ダンキンドーナッツではターボと呼ばれていてアイスコーヒーもある

などなど。
レッドアイは徹夜に耐えるために飲む、眠くて充血した目で飲むーーーというのが由来みたい。デッドアイは超濃いコーヒーを飲めば死んだような目でもシャキッとするという意味かな? ショット・イン・ザ・ダークも暗くなって飲む=目覚ましという意味だろう。つまり濃いコーヒーということを表現している。ブラックアイだけ由来が違っていて、クリームを入れたコーヒーにエスプレッソを注ぐと、注いだところが黒くなって目のように見えるかららしい。


よかったら、ものは試しに一度飲んでみて。
日本のスタバでも隠しメニューにあるかどうかは知らない。しかし最近はドトールでもどこでもエスプレッソはあるから、作ってもらえなければ普通のコーヒーとエスプレッソの両方を注文してテーブルで混ぜればいい。最初はレッドアイくらいが無難かも知れない。

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2012年06月07日

宇宙大作戦 長年の謎

エンタープライズ号

メンバー


宇宙大作戦とはアメリカのテレビドラマシリーズ。カーク船長率いるUSSエンタープライズ号が宇宙のあちこちで、様々な事件に遭遇したり新たな発見をするSF物語。後に映画化もされて、その頃から邦題の宇宙大作戦よりスタートレックという英文の呼び方のほうが一般的になった。トレック(trek)は旅行の意味だが、遠くや困難な場所に出かけるニュアンスがある。


私が初めてテレビで見たのは高校生の頃。その時すでに何度目かの再放送だったように思う。深夜に放送していたので、もっと子供の頃は知らなかったのだろう。でーーー私はいたく気に入り、当時はそんな言葉遣いはなかったが、どっぷりと「ハマった」。

いつかこのブログで高校3年生の6月に大学受験までに勉強できる残り時間を計算し、そのあまりの少なさに慌てて取り憑かれたように受験勉強を始めた話を書いた。その時も宇宙大作戦を観る1時間は、食事や睡眠時間と同じように、生きていく上で必要な時間としてその残り時間から除外して計算したくらいである。

宇宙大作戦の何にハマったかというとSFらしい未来的なハイテク装置や兵器もよかったけれど、なによりも毎回、人間の本質を描くような文学性があったから。怪獣が出てきて退治するだけの日本のSFドラマとはずいぶん違った。本当は「こんな素晴らしいストーリーがあった」と紹介したいところであるものの、あまりに昔のことなので、細かな内容はもうすっかり忘れてしまっている。

宇宙大作戦はその後に何度も再放送され、その度に熱心に観ていたので(まだビデオで録画する時代ではなかった)、たぶん全話見たと思う。その後の6本の映画ももちろんすべて観た。



宇宙大作戦には主役のカーク船長以外にも何名かのレギュラーメンバー(エンタープライズ号の乗組員)が登場する。一番有名なのは、ほぼ主役同格のバルカン星人で副長のスポック。熱血漢のカークに「船長、それは非論理的です」とクールに言い放つスポックは、たぶん私の人格形成にも多大な影響を与えた(^^ゞ

脇役のメンバーにチャーリーという機関主任がいた。設定はスコットランド人の天才的エンジニアで憎めないキャラクター。ところで宇宙大作戦は23世紀が舞台なので、エンタープライズ号のコンピューターはすべて人間が話しかければ答えてくれる。

何作目かの映画でエンタープライズ号はタイムマシン的に1986年の地球に戻ってくる。チャーリーはその現代の地球でパソコンに「コンピューター!」といつものように呼びかけてもウンともスンとも返事がなく、「あっ、ここは昔の世界だと忘れていた。きっとこれがこの時代ではマイクと呼ばれていた音声入力装置だ」と得意げにマウスを握って話しかける。このシーンは映画館でも爆笑の渦。その後、彼は超人的なスピードでキーボードを叩くのだが、その映画で使われていたパソコンがマックだったの印象的だった。マッキントッシュ・プラスという機種で、私が初めて使ったマックでもある。
チャーリー

マックプラス


さて、このチャーリー。テレビの宇宙大作戦ではチャーリーなのに、映画版ではスコットという名前なのである。演じている俳優は同じ。テレビと映画で配役の設定も変わっていない。ナンデ名前が変わるの? 昔のテレビの時に翻訳を間違えたのかとも思ったが、チャーリーとスコットじゃ間違えようもないーーーそれが長年の謎だった。


ところが先々週CNNで”「スター・トレック」俳優の遺灰、宇宙へ”と書かれた記事を見つけた。亡くなっていたことも知らなかったが、何とあの役名は「チャーリー・スコット機関主任」だったのね!

 まずは合掌
 でも宇宙大作戦で活躍したあなたが
 宇宙葬されるなんて本当のハッピーエンドだと思う。



長年の謎とは書きはしたものの、もちろん真剣に悩んでいたわけではない。最初の映画が公開された時、つまりチャーリーじゃなくてスコットに名前が変わった時、まだインターネットはなかった。それでも調べようと思えば調べられただろう。今ならネットの検索で一発である。

今は何でもネットで簡単に調べられて便利で、私もよく検索するけれど、すぐ答えを知ってしまうのではなく、しばらく悩んだり自分で考えたりしないと脳が退化しないかと心配になることもある。また「なんでチャーリーがスコットになった?」と疑問に思ったりするのは、大げさに言えば私の宇宙大作戦の楽しみ方のひとつだったような気もする。


というわけで、私が少々このブログでおかしなことを書いても、
ネットで調べて「間違っている!」なんて言わないで(^^ゞ

wassho at 09:44|PermalinkComments(0)

2011年12月09日

映画「オーケストラ」〜バックグラウンド・ストーリー

タイトル

たまたまレンタルした映画「オーケストラ」。観たかったからではなく、ツタヤでは4枚借りるとで1000円になるので、その枚数合わせのために選んだ作品。でも、なかなかよかった。どれくらいよかったかというと、わざわざブログに書くほどにである。


共産主義時代の政治的なイザコザから、30年前にモスクワのボリショイ・オーケストラを解雇された元楽団員達が、パリでボリショイ・オーケストラになりすまして演奏するというストーリー。公開は1年ほど前。まだ公式サイトが残っているので詳しくはそちらで。


主演のオッサン。アレクセイ・グシュコブというらしい。
写真は指揮者の正装をしているし、決めポーズだから渋い感じだけれど、けっこうブオトコ。日本じゃ不細工だと実力があっても脇役止まり。例外は渥美清くらいか。不細工でも実力のある俳優をメインの映画を作れば、日本映画も幅が広がるのに。
アレクセイ・グシュコブ



同じく主演のメラニー・ロラン。
名前は知らなかったが、以前ブログにも書いたParisという映画にも出ていたから顔は覚えていた。とにかく気絶するほど美しい(^^ゞ
メラニー・ロラン



さて、おもしろかったとは書いたが、実はこの映画の最初から2/3位まではあまり出来がよくない。何となくストーリーも演出も、練られていない感じの平凡なコメディタッチ。ときどきメラニー・ロランが出てくるから我慢できるレベル。


ラスト15分くらいで、まんまとボリショイ・オーケストラになりすまして、パリで満員の聴衆を前にして演奏するシーンになる。ここが圧倒的に素晴らしい。終わりよければすべてヨシの典型例。ちなみにメラニー・ロランは偽楽団員ではなく、バイオリン協奏曲のソリストとしてコンサートに呼ばれているという設定。


どう素晴らしいかーーーそれを私の文章力で表現できるわけがない(^^ゞ。
是非レンタルしてください。でも書かないと話が進まないので、ここからは、このDVDを観ないことには伝わらないことを承知で書く。


素晴らしい理由のひとつは、演奏する曲が素晴らしいからである。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。そういわれてもピンとこないかも知れないが、名曲中の名曲でCMなんかでもたまに使われているので聴けば知っている人は多いと思う。(←リンク先のユーチューブは、この映画のラストシーンの一部。いずれ削除される可能性もある) ちなみにチャイコフスキーはピアノ協奏曲は3番まで、交響曲は6番まで残しているけれど、なぜかバイオリン協奏曲は1つだけ。


しかしチャイコフスキーのバイオリン協奏曲はCDも持っている好きな曲だし、何度も聴いている。それでも、この映画で聴いた(観た)時は格段にのめり込んだ。

それはやっぱり映画にはストーリーがあるから。実はメラニー・ロランの母親も30年前に解雇された楽団員の一人でーーー非業の死を遂げーーー彼女は会ったことのない母親への想いをこの曲にーーーというようなストーリー設定になっている。けっこう胸に迫るものがあるので、このラストシーンで泣く人もいるかも知れない。


ドラマやCMでバックに流れる音楽は重要である。選曲によって印象はガラッと変わる。ニュース番組の特集コーナーでもドキュメンタリーをしみじみと見せたいときは、それっぽい曲を流すというセコイことをしている。いわゆるバックグラウンド・ミュージック。映像を引き立てる演出の手法である。


この映画を観て気づいたのはバックグラウンド・ストーリーというのもあり得ること。もしDVDを観た後に冷静になって考えてもらえばわかると思うが、メラニー・ロランの母親の件は、前半の平凡なコメディ同様、かなり強引で安っぽいストーリー設定なのである。そのストーリー設定だけではとくに感激もしないし、まして泣くことはない。

しかしバックグラウンド・ストーリーとして、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲をドラマチックに引き立てている。だから音楽というより、人間の感情表現そのもののように聞こえてくる。

う〜ん、やっぱりDVDを観ていない人には、
何いっているかわかんないだろうな(^^ゞ
公式サイトとユーチューブの映像で少しはわかったかなあ?


映画というのはストーリーと映像が主であって、音楽は従な存在。作曲家が主人公の映画でもそうだった。でもこの映画はそうじゃない。本日は “主と従。入れ替えてみたら、いろいろ発見があったり、新しい価値を作り出せるかも” の下書きでしたーーーと、何年かぶりに、マーケティングのブログらしかった時代のフレーズで締めてみる(^^ゞ

wassho at 11:13|PermalinkComments(0)

2011年07月31日

ウォール・ストリート(映画)

土曜日は雨でツーリングがキャンセルになったのでDVDを借りてきた。そういえばここ何ヶ月かは借りていなかった気もする。それで観たのがウォール・ストリート。知ってる人は知っている「ウォール街」の続編ものである。ちなみに前作も英語のタイトルはウォール・ストリート。前回はマイケル・ダグラスとチャーリー・シーンの共演だったけれど、今回はチャーリー・シーンにかわってシャイア・ラブーフというあまり知らない若手が起用されている。


偶然にも、この映画ではバイクが登場するシーンが2つあった。1つはシャイア・ラブーフが勤務先の投資銀行にバイクで通勤しているという設定。バイクはドウカティというイタリアのメーカーの「ストリートファイター」という車種。私のBMW F800Rと似たような雰囲気だが、もっと高性能なバイクである。ところでヘタッピの私が言うのも気が引けるが、シャイア・ラブーフ君のライディングは腕を突っ張りすぎ。撮影時にはもうちょっと演技指導が欲しかった。

もう1つのシーンではシャイア・ラブーフと敵役のブレトン・ジェームスが郊外の山の中をバイクで競争する。ブレトン・ジェームスはシャイア・ラブーフが勤める投資銀行の社長でバイクが趣味という設定。バイクは同じくドカティのスポーツタイプ。ドカティがこの映画に協賛しているのかな? こちらはもちろんプロのライダーがスタント役で走らせている。

主役クラスがバイクに乗っているなんて素敵な映画と思いたいところだが、この映画でバイクは彼ら二人のリスクを恐れない向こう見ずな生き方の演出として扱われている。まあ世間的にはバイクというのはそんなものか。ちなみに私は石橋のあるところへは近づかない小心者です。

ところで昨日のエントリーでバイク宅急便が欲しいと書いた.この栄華で山の中で競争するシーンでは、バイクは現地でメカニックが整備していて、そこまでは会社の屋上からヘリで移動という贅沢さ。 私もウォール街で一旗揚げたい!


前作のウォール街は名作だったと思う。Greed is good(強欲は善だ)で始まるマイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーのスピーチはド迫力だった。ところでDVDのパッケージに「あれから23年」と書かれている。そんなに時間がたったのかと軽く目が眩んだ。でも23年たってもマイケル・ダグラスはそんなに歳を取った印象がない。アップになると顔に細かなシワが目立つ程度。私の今と23年前の顔はーーー較べたくもない(>_<)。

びっくりしたのはチョイ役で出てくる前回主役のチャーリー・シーン。なんか顔がおかしい。ドラッグやアルコール中毒というニュースをたまに見るが、明らかに「イッてる顔」なのである。ちょっとショックを受けた。


さて肝心の作品のできばえだが、前作ウォール街に感動した人がちょっと昔をなつかしんで観るには楽しい映画でも、それ以上の価値はないと言っておこう。前作は悪徳投資家ゴードン・ゲッコーと一緒に共犯しているようなゾクゾクする感覚、つまり映画のストーリーに引き込まれるような魅力があったが、今回は目の前で繰り広げられるストーリーを鑑賞できただけの印象。

前作はインサイダー取引や企業乗っ取りというわかりやすい犯罪がモチーフだったのに対し、23年たって複雑怪奇になった金融取引やリーマンショックを下敷きにしたストーリーなのも影響している。つまり経済ドラマとして描き切れていないから、そこから伝わるものもない。人間ドラマとしても登場人物のそれぞれの設定が「お約束」的すぎる。ウォール街の続編ならある程度の興行収入は見込めるから、ちょっと手を抜いたんじゃないかと思えてくる。


まあ、名作の続編はこっちの期待値も高い分評価が辛くなるということで。
レンタルしても損はしないよ。

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2011年02月14日

ヒアアフター (映画)

ヒアアフター主演はマット・デイモンとセシル・ドゥ・フランス。
監督はクリント・イーストウッド。
ただし彼自身は出演していない。
なぜかスティーブン・スピルバーグもイッチョ絡んでる。
ストーリー説明は省略。
興味のある人はホームページで。
公開は19日から。


某企業のご厚意で試写会を見てきた。
冒頭の大津波のシーンをのぞけば、ストーリーは淡々とゆったりとしたテンポで進む。心理的葛藤を描いた映画ではあるが、情景を味わうのがたぶん正しい見方。

何か主張やメッセージがある作品ではないと思う。あるとしてもストレートには表現されていない(ストーリー設定は映画的に大胆だけれど)。どちらかといえば玄人受けする映画。いつのまにか巨匠と呼ばれているクリント・イーストウッドは、こんな作風が好きみたい。しみじみとした味わいが好きな人向けかな。マット・デイモンは好演技。彼はオールマイティな役者だと思う。


私の好みからいえば、試写会がなければ映画館に行ったりDVD を借りることはない作品。そういう意味ではいい経験。普段はあまり使わない部分の感性を刺激された感じ。何か得たものはないのに満足感は不思議とある。しかし私はいくつになったら、こういう大人の作品を楽しめるようになるんだろうか(^^ゞ


ちなみにマット・デイモンは霊能者役で(決してオカルトっぽい映画ではないのでご安心を)、タイトルのヒアアフターは「あの世」という意味で使われている。誰でも知っているHere と After がくっついた単語で、「ここ」の「後」だから、「今後」とか「これから」という意味。そこから転じて天国とか来世とか死後の世界という意味でも使われる。

   I will be careful hereafter

というのは私がしょっちゅう使っていて、もうスラスラ出てくる英語。意味は

   以後、気をつけます(から許してネ)

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2010年02月24日

映画「ゲーム」と誘拐サービス

e5b76b68.jpgマイケル・ダグラス主演の映画「ゲーム」。公開は1997年。私はVHSでレンタルした記憶がある。最初から最後まで、いやラストシーンが終わってもまだ何かあるんじゃないかと引き込まれる素晴らしい作品である。詳しい説明はこちらで

かいつまんでいえば大富豪のマイケル・ダグラスが弟から誕生日祝いに謎の「ゲーム」参加券をプレゼントされる。その直後より、次から次へと奇怪な事件が彼を襲う。でも全部これは、偽装工作会社が仕掛けた架空の事件だったというお話。あっ!ネタばらしちゃった(^^ゞ でも大丈夫、それでもラストシーンはびっくりするから。


この映画の10年ほど前のウォール街から、この映画あたりまでがマイケル・ダグラスの全盛期か。見て損はない映画である。なおウォール街の続編が今年公開されるらしい。彼も前回と同じ役で出るらしいので、こちらも楽しみ。


この映画のことを思い出したのは、こんなニュースを読んだから。

究極のスリル好き向け、仏でオーダーメード「誘拐」サービス


絶対、この映画を見てたに違いない!


映画「ゲーム」では誕生日プレゼントだったはずなのに、なぜか最後にマイケル・ダグラスがゲーム代を支払う。たぶん何億円という金額だ。それに較べると、こちらは基本料金11万円と庶民でも払えなくはない金額。時間あたり3万円弱。


最近、人生に刺激が足りないから日本でもサービスを始めてくれないかなあ? 「襲撃されるときに反撃できる」「監禁場所には美女がいてスリリングな駆け引きが楽しめる」というオプション料金込みで30万円までなら払ってもいいけどなあ〜。以上、勝手に料金設定。



※リンク先の記事がなくなったときのために、続きを読むに記事をコピーしておきます。続きを読む

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2010年02月23日

藤田まこと追悼番組を見て

日曜日の昼と夜に藤田まことの追悼番組を放送していた。昼はテレビ東京で単発の刑事ドラマ、夜はテレビ朝日の「はぐれ刑事純情派」の最終回。彼の代表作である「必殺シリーズ」や「はぐれ刑事純情派」はあまり見たことがない。たまたまテレビをつけているときに再放送を眺めたことがある程度。しかし「あたりまえだのクラッカー」とはしゃいでいた世代だから、子供の頃の思い出がひとつなくなったような気がして何となく寂しさを感じる。合掌


もともとはお笑いというか喜劇の人だったのに、もうずいぶん前から渋い役者のイメージしかない。テレビ以外ではおもしろいこともしていたのかな?  


訃報の後だったので、2つの番組ともわりとしっかり見た。彼の演技は「静かな演技」である。無表情といってもいいような素の表情が演技の多くを占める。どちらの番組も同じような作りだったから(←それはそれで問題のような気もするけれど)、これは監督の演出ではなく藤田まことの個性なんだろうと思う。


つねづね思っているのは、日本の役者は表情を作りすぎということ。そしてこれは日活映画全盛時代からの伝統だと密かに疑っている。石原裕次郎はアップになれば必ず顔で演技している。悪役がピストルで撃たれたとき、海外映画ならあっさり死ぬのに、日本ではすごい表情で一芝居してから死ぬことになっている(^^ゞ


普通の会話や行動をそのまま撮っても“絵”にならないから、ドラマや映画は大げさな表現になる。「なんで?」と普通ならいうところを「なぜなんだ!」と力が入る。芝居になるともっと大げさで「どーしてよー!!」を上体を折り曲げて叫ぶことになる。


ある程度の誇張は演出的に必要なのは理解しているが、これが過剰だと鼻につく。どの程度が適正かという線引きは難しいが、私の「一線」はわりと低めにあるようだ。表情の話に戻せば、女優の方が表情の過剰演技が多いような気がする。もっともこれは私が女優の顔は見ているけれど、俳優の顔なんて気にしていないからかもしれない。また一般に脇役や端役の方が表情過剰である。台詞が少ないから、どうしてもがんばっちゃうのかな? まあ次にドラマや日本映画を見るときに役者の表情に注目してもらいたい。「そんなクサイ芝居せんやろフツー」というような演技が一杯だから。

wassho at 00:43|PermalinkComments(0)

2009年10月27日

フランス映画〜Paris

映画が好きかと尋ねられれば「もちろん」と答えるけれど、最後に映画館に行ったのは、いつだったか思い出せないくらい昔。もっぱらレンタルDVDである。借りるのは、ひとことでいえば「痛快アクション系」。刑事、ギャング、スパイ、戦争、サスペンス、内容によってはSFーーーあたり。恋愛ものや心温まる感動のストーリーというようなものはあまり見ない。恐がりだからホラー映画なんてもってのほか(^^ゞ


なおかつ邦画はあまり見ないから、借りるのはどうしてもハリウッド映画が中心になる。でも2年くらい前からハリウッド以外の、結果的にフランス映画が多くなるが、DVDもたまに借りるようにしている。痛快アクション系は少ないが、その辺は妥協。


映画に何を期待しているかは人によって様々だろう。私の場合は非日常的なストーリーを楽しんで気分転換といったところ。その点においてハリウッド映画は優秀である。でもまあ反面、ストーリーがお約束的だったり、内容が薄かったり、非現実的すぎる作品に当たることも少なくない。もっと単純にいえば、ハリウッド調にちょっと飽きたという気持ちもある。


具体的に表現するのは難しいが、何本か見ればヨーロッパ映画らしさというのはわかってくる。ハリウッドと較べて大人っぽいというか内容が濃いというか、登場人物がより人間くさいように感じる。例えそれが、ギャングが登場するクライムストーリーであってもである。ハリウッド映画ばかり観てきた身には新鮮。


先日借りたParisという映画はちょっと変わったフランス映画である。何人かの登場人物の、別にドラマティックでもない、どちらかといえばショボイ日常が並行して淡々と描かれている。ワクワクもドキドキもしない。なくはないけれど、特に強いメッセージがあるわけでもない。最初から見なくても、途中で見終わっても映画としての価値が損なわれないという珍しい?映画である。

でも舞台はパリだから当たり前であるが、強く「パリという街」を感じさせる。街の匂い、古いアパートの「家の中の匂い」すら漂ってくる。パリに行ったことがある人、パリが好きな人にはお奨め。きっとまた行きたくなる。

私と同じようにハリウッドの痛快アクション系ばかり見ている人なら、知らず知らずのうちにアメリカ発のグローバルスタンダードに毒されてきた自分に気づくはず。 

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2009年06月22日

刑事一代

土曜日曜と放送されていた渡辺謙主演のテレビドラマ「刑事一代」を見た。テレビ朝日開局50周年記念ドラマということで気合いの入った力作。サブタイトルが「平塚八兵衛の昭和事件史」とあるように舞台は昭和。ドラマは戦後すぐから昭和50年頃までの主人公の活躍を追っていく。戦後すぐのことはもちろん知らないけれど、昭和って、こんな時代だったんだなあと思い出させてくれるドラマであった。生まれた年代、育った地域や環境によって感じ方は様々だろうが、私の感覚では昭和50年頃を境に、日本の景色や人の印象も含めた「風土」感は変化してくる。すでに平成も21年と半分が過ぎた。昭和は遠くになりにけりである。


ラストシーンで渡辺謙演ずる主人公は、かって彼が逮捕し、後に死刑となった犯人のお墓を尋ねる。その場面では移動の手段としてトヨタの初代マークIIが登場する。お墓は福島の田舎にある設定。その田舎、つまり日本の原風景のような景色と初代マークIIは実にマッチしている。あの当時はクルマのデザインも日本的であったなと改めて感じる。

たとえば(国産の)古いクルマと今のクルマを、古い街並みあるいは寺社仏閣の前に並べて、頭の中で駐めてみる。やはり古いクルマのほうが似合う。もっとイマジネーションをふくらませて、ヨーロッパの今のクルマをヨーロッパの古い街並みや、たとえばローマ遺跡の前に頭の中で駐めてみる。(私の感覚では)違和感は感じない。ここでデザインの本質とは何かについて述べる気はないが、生活がどんどん欧米スタイルになるにつれて、日本人の感性は何か失ったものもあるような気もする。


ちなみに主人公の平塚八兵衛は1975年(昭和50年)に退官し、ドラマでは、その後に犯人のお墓を尋ねたことになっている。ドラマを観ていて、チョット違和感を覚えたので調べてみると、初代マークIIが売られていたのは1972年まで。もちろん初代マークIIが走っていても間違いじゃないけれど、詰めが甘かったねテレビ朝日さん(^^ゞ


ところで、このドラマを観たのは渡辺謙が出ていたからである。
えっ、ファンなのかって?
いや、嫌いじゃないけど特には。


実は渡辺謙とケビン・コスナーは私にとって気になる役者である。両者の共通点、それは「おでこが広いのにカッコイイ」。だからドラマは渡辺謙の演技より、おでこを中心に鑑賞した(^^ゞ 観察の結果、私より彼のほうが、おでこは「イッテル」。でもカッコイイよなあ。つまりは眉毛からアゴにかけての造りのレベルが、かなり違うから当然かという結論に至る。トホホ(^_^)

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2009年02月09日

ドラマ 帽子屋

昨日、NHKで再放送していたドラマ
何気なく見ていたんだけれど、つい引き込まれた。


舞台は呉。緒形拳が扮する帽子職人の老人が、ふとした出来事により、昔、妹のようにかわいがっていた女性が末期ガンであることを知り、彼女を訪ねに東京へ出かけるというストーリー。


ドラマティックな出来事は何も起こらない。
とても感動したり、泣けるようなストーリーでもない。
あくまでシミジミと、淡々と話は進む。
でも不思議に、見終わって満足感があるというか、いいドラマだったなあと思える作品。


ドラマや映画の多くは、観客を引きつけようとストーリーに起伏をつける。ジャック・バウアーの24を筆頭にジェットコースターのようなストーリーも多くある。刺激を与え続けなければ、次にはより強い刺激を与えなければ観客の気持ちが離れてしまうと考えがちだ。けれども作品のレベルが高ければ、制作者の腕がよければ、シミジミ・淡々でも引き込まれることを改めて感じた。

ジェットコースターのようなストーリーは、ある意味、レベルや腕の低さを誤魔化しているのかも知れない。そういえば、ツマラナイ芸人ほどギャグがオーバーだし、マーケティングでもデキの悪い商品ほどコマーシャルは派手なものだ。

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2008年09月30日

ゴッドファーザーを久しぶりに観る

日曜日に、たぶん20何年ぶりくらいにゴッドファーザー(パート1)のDVDを借りて観た。中学生か高校生だったか忘れたがパート2は映画館で観た。パート1は観る機会がなく、その後ビデオデッキを買って初めてレンタルビデオ屋に行ったときに借りた記憶がある。


やっぱり映画らしい映画。私はいつも最新作しか借りないタイプなので古い映画を観るのは久しぶり。それで真っ先に気づいたのが画面の色合いが「フィルム調」だということ。当時はもちろんフィルムカメラしかないから(ビデオカメラとかないから)当たり前だけれど、最新作の映画を見てフィルム調だと感じることはないから、最近の映画はフィルムで撮っていないのかな? あるいは30年以上昔に撮られた「古いフィルム調」だから余計にそう感じたのかな?


フィルムカメラとビデオカメラの違いを文章で説明するのは難しい。テレビで観る映像はほとんどビデオカメラで撮られている。鮮明ではあるが、どこか平坦な画像になる。フィルムカメラは鮮明さでは劣るものの、色合いに何となくコクがある感じで立体感も出る。やっぱり説明は難しい(^^ゞ 見較べればすぐにわかるんだけれどね。そういえば昔、ある商品のプロモーションビデオを撮る仕事で、その映像にこだわってビデオではなくフィルムで撮影したことを思い出した。


フィルム調とはいえ、昔観たVHSテープとは違いDVDは鮮明だから映像はくっきりしている。このワイシャツは新品じゃなくて洗濯してアイロンしたものなんだなというようなことがシワを見てわかる。実はハイビジョンとかブルーレイとかを観たことがないのだが、あまり見えすぎても作品の本筋とは関係のないところが気になるかも。


20何年ぶりに観て覚えているシーンもあれば、こんな話あったっけ?というシーンも。映画プロデューサーに圧力を掛けるために彼の愛馬の首を切り落として、彼が寝ている間にベッドに置いておくというシーンを、すごく印象的でよく覚えていたのだが、改めて観てみると「思っていたより前半にそのシーンがある」「どちらかというと映画全体のストーリーからいうと脇筋の話」だったりする。印象深いとやっぱり重要なものとして記憶されるのかも知れない。

また逆にカジノのホテルオーナーがマッサージ中に暗殺されるシーンは、すっかり忘れていたのに、眼鏡越しに銃弾を撃たれて眼から血が流れてくるシーンを、見た瞬間に以前に観たことを思い出した。昔観た古い映画を観るのは脳細胞を活発にする効果があるかもような気がする。


さっき書いた映画らしい映画というのは別にフィルム調のことだけじゃない。なんというかストーリーに無理がないというか、だから登場人物の心理をいろいろ考えながら映画を観ることができる。今の映画は何分かに1回、観客を興奮させるジェットコースターのような設定で、おもしろいはおもしろいけれど、ちょっと疲れる。


さてゴッドファーザーはパート1の公開が1972年、パート2が1974年である。ヒットした映画の続編が制作されるのは今では当たり前となったが、私の記憶では、それをやり始めたのはゴッドファーザーが最初ではなかったかと思う。「パートいくつ」という英語の言い回しがあることも私はゴッドファーザーで知った気がする。

誰もが完結したと思っていたゴッドファーザーだったのに、パート3が1990年に公開される。もちろん観た。映画はあの懐かしいゴッドファーザー調をさらにディープにしたものだったが、私にはコッポラ(監督)の娘の大根役者ぶりが眼について楽しめなかった。私は別に映画に詳しくなく、どの監督の映画だからといって観ることはないが、それ以来コッポラは嫌いである。パート3をとっても期待していた分、娘だからといってあんな下手な女優を使ったことにムカついた。それまでの3作品を書いた脚本家がもう亡くなったのでパート4は撮られないとのことだが、コッポラには役者を入れ替えてパート3を撮り直して欲しい。


本当はゴッドファーザーをネタ振りに(この映画はマフィアのドン[マーロン・ブランド]の息子[アル・パチーノ]の物語)、昨日書いた純一郎君の引退話とコッポラのバカ娘も混ぜて、二世議員についてのブログにしようと思っていたはずが、映画の話で長くなったので、本日はこれにて終了。

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2008年07月28日

源氏物語はハーレクイーン

源氏物語の新しい写本が見つかったというニュースが先週あった。正確には70年間ほど行方不明になっていた写本らしい。


紫式部の書いたオリジナルの源氏物語は残っていない。当時(約1000年前の平安時代)、印刷はまだ発明されていないから、物語は「書き写し」を重ねて人々に広まっていった。伝言ゲームと同じように、書き写しを繰り返すうちにオリジナルとは少しずつ内容が変化していく。それでいろいろな写本を比較することが源氏物語研究のひとつとなっている。


一般に源氏物語は全54帖の物語で構成されている。今風にいうならシーズン54まである。本当はシーズン60まであったと記録している古い文献もあり、それが見つかったのなら大発見だが、残念ながら今回の写本はシーズン54まで。他にも何かとナゾの多い物語で、紫式部以外にも作者がいたという説もある。


φ(..) いずれの御時 (おほんとき) にか、女御・更衣 (にょうご・かうひ) あまたさぶらひけるなかに、いと、やむごとなき際 (きは) にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。


源氏物語は日本で最初の長編小説である(世界最古という説もある)。そして今日まで多くの読者に読まれたベストセラーである。それには異存がない。


ーーーーーーーーーーこんな事を書くと教養を疑われるから書くのをやめようかなーーーーーーーーーーーーーーーでも、やっぱり書こ(^^ゞ


源氏物語を初めて読んだのは高校の古文の授業。大学受験でも重要な課題だから、それなりに勉強した。名作だという(ことになっている)ことは知っていたが、あくまで「勉強」なので内容を味わうには至らず。もちろん読んだのは教科書や参考書に載っている源氏物語の一部抜粋だけである。


大人になってからは2回読んだ。もちろん現代語訳である。最初に読んだ源氏物語の訳者は誰か忘れた。全巻まとめって買ったが途中で挫折した(^^ゞ 2度目は橋本治が訳したもので10年ほど前。冒頭の「いずれの御時にかーーー」のくだりが「いつの頃かは忘れてしまった」と訳されて書き始められているのが印象的だった。この本は全14巻で発売されるたびに買って、すべて読んだ。何度も読んだ帖もあったが、最後のほうは惰性というか、全部読むという意地だけで買っていた気がする。


源氏物語は一言で言えば「光源氏が数多くの女性を口説き落として行く物語」である。後半は主人公が光源氏から薫に変わるけれど基本パターンは同じ。


さて、源氏物語は日本で最初の長編小説であり日本文学の最高傑作の1つということになっている。日本初の長編小説だというのは事実だとして、文学的に最高レベルだということについては「そうかな〜?」というのが私の正直な感想。

ダイアナやチェールズが不倫しあってた頃、人々はおおいにそのスキャンダルを楽しんだ。人間には高貴なる人々の私生活を覗き見してみたいという欲望がある。光源氏は天皇の息子だけれど、位は継がずに臣下になったという絶妙のポジションを物語で与えられている。その彼が次々と女性を口説き落とし、時にはトラブルに見舞われるさまを平安の人たちは、ワイドショーの芸能レポーターの話を聞くがごとく楽しんだのではないか。内容的には、それ以上でも以下でもない。日本最古で長編のハーレクイーン的な通俗小説。それほど文学的に心を揺り動かす作品レベルには達していない。現代語訳でも、どこか古文調が残るから格式高く思えるだけ。あ〜あ書いちゃった(^^ゞ


こんな事を書いて須磨に追放されませんようにm(_ _)m

wassho at 17:36|PermalinkComments(2)