お辞儀

2014年02月28日

国旗にお辞儀する国

お辞儀ネタのパート3。

いろいろ書いてきたが私が一番違和感を感じて、かつ、これはやめるべきだと思っているのが、政府の記者会見などで見られる国旗へのお辞儀である。

記者会見の壇上に上がる前に国旗にお辞儀をする。
こんな風習は昔はなかった。いつ頃から始まったのかは知らないものの、頻繁に見かけて気になるようになったのは東日本大震災の後。もっともそれは政府の記者会見の模様が数多くニュースになったからで、お辞儀を始めた時期とは関係ない。

政府の記者会見場に国旗が持ち込まれるようになったのは国旗国歌法が制定された1999年より後。その時からお辞儀を始めたかどうかは記憶にないが、とにかく最近は国旗にお辞儀をするのがルールになっているようである。


お辞儀の話しパート2でも書いたように、お辞儀の動作にはいろいろな意味があって、それが何かとややこしい原因である。

   挨拶
   謝罪の表現
   感謝の表現
   敬意の表現、さらに強まって服従の表現
   哀悼の表現


国旗へのお辞儀は敬意の表現としてのお辞儀である。国旗というか日の丸に対してはいろんな意見もあるが、とりあえずそれはスルーして国旗に敬意を示すには異存がない。ただし敬意がエスカレートすると服従になる。論理的に考えれば両者は別物のような気もする。たとえばオリンピックのメダリストに最大限の敬意を払ったとして、それはメダリストに服従することにはならない。しかしお辞儀は「頭を下げる」動作である。これにはやはり「へりくだる」「謙譲する」といった日本的な自分のポジションを下にするニュアンスがついてまわる。だから敬意のお辞儀には、場合によって服従的なニュアンスを帯びるのだと感じる。

そして私は国旗に服従とか、国家に服従とかはまっぴらゴメンなタチである。国旗にお辞儀くらいで服従とは大げさかもしれない。でもあの記者会見場でのお辞儀は国旗に敬意を示しているというより崇め(あがめ)ているように見えてしかたがない。



別の視点として、物事にはTPO(時、場所、状況)がある。国旗が敬意を払う対象だとしても、その敬意を動作で示すのは国旗を掲揚している時(下から上へ揚げていく途中の意味ね)だけなはずというのが私の感覚。

全世界的に国旗掲揚時には起立することになっている。西洋人なら胸に手を当てる風習がある。兵士なら敬礼する。もし国旗掲揚の時に起立だけではなく、お辞儀して頭を低くするのが日本のルールまたはマナーだと今後なったとしても、私は別に抵抗はない。その時のお辞儀は西洋人が胸に手を当てる仕草と同じもの=敬意=服従ではないと明確にイメージできるから。

TPOから話がそれた。
国旗だからとの理由で、記者会見場に立ててある国旗に、いちいちお辞儀するなんてのはチャンチャラおかしな行為なのである。国旗なんてそこら中にある。祝日ならバスは国旗をつけて走っている。記者会見のお辞儀の理屈=国旗があるならお辞儀すべしならバスが通るたびにお辞儀しなきゃならなくなる。オリンピックで日の丸を振って応援できないし、選手が大きな日の丸を翻してヴィクトリーランもできない。それと大臣室には国旗があるはずだが、彼らが部屋に入るたびにお辞儀しているとは思えない。もちろん外国の大統領や大臣は記者会見場の国旗に対して胸に手を当てたりなんてしない。

またまた話はそれるが国旗掲揚の時、胸に手を当てるポーズは日本のスポーツ選手なんかもやるようになってきた。それに対して「あれは西洋の風習だから日本人がやるのはおかしい」などの意見もある。そういう話をする人は国旗そのものも掲揚時に起立する習慣も、明治維新の後に西洋を真似たものだということを忘れてるんじゃないかな。


たぶん大臣の中には、記者会見場の国旗にお辞儀をするチャンチャラおかしさに気がついている人もいると思う。しかしお辞儀を辞めたら辞めたで騒ぐ勢力もいるからやっかいだろう。そういう人たちの一部はまさに国旗を崇める(あがめる)ことを望んでいる。

まあ記者会見場のお辞儀という些細なことから、
この国が変な方向に流されていかなければいいがと思っている。

wassho at 23:16|PermalinkComments(2)

2014年02月02日

なんとなくおかしなお辞儀

お辞儀ネタのパート2。
今のところパート3まで続く予定。


日本人はお辞儀をする民族である。西洋人は国王とかよほど身分の高い人に対して以外は基本的にお辞儀をしない。中国人も滅多にしない。する場合はかなりかしこまった表現となる。韓国人はしたようにも思うが、あまり記憶が定かではない。もっともたまに中国人や韓国人とも会うが、それは基本的にビジネスの場において。だから英語で挨拶して握手をする西洋スタイルで、彼らの日常的な風習について実はそれほど知っているわけじゃない。東南アジアではタイが合掌しながら頭を下げる独特のスタイル。その周りの国はどうなんだろう。アフリカ人がお辞儀しているのは想像しづらい(^^ゞ

というわけでお辞儀は、国際的に見ればかなり特殊な風習。西洋人が日本人の物まねとして、ペコペコ頭を下げるジェスチャーをするのも何度か見たことがある。普段は自分もお辞儀をしているわけだからあまり意識しないが、たまに?と思うお辞儀もある。


その1
スポーツ選手がグランドやコートに入る時や出る時に、グランドやコートに頭を下げるお辞儀。マラソンではゴールした後に、今まで走ってきたトラックに振り向いてお辞儀しているのもよく見かける。


中学生で所属していた水泳部では、練習が終わった後にプールに向かって

     アシタッター!

と大声で叫びながら一礼するのが習わしだった。
もちろん本来は「ありがとうございました」という挨拶。しかしアシタッターと発音するのが我が水泳部の伝統である。プールで足が立っておぼれなくてヨカッタという響きがあるような気がして、何となく気に入っていた。あれから40年以上経っているが、いまでもアシタッターといっているかな?

つまり私もその頃は、毎日アシタッターといってお辞儀をしていたのだが、別にプールに感謝するというような気持ちがあったわけではなく、単なる日常のルーチンで、また練習の最後に皆で大声を出すのが楽しかっただけ。

だからテレビで見るスポーツ選手のお辞儀も、本人にしてみれば身体が勝手に動いている場合がほとんどだと思う。でも「いちいち頭さげなくても」と思わなくもない。


お辞儀の動作にはいろいろな意味がある。
それがややこしい原因でもある。

   挨拶
   謝罪の表現
   感謝の表現
   敬意の表現、さらに強まって服従の表現
   哀悼の表現

スポーツの場合は感謝のお辞儀であって、それは充分にわかっている。しかし頭を下げる行為=謝っていると認知するパターンが脳に出来上がっていて、スポーツのお辞儀の解釈の際に一瞬ノイズとなって邪魔しているような気もする。それが違和感を生んでいるのかもしれない。

それとモノにも精神性を感じて感謝の対象とするメンタリティーが私にはあまりない。愛機とか愛車という感情は私にもあるが、道路やプールにそんな気持ちは起こらないのである。日本人濃度低いかな? 


その2
今はほとんどのスーパーで、バックヤード(売り場じゃない部分)から店内に入る時にお辞儀をし、店内からバックヤードに戻る時にもお辞儀をするのがお約束になっている。これなどは前回に書いたアホお辞儀のライトバージョン。


スポーツでもスーパーでもお辞儀をしなかったら礼儀に欠けているとか批判があるのかもしれない。揚げ足取りが増えた社会は、何となく息苦しいね。しかし、こんな事を書いている私も逆揚げ足取りかも(^^ゞ

wassho at 18:14|PermalinkComments(0)

2013年12月13日

アホお辞儀

おじぎ

オフィスが銀座なので周りに一流ブランドの店や高級アパレルの店がたくさんある。

いきなり脱線だが、ブティックという言葉が死語になって久しい。そういえば30年前も、当時はやっていたデザイナーズブランドの店をブティックとは呼ばなかったか。しかし今でいうセレクトショップのような店はブティックだったし、また衣料品販売店を総称してブティックというジャンル名が使われていた。「ブティックやレストランが集まったおしゃれなエリア」のように。今はあえていうなら「ショップ」という表現。これだと何のショップか特定できないからときどき不便。

ついでに、たまに職業欄にショップ店員と書いてあるのを見かける。ショップ店員って、ショップを日本語にすれば店の店員。店員が店の店員なのは当たり前なので、ショップ店員は言葉の使い方がおかしいと思うぞ。


さて話を戻すと、一流ブランドの店や高級アパレルの店などの一部で、この2年くらいで増えてきた光景。

客が店から出てくる。
店員も一緒に出てくる。
買ってくれた品物は店員が持っており、そこで客に渡す。

ここまではある程度高級な店なら昔から珍しくない。
最近増えたのは次のような光景。

客が店から遠ざかっていく。
その後ろ姿を、ずっと店員が見ている。
だいたい1ブロック離れたくらいのところで深々とお辞儀をする。
もちろん客が店員のほうを振り返るわけではない。
さらに1ブロック離れるまで、ずっと深々とお辞儀し続ける店もある。
お辞儀をしていない場合、店員の顔を観察できる。普通の顔をしている店もあれば、満面の作り笑顔でずっと客の背中を見ている店もある。


アホクサッと思いながらいつも眺めている。

客の姿が見えなくなるまで見送り続ける店主とか旅館の女将のエピソードというのは、大昔からたまにあった。おそらく、あるとき人事教育や研修系の会社のどこかが「これぞ接客業の鑑」としてマニュアルに取り入れ、それが流行りだしたんだろう。


客を見送るのもお辞儀をするのも悪いことではない。心がともなっていない形だけの見送りやお辞儀なんて意味がないと精神論を垂れるつもりもない。
アホクサッな理由の1つは、何事も限度あるいは適度な分量があるということ。ただ買い物をしてくれただけで客が1ブロック離れるまで、ずっと突っ立っていたりお辞儀し続けているのは明らかにやりすぎである。

その2は、頭を下げときゃ感謝の気持ちが伝わるだろうという自己満足な発想。ある意味、人を馬鹿にした態度でもある。店内での接客が素晴らしければ、客は充分に満足するはず。客に感謝するのではなく、客に感謝されるために切磋琢磨するのがビジネスである。

他にも理由は色々あるけれど、本日はこの辺で。


違和感を感じるアホお辞儀はテレビでも見られる。
ニュース番組の最後に全員が揃っての「では、また明日」というシーン。女子アナによっては前にあるテーブルに頭がくっつかんばかりに極端に深くお辞儀している人がいる。いつもキモッと思って見ている。もっとも、あそこまで頭を下げないと「あの女子アナは態度が生意気」とか言い出すアホも多いらしいから、そういう意味では防衛的行為かもしれない。そうなら気の毒ともいえるが、頭を下げてやり過ごすという、まさに下向きの発想はやっぱり気に入らない。


実はお辞儀でもっと違和感を感じて、これこそ問題だと思うことは別にある。なかなか表現が難しいので、それはまた別の機会に。

wassho at 22:48|PermalinkComments(0)