アヤメ
2024年06月07日
山手西洋館ブラブラ
(5月10日の横浜バラツアーその3)
さていよいよ西洋館巡り。
山手本通りを下って最初に現れるのがこの建物。
実はここは西洋館ではなく1967年(昭和42年)に建てられたカフェ&フレンチレストランの山手十番館。お店のホームページを見たら5月は9日間、6月は7日間も「Lunch,Cafe 貸切」となっている。ウェディング用に貸し出しているのかな?
ところで西洋館といえば神戸北野の異人館も有名。
ただしこちら山手の西洋館とは建てられた年代が違う。
西洋館は洋館や洋風建築ともいうが、その定義は
江戸時代末期の開国から第二次世界大戦までの時代に
日本で建設された、西洋の建築様式を用いた建物で
主として住宅を指す
さらに神戸では
幕末期から明治期に建築された西洋館を異人館
大正期から戦前昭和期に建築された西洋館を洋館
と区別している。
それで現在、
横浜で山手西洋館として公開されているのは7つあり、その竣工年は
外交官の家 1910年 明治43年
エリスマン邸 1926年 大正15年昭和元年
山手111番館 1926年 大正15年昭和元年
ブラフ18番館 関東大震災(1923年大正12年)より後
山手234番館 1927年 昭和2年
ベーリック・ホール 1930年 昭和5年
イギリス館 1937年 昭和12年
と比較的新しく、最も古い外交官の家でも明治43年と明治末期(明治は45年まで)。しかもこの家は施主が日本人の外交官で、渋谷の南平台に建てられたものを1997年(平成9年)に移築して山手の西洋館としている。ちょっとサギ(^^ゞ
ちなみに横浜山手に明治時代の西洋館が残っていないのは、関東大震災で壊滅的な被害を受けたから。なお横浜空襲で山手地区は標的から外されている。
さてカフェ&フレンチレストランの山手十番館の先にあるのが山手資料館。居留地だった頃から関東大震災までの横浜や山手に関する資料を展示している。前庭のバラがきれいだと聞いて昨年に訪れるつもりだったところ。ここは和洋折衷建築なので山手西洋館には数えられていない。しかし解説にあるように本牧からの移築だが、建てられたのは1909年(明治42年)と外交官の家より古い。
バラ園の規模ではないものの、
自宅の庭にこれだけのバラが咲いていたら引きこもりになるなあ(^^ゞ
解説があったので、とりあえず撮ってみた。
山手本通りを少し下って元町公園前のバス停。
その前にあるクラシックな建物は横浜山手聖公会。ノルマン様式という建築らしい。こういうのもあって異国情緒を味わえるのがこの通りの魅力。
そしてバス停のそばにあったナゾの構造物。
自働電話と書かれている。
なんじゃそれ?
中を覗くとーーー
これは1890年(明治23年)の横浜〜東京間の電話交換業務開始100年を記念して、NTTが1990年(平成2年)に設置した公衆電話。横浜の各地に様々なデザインの公衆電話ボックスがあるみたい。ここのは灯台がモチーフに思えるが、そうではなく当時はこれが最も一般的な公衆電話ボックスの形。
そして自働電話とは
1900年(明治33年)に公衆電話を設置し始めたとき、アメリカ製の電話機を導入
それがなぜかオートマチック・テレホンとの名前で
それを直訳して公衆電話を自働電話と名付けた。
ただしまったくオートマチックではなく
交換手を呼び出してつないでもらう電話初期の方式
大正14年に電話網にダイヤル式の自動交換方式採用。
それと自働電話とが紛らわしいので公衆電話と名前を変更
との歴史。
それにしてもどうしてオートマチックを自動ではなく自働の漢字にしたのだろう。それとレプリカとして置いてある昔の「自働電話」が、あまりに雑に省略された作りで、これならレトロデザインの電話ボックスだけでいいレベル。
本日の西洋館1軒目は山手234番館。
名前に数字がある場合は山手町◯◯◯番地の意味。
関東大震災で横浜に住む外国人は7650人から2156人に激減。ここは彼らを呼び戻す復興事業のひとつとして建てられた外国人向け共用住宅=アパートメント。ただし公営ではなく民間事業として。同じ3LDKの間取りが左右対称に1階と2階にふたつずつ合計4世帯分。専有面積は1戸当たり約100平米。当時の日本人の共同住宅はその1/3ほどの広さ。
1980年(昭和55年)頃まで使用され、1989年(平成元年)に横浜市が取得。
1999年(平成11年)から一般公開。
取得してから10年間は何をしていたのだろう。
館内は「まあこんな感じね」レベルでそれほど面白くなかった。
でも外観デザインは素敵だったので、
全部見てやろうと、
建物の反対側に来ると、
そこそこ広い裏庭があるのを発見!
バラも咲いていたし、
アヤメも久しぶりに見られた。
ここに来たら裏庭もお見逃しなく。
グルッと1周。
ファサードの造りは何となくアメリカっぽい。
山手234番館の隣にあるのは「えの木てい」というスイーツのお店。3段重ねのティースタンドで提供されるアフタヌーンティーも楽しめる。
ところで最初に紹介したカフェ&フレンチレストランの山手十番館は、1967年(昭和42年)に建てられたパチもんの西洋館風建築だが、この「えの木てい」は山手234番館と同じ1927年(昭和2年)に同じ建築家によって設計された本物の西洋館。上に示した地図には載っていないが、横浜市観光協会のホームページでは山手西洋館として紹介されている。
建物は昭和の後半に日本人夫妻の手に渡り、その妻がリビングでカフェを始めたのが「えの木てい」の始まり。オープンは1979年(昭和54年)。
ーーー続く
<補足>
山手十番館の十番は番地ではなく、その経営母体が出店する10番目の店だったから。
それを西洋館風のネーミングに仕立てたと思われる。
さていよいよ西洋館巡り。
山手本通りを下って最初に現れるのがこの建物。
実はここは西洋館ではなく1967年(昭和42年)に建てられたカフェ&フレンチレストランの山手十番館。お店のホームページを見たら5月は9日間、6月は7日間も「Lunch,Cafe 貸切」となっている。ウェディング用に貸し出しているのかな?
ところで西洋館といえば神戸北野の異人館も有名。
ただしこちら山手の西洋館とは建てられた年代が違う。
西洋館は洋館や洋風建築ともいうが、その定義は
江戸時代末期の開国から第二次世界大戦までの時代に
日本で建設された、西洋の建築様式を用いた建物で
主として住宅を指す
さらに神戸では
幕末期から明治期に建築された西洋館を異人館
大正期から戦前昭和期に建築された西洋館を洋館
と区別している。
それで現在、
横浜で山手西洋館として公開されているのは7つあり、その竣工年は
外交官の家 1910年 明治43年
エリスマン邸 1926年 大正15年昭和元年
山手111番館 1926年 大正15年昭和元年
ブラフ18番館 関東大震災(1923年大正12年)より後
山手234番館 1927年 昭和2年
ベーリック・ホール 1930年 昭和5年
イギリス館 1937年 昭和12年
と比較的新しく、最も古い外交官の家でも明治43年と明治末期(明治は45年まで)。しかもこの家は施主が日本人の外交官で、渋谷の南平台に建てられたものを1997年(平成9年)に移築して山手の西洋館としている。ちょっとサギ(^^ゞ
ちなみに横浜山手に明治時代の西洋館が残っていないのは、関東大震災で壊滅的な被害を受けたから。なお横浜空襲で山手地区は標的から外されている。
さてカフェ&フレンチレストランの山手十番館の先にあるのが山手資料館。居留地だった頃から関東大震災までの横浜や山手に関する資料を展示している。前庭のバラがきれいだと聞いて昨年に訪れるつもりだったところ。ここは和洋折衷建築なので山手西洋館には数えられていない。しかし解説にあるように本牧からの移築だが、建てられたのは1909年(明治42年)と外交官の家より古い。
バラ園の規模ではないものの、
自宅の庭にこれだけのバラが咲いていたら引きこもりになるなあ(^^ゞ
解説があったので、とりあえず撮ってみた。
山手本通りを少し下って元町公園前のバス停。
その前にあるクラシックな建物は横浜山手聖公会。ノルマン様式という建築らしい。こういうのもあって異国情緒を味わえるのがこの通りの魅力。
そしてバス停のそばにあったナゾの構造物。
自働電話と書かれている。
なんじゃそれ?
中を覗くとーーー
これは1890年(明治23年)の横浜〜東京間の電話交換業務開始100年を記念して、NTTが1990年(平成2年)に設置した公衆電話。横浜の各地に様々なデザインの公衆電話ボックスがあるみたい。ここのは灯台がモチーフに思えるが、そうではなく当時はこれが最も一般的な公衆電話ボックスの形。
そして自働電話とは
1900年(明治33年)に公衆電話を設置し始めたとき、アメリカ製の電話機を導入
それがなぜかオートマチック・テレホンとの名前で
それを直訳して公衆電話を自働電話と名付けた。
ただしまったくオートマチックではなく
交換手を呼び出してつないでもらう電話初期の方式
大正14年に電話網にダイヤル式の自動交換方式採用。
それと自働電話とが紛らわしいので公衆電話と名前を変更
との歴史。
それにしてもどうしてオートマチックを自動ではなく自働の漢字にしたのだろう。それとレプリカとして置いてある昔の「自働電話」が、あまりに雑に省略された作りで、これならレトロデザインの電話ボックスだけでいいレベル。
本日の西洋館1軒目は山手234番館。
名前に数字がある場合は山手町◯◯◯番地の意味。
関東大震災で横浜に住む外国人は7650人から2156人に激減。ここは彼らを呼び戻す復興事業のひとつとして建てられた外国人向け共用住宅=アパートメント。ただし公営ではなく民間事業として。同じ3LDKの間取りが左右対称に1階と2階にふたつずつ合計4世帯分。専有面積は1戸当たり約100平米。当時の日本人の共同住宅はその1/3ほどの広さ。
1980年(昭和55年)頃まで使用され、1989年(平成元年)に横浜市が取得。
1999年(平成11年)から一般公開。
取得してから10年間は何をしていたのだろう。
館内は「まあこんな感じね」レベルでそれほど面白くなかった。
でも外観デザインは素敵だったので、
全部見てやろうと、
建物の反対側に来ると、
そこそこ広い裏庭があるのを発見!
バラも咲いていたし、
アヤメも久しぶりに見られた。
ここに来たら裏庭もお見逃しなく。
グルッと1周。
ファサードの造りは何となくアメリカっぽい。
山手234番館の隣にあるのは「えの木てい」というスイーツのお店。3段重ねのティースタンドで提供されるアフタヌーンティーも楽しめる。
ところで最初に紹介したカフェ&フレンチレストランの山手十番館は、1967年(昭和42年)に建てられたパチもんの西洋館風建築だが、この「えの木てい」は山手234番館と同じ1927年(昭和2年)に同じ建築家によって設計された本物の西洋館。上に示した地図には載っていないが、横浜市観光協会のホームページでは山手西洋館として紹介されている。
建物は昭和の後半に日本人夫妻の手に渡り、その妻がリビングでカフェを始めたのが「えの木てい」の始まり。オープンは1979年(昭和54年)。
ーーー続く
<補足>
山手十番館の十番は番地ではなく、その経営母体が出店する10番目の店だったから。
それを西洋館風のネーミングに仕立てたと思われる。
wassho at 20:45|Permalink│Comments(0)│
2020年05月03日
洗足池公園を経由して3区巡りの散歩
自宅のある目黒区から大田区に少し入ったところにある洗足池公園まで行き、帰りは品川区もかすめながら歩いたというルート。区境に近い場所が目的地だったので、たまたま3区をまたいだお散歩になった。
ゴールデンウィーク5連休初日の昨日は、最高気温25度で快晴と絶好のお出かけ日和。コロナウイルスで Stay at home なんだけれど、散歩は「密」な状態にはならないので。ついでに言うと、この日は暑かったのでマスクもしなかった。もちろん公園がやたら混雑している場合に備えて持っては出かけたが。道路で人がたくさんいた場合は? ルート的にその可能性はほぼないし、もし突然瞬間的にそういう状況になったら息を止めればいいかと(^^ゞ
まずは円融寺通りを南下していく。すると15分ほど歩いた頃に敷地の周りがツツジで囲まれた大規模なマンションがあった。最初はきれいにツツジが咲いているなと思って足を踏み入れたのだが、
角を曲がっても、その次の角を曲がっても延々と。
どんだけツツジ好きやねん(^^ゞ
咲いていたのは3色。
これだけ植えるなら、もっと種類を増やせばいいのに。
ツツジマンションを後にして先に進む。環七を渡ると大田区である。そこからさらに南下。自宅から洗足池(せんぞくいけ)まではほぼ一本道。中原街道まで出て洗足池に向かう予定だったが、途中でこんな標識を発見。ここを曲がって公園の裏側から入ることにした。
洗足池公園に到着。ここまでで約40分の散歩。
現在位置は洗足池案内図の「案」の字の下あたり。
地図に公園面積は7.7ヘクタールで池の面積が4ヘクタールとあるが、公園面積は道路を挟んだ子供広場や桜山、松山を含んだ面積であり、現地感覚的にはほとんどを池が占めている公園である。
まず地図で水生植物園と記されているところへ。
アヤメが数本あった。先日の散歩で近くのマンションの植え込みにアヤメがあってビックリしたが、今年はアヤメに縁があるのか? ちなみにアヤメ、カキツバタ、ハナショウブは似たような品種だが、大規模に栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多い(気がする)。
ピントが後ろの看板に(>_<)
この日は身軽に散歩したかったのでデジカメを持たずiPhoneでの撮影。
キショウブはたくさん咲いていた。
これは「黄色のハナショウブ」ではなく独立した品種。
ジグザグ橋で池を渡る。
これで池の2/3くらいが見えているかな。
鯉と亀。
亀が泳いでいるのを見るのは久しぶり。たいていは甲羅干しの姿だから。
桜広場と呼ばれるエリア。
ブランコやジャングルジムがあったが、先日の林試の森公園と違って使用禁止になっていなかった。あちらは東京都立、こちらは大田区立。行政の対応がバラバラなのは好ましくないが、こんな遊具までコロナ対象にしなくていいと思う。
フジが咲いていた。
想定していなかったのでラッキー\(^o^)/
ただしもう終盤なのか香りはほとんどなかった。ザンネン。
ところで日本でフジは藤棚にしているところがほとんど。しかしヨーロッパではそうでもないみたい。下のリンクは東松山ぼたん園の駐車場から見えたフジ。圧巻の藤棚もいいけれど、こういうナチュラルなものも見たいな。
https://livedoor.blogimg.jp/wassho/imgs/d/e/deecec83.jpg
池の東側沿いに歩いて正面(南側)に向かうが、
途中で行き止まりになっていた。
というわけでジグザグ橋を戻って、池の北から西側沿いに進むことに。
それにしてもいい天気で初夏を満喫。
池の北側に小島が突き出したような神社エリアがある。
弁財天とのこと。
池月(いけづき)は源頼朝の愛馬とされる。
頼朝は流刑地であった伊豆半島の付け根中央部の韮山付近で挙兵→次に湯河原付近を目指すが、そこでの平家との戦いで敗北→真鶴から海路で房総半島に逃走→勢力を盛り返して陸路で鎌倉を目指す→その途中に洗足池で宿営する。ここまでは史実。
そして「するとどこからともなく天地を震わす嘶き(いななき)と共に野飼いの馬が現れ、これが名馬だったので捕らえて頼朝の馬とした」というお約束の伝説が語られる。しかし、それは馬泥棒やろ(^^ゞ 池月というのは、その姿が池に映る月影のようだったかららしい。
それはともかく洗足池の周りを頼朝も歩いたのかと思うと何となくワクワクする。しかし、この馬の銅像は、もうちょっと上手な彫刻家を起用できなかったの?と思う。絵の上手な小学生レベルである(>_<)
ーーー続く
ゴールデンウィーク5連休初日の昨日は、最高気温25度で快晴と絶好のお出かけ日和。コロナウイルスで Stay at home なんだけれど、散歩は「密」な状態にはならないので。ついでに言うと、この日は暑かったのでマスクもしなかった。もちろん公園がやたら混雑している場合に備えて持っては出かけたが。道路で人がたくさんいた場合は? ルート的にその可能性はほぼないし、もし突然瞬間的にそういう状況になったら息を止めればいいかと(^^ゞ
まずは円融寺通りを南下していく。すると15分ほど歩いた頃に敷地の周りがツツジで囲まれた大規模なマンションがあった。最初はきれいにツツジが咲いているなと思って足を踏み入れたのだが、
角を曲がっても、その次の角を曲がっても延々と。
どんだけツツジ好きやねん(^^ゞ
咲いていたのは3色。
これだけ植えるなら、もっと種類を増やせばいいのに。
ツツジマンションを後にして先に進む。環七を渡ると大田区である。そこからさらに南下。自宅から洗足池(せんぞくいけ)まではほぼ一本道。中原街道まで出て洗足池に向かう予定だったが、途中でこんな標識を発見。ここを曲がって公園の裏側から入ることにした。
洗足池公園に到着。ここまでで約40分の散歩。
現在位置は洗足池案内図の「案」の字の下あたり。
地図に公園面積は7.7ヘクタールで池の面積が4ヘクタールとあるが、公園面積は道路を挟んだ子供広場や桜山、松山を含んだ面積であり、現地感覚的にはほとんどを池が占めている公園である。
まず地図で水生植物園と記されているところへ。
アヤメが数本あった。先日の散歩で近くのマンションの植え込みにアヤメがあってビックリしたが、今年はアヤメに縁があるのか? ちなみにアヤメ、カキツバタ、ハナショウブは似たような品種だが、大規模に栽培されているのはハナショウブが圧倒的に多い(気がする)。
ピントが後ろの看板に(>_<)
この日は身軽に散歩したかったのでデジカメを持たずiPhoneでの撮影。
キショウブはたくさん咲いていた。
これは「黄色のハナショウブ」ではなく独立した品種。
ジグザグ橋で池を渡る。
これで池の2/3くらいが見えているかな。
鯉と亀。
亀が泳いでいるのを見るのは久しぶり。たいていは甲羅干しの姿だから。
桜広場と呼ばれるエリア。
ブランコやジャングルジムがあったが、先日の林試の森公園と違って使用禁止になっていなかった。あちらは東京都立、こちらは大田区立。行政の対応がバラバラなのは好ましくないが、こんな遊具までコロナ対象にしなくていいと思う。
フジが咲いていた。
想定していなかったのでラッキー\(^o^)/
ただしもう終盤なのか香りはほとんどなかった。ザンネン。
ところで日本でフジは藤棚にしているところがほとんど。しかしヨーロッパではそうでもないみたい。下のリンクは東松山ぼたん園の駐車場から見えたフジ。圧巻の藤棚もいいけれど、こういうナチュラルなものも見たいな。
https://livedoor.blogimg.jp/wassho/imgs/d/e/deecec83.jpg
池の東側沿いに歩いて正面(南側)に向かうが、
途中で行き止まりになっていた。
というわけでジグザグ橋を戻って、池の北から西側沿いに進むことに。
それにしてもいい天気で初夏を満喫。
池の北側に小島が突き出したような神社エリアがある。
弁財天とのこと。
池月(いけづき)は源頼朝の愛馬とされる。
頼朝は流刑地であった伊豆半島の付け根中央部の韮山付近で挙兵→次に湯河原付近を目指すが、そこでの平家との戦いで敗北→真鶴から海路で房総半島に逃走→勢力を盛り返して陸路で鎌倉を目指す→その途中に洗足池で宿営する。ここまでは史実。
そして「するとどこからともなく天地を震わす嘶き(いななき)と共に野飼いの馬が現れ、これが名馬だったので捕らえて頼朝の馬とした」というお約束の伝説が語られる。しかし、それは馬泥棒やろ(^^ゞ 池月というのは、その姿が池に映る月影のようだったかららしい。
それはともかく洗足池の周りを頼朝も歩いたのかと思うと何となくワクワクする。しかし、この馬の銅像は、もうちょっと上手な彫刻家を起用できなかったの?と思う。絵の上手な小学生レベルである(>_<)
ーーー続く
wassho at 16:10|Permalink│Comments(0)│
2020年04月27日
近所でツツジ・ハンティング
サクラは小石川後楽園と砧公園に眺めに出かけたが、その後はコロナウイルスによる外出自粛を受けてどこにも行けず。例年この時期ならチューリップ、そしてツツジと名所巡が続くのだが。
ところで自粛という単語が広く使われるようになったのは昭和天皇崩御の前後からである。その頃は「自粛の要請」なんて日本語として矛盾しているという議論もあったが、今回はまったくそういう声もなく。もともと聞き分けのよさでは天下一品の民族であるが、あれから30数年経って草食化もますます進んだようで。
一方で営業している店に対する苦情を役所や保健所に告げたり、あるいはダイレクトに張り紙や電凸で嫌がらせをするヤカラも後を絶たないみたいだ。厄介なことに村八分、非国民、欲しがりません勝つまではのDNAはしっかり引き継いでいる。
そのコロナウイルスに関してはどうしても理解できないことがある。現在の死亡者数は約350人。検査漏れもあるらしいから、3倍の約1000人と仮定してもいい。それに対してインフルエンザを直接または間接的な原因として亡くなるのは毎シーズン約1万人とされる。
それでインフルエンザにはどれだけの対策をしている? 例を挙げると予防接種をするのだって保険適用外である。それなのに脅威としては1/10のコロナに対しては経済をぶっ壊してまでの対応。そんな行動はとうてい合理的に説明できない。
ではどうしてそんな非合理的な行動をするのか。社会学的にいろいろ考察中ではあるが「コロナウイルスは人間をアホにする」というのが現在の仮説(^^ゞ
さて本題に。昨日の日曜日、行楽地に外出するのは控えるとして、さいわいツツジならあちこちに咲いている。近所の散歩くらいは「密」でもないしいいだろうとカメラ片手にブラブラと。
最初に訪れたのはAマンション。
ここの少し淡いピンクのツツジは毎年キレイで眺めるのを楽しみにしている。道路から柵越しにカメラを構えるのは盗撮しているみたいで気が引けたが。
続いてBマンション。
白いツツジは花の中で一番純白に近い白だと思う。
オレンジは少し傷みかけていたものの、日が当たるとツツジ独特の反射というか色の飽和現象でそこそこキレイに見える。
バックに白ツツジのツーショット。
清水池公園。
大きな池があり目黒区で唯一釣りのできる公園。奥に児童公園的なスペースもある。写真でも分かるようにこの日はいい天気だった。気温も24度超えで初夏の雰囲気。こんな季節に外出自粛なんて(/o\)
本日4色目のツツジ。この周りではこの色が一番多いかな。
ハナミズキもキレイだった。
次はCマンション。
このマンションの前にはいろいろと植えられているのは知っていたが、じっくりと眺めたことはなかった。
ビックリしたのはアヤメが咲いていたこと。
自宅の周りでアヤメが見られるなんて思ってもいなかった。ラッキー!
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはよく似ているけれど、花に虎のような模様があるのがアヤメね。その模様が網の目にも見えるから網の目→アヤメ。
だからアヤメは覚えやすい。しかしカキツバタは白いラインで、ハナショウブは黄色いラインだからややこしい。私はカキツバタは「キ」がつくのに黄色じゃないと、けっこう無理な覚え方をしている。
名前は分からないけどいろいろ。
これはアップリケで作ったボタンみたいだった。
えっ、レンゲ?と自分自身にビックリした。
なぜかというと幼い頃はまだ実家の周りに田んぼがあり、春になるとレンゲの花が咲いていた(当時はすき込んで肥料にするために植えられていた)。そしてその田んぼでよく遊んだものだ。それから半世紀以上もたって、おそらくそれ以来レンゲなんて見ていないのに、見た瞬間にレンゲだと分かったから。三つ子の魂百までとは、まさにこういうことか。
この花は毎度デイジーかマーガレットかで迷う。私の判断基準は元気そうな感じがしたらデイジーで、優しい雰囲気ならマーガレット。単に語感での区別だけど(^^ゞ
このチューリップは柔らかい白色で美しかった。こんな色はベランダで植えたことがない。来シーズンはこの球根を探そう。
肝心のツツジ。肉眼でははっきり見分けられたが、この写真では微妙な違いにしか写っていない。左端の少し色の薄いのが清水池公園と同じ4色目のツツジ。その右側がもう少し色の鮮やかな本日5色目。
ツツジは光の反射率が高いのか、強く光が当たると肉眼でも写真でも色が飽和しているというか光り輝いて見える。そしてそれが魅力。だからツツジ花見は必ず晴天でがポリシー。
通りかかりにあった児童公園で。
ハナミズキの白と、わずかにピンク掛かった白。
これは4色目と同じ。
そして本日6色目のツツジ。
ついでに林試の森公園まで足を延ばす。
元は林業試験場だった面積12ヘクタールの都立公園。
こんな看板が数カ所にあった。
人はそこそこいたが、普段の日曜日と較べると少ない気がする。またグランドで遊ぶ若者より小さな子供連れのファミリーのほうが多い。保育園・幼稚園くらいの子供を家の中でじっと自粛させるのは難しいのかも。いずれにせよこの公園は広いからまったく「密」ではなかった。
ただし遊具は封鎖されている。
いわゆる「都会の中にあるとは思えない」空間が徒歩圏内にあって重宝する公園なのだが、もともと林業試験場だったからか、花はあまり育てられていない公園でもある。
でも新緑を眺めるのは好き。
よく撮る緑のモミジ日の光透け。
春なのに紅葉している紅葉があった。
何という品種かとプレートを見ると単に「モミジ」と(^^ゞ こいつは年中赤いのか? そういえば昔実家の庭にあったモミジもずっと赤かった。
12ヘクタールもあるのに、まとまって花が植えられているのはここだけ。
ツツジも数株あったが、残念ながら4色目と同じ品種。
池でカメやシラサギを眺める。
もっともシラサギという鳥はなく白いサギの総称がシラサギ。図鑑で見るとこれはコサギという鳥かな。それにしても下を見る時は長い首をS字に折り曲げるんだ。
2時間ほどで散歩終了。ツツジはそこら中で咲いているから、そこそこ楽しめたけれど、バラはどうしてくれるんだコロナよ。
ところで自粛という単語が広く使われるようになったのは昭和天皇崩御の前後からである。その頃は「自粛の要請」なんて日本語として矛盾しているという議論もあったが、今回はまったくそういう声もなく。もともと聞き分けのよさでは天下一品の民族であるが、あれから30数年経って草食化もますます進んだようで。
一方で営業している店に対する苦情を役所や保健所に告げたり、あるいはダイレクトに張り紙や電凸で嫌がらせをするヤカラも後を絶たないみたいだ。厄介なことに村八分、非国民、欲しがりません勝つまではのDNAはしっかり引き継いでいる。
そのコロナウイルスに関してはどうしても理解できないことがある。現在の死亡者数は約350人。検査漏れもあるらしいから、3倍の約1000人と仮定してもいい。それに対してインフルエンザを直接または間接的な原因として亡くなるのは毎シーズン約1万人とされる。
それでインフルエンザにはどれだけの対策をしている? 例を挙げると予防接種をするのだって保険適用外である。それなのに脅威としては1/10のコロナに対しては経済をぶっ壊してまでの対応。そんな行動はとうてい合理的に説明できない。
ではどうしてそんな非合理的な行動をするのか。社会学的にいろいろ考察中ではあるが「コロナウイルスは人間をアホにする」というのが現在の仮説(^^ゞ
さて本題に。昨日の日曜日、行楽地に外出するのは控えるとして、さいわいツツジならあちこちに咲いている。近所の散歩くらいは「密」でもないしいいだろうとカメラ片手にブラブラと。
最初に訪れたのはAマンション。
ここの少し淡いピンクのツツジは毎年キレイで眺めるのを楽しみにしている。道路から柵越しにカメラを構えるのは盗撮しているみたいで気が引けたが。
続いてBマンション。
白いツツジは花の中で一番純白に近い白だと思う。
オレンジは少し傷みかけていたものの、日が当たるとツツジ独特の反射というか色の飽和現象でそこそこキレイに見える。
バックに白ツツジのツーショット。
清水池公園。
大きな池があり目黒区で唯一釣りのできる公園。奥に児童公園的なスペースもある。写真でも分かるようにこの日はいい天気だった。気温も24度超えで初夏の雰囲気。こんな季節に外出自粛なんて(/o\)
本日4色目のツツジ。この周りではこの色が一番多いかな。
ハナミズキもキレイだった。
次はCマンション。
このマンションの前にはいろいろと植えられているのは知っていたが、じっくりと眺めたことはなかった。
ビックリしたのはアヤメが咲いていたこと。
自宅の周りでアヤメが見られるなんて思ってもいなかった。ラッキー!
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブはよく似ているけれど、花に虎のような模様があるのがアヤメね。その模様が網の目にも見えるから網の目→アヤメ。
だからアヤメは覚えやすい。しかしカキツバタは白いラインで、ハナショウブは黄色いラインだからややこしい。私はカキツバタは「キ」がつくのに黄色じゃないと、けっこう無理な覚え方をしている。
名前は分からないけどいろいろ。
これはアップリケで作ったボタンみたいだった。
えっ、レンゲ?と自分自身にビックリした。
なぜかというと幼い頃はまだ実家の周りに田んぼがあり、春になるとレンゲの花が咲いていた(当時はすき込んで肥料にするために植えられていた)。そしてその田んぼでよく遊んだものだ。それから半世紀以上もたって、おそらくそれ以来レンゲなんて見ていないのに、見た瞬間にレンゲだと分かったから。三つ子の魂百までとは、まさにこういうことか。
この花は毎度デイジーかマーガレットかで迷う。私の判断基準は元気そうな感じがしたらデイジーで、優しい雰囲気ならマーガレット。単に語感での区別だけど(^^ゞ
このチューリップは柔らかい白色で美しかった。こんな色はベランダで植えたことがない。来シーズンはこの球根を探そう。
肝心のツツジ。肉眼でははっきり見分けられたが、この写真では微妙な違いにしか写っていない。左端の少し色の薄いのが清水池公園と同じ4色目のツツジ。その右側がもう少し色の鮮やかな本日5色目。
ツツジは光の反射率が高いのか、強く光が当たると肉眼でも写真でも色が飽和しているというか光り輝いて見える。そしてそれが魅力。だからツツジ花見は必ず晴天でがポリシー。
通りかかりにあった児童公園で。
ハナミズキの白と、わずかにピンク掛かった白。
これは4色目と同じ。
そして本日6色目のツツジ。
ついでに林試の森公園まで足を延ばす。
元は林業試験場だった面積12ヘクタールの都立公園。
こんな看板が数カ所にあった。
人はそこそこいたが、普段の日曜日と較べると少ない気がする。またグランドで遊ぶ若者より小さな子供連れのファミリーのほうが多い。保育園・幼稚園くらいの子供を家の中でじっと自粛させるのは難しいのかも。いずれにせよこの公園は広いからまったく「密」ではなかった。
ただし遊具は封鎖されている。
いわゆる「都会の中にあるとは思えない」空間が徒歩圏内にあって重宝する公園なのだが、もともと林業試験場だったからか、花はあまり育てられていない公園でもある。
でも新緑を眺めるのは好き。
よく撮る緑のモミジ日の光透け。
春なのに紅葉している紅葉があった。
何という品種かとプレートを見ると単に「モミジ」と(^^ゞ こいつは年中赤いのか? そういえば昔実家の庭にあったモミジもずっと赤かった。
12ヘクタールもあるのに、まとまって花が植えられているのはここだけ。
ツツジも数株あったが、残念ながら4色目と同じ品種。
池でカメやシラサギを眺める。
もっともシラサギという鳥はなく白いサギの総称がシラサギ。図鑑で見るとこれはコサギという鳥かな。それにしても下を見る時は長い首をS字に折り曲げるんだ。
2時間ほどで散歩終了。ツツジはそこら中で咲いているから、そこそこ楽しめたけれど、バラはどうしてくれるんだコロナよ。
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2013年05月03日
牛島の藤
ゴールデンウイークお花見ツーリング第2弾は藤棚を見てきた。牛島とは藤棚の所在地である埼玉県春日部市にある地名。だから牛島にある藤という意味なのだが、国の特別天然記念物に指定されている有名な藤だから、牛島の藤と固有名詞扱いで呼ばれている。ちなみに最寄り駅はその藤に敬意を表してか「藤の牛島駅」と言葉の順序が逆さまになっている。
実を言うと、この日は牛島の藤を見に行くつもりではなかった。ゴールデンウイークに見頃を迎える花が3つあると前に書いたが、優先順位1位が先日のネモフィラで牛島の藤は3位だった。天候のこともあるし計画的に連休を過ごしているわけでもないから、行ける時に優先順位の高いものから見に行く作戦。でもーー
午前6時前起床。
優先順位第2位の花はちょっと遠方にあるから早起き。でも6時半頃ニュースで渋滞情報が流れる。この時点で既に40キロの報道。ぎっしりクルマが詰まった渋滞の生中継映像を見て戦意喪失(>_<) それで牛島の藤が繰り上げ当選。
地図はグーグルマップ。
牛島の藤も自宅から約60キロとそれなりに遠い。地図で「往き」と書いてある右側あたりは首都高中央環状線である。3年ほど前に渋谷・新宿間が開通して東京の西側から東北道や常磐道など東京の北側に入り口のある高速を利用する時は、混雑する都心中心部を避けられるようになって便利になった。来年には渋谷・品川間も開通して首都高湾岸線とも接続する。
でもバイクではほとんど利用したことがない。なぜかというと渋谷から新宿を超えて池袋の先まで、この区間の首都高中央環状線は地下トンネルだから。一度だけ試しに入ったがメチャクチャ暑い。しかしこの日は最低気温11度と真冬の冷え込み。それにネットで調べたらこの区間は渋滞なし。
というわけで首都高中央環状線地下トンネルに挑戦。雲が取れて日が差すのを待って午前8時45分出発。バイクの温度計は12.5度。首都高には富ヶ谷という入り口から入る。やっぱり暑い。しばらくして気温計は29.5度になった! もう少し暖かい日で渋滞していたら、やっぱりバイクでの利用は無理。
牛島の藤の最寄りインターチェンジは東北道の岩槻。中央環状線からは板橋ジャンクションで東に進んで首都高川口線に入るのが普通。でも板橋から先はいつも渋滞している。この日もジャンクションの分岐手前から渋滞していた。それでそのまま直進して首都高池袋線を走り美女木(びじょき)ジャンクションで東京外環状線を回るルートを選択。少し大回りになるが渋滞の中をすり抜けて走るのが面倒だった。
ジャンクションというのは高速道路同士が接続する場所。それで美女木ジャンクションにはなんと高速道路のくせに信号がある。普通は立体交差でぐるぐる回りながら接続する高速道路に乗り入れるものだが、そういう構造にするだけの土地がなかったらしい(>_<)
東北道に入ってからの渋滞は覚悟の上。でもすり抜け走行がイヤになって1つ手前の浦和インターで降りる。高速道路と並行して走る国道122号線はソコソコ空いていて得した気分。その後国道16号にでてからはかなりの渋滞で牛島の藤に着いたのは10時半頃。
正式名は藤花園というのかな。
それでパーラーサクランボというのはサクランボパフェとかを食べられるところではなくてパチンコ屋。藤棚とパチンコ屋の不思議な組み合わせ。
パーラーサクランボとBMW F800R。
パチンコ屋の駐車場って何となく治安的に心配だったけれど、戻ってきた時にイタズラとかの形跡はなし。
これが牛島の藤の入り口。駐車場のすぐ先にある。
ちなみに入園料は1000円とちょっと高い。
もうちょっと字の上手な人はいなかったの?
樹齢1200年。
2013年ー1200年=813年。鳴くよウグイス平安京(794年)だから、ここの藤は平安時代初期からあることになる。クレヨンしんちゃんの春日部が平安時代ってほとんど未開の荒野だったはずだから、まあ古い木だということは確かだとしても1200年というのはちょっとオーバーというか「言ったもの勝ち」な気がする。
それと牛島の藤は弘法大師が自ら植えたと伝えられている。もっとも弘法大師が杖で地面を叩いたら温泉が湧きでてきたとかいうアヤカリ伝説は全国に5000以上あるらしい。
こんな看板に園主として個人名が書いてあるのは珍しいし、すい子という名前も珍しい。
これが特別天然記念物の藤。
34メーター×14メーター。スイングパノラマでぎりぎり収まった。ちなみに植物で特別天然記念物に指定されているのは全国で30件。
こんな大きな藤を見るのは初めて。
園内には甘い香りが漂っている。同じ紫色が連想させるのかラベンダーの香りに近いような気がした。
藤棚の構造。
藤は一本立ちでもたくさん花をつけるが、こうして棚をつけると枝が横に延びて広がる。最初に誰が考えたんだろうね。
内部の様子。
古木だから根元は相当グルグル巻きになっている。この広い藤棚は2本の藤の木でできていた。
長い房が垂れ下がり、藤棚の内部は甘い香りが充満していてちょっと幻想的。
ただし中腰での見学が疲れる。
カメラのオートフォーカスは、レンズを動かしてコントラスト(色の濃淡)が一番ハッキリしたところをピントがあったと判断する。だから単色の白い花とかはピントが合いにくい。こういう同じような模様の繰り返しの場合も苦手みたいだ。液晶画面にはピントがあったマークが表示されていたのに、本日撮った写真のほとんどがピンぼけでちょっとガッカリ。
竹の棚と枝だと花。
この天然記念物の藤は紫と白のミックスの花だった。
これは別の藤棚。構造はこっちのほうがわかりやすい。
できるだけピントの合っているものを選んでアップの写真。
こういう大きな蜂が一杯いて、ちょっとビビる。
他の花いろいろ。
アヤメはかなり盛りを過ぎた感じ。アヤメとカキツバタとショウブはよく似た花。アヤメは花びらに虎のような模様がある。網目(あみめ)→アヤメと連想すると覚えやすい。カキツバタとショウブは花びらに、どっちかが白で、どっちかが黄色の模様がある。どっちがどっちか忘れた。
これはたぶんシャクナゲ。
これはたぶんツツジ。
なぜか白いツツジにピントがよく合っている。本日のメインじゃないのに。
ツツジとサツキもよく似ている。葉っぱがテカっているのがサツキだったように思うがあまり自信なし。ちなみにシャクナゲ、ツツジ、サツキは植物学的には近い品種。
マーガレット。
たぶん芝桜の1種。
以下は不明。
ところどころ小さな植え込みがあって他にもいろんな花が咲いていた。
敷地の一角に植えられていた竹。
藤棚を作るのに使うためかな。
かなり大きなタケノコ。
もう食べられない(^^ゞ
とっても大きなタケノコ!
相当に古そうな松。
松藤。
藤松。
これは天然記念物とは別の藤棚。
むこうは白×紫で、こっちは薄紫×紫。
牛島にはなかったが、もっとピンクがかった紫の藤もあったと思う。
こっちは白い藤。
これもなかなかきれい。
というわけで藤という渋めの花見。それほど広くない園内をぐるぐる回りながら2時間ほど目の保養。ここに付いた頃は気温も18度くらいに上がり、快晴で日差しもたっぷりでなかなか爽快な天候。
帰りは高速を使わず国道4号線でノンビリと郊外ツーリング。まだ埼玉の越谷や草加からもスカイツリーが見えた。上野、日本橋、新橋、品川と通って特に渋滞もなく自宅に戻ってきたのは午後3時前。やっぱり近場のツーリングにしてよかった。さて優先順位第2位をどうしようか?
実を言うと、この日は牛島の藤を見に行くつもりではなかった。ゴールデンウイークに見頃を迎える花が3つあると前に書いたが、優先順位1位が先日のネモフィラで牛島の藤は3位だった。天候のこともあるし計画的に連休を過ごしているわけでもないから、行ける時に優先順位の高いものから見に行く作戦。でもーー
午前6時前起床。
優先順位第2位の花はちょっと遠方にあるから早起き。でも6時半頃ニュースで渋滞情報が流れる。この時点で既に40キロの報道。ぎっしりクルマが詰まった渋滞の生中継映像を見て戦意喪失(>_<) それで牛島の藤が繰り上げ当選。
地図はグーグルマップ。
牛島の藤も自宅から約60キロとそれなりに遠い。地図で「往き」と書いてある右側あたりは首都高中央環状線である。3年ほど前に渋谷・新宿間が開通して東京の西側から東北道や常磐道など東京の北側に入り口のある高速を利用する時は、混雑する都心中心部を避けられるようになって便利になった。来年には渋谷・品川間も開通して首都高湾岸線とも接続する。
でもバイクではほとんど利用したことがない。なぜかというと渋谷から新宿を超えて池袋の先まで、この区間の首都高中央環状線は地下トンネルだから。一度だけ試しに入ったがメチャクチャ暑い。しかしこの日は最低気温11度と真冬の冷え込み。それにネットで調べたらこの区間は渋滞なし。
というわけで首都高中央環状線地下トンネルに挑戦。雲が取れて日が差すのを待って午前8時45分出発。バイクの温度計は12.5度。首都高には富ヶ谷という入り口から入る。やっぱり暑い。しばらくして気温計は29.5度になった! もう少し暖かい日で渋滞していたら、やっぱりバイクでの利用は無理。
牛島の藤の最寄りインターチェンジは東北道の岩槻。中央環状線からは板橋ジャンクションで東に進んで首都高川口線に入るのが普通。でも板橋から先はいつも渋滞している。この日もジャンクションの分岐手前から渋滞していた。それでそのまま直進して首都高池袋線を走り美女木(びじょき)ジャンクションで東京外環状線を回るルートを選択。少し大回りになるが渋滞の中をすり抜けて走るのが面倒だった。
ジャンクションというのは高速道路同士が接続する場所。それで美女木ジャンクションにはなんと高速道路のくせに信号がある。普通は立体交差でぐるぐる回りながら接続する高速道路に乗り入れるものだが、そういう構造にするだけの土地がなかったらしい(>_<)
東北道に入ってからの渋滞は覚悟の上。でもすり抜け走行がイヤになって1つ手前の浦和インターで降りる。高速道路と並行して走る国道122号線はソコソコ空いていて得した気分。その後国道16号にでてからはかなりの渋滞で牛島の藤に着いたのは10時半頃。
正式名は藤花園というのかな。
それでパーラーサクランボというのはサクランボパフェとかを食べられるところではなくてパチンコ屋。藤棚とパチンコ屋の不思議な組み合わせ。
パーラーサクランボとBMW F800R。
パチンコ屋の駐車場って何となく治安的に心配だったけれど、戻ってきた時にイタズラとかの形跡はなし。
これが牛島の藤の入り口。駐車場のすぐ先にある。
ちなみに入園料は1000円とちょっと高い。
もうちょっと字の上手な人はいなかったの?
樹齢1200年。
2013年ー1200年=813年。鳴くよウグイス平安京(794年)だから、ここの藤は平安時代初期からあることになる。クレヨンしんちゃんの春日部が平安時代ってほとんど未開の荒野だったはずだから、まあ古い木だということは確かだとしても1200年というのはちょっとオーバーというか「言ったもの勝ち」な気がする。
それと牛島の藤は弘法大師が自ら植えたと伝えられている。もっとも弘法大師が杖で地面を叩いたら温泉が湧きでてきたとかいうアヤカリ伝説は全国に5000以上あるらしい。
こんな看板に園主として個人名が書いてあるのは珍しいし、すい子という名前も珍しい。
これが特別天然記念物の藤。
34メーター×14メーター。スイングパノラマでぎりぎり収まった。ちなみに植物で特別天然記念物に指定されているのは全国で30件。
こんな大きな藤を見るのは初めて。
園内には甘い香りが漂っている。同じ紫色が連想させるのかラベンダーの香りに近いような気がした。
藤棚の構造。
藤は一本立ちでもたくさん花をつけるが、こうして棚をつけると枝が横に延びて広がる。最初に誰が考えたんだろうね。
内部の様子。
古木だから根元は相当グルグル巻きになっている。この広い藤棚は2本の藤の木でできていた。
長い房が垂れ下がり、藤棚の内部は甘い香りが充満していてちょっと幻想的。
ただし中腰での見学が疲れる。
カメラのオートフォーカスは、レンズを動かしてコントラスト(色の濃淡)が一番ハッキリしたところをピントがあったと判断する。だから単色の白い花とかはピントが合いにくい。こういう同じような模様の繰り返しの場合も苦手みたいだ。液晶画面にはピントがあったマークが表示されていたのに、本日撮った写真のほとんどがピンぼけでちょっとガッカリ。
竹の棚と枝だと花。
この天然記念物の藤は紫と白のミックスの花だった。
これは別の藤棚。構造はこっちのほうがわかりやすい。
できるだけピントの合っているものを選んでアップの写真。
こういう大きな蜂が一杯いて、ちょっとビビる。
他の花いろいろ。
アヤメはかなり盛りを過ぎた感じ。アヤメとカキツバタとショウブはよく似た花。アヤメは花びらに虎のような模様がある。網目(あみめ)→アヤメと連想すると覚えやすい。カキツバタとショウブは花びらに、どっちかが白で、どっちかが黄色の模様がある。どっちがどっちか忘れた。
これはたぶんシャクナゲ。
これはたぶんツツジ。
なぜか白いツツジにピントがよく合っている。本日のメインじゃないのに。
ツツジとサツキもよく似ている。葉っぱがテカっているのがサツキだったように思うがあまり自信なし。ちなみにシャクナゲ、ツツジ、サツキは植物学的には近い品種。
マーガレット。
たぶん芝桜の1種。
以下は不明。
ところどころ小さな植え込みがあって他にもいろんな花が咲いていた。
敷地の一角に植えられていた竹。
藤棚を作るのに使うためかな。
かなり大きなタケノコ。
もう食べられない(^^ゞ
とっても大きなタケノコ!
相当に古そうな松。
松藤。
藤松。
これは天然記念物とは別の藤棚。
むこうは白×紫で、こっちは薄紫×紫。
牛島にはなかったが、もっとピンクがかった紫の藤もあったと思う。
こっちは白い藤。
これもなかなかきれい。
というわけで藤という渋めの花見。それほど広くない園内をぐるぐる回りながら2時間ほど目の保養。ここに付いた頃は気温も18度くらいに上がり、快晴で日差しもたっぷりでなかなか爽快な天候。
帰りは高速を使わず国道4号線でノンビリと郊外ツーリング。まだ埼玉の越谷や草加からもスカイツリーが見えた。上野、日本橋、新橋、品川と通って特に渋滞もなく自宅に戻ってきたのは午後3時前。やっぱり近場のツーリングにしてよかった。さて優先順位第2位をどうしようか?
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