アンリ・ファンタン=ラトゥール

2014年10月29日

オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由 その2

展示会の構成は

   1:マネ、新しい絵画
   2:レアリスムの諸相
   3:歴史画
   4:裸体
   5:印象派の風景
   6:静物
   7:肖像
   8:近代生活
   9:円熟期のマネ

と細かく分かれている。マネで前後を挟んで印象派、アカデミスム、レアリスムと当時の流派の作品をまんべんなく見せる企画。印象派の作品が登場するのは第5コーナーから。


「かささぎ」 モネ

雪景色を描いた絵だから画面はほとんど白で埋められている。こういうのはパソコンの画面で見るのと、実際に目にする違いは大きい。この絵は光りに満ちあふれていた。大雪が降った後やスキー場などでピーカン晴れの時、冬でもまるで夏のように明るい日差しの時があるが、それと同じような雰囲気を感じる。
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これは1868〜69年に描かれたモネがメジャーデビューした頃の作品。印象派が始まったとされる第1回印象派展が1874年。後に光りの画家と呼ばれるモネは、そのキャリアの早い時期から光りの描き分けにセンスがあったことがわかる。ちなみに明治維新が1868年ね。

タイトルの「かささぎ」とは鳥の名前。左側の橋に黒い鳥が留まっている。



「トルーヴィルの海岸」 ウジューヌ・ブーダン

どこか見覚えのある絵だと思ったら、ポーラ美術館のモネ展で見たのと同じ画家の同じテーマの絵だった。タッチはこちらの方がラフで印象派的。
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改めて調べてみると、ウジューヌ・ブーダンは海の絵を多く描いている。海の風景を描いたものを海景画というらしい。彼は海景画のスペシャリストといってもいいと思うが、海よりも空が画面の多くを占めているのが特徴。その空の描き方にファンが多く「空の王者」とも呼ばれているらしい。海と空の二冠達成?



「アルジャントゥイユのレガッタ」 モネ

水面に映り混んでいる帆や家が途切れ途切れに描かれているのが、この絵のハイライト。現実の姿を観察的に写し取るのではなく、自分が感じた印象をキャンバスに再構成するのが印象派の印象派たるゆえん。感じたままに描くということだからデフォルメや強調あるいは省略が不可欠のテクニックとなる。この絵はたぶん、水面に映っている帆や家が水面で「揺れている」ということを表現したかったんじゃないかな。そのための途切れ途切れな描写だと思う。
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レガッタというのはオールで漕ぐボートのことだと思っていたから、ついでに調べてみた。通常は漕ぐボートを指すが帆船やヨットも含まれるとのこと。また原動機なしの船が原則だが、そうでない場合もレガッタと呼ばれる場合もあるらしい。ナンデモエエンカイ! しかしレガッタはそれらの船を使った競技のことである。この絵を見て競技のスピード感を感じることは難しい。どう見たってのどかな風景だしヨットは停泊中に見える。モネに「はい、描き直し」といってみたいなあ。



「家族の集い」 フレデリック・バジール
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「テーブルの片隅」 アンリ・ファンタン=ラトゥール
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どちらも大勢の人物が描かれた集合写真のような肖像画。両方の絵で合計19名が描かれているが、そろいも揃って全員無表情である。この頃はそういう流儀だったのかな。少しぐらい微笑んでもよさそうなものなのに。絵というか場面としてどこか不気味である。

1人だけが描かれている普通の肖像画なら無表情でもまったく気にならない。集合肖像画だと不気味に感じるのは、やはり人間関係には笑顔が必要ということなのかも。皆さん、笑顔を心掛けましょう。口角(口の端っこ)を上げるようにすると感じのいい微笑みになるといわれている。しかし口角を上げると鼻の穴が膨らむんだよなあ(^^ゞ



「手袋の婦人」 カロリュス=デュラン

右手の手袋が床に落ちているのをのぞけば、時に凝ったところもないごくごく普通の肖像画。もっとも印象派的なデフォルメをするなら別だが、写実的な肖像画ならあまり変わったことはできない。それでもいいなと思える肖像画と、そうでない肖像画に好みが分かれるのが絵のおもしろいところ。この絵は心軽やかでで楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
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印象派が誕生した19世紀中頃、フランスでは肖像画の需要がものすごく高かったらしい。サロン(国が開く大規模なコンクール)に出品される作品の1/4位が肖像画で占められていた。台頭してきたブルジョア階級がその発注主とされる。このブルジョアというのも知っているようでよく理解していない言葉。今風にいうなら富裕層とかセレブというような意味かな。フランスの場合、18世紀後半にフランス革命によって貴族から市民が主役になった。それからいろいろあったけれど、50〜60年経って市民に金持ち層が増えてきたということだろう。産業革命もほぼ同時期に進行した出来事である。



「死の床のカミーユ」 モネ

これが肖像画に分類されるのかどうかはわからない。モネの妻であり、しばしば絵のモデルとしても描かれていたカミーユの亡骸。いわゆる産後の肥立ちの悪さが原因で次男を生んだ半年後に他界。享年32才。
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妻の遺体をモデルにするなんて反則技とも思うが、モネは彼女の死を看取った後、反射的に筆をとり絵を描き始めたと後に述懐している。愛する人の最後の姿を絵に残しておきたいというのは画家としての本能というか画家バカというか。しかも普段とは違う顔色の変化(死んでいるからね)を懸命に追っていたともいっているからなおさらである。

カミーユを失った哀しみがあらわれているのか、あるいはモネの筆が確かなのか、ラフなタッチで描かれているのにこの絵は結構リアルである。死んだ人の顔を見た経験があるなら、タイトルを読まなくても何が描かれているかは瞬時にわかる。心に何かが突き刺さるような感覚を覚える、ある意味、絵というものの凄さを教えてくれる作品でもある。



「草上の昼食」 モネ

おかしな形になっているのは傷んだ部分が切り落とされているから。これを描き上げた当時、モネは家賃が払えなくて絵を大家さんに差し出したか差し押さえられたかした。20年近く経って買い戻したが、保管状態がかなり悪かったらしい。切り落としたのは仕方ないとして2分割しなくてもよかったとも思うが。オリジナルのサイズは縦4メートル横6メートルと巨大な作品。
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この絵は1つ前のエントリーで紹介したマネの「笛を吹く少年」とともに、この展示会の目玉作品ツートップである。ほとんどフランス国外に貸し出されたことがなく、またモネにとっても記念碑的な作品らしい。

でも私の目はおかしいのかなあ? 
「笛を吹く少年」もそうだったが、いい絵と思わなかったのは趣味の問題として、この絵のどこがそんなにすごいのかさっぱりわからなかった。日差しが明るくて気持ちよさそうと思った程度。人物も風景も描き方が中途半端。写実的でもなく印象派的な省略形でもなく、漫画っぽいというか挿絵みたいというか。まっ、世間と意見が合わないのは珍しいことじゃないけど。



「サン=ラザール駅」 モネ

タイトル通り駅の風景を描いた絵。サン=ラザール駅はパリの主要駅のひとつ。ヨーロッパの昔の駅は線路より高くなったプラットフォームがないところが多い。この駅は1837年開業。モネやマネ、セザンヌ、ルノワールといった印象派の画家達と同世代。駅や列車が絵に描かれていると、それほど遠い昔の絵じゃないとわかる。
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蒸気機関車の煙突から出る煙や、車輪のあたりから吹き出される蒸気が駅舎の中に漂っていて、それがモヤーッと視界を遮っていい雰囲気。まさに絵になる光景。パッと見ではモネらしい光りの描き分けは感じないが、よく見れば煙や蒸気に反射させたりしている。もう普通に光りを描くだけじゃ飽き足らなくなったのかも。後にモネはモヤばかりで何を描いているのかわからないような絵を描き出す時期がある。それらは名作とされているが例によって私には理解不能。モネはシリーズものの多い画家でこの駅をテーマに12作品を描いている。サン=ラザール駅が最初のシリーズものらしいが、12枚もモヤモヤを描いているうちにモヤに取り憑かれたのかもしれない。



「婦人と団扇」 マネ

寝そべって頬杖をすると顔がちょっと歪む。そこはそんなに写実的に描かなくてもいいのにとか、後頭部を支えるようにポーズをさせればいいのにとか思うが、目のあたりが少しムギュとなってしまったところがこの絵のアイキャッチでもある。

後ろの壁に見えるのは屏風(びょうぶ)で鶴が描かれている。その屏風には貼り付けられた団扇(うちわ)が何枚か。笠をかぶった江戸時代っぽい女性が描かれた団扇もある。どこかの女性大臣の辞任の原因となったウチワとはずいぶん違う(^^ゞ 
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日本風のインテリアなのは、当時のフランスではジャポニスムが流行っていたから。直訳すれば日本主義とか日本趣味というような意味。あるいは日本かぶれ。ペリーの黒船来港が1853年。その頃から徐々に日本の美術品、工芸品はては着物や日用品までがヨーロッパにも知られるようになった。フランスでは印象派の画家達が台頭してきた時代で、特に浮世絵は彼らの画風に影響を与えたといわれている。もっともアカデミスムやレアリスムの画家達は浮世絵を気に入ったとしても、西洋画とはまったく違う様式の絵だから、自分たちの絵に取り入れることはできなかっただろうけど。

ジャポニスムが美術界だけの現象だったのが、もう少し世間一般にも広まっていたのかはよく知らない。浮世絵が印象派に影響を与えたとはよくいわれるが、単に物珍しかった、東洋的なものにエキゾチズムを感じただけかも知れない。文明開化の日本人が「ハイカラ」なものを好んだのと同じ。浮世絵が印象派に影響を与えた=日本は優れていたと、ことさらに自慢する論法を私は好まない。でも印象派の巨匠達の多くの作品に日本的なものが描かれていたり、浮世絵に似たような部分を見つけるのは素直にうれしいものである。

モデルになっているのはサロンを主催していた女性。ここでいうサロンはコンクールの展示会ではなく、画家や詩人などの文化人の交流の場のこと。彼女の家に集まって議論したりバカ騒ぎしていたんだろう。彼女はくたびれた感じはするが、人がよさそうである。もっと昔、サロンは貴族や上流階級の社交界を意味した。こんなオバチャンがサロンの女主人というのも時代が近代になったということである。



最初のエントリーに書いたように今の私は印象派敬遠期。セザンヌやルノワールもたくさん展示されていたが、あまり気が乗らず。特にセザンヌがいけない。風景画や肖像画は手抜きのやっつけ仕事にしか見えなかった。ただし彼の静物画はやはりおもしろい。1周回って、またそのうちファンになるだろう。マネをまとめてみたのはたぶん初めて。まあ普通かな。展示会ではどうしてもガツンとくる絵に目がいってしまう。マネは毎日眺めている分には意外といいかもしれない。買えないけど(^^ゞ


国立新美術館内部の様子。
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ガラスの壁を内側から撮ると夜みたいになってしまった。
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おしまい。

wassho at 23:19|PermalinkComments(0)