イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
2019年01月21日
国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア展 その2
この作品はオーソドックスな絵が多かったこの展覧会では異色。ナチュラルで素朴なクリムトといった趣き。こういうのをもっと見たかったが、これだけだったのが残念。
イワン・シルイチ・ゴリュシュキン=ソロコプドフ
「落葉」 1900年代
「月明かりの夜」はロマンティックというより幻想的。シチュエーションと着ているものが釣り合っていないが、だからこそ非現実的な雰囲気が醸し出されているのだろう。またスポットライト的に女性が照らされているので舞台のようにも見え、この後に彼女が立ち上がってセリフを言ったり歌ったりするような連想をしてしまう。
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「月明かりの夜」 1880年
そして目玉作品の「忘れえぬ女」。
タイトルの「女」は「ひと」と読む。演歌か! また原題のロシア語の英訳はUnkown Ladyで「見知らぬ婦人」だから、誰かが思い入れたっぷりな日本語タイトルをつけたらしい。そういうのは映画ではよくある話。有名なところでは「愛と青春の旅立ち」の原題はAn Officer and a Gentleman。直訳すれば「士官と紳士」。そんな味気ないタイトルじゃ映画はあれほどヒットしなかったかもしれない。絵にもネーミングで点数を稼いでいる例が他にあるのかな?
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「忘れえぬ女」 1883年
一度見たら忘れえぬ作品なことは間違いない。表情に喜怒哀楽はなく完全に無表情。しかし、しっかりと見つめているから、そこにミステリアスな緊張感が生まれる。そして罪深き美しさ。彼女に頼まれたら人の2〜3人は殺してしまいそうである(^^ゞ
どうしても顔ばかり見てしまうが、服装のセンスもいいし、その描写もお見事。またモデルは馬車に坐っている。雪の積もったモスクワで馬車が幌を降ろすことはないだろうから、これは制作における演出。高貴な感じと、少し高い位置から見おろすという構図が欲しかったのかもしれない。
よく見れば背景の描き方がユニークである。単にぼかすのではなく、極端に色の彩度(濃さ)を落として描かれている。こういうテクニックって今まで他の絵で見たことがあったかな? もっとも試しに指で建物を隠しても、作品の魅力はまったく変わらない。ただし背景の空がクリーム色で塗られているのは重要だと思う。この作品では青空でも曇り空の灰色でもいけない。冷静に観察すれば怖い印象もあるこの女性の姿を、クリーム色が優しく中和しているような気がする。
ちなみにこの作品は「モスクワのモナリザ」と呼ばれている。「オランダのモナリザ」は、あのフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」である。古今東西、女性を描いた名画はモナリザに例えられるみたいだ。さて日本のモナリザは?
上で紹介した3作品と較べると、次の2つはごく普通の描き方。モデルも特に美人じゃない。でもいい味が出ている作品だった。
フィリップ・アンドレーエヴィチ・マリャーヴィン
「本を手に」 1895年
ニコライ・アレクセーエヴィチ・カサートキン
「柵によりかかる少女」 1893年
子供を描いた作品を2つ。
ロシア絵画には子供の絵が多いらしい。
セルゲイ・アルセーニエヴィチ・ヴィノグラードフ
「家で」 1913年
ワシーリ・イワノーヴィチ・コマロフ
「ワーリャ・ホダセーヴィチの肖像」 1900年
その他のあれこれ。
コンスタンチン・アレクセーエヴィチ・コローヴィン
「小舟にて」 1888年
ワシーリ・マクシーモヴィチ・マクシーモフ
「嫁入り道具の仕立て」 1866年
ウラジミール・エゴローヴィチ・マコフスキー
「ジャム作り」 1876年
ニコライ・ドミートリエヴィチ・クズネツォフ
「祝日」 1879年
ロシア絵画の特徴ってなんだろうと思いながら、あるいはラフマニノフのようなロシア的情感を感じたくて作品を見て回った。しかし見慣れているヨーロッパ絵画との明確な違いはなかったと思う。クラシック音楽ではロシアらしさを感じるのに絵画はそうでないのは、おそらく音楽、小説、絵画の順番で内面から外面の表現になるからだろう。外面ならロシアとヨーロッパはそんなに変わらない。また「広大なロシアの大地がーーー」などのお約束の表現がよく使われるが、目で見えている範囲=絵で描く範囲なんて日本もロシアも広さに変わりはない。民衆が描かれた絵は素朴な印象を受けるものが多かったけれど、日本だって明治時代の民衆を描けば素朴になる。
だからといって、それはこの展覧会の否定じゃない。全体のクォリティはとても高く、もし目玉作品の「忘れえぬ女」が展示されていなくても満足したと思う。それに「明確な違いはなかった」と書いたが、うまく表現できないだけでやはりどこか雰囲気は違うわけで、それを感じながら作品を眺めるのは楽しかった。
これだけのまとまった数のロシア絵画を見たのは今回が初めて。ロシアあるいは東欧も含めたエリアの展覧会が、これからも開かれることを期待したい。
おしまい
イワン・シルイチ・ゴリュシュキン=ソロコプドフ
「落葉」 1900年代
「月明かりの夜」はロマンティックというより幻想的。シチュエーションと着ているものが釣り合っていないが、だからこそ非現実的な雰囲気が醸し出されているのだろう。またスポットライト的に女性が照らされているので舞台のようにも見え、この後に彼女が立ち上がってセリフを言ったり歌ったりするような連想をしてしまう。
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「月明かりの夜」 1880年
そして目玉作品の「忘れえぬ女」。
タイトルの「女」は「ひと」と読む。演歌か! また原題のロシア語の英訳はUnkown Ladyで「見知らぬ婦人」だから、誰かが思い入れたっぷりな日本語タイトルをつけたらしい。そういうのは映画ではよくある話。有名なところでは「愛と青春の旅立ち」の原題はAn Officer and a Gentleman。直訳すれば「士官と紳士」。そんな味気ないタイトルじゃ映画はあれほどヒットしなかったかもしれない。絵にもネーミングで点数を稼いでいる例が他にあるのかな?
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「忘れえぬ女」 1883年
一度見たら忘れえぬ作品なことは間違いない。表情に喜怒哀楽はなく完全に無表情。しかし、しっかりと見つめているから、そこにミステリアスな緊張感が生まれる。そして罪深き美しさ。彼女に頼まれたら人の2〜3人は殺してしまいそうである(^^ゞ
どうしても顔ばかり見てしまうが、服装のセンスもいいし、その描写もお見事。またモデルは馬車に坐っている。雪の積もったモスクワで馬車が幌を降ろすことはないだろうから、これは制作における演出。高貴な感じと、少し高い位置から見おろすという構図が欲しかったのかもしれない。
よく見れば背景の描き方がユニークである。単にぼかすのではなく、極端に色の彩度(濃さ)を落として描かれている。こういうテクニックって今まで他の絵で見たことがあったかな? もっとも試しに指で建物を隠しても、作品の魅力はまったく変わらない。ただし背景の空がクリーム色で塗られているのは重要だと思う。この作品では青空でも曇り空の灰色でもいけない。冷静に観察すれば怖い印象もあるこの女性の姿を、クリーム色が優しく中和しているような気がする。
ちなみにこの作品は「モスクワのモナリザ」と呼ばれている。「オランダのモナリザ」は、あのフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」である。古今東西、女性を描いた名画はモナリザに例えられるみたいだ。さて日本のモナリザは?
上で紹介した3作品と較べると、次の2つはごく普通の描き方。モデルも特に美人じゃない。でもいい味が出ている作品だった。
フィリップ・アンドレーエヴィチ・マリャーヴィン
「本を手に」 1895年
ニコライ・アレクセーエヴィチ・カサートキン
「柵によりかかる少女」 1893年
子供を描いた作品を2つ。
ロシア絵画には子供の絵が多いらしい。
セルゲイ・アルセーニエヴィチ・ヴィノグラードフ
「家で」 1913年
ワシーリ・イワノーヴィチ・コマロフ
「ワーリャ・ホダセーヴィチの肖像」 1900年
その他のあれこれ。
コンスタンチン・アレクセーエヴィチ・コローヴィン
「小舟にて」 1888年
ワシーリ・マクシーモヴィチ・マクシーモフ
「嫁入り道具の仕立て」 1866年
ウラジミール・エゴローヴィチ・マコフスキー
「ジャム作り」 1876年
ニコライ・ドミートリエヴィチ・クズネツォフ
「祝日」 1879年
ロシア絵画の特徴ってなんだろうと思いながら、あるいはラフマニノフのようなロシア的情感を感じたくて作品を見て回った。しかし見慣れているヨーロッパ絵画との明確な違いはなかったと思う。クラシック音楽ではロシアらしさを感じるのに絵画はそうでないのは、おそらく音楽、小説、絵画の順番で内面から外面の表現になるからだろう。外面ならロシアとヨーロッパはそんなに変わらない。また「広大なロシアの大地がーーー」などのお約束の表現がよく使われるが、目で見えている範囲=絵で描く範囲なんて日本もロシアも広さに変わりはない。民衆が描かれた絵は素朴な印象を受けるものが多かったけれど、日本だって明治時代の民衆を描けば素朴になる。
だからといって、それはこの展覧会の否定じゃない。全体のクォリティはとても高く、もし目玉作品の「忘れえぬ女」が展示されていなくても満足したと思う。それに「明確な違いはなかった」と書いたが、うまく表現できないだけでやはりどこか雰囲気は違うわけで、それを感じながら作品を眺めるのは楽しかった。
これだけのまとまった数のロシア絵画を見たのは今回が初めて。ロシアあるいは東欧も含めたエリアの展覧会が、これからも開かれることを期待したい。
おしまい
wassho at 21:29|Permalink│Comments(0)│
2019年01月17日
国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック・ロシア展
渋谷にあるBunkamuraの30周年記念として開催されている、
モスクワにあるトレチャコフ美術館のコレクションを紹介する展覧会で、
サブタイトルがロマンティック・ロシア。
Bunkamuraは東急グループが運営する複合文化施設。渋谷の東急百貨店の隣にあり、コンサートホール、劇場、映画館、美術館などが入っている。首都圏以外ではあまり知名度はないかもしれない。出来た当時は東急文化村と呼んでいたように思うが、いつのまにか東急をネーミングにつけなくなり、またBunkamuraとアルファベットで表記するようになった。それで世間に通用するので、パソコンで「ぶんかむら」と打ち込むとBunkamuraと変換される。
さて、この展覧会は1850年(明治維新が1868年)から1917年(大正6年。日露戦争が1904〜1905年、ロシア革命が起きたのが1917年)までのロシア人画家の作品を展示している。概ね印象派の時期と重なるが、時代にかかわらず「ロシアの画家って誰か知っていたっけ?」というのがこの展覧会に興味を持ったきっかけ。シャガールとカンディンスキーが思い浮かんだが、彼らはロシア生まれであっても画家として活動したのはフランスだし。
結論からいうと、この展覧会で見た画家は初めて聞く名前ばかりだった。ポスターにも使われている「忘れえぬ女」に何となく見覚えはあってもロシアの画家の作品だとは思っていなかった。ところでロシア人の名前は長くてややこしいものが多く、作品紹介でブログに書く時に苦労した。
訪れたのは1月5日だからBunkamura入口には門松。
館内にあったポスター。これが「忘れえぬ女」。
ロシア文学には詳しくない。ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどは大昔に読んだはずだが、内容はまったく覚えていない(/o\) だから「ロシア文学ってどんな感じ?」と尋ねられても答えられない。しかしクラシック音楽ならチャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチなどにロシアっぽいというかスラブ調のようなものを感じる作品はある。じゃあそれは具体的にどんな音楽なんだと問われても表現できないけれど。まあとにかく、そんなロシアらしさが絵にもあるのかという興味で作品を見て回る。
展覧会全体として風景画が多かったように思う。どれも細密な描写。人物と共に描かれたものもあり、それらには詩情のような雰囲気が感じられる。
アレクセイ・コンドラーチエヴィチ・サヴラーソフ
「田園風景」 1867年
イサーク・イリイチ・レヴィタン
「春、大水」 1897年
イサーク・イリイチ・レヴィタン
「樫の木」 1880年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「森の散歩」 1869年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「雨の樫林」 1891年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「正午、モスクワ郊外」 1869年
エフィーム・エフィーモヴィチ・ヴォルコフ
「10月」 1883年
グリゴーリー・グリゴーリエヴィチ・ミャソエードフ
「秋の朝」 1893年
ミハイル・マルキアーノヴィチ・ゲルマーシェフ
「雪が降った」 1897年
ワシーリー・ニコラエヴィチ・バクシェーエフ
「樹氷」 1900年
ロシア絵画の特徴を発見した。画家の名前は長いがタイトルは短い(^^ゞ それは冗談として人物の服装にロシアあるいは東欧的なものは見られても、作風そのものは極めてオーソドックス。それによく考えたらロシアの風景を知っているわけでもなし、絵を見てロシアを感じられるはずもなかった。一番気に入ったのはシーシキンの「雨の樫林」。なんともいえず引き込まれる。傘を差している二人の姿が見えなくなるまで見守りたい気分になる。
海景画を何点か。
イワン・コンスタンチーノヴィチ・アイヴァゾフスキー
「嵐の海」 1868年
イワン・コンスタンチーノヴィチ・アイヴァゾフスキー
「海岸、別れ」 1868年
ニコライ・ニカローノヴィチ・ドゥボフスコイ
「静寂」 1890年
アイヴァゾフスキーの「嵐の海」は、そのコバルトブルー系の海の色に目が引き寄せられた。私が好きな海の色である。でもよく考えると、海は日差しが強くないとこういう色にはならない。でも描かれているのは嵐の海である。そこだけ雲が切れているとの説明も成り立つが、よく見ると後ろの山の日の当たり方もわざとらしい。嵐と快晴で何か比喩してるのかもしれないが、やはり光を描き分けたがるのは画家の習性なんだろう。でも好きな色だからイイヤ。
静物画は少なかったし、画像を見つけられたのはこれのみ。描かれているのはフロックスという花。静物画なのに台に置かれておらず、また花瓶の底周辺に擦れたような線が描かれている。浮いている想定? ナゾ
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「花瓶のフロックス」 1884年
男性の肖像画。作風は様々。
イリア・エフィーモヴィチ・レーピン
「ピアニスト・指揮者・作曲家アントン・ルビンシュテインの肖像」 1881年
ウラジミール・エゴローヴィチ・マコフスキー
「自画像」 1905年
コンスタンチン・アレクセーエヴィチ・コローヴィン
「フョードル・シャリャーピンの肖像」 1905年
このシャリャーピンはオペラ歌手。日本ではシャリアピンと発音されることが多く、来日した時に帝国ホテルでシャリアピン・ステーキを作らせた、あのシャリアピンである。それにしてもスーツなのに靴下が派手だな。
ーーー続く
モスクワにあるトレチャコフ美術館のコレクションを紹介する展覧会で、
サブタイトルがロマンティック・ロシア。
Bunkamuraは東急グループが運営する複合文化施設。渋谷の東急百貨店の隣にあり、コンサートホール、劇場、映画館、美術館などが入っている。首都圏以外ではあまり知名度はないかもしれない。出来た当時は東急文化村と呼んでいたように思うが、いつのまにか東急をネーミングにつけなくなり、またBunkamuraとアルファベットで表記するようになった。それで世間に通用するので、パソコンで「ぶんかむら」と打ち込むとBunkamuraと変換される。
さて、この展覧会は1850年(明治維新が1868年)から1917年(大正6年。日露戦争が1904〜1905年、ロシア革命が起きたのが1917年)までのロシア人画家の作品を展示している。概ね印象派の時期と重なるが、時代にかかわらず「ロシアの画家って誰か知っていたっけ?」というのがこの展覧会に興味を持ったきっかけ。シャガールとカンディンスキーが思い浮かんだが、彼らはロシア生まれであっても画家として活動したのはフランスだし。
結論からいうと、この展覧会で見た画家は初めて聞く名前ばかりだった。ポスターにも使われている「忘れえぬ女」に何となく見覚えはあってもロシアの画家の作品だとは思っていなかった。ところでロシア人の名前は長くてややこしいものが多く、作品紹介でブログに書く時に苦労した。
訪れたのは1月5日だからBunkamura入口には門松。
館内にあったポスター。これが「忘れえぬ女」。
ロシア文学には詳しくない。ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどは大昔に読んだはずだが、内容はまったく覚えていない(/o\) だから「ロシア文学ってどんな感じ?」と尋ねられても答えられない。しかしクラシック音楽ならチャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチなどにロシアっぽいというかスラブ調のようなものを感じる作品はある。じゃあそれは具体的にどんな音楽なんだと問われても表現できないけれど。まあとにかく、そんなロシアらしさが絵にもあるのかという興味で作品を見て回る。
展覧会全体として風景画が多かったように思う。どれも細密な描写。人物と共に描かれたものもあり、それらには詩情のような雰囲気が感じられる。
アレクセイ・コンドラーチエヴィチ・サヴラーソフ
「田園風景」 1867年
イサーク・イリイチ・レヴィタン
「春、大水」 1897年
イサーク・イリイチ・レヴィタン
「樫の木」 1880年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「森の散歩」 1869年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「雨の樫林」 1891年
イワン・イワノーヴィチ・シーシキン
「正午、モスクワ郊外」 1869年
エフィーム・エフィーモヴィチ・ヴォルコフ
「10月」 1883年
グリゴーリー・グリゴーリエヴィチ・ミャソエードフ
「秋の朝」 1893年
ミハイル・マルキアーノヴィチ・ゲルマーシェフ
「雪が降った」 1897年
ワシーリー・ニコラエヴィチ・バクシェーエフ
「樹氷」 1900年
ロシア絵画の特徴を発見した。画家の名前は長いがタイトルは短い(^^ゞ それは冗談として人物の服装にロシアあるいは東欧的なものは見られても、作風そのものは極めてオーソドックス。それによく考えたらロシアの風景を知っているわけでもなし、絵を見てロシアを感じられるはずもなかった。一番気に入ったのはシーシキンの「雨の樫林」。なんともいえず引き込まれる。傘を差している二人の姿が見えなくなるまで見守りたい気分になる。
海景画を何点か。
イワン・コンスタンチーノヴィチ・アイヴァゾフスキー
「嵐の海」 1868年
イワン・コンスタンチーノヴィチ・アイヴァゾフスキー
「海岸、別れ」 1868年
ニコライ・ニカローノヴィチ・ドゥボフスコイ
「静寂」 1890年
アイヴァゾフスキーの「嵐の海」は、そのコバルトブルー系の海の色に目が引き寄せられた。私が好きな海の色である。でもよく考えると、海は日差しが強くないとこういう色にはならない。でも描かれているのは嵐の海である。そこだけ雲が切れているとの説明も成り立つが、よく見ると後ろの山の日の当たり方もわざとらしい。嵐と快晴で何か比喩してるのかもしれないが、やはり光を描き分けたがるのは画家の習性なんだろう。でも好きな色だからイイヤ。
静物画は少なかったし、画像を見つけられたのはこれのみ。描かれているのはフロックスという花。静物画なのに台に置かれておらず、また花瓶の底周辺に擦れたような線が描かれている。浮いている想定? ナゾ
イワン・ニコラエヴィチ・クラムスコイ
「花瓶のフロックス」 1884年
男性の肖像画。作風は様々。
イリア・エフィーモヴィチ・レーピン
「ピアニスト・指揮者・作曲家アントン・ルビンシュテインの肖像」 1881年
ウラジミール・エゴローヴィチ・マコフスキー
「自画像」 1905年
コンスタンチン・アレクセーエヴィチ・コローヴィン
「フョードル・シャリャーピンの肖像」 1905年
このシャリャーピンはオペラ歌手。日本ではシャリアピンと発音されることが多く、来日した時に帝国ホテルでシャリアピン・ステーキを作らせた、あのシャリアピンである。それにしてもスーツなのに靴下が派手だな。
ーーー続く
wassho at 22:34|Permalink│Comments(0)│